次回は野球回となります。
―敗北であった。
フィリピンレイテ島沖での艦娘と深海棲艦の戦闘は艦娘達の敗北に終わった。
(俺の責任だ…)
俺は五航戦の姉妹に肩を借りながら被害状況の確認をしていた。
自分自身もまた右脚を負傷し、自分の手で歩けなかったのであった。
「提督、大丈夫ですか…?」
「やっぱり寝てた方が良いんじゃない?ほら、帽子落ちそうだよ」
そう言って彼女ら五航戦は口々に自分を心配する声をかける。
「馬鹿言え。ここで俺が倒れるのは無用な不安を煽る事になる」
そう話している間にも口の中には血の味が広がっていく。どうやら喉が傷ついている様だ。
全身の損傷状態は重篤。即病院のベッド行きが適当。
自分の中にいる冷静な第三者がこうやって呼びかけてくるのを俺は敢えて無視した。
「それより被害状況を教えろ。軽傷で済んだ艦も医者に診てもらえる様にきちんとトリアージを出来るように看護士を案内しろ」
そう言いながら口の中の血が邪魔になり、床に吐き出す。工廠の冷たいコンクリートの床は血を吸うこともなく、あたり一体が蘇芳色の血溜まりが出来る。
「提督、血が口許に」
「血を吐くなら吐くって言ってよ、ほらタオル」
そう言って瑞鶴はタオルを取り出して、俺の口を拭いて行く。血が残らないようにするためか、少し強めの力であった。
「どう? 痛くない?」
瑞鶴は心配そうに話しかけてくる。こういう事は不慣れなはずだろうが、彼女なりの優しさを感じる。
「大丈夫だ」
「ところで、提督」
おずおずと翔鶴が尋ねてきた。
「どうした」
その口ぶりから余りいい情報でない事が分かる。
「今、無線を聞いていたんですが、門の前の道をテレビ局や新聞社が埋め尽くしていて、支援に来た医師たちが搭乗している車の行く手を阻んでいるみたいなんです」
翔鶴の片耳にある無線機は、鎮守府所属の陸上部隊が交信している無線を傍受していた。
工廠の中は傷を負った艦娘達の呻き声で溢れきっている。そんな中でも翔鶴はきちんと重要な交信を聞き逃さなかった。
「チッ、どっから嗅ぎつけやがった」
こういう時に公共性を盾にする輩は質が悪い。ここの司令を初めて半年。彼らマスメディアの悪辣さは身に染みて分かっていた。
「取り敢えず動ける部隊は動かせ。中で傷を負っている艦娘達と今居る医者の数では面倒なんて見切れん。それなら医師たちをどうにかして入れさせた方が良い」
…まずいな。
意識が遠のいていく感覚がする。
外傷の応急処置はしたはずだが。
「分かりました。無線で岡林一尉には具申という形で指示しておきます」
篤実で生真面目だが、やや融通さに欠ける我らが警備隊長はこの事態の収集に苦慮しているだろう。
ただ階位は上とは言え、年下である俺の指示を嫌な顔せずに聞いてくれる。そう言った所で彼の働きは自分自身評価している。
「ああ、頼んだ」
そう言うと翔鶴は無線機に向かって声を向かわせる。
しばらくはここから動けないだろう。
そう思い大きく溜息をゆっくりと吐く。今度は口の中に血の味は広がらず、血溜まりを作ることは無かった。
「瑞鶴、未帰還者は居ない。それは間違いないな」
あの大混乱だ。正直な所、沈んだ娘の可能性は覚悟していた。
だが瑞鶴の返答は、
「うん、レイテに出征してた娘たちは全員回収が済んでて、全員沈んでいないって」
心から安堵させるものだった。
瑞鶴はそう言い、手元の端末を手慣れた手つきで片手で操作する。
