いのち短し忍べよニンジャガール 作:欠落したオートメーション
お久しぶりでございやす。
この物語の主役は人呼んでニンジャガール。
手に持っているスマートフォンからは目覚ましのメロディーが鳴り響き続けている。脳のネジをもう一捻りすれば画面をタッチして止めれるのだろうけど、生憎と起床したてホヤホヤの僕にそんな気力は無い。
外側にハネた髪を掻いてさらにボサボサにする。目やにが酷いのか、瞼を開けようとすると痛みが生じる。
冷たいつま先をを動かして温める。微々たるものだけど、幾らかは温まった気がした。
昨晩に予約をしていたコーヒーメーカーのポットを取り、水切り場に置かれていた我が家に1つしかないカップを手に取り、それに如何にも舌と脳を刺激しそうな真っ黒なコーヒーを入れる。
温かいを通り越して熱いそれを飲む。冬の日のホットコーヒーというのは、冷え切った脳のネジを強引に動かしてくれる。
鳴り続けていた目覚ましを止める。ピタリ、と止まったのを機に、冷えた空気が肌を襲った。いや、正しくはようやく実感したというべきかもしれない。
ともかく、僕はこうして真っ黒なホットコーヒーを飲んだことで、朝を迎えたということを初めて認識したのだ。
居間の引き戸を開ける。
玄関の方を見る。
「はぁぁぁぁっ……!」
指先で、箒を立てている美少女が、そこにはいた。
「……おはよう」
「くっ……!」
結構精神を統一しているらしい。僕の声は全く耳に届いてないとみた。
「朝ごはん作るよ」
「おはよう!」
とまあ、こんな調子だ。
りみが来てからというもの、朝起きたらとりあえずこの部屋のどこかに回って、彼女の姿を確認するようになった。
彼女は何をしでかすかわからないのだ。何かをしでかしたわけではないが、目を離せば何かをするに決まっている。だって現に箒を指先に立てて精神統一をしているのだ。何かするだろう。きっと。
丁寧に箒を元にあった場所に戻して、裸足でパタパタと音を立てずに居間へと戻る。
「……卵どんぐらいあったっけ」
見慣れた光景を目にすると、食材の在庫を思い出すようになったのが、最近の細やかな変化だ。
真っ白な丸皿に白に包囲された黄色、目玉焼きを盛り付ける。今日はいつもよりも半熟気味だ。
焼き加減は日によって違う。正確には気にしてないのだけど。
所詮は男飯だ。焼き加減や煮込み加減やらは大幅に狂ってない限りは気にかけない。まあ、その点は元カノことゆりに苦言を漏らされていたけど。
ああ、でも。
「白っ、米っ」
茶碗を片手に、DJの様に右手をスクラッチしているりみ。
彼女が来てから、1つだけ均一となったものがある。
「良いか、優しく混ぜるんだ」
「了解しましたよ、料理長殿」
「白米長だ」
「了解しました、ゆめぴりか殿」
米の炊き方は、厳しく精査されている。どうやらりみ……否、牛込家は米に相当肥えているらしく、代々続く伝統(秘伝では無いらしい)の炊き方を伝授してもらった。
足りない語彙力を擬音語でカバーしながら、やや食い気味に頭に叩き込んだ。
スクラッチする彼女をスルーしながら、杓文字で白米を茶碗に粧う。「おおっ」、と声を上げた後、ダイニングテーブルへと足を走らせた。
僕も彼女の後を追ってダイニングテーブルへと席を付ける。
「いただきます」
「いただきますっ」
箸を運ばせ、炊きたてほやほやの白米を口に入れる。
悔しいことに、死ぬほど美味しいのだ。
噛めば噛むほど生じる甘み。固すぎず、しかし柔らか過ぎでもない、絶妙な食感。炊きたてなことにより喉から胃へと通ずる間に感じる温かさ。
正直、今まで食べた白米の中でも、ダントツで美味しい。
「ふふんっ」
そんな僕の様子を、渾身のドヤ顔で見返すりみ。
「ほら、醤油」
目玉焼き用の醤油を差し出す。
すると、腹立つほど上がっていた口角は、一瞬でへの字に曲がる。
「……醤油、だと」
「ん、醤油」
2枚くっ付いていた白身を切り、手前にあった目玉焼きを引き寄せる。満月のような黄身に穴を開ける。半熟な黄身からは、卵黄が少量ながらも艶やかしく溢れる。
