艦これ×暗殺教室「青春を潮と血に染めて」   作:みかんバーグ

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第一話 戦闘訓練

こんにちは、大淀型軽巡洋艦の大淀です。

って青葉さんじゃないですか、なんですか改まって?

え?「E組」ですか?

…あの人たちは、とてもいい人たちでした。

鎮守府の皆と仲良くなって、慕われて、提督にも信頼されて…。

無理矢理徴兵されたのにそんな後ろ暗さを一切感じさせないくらいには…。

そう、一番あの時の鎮守府が楽しかったんですよね。

でも、あの時はもう戻らない。

皆さん全員居なくなってしまったから。

…ねえ、青葉さん。

これからの世界はどうなるのでしょうか?

もしかして私たちのやってる事って、世界にとってはあまりにもちっぽけで無意味な事だって思うように来たの。

え?考え過ぎ?

…でも、それでも、皆さんが無名の戦士として死ぬことが無ければ、そんな世界の潮流に逆らうことが出来たんじゃないか。

最近、時間が出来る度にそう思ってしまいます。

 そう思うと、青葉さんの言う通りに皆さんのした事を少しでも遺さないといけないわね。

この世界の潮流に逆らうために。

 

晩春の荒波が浦賀港にまで、大きな音を立て進入してきている。

ここは防衛省海上女性職員集合施設浦賀本所。通称浦賀鎮守府。

北はアラスカ、南はインドネシアと深海棲艦との戦争に東奔西走している艦娘達のベースとなる基地である。

 その指揮系統の一番上に相当する提督室。その部屋には今、滅多に鎮守府を離れることがない司令官である提督の姿はおろか、提督代理であり艦娘達のまとめ役でもあり、連合艦隊の長、大和の姿もここには無かった。

「大和ー!」

 鎮守府の生命線となる浦賀軍港の防波堤。

 不在の大和を呼ぶ、凛とした声が辺り一帯に響く。声の主の名は長門。大和着任までは連合艦隊の長としてその任を任ぜられていた女傑であり、凛とした声に似合った白黒のツートンの艦娘の装束が灰色の防波堤に映えていた。

「はい、長門さん」

 その声に反応して、紅い番傘を構えた長身の女性が振り返った。

朱色と白の戦装束。鼠径部を丸出しにした格好は痴女に見える、だが彼女自身の凛とした雰囲気はそうさせていない。

 

「駆逐艦達の訓練を見ていたのか?」

 長門は大和が見ていた海の方に目をやりながら、大和に質問した。

長門が目を向けた先、そこには自衛隊員のボートと由良の監督の下で対潜警戒訓練が行われていた。

「…」

 その質問に何故か大和は答えない。そして彼女の顔も長門の言葉に耳を傾けずに前を向いたままであった。その様子を見た長門は一瞬訝しんだが、すぐに察して、

「提督が心配なのか?」

と大和に別の質問をぶつけた。

そして、それは正鵠を得ていた。ここで初めて大和が長門の方へ向き正対する。

「…はい」

 俯きながらの大和の声はいつもの様な気丈さは無く、ただ一人の女性として、心配としている姿があった。

「ハハハ、そうか。連合艦隊の長も提督の前では一人の女か」

長門は表面上では笑い飛ばした。しかし長門の顔はどこか影のある表情は残したままであった。

 …提督と大和の宿縁と愛。提督と艦娘達との絆と宿命。それは長門である彼女にも嫌という味わってきた。

「今日、初めて私は行く側から待つ側に変わりました」

 大和はゆっくりと口を開く。長門にもかかった暗雲を指し示すように。

 勿論、彼の信念、身体的な強さに疑いの予知は無い。

…だが彼は強すぎるのだ。

 長門はかつて同じ艦娘である金剛の提督評を思い出した。彼女は戦艦の中では艦娘の中でも古参であり、彼女も大和と同じく提督を愛している。

 提督は自分の名前の通りの金剛であると。その理想は誰にも傷つける事が出来ない硬い石そのものであり、その理想の中にある仁者の精神は硬い金剛石の中に潜む脆さと言っていい物であった。

(本当は一番戦いに向いてない人間なのかもな)