…前橋と高崎が高速で纏めてくれたのであろう。彼らは年末をもってこの鎮守府から退職して防衛省OBに戻る。そんな中でも最後まで職務を全うしようとする姿勢にこの時ほどありがたいと思った時は無かった。
「ただ、やっぱり提督が指揮していた陸側の娘達は、正直予断を許さない娘ばっかりだね」
そう言って端末のタッチパネルをスクロールさせていく。
重体
長門
扶桑
山城
金剛
榛名
赤城
加賀
蒼龍
飛龍
蒼龍
千歳
青葉
衣笠
古鷹
最上
熊野
天龍
龍田
球磨
多摩
阿武隈
川内
那珂
…
端末のタッチパネル一杯に累々と艦娘の名前が連なっていく。
これで軽症者の名前がまだ出てこないというのがこの戦いの惨状を示していた。
「行ってきます」
「行ってくるね」
そう言って鬼怒と夕張が五月雨や陽炎を連れ、工廠から出ようとしている。
「夕張も遠征に行くのか」
普段夕張は工廠で明石の補佐をしており、遠征の責務は殆ど負わせていなかった。
「そうよ。遠征頑張ってた天龍さん達、みーんなドック行きすら出来ない重傷ですもん。私も工廠でガラクタ弄っている場合じゃないでしょ」
そう言って片手で駆逐艦達に先に行くように促した。五月雨と陽炎は慌ただしく礼をしながら他の駆逐艦艦娘を先導して埠頭へ向かっていく。
「そうか。…すまないな」
…艤装の研究をした方が楽しいだろうに。
自分のしでかした敗北の大きさをここでも味わう事になるとは。
「…」
「…」
俺のその言葉を聞いた二人は突如無表情になった。
「…なんだ?どうした?」
俺は二人の表情の変化に戸惑った。
その言葉を聞き、二人は溜息をはく。
なんだ。一体何だって言うんだ。
「そんなにボロボロになるまで戦ったのに、謝る必要なんて無いですよ」
夕張はそう言って表情をちょっと困ったように笑う。
「そうそう。提督はそういう所、鈍感だよね~」
鬼怒はそう言って近づいてくる。
「いくら休め、って言ったって休まないだろうから。でも、全て終わってからで良いから休んでよ。これは鬼怒との約束」
そう言って鬼怒は右手を差し出す。
鬼怒は人間の時から拳を握る挨拶をするのが好きだ。
…まだ提督という職務範囲がきっちりと決まっていなかった頃。俺は吹雪型と天龍型、睦月型の一部、金剛型、大淀や明石達の人間の姿を知って、彼女たちを艦娘としてなるまでを見守ったことがある。しかしその後は綾が人間を艦娘にする職務を担当する事になり、俺は一切艦娘が人間の時をこの目で見ることは無かった。
だが、彼女鬼怒はその例外の一人だった。
「翔鶴、通信は終わったか」
と右側を見ると翔鶴は通信を終えていた。
左隣の瑞鶴も同様に端末の操作を終わらせていた。
「はい、終えています」
そう言って彼女は背中で支えていた右肩を話し、右腰を持ち上げる体勢に切り替えた。
艦娘でいかに筋力があるとはいえども、自分の身長をゆうに超える俺の身体を持ち上げるのには負担が大きい。
「翔鶴に負担がかかる。なるべく早くしろよ」
左足に鈍痛が伝わる。
でも構う事は無い。彼女の笑顔は俺の傷より重い。
「はいはい。分かってる」
右手と右手を突き合わす。
「うん、おっけー」
満足した様に鬼怒は離れる。
「全く。翔鶴姉にも負担かけたんだから、きちんと還ってきなさいよ」
瑞鶴はそう言って彼女なりに叱咤する。
「…えへへ」
鬼怒は照れくさそうに笑う。
