え、あたしが話しするの?…ああ、飛鷹が体調崩しているのか。こればっかりあたしもどうにもならないし、アレでさえ、結局あたし達の反抗心を削ぐっていう計画であったら、十二分効いてるし。戦艦勢で話しかけやすい人達、日向さんくらいだろ?もう悲しみと憤りで情緒不安定になっているし。かく言うあたしも薬飲まないと寝られなくなったよ。みーんな死んじゃったものね。の割には元気そう?お酒飲んでも酔えなくなっちゃったから飲んで無いのよ。酔ったらみんなの顔を思い出して、お酒の気分じゃなくなっちゃう。
あの幕府なんて時間遅れのバタ臭い政治体制を復活させようとしているの、本当はもう、深海棲艦との戦いに全く興味無いんだろうな。そうだろうな。今上の命を握れたんだもの、もう権力の使い放題でしょ。自分の権力を作るのに夢中になっている。あと東京という都市に対してルサンチマンを抱えているな。ありゃ、幕府を復活だー!みたいな事言って京都か大阪に作るでしょ。そうして強権をもって日本を…、畜生!なんで前の戦で功績を上げずに中立という名の傍観していた野郎があんなでかい顔してられるんだ!消耗したあの人達を追い出して乗っ取ったアイツが憎い!どの面さげて、あたし達に「死んでこい」なんか言えるんだ!宇田川提督はそんな中でもそういう命令を取り下げようと動いていたのに!畜生!…………ハァ…ハァ…ハァ…、ごめん。…青葉、帰ってくれないか。とにかく、とにかく!
朝礼に参加するのは億劫である。
俺は中学まではそういうのには基本参加しなかった。中学3年のあの忘れられない1年で、俺は朝礼を出ないという決断をしなくなった。だが、朝はそんなに強くないので、やっぱりどうしても億劫な物になってしまっている。
(・・・こういう時に起こしてくれる人が欲しいなぁ)
艦娘とE組での朝礼、小学生相当の駆逐艦が集中出来るように短めにしているらしいが、俺にとってはそれでも退屈に近い。
「我々はこれから戦略展開をすべく、作戦の立案を行う。鍛錬を絶やさず…」
そう提督が言いかけた瞬間、俺の後ろから音が聞こえた。
「奥田さん!」
片岡さんの声が聞こえる。その一瞬に自分の身体が目覚めるのを感じた。
…気づいたら彼女を介抱していた。
顔色が鈍色のような暗さで、目の下は真っ黒であり、睡眠不足なのは明らかであった。
「保健室、連れていくよ」
片岡さんは驚いて「へぇッ!?」みたいな素頓狂な声を出したけど、すぐに元に戻り、
「私も連れ添うわ」
と言った。責任感が非常に強い彼女らしい声だった。拒む必要は無かった。
「おーう、E組の子たちだな、もうベッドの準備は出来ている。彼女を休ませなさい」
そう医師の横野駿(よこの・はやお)は言った。艦娘やこの鎮守府で働くひとへの医療は全て彼とあと3人、桜庭成美(さくらば・なるみ)、永島多尾(ながしま・たお)、藤村英美(ふじむら・えいみ)の女医たちが支えている。その内、防衛医科大学校の出身は横野と永島のみで桜庭と藤村は外部からの招聘らしい。という事は、横野さんは俺たちより尉官は最低でも上である。
「はい、ありがとうございます!」
誰が俺たちを見ているのか分からない。普段は勤勉で実直のつもりで過ごしておきたい。そう思いながら奥田さんを下りるように促した。背中の感覚で意識を取り戻しているのに俺は気づいていた。
「カルマくん、ありがとう」
そう言い、迷彩服のまま布団にはいった。
「…で、寝不足になった原因は?」
横野医師が聞いてきた。まぁ医師として聞かざるを得ないよなぁ。表情にはどこかで体験した「見る」表情に似ていた。
「私…海上女性職員研究所で研究の手伝いがほとんどで艦娘さん達の教育は免除されていたので、身体動かさなかったし、研究所はまだ人員不足で特に化学は定時に帰れない時があるほど、凄く忙しく、身体も脳も夜を忍んで筋トレしながら勉強していたのです」
「なるほど…。それで奥田さんは毎日…」
横野医師は怒るわけでもなく呆れるでもなく真摯な顔つきだった。
「私は研究所員みたいに扱われて、みんなと一緒じゃなくて朝から皆が寝ている夜までずっと研究所で、みんなに置き去りにされそうで…」
そう聞いて、俺は彼女の孤独な心に痛みを感じた。
(誰も寄り添ってくれなかったんだな)
と言ってもまだここに来て一週間である。ここまで消耗しているのは相当である。と、思っていたら、医務室の片引戸が開かれた。そこには山口海将補と海上女性職員研究所の小山田義臣所長の姿であった。山口海将補は怒り気味で小山田所長を見ていた。
「あのさぁ、幾ら彼女の能力が高いとは言っても18歳だぞ、博士号も持ってないのに最初から研究を投げて残業させるの、アカハラかよ…。人が少ないからってそういう事するのやめろよ…」
山口海将補がタメ口である。いつもの調子から崩れている。怒りと呆れの声であった。
「す、すいません…本当みんな近々の研究で手一杯で…」
年下である山口海将補にズケズケ言われているのは、小山田所長である。一応仮の、らしいが、本来の所長は別の仕事があり、秋にならないと就任出来ないそうだ。提督とは知り合いというかいわゆる「近所のオタクなお兄ちゃん」だったらしく、自作PCやアニメなど色々と教えてくれたらしい。こう見えても研究者としてはそれなりの貫目があるらしいが、とてもそうとは思えない。まぁそりゃあ、身長も山口海将補の方が10cmくらい小さいのもあるだろう。そんな人間が小さくてその上で年下の人間に詰られて背中を丸めてみると威厳の欠片もない。身長の高い人間はこの辺、態度を弱くすると尚更弱く見えてしまう。
「竹林くんの方はきちんと防衛医科大学校まで遠距離通学して、一週間をこなしたのと天と地との違いですよ。本当」
俺たちが居るのに気づいたからか、山口海将補は丁寧語に変えた。そして、奥田さんに近づいて頭を下げた。
「申し訳ない。監督不行き届きだった」
山口海将補はぴっちりと最敬礼をしながら言った。続いて小山田所長も頭を下げる。その姿を見ると奥田さんを追い詰めた研究所に対する怒りが薄まり、少しからかってやろうと思った。
「へーぇ…そんな謝罪だけで良いのかなー」
「え?」
小山田所長は理解が出来てない返事をしている。
「今から週刊誌の会社に徴兵した事とかブラック労働してたってバラしちゃおうかなって…」
「また碌でもない事考えている…」
片岡さんが俺の性格を思い出したような顔しながら呆れている。奥田さんがその事を聞いて慌て始めた。
「え、そ、それはマズイんじゃないですか…?」
(…まあ通用しないだろうけど、脅すだけ脅そう)
言葉遊びをしかけても山口海将補には通用しない。なんでもない顔になんでもない表情。野球では情熱を見せ、訓練場では鷹揚さを見せた。その脅しをどう捉えるか。
「それは無いだろ?なんだかんだお前はE組の事を大切に思っている。彼らの意見なしでは動かそうとも思わないだろう」
(鷹揚さが有りながら、冷徹さがある)
「きちんと俺らが居るうちは悪いようにはしない。あまり我々を試さない事だな」
(…提督は威厳がありそうで、意外とフランクであり、山口海将補はフランクなようでいて冷徹。その辺の解釈を間違えると、えらい目に遭いそうだ)
「…奥田さん」
俺は奥田さんに対して話しかけた。
「俺たちも奥田さんの悩みに気づけなかったことを謝らなきゃいけないな」
「そうね」
俺たちE組は誰かに踏みつけられた記憶を共通の記憶としている。その黒い情念が俺たちを後ろに向かわせずに前へ挑み続けたモノなのである。それが他人に踏みつけられている仲間に気付かなかったなんか、凄くカッコ悪い話である。
「ちゃんと俺も気づいてやれなかった。スマン」
「ごめんなさい」
奥田さんは頭を下げた俺を見ていた。と思ったら顔を一気に真っ赤にして、布団の中へ潜り込んでしまう。
「そ、それ程でも~!!!」
布団の中に入り込みながら焦ったような、俺は一瞬、理解できなかった。
奥田さんを見て、横野医師は言った。
「ははぁん、さては頭下げる赤羽くんに惚れたなぁ?」
そう言いながら、横野医師は顔を崩した。ニヤニヤと見る。奥田さんが…俺に…?
「またそんな下世話な…。カルマくんもなんか言ってあげて」
と、そういうデリカシーの無い発言が嫌いな片岡さんが俺に反論させようとしている。だが、俺は頭の中が整理出来ていない。…奥田さんは友達だと思っていた。俺のような人間に臆さず、怯まず、自分の意見をぶつけられる。芯の強い娘だと思っていた。だが、そんな娘が俺を…?
