人がいた。
此処には、自分以外の人がまだ生きていたのだ。
いや、それは人、というには少し混ざってはいたが。顔の頬から顎の下にかけてが紅く、結晶のようなものに変質していたし、身体も背が高い割には身体が酷くほっそりしていて、着ている白衣はもはや被っているのに近い。場所が場所なら悪魔なのではと見間違いしそうなさまだが、それでも、不思議な程に人らしく感じたのだ。
冴えない顔の中年男性は、フラフラと、心配になりそうになるほど遅くだがこちらに歩み寄り、手を此方へと伸ばす動きをしながら此方へ歩み寄る。
赤茶色に変色しきった白衣。白色はもう、ほとんどない。
ガサガサの唇が震え、ヒューヒューと風のようにか細く、無理やり声にしているような声が溢れた。
「そん な……馬鹿な、奇跡 など 、ほんとウだったのか」
身体の一部が退化し無くなったその肉体を無理に動かしながらもその右手が伸ばされた。爪は丸い形をしておらず、爪の下の肉の色はもはや判別がつかない。親指が両側にあるように見えたが、違かった。その手の指は4本しか無く、薬指と小指がくっついてしまっている。
その手をとり、握りしめると「あ、あ」男は無表情だったその顔を僅かに歪めた。目から涙が流れる。その雫は頬を伝い、地面に落ちる…その筈、だったのだろう。紅く変形したその身は、流れ落ちる雫の水分をも内部へと取り込んだ。
「良かっ た……君は、やはり、生きて るんだね……」
あたたかい。
そう、手のひらの温もりを感じて目からはらはらと雫を垂らす彼の手は、少しひんやりとしていた。その手を引っ張られ……そこで、彼の左腕が無いことに気がついた。引っ張られるままに身体をついて行く。そのまま身体を硬直させて、動かないでいると自分がそこに立ち尽くしている力に耐えきれずに彼の身体が砕けそうだと錯覚したのだ。
「貴方は……」
「僕は なんとか、生き延びてしまった 半端者だ、よ。他はもう あの玉になってしまった、けどもね」
彼はきっと笑いかけている、のだろう。口の端がひくりひくりと痙攣していて、格好がついてはいない。
しかし、その目は此方を覗き込んでいた。人を案じて、此方を気遣いながら手を引く彼の、優しい輝き。その輝きはただ、自身を安心させようとしていることがわかった。
「ああ でもよかった
これで、地球に世界樹を植えて 地球を再生させる意味が、あった。光は、あったん、だね」
君が此処にいるのなら、人はまだまだ捨てたものでもなく、これからもまた繁栄できると、にじり歩きながら自分を引っ張る彼はひどく安堵していた。
地球の、再生。
……もし、あそこで絶望から逃れる、忘却の選択を選んでいなかったら。地球は、また再生されてたかもしれなかったのか?心臓が音を立てる。
「人は あんな姿になっても肉体だけ、は再生できた
それだけで は不十分だと思って、いたから君にこれか らを託す事ができるよ」
彼はたどたどしく言葉を紡いだ。
ほんの少し和らいだ顔で、しかし感情のよくわからない顔で説明をした。赤い皮膚がテラテラと光を反射する。
なんでも彼は、彼らは地球がまた青色に満ちた星となり、自分達の故郷がそうであった頃のようにまた命に溢れてほしいと、頭の中がどんどん霞んで行く中必死で同じように生き延びてしまった同胞らを保護し、あるいは共に研究を重ねてきたそうだ。そうして、人類の延命措置は執り行われた。
理論上は、人類か生き延びていけるのはたしかであり、悪魔や、それに連なる細胞を流用された生物が地上に蔓延る可能性が高いが、人類には「力」があるからなんとかやっていけるはずだ、と可能性に賭ける事としたそうだ。
故郷で、生きたい。
その壊れた故郷の現状から逃げて、昔へと逃げながらも、その故郷を懐かしみ罪を犯した自分にふと後ろめたい恥ずかしさを覚えた。
彼らは、故郷に縋らないと人としての形を保てなかったろくでなし、などと自身を言うが、とんでもない。逃げの選択をしておきながら、喪われるものに駄々をこねた自分と比べても、どん詰まりの中で足掻いた彼らの事がとても素晴らしく思える。自分がやったのは、単なる逃げでしかなかった。
「ああ、地球を再生しても一人 と。もう何も無い、のではなんて 思っていたが、人がいた。生きていたんだ。この思いは 無意味では なかった」
祈るようなその言葉に心を刺されるような思いだった。と、そのタイミングで言葉が発せられた。
「ありがと ウ 。君は、この世界で生きてくれたんだね。大人達がどうも デきなかったこの世界を」
「大人は子供の尻拭いをするもの」
あちら側の世界にいた、長髪の大人の後ろ姿と被った。