 敵には夜叉の如く気迫を押し出すが、配下である艦娘達には優しくそして厳しく導いてきた。

「…あの人はずっとこの重圧と向き合って来たのですね」

 提督は戦場に行く艦娘に絶えずこう言っていた。

―戦いに出れなくてごめんな。

「…そうだ」

 長門は短く言い切った。

「…」

 大和は静かに目を閉じる。対潜訓練の掛け声がそのまま二人の間をすり抜ける。

「…大丈夫だ」

 …暗雲は断ち切られた。

 大和の顔が仰向く。その顔は驚きの色を見せる。

「私達がずっと還って来れたんだ。提督が還ってこれない道理はない、そうだろ?」

 長門はそう言って微笑んだ。

 …それは根拠などない空言だったのかもしれない。だが、その言葉は確実に大和の心を捉えた。

「大体、訓練なんだ。いくら提督が戦い以外で鎮守府出たこと無いからって心配しすぎだろう」

 大和の心が解けたのを見て、長門は普段は厳格な彼女からは見られないおどけた表情を見せる。

「なっ、長門さんだって本気で心配してたじゃないですか!」

 大和もいつもの調子を取り戻し、口ぶりが軽くなる。

「ははっ、確かにそうだな」

 そう言って長門は大和に向けていた視線を訓練の方に戻す。

「でも、私達は信じる事、それを背に戦ってきたんだ。提督を信じてあげる事、それは造作も無いはずだろ?」

そう言って長門は片目をつぶって大和に笑顔を見せる。その仕草は普通の男性や女性なら魅惑されてしまうだろう。

「…そうですね。ありがとうございます!」

 ただし、愛する者一筋な大和には額面通りの戯けた仕草、それ以上でもそれ以下でもなかった。

「さて、そろそろ戻ろうか」

帰還を促す長門。それは信じて待つという行動の為に必要な行為であった。

「はい。きちんといつも通りに仕事をこなす。それが私達が信じて待つ為に必要なこと。そうですよね?」

「そうだ。だから笑って、笑って待とう」

「…はい!」

そう言って、海に背を向け、鎮守府へと向かう大和と長門。

…信じて待つという行為、どれだけの覚悟が必要か。

その心を背負って、提督は今は少し遠い所に居るのである。

 

(ヤバい)

 赤羽業はこの時、久しぶりの恐怖を味わっていた。

…最後に恐怖したのは中三の晩冬だった。

そう、クレイグ・ホウジョウとその部下たちの闘気に恐怖を抱いた記憶である。

 だが、それは自分たちのフィールド(学校の裏山)でリベンジを果たし、乗り越えたはずだった。

その恐怖が今再び蘇る。

(ヤバい)

 潮田渚は困惑していた。

今まで出遭った敵とは一切違う何かをこの男は持っていた。

静寂。

その物を一言で表すならこうであった。

自分の切り札であるスタップクラナー。それは精神の波が有って初めて通用する技であった。

だが、今の一瞬の動きは一切の精神の波を生み出さなかった。彼への突破口が見いだせない。

(ヤバい)

 磯貝悠馬は策が尽き始めていた。

一瞬で寺坂、吉田。村松、堀部、木村と後方で支援用の煙幕を張ろうとしていた竹林と奥田。

この7名があっという間にリタイアへと追い込まれ、完全に作戦が崩れた。

2ヶ月にわたる初等訓練の最後の総仕上げとなるこの戦闘訓練。

E組はいつも戦闘訓練をしている教官と違う上官との戦闘訓練をしていた。

その上官は2メートル近い長身と今風で柔和な美男である左半分の顔、無数の穴跡がある右半分の醜悪な顔が特徴的であった。

(それにしたって)

その穴だらけの顔の上官は槍の代わりであろうか、2メートル以上はある木の棒を両手に、凄まじい瞬発力で突進してくる。

「撤退!射撃部隊は援護!」

本来は寺坂達の先鋒の第一部隊が今回の上官を掣肘して磯貝が率いる第二部隊と赤羽が率いる射撃部隊である第三部隊で決着を付けて、切り札である潮田渚は使わないつもりであった。

(ここまで破格な化物が出てこなくてもいいだろ!)

 だが、その見積もりは春雪の様に儚く溶けて行く。

「げえっ、麻酔弾を全部弾き落としてる」

菅谷は恐れるように声をあげた。

 走りながらも両手に携えた木の棒を器用に体の周りを高速回転させ、E組の射撃部隊から放たれる麻酔弾全てを弾き落としていた。

 「怯むな!同士討ちを恐れるな!」

 いつもは軍隊生活とは程遠い余裕を持った口調であった業も、2ヶ月の軍隊生活で相応の指示を飛ばすようになっていた。

だが、その指示に焦りが見える。

こうなってしまうと上官の思う壺である。

指揮官の焦り、怒りといった負の感情は配下達へ伝染して行く。

指示の声色が聞こえない、遠距離からの狙撃を試みている千葉龍之介と速水凛香以外の射撃の精度、それがあからさまに低下している。

(まずい!)

 散開し見通しの悪い森を利用して撤退している第一部隊の一部と第二部隊。その兵士の一人、磯貝から見て左側にあたる兵士が上官に捕捉された。その人物は雪村あかりであった。足場の悪い森の中でも十分なスピードを出す、その技術はこの兵役で勘を取り戻しただけではなく、それ以上への技術へと昇華させる事が出来たとE組一同は思っていた。

だが、その上官はそんな技術を鼻で笑うかの如く、雪村あかりとの間を縮めていく。

「このっ」

 磯貝は麻酔銃を急所に向けて放つ。そこには綺麗な訓練という目的は失われていて、むき出しの命のやり取りしか存在していなかった。

「甘いっ!」

 ここに来て初めて、上官は言葉を発した。

 瞬速で打ち出されたはずのそれは、瞬く間に木の棒に跳ね返される。

 跳ね返った麻酔針は最短距離で磯貝の肩に横腹が命中。染料の散華と共に苦痛の声が出る。

「ぐっ!」

 雪村あかりはそれに合わせて麻酔銃を取り出し、反転して射撃するも即興の崩れた体勢であったため、上官の背中を掠めただけに終わった。

「磯貝くん!」

 あかりは短く叫んだものの急いで反転し、上官から離れようとする。

 

(…どうしようか)

 千葉龍之介は逡巡していた。

自分と速水凛香は狙撃兵として、潮田渚はジョーカーとして磯貝から自由な行動を任されていた。

 だが、今の状況は非常に狙撃に難い状況になっている。

味方も敵も森の中へと入り込み、誤射の可能性が大幅に上昇した事。

 今所持しているこのM24 SWS銃を改造した麻酔銃は弾速が実弾よりも劣ることであった。

一斉射撃を自分の身体に触れさせなかった上官の神業的な運動能力を見た後だと、遠距離すぎると麻酔弾を見極められてしまう可能性が非常に高い。

(…いっそ近づくべきか?)

