「なんくるないさ、だ」
気が付くと私は、千代金丸さんの腕の中。辺りを見回すとゲームで見たことがあるような障子。その奥には池。雨が降っているのが見えた。
「ここは?」
「俺のいる本丸さ」
「え???? ええええ????????」
ちょっと待って。
私は、別次元にいたのに。
「どうして? 私、ここにいるの?」
「それは、君の願いを叶えたからさ」
「はい?」
「君は、鶴丸の幸せと俺の幸せ、出会った刀剣男士の幸せを願ったさ。鶴丸の幸せは君が鶴丸の傍で一緒に暮らすことさ」
ぐらぐらと頭の中でその意味が回る。
まさかの自分の願い事のせいでこちらの世界に来ることになるとは。
まだ気持ちが現状に追いつきそうにない。
千代金丸さんの腕の中にいる自分というのも信じられない。
急に吐き気がこみ上げる。
なんか、なんだか。
何かが、押し寄せてくるような感じが、する。目に見えるものではなくて、気配というか波動というか、そんな感じの、灰色な悪意ではないんだけれども、それに近いもの。
めまいが半端なくて。まるで目の中に白いライトを浴びているようなこじ開けられているような。語彙が追い付かないが。とにかく無理やりなにかが自分の中に入ってくる。
「なんか、きもち、わるい」
こみ上げるものを何度か堪える。
ここで吐くわけにはいかない。
ここはどう見ても千代金丸さんの部屋だろう。それも、千代金丸さんと鶴丸は同室だと言っていたっけ。
っと、また胃液がこみ上げる。夕飯は食べてなかったから、吐いても固形物はないと思うけれども。それでも、他人の家で彼らの部屋で吐くなんて。とんでもない。
途端に青い髪の色が目の前に広がり、姫抱きのまま厠へ連れていかれた。
「大丈夫さ?」
千代金丸の励ます声が聞こえた気がしたが、私はそれどころじゃなかった。
トイレに連れていかれるとすぐに個室鍵をかけで吐きまくった。
何度となく胃の中を何かがぐるぐるとして苦しい。
「きみ、大丈夫か?」
鶴丸の声だ。彼もこのトイレの扉の向こう側にいるのか。
ブラック本丸は摘発され、元気だと聞いてはいたが。
その姿をちゃんと肉眼で見たかったが。
「うっ」
吐き気が半端なくてそれどころじゃない。
こみ上げるものと戦っていると、トイレの外でいろんな声がする。
「主。男の厠に入るのはどうかと」
「それどころじゃないでしょ。ここに人間の女性を連れてきたってどういうことなの? 千代金丸っ!」
「鶴丸の恩人を連れてきたさ」
「だから、どういうことって聞いてるのっ!」
「主。客人が苦しんでるんだ。俺っちが診てるから二人を連れて執務室で待ってっちゃくれねえか?」
「薬研は突然来た不法侵入の肩を持つのね」
「そうじゃねぇ」
「ちょっと待ってくれねぇか? 俺が千代金丸に頼んで願いを叶えてもらったんだ」
「俺も彼女がこちらに来てほしいと願ったさ」
「なんですってっ!!」
きいきいとヒステリー気味の声が響く。
「主、俺は……」
「黙りなさい。鶴丸国永」
ぴたりと声がやむ。
「薬研藤四郎。不法侵入者は貴方が執務室に連れてきなさい」
「わかった」
「鶴丸国永と千代金丸は私について来なさい」
二人の返事がない。
「千代金丸、鶴丸国永、返事をしなさいっ!!」
また主と呼ばれた女性の声がキンキンと廊下に響く。
「ああ。わかったさ」
その声に呼応するように千代金丸の声が聞こえた。
苦く絞り出すような、否と言いたいのに言えないような、そんな声。
「っ」
鶴丸は返事もしたくないのか、息づかいが漏れ聞こえる。
「鶴丸、返事をしなさい」
主の命令にしぶしぶといった感じで。
「わかった」
と、絞り出すような声が聞こえた。
彼らの声が遠ざかっていく。
しばらく込み上げてくる物と戦っていると薬研の声がする。
「大丈夫か?」
「は……」
答えようとしてまた胃の中がこみ上げる。
吐く声とか音とかもあんまり聞かれたくないんだけれども。ここが男性トイレというのもちょっとかなり恥ずかしいんだけれども。
もう、仕方ないと腹をくくって、胃の中のもの全部吐き出した。
数分は立っただろうか。
ようやく、胃の中が収まってきた。
「口をゆすぐように水を持ってきた。鍵を開けちゃあくれねぇか?」
薬研の声がそう告げる。
彼も半端なく、私を警戒しないみたいだ。突然現れた人間だというのに。
「大丈夫か?」
「はい」
「これで口をゆすぐといい」
グラスに入った水を手渡されて、口をゆすぐとトイレに吐き出す。
吐くところは見せたくないんだけれども。
彼は気にしていないようだった。
「治まったみてぇだな。今から主に会ってもらってもいいか?」
