自身が一番最初に目覚めた場所、アラヤ神社。全てが始まり、全てが終わった起点にして終着点。
今も荒廃しきったままの其処は、多少自分も手を加えたとはいえ雑草が生い茂り、周囲に赤い玉が無数に浮かんでと異様な風貌である。
本殿の残骸の中央には異常な光景が広がるそのさまは、かつての人で賑わっていた光景を思い出せないほどだ。あちら側のような清浄な雰囲気などもうほとんどない。そこにいるのは人だけれども、人として生きる事が出来ない人々しかいないのだから。
……ソレが、前に来た時のイメージである。
宙に留まっていた紅はもう無く。
ただ寂しくなったその場所にただ一つ、虚ろに黒の影がいる。
自分と同じ顔。今はもう着ることも無くなったセブンスの制服で。悪意に黄色く彩られた瞳は此方を今も嘲り続ける。
唯一前と違うのは自分は髪が伸びて、後ろで纏められているという事だろうか。あちら側へと行くその前の、罪の姿と今の自分はひどく対照的だ。
右の腕が熱くなる。
「———遅かったな、特異点」
奴の周囲には紅い玉が、彼らが転がっていた。空へと浮かび上がっていたその身をごろり、と力無く横たわっている。
「いつだってそうだったな、お前は、間に合う事など無かった。
1人では何もでき得ぬ孤独な太陽。照らすべき月も、ぬくもりを与える星すら無いお前にはただ周囲にあるものを熱量で破壊することしかできない!」
「……何故お前が、此処にいる」
予想外だった。奴が。
——ニャルラトホテプが心の海から出てきて此処に居るなど。
何回も此処には、神社には様子見を兼ねて訪れていた。それは何回も。彼らが心配だった、というのもあるし、心の海を見に行く目的もあり、地球の色を静観する必要もあったからだ。
その時はやはり、この神社の周囲には不自然なように悪魔も見えず、敵といえるような存在が感知される事は無かった。心の海もまた、凪いだままだった。
だが、どうだ。目の前には今、人類の影そのものである奴が居るではないか。
神社の周囲には、念には念を入れて悪魔が入り込まないようかつて、世界にあったとされる結界に利用されていた賢瓶を置いていたから余計に悪魔は顕現していられない筈だ。
自分自身も周囲に集められ、満ちた生体マグネタイト———欲望の色に侵される影響でペルソナが暴走しやすい。
(いや、だからこそ此処に居るのか、此奴は。人類の欲望から生まれたのに近いような、奴は)
だからこそ、此処で力を増幅し、存在している。
「わざと、あの賢瓶を用意しておいたのか——こうなると予想できていたからこそ、否、仕組んだからこそ」
「二度あることは三度ある、そうだろう特異点。いつ、何時であれ世界を引っ掻き回す災厄の焔!」
会話は不要だ。
刀を引き抜く。
「いいだろう、愚かな太陽!もう十分だ、果実は熟れた!貴様のその命も利用してくれる!」
「何を企んでいるのかは知らないが——その人達を利用しようとでもいうのか!」
背後に見知った気配を感じる。
そのまま背後の気配……彼女は、その豊満な肉体を絡ませる。
柔らかな腕が首元を掠めた。その肉体が妖艶にくねると身体の奥から力が湧き上がるのを感じた。
女教皇、ラクシュミ。天女のような服を纏う彼女の勇奮の舞は、あちら側や、かつてのように仲間と共に戦っていた今とは異なる現状、かつて以上に頼りになるものだ。
一歩踏み込み、刀を正面に構えて降り出す。
手応えはあった。そのまま斬り込み、残った下の部分が蠢いたのを確認したと共にそれを蹴り、遠くへ弾く。
先程は人型であったソレは不気味な黒と緑色の、顔が浮き上がった触手でしかない。
一瞬のうちに階段の方へ跳んだ奴は宙から黒々と輝く自身の分身を此方へと幾つも飛ばした。
背後の気配は切り替わる。その気配は酷く頼もしい、力の象徴。大きな意思による精神の高揚が感じられた。
飛来する刹那五月雨撃に対し背後の四本腕の青い魔神——シヴァはその腕の武具でもって受け流してみせる。
利剣乱舞。先程の勇奮の舞の影響で威力が増したソレは飛来する触手の一撃を弾く所か、一部切断した。
(————)
疑問を感じた。だが、目の前の奴は尚も嘲る声でもって貌を歪めながら、闇を吐き出す。
「なんとも忌々しい事だ、特異点———人というどこまでも哀れなものに縋り付き、孤独になろうとも尚足掻こうと言うのか!何という献身、何という悪逆!!