今の自分の居場所は演習場である森の端、演習場と普通の森との境界線でもある崖から遠い、一際大きく周囲を一望出来る大木。その幹から力強く生えてる枝に千葉龍之介は身体を預けていた。

(…)

 この千葉が居る枝の上から崖の上はスナイパースコープ越しに見える。この訓練を見守っているのは陸海空の自衛隊の幕僚長たちである。

その隣に海将補だと分かる男の人が並んで座っていた。どうやら並々ならぬ地位の人物であるように見える。

 …千葉龍之介の頭の中にはまだ他の引っ掛かりがあった。今戦闘している上官とは訓練を始める前に一度挨拶したが、彼をどこかで見たことがある事、それと幕僚長達の迷彩服の間に軍服を着てはいれども全く違う異質の女人が2名居る事だった。

 しかし、今はその事を気にしている場合では無い。

業が大きな声で切り込みを叫んでいる。明らかに一斉射撃を諦めた。そうなると自分達の狙撃に対する比重が大幅に増す。

 千葉は向こうの崖の向こうに居る速水の顔を視た。彼女の表情は見えない。だが、彼女が自分の考えを是認している事が千葉には分かった。

(よし、近づくぞ)

 彼は大木からジャンプで他の木へ飛び移る。

…この決断は後に功を奏す。しかし、彼ら二人にはまだ分からないままであった。

 

 陸上自衛隊北富士演習場。

富士山北東の山麓に位置しているこの演習場。

春も終わりへと近づき、初夏の気配すら感じさせるこの演習場の森。

その中では木とカーボンがぶつかり合う鈍い音が響き渡る。

(どうしよう…)

 訓練開始から1時間近く経過した。

潮田渚は自分自身というカードを切れずにいた。

渚は審判の背中に隠れ、上官の隙を伺っていた。だが、E組の半分以上が脱落した今でもその機会を見出す事は出来なかった。

 片岡メグが吹き飛ばされ、渚と審判の側の木に転がってきた。

射撃に対する餌として3人一組で近接戦闘の時間を稼ごうとするものの、5分ともたずに3組9人が訓練脱落し27人の内16人が脱落、しかも近接戦闘要員は8割も気絶しているおまけ付きである。

(あの上官、精神の波が極端に少ないまま、みんなを退けている…)

 この訓練は簡単である。E組は迷彩服のみの上官に誰か一人が麻酔弾を打ち込み、気絶させる。もしくは近接戦闘に勝利して気絶に追い込む事でE組の勝利となる。

それに対し、上官はE組の皆が肩や胸、脚に付けている染料が詰まっている袋。それを破る事と、ペイント弾を詰めた銃で命中をさせる事。それをもってE組は訓練から脱落する事になる。

 本来ならば、圧倒的にE組側が有利な条件下で始まったこの訓練だが、ここまで上官が持つ脅威の身体能力でE組側を退け続けていた。

「今いる部隊は一つに集中しろ!今いる全ての兵力を出し切るぞ!」

 業が声を張り上げる。

「渚も出ろ!これで決めなければ敗北だ!」

 それは最後の戦いである事を指し示していた。

 その言葉を受け、渚はぬるりと審判の後ろから出だ。

 そして業が居る木々の間の小道へ合流していく。

「…ほう。やはりそこだったか」

 また上官は口を開く。その表情こそ変えないが、視線は矢を射るようにまっすぐに渚を捉えていた。

「流石は暗殺者の才能を持つ者だ。気配の消し方は満点に近い。だが、1年間そばに居た友達に襲いかかった時の殺気だけは一瞬、変わったな」

 そう冷静に上官は言い放つ。

(数多の殺意の視線の中で、渚だけの視線を特定した、だと…)

 業は上官の感覚の鋭さに一層戦慄した。

だがそれと同時に小さな、ほんの小さな別の感情が生まれた事に彼自身ですら気づいていなかった。

「本来ならば、その時点で倒すべき最大の事項だったが、襲撃のタイミングを逸してたようだったので捨て置いた」

 そう言いながら上官は両手に持つ木の棒を子供の指遊びの様に回転させる。

「随分余裕があるようだけど、ここに居る全員の前にそんな事言える?」

 そう言った業の周りにはE組の残留戦力が集まっていた。

 赤羽業、潮田渚、雪村あかり、岡崎大河、神崎有希子、倉橋陽菜乃、菅谷創介、原寿美鈴、矢田桃花。

この殆どの少年近接戦闘は苦手な面々である。

だが、その面々をじっくりと眺めた上官は

「言えんだろうな」

 と不利を認めた。

「…随分簡単に不利を認めるんだね」

 業は内心肩透かしを食らいながらも、挑発するように返答する。

「…スタート地点の開けた地点はしが良いように見えるが、高低の問題で下半身が狙いにくい構造になっていた」

 そう言って上官は回してた木の棒の動きを止めて、左手の棒を業に指差す様に向けた。

…その左手は小指と薬指の先端が欠け、まともに木の棒を触れていなかった。

「もし狙撃を狙うのであったら、弾道の予測しやすいスタート地点ではなく、もっと平坦な場所へ私をおびき寄せる、若しくは最初に第一部隊を制圧されたのを恐れずにきちんと第二部隊10人掛かりで私に近接戦闘を挑み、制圧してから麻酔銃を打ち込む。そうするべきだった」