徴兵されてからの今までの事を思い出す。確かに奥田さんが俺に話しかけてきた機会が結構多い気がする。そうか、俺はずっと見られていたのか。中学3年生から今まで。大淀さんを見て何故か心が動いたのは彼女の事を思い出したからか。
「…そっか、そうだったんだな」
膝立ちで奥田さんとの山口海将補の顔が更に真に迫る顔になる。小山田所長は何がなんだか分からずに俺と奥田さんを交互に見ている。
…きちんと自分でケリをつけなければならない。今までの自分を殺して。
「奥田さん」
俺は返事を聞かず、布団を剥がした。迷彩服を着た迷える子羊が居た。
「はい…」
消え入りそうな声をしていた。顔は真っ赤である。
―これからの俺たち二人の未来を想像する。俺はこの仕事が終わったあと、大学を経て官僚になるであろう。彼女は違う大学に行くことが決まっている。そして彼女は間違いなく大学院に行き、研究者の道という彼女にとって、シンデレラのガラスの靴のようである。そうなってしまうと互いに互いを干渉しあう、恋人という関係は果てしなく維持が難しい。
「……俺たちが付き合っても、幸せな未来を築けるとは限らないよ?」
「……カルマくん」
片岡さんは磯貝と付き合っている。高校では二人でのんびり出来なかったみたいで、部屋でいちゃついているとの専らの噂だ。大学で分かれようと近い道だからまたどこかで交われる。
俺たちはああはなれない。自らの道は全く違う方向で、その先にお互いに良い人が居るはずなのだ。
「分かっています!」
奥田さんが大きな声で叫んだ。
「私は研究者!カルマくんは官僚!行きたい道は交わらないって!」
奥田さんは涙を流している。お互いに考える事は同じである。頭では分かりきって居るのだ。この恋は実らない。段々と会えなくなり、冷めていく恋愛であると。
「奥田さん、落ち着こう!私と話をしよう!」
片岡さんは奥田さんに抱きついた。女性だから出来る業である。奥田さんを抱きしめながら、片岡さんは言った。
「すいません、私が女同士で話をしますので、一度出ていってもらえますか」
「分かった」
山口海将補は短く了承した。確かに男には分からない話なのかもしれない。
「えっ良いのですか?暴れたりしません?」
小山田所長が異議の声が出た。完全に女性のコミュニケーションが分かっていない。
「小山田所長、あんた女性と付き合った事ないでしょ」
「な、何故それを!?」
心の中で大きく嘆息する。
「山口海将補、とりあえずこの所長連れて外出ましょう」
「…そうだな」
「俺は隣の診察室に居る事にします」
横野医師はそう言って診察室に帰り、医務室は片岡さんと奥田さんだけになった。小山田所長はやっと理解出来たのか、犬が怯えたような姿で俺たちと一緒に外へ出た。
…外には提督と渚と艦娘が二人居た。飛鷹と隼鷹という名前だったか。
「…なんかあったみたいだな」
提督は静かに口を開く。山口海将補が報告する為、人払いされた。残りの隼鷹、飛鷹と小山田所長と渚と俺だけになる。
「カルマ、なんか元気ないけど、片岡さんや奥田さんと何かあったの?」
渚は心配そうに聞いてきた。
「うーん、奥田さんが俺に好意を持っているらしくて、その時ちょっと取り乱したから片岡さんに見てもらってる」
渚は他のE組と違って口は堅い。とは言え、丸ごと100%ありのままを伝えるか、それは流石に逡巡した。
「…二人とも行きたい道があるからだね」
渚も分かっている。友達同士としての間柄は有名だったが、どちらかが恋心を抱くのもありえる話であったから特に驚きもしない。そして二人が描きたい未来の交わらなさも分かりきっていた。
「なんだ、なんだ~?青春の話か~?」
隼鷹さんが話しかけてきた。お酒が大好きな豪放磊落な艦娘である。仕事している時はお酒を一切飲まないらしく、正直意外に思ってしまう程、休みはお酒を飲んでいる。そして絡み酒をする。女の福島正則みたいだな。
「……」
「二人ともなにその目…そんなに隼鷹さんが信頼出来ないかぁ」
「あんたを通すと碌でもないって思われているのでしょ。実際その通りだし」
そう声を上げたのは姉のようでいて妹でもあるという姉妹艦と呼ぶには複雑な関係の飛鷹さんが声をあげる。実際二人とも同い年であったらしく、気のおけない関係って言うのはこういう関係なのであろう。
「そんな~隼鷹さん大ショックだよ~」
そう言って飛鷹さんの胸に頬をつけて、芝居臭く泣く。自分に課されている評価をも分かりきった演技。その隠し刀は見破れない人間に無能さに安堵させるだろう。小山田所長なんかはもしかしたら隠し刀を理解出来てないかもしれない。
「あはは…。隼鷹さんは本当喜怒哀楽はっきりしているなぁ」
渚が困惑しながら二人の丁々発止を見ている。見ている限り彼女たちは良いところのお嬢様であるから恋愛経験はそこまで多くないはずだ。今は提督と身体関係を持っているらしいが…。
「ま、箱入り娘のオネエサン達よりは俺のほうが恋愛していると思うし、正直彼氏が居る片岡さんの方が今は良いかな」
「……」
小山田所長は黙っていた。目の前に見えない壁があって話に入れない。自分の居場所が無い、そんな感じに見えた。自分の頭にリフレインしていったものがある。
「あの、」
「義臣さん、本当感情表現苦手というか、コミュニケーション苦手だよな」
隼鷹が俺の声掛けを遮る。
「ほっとけ、俺は女の子にも惚れられず、研究から脱落した落伍者だよ」
そう言って所長はそばにある来客用の椅子に腰掛ける。
「良いんじゃない?提督が言ってたけど、こき使うところだったんだろー?正直言って日本の過多なコミュニケーション重視は良くないわ」
隼鷹さんはそうやって小山田所長の前に立った。諭すような口調で軽い言葉を使う。そのちぐはぐさがあるのに違和感が無かった。
「だけど」
小山田所長は力強く言った。
「秋には本来の所長が来る。あくまでつなぎだけど、それでも社会へ戻してくれた信悟の期待は裏切れない。だから俺も反省したい」
その言葉は心から出た言葉であった。不器用だけど一途だな、と思える言葉だった。
「カルマ」
提督が後ろに来ていた。
「提督、話し合いは終わったの?」
そう俺は問いかけた。
「ああ、お前に用件が有って、ここまで来たんだ」
「…何の用?」
なんか良い予感がしない。
「お前らを大臣全員の前に見せに行くっていう任務だ」
「…なんで俺と渚が選ばれたの?磯貝とか片岡さんの方が向いてそうだけど?」
悪い予感は的中した。総理大臣も他の大臣も居る前に立つという、二度と無いイベントだが、俺たちに目をつけた犯人が大臣の誰かかもしれない。その可能性を考えると俺らの殆どは上手く行っている情報を与える事になる。
「お前ら宇宙行っただろ。その件で目を付けられているんだ」
「あーそれかぁ…」
俺たちは納得した。宇宙体験は政治家ですら体験していない。二重の意味で俺たちは丸裸にされるのであろう。
(断れる可能性は…無いな)
国会では自衛隊を新日本軍にするべく、憲法改正や法整備が進められている。深海棲艦が陸上を占領していることが確実に分かった今、今まで自衛隊に与えられていた「防衛戦」だけでは、「自衛隊」という名前は逆に枷になってしまう事があきらかになったからだ。
(俺たちを兵として集めたのはその内意がきっかけだろう)
…で、俺たちは何故ここに居るのかを明らかにする必要があった。これから自分たちは「深海棲艦達と戦う魁」になるのか。それとも「功績を一切明かさない謎の部隊」にされるのか。
「分かりました。いつ伺うのですか」
敬語を使う。ここからは公式の場に出ることを意識しなければいけない。流石にタメ語はまずい。
「明日の火曜日だな」
「…早いですね」
「正直、霞が関は避けたかった。俺らに干渉してくる省庁は幾つもある。結果なんて幾つも出してきたのだが、どうにかケチを付けてくる可能性がある」
提督の弟は内閣府の若手の官僚である。山口海将補は彼と二人で政治家へのロビー活動や鎮守府で必要なものを決めて予算に入れる折衝を続けていた。
他にも祖父が政治家の艦娘、野党の党首が叔母の艦娘。その様なバックボーンがある艦娘も政治家との折衝や交渉に役に立った。
現在の日本とアメリカとの間を繋ぐのは北側周りだけである。制空権も完全では無い上、深海棲艦が占領している島があるため、軽巡洋艦以下の艦娘の任務はその航路の安全を守るのが大半である。中華人民共和国はここに来て完全に悪夢であろう。追い出した政体の違う国の方に艦娘が居て、自分たちには艦娘の恩恵をもたらさないと分かったからだ。かといって周辺諸国に頭を下げるというのは出来るだけ避けたい。幸いにもフィリピン付近で日本とアメリカが深海棲艦を防げているので、最悪の事態を防げているという綱渡りを続けている。台湾(中華民国)は数人程度の艦娘が輩出されたらしく、シーレーンを守る為の訓練をしているらしい。東南アジアはタイがアメリカ、日本の庇護を、ベトナムは中国の庇護をそれぞれ受けている。タイにも艦娘が居る可能性は限りなく高いが現在はまだ発見には至っていないらしい。
日本の目標としては奪われた東南アジア、オセアニアの奪還、深海棲艦の拠点になったシンガポール、スリランカとソロモン海、珊瑚海の奪還をアメリカと作戦しているそうだ。
「提督さんの苦しい立場は分かりました」
渚が口を開く。多分俺と同じ考えであろう。
「取り敢えず、一回皆と話し合いたいと思います」