「さて、そろそろ行かないと。五月雨ちゃん達も待ってるだろうし」
夕張はそう言って、踵を返して埠頭に向かい出す。
「あ、待ってよ~。あ、提督はくれぐれも無理しないでね」
そう言い残した二人は開けっ放しである工廠のドアを抜け、長い遠征の旅へ旅立っていった。
「忙しなかったですね」
翔鶴は遠ざかっていく二人の背中を名残惜しそうの見ていた
「こんな重傷者の中で戦意を喪わずに遠征に行ってくれるんだ。全くありがたい事だ」
鬼怒と夕張と入れ替わりで鎮守府常在の医師の一人、横野駿が慌ただしく工廠に小走りで入ってくる。彼の様子から見てまだ支援の医師は到着していない様だ。
「…まだ増援の医者は来ないのか」
少なくともフィリピンから逃げ帰ってここまで4日以上経過している。これ以上は傷を負わせたままだと艦娘とはいえども危険だぞ。
「門の中に入ったようです」
翔鶴は再び通信機に耳を充てる。
やっと蜘蛛の糸は垂れたか。大きく息を吐いた。また口に血が溢れる。
「ほらほら。また血が溢れてる」
そう言って瑞鶴は再度タオルで自分の口許を拭く。
「…すまない」
ここまでおんぶに抱っこにされてしまうのはやはり申し訳ない気がしてしまう。
「いーのいーの」
だが瑞鶴は意に介さない。
こうしている間にもまた意識が遠のいていく。だが、まだ休む時ではない。
「提督」
大淀が工廠に入ってきた。少し浮かない顔をしている。
「大淀、なんだ」
こんな緊急時に自分の携帯電話ではなく、わざわざ秘匿性の高い司令部に直接電話をかけて来られたあたり、あまりいい話ではないのは分かっていた。
その自分の言葉を聞いて、
「本当は横須賀宛に送りたかったんでしょうけど、皆さん居ないんでしょうね」
大淀はそう小声で言って、持っていたA4の紙を俺に渡そうとする。当然五航戦に肩を借りている俺は自分自身で取れない為、翔鶴が代わりに受け取ろうとする。その瞬間、
「翔鶴さん、中身は絶対見ないでください」
大淀が強く制止した。
「え…?」
困惑する翔鶴。反対側の瑞鶴も声に出さないが困惑している気配が読める。
「本来なら私だって勝手には見ていけない物です。だから翔鶴さんも見ないで直接提督に見せてください」
…作戦概要ならこういう反応はしないだろう。まさか。
「痛っ、提督手を動かすなら先に言ってください!」
翔鶴が声を荒げる。どうやら動かした手が翔鶴の頭に当たってしまったようだ。
「あ、ああすまん」
そう謝りはしたが、俺の意識はちっぽけな白い紙の方に写っていた。
平成26年12月15日
…
刑務所女性収容者の内、 海上女性職員適合者
一名該当有り
氏名 熨斗 改華
年齢 満25歳
罪科 嘱託殺人
量刑 懲役7年
-なんで。
視界が激しく揺れた。
幾重にも縛り付けた記憶の錠前が乱暴に開けられる音がした。
「…なんで」
なんでお前がそこに名前が書いてあるんだ。
「…提督、いかがなさいますか?」
大淀が対応策を聞いてきた。
そうか。彼女にはただの女囚として映っているんだよな。そういう意味での対応策を聞いてきてるんだよな。俺の過去を知っての発言ではないんだよな。
「提督、どうしたのですか?」
震えだした俺を不審に思う翔鶴の声。
身体を密着させているはずのその声が、遠く、遠く聞こえる。
俺は、俺は彼女を愛していた。
でも、俺は彼女を守ってやれなかった。
彼女を暗く、狭い監獄に入れてしまったのはこの俺だ。
俺は、俺は彼女の為に…!