 そう冷静に分析する上官。それはE組の作戦ミスを指摘するものだった。

「…」

  業は押し黙った。

…戦場での作戦ミスは命に直結する。

そう2ヶ月で叩きこまれただけあって、その上官の言葉は鉛よりも重かった。

だからこそ、しっかりと下準備を怠った自分への不甲斐なさに業は臍を噛む思いだった。

返答出来ない業の代わりに神崎が上官に向けて返答した。

「御金言感謝します。これから先、この訓練ではこの失策を忘れないように精進させてもらいます。…ですが、今この訓練では私たちが今これから麻酔弾を貴殿に打ち込めば勝利なんですよね?」

 神崎はそう雄弁に語り上げる。それは迷いが生まれた司令官に対しての叱咤激励でもあった。

「…ああ、そうなるな」

 上官は表情を変えずに返答した。

「なら、ここで一斉に仕掛けて勝利に追い込む事には俺たちは変わりはない、そうだろ、カルマ?」

 神崎の言葉の続きを岡島大河が紡ぐ。

それは、ここに居る残りのE組達全員の総意である事を表していた。

「………」

 業は押し黙ったまま、皆を見回した。迷いが消えたのか眼に闘志が宿っている。

「…よし皆、上官を包囲しろ!合図があるまで距離を保て!」

 そう言って、全員は素早く散開を始めた。

その言葉を聞き、上官は静かに笑う。

…それはいつか見た防衛大臣の同じ顔であった。

―最後の戦いの火蓋が切って落とされた。

 

「…」

「…」

 テントの中、観戦している大淀とあきつ丸は無言であった。

もうすぐ6月である。初夏の日差しは軍制の冬服だと若干汗ばむくらいになっていた。

その横に陸海空の幕僚長が全員並び、テントの下で軽く談笑を始めていた。

陸の幕僚長は虎谷茂雄。

海の幕僚長は馬場錦吾。

空の幕僚長は熊代忠。

 いずれも50前半の男盛りであった。

そんな談笑の中に一人の20代男性自衛官が混じっていた。

制服は海上自衛官の服であり、その海将は自衛官の命と言える制服を眩しいほどにきちんと着こなしていた。

(噂には聞いてましたが、凄いですね山口殿は…)

(いい加減慣れました)

小声で喋り始める大淀とあきつ丸。

陸海空、それぞれの長と言える幕僚長。

その輪に入って談笑するという、上下関係の厳しい自衛隊において大馬鹿か命知らずか分からない様な行為に見える。

だが彼を知る者彼を知る者にとっては当然の行為なのである。

彼を知る者はこう呼ぶ。

影の提督と。

 

山口守高26歳。防衛省海上女性職員部渉外担当。

今、訓練場でE組と戦っている「提督」とは盟友以上の存在である。

彼には提督の様な一騎当千の武はない。

彼の持つ最大の武器はその口である。

「男の頭は坊主に、女の髪の毛はボブカットに、って内務班長が言った時にあまりにも無体じゃないかと抗議したんですが、皆飲んでくれるとは思ってもみませんでした」

 片手に持つ紙コップはほうじ茶だったか。

 守高はそれを一気に飲み干した。

 弁舌さわやかで豪放磊落。

山口守高に下された周りの評価はそれだった。

相州浦賀にある海上女性職員駐屯地、通称鎮守府。

その鎮守府は国の予算だけで賄われている訳ではない。

総合商社、ゲーム企業、製鉄会社、流通業界、服飾業界…。

ありとあらゆる企業の支援を汲み取り、日々海上女性職員、通称艦娘が対深海棲艦の戦いに集中出来るような構造に見繕ったのが提督と守高、この場所には居ない女性海将である伊代野綾の3人であった。

そして、その構造を作り上げる為の煩雑な交渉、弁舌を活かし一手に引き受けたのが彼、山口守高であった。

当然の如く、鎮守府に関係する防衛庁内の利害調整も彼が行っていたのであった。

「まあ、その方が実際鉄パチの中が蒸れんでも住むからねえ。最近の子は自分の感情より合理性を優先させるとは聞いていたが、その通りでしたな」

 虎谷が同じく片手でほうじ茶を飲み干しながら守高の意見に同意する。

 制服時代から変人軍師との評判名高い陸の幕僚長は談笑を楽しみながらも眼は笑っていなかった。

「しかし、内閣府から話を聞いた時は流石に気でも狂ったのかと思いましたが、中々どうして彼らはガッツがある」

 馬場が飲み干した紙コップを潰しながら豪快に笑った。

幕僚長の中では一番整った顔をしながら、その語り口は一番毒を含んだ物である。

「まあ1年間、超生物を殺すために様々な訓練を受けてきた面々だからな。その事を思い出す、それだけで充分だったのでしょう」

 熊代は丁寧に両手で紙コップを持ちながら、ゆっくりと中身をすする。

この中では一番柔和で、少しだけE組に対して憐憫の情があったか。

だが、彼はE組の徴兵される先とは一番関係ない部署の人間であるので、その情が彼らに恩恵を受ける事は無い。

(…よく皆が必死に戦っているのに話が続きますね)