黄色の海に、黒色の雨を降らせる。
黒と黄色が混ざり、歪で不細工な色ながらも、食欲をそそる香りが引き立つ。
4分の1を切り分けて取り、茶碗でワントラップ置いた後に、口へと運び込む。
塩っぱさと甘さが混ざった、早朝の舌には刺激的だが、胃には丁度いい味が広がる。
そんな僕の美味しんぼを、こいつマジかよって顔を全力で表した表情で見つめる目の前の彼女。
「…食べないの?」
「醤油……ソースは無いのか?」
「あー、確か切らしてる」
普段ソースを使うような料理なんて作らないから、残量などは確認しない。
「まあ、醤油どうぞ」
「ソース」
「無いって」
「ウチはソース派なの!」
「そんな変わんないでしょ、ソースも醤油も」
目玉焼きにかける調味料への謎の拘りは理解できないが、要はタンパク質の塊である目玉焼きにかけるものなんて、強いて言って味が付くか付かないかの違いだろう。
「なんなら、今ならマヨも付いてくるよ」
「むっ、マヨネーズと目玉焼きって合うものなのか?」
「割と?」
試したことないけど。
「今すぐ買ってきて、ソース」
「やだよ。なんで朝ごはんに、それも他人のものの為に」
「ウチはソースが無いと何も手を付けないぞ」
「たくわんで塩分補給しなよ」
「味の問題なのっ」
「わかったよ。次からはちゃんと補給しとく、だから今日のところはほら、食べて食べて」
そう勧めるが、彼女は宣言通り、1ミリも手を動かさない。30秒待った。テレビ番組のお天気コーナーは降水確率の場面に入った。
「……」
「……」
睨み合い。
いや、別に誰も睨んでるわけでは無いけど。隙を探り合っている。
まるで一騎打ち。命のやりとり。一瞬の気の緩みは負けを意味し、死を意味する。
息を吐くのにも気を張る。
「……醤油、白米と目玉焼きにぶちまけるよ」
「くっ……!」
その一言が決め手になったらしい。急いで白米をかき込んで、リスのように膨らんだ口の中に目玉焼きを突っ込む。
ジブリのような豪快な食べ方だ。カスが1つも飛んでないことには最早感動を覚える。
「ベース練習してくるっ」
「エレキはやめてね」
「わかってるっ!」
と、皿も何も片付けずに、わざと大きく足音を立てて居間へと去って行く。
朝から臍を曲げてしまったそうだ。目玉焼きにソースをかけなかっただけで。
残った目玉焼きの白身を口に放り込み、噛みながら皿を重ねる。
「あ」
りみの皿に手を付けようとして声を上げる。
そういえば、この皿ってゆりが使ってたやつだ。
彼女がウチに入り浸っていた頃、彼女が自宅から余っていたから、とマイ皿として持ってきてウチに勝手に置いていった。結局、別れた後もこうして置き土産と言わんばかりに残っているのだけど。
見れば、箸だってゆりの元マイ箸だし、カップだって彼女に誕生日プレゼントとして僕が買ってあげたものだ。
こうも元カノの私物が揃っていると、まだ彼女に未練があるみたいになる。ましてや、それを今使っているのがその彼女の妹ともなると、事態は複雑化する。
カレンダーに目を向ける。年も暮れを迎えている。3日も経てば、静かに年を越すことになる。
28日。そう記された数字から少し左に視線を動かす。ピタリ、と止まったのは、25日。
クリスマス・イヴと大晦日は1週間しか違わない。だけど、その1週間だけで、人々はプレゼントやら何やらの和気藹々とした雰囲気から、年越しに向けての忙しさにシフトチェンジする。
3日ぐらい。
3日遅れのクリスマスがあったって、バチは当たらないだろう。
それでも当たるなら、それは個人的でささやかなプレゼントだ。
そう、口実は、入居祝いがいいな。
「え?」
コードを抑えた手のまま、りみは口を半開きにして僕の方を見る。
「買い物だよ」
「何を買いに」
「ソースとか、その他諸々」
「怪しい卵でも食べたのか」
「ちゃんと火を通して目玉焼きにしたから大丈夫」
実際、あの目玉焼きは美味しく作れた。