同じ考えであった。
「まあ、拒否出来る立場じゃないことは分かるので、ここだけで勝手に決めないようにしたいのです」
「分かった」
提督は躊躇いなく返事をした。
警察と内閣府…、はぁ。後ろの人達も立派な体格をしていますねぇ…。
柳沢さんの事ですよね。はい、あの人の症状も聞いています。全神経に不可逆な損傷があり、自分で寝返りすら出来ないのです。そんな人間がこの施設から逃げ出すのが驚きです。誰かが連れ去ったとしか思えないですが、生命維持装置ごと持っていったみたいですし、相当な人数と医療知識を持った人が、はぁ。連れ去ったんだと思います。まぁ入院していたのが一階だったんで、やりようがあったでしょうが。
はぁ、怪しい人ですか?誰にも慕われてなかったみたいで、誰もあの人に面会するような人なんかいないですよ。喋ることも出来ないですし、彼のお父さん、お母さんですらウチの受付までしか来ませんでしたし。
…これで大丈夫ですか?私、本当何も知らないのです。4年前の殺先生、でしたっけ?の騒動の関係者で優秀な学者だったくらいしか知らないんです。同僚のみんなも彼の酷すぎる惨状を見て、彼がどこから来たのかも知りたがらなかったですし。
え、この介護施設の内部に詳しすぎる?はぁ、確かにそうですね。前に見慣れない誰かに施設の中に誰かを入れなかったか?はぁ、一応は毎月医療機器のメーカーはメンテナンスに来て、色々と調べていますけど。あっそういえば日本人から外人さんに変わりましたね。確か白人だったと思います。
俺と渚はみんなを集めた。
「ふーむ…」
クラス一同は考えに沈んだ声をだす。
防衛庁や自衛隊の上層部は確かに何度も会った。二つの組織の迷いや悩みが見えた。そこを見ると間違いなく躊躇っているし、提督の言葉はその流れを受けている。
「なんというか、私達を使ってやりたいことがはっきり見えないね」
不破さんが口を開いた。
そうなのである。鎮守府に入らせたのが予想通りであったなら、このお目通しは予想通りだったのか、だとしたら「見ているぞ」というメッセージなのか。それにしてもなんというか、目論見としての精度が弱すぎる。
「もしかして、そこまで強い権限を持つ人間じゃない…?」
磯貝は一つの仮説を出す。
「いや、もしかしたらこういう事をする仲間が少ない可能性もあるぞ」
「おっ寺坂の割にいい線行ってるじゃん」
俺は寺坂に茶々を入れた。俺もその線を考えていた。民主主義の政治家は一人では超越者になれないのである。鎮守府をどうにかしたいという目的で上手く俺たち入れ込んだが、一人でやっているせいで上手くそこから俺たちを動かせる手段が思いつかないし、思いついてもそれをやれる人間が居ないのである。
「そうだとすると、大臣の中に居るのか、大臣じゃなくて副大臣か政務官か…」
だとするなら、総理に近い派閥の大臣の可能性が高い。現在の内閣は前総理が関東大空襲で被災し、死亡した後の内閣である。前内閣の中でも空襲で何名かが亡くなったが、何事もなかったかのように丁寧に政策を推し進めている。
「ということは首相に近い藤本派の誰かかぁ」
と言っても藤本派は主流じゃない派閥である。衆参の議員合わせて14名しか居ない。首相の位置に据えられたのは当時関東大空襲で複数名の死亡者を出した安藤派の重鎮であった大淀さんの祖父で夏田仁三郎の推挙であった。政治スタンスも全く違う派閥であったが日本自由党には良くある事であった。
「うーん祖父も藤本派の事について詳しく話してくれないのですよね」
「推薦したから利敵行為はしない、か。流石80過ぎても現役大臣やっているだけある」
話に夢中だったのもあったが、ドアは閉まっていたはずなのに、音をたてずにここまで近づくとは…!
「提督と大淀さん…!」
「スマンスマン、重要な知らせと彼女達を送ってきたんだ」
と、提督が後ろに片岡さんと奥田さんが居た。
「奥田さん」
あれから2.3時間経っている。顔の黒さはまだ取れていないが短く眠りはしたのであろう。片岡さんは奥田さんに意志を任せたのか、顔は冷静さがある。
「あの件は後回しに。今はこの話し合いに参加したいって」
そうか奥田さんもE組でありたいんだな…。
「ところで知らせってなんスか?」
村松が聞いた。提督の前で言葉を崩すのをやめろと指示しているのに、提督に対して崩した物言いになっている。
「柳沢誇太郎が介護施設から居なくなった」
「!」
何だと・・・。
「それって、」
磯貝がその事実に対する疑義を挟む。そうだ。アイツはもう再起不能のはずだ。監視すら付く意味が無いほどの神経に深刻なダメージ。4年前に殺せんせーの最後のビームにふっ飛ばされ、反物質を神経に張り巡らせた柳沢はビームの壁に突っ込み、反物質の消滅を持って全神経が大きなダメージを被った。もう寝返りすら打てないのだ。
「ああ。恐らく誰かが手引きしたのだろう」
提督は言った。苦々しい顔をしていた。顔の火傷の痕を含めるとかなりの威圧感を感じた。
「…手引きした人間に心当たりがあるか?」
提督は聞いてきた。俺たちは首を横にふる。
「そうか、そこまでする人間自体、あり得ないよな。正直な話、お前らへの敵愾心を持つ者を無理やり引っ張った感じがする」
提督は顎の下に手を添える。考える時の癖であろう。
「それとも別の意図があるのか…?科学者を確保したかった。でもあそこまでの怪我だぞ、艦娘の身体でも手に入れる気か?適正が無い人間を艦娘に出来る術はこの世界で一番研究している明石がそういう術は無いって言っていたが…」
提督は思考実験するが、傍から見る俺らからしても壁が何枚かある事が分かる。
「それとも奥田さんや竹林くんに託された、殺せんせーの触手狙いか?そんな事は無いな。あれは明石の目にすら通していない。俺と大和にしか開けられない金庫の中だ」
提督達と艦娘と俺達が事務作業をする部屋があるが、提督の席の後ろにいつの時代に作られたのか分からないレベルの古い金庫がある。俺たちの機密資料はそこに入っているらしい。木で出来た鍵を二人で2ヶ月毎に作り変える代物だそうだ。
「…で、それを知っているのは艦娘の殆どを除く海上女性職員部の職員だけだ」
「…何名居るのですか?」
片岡さんが聞く。そんなに多くないとは聞いている。艦娘の金の動きを見せにくくさせたいからだそうだ。
「俺と山口、伊代野の両海将補含めて8人。医師や臨床心理士は数えてないぞ。そもそも許可が無ければいつも居る部屋と食堂以外は入れない様になっているからな」
少ない…。その上ここは海上女性職員部以外の職員と口が堅い人間として指名された陸上自衛隊の護衛部隊と警察職員を入れない代わりに抜き打ちで公安部の監査を許しているくらいだと聞く。
「公安部が漏れた可能性は…?」
不破さんが聞いた。
「あそこは一応、筋目を守るしなぁ。というか公安部がそれやったならもう騒ぎになると思うぞ」
提督はそう否定した。
「まあ一つ、分かっている事実としては、この地球上でお前らを最も憎んでいるのは柳沢誇太郎、以上は居ないだろうな、まあ鷹岡明も居るが、あいつは未だ監視下だからな。お前らに危害を加えはしないだろう」
提督はそう言った。…この時の俺はこの人が何かを隠しているように見えた。何故かは分からない。と言ってもその直感は根拠が無さすぎてはぐらかされるだけだと感じた。
「とりあえず俺が言えるのは一人で外出するのはリスクが高い。しばらく外出する時は3名以上の行動でお願いしたい。竹林くんの護衛はもっと厳重にする必要もありそうだ」
「わ、私はどうなるのでしょう?」
奥田さんが聞いてきた。
「とりあえず明石と夕張の下で補佐してくれ。力作業もあるから、少しずつ体力をつけていって行こう」
艦娘ならきちんとコントロール下に置いておけるという事であろう。俺も暇があれば工廠には行けそうで良い判断だと思う。
「それと、赤羽」
「なんですか?」
そう返事したら、提督が近づいてきて身体のずっしと両手で掴まれた。提督はとても深刻そうな顔をしている。
「お前、奥田さんの想いを知ったのだろう?」
「…それが何か」
俺は提督と一番近い身長だがそれでも筋骨のたくましさは提督の方が勝る。だからここまで顔を近づかせてくるのは中々の威圧感だ。
「お前はロジックで相手の愛を否定したが、感情の一つである恋は理論じゃない。どうしても不合理な事もある」
「…」
「…だから、ここに居る内は恋人になってあげても良くないか?」
「…」
「気持ちとは変わりゆくものでも、ずっと持ち続ける事でもある。ここに居る間だけでも彼女の願いを受け入れても良いのでは無いか?」
…提督は今まで居る鎮守府の人の中で最もさっきの事を深刻に抱いていた。と言っても自分たちが決めることであり、この人に言われる筋合いは無かった。だがそれ以上にどうも気になる事があった。
「提督は恋で後悔した事があるの?」
どうしても俺の翻意を望む姿に自分を鏡にしているように見えた。
「さぁな。お前が2年でここを出るつもりなら、聞かない方が良い」
それは、俺には負えない物である事があると分かった。分かったが、疑問が確かに有った。
「それってどういう事ですか?」
茅野さんが声を上げた。兵役義務以上の物があるのかという当然の疑問である。
「俺には限られた人にしか知られてない秘密がある」
…………………………………………。
「それはこの世界の構造を脅かすほどの重要な物だ」
…………………………………………は?