 大淀は呆れながら双眼鏡を取り出し、森の中の戦況を見る。

ただ、彼らの談笑が何を意味しているのか、大淀にも理解できていた。

双眼鏡の先には、九人が一斉に提督に対して攻撃を始めていた。

模造ナイフと二本の木の棒が高い音を響かせ合いながら叩き合っている。

…ところで赤穂事件というのを知っているだろうか。

 後世人形浄瑠璃などで脚色され、忠臣蔵の名で有名になった江戸時代の大事件である。赤穂藩の浪士四十七士が、冬の夜半に吉良邸に討ち入ったのが後世赤穂事件を有名にさせた吉良邸討ち入りである。

だが夜半の奇襲とは云えども二時間程度の戦闘で歯向かった四十人近くの吉良家の家臣を確実に殺傷させ、主君の仇とも言える吉良義央をも殺害している。赤穂浪士達は若い武士だけだはなく、七十七歳の老人も含まれていた。

…そんな面々の赤穂浪士達がどうやって迅速に事を運べたのか。

その答えが双眼鏡の向こうに写っていた。

(…提督、流石に二十七対一は無理がありすぎますよぉ)

…そうである。

赤穂浪士は決して一対一の戦闘をせず、当時最先端の兵学であった山鹿流兵学に基づき三人一組で行動していたのである。

当時槍の戦闘は廃れはじめ、狭隘な道路や敷地に向いた刀中心の戦闘になっていた為、その兵学が最大限に効果を発揮したのであった。

…以上が提督自身から大淀ら「はじまりの艦娘」達に最初の兵学の授業で教えられた物であった。

(…だから艦娘は数的不利な状況で戦ってはいけない。数的不利になったら命を惜しめ、逃げろ。そう教えてくれたのは提督じゃないですか)

 大淀はほぞを噛んだ。

 提督がいつもいつも艦娘相手に一対多数で組手を行うことは、大淀も閨を共にした事があった為知っている。

 だが、この訓練はそんな組手より十二分に危険度が高い代物である。どんなに頑丈な提督であろうと、麻酔弾を体に喰らって無事でいられるはずが無い。

スナイパーである千葉龍之介と速水凛香はもう提督を確実に射止める射程圏に入り込んでいる。

だから幕僚長たちは談笑し始めたのである。

…もうこれ以上自分たちの予想が外れる事はないだろう。

提督が敗北するただ一つの予想から。

そう悟っているのが、大淀には痛いほど気づいていた。

そう思うとこの訓練自体を中止にさせたい衝動に大淀は駆られる。だが、自衛官の枠に入り込んでしまったこの身体では訓練を止めることは出来なかった。

あきつ丸はそんな大淀の姿を横目で見ている。

あきつ丸は元は陸上自衛官だった。過酷な訓練も困難な任務も沢山見てきた。

だから大淀の気持ちを理解はすれど、同意をする事は出来なかった。

そう後ろ髪を引かれる思いから逃げるようにあきつ丸は視線を提督達の戦いへと戻す。

元々人間の時からかなり視力が良かったあきつ丸。彼女の視力だと裸眼で容易に提督の表情まで見える事が出来る。

「何か喋ってる…?」

 事前の打ち合わせではネタ明かしは全ての戦いが終わってからのはず、提督はそれまでは最低限の事しか喋らないはずであった。

「あきつ丸さん」

 大淀は双眼鏡から目を離さずにあきつ丸に話しかける。

「承知」

 大淀の意思を汲んだあきつ丸は愛刀の脇差を取り出した。

その刀は陸上自衛官から艦娘になった時に親から譲られた先祖代々秘蔵の刀であった。

「行くのか?」

 談笑をしていたはずの守高が大淀とあきつ丸を呼び止めた。

「山口海将補、あなたもしかしてこの事を…!」

 大淀はその美しい顔をキッと歪めた。

いつもは提督と負けず劣らず守高と信頼関係を結んでいた艦娘であったが、この時は提督の方が優先であった。

「いや、知らない」

守高の返答は大淀にとって意外だった。

「え…?じゃあ何故あなたは」

総て分かった風なのですか? という言葉を言い切れずに大淀は飲み込んだ。

だが、それを察した様に守高は言葉を放つ。

「だって俺、あいつの影だもん」

そう言って飲み干した紙コップを置いて、ゆっくりと立ち上がった。

「行くんだろ?俺も行く」

 守高の背丈は日本人の平均身長を越える程度の身長であった。

だが、きっちりと決めた制服と堂々と胸を張った姿勢が身長以上の体躯に見せる。

「ただ、あいつの言うことはお前ら艦娘にとってもあまり耳あたりが良い事じゃないと思うぞ、それでも行くのか?」

守高は大淀とあきつ丸に質問した。その目はまっすぐな目だった。

「行きます。だって私たちは…」

様々な感情が去来したのか、そこで大淀は一息置いた。

「あの人の艦娘ですもの」

その言葉を聞いて守高は顔を緩めた。

「…そうか、じゃあ行くぞ!」

「了解であります!」

 三人は崖の上から先程までスナイパーの速水が待機していた木に飛び移る。

…晩春の太陽が空の真上に差し掛かろうとしていた。

 