「とりあえず準備して」
「むぅ、急すぎるな…」
などとこぼしつつも、ハンガーにかけられていたダウンジャケットを手にかけている。
駐車場にポツリと置かれた軽自動車に乗る。運転席に僕、助手席にりみといった並びだ。
向かうは近場にあるデパート。年末のこの時期は人で溢れているだろうけど、僕らがこれから買おうとしてるのはそう人がごった返しになっているコーナーに置かれていないだろう。
最近ようやく慣れてきた駐車を終えて、デパートへといざ入場。
駐車場の車の数からなんとなく予想していたが、とんでもない人数だった。
老若男女問わずとはまさにこのことだろう。はしゃぐ子供を連れている夫婦がいれば、通路に備え付けられたソファに腰を下ろす老婆、高校生ぐらいの若い男子のグループ。
デパートって、こんなに人が入るんだな。
そんな間抜けな感想しか出てこない。
「すごい人混みだな」
「まあ、年末だし」
「年越しは人を狂わす」
「一理あるかも」
たかだか年を越すだけなのにこうもお祭り気分になれるのだ。ある意味狂わせているのだろう。
「さて、ソース買うか」
「ソースだけか?」
「それとコーヒー粉」
「さすがコーヒー王子」
「青汁王子みたいに呼ばないで」
そんなやりとりをしながら、彼女は僕の前をテクテクと歩く。
普段は猫のような気まぐれさを放っているが、後ろ姿は小型犬だ。ポメラニアンあたりだろうか。
「スーパー、スーパー」
「ああ違う違う、ここ」
左に曲がろうとする彼女を呼び止める。僕が指差すのは、逆に目立つほどに人がいない、ひっそりと佇んだ輸入販売店だ。
「ゆにゅー」
「海外から取り寄せた物を扱ってる店」
「知ってた!」
どうやら、そこまで頭は悪くないらしい。
唯一の境界線であるニスが塗られた床に足を踏み入れる。
「なぜここに?」
「ここの方が品質が僕好みだから」
「国産舐めるな!」
「外国かぶれで悪かったね」
というかソースはともかく、コーヒーの国産とか玄米コーヒー以外にあまり聞かないけど。
やっぱり彼女は頭が悪いのかもしれない。
小洒落たツリーボックスに並べられたコーヒー粉の袋を手に取る。
「これこれ、このコーヒー」
「拘りがあるのか?」
「いや、まあ、なんとなく初めて手にして味が気に入ったから、それ以来ずっとこれ」
「一途なのだな」
「何事にもそのつもりだよ」
恋の方は上手くいかなかったけど。
と、何処からともなく取ってきたソースを僕に差し出す。見たことのないラベルが貼られてたけど、まあソースにそんな大きな変わりはないだろう。
気にせずにレジで会計を済ませる。
店から出ると、人々の雑踏から生まれる雑多音が僕らを迎えた。
「用は済んだか」
「いいや、まだ」
「む?」
はてなマークを頭に浮かべて小首を傾げる。
そんな彼女に、僕は得意げな笑みを浮かべた。
「何か欲しいものはある?」
「む、どうした。気持ちが悪いぞ」
「出口はあっちか」
「っていうのはニンジャジャーク!」
力いっぱいに僕の裾を引っ張る。
「何よ、ニンジャジャークって」
「ニンジャジャーク!略してニンジョ!」
流行らないと思うから略すのは今日限りにしてほしいところだ。
「しかし、本当にどうしたのだ。そんなこと聞くなんて」
「入居祝い。兼任してクリスマスプレゼントっていったところ」
「ソースじゃなくていいのか?」
「君がそれでいいならそれにするけど」
「ニンジョ!」
流行るはずのない言葉を連呼しても廃るだけなのを彼女は知らないようだ。
「真面目な話、その、資金の方は大丈夫なのか?」
「まあ、君の選ぶもの次第だけど。多少なら問題無いよ」
「なら木刀を」
修学旅行気分のニンジャを無視して僕は先へと行く。
「待って!せめてツッコみを!」
律儀にツッコミを要求するあたり、腐っても関西人だ。
彼女の誘導に為すがまま、辿り着いたのは雑貨店。デパートの中では、先程の輸入点のような異質感がある。入ると小鳥の囀りが僕らの来訪を店員たちに知らせる。