全くもって理解が出来ない。なんで恋人に対する後悔が世界に直結するのか。論理のボールが飛び上がったら、宇宙まで行ってしまったレベルである。
みんなも完全にいきなりの言葉の重さに沈黙している。当たり前だ。こんなある意味「強い」言葉が出てくるとは誰も思わなかったであろう。
「それを知ってしまったら?」
三村が絞り出すように言った。沈黙に耐えられなかったのであろう。カメラを持つ手に汗が滲んでいる。
「うーん、秘密が漏れないようにこの戦争まで兵士として戦うようになるかな。場合によっては全員メンバーがバラバラに陸上自衛隊に行くことになるかもしれない」
…有期刑が無期刑になる訳か。まあ殺される訳では無いらしい。
「…提督、その秘密とは、この深海棲艦との戦争にも繋がること、なんですね。だから自分もこうやって鍵の入った部屋に自分を入れた、表向きは艦娘の一番上で統率すること。それで自らの秘密を隠そうとした」
渚が喋った。…なるほど、あそこまでの防諜の警戒は艦娘もさながら、提督自身の秘密をなるべく外に漏らさないようにした訳だな。
「ああ、そうだ。だからお前らにとって俺自身はパンドラの箱な事を自覚した方がいい。好奇心は猫を殺す」
と提督は言った。提督の秘密は殺せんせーの時の秘密のように殺せんせーを殺すような手段では開かない。そんな気がした。
(…防護の車が5台居る)
昨日の提督の「告白」が頭から離れない。僕とカルマと飛鷹さんと隼鷹さん、提督と伊代野海将補と共に政府の車に乗っていた。運転は伊代野さんである。
「普通こういうのって運転士が居ると思うのですが…」
僕はこの居心地の悪さに絶えきれず、口を開いた。
「今更だけど、鎮守府は秘密主義だから」
飛鷹さんが口を開く。昨日の事は知らないのか、常套句の如く言う。
「大丈夫大丈夫、あの3人とも運転は上手いから!」
隼鷹さんが炭酸水を飲みながらケタケタ笑っている。二人ともスーツだ。
(運転士すら雇わない。秘密主義を貫くのは大変だな…)
陸上自衛隊の1/2tトラックすら使わない。普通の三菱・デリカD:5である。
(まあ周囲をクラウンで囲んでいるから、わかる人にはわかるだろうな…)
カルマは寝ている。昨日は悩みすぎて寝られなかったのであろう。
「あはは、まぁ国会議事堂に着く前に起こせば良いさ!」
「自分完璧!みたいな子だと思っていたけど、こういう顔もするのね」
隼鷹さんと飛鷹さんが口々に言う。
(近所のおばさんみたいだな)
「そこまでにしておけ」
「提督!失礼しました」
「はーい、分かりました」
提督が二人を注意する。あの告白の意味をずっと考え続けていた。この世界を脅かす秘密をあの人が握っているという事態がなんというか途方もない物であった。
殺せんせーも自分の命が世界の趨勢を握っていたが、提督は何を隠しているのであろう。佇まいは静か、だけどたまに喋る時は色んなこと面白おかしく喋り、真面目な時はきちんと締める。そのギャップが面白い提督であるが、そんな人の秘密ってなんだろう?どうしても分からない。
「…提督。これから会う内閣の大臣の人たちで僕たちの徴兵する事を思いついた人は居るのですか?」
昨日のことで頭が一杯だったが、そろそろ頭を切り替えないと。これから出会う人たちは曲がりなりにもこの日本を統べる人たちであり、自分たちを陰謀で追いやった人間が含まれているのだ。
「…うーん、先ず今の内閣全員って言えるよな?ちょっと言ってみろ」
「えーと、内閣総理大臣 手塚 勘助、副総理兼厚生労働大臣が藤本 六郎、総務省が神鳥 親長、法務省が石森 彪太郎、外務省が福籠 溜(ふくごおり たまる)…」
「財務省が鷺沼 裕彦、文科省は鴨志田 和正、農水省は阿野 葉留彦、経産省が大淀さんの祖父である夏田 仁三郎、国土交通省が青山 孔明、環境省が川原 江奈で防衛省の大臣は俺たちが会った掛巣 長之だな」
「カルマ起きてたの!?」
驚いた。あんな感じだとぐっすり寝たものだと思っていた。
「まだガキ扱いかよ。兵士でもハードな任務はある。ちゃんと寝られなかった時はちゃんと埋め合わせないと失格だぞ」
僕の髪の毛を抜こうとするカルマ。坊主をしなくて良いという提督のお達しから伸ばし始めてうっすらになった髪の毛である。
体格の差が有りすぎてあっさり上をとられてしまう。
「髪の毛引っ張るのをやめて、痛い、痛いって」
軽空母二人はその様を見ている。
「ここまで人畜無害に見えるのは凄いわね…」
「まあウチで言う神通や羽黒、潮の類だろうけど、彼はそれ以上だな」
…なるほど。きちんと話すことで分析もしている訳か。
(それでも、敵意があるわけじゃないか)
純粋な興味の下なのであろう。戦艦や空母、重巡洋艦は普段護衛任務に出ない代わりに事務仕事や軽巡洋艦や駆逐艦(水雷戦隊)を世話やカバーする事が仕事なのである。前回の野球の試合も見ていたのも水雷戦隊が中心で残りの伊代野さんが提督代理をして、大型艦がそれを支えていた。
「強さなんて条件下で容易く変わるのよ」
運転手の伊代野海将補が口を開く。
「私は水の上で戦えないけど、陸上では艦娘にも引けを取らない、そういう物です」
…鎮守府の3人は全員武道を使える。自衛官なら当たり前だが、ここまでの強さで陸上自衛隊に行かないのは珍しいらしい。
槍の宇田川、柔術の山口、剣の伊代野。銃の四方田。と呼ばれていた。4人目の四方田さんは生きていたら鎮守府に誘ったであろうと言われる存在であったが、深海棲艦を艦娘無しで食い止めるための戦いにおいて命を落としたとの事だった。
(そっか…提督と伊代野海将補は艦娘の来ない絶望の中で戦っていたのかな)
そう思いながら、昨日の言葉を思い出した。
(ん…いや、待てよ、提督は艦娘が来ることが分かっていたのか?)
深海棲艦に関わる彼の過去とはなんであろうか。…提督が深海棲艦を生み出した?