お前の自己満足にすら行き届かない我儘など、無意味でしかないッ!!」
再びうねる脚が地を叩く。簡単に脆く崩れる石の破片が周囲に飛び散った。此方を呪わしいほどに見つめる黄色が見上げていた。
そうして目の前が歪んだかと思うと、世界にヒビを入れそうだと錯覚する程の力の磁場が襲いかかった。重いほどの力が世界を歪める。
その力は身体を抑えにかかるかのように上から下へ流れ落ち、身体の内側をミシリと軋ませた。
それでも、と。前へ飛び出せば背後のペルソナはその意思に応じて刃を振りかざす。プララヤは大きな威圧感とわずかな違和感を抱かせる触手を3つ、根元から断絶する。
まただ。違和感は止まらない。
「お前は——何をしようというつもりだ!」
「忘れたか、特異点」
下から上へ、左切り上げがすんなりと入る。黒い血が噴き出す訳もなく、ごぽごぽとただただ漏れ出しているのを意に介さずニャルラトホテプは此方の頬を恋人へするかのように優しく撫ぜる。口元から覗く歪な歯。嫌悪感が勝った。
「私は人類の進化を促し、より高みへと、自立した種へ向かわせる存在。それが、私の存在理由だ。
ならば……地上が浄化されたのならば新たな人類を選定し再度人類の進化を図るのが道理だろう?成長をしておきながらも、人から脱却出来ないなりそこないよ」
「________」
至近距離まで顔を近づける奴にジオダインを与えてからもう一度斬りつけた。だが、その前にするりと手を離した奴は空へと向かい、刀から逃れる。
「ふざけるな」
刀を握る手に力が篭る。酷く腹立たしくて仕方がなかった。
背後が怒りに合わせてチリチリと燃えているのが感じられる。招んでいたシヴァはいつのまにか、アポロにチェンジしていた。
核が産み出す熱を孕んでか、掌が熱くなる。
「お前はまだ、人間を玩ぶというのかニャルラトホテプッ———!!」
「フハ、フハハハハハハハ!!!そうだ!!!怒るが良い特異点!!!!その怒りが、我が存在を確立させる!!」
(存在を確立———)
確かに。自分は、怒っていた。腑が煮えくりかえるようにも感じていた。だが、酷く冷静だった。
だからこそ全てを理解した。
背中のアポロがその右手からノヴァサイザーを飛ばした。太陽からの核熱は時を越えてその肉体を握り潰さんと飛来し、奴はそれを堂々と受け、肉が焦げるような臭いがしながらも尚、その醜い様を曝け出しながら嗤いつづけた。
そうして嗤ってられるのも、今のうちだ。背中のアポロの腕へと一度跳んでから、そのままアポロに自分をニャルラトホテプの元へと投げ飛ばす。
黒煙の中から見えた奴は驚愕に目を丸めた。
「な、」
当然だろう。こんな熱い中、核による熱が今も残っているというのに突撃してくるなど正気の沙汰ではない。
だが、今降ろして居るのはSUNのアルカナを担う、アポロ。
自分の産み出した焔で羽根が溶け落ちるような……蝋の羽根など、生憎持ち合わせては居なかった。
後ろに限界まで振り絞った拳をその顔に叩き込む。
強烈なその一撃は、慢心しきった奴を墜とすには充分すぎた。鳥居の真ん中部分をへし折り、階段の石段を打ち砕き、勢いのまま砂埃を上げて、下へ下へと滑り落ちる。
階段の途中で、漸く勢いが止まった。
「………」
怒りがようやっと収まってから。その黄金の目を覗き込みながら。
放心した顔から再び悪意に満ちた表情を取