「いらっしゃいませー」という当たり障りのない挨拶を受け流して、僕はりみの背中を押して促す。
「……本当になんでもいいのか?」
「この店の中で馬鹿みたいに高いものなんて無いだろうから、どうぞ」
僕の言葉を最後まで聞いた彼女は、小さな身体で小走りに店の奥へと消えて行った。
僕はというと、インテリアのコーナーでドアプレートを見ていた。青色のステンレス製の、アーミーちっくなデザインのプレートもあれば、ウッドデザインのものまである。
どれが家の扉のデザインに合うだろうか。なんてことを悶々と考えながら5分少々。
「ん」
と、小さな声が僕の背中にノックを打った。振り向くと、そこには選んできたのであろう物を背後に隠した、りみの姿が。
「決まったのかい?」
そう尋ねると、彼女は小さく肯く。
「そうか。じゃあ、これと一緒に会計を済ましちゃおうか」
「え、これ?」
僕は風変わりな畳をモチーフにしたと思われるドアプレートを片手に、彼女の背中を押しながら進む。
「それ、どうしたの?」
そう聞く彼女の顔は頬を赤めていて、戸惑い気味だ。僕の元に来てから、初めて見せる顔だ。
「んー?個人的なモノ」
会計のカウンターにドアプレートを置く。彼女は恥ずかしそうに、そろりと貴重品を扱う引越し業者のようにそのものを置いた。
それは黒猫が鍵尻尾を水平に悠々と歩く姿がデザインされたコーヒーカップだった。そしてもう1つ、同じポージングの白猫がデザインされたコーヒーカップも置かれた。
「カップ?」
「……カップ、1つしかなかったから」
いつの間に食器の数なんて把握していたのか。彼女がカップを選んだことより、その観察眼の鋭さと抜け目のなさに驚く。いや、カップを選んだことにも驚いたけど。
「ウチとお主の、1個ずつ」
耳を真っ赤に、今日初めて見せる女の子の表情と、柔らかな優しさに頬が緩みそうになるのを耐えながら、僕らはその3つを買い、デパートを後にした。
家に辿り着いてから、僕はドアプレートをりみに渡した。
「自分の名前のアルファベットを選んで」
「ウチの名前の?」
「そ。ほら」
ドアプレートに付いてきたアルファベットのブロックからりみのアルファベットを選び取る。
「できた!!」
ドアプレートに、″LIMI″とはめ込まれる。
「いや違う。Rでしょ」
「……ニンジョ」
「ジョークに求められるのものの1つは、自分を覆い隠すほどの頭の良さだよ」
「……R取って」
どうやらニンジョには限界があるらしい。
そうして完成したドアプレートを、りみの部屋の扉に付けた突起に掛ける。
その光景をりみは目を輝かせて見上げた。
「改めて、ようこそ、我が家へ」
「これが、ウチの部屋」
わけもなく、りみはドアノブを捻り、扉を開けては閉めてを繰り返す。初めておもちゃを与えられた子供のようなはしゃぎ方だ。
「さてと、寒いからコーヒーでも飲もうかな」
新しく補充した、いつものコーヒーをコーヒーメーカーを使ってドリップする。するとりみはテーブルに乗り出して「ホットミルクがいい!」と声を上げる。
会議の席のような立ち振る舞いに苦笑いしつつも返事をする。
りみが買ってきた黒猫のカップにミルクを入れて、電子レンジで温める。数分待って温まったミルクに砂糖を入れて混ぜる。
タイミングを図ったように完成したと音を鳴らすコーヒーメーカー。白猫のカップにコーヒーを入れる。
取っ手を持っても微かに肌を触る温かさ。2人でその温かさに身を委ねる。
「遅めのクリスマスプレゼント、だったな」
りみは珍しく落ち着いた声でそう呟いた。僕もそれに肯いて、「メリークリスマス」だなんて戯けてみせる。
するとりみも「メリークリスマス。これから世話になる」と返してくれた。
……ああ、久しぶりに人と飲むコーヒーだ。
熱い瞼と震える喉。そんな感情を誤魔かすように、涙の蛇口を塞ぐように、僕はカップに口をつけてコーヒーを啜る。
今までも、そしてこれからも。
このコーヒーを超える温かさには、出会うことはないだろう。