…支える肩をいつの間にか手放していた。
「…提督さん!?」
五航戦の手から自分の身体がずり落ちていくのを感じた。
…前のめりに身体が倒れていく。
「提督!?」
「提督!?」
全く受け身を取らずに固いコンクリートの上に顔から倒れ込んだ。
二人の声が被ってないなあ。
そんなどうでも良い事を気にしながら、俺は気を失った。
目が覚めた。
俺の左目の前に、大きく白い制服の固まりが覆いかぶさっていた。
…あきつ丸の胸だ。
「…重い」
「大淀殿を心配させた罰です」
あきつ丸は大きな胸を押し付けながら、説教してくる。…サラシをした胸の感触がする。こいつの調子乗り属性は相変わらずだな。
「…でその大淀は何処に行った?」
まだ麻酔が残っているのか。身体は重く、顔の上の乳袋を払いのける程の力は戻っていない。
だが、動く右目の範囲内ではあきつ丸以外誰も居ない。
白い医務室の無機質な天井と何も変わらない外の風景が広がっていた。
「大淀殿は守高殿とE組の皆さんに挨拶周りに」
相変わらずマメな事だ。
俺の行動に相当感情を揺り動かされた後なのにコミュニケーションの機に敏なところ、守高と息ピッタリなんだよな。
「流石、政治家の孫」
宮崎北部が企業城下町で有り続けるのも大淀の祖父、夏田仁三郎の尽力の結果である。その祖父が見出した才覚は艦娘になっても健在、という事か。
「立ち直りも一流であります」
あきつ丸は偉そうに右人差し指を回している。
「なんでお前が誇らしげなんだよ」
「それはどうでも良いして」
どうでも良くねえよ!というツッコミは心の中にしまっておく。こいつと話していると飽きることは無い。
「なんでE組と言葉を交わしたんです?」
そう言いながら、自分の胸の上から俺の顔を覗き込んでくるあきつ丸。今までのおどけたような言葉遣いは消え、ナイフの様に自分の胸元に言葉を突きつけてくる。
「…ふん。武器を交わしながらじゃなきゃ、伝わらない事もあるさ」
…答えになってる様でなっていない。だが、自分の中の感情を言葉にするならこうであった。その言葉に偽りはなかった。…だが、
「本当の事言ってませんよね?」
あきつ丸は目を細めながら追求を辞めなかった。
「…」
何故だ。俺の言葉は何故彼女には本当と映っていないのか。何にとって俺の本当は彼女の本当足り得るのか。
…自分の顔は打つ手がない当惑がにじみ出てたと思う。あきつ丸はそんな俺の顔を見て、
「そんなのだから、提督殿は守高殿に畳の上では勝てないんですよ」
大きな溜息をついて、そのナイフを下ろした。
「人には向き不向きがあるだろうが」
俺は腕っ節で、あいつは口で国に、綾はその両方で貢献する。そうやってこの“防衛省海上女性職員部”は回してきたはずだ。今更そんな役割を変えるつもりは無い。
「はぁ~」
そう聞いてまた溜息をつかれる。今度はかなり大きい溜息だった。
「なんだよ、また」
こいつの俺に対する敬意の払わなさにはもう慣れたつもりだった。まあこんなんでも外行きの時はちゃんとした応対するから、まあこういうのもあきつ丸の味なんだろうけどな。
「本当に勿体無いですねぇ。提督は英傑になれる人物だと思ってたのに…」
だが、時々見当違いな俺に対する願望を胸に秘めている。
「俺は英雄なんかじゃないよ」
「提督、」
尚も言い募ろうとするあきつ丸。だが、俺に対する幻想ははっきりと否定しなければならない。
「俺は英雄にはならない」
その言葉を聞いた彼女の表情は、己の迂闊さを呪う様に天を仰いでいた。
悪いなあきつ丸。これが俺の生き方なんだ。
…ところで胸をいい加減にどかしてくれ。
その言葉を飲み込みながら、代わり映えしない外の風景は春の終わりを告げていた。
乳白色の天井は無機質な表情をしたまま俺の前に立ちはだっている。戦いの疲れは自分の体を覆い、俺はソファーに身体を沈めながら天井を眺める。
この天井を取っ払えば、きれいな青空が見えるのになあ。そうひとり、天井に手を伸ばす。大小の切り傷擦り傷が痛む。だが、他の気絶させられた皆に比べればかすり傷もいいところだった。
「何か見えるんですか?」
海上自衛隊の黒い制服を着た眼鏡の女性が自分に話しかけてきた。海曹の尉官である彼女は年齢が同じくらいに見える。
「この天井を取っ払えば青い空が出来るのになあと思ってたところ。ところであんたは?」
なんとなく彼女にならフランクに話しかけても良さそうだ。凛とした見た目に気安さが共存している見た目。その見た目に好感が持てる。
「私、私はですね、」
少しはにかんで、話に勿体つけてくる。
もしかして、彼女は艦娘なのだろうか。
(あの娘とはまた違った眼鏡の娘だな)
「何か言ったか?」
そう言って一人の壮年の男性が物陰からぬっと出てきた。
彼女の後ろ、この屋内自販機コーナーの入り口にもう一人男が居たのに俺は気づいていなかった。
「おわっ」
驚きで一瞬声がうわずってしまう。
「はっはっはっ、お前みたいな奴がそんな声出すとはな。後ろに控えてたかいがあったって奴だな」
そう言ってあまり大柄ではない海将は溌剌とした声を出す。その一種の馴れ馴れしさは鷹岡を思い出す。
「…何か用?」
彼の狂気を知っている身としては、その他人の懐に入るフレンドリーさは自らの気を許すどころか、警戒心を煽るだけであった。
「そう身構なくて良いぞ」
目を細めながら、屈んで自分との視線を合わしてくる。その顔は端正、とまでは行かないが、その武骨ながら親しみのある顔はむしろあの“提督”の顔によく似合う。正直顔を反対にした方がいいんじゃないか?
