ロミーVer.1:第2部-悲しみの向こう   作:松村順

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第4話

 水曜日の朝,ヒカルの仕事が始まる頃,ボクは家を離れた。

「お正月にはまた来るからね」

「うん。待ってるわ」

ヒカルはそう言ってボクをハグしてくれた。

駒込に戻ったのは,夕方と言うにはまだ間のある頃。しばらくのんびり旅の疲れを癒やして,7時前に1階に顔を出した。

「ああ,ロミーさん。今日は実はロミーさんじゃなくて『藤原先生』に相談があるのよ」

「えっ,何ですか?」

「実はね・・・・」

カヨコさんは,ふだんに似合わずちょっとためらっている。

「お恥ずかしい話なんだけど,生理があがって何十年も経つのに,2~3日前から血が出てるの」

「血が出てるって,つまり性器出血ですね?」

カヨコさんはフッと笑った。

「お医者様って,ずいぶん露骨な言い方をするのね」

「あっ,いえ・・・・まあ,それは・・・・」

と言いながら,頭の別の部分は医者モード全開になっている。〔高齢者の性器出血で考えられる重大な病気は子宮体ガン。ただ,性器出血は初期症状だから,2~3日前が初めてならまだ初期ガンの可能性がある〕

「カヨコさん,その出血はほんとうに2~3日前が最初? 何週間前とか何ヶ月前とかに同じようなことはなかった?」

「うーん。なかったと思うわ」

と答えながら,カヨコさんはボクの表情が変わったことに気づいた。

「重大な病気なの?」

「かもしれない」

カヨコさんはボクを真剣に見つめる。

「はっきり言います。子宮体ガンの可能性があります」

「そう・・・・子宮ガンなの?」

〔子宮ガンと一口に言っても子宮頸ガンと子宮体ガンはぜんぜん別物なんだけど,そんなことこの場で説明しなくていい〕

「はい。その可能性があります。ただ,仮にガンだとしても初期ガンの可能性が高いです。ともかく,明日すぐに婦人科を受診しましょう。できればCTかMRIのある所がいいです。ボクが付き添いたいけど,ボクも明日は仕事だから」

「いいのよ。付き添いなんて。自分で行けるわ。それにしてもロミーさん,はっきり言ってくれてありがとう」

カヨコさんは動じた様子がない。ボクの方が気持ちが動揺している。でも,まだ説明しておくべきことがある。

「それじゃあ,カヨコさん,明日,受診した病院で『不正出血があった。知り合いの医者から,子宮ガンかもしれないからきちんと検査を受けてくださいと言われた』と話してください」

「うん。分かったわ」

 

 翌日,クリニック・アンジュの仕事が終わって,駅から駆けだし,自分の部屋に戻る前に1階のドアを開けた。カヨコさんはふだんどおり開店準備している。

「どうだった?」

「どうだったって,ひどい目に遭ったわよ」

「えっ?」

「組織診っていうの? 前もって『痛い検査です』とは言われたけど,あんなに痛いとは」

「・・・・ああ,体部の組織診,それは痛かったでしょう・・・・で,ほかには?」

「あと,造影MRIというのを受けた」

「結果は?」

「来週の火曜日に来てくださいって言われたわ」

〔そうだった。今日の今日,結果が分かるわけではないんだ〕

当たり前のことが,頭から吹っ飛んでいた。カヨコさんは,少なくとも外見は,ふだんと変わったところはない。まだ事態の重大さを実感できていないのか,それとも肝が据わっているのか・・・・。

 