いや、それだったら政府にとって危険者として扱われ、そもそも提督になれて居ないであろう。それに深海棲艦が殺せんせーの騒動の時に何故動かなかったのかが分からない。
(もうちょっと提督の過去を詳しく知る必要があるなぁ)
と思っていると国会議事堂が見えてきた。
(その前にこの試練が乗り越えなければ)
第188回定時国会が終会した後に、一ヶ月足らずに臨時国会が開かれる異様な事態になったのは、アメリカ合衆国が深海棲艦に占領された東南アジアに対する奪還戦において兵数不足に陥り、日本国に対して派兵を強く求めて来た。ここまで手塚内閣は少しずつ国内の反発した勢力に対して根気よく説得していたが、アメリカ軍はそこまで待てなかった。
一ヶ月以内の自衛隊の出兵。
兵站の確保且つ海上の安全確保の為の深海棲艦が駐留しているシンガポール艦隊の撃滅の為の艦娘の派遣、を性急に求めてきている。
鎮守府は今まで防衛を大義名分としての専守防衛を崩してこなかった。今までで最大の戦いのレイテ沖海戦もフィリピンを再奪取した国連軍を防衛する役目であった。
(アメリカの艦娘は、あんなに提督に惚れていて大丈夫だろうか、色んな意味で)
アメリカに艦娘を派遣してくれるだけ日本を大切にしている事が分かる。しかし、深海棲艦の戦いで消耗している今のアメリカ海軍には扱いきれないらしく、実質日本の艦娘の行動についていく状態になっている。日米同盟の意義を考えるとアメリカが日本の下で行動するのはまずいのでは無いか、と提督は思っているので何度も提言しているが、取り合わないらしい。
(提督に色んな責任被せて、失敗した時に蒸し返すようにしている)
そう思いながら国会の裏口にある参議院入り口に入る。警備員に一礼される。
「…」
入り口に背の高い一人の中年男性が立っていた。なんてことはない、自分たちを鎮守府送りにした防衛大臣、掛巣 長之であった。
その前に対した提督と飛鷹さんたち、カルマ、僕の5人が敬礼する。
「宇田川信悟海将、潮田一士、赤羽一士、艦娘の飛鷹隼鷹を連れてまいりました。本日はよろしくお願いいたします」
海将である提督、艦娘(戦艦空母は佐官相当)と僕たち。
「二人共様になっているじゃないか」
防衛大臣は自分の孫に話しかけるような喋り方である。
「それはどうも。ありがとうございます」
カルマはそんな防衛大臣をどう対応したら良いかが決まらなかったのか、若干引き笑いをしながら語った。提督の強烈な視線を感じる。
(あっ、カルマは後で罰走だ)
「はい、訓練もこなし、一人前となりました!」
敬礼しながら僕はそう答え、提督は満足そうな視線を送ってきた。
(ほっ…)
「艦娘代表はお前ら二人か」
飛鷹さんと隼鷹さんが呼ばれる。
「はい、海上女性職員代表として来ました」
「彼ら二人と提督の橋渡し役として努めようと思います」
先程までの二人とは思えない程、しっかりした受け答えだ。提督はそういう上下関係に厳しい。他に整理整頓してないと部屋をめちゃくちゃにしていくが、これは自衛隊員に必ずする行為らしい。それ以外は僕らにもフランクに話すし、上手く行ってない教育を見つけたら、問題点を話し、艦娘と僕たちの橋渡しをしてくれる。
「…良いだろう、内閣は色んな思惑があるところだ。気をしっかり持つのだぞ」
そう防衛大臣は付いてこいとばかりに振り返り、奥へと導く。
(色んな思惑かぁ…)
それは僕たちにとって良いことなのか、悪いことなのか。それを見極めなければいけない。
―――殺せんせーは今の僕らをどう見てくれるのかな?怒るのか、嘆くのか、それとも肯定してくれるのか。
今はまだ誰にも分からない。
うわーんうわーんうわーん。
子供の鳴き声が一帯に響き渡る。
誰の鳴き声だろうか。
ああ、自分の泣き声だ。
ここは俺の夢の中。
そしてこの夢は自分の過去の記憶だ。
小さな町に俺は生まれた。父親の顔は知らない。
祖父母もおらず母親の腕一つで育てられた俺は当然のことながら貧乏で、通っている小学校の中ではいじめの対象として見られていた。
俺は近所のガキ大将達に貧乏をからかわれ、持っていた体操着袋を取り上げられた。返してよと叫ぶ度にガキ大将達はどんどんと手毬の様に人から人へと渡っていく。
そうやって俺の体育着袋は神社にまで持っていかれる事が常であった。
あの日はいつもの通り、体育着袋を盗まれた俺は神社に棄てられた体育着を持ち帰ろうとしていた。
だが、その日はいつもの神社では無かった。いつもは閉まっている本殿。その扉が空いていた。暗い本殿の中に気配があった。気になって覗き込んだ先に「人」が居た。
「オオ、ニンゲンノ仔か。ホントウナラミツカッタナラ殺スカ逃ゲナケレバナラナイガ…」
そう言って足音を立てずに俺に近づいてきた。その瞬間にその「人」は人型の何かであり、この世のものでは無いと気づいた。
恐怖で竦む身が、その「人」の手に抉り出した目があることに気付いた。声にならない声を挙げた。逃げようとしても足が動かない。その「人」はそんな自分をあざ笑うかのように、俺の前へ立った。
そうして俺は視界を失った。
会議を室に入った僕は目線が一気に集中放火を受ける。周りの警護も隙が殆どない強者だ。
「掛巣くん、ご苦労。宇田川海将、2等海佐相当、軽空母飛鷹、隼鷹。そして1等海士相当、赤羽業、潮田渚」
こう言ったのは首相手塚勘助である。58歳。テレビを見る限りでも若々しい感じがしたが確かに40代に見える。だが、忙しいからか白髪染めがぼけて来ていて、薄墨みたいになっている。
「はっ、お招きいただきまして、恐悦至極存じます」
(思っても居ない事を話すのは大変だろうな…)
この場は提督がお世辞を言うターンである。
「お付きは隼鷹と飛鷹か」
「はっ、2等海佐相当として勤めを果たします」
隼鷹さんはいつもとは全く違う調子で話す。いつもの酒飲みらしい能天気な様子は無い。
「鷹森という苗字に名前負けしないようにしてほしい」
鷹森…?どこかで聞いたことがあるような。隼鷹さん飛鷹さん二人共の本名だろうか。
「はっ」
飛鷹さんの顔がやや険しくなった。だが、声は変わっていない。と同時に他の大臣と小さな話し声が聞こえる。だが、距離があるので一部しか聞こえない。
「…まさか、……議員に…………が居たとはね」
「しかも双子の女性に………とか」
その中途半端に聞こえる声が自分の集中力を削いでいく。飛鷹さんと隼鷹さんは政治家達にとって衝撃的な人物であったのだ。
「あの、」
そんな浮ついた雰囲気を飛鷹さんは一瞥して静かに言葉を出した。
「別に今は鷹森彩飛(たかもりあやひ)も鷹森隼子(たかもりじゅんこ)という名は今必要無いです。私たちは改装軽空母、飛鷹、隼鷹としてここに来たのです」
まるで北海道の雪原で出したような澄んだ声であった。今は8月だ。外も蝉が鳴くのを辞めるほどの酷暑である。だが、飛鷹さんの声はその暑さに打ち克つような声であった。
「私たちは自分の意思で戦う事を決めたのです。だから私たちは今ここにいる全ての人から賛成を得る戦いに来たのです。私たちはそれだけを求めます」
まだ艦娘と3週間くらいしか話し合っていない。…彼女達は装備される艤装によって勇敢さを引き出されているという。だが僕はこの山麓の澄んだ空気のような言葉を誰かによって作られている物とは思いたくなかった。この二人の人としての力であると。
「…よく分かった」
手塚総理は口を開いた。
「ただ、日本は戦いたい意思では越えられない憲法というものがあるのだ。たいていの法律は今まで一つ一つ対処、時には強引に突破していったが、憲法だけは国民投票があり、不確定性が高く、ここに至るまで出来なかった。だが、クアラルンプールやシンガポールの状況を見る限り余談は許さない。超法規的措置を行う覚悟、憲法をなるべく早く改正する必要を迫られている」
手塚総理は強く言い切った。覚悟した顔であった。
「艦娘になる事でどちらかというと戦いを好みやすくなる、がそこに至るまではきちんとした感情がある。宇田川海将、潮田一士と赤羽一士、その激情を汲んで戦いを補佐して欲しい。私としてはあなた達を艦娘の様に戦闘意欲を見せるような真似はしたくない。だが、ここに来て、自衛官の殉職は増えているのも事実だ」
手塚総理が人並みの人間で無い証明が目の前に存在する。書かれていた原稿の分ではない、下心が無い真摯な言葉が紡ぎ出された。…ここから分かる事は彼が僕たちを徴兵しようとした人間ではない事だ。だが、この内閣の人員が居る、当然この中に居るのである。だから僕らはそういった事を表に出してはいけない。探っている事を気取られたら、逃げられるか利用しに来るであろう。
「ハイ、その事は常々伺っております。先々からのこの懸案に対して作られた舞台であると」
提督は姿勢を全く崩さない。結構くだける事が多い人ではあるが、立派な自衛官はこういった表の舞台を外さない。
「分かった。それならば拝謁させなければいけない人物がいらっしゃる」
総理大臣が謙譲語じゃなくて尊敬語であることは誰に会わせるかというのが分かった。
(今上…!)
「色々と立て込み過ぎて拝謁の機会を今の今まで逃していた。英雄という言葉を海将は嫌うが、今上も海将のことを優れた軍略家として評価している。だから、おそれ多いと畏まる必要はない」
「…わかりました」
提督の声が少し震えている。落ち着き払った対応を意識している提督の声が緊張に包まれる、それは両隣に居る二人も提督程では無いが緊張の雰囲気が包む。
「なるほどな」
と唐突に総理はなにか納得した顔でつぶやいた。だが、何に得心行ったのかは口にせず、切り替わるように、提督達を促す。
「宇田川海将と伊代野海将補は私と宮内庁長官である赤松長官とそこに居る海上自衛隊の園部1等海佐、小河2等海佐と清水2等海佐の3人が付き従う」
ん…?飛鷹さんと隼鷹さんじゃないのか?ここに元から居る海上自衛隊員を最初から選んだ?じゃあ…僕たちは…?
「そこに居る四人は空いている席に座って待っていなさい」
やっぱりここで待つのか!