「はい」
「主も、蚊がいたから退治しなさいとか、刀剣同士の喧嘩は認めない、全員仲良くしなさい、とかそんなことまで絶えず言霊を使うってのはどうかと思うんだが」
「 もしかしてさっきのも?」
「ああ」
あれは、言霊だったんだ。だから、薬研も鶴丸も千代金丸も渋々といった返事だったのだ。
「刀剣男士同士のけんかは認めない。全員仲良くしなさいってのも言霊を使うんで、歴史的に対立していた党派とかは困ってる。兄弟仲良くってのも蜂須賀の旦那は辛そうだったな」
「兄弟仲良くって……」
蜂須賀には酷な話だろう。
それなのに、仲良くしなさいと言霊で言われては、できることとできないことがあるだろう。蜂須賀兄弟なんか特にそうだろう。
私の家に蜂須賀兄弟も来たことがあった。ハッチは長曾祢さんは、いろいろと理由づけていたけれども。言いたいことは長曾祢虎徹を贋作だが刀剣男士としての力は認めていると、兄としても、と小声で言っていたっけ。それに、刀剣同士で仲が悪い刀剣はいるし、それはむっちゃんと新選組とか、歴史上どうしようもないこともある。
それは、表面上仲良くはできるかもしれないけど。命令でなんて。
それも、人間が神様に命令するのか。
「人間ごときが」
ふと思ったことが音になって。しまった。他の本丸の主に対してひどいことを言ってしまった。
「ごめんなさい。初対面なのに主さんにひどいことを言ってしまって。すみませんでしたっ!!」
大ぶりに頭を下げる。そのままの姿勢でいると、薬研の声が頭の上から響く。
「顔を上げてくれ」
そろりと恐る恐る顔を上げつつ、怒りの視線で射抜かれるのだと身構えた。
震えつつ、えいやっと顔を上げて彼の顔をみつめると。
「あんた。いい嬢ちゃんだなぁ」
藤色の瞳が嬉しそうに微笑んでいた。
薬研に主のいる執務室に案内された。
廊下を歩いていたのだが、曇り空からは雨ばっかりだ。これって、梅雨仕様だろうか。雨音は嫌いじゃないけれど。ザーッと音がするぐらいの豪雨だ。台風ですかと現代なら問うくらいの雨粒がこれでもかと降り注いでいて。梅雨のような湿気のこもった蒸し暑さ。それだけで、廊下歩いていても梅雨独特の温度が高くて熱帯雨林並みの熱気と湿気がすごい。濡れた木の香には少しカビの香りも混じっている気がする。
「主。連れてきたぜ」
「ここに通しなさい」
「ああ」
薬研が障子を開けると、想像通りの執務室だ。パソコンや機器。水晶玉もある。
主さんは鮮やかな桃色に桃の花の透かしの入ったの訪問着を着た女性で30代後半に見えた。
隣に座っているのは初期刀だろうか。雅先輩がいた。
だが、この部屋に鶴丸と千代金丸はいない。
「今、政府役人を呼んだの。もう来ると思うわ」
主さんは薬研に話しかけるが、主さんは会っ私のほうを一度も見ようとしない。
でも、あいさつは大事だ。見ようとしていないだけでいることはわかっているんだし。本丸に入ってきた不審人物だということは変わりないし。突然だったし、彼女も警戒しているんだろう。
「あの。はじめまして、主さ...」
「黙りなさいっ! 誰が発言を許可するといいましたっ!」
主さんは私の顔を親の仇みたいに睨みつけ、ヒステリックなキンキン声を上げた。
その声に周りの歌仙と薬研の姿勢がピンっと伸びる。
鶴丸を引き取ったというからホワイトな主だと思っていたけれど。微妙な違和感を感じる。そういえば、薬研も自分の主のことなのに、私が主に対して言い過ぎたのにうれしそうだった。
そしてこの、滝のような雨。本丸の景観は主の霊力を現す。ってことは。
「失礼します」
黒づくめの時の政府の担当と名乗る男が刀剣男士に案内されて来た。
「主様。遅くなって申し訳ございません」
猫なで声だ。低く腰を下げて手をもんでいる姿だけ見ると役人ではなく商人みたいだ。
「この女が話をされていた女性で?」
「ええ。そうなの」
主は、私をじろりと見つめると、舌打ちをした。
政府役人は私を一瞥して事情を説明を求めるでもなく、ただ面倒事を引き起こしやがってというような、冷めた視線だった。
「この女、さっさと連れてって。私の本丸に女性が二人もいるのは我慢ならないわ」
「わかりました。すぐに連れて行きます」
何故か手に枷をはめられ、声を上げようとしたのが気に入らなかったのか、初期刀に猿轡までされた。私は、罪人のように紐で繋がれて役人にドナ・ドナされた。助けを求めようと薬研を見るが、申し訳ねぇというような視線だった。私を連れてきた千代金丸はいないし、鶴丸国永もいない。
どうなるってばよ。