「…何かしょーもない事、考えてるだろ」
なんだこの人エスパーか。
「ん、あの提督とあんたの顔、逆の方が似合ってるんじゃないかって思ってただけ」
…別に隠す事でも無いので、そのまま偽り無く話す。そんな俺の言葉に山口海将は唖然とした顔になった。
「な、なんて事言うんです。提督にも山口海将補にも失礼です!」
そうやって彼女は顔を赤らめて、怒っている。その表情もかなり可愛い。
「ははは、まあ確かにあいつの顔の端正さは本当に俺には欲しい物だわな」
そんな俺の戯言に山口海将補は笑って受け流す。その態度には鷹岡と明らかに違うものがあった。
「山口海将補!」
そんな鷹揚な彼の態度を咎める様に、と彼女はメッセージを発している。
「良いじゃねえか。そもそもあいつは自分の奇麗な顔を無碍に扱いすぎだ」
だが彼女の苦情、山口海将補はそれをも受け流す。その行動には提督に対する本当の羨望が含まれているのが分かった。
「おっと自己紹介が遅くなった。俺は防衛省海上自衛隊海上女性職員部渉外担当。要するに艦娘達の裏方仕事をしている山口守高だ。彼女は艦娘、提督の筆頭秘書艦の大淀だ」
そう言って自己紹介する山口海将補。眼鏡の女の人はやはり艦娘だったか。
「こんにちは、軽巡洋艦大淀です。どうぞ、よろしくお願いいたします:
そう言って彼女は深々とお辞儀をした。
「いや、そんなに畏まらなくて良いよ」
彼女の黒髪の頭に向けて、声をかける。これから色々とお世話になる人だ。年も同じくらいなのに慇懃すぎる礼は正直得意ではなかった。
「いやいや、これからお世話になる人に礼は失してはいけませんよ」
そう言って礼したまま、左手を山口海将の方に向けて、ちょこちょこと手を招き始めた。
「まかり間違ってもこの人みたいに礼儀知らずの粗野な人には将来なりたくないですからね」
そう言って冗談交じりで嫌味を言い始める大淀さん。
「なんだなんだ~? 鎮守府一の貢献者に向かって、その言い草はないだろ~」
そんな彼女の当てこすりに、ニヤケ顔で返答する山口海将補。その本気にしていない反応には彼女に対しての全面の信頼が伺える。
そんな二人のやり取りを、天井を眺めていたように、ぼんやりと眺めていた。
「山口海将補!大淀海曹長!いらっしゃいますかー?」
とその時、外の廊下から女性の声が聞こえた。どことなく呼び方にぎこちなさを感じる。…そうか。ここは陸自の施設だったな、
「はい!ここに」
大淀さんの澄んだ声がほの暗い施設に響きわたる。
「宇田川海将が目を覚ましました!」
「分かった、今向かう!」
大きな声で返事を返す山口海将補。
その声の通りの良さは烏間先生の声を思い出した。
「スマン、もうちょっと話したかったけど、またな」
そう言ってキビキビと立ち上がり、走るのかと思うほどのスピードで女の声の方へと向かう山口海将補と大淀さん。
そのまま二人は立ち去って行くのか、と思っていた次の瞬間、彼女は振り返った。
「鎮守府で待ってます!」
綺麗な黒髪をなびかせながら、彼女はそう言い残した。
そう言い残し去った待合室には、自分一人だけが残った。
…予想以上にユーモアのある人たちだった。
そう思ってまた天井を見上げる。乳白色の天井は変わることなく目の前にあり続けた。
バスの走行音が沈黙の車内を響き渡る。
7月1日。
前期訓練を終えた僕たちは、秘密裏に富士の訓練場を出発した。E組を載せたマイクロバスは一般企業の研修の出入りに偽装され、海上女性隊員駐屯地、いわゆる鎮守府を目指していた。