自分たちに目線が来ていることが分かる。
(座らせようとするのも罠だな…)
あくまで「兵士」である事を観察させるためか…。前に居る隼鷹さんや飛鷹さんは気持ちを切らしていない。
どう仕掛けてくるのか。
「ふぅむ…あくまで座られないのですな」
夏田仁三郎(なつた・にさぶろう)経済産業大臣が口を開く。大淀さんの母方の祖父である。
御年80の目に値踏みしている目。内閣最年長であり、内外の利害調整に長けている「妖怪」である。派閥には入っておらず、中立の立場にいる大臣だ。
「まぁそうでしょう。私達は躾けられていない野獣ではないので」
飛鷹さんが答える。夏田さんは片眉すら動かさない。
「深海棲艦はどういうものか、私達にも伝わっています。機械に宿る霊魂ならば倒してもまた他の取り憑くものを見つけたらまた復活してしまうのでは?」
大臣の中で唯一の女性である環境省の江原江奈(えはら・えな)が質問してきた。議員当選当時は世界で一番美しい国会議員であると取り沙汰されたアイドル議員かと思われていたが、環境大臣を選ばれる程に力を蓄えてきた。
「直接観測出来ていないので仮説止まりですが、深海棲艦は自己繁殖が出来ず、死んだ個体の蘇生も出来ないとの事。深海棲艦を生み出せるのはハワイ・オアフ島に居る中枢棲姫だけであり、人間と意思疎通出来るいわゆるネーム級の深海棲艦は彼女を厳重に守備しています。人間から改造された深海棲艦は彼女のみであり、地中深く潜っていると思われます」
隼鷹さんが淀みなく言葉をつむぐ。
「アメリカが核弾頭を使うべきか真剣に話し合いましたが、効かなかった時に残る放射能を浴びながら中枢棲姫を壊さないといけない、という点で見送りになったのは覚えています」
環境省らしく環境面の事に対してきちんと理解している。
「まぁそうなので、4年前に使われた衛星兵器をどうにか転用することも考えられています。ただ、生きて人格がある機械という点とそれを結びつけるのが霊というオカルトの思想ですから、私達の艤装以外に強力で彼らに打撃を与えられる攻撃手段があるのかははっきり分かっていません」
隼鷹さんは現状の確実である情報を並べる。それはもう何度も咀嚼された情報であった。
「他にも歴史のある銘刀を使ってダメージを与えたという例が少数ながら存在します。ただその説はどこからが当てはまるのかが全く不明であるため、検証は全く進んでいません」
これも聞いた話である。提督はこれで3回深海棲艦を殺したというが、それと引き換えに刀は粉々になってしまったという。
「良い刀が脅威だとしても、艦娘の銃弾の方がよっぽど費用対効果がある話だ。検証するのですら再現性が無い」
藤本六郎(ふじもと・ろくろう)副総理兼厚生労働省がうんざりという言葉が似合った言い方である。
「深海棲艦はオカルトなフォーマットを持つとは言え、絵に見えなさ過ぎる。異世界から来た物なのに、異世界の理はこの世界では毒性が強すぎるのが、正直頭が痛い」
手塚総理の懐刀はやれやれみたいな雰囲気だった。異世界の理…?
「藤本副総理、それは…」
真っ先に外務大臣の福籠溜(ふくろう・たまる)が制止した。派閥は別だったが、梟のマイナスイメージを打ち消すほどの人格者と聞いている。だが、外務大臣を務めている人間がそんな人格者だけでは通らないであろう。小柄でどこかにこう言ったうだつの上がらないおじさんが居るみたいな外見から、強い声が出る。
「あっ、……今の聞かなかったことにしてくれ」
自分の不覚に気づいている声であった。異世界。少し前にタイムマシンは既に完成しているが、誰もタイムマシンを使ったことによる世界の変動をはっきりとは理解できず、ほんの一部が理解しているだけだと。
それを克服した人間が居た。そういった事実は政府によって伏されている。それだけでも重要な発言である。異世界の人間は…。もしかして…。
場内は騒然としている。僕と同じ様に初めて知ったものもあるだろう。大臣は全員驚いていない。一番怪しいのはこの中な誰かであるだろう。だがここまで全く隙を見せていない。
「カルマ」
カルマに話しかける。同じことを思っていたのかやれやれと同じような事を思っていたらしい。
「もしかしたら予想以上に難しいのかもな、俺たちの仕返し」
僕たちは日本の政治家を舐めていたようだ。こういう形であれば、狼はすぐに吊るせるものだと思っていた。ところがその期待は淡く消えた。
(今の日本という混迷に覚悟が出来ているって事か…)
震災の時と違う党ではあるけど、そこまで政治家って党によって違うものなのか?
「…」
隼鷹さんも飛鷹さんも考えこんでいる。何故かは分かる。わざわざ余人が居る場所でその事を言った理由である。わざとらしくこぼしたのか?それとも本当に口を滑らせたのか?前者だとしたら、怪しいにも程がある。飛鷹さんはこう返した。
「どうもE組の二人に伏せている情報を敢えて言ったようですね。何か意図はあるのですか」
副総理に対してかなり攻めの姿勢である。
「私のミスだ。申し訳ない」
副総理が謝罪している。だが隼鷹と飛鷹さんの険は厳しくなったままだ」
「ここは記者も居ないですしねぇ。ここで漏らしても箝口令が出来る。この二人を除いて」
僕らを指さした。一瞬ドキッとしたが、何を言いたいのかが分かってきたので、そのまま黙っておく。
「まぁ異世界から来た人間を疑いたい気持ちは分かります。もしかしたらこの世界に対して恨みを募らせている可能性がある。その為のこの二人という事ですね。並々ならぬ暗殺の才能をE組で開花させ、そして片方は官僚という自分たちの世界に挑んでくる危険分子に」
隼鷹さんが言った。自分の自意識があまりに低かったことに気付く。僕の才能は僕が思っている以上に畏れられているのだ。それは提督すら騙して直接話しかけたかったのである。
(もしかしたら提督が天皇陛下と会わせたのもこの時の為って訳…?)
緊迫感が胸を震わせていく。誰が言ったか伏魔殿。提督が帰ってくるまでこれに耐えなければいけないのか。
「…それで俺たちの事を呼び出したわけか」
カルマは呆れるように、だが確実に怒りを込めた声色だ。
「カルマ!」
制止する声が出た。もしかしたら政治家を殴るかもしれない。飛鷹さんも隼鷹さんも反射的に警戒する。
「…」
最初は怒りの顔だった顔をしていたが、段々と怒気が無くなって行った。
「やめた」
呆気にとられる部屋の中。
「俺だって守りたい人が居るんだ。誰か一人殴ったら乱闘になるだろう。そしたらそこの上司が平然で居るわけじゃないだろ?それだったら犯罪者にされるだろうしね。だけど俺はそうしてはいけない。自分にはやり遂げないといけないものがあり、そんな流れには乗らないよ」
カルマ…。感情を抑えている。守りたい人が居る、か…。覚悟を決めたのであろうか。奥田さんと共に歩むことを。と思っていた所にガシャンと扉を開く音が聞こえた。
「大丈夫か!」
血相を変えた提督の大きな声が響く。天皇陛下の拝謁から戻ったようだ。総理大臣も伊代野さんや付き添いの自衛隊員の皆さんも同じく戻ってきた。
「四人共、聞かれたくない質問を聞かれたか?」
提督が聞いてきた。
「大丈夫です。そんなヤワじゃないですよ。飛鷹型もこの二人も」
隼鷹さんはそう返した。
「…そうか」
そう言って提督は僕らを見回した。
「…ふぅ。流石に本当に会わなければいけない行事であった事を利用してきたか」
提督は一緒に付いてきた総理と副総理を刺すような目で見ている。
「私は正直怒っています。きちんと私や伊代野の間を通さずに、直接E組や艦娘に尋問をするという行為に。私達に聞かれたくない事を聞きたいなら、その準備をします。問題は私が敬慕する陛下との出会いを利用したことです。それは陛下への不敬と受け取っても問題無いとも取れるのですが、そこをどうお考えを?」
宮内庁の赤松長官が早く家に帰りたい子供の様な顔をしている。自分は反対したみたいな顔をしている。
「…陛下に拝謁したかったら、鎮守府の長という職を退いてから言ってもらおうか」
副総理は吐き捨てるように言った。
「…何だと!」
提督が初めて僕らの前で怒気を顕わにした。突き刺すような空気の痺れが肌に感じる。
「提督、怒らなくて良いです。後は私が」
そう提督の肩に飛鷹さんが前に出る。
「死んだ私達の父親の影を追っているみたいだけど、私達はそんな過去なんか越えてみせる。だから私達は艦娘になったのです」
飛鷹さんは言い切った。
「…」
帰れるようになったのは夜遅くなっていた。提督は不機嫌さを隠さずに助手席から窓の外を眺めていた。
「おーい、提督そんな怒るなよ。私達が気を引いたおかげで提督やE組の二人の弾除けになったしよぉ~」
隼鷹さんが提督に話しかける。
「…いや怒っていない。が、それでも艦娘の過去をほじくり返す事を望んだ内閣はあまりにも幼稚過ぎて嫌な気分になっただけだ」
提督はそう言い顔をこっちに向ける。
夏田仁三郎の孫の大淀さん。