 翌週の火曜日,ボクはカヨコさんと一緒に診察室に入った。

「ご親戚ですか?」

と訊かれて

「血のつながりはないけど,へたな親戚よりずっと親しい間柄です」

とカヨコさんは答えた。ボクは,

「検査の結果は,どうでしたか?」

と尋ねる。一瞬,診察室に沈黙が流れた。それから,

「卵巣ガンです」

という医師の声が響いた。

「卵巣ガン?」

医師はうなずいた。

「どういうことでしょう?」

「つまり,不正出血は卵巣ガンによるものだったということです」

ボクは納得できないでいるけど,カヨコさんは

「要するに,ガンなんですね。それで,切るんですか?」

と質問した。

「はい,子宮と卵巣の切除を強くお勧めします」

カヨコさんはうなずく。

「早いほうがいいんですね?」

「はい・・・・あっ,そうですね。まず,手術の予約をしてもらいましょうか。詳しい話はそれからでも」

医師は電話機を取り上げた。

「ああ,婦人科です。これからキノシタ・カヨコさんをそちらに回しますので,広範子宮全摘の手術予約をしてください」

と話し,電話機を置いてこちらを向いて

「では,これから看護師が案内しますから,別室で手術予約をしてください。前もって準備することなども,その際にご説明します」

カヨコさんは立ち上がった。ボクは座ったまま。

「カヨコさん,一人でも大丈夫だよね?」

「もちろん。子供じゃないんだから」

「じゃあ,ボクはここで先生ともう少し話をしています」

 カヨコさんが診察室を出て,ボクは医師と向かい合った。

「先生,わたしも医者です。それなりのことは分かります。だから,もっと詳しく説明してください」

「ああ,お医者様でしたか」

そう言って,医師はまず組織診の報告書をボクに見せる。

「低分化の異型細胞が多数見られる」

と記載されている。それからMRIの画像を示した。

「右卵巣と子宮が癒着して,大きな腫瘍が広がっています。おそらく,卵巣が原発巣です。もともと卵巣と子宮が癒着していたか,腫瘍が大きくなる過程で癒着したかして,卵巣から子宮に浸潤したガンが子宮筋層を突き抜けて内膜まで達して出血を起こしたと考えられます。もし,子宮内膜が原発巣なら,もっとずっと早い段階で出血があったはずです」

ボクが予想もしていなかった説明だった。

「・・・・つまり,進行ガンですね?」

「はい。子宮だけでなく,腹膜のリンパ節への転移,さらに肝転移と思われる影があります。ということは,MRIでは確定できませんが,胃,小腸,大腸,脾臓への微小転移もあるものと考えておく方がいいでしょう。・・・・正直,これほど進行したガンで,これまで腹部膨満とか悪心とか下痢とか疼痛とか排尿障害といった症状がなかったのが不思議です」

〔・・・・あったのかもしれない。ボクに話さなかっただけで・・・・〕

ボクは思い出した。去年の秋頃から急に階段の上り下りが辛くなったと話していたこと。

「それで,広範子宮全摘というのは?」

「それは,強くお勧めします。放置しておくと,出血がひどくなり,ひょっとした壊死物が排出されるようなこともあるでしょう。腹水が溜まって苦しい思いもなさるでしょうし。卵巣と子宮の腫瘍塊と腹膜のリンパ節転移巣はできるだけ取る方が,今後の生活を楽に過ごせるはずです」

「・・・・つまり,根治術ではなくてPalliativeなのですね?」

医師はうなずく。

「それで,予後は?」

医師はフーッと大きくため息をついた。

「神ならぬ身で,正確に余命を言い当てるなんてことはできませんが,率直に申し上げて,1年もってくれればと思っています」

しばらくの沈黙。

「先生は,手術の後,積極的に抗がん剤治療や放射線治療をなさるおつもりですか?」

「そうしたいです。病気に対してできる限りのことをするのが医者の務めだと思っています」

「ボクは,彼女に親しい者として,残された時間を穏やかに,そして充実して過ごしてほしいです」

また,しばらくの沈黙。そして医師が言葉を継ぐ。

「まあ,そういうことはここで二人で決めることではなくて,ご本人が決めるべきことなのですが,そのためにはありのままを話さないといけません」

「ボクが話します」

「話してくれますか?」

「はい」

そう答えて,ボクは席を立つ。その時,これからカヨコさんに「ありのまま」を話すことの責任が実感された。

 診察室を出ると,カヨコさんはまだ戻っていない。10分ほどソファーに座って待っていると,戻ってきた。ボクの顔を見るなり,

「重大な話だったのね」

と話しかける彼女に,ボクはとっさに返事を思いつかない。

「顔に書いてあるわ。とても深刻な顔してる」

ボクは,ヒカルから言われた言葉を思い出した。

- ロミー,ほんとうに正直ね。気持ちを隠せないのね・・・・それは,人間としては美質かもしれないけど,医者としては問題があるよ。医者の仕事では,気持ちを,特に落胆の気持ちを表に現わしてはいけないこともあるからね -