 鋭い木とカーボン模造のナイフの打ち合う独特の音が響き合う。

 最後の戦いはここまでE組が近接戦闘を優位に進めていた。だが、そんな優位の中でも提督は二本の棒を活かし、有効な打撃を受けずにいた。

「答えろ!何故お前らは戦う!」

 二本の木は舞の様に美しく上官の周りを舞っていた。それとともに上官は大きな声を発していた。

「それは、徴兵されたから!」

神崎が性格上滅多に出さない大声を出している。トレードマークであった日本人形の様な長髪は失われていた為、ヘルメットから黒い髪は靡かない。

「否!」

その返答を聞くな否や、防御に徹していた上官が攻撃に転じる。二本の木の棒の猛然とした突きは神崎有希子の身体を的確に捉えた。神崎の身体は宙へと舞い、戦いから脱落する。

「…次!」

 攻撃に転じたのかが予想がつかないほど一切の予備動作を含めない自然な動きに他の6人は呆然とするしかなかった。

だが、渚と業は違った。

(精神の波が乱れてきてる…?)

(わざわざ、持久戦を捨ててきた…)

 それは例えるならば、閂を閉め忘れ滅亡の道へ歩んだ東ローマ帝国の如く、呆気なく目の前に差し込んできた光であった。

その光は2つに分かれ、渚と業の前に微かな道を作っていく。

((行ける!))

「怯むな! 今までの作戦を守っていけば勝てる!」

業は迅速かつ的確に指示を出す。

「業!トドメは任せて!」

渚は鋭く言い放つ。それは彼の普段の様な柔和さはなく、暗殺者の才能が顕現した鋭さであった。

「OK、カルマに任せる!」

素早く円形の包囲を締めなおす8人。

「やはりそうしてくるか、まあ俺でもそうするわな」

突然上官が砕けた口調で話してきた。木の棒は静止していて、次の獲物を探すような動きをしていた。

「次はないよ、上官?」

業は上官の代わりか、模造ナイフをぐるぐると回し始めた。

2ヶ月の徴兵生活で失われていた悪戯心が蘇った様だった。

「ほざけ小僧、俺は負けんぞ」

 業と同じように悪戯っぽく語る上官だったが、左半分の顔が痘痕だらけなだけあって、威圧的にも思えてくる。そのやりとりの間にも8人は上官の周りを走り回っている。

「もう一度問おう。何故お前らは戦う。いや、お前らが何を裏切っているのかわかるか?」

 上官は二刀流の棒をまた高速回転し始め、戦闘態勢をとる。

「それはどういう意味ですか!?」

 原がここに来て初めて口を開く。その声は当惑に溢れていた。

「こういう事だ!」

 神崎を貫いた物と同じように二本の木の棒を瞬速の動きで突き出す上官。その丸いはずの先端は余りのスピードで刃物の切っ先に劣らない動きを見せていた。

「同じ手は食わない」

「って言ったよ、…!?」

 その動きを見越して岡島と倉橋が原のガードにかかる。

それと同時に渚、業、雪村、矢田、菅谷が一斉射撃に入る。

戦術を学んできただけあって、先程のミスを帳消しにする具合になるほど正道に適った物であった。

このままだと上官に麻酔弾が当たり、敗北は必定。

と思った瞬間、上官は瞬速の突き出しを瞬間的に止めた。その代わりにドロップキックの要領で下半身を投げ出して、岡島と倉橋を股に挟み込むようにスピード良く足首の内側で勢い良く二人の腰を捉えた。二人は意図しない方向からの痛撃に完全にバランスを崩し、お互いの顔の側面が衝突。意識を失った。

体勢が大きく代わり狙いがずれた事と更に上官の棒も今までの高速回転に戻したため、一斉射撃や狙撃も虚しく、彼の棒に阻まれたのであった。

 

 

「…なに、あれ」

大木の枝に潜んでいる速水凛香が呆気に取られた。

 彼女の眼前には寝転がる形になった提督に向けて、業たちは変わらず射撃を打ち込んでいた。だが上官はあっという間に体勢を整えてその射撃を躱していく。

彼女は殺せんせーを脳裏に過ぎらせる。

だがあれは、超生物の話しだ。あの上官は人間である。

しかしこの訓練で度々見せる上官の動きは、E組のもう一人の「担任」烏間惟臣の物とも違った人間離れした異次元の動きである。

「ふぅ…」

 速水は大きく深呼吸をした。

手にした麻酔銃のスナイパースコープを覗き直す。自分の一挙一動にE組の勝敗が掛かっている。そう思うと引鉄が重くなるのを感じる。

その刹那、速水の後方の木から僅かながらに音がした。

(気配を消してる。誰だろう…?)

 頭のなかで思考しながらも速水はその方向を向きはしない。

審判が何もアクションを起こさないのを見るに自衛隊関係者なのは間違いない。

どういう理由でこの訓練のフィールドに入って来たのかは知らないが、自分たちに害は及ぶことはないであろう。

むしろ、それに過剰反応してこの位置を上官に知られた方が怖い。そう速水は冷静に分析してスナイパースコープを覗き込んだままでいた。

 

(大淀、あきつ丸、守高…。やはり来たな)