野党である民主啓蒙党の当主である後藤 明子の姪にあたる三隈さん。
市長の子である瑞穂さん、孫である最上さん。
親戚が政治家である艦娘は数知れず。
…そして25年前に贈賄疑惑をかけられ、議員の職を追われながらも冤罪を主張し続けるも非業の死で生涯を閉じた国会議員飛田 隼人(とびた はやと)の落とし胤である飛鷹さんと隼鷹さん。
政治家、企業トップに縁が続く艦娘は多い。そこから生まれた勉強を好む人間であることを「艦に選ばれている」という。その中で兵庫一の不良だったという摩耶さんは「重巡洋艦摩耶の好みが変わっていた」と妹の鳥海さんが冗談交じりに話していた。
…副総理の言葉は異世界の存在していること、深海棲艦が異世界から訪れた事を断言したものである。この事実を提督や艦娘が喋らなかった意味がまだ分からない。
(いや、まぁ世の中に出せる情報じゃないとは言え…)
日本人、そこまで口が堅くない。こういった全世界の敵が現れて、ここまで目立った内輪もめが起きていないだけで奇跡なのである。恐らく異世界というものの存在があってしまえば悪い方向に向かう人達が確実に存在するのである。では誰が異世界の存在が分かったのだろうか。
(そういえば、提督の過去を知ればE組を解体すると提督は言っていたなぁ)
「提督」
カルマが提督に話しかける。僕と同じ事を考えていたのか。
「…なんだ」
提督はこちらを一瞥せずに返事をした。
「提督は異世界から来た人物でしょ」
…やはり。世界秩序という言葉はこういう事であったのだろう。
「まあ分かるわな」
(さっきの時と同じくらい場が冷えている)
認めた。
(なるほど…副総理が提督を邪険にしていた理由が分かってきた)
異世界からの来訪者、それを信頼する事に対しての危惧だ。異世界への記憶を持つ者が何人居るかも分からない、そして深海棲艦は異世界からの生物。提督が提督になった事も更に疑念を持たせたのでは?それを勝利で黙らせ続けたのが提督の凄いところである。
「それでこれからどうするの?副総理がああなったのは初めてで、提督を疑っているんでしょ。多分アイツどこまでも提督達を追い詰めてきますよ」
確かに。提督は、公安部の話を考えていてもあからさまな反抗的な態度を避けていた気がする。逆に言うと今回の事件は副総理の懸念を証明させる形にさせてしまった。
「あっ、防衛大臣は提督をスタンドアロンさせないと」
あいつらをスタンドアロン(孤立)させたくないってそういう事か。
「掛巣さんそんな事言っていたのか。あの人には大きな借りがあるから、そういう事言わせたく無かった」
提督の悔悟が聞こえて来る。
「信悟」
運転をしている伊代野海将補が声を出した。
「あぁすまん。色々とお前にも迷惑をかける」
提督は伊代野海将補の方にも頭を下げた。
「言いたいことはそういう事じゃないのに…。あっそうだ信悟、陛下がお褒めになっていたわよ」
提督と伊代野海将補、普段の二人はこういうやり取りなのか…。まぁ同じ釜の飯を食っていた同士だしな。
「朕の前でも自分の大事な物を持っているのですね、と」
「そうか。嬉しいな」
と言いつつ、かなり顔が緩んでいる。提督に天皇陛下には敬慕の念を抱いていることが分かったからだ。
僕は天皇陛下について何も知らない。殺せんせーは「日本人の古代からの理想を帯びた君主」と称した。「敗戦を自分の責任と知り、マッカーサーの前で命を賭ける。もちろん彼の責任もある。だが天皇を担ぎ上げて起こった明治維新において、藩同士は派閥争いで相互不信に陥った。それはだが、その前江戸幕府の命運は完全に尽きている事も確かであり、その中で薩長の時代を変える力を持つ天皇は揺るぎないものであった」と。
(せんせーは悪とも正義とも言わなかった。ただ君主の力をもって、新しい時代の舵取りを願った人間たちの頭であったのは確かなのである)
「異世界でも天皇家は存在してたの?」
カルマが話しかけた。さっきのように提督が破顔したのは始めてである。普段の提督は気安いが笑う時でも口元で笑う程度だ。
「ノーコメントだ。それよりはっきり言うが、今日の事はしばらく黙っていろ」
「はーい」
妥当である。提督の言葉で知ったわけではなく、相手が意図的に漏らすことをここまで早くされた事に対して全く対策が出来てなかった上に、僕ら二人だけを鎮守府から抹殺または放逐するリスクの方が高いことであろう。
「…提督、結局副首相がうちに対して色々と仕掛けている相手なんですか?」
飛鷹さんが提督に話しかけている。鎮守府に明確に人間側の敵が居ることへの証明となる言葉であった。
「違うと思うわ」
運転している伊代野海将補が答えた。
「…何故?」
即答が出来ると思っていなかったのか飛鷹さんは聞き返す。
「トンネル出たところ、行き先の看板の上。3人居るわよ」
伊代野海将補が衝撃的な言葉を言った。
伊代野海将補、なぜトンネルの先が見えるのであろう。このトンネルの中は上り坂であり、その先にある看板は自分たちには視認出来ていないのである。
「なるほど、今邪魔しているやつは少なくとも政治家の前には立ちたくないわけか」
前方のクラウンが、行き先表示器から3人が武器をもって降りてくるのを見て、トンネルの出口で急停止した。必然的に自分たちの車も止まった。止まった車に提督と飛鷹、隼鷹さんが立ち上がる。
「待って、信悟!これを」
どこからか出したのか、僕の身長にも負けないような大きな刀であった。あとで聞いたが野太刀という日本で一番大きな刀であったらしい。
それを認めた3人は拳銃をこちらに突きつけてきた。
「「「止まれ」」」
クラウンから出てきた護衛が提督たちの前に立つが、3人の殺意はここからでも感じた。それを見た3人はどこからか出した花火の球に似た塊を投げつけてきた。その瞬間、提督が一気に前に飛び出していく。
「宇田川海将!」
そう叫んだ瞬間、煙が噴出してトンネルが一帯白く覆われる。
「畜生!跳ね飛ばした方が良かっただろ!」
カルマが毒づく。宇田川提督が前に行った理由が分かった。煙でトンネルの中で連携を断たれる前に3人を制圧する気だ。と直感し、提督の向かった方へ辿って行った。
「がっ、ぐわっ」
「早い…」
「ぐふっ」
おそらく提督にやられていく3人の声が聞こえる。早い。相手が攻撃する前に仕留めていく。だが、その可能性はとっくに敵は織り込み済みだ。僕なら提督が出て来た時に狙うスナイパーを用意しているはずだ。
「スナイパーに気をつけてください!」
大きな声でトンネルの向こうに声をかけた。とほぼ同時に声が聞こえる。
「全機発艦!あそこに隠れているスナイパーを攻撃せよ!」
という隼鷹さんと飛鷹さんの声が聞こえ、風が舞った。煙幕に覆われたトンネルが視界を回復させていく。
隼鷹さんも飛鷹さんもいつの間にか艦娘の服になっていた。手から日本海軍の飛行隊を召喚して出していく。スナイパーに一気に近づいた。スナイパーが持っていたナイフを振るっても、小気味よく回り的を絞らせない。そして爆撃を近距離で行い眼を封じる。その爆撃に為す術もないところをいつの間にか回り込んでいた護衛の人たちが確保した。
「私達だってちゃんと役に立つのよ?」
飛鷹さんと隼鷹さんはこっちを向きながら笑った。
「対向車線にも見られている、早く戻ろう!」
カルマが声を出した。車が止まっている情報も広まっている頃であろう。長居をして良いところでは無い。
「飛鷹、隼鷹!こいつらを拘束したから連れて撤収だ!」
「はい、了解しました!」
提督と隼鷹飛鷹の三人は気絶している男を片手で持ち上げて後ろに居た護衛に投げつけた。と、同時に走り出す。
「ほれ、渚も早く走りな」
「は、はい!」
隼鷹さんに急かされて走り出す。車の前に居た護衛の人は既に撤退を始めている。その時、気絶している中で一番恰幅のいい男のポケットから硯のような黒く四角い物体が落ちた。
「…」
提督はそれを一瞥し、ほんの僅かながら眉毛を歪ませた。…それを見て、提督はまだ何かを隠している事に気付くのであった。
今日あった事を説明し終わった時、鎮守府の時計はてっぺんを回っていた。消灯の時間はとうに過ぎている。
(疲れた)
精神的にかなり疲れている。と同時に奥田さんが気になった。
(あそこまで感情を表したのは本当に予想外だ)
…友達だと思っていた。俺は女性を愛というより打算で見ていた。性欲というものを知らないわけでは無い。ましてや自分の演じているキャラに跨ってくるような女性はいくらでも居た。…だが確かにそういった愛のない性交で満足したことも無かった。
誰も居ない渡り廊下。渚も杉野も自分の彼女を気にして先に行ってしまった。その寂しさが俺を考えの渦に至らせていた。
異世界人。そんな響きの言葉を聞けるとは。
(そりゃそうだ。今は変に受け入れているけど、時間が立ったらその重大さに飛び起きる自信がある)