ボクは悲しくなって,うなだれた。涙がゆっくり溢れてくる。

「ロミーさん,泣かないで。あなたが泣くことはないのよ」

カヨコさんが励ましてくれる。ボクはさらに悲しくなった。そして情けなかった。

「手術は8月20日だって。2週間くらい入院するから,バーを休まないといけないね。遅めの夏休みということにしよう。きっと,『ママも年に勝てないな。暑さにやられたんだ』なんて陰口たたかれるわね」

 

 帰り道は,二人とも黙っていた。カヨコさんの部屋に帰り着いて,ボクは「ありのまま」を話した。できるだけていねいに,1つ1つ言葉を選ぶように。

「・・・・つまり,助からないってことね」

ボクは,うなずくしかない。

「仕事も辞めないといけない?」

「無理に辞めなくてもいい。あわてて仕事を辞めたからって,寿命が延びるわけじゃないし・・・・仕事を辞めるとカヨコさん,急に老け込みそうだし」

「今さら,『老け込む』もないもないけどね」

カヨコさんは笑う。

「でも,そう言ってくれるのはうれしい。仕事続けてもいいんなら,足腰が立つ間はバーをやってるわ。カウンターに立っていられなくなったら,閉めるけどね・・・・70年生きれば,十分かな」

「カヨコさん,肝が据わってるね」

「肝が据わってなんかいないわよ。ただ・・・・」

「ただ?」

「度胸と意地と見栄よ」

と言って,彼女はまたフッと笑った。ボクは,大切なことを思い出した。

「親戚に知らせないと」

「親戚はいないわ」

「えっ?」

「親はとっくに死んでるし,子供はいないし,きょうだいは・・・・2つ違いの弟がいたけど,ずっと昔に事故で死んだ」

彼女はちょっと黙って,それからポツリとつぶやいた。

「だから,ロミーさんがいてくれて,ほんとうによかった」

 

 手術とその後の入院期間中,ボクは毎日見舞いに行った。そこで,主治医を交えて3人で手術後の治療方針について話し合ったけど,

「ほんの何ヶ月か寿命を延ばすために辛い思いはしたくない」

というカヨコさんの意見で決着した。

「そういうことなら,術後は緩和医療を続けることになりますが,当面は在宅をご希望ですね」

「できれば,最後まで,彼女の部屋で看取ってあげたいと思います」

「はい,その希望も含めて,在宅医療クリニックに伝えます。駒込地区を担当している提携先があるので,必要な情報は通しておきます」

主治医が出て行った後,カヨコさんはボクに話しかけた。

「バーの客たちには話さないことにする。お客に同情されても仕事にならないからね。だから,ロミーさんもこの話は『小石』ではしないでもらうんだけど,大丈夫? 平気な顔でいられる?」

「・・・・がんばります」

 

 カヨコさんは,退院の3日後からバーを開けた。以前に比べ,カウンターの中の椅子に座っていることが増えたけど,それ以外に外見的には衰えは見えない。客たちは彼女が予想したとおりの冗談を言い合っている。

「ママ,夏バテでダウンかい。年はごまかせないねえ・・・・」

彼女と一緒にボクも笑う。ただ,どうしても気持ちが顔に出そうになると,ボクは歌を歌った。カヨコさんが歌うのを何度も聞いた歌。特に教えてもらったわけじゃないけど,何となく聞き覚えた。

- さよならは別れの言葉じゃなくて ふたたび会うまでの遠い約束・・・・

・・・・スーツケースいっぱいに詰め込んだ 希望という名の重い荷物を

きみは軽々と きっと持ち上げて 笑顔見せるだろう・・・・ -

 

 この年の秋,彼女はバーの仕事を続けた。さまざまな症状は出没した。微熱,吐き気,下痢・・・・その時々で対症療法薬を使う。解熱剤,吐き気止め,下痢止め。痛みがある時には鎮痛剤を使う。まだオピオイド(医療用麻薬)を使う段階ではなかった。カウンターの中にいて,立っている時間が減り椅子に座っている時間が増えてきたけど,それはボクだから気づく変化なのかもしれない。

 カヨコさんのことは,ヒロミへの手紙にも書いた。返事に,軽々しい慰めは書かれていない。ただ,

- 現代医学が治せない人に「そばにいる。あなたは一人ではない」と語りかける立場になったのね。主治医じゃなくてキーパーソンとしてだけど。それにしても,『セーラー服と機関銃』の歌詞が奇妙に胸に響くね -

という文がさらりと書いてあった。

 

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