…3年前の殺せんせー関連で報道陣に囲まれた事は未だに記憶にこびりついて離れない、が今回は入念な偽装もあり、そう言った事は無かった。そういえば入営の時も全く報道陣が来ていなかったな。
「うちらの事は新聞でもテレビでも取り上げられてなかったし、本格的にあたしたちは居ないもの、として扱われるんだろうなぁ」
中村さんが窓の外を見ながら、やれやれと言った風情で語っている。
「親にも口止め料払ったんだっけ?」
速水さんがいつもの様に隣に居る千葉くんに話しかける。
「殺せんせー殺した時よりはお金は支払われてないとは言っても、かなりの額を貰ったらしいぞ、うちの親」
千葉くんは呆れたような口調で言う。
千葉くんの坊主姿は未だに慣れない。自己主張の強い瞳はいつ見てもぎょっとさせられる。
「そこまでして、戦力が欲しいのかぁ…」
杉野がそう呟いて、みんながげっそりした。
この3ヶ月は本当にきつかった。
暗殺者と兵士は違う。
この3ヶ月でありありと思い知らされた。
容赦ない“指導”は鷹岡よりは強圧的ではなかったが、自分自身E組の1年とは全く違う密度を持って、僕たちの前に立ちはだかった。
かつて殺せんせーは言った。
(理不尽な事世の中にあるのは当たり前、それを恨んだり諦めたりする暇があったら、楽しんで理不尽と戦おう)
…それは僕の脳細胞の隅の隅まで刻み込まれた、鮮烈な1年の教えの一つだった。
「理不尽を楽しもうかぁ…」
僕は声を漏らす。
「…悩んでる様ね」
一番前の添乗員専用の席に座っていた。美しい女性が話しかけてきた。
髪は自衛官に相応しいボブカットの黒髪で幹部自衛官の制服である白のワイシャツでスボンを着用した第三種夏制服を着込んでいた。
折り目正しいその格好はどこにもだらし無さがなかった。
「ええ…まあ」
戦闘訓練の時の提督とは違い、渡された資料でこの女性が誰であるか事前に分かっている。
伊代野綾海将補。
防衛省海上女性職員部は1人の部長と脇を固める3人の幹部自衛官が運用されている。
宇田川信悟。
山口守高。
そしてこの伊代野綾。
宇田川海将補が艦娘の管理運用、山口守高は管理運営に必要な資金集めを行っている海上女性部。そんな部の中で彼女が担当しているのは艦娘の採用だ。
艦娘というのは、ただ女の子を適当にスカウトするだけではないらしい。基となる艦と名前が近かったり、艦の名前の元になった土地の近くに住んでいたり、先祖の1人がその艦に乗っていた(これは稀らしいけど)りするなど色々な条件を満たした女性のみが艦娘になれるのだそうだ。
…当然、手間暇かけて育ててきた人一人を国のためにとは言え、死の危険と隣合わせにある艦娘にするのには必ず抵抗を持つ家族が出て来る。
その為に女性自衛官でも破天荒足り得るスピード昇進(その昇進は深海棲艦で消耗した海上自衛官の穴埋めという要素も多分にあったらしいが)を果たし、防衛省ナンバーワンの容貌と彼女自身の剣道5段腕っぷしの腕前、そして宇田川海将補と同期であり親しい間柄であったことが彼女を今の地位に至らしめる理由であり、その持っているスキルをフルに活用する事で艦娘達の保護者を説得せしめる大きな武器なのであった。
「余り私から言おうとしても上から目線になるわ。防衛省として、また君たちを利用するという形にはなったけど、それについて言ってしまうと逆に不誠実になってしまうから」
そう言って目を細める。
それは彼女の持ち味なんだろう。
その真摯さに少し、嬉しさを覚えた。
「…でも私から一言言えるなら、自衛隊に入るってそういう事なのよ。理不尽も可能性も全て飲み込んでいる。そんな組織なのよ」
そう言って首を横に振る。