上官こと提督の感覚は速水凛香よりも数段上だった。

もう既にスナイパーの千葉と速水の位置はおろか速水の後ろ30メートルに隠密で接近していた3人の存在に気づいていた。

「何を裏切っているだって?」

 寝転がる格好になったはずの好機を逃した上に自分たちの包囲も崩れた悔しさからか、業の語り口はイラつきを隠せなかった。

「分かってるさ、殺せんせーは自分を命の的にする事で命の大切さを説いた!」

そう叫びながらも左手は包囲を続行するように指示していた。あくまでそこは冷静さを失っていなかった。

「なら、なぜ気づかない!今軍隊に徴兵される事はその教えに逆らう事になるんだぞ!」

提督は叫んでいた。

歪んだ半分の顔が更に歪んでいく。

「それは!殺せんせーが教えた力は誰かを助ける為にその力を使えって言ったから!」

雪村は同じように叫びながら、提督の構えた棒に猛然とナイフを振るっていく。

かつて染め上げて演じていた茅野カエデはそこになく、黒い短い髪の雪村あかりがナイフを振るっていく。だが叫ぶ言葉はE組の茅野カエデのままであった

「だから今ある力を!徴兵を拒否されて理不尽な目に遭う他の誰かを生み出さない為に使うの!それはいけない事なの!?」

…感情的になっているのか。

業の一撃離脱の指示を忘れ、雪村は飛びかかりながら、更に提督の棒で作ったガードに打ち込んでいく。

「茅野、打ち合い過ぎだ!」

渚は動揺の余り、前の名前で叫んでいた。

雪村の打ち合いが起こしている隙が傍から分かる程大きな物になっていた。

「ああ!そうだ!」

 提督はその隙を見逃さず、雪村の右脇腹を狙いに行く。

その一撃は雪村の身体能力は優れていたのもあり、既の所でガードするのを成功した。

しかし2m近い提督の筋力と、いくら鍛えられた身体とはいえども、160という体格差である。鍔迫り合いですら仰け反るような形になる。そんな状態になればどうなるか。残酷なほどに1秒後がそれを示していた。

突風が吹き荒れた様だった、と大淀は後に表現した。

提督は右手の棒を雪村のナイフを支える左手ごと「圧しきった」。木の棒はヘルメットの前部を痛打する。ヘルメットが割れんばかりかの大きさの鈍い音が響いた。

「誰かが理不尽な目に遭う可能性?」

 雪村あかりは膝から崩れ落ちた。脳震盪を起こしたか白目を剥いている。

「そんなのはあくまで可能性だ!」

 提督は二本の棒を今度は回さずピンと一つの方向に向けて話す。それは雄々しく、まるで一国の王が強く宣言をするが如く、力強い声であった。

「お前らが向かっている物は人殺しの道でしか無い!」

 話している間にも業たちは銃弾を放ち続けている。

だが、提督に対して銃弾が何故か当たらない。

あかりの壮絶な散り方を見て、見えない恐怖を呼び起こしたか。とにかく提督に銃弾が当たらない。

「それでも、僕たちはその道を選んだ!」

 渚は銃を構えながら大きく応えるように叫んでいた。それは怒気を含む物であった。

雪村あかりの存在。それが渚の中で友人以上の物になっている事に自分自身でも気づいていない。

「それは教えを背くのかもしれない!」

原寿美鈴も渚の叫びに呼応して、同じように銃を構えながら叫んでいた。穏やかで滅多に叫ぶことの無い彼女も今は感情を表に出していた。

「だけど俺らは!あの1年を忘れた訳じゃない!」

菅谷創介は狙いを定めるのに必死になりながらも次の言葉を紡ぐ。

「そう、誰かを助ける事は地球を救える!」

 その言葉を残し、矢田桃花は模造ナイフを持ち、提督に接近していく。

包囲網の順番通りとは言え、戦闘が得意ではない彼女にとって提督に近づくことは勇気が必要な事であった。

「自衛隊法、第三条。自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。人殺しの業を背負ってまでも平和を守りたいのは俺らだって同じだよ、司令官!」

 そういって業は叫びはすれど、先程までのイラつきが嘘のように霧散していた。

(こいつ、俺の正体に気づいたのか)

その表情を見て提督は一瞬、殺気を解けた。

その中に矢田はナイフを持って吶喊する。

「おぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

E組屈指のグラマラスで美しい女の子。それが彼女の3年E組に居た当時の評であった。それは3年経た現在でもその美しさは変わらず、身体の線が出ない無骨な感すらある迷彩服を蠱惑的にする身体を手に入れていた。

そんな彼女も女の声とは思えないほどに大きな叫び声をあげる。それは勇気が自分に無いことの裏返しでもあった。

「なら、己を定めよ」

 一瞬であった。

提督は矢田の間合いに詰め寄り、右手の棒を振るい最短距離で彼女を叩き落とした。彼女は地面に顔から突っ込んでいく。。

「矢田さん!」

 渚は叫ぶ。

「その“助ける”という物の為に多くの血を流すと決めたんだろう?」

 提督は静かに告げた。その間にも麻酔弾は何度も提督の身体を捉えようとする。しかし狙撃手を除くとE組の残り人数が4人になった今、提督にとって麻酔弾を弾き落とす事は容易いことであった。

(また感情の波が静かになった)

 提督の想定外と言っていい突然の精神の静謐に渚は困惑した。

「それならばその為に己を定めろ。死を覚悟し、その絶対的な物の前に定める感情を決めよ」

 尚も沈着に話し続ける提督。

「俺たちは死にたくないぞ! 生きて自分の夢を叶えるんだ!」

 菅谷は叫ぶ。彼は芸術家志望である。

彼の夢に対する渇望は本物である。

「そうよ!私達、死ぬ訳に行かない!笑って2年間を過ごし、自衛隊から出てみせる!」

 原も大声を張り上げる。彼女の夢は良き妻になる事であった。

二人とも確固たる夢があり、だがそれでも国に捧げる選択をした二人である。

「クソッ、弾切れか」

「弾倉を取り替えよう菅谷くん、キャッ」

  弾切れの隙を狙い、提督は原にペイント弾を当てて脱落させる。

「なら、笑え」

  右手の木の棒はそのままに提督は左手にペイント銃を握りしめていた。

(早撃ち…!)