口が滑ってでも言えない。クラスも状況次第で信頼に足るのかという問題に発展する可能性も否定できない。そしてそんな提督が奥田さんの感情を汲むような感情を顕わにしたこと。それは異世界に住んでいたことと関係があるのか。そして政治家に不審を抱かれている現状をどうやって挽回するのか。鎮守府は課題だらけである。
それに今回の襲撃者である。殺せんせーに送り込まれた暗殺者ですらないのでそこまで強くないはずの人間では無いことが分かる。では、何故あのタイミングで送られてきたのか。俺は考えながら一階の自動販売機で麦茶を買って側のソファーに腰を掛けた。
(煙草が吸いたい)
高校の一時期隠れて吸っていたが、目に見えて運動量が落ちてしまったので速攻やめた。だがその事実をどうでも良いと思うまで思考を深めてしまっていた。鎮守府も酒呑みは多いが、煙草吸う人は艦娘含めても少ないからか、煙草の自販機はこのあたりに無い。
(仕方ない。何か飲み物買ってから部屋に戻るか)
自販機の前に立ち、ノンカロリーのコーラを買った。…人がこっちに近づいている。
明石さんと夕張さんと、奥田さんだった。
「妖精さんは基本的には優しいけど、道理に合わないことやドライに扱う事は絶対禁物だからね」
夕張さんが喋っている。
「あっ赤羽くんじゃない」
明石さんがコーラを持つ俺に気づいた。
「どうも。奥田さんも楽しそうで何より」
俺は安心しながら奥田さん達を見ている。
「はい、明石さんも夕張さんも色々と教えて下さって、工業の基礎的な事を教えてもらいました」
昨日はゆっくり寝たのであろう。血色が段違いに良い。
「奥田さん、この二人とかんしゃく玉作ろうぜ。この人たち、そういうの得意そうだし」
いつもの様な下らない話。あの時の様な悪童(ワルガキ)に戻ったつもりで奥田さんに話しかける。
心に残る迷いを振り払おうとしている自分に気付く。奥田さんとの関係をもとに戻そうとしている。
――――それは彼女の願いを受け入れない事であった。
「ありますよ」
と、冗談半分で言ったことが真正面から受け入れてきた。
「あるの!?」
俺は驚いた。奥田さんも納得している顔だ。
「確か、戦場を離脱するための道具も色々と考えていらっしゃいましたね」
奥田さんは口を開く。
「その通り。その中にカルマくんの言うような小さな火薬で驚かせて退却するって考えたけど、近距離でしか使えないっていう欠点で没になったみたいです」
なるほど。
「で、何に決まったの?」
明石さんに聞いてみた。
「煙幕ですね。ただ発生し続ける時間がまだ想定される時間に出来なくて」
煙幕なら確かに投げつけるような事は要らない。風上に逃げていく事である程度は視覚を妨害出来る。
「研究所にその煙幕の改善を提案しなかったの?」
奥田さんが勤務していた海上女性職員研究所研究所。研究にはお誂え向きの物だが、研究所のダメなところを散々見せられた後であるから期待はしていない。
「まぁあそこ、今は艦娘の改二改装に必要なものを私の代わりに探している上に、鹵獲した深海棲艦の分析も苦戦しているみたいですし、頼みづらいのは確かなんですよね」
明石さんは頭を掻きながら言った。なるほど、『理聖』にも人間の血がしっかりと流れている。明石さんは自らを北海道松前町の地で生まれたフツーじゃない女の子だったと自らを振り返っている。
『理聖』の名は彼女の出身大学の教授が付けた名前である。数学から土木工学は愚か数学史まで対応出来る知識の広汎さと適切な意見を言える様をそう呼んだ。専門だけが優秀じゃないホンモノの天才。そしてその朗らかで和を重んじる性格も誰かの不出来さを一切責めない在り方も人間らしさがある。
「だから私達がある程度は戦闘に役に立つ兵装の研究を自分たちでしなければいけないのよね」
夕張さんは北海道夕張市に生まれた。彼女も明石さんの同じ道を辿っていた人間である。夕張市は彼女が9歳の時に破綻し、財政再生団体に入った。満足な行政サービスが出来なくなった為夕張さんの家族は一族と共に引っ越そうとした。だが当時の夕張さんは何かを感じていたのか、最後まで強固に抵抗したと言われている。引っ越した北海道にある別の土地はまた夕張さんを『理聖』として生み出そうとしていたが、彼女は大学入学前に艦娘になった。彼女もまた、理系という誰かが勝手に作り上げたテンプレートに全く当てはまらない人間であった。
「なるほどね。出来ればその火薬の球譲ってほしいな。海の上だと役立たずでも陸の上では違うし」
こういう事を考える時が俺にとって一番楽しい時間だ。堂々と戦う、という行為も嫌いでは無いが妨害や挑発、口喧嘩。それらを使うことで堂々と戦うより遥かに高い快感である。
杉野が言っていた。日本人の監督が初回でもバントをするのは何か自分が指示したというアリバイの為だと。次に良い出塁が出来るかが分からないという不安が選手を信じて待つという選択肢を取れないという。そういった理由でバントという手段が目的になってしまうのである。
(俺のこれもそういった部分は否定できない)
自分が戦いの中でイタズラを使うこと。それが目的になってないか。
(でも、やっぱり)
「良いですよ。はい」
明石さんはなんともなしに渡して来た。
「え、良いんですか…?」
奥田さんは驚きと戸惑いを隠していない。そこまであっさり渡してしまうとは彼女も思っていなかったのであろう。俺も予想外であった。
「あの人が見込んだ人間を私が信じなくてどうするんですか?」
明石さんは不思議そうな顔をしながら答えた。後ろの夕張さんも同じ表情だった。
(うおっ、提督に対する信頼度が高いってものじゃねーな。下手すると殺せんせー以上だ)
信頼を飛び抜けて信仰の部類だ。まぁ去年から今まで艦娘を発見し、艦娘を集め、深海棲艦を倒していき、戦線を押し上げてフィリピンを奪還したのだ。戦いに勝利し続けることの難しさはレイテ沖での戦闘の敗北で良く知ったであろう。だが提督はそこから立ち直り、フィリピンの完全奪還を成し遂げている。
「信頼度高いなぁ。提督だって判断を間違えることだってあるんじゃないの?」
心の底からの本音である。提督を信仰すればするほど、提督の判断に異論が出なくなる。それは軍人として欠陥を抱える事になる危険性がある。
「別に1か0かじゃないわよ。作戦担当だって今日も鎮守府で頭ずっと抱えていたしね。私達はそうやって足りない事を補い合うことが出来る。だから私達は提督を信頼するのよ」
夕張さんはそう真剣な眼で語る。強い。二人とも信念がある。提督の指す先を信じている。そして誤っていると感じたら、提督は理解すると思っている。俺等はこの心を自分のどこに秘めているのが理解できる。
「へーすごい信頼。その心の持ち方懐かしいな」
…鎮守府に提督が居たように僕らにも殺せんせーが居たのである。そして彼は自らの罪を背負って死んだのだ。
「俺等にも殺せんせーが居た。お互いに信じあった相手の心意気をもってそれをもらうとするよ」
「後で感想聞かせてね?」
何かの役に立つ、という望みを背負い、その黒色火薬は俺のものになった。
二人の艦娘は去り、奥田さんと二人きりになり階段を登っている。
「やーっと寝れる。これで明日も遅いと良いんだけどな」
凝り固まった背中を伸ばす。艦娘の人間としての信念には正直驚くものがあった。
(まぁ軽巡洋艦や駆逐艦もそういう部分はあるんだろうな、表に出さないだけで)
「奥田さん」
「はい」
奥田さんに話しかける。
「明日から部屋同じにしようか」
未来の事は分からない。恋人として今は見ることが出来なくても、もしかしたら俺の気持ちが変わるのかもしれない。それこそ提督に鉄の忠誠している艦娘だって綻びが生まれたり、更に深まったりするかもしれない。この艦娘にとっては役に立たなかったものを自分の手で活かす未来。それを彼女と共に見たい。それは確かであった。
「えっ!?それじゃあ…」
奥田さんは嬉しそうに話しかけてくる。だが俺はさっき考えていたことを告げる。
「まだ恋人にはならないよ。あくまで俺たちはパートナーだ」
奥田さんは混乱しないで、次の言葉を待っている。
「役に立つ研究ってものは簡単には分からない、だから…」
そう言ってポケットに入れた火薬の箱を取り出す。そして指の間に一つずつ挟んでいく。
「俺等で深海棲艦をビビらせるやつを考えようぜ!」
…今はこれで良い。恋は理論じゃないと提督も言っていた。だからまだ今のままでいよう。決定的な岐路がこれから先に来る時に腹をくくれば良いんだ。
「…はい!」
二人は同じ方向に一歩を踏む。俺等は俺らなりの関係を築いていく。
「しかしカルマくんも身体は大きくなったのに中身は変わってないですね」
奥田さんが嬉しそうに話しかけてくる。
「官僚になりたいからって自分の趣味まで変えるような良い子ちゃんじゃないし、俺」
偽らざる自分の心である。
「ふふっ、そういう事を言えるカルマくんを好きになってよかったです」
笑いながら話す奥田さんの顔は自分が見た中で最も美しいな顔であった。
(もしかしたら俺もそこまで保たないかもな)
そう思いながら俺は別れを告げ、自分の部屋に向かった。