「ただ、入営以外の決まった区切りの時にきちんと自分達が関わるようにしてるのは、あなた達を悪く思ってない事は感じてほしいわね」
そう彼女は居丈高にもならず、かといって柔らかくも言わなかった。
憐憫の情こそ見えたが、それ以上に一線引くような感じだった。
「…」
いよいよもって烏間さんみたいな人だなあ。
僕ははるか南方タイ王国に赴任している、かつての恩師の一人を脳裏に浮かべていた。みんなもそうであっただろう。
「ところで左手薬指のところに指輪をはめてるけど、結婚してるの?」
カルマが話題を変えたかったのか、その左手薬指にあるシンプルな指輪に言及してきた。
確かにこんなキレイな人だったら、早くに結婚もするんだろうな…。とも思ったし、それなりに遊ぶ事もしないのかなとも思った。
「ああ、これ…」
伊代野海将補の顔が綻んだ。
今までの一線を越えられた気がする。
「守高から貰ったのよ。お前の50年これで買い取れるか?って言われてね」
今まで職業としての自衛官、伊代野綾を見ていたが、ここで人間、伊代野綾を見れた。
それは完全に惚気であり、E組の下世話なみんなの格好の標的になる物だった。
「おやおや、若くして海将補になった人にしては、脇が甘いですなあ」
中村さんがいつの間にか伊代野海将補に接近していた。
こういう時の弄り倒しは彼女の専売特許だ。
直属の上司になる人物だろうが構わず、弄りに入る。
「良いでしょう。私も守高と婚約するまでには色々とありました。その話を心行くまでじっくりと話しましょう」
正々堂々と打って出る伊代野海将補。
えーっとざわめくE組一同。
軍隊らしからぬ、そう先生と生徒の様なおしゃべりだ。
まさか伊代野海将補があっさり一線を越えてくるとは思わなかったなあ。
そう思いながらバスは神奈川県に差し掛かろうとしていた。
海上女性職員集合施設浦賀本所、世間一般からは鎮守府と呼ばれているその場所は京浜急行の浦賀駅から近い工場跡地にある。
高いフェンスと艦娘が出撃して入江の部分が見えないように完全に覆いかぶさっている建造物の建て方は防諜を意識してのものらしい。
僕たちも横須賀中央駅で一度バスから降り、私服で3人一組になって時間をずらして行動していき最終的に合流するという手段で鎮守府に入っていくほどだ。
「まるでスパイだね」
一緒になった倉橋さんがそうつぶやく程には鎮守府の情報管理は徹底されていた。
そう、ここ鎮守府には徹底された秘密主義を貫いている。
僕達もこれから入る艦娘の情報は提督との軍事訓練後に配られたが、一時だけ借りられるタブレット端末に入ってる情報をメモも出来ずに記憶だけで百人以上の艦娘を覚えるというかなり難易度の高い作業をやらされて閉口することもあった。
鎮守府に配属された後も寮は鎮守府の土地の中で、単独で外出はほぼほぼ認められないであろうとも言われている。それほどまでに艦娘という存在が外に出る事を極端に恐れているのだ。それは、反艦娘、親深海棲艦を掲げる団体が最近の出没する事や仮想敵国である他国に情報を把握させられる事を恐れているというのが、教官の解説であった。確かに、反艦娘団体の勢いはニュースのヘッドラインで取り上げられる程の旭日の勢いであった事を僕は覚えている。
提督以外の二人の職員と大淀という艦娘は少なくとも僕らを歓迎している事はカルマの証言で分かった。提督が戦闘訓練で発露した物が全てであるとは思ってなかったがやはり少し警戒するべきものであった。
…やらされる事も僕らが積んできた経験にマッチしていた。