 訓練の序盤、後衛だった竹林と奥田を瞬間的に撃ち抜いた提督の早撃ち術。それがここでも発揮される。

だが次の瞬間、提督は度肝を抜かれる事になる。

「ようやく銃を使ってくれたね」

 渚がまるで動物をあやすような声を出し、いつの間にか提督の至近距離に近づいていたからだ。

「!」

 その手には今まで持っていた銃とは違う新しい銃が握られていた。

(もう一つ銃を温存していた、だと…)

 暗殺者の才能を持つ少年である事は事前の調査で十二分に知っていた。

 だが、ここまで圧倒的な有利をひっくり返され続けていたのにも関わらず、焦らず隙を伺う我慢強さ。

 二刀流の棒が片手になり近距離の攻撃力が下がったこの瞬間を逃さずに接近する、戦闘センス。

 そして絶対的な武器、スタップグラナーがあるにも関わらずそれを捨てて特攻覚悟のゼロ距離射撃戦に持ち込む度胸の強さ。

 そして、満面の笑み。

 その全てが提督の心胆を寒からしめる物であった。

「そうだ!その笑みだ!」

 そう言いながら提督は笑みを浮かべる。

…それは戦いの鬼たる本能からか。

…それとも別の心を覆い隠す為に笑っているのか。

「業!」

 菅谷が業に向けて叫ぶ。この事態を想定してたのか。それを業に問いた事と好機である事への本能的な叫びが入り混じった物であった。

「菅谷、弾を込めて。万が一渚達が外した時に備えるよ」

 業は油断はしていなかった。

 だが、渚の暗殺の才能を信頼していた。

 だから完全に提督の虚を衝く事が出来た今、勝利を疑っていなかった。

 …渚と提督、その周辺がスローモーションになった様に感じた、と後に大淀は語っている。

 渚は下に構えていた銃を提督に向けて動かす。簡捷に構えたはずのその動きが、吐き気がする程緩慢に見えた。

 それに対して提督は後ろにステップして距離を図りながら、右手の棒で渚の手をはたき落とそうとしている。

 秒単位の戦い。

 ―渚と提督、どちらが先にお互い仕留める事が出来るのか。

 この場に居る殆ど全員の注目はそれに向けられていた。

 先に戦闘態勢に入ったのは渚であった。

 提督の胸の前50cmに銃口は構えられた。

 そして引鉄に指を掛ける。

 銃口から麻酔弾から放たれる。

 提督は渚の手をはたき落とすのを諦め、棒の持て余している部分でガードしようとする。

 その瞬間、大淀は叫んでいた。提督を心から案じ、愛した者しか出せない肚の底からの叫び。

 それと同時に大きな音が響く。

 …全身全霊はかくありたし。激闘である戦闘訓練の決着が今、つこうとしていた。

 

「提督ぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

 大淀は叫んでいた。

 満腔一杯に出した声は林一帯に響き渡る。

「て、提督?」

 菅谷は銃を構えながら困惑している。

「…やっぱり」

 業は小さく呟く。

 彼の頭脳にはやはりその影は過ぎっていた。

「大淀殿!一体、何をしているのでありますか!?」

 あきつ丸は目を丸くし、守高は顔の前に右手で頭を抱えている。

 大淀がここまで後先考えない行動に出るとは思ってなかったのであろう。

「え、え?」

 渚は目の前の状況と大淀の大声。二重の意味で何が起こったのか分からず困惑している。

「…大淀め、早まったことを」

 提督は渚の至近距離からの麻酔弾を防ぐ事に成功していた。だが、木の棒とペイント銃は地面に落としている。

 狙撃手の狙撃が成功したのだ。その証拠に迷彩服の両肩は穴が開いていた。

(…ふぅ)

 溜息をしながら千葉は天を仰いだ。

 大きく損害を出しすぎてしまった。その悔悟と一仕事終えた安堵の溜息であった。

「やぁっと当たった」

 速水は大淀の大声に動揺せずに、提督の肩を射抜けた。

彼女もまた、大仕事をやり終えた重圧から解放され、思わず独り言ちた。

「お前らの勝ちだ。これからもその笑み、忘れるなよ」

 そう言って、麻酔が回ったのか。

何百年生えていた大木が折れた様に、提督は大きな音を立てて倒れた。

「提督!」

 大淀はまた叫び、一目散に彼の元へ向かう。

今度ばかりは守高もあきつ丸も大淀に追従する。

…これがE組と、提督宇田川信悟海将との苛烈な出会いであった。

 この出会いはかつて世界を震撼させた超生物とE組の出会いよりは世界にとって小さな物だったのかもしれない。

 だが、彼と彼が統率している艦娘とE組の生徒との出会いは世界の根底が揺れ動くきっかけを生み出し、そこで多くの悲しみを目撃していき、彼ら自身もまた誰かの悲しみとなって行くのだが、今の彼らには知る由もなかった。

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