戦闘訓練を行い、有事には深海棲艦側についた占領された洋上の大陸・島を奪い返す、占領地の維持をする事と艦娘に関連する所で彼女らの勉強面のサポートをする事。それが僕たちに与えられたミッションであった。
それ自体は別に不審な事では無い。暗殺者(アサシン)としての適正としての体力、みんな大学も最低でもMARCHを越す実力の大学を受かった人が大半である。戦闘もこなせる家庭教師とするなら十二分に実力を発揮出来るであろう。僕たちを戦場へと誘うことで艦娘に対する情報も外へ漏らしづらくなるだろう。
ただそこまでしてまで鎮守府が僕たちを欲しがった理由がやはり裏があると思える。
そもそもそういった事態になっても先生を雇う方が僕たちを無理矢理にでも引っ張り出すより適任であると思うし、それこそ教員免許を持ってる自衛官である烏間先生は適任だったであろう。
…その落ち着かない、消化不良みたいな費用対効果の薄さが僕らを取り巻いてる陰謀であろう。
落ち着いたら、今後の方針を決めたいな。
そう僕は思った。
…全員集まったのは日も傾いてきた時であった。
「ようこそ、海上女性職員集合施設浦賀本所へ!私が第二秘書艦兼女性職員長を務める大和です」
僕より30cm近くも身長が高く、カルマと同じくらいで、赤色を基調としたスカートと白の胸当てのような衣装が特徴的な艦娘である。
こんな大きな女の人が存在したのか。
そういう感想が出てくるほど身長が大きい。
隣に居る霧島さんも長門さんも身長が大きい。隣りにいる平均的な身長であるあきつ丸さんが小さく見えるほどだ。
「これより二年間、私達の下で、戦力を奮ってもらう事をありがたく思います」
大和さんは凛とした雰囲気をまとわせてそう言った。
「おそらくそれぞれに言いたいこともあるでしょう。それでもそれを噛み締めてここまで来てくださったのは私達にとってとても僥倖でした」
「3ヶ月で学んだことと地球破壊生物との学びを私達の施設で活かして下さい」
そう短くオーソドックスに「以上です」と纏め、大和さんは深々とお辞儀をした。
「次は提督からの訓示です」
隣に居る長門さんが粛々と場を進めていく。
末席に控えていた提督が前へと出てくる。
提督の身長は前述の3人より身長が大きい。190cmは優に超える。
(僕たちあんな人と戦闘訓練してたんだなぁ)
「という事で紹介を受けたと思うが私は宇田川信悟海将である」
淡々とした言い方、という印象であった。
「我々海上女性職員部の力になる様、修練と補助教師としての業務に邁進してもらいたい」
大和さんと同じ様にオーソドックスに簡潔な挨拶だった。
「諸君の健闘を祈る、以上!…と終わると思ったか?」
!?
いきなり雰囲気が変わった。
「よーし、E組の皆よ。良くぞここに来てくれた」
その雰囲気の変わり方に驚く僕らを尻目に言葉を続ける提督。
「本当だったら教師役だけに収めたかったんだけどな。いかんせん内閣府がうるさくてな。軍の消耗率はーとか言い始めて本当煩かくてな。この様に折れざるを得なかったんだ」
そう言い切った。
「という事は…俺たちは前線に出なくて良い…?」
誰が発したであろう。多分岡島くんだったと思う。
その言葉を聞くとみんなの緊張が一気に緩むのを感じた。
「おーっと、気を緩めるのはまだ早いぞ」
提督の一言でまた気持ちが締め直す様に引き締まった声を出す。
「そうは言っても軍事教練と若い艦達の教育はやってもらうからな。明日からそのつもりで居るように」
そう締めた。
その声は希望であり、僕たちの前の一本道であった。
「はい!!!」
そう応えて、敬礼をした。
―悲劇の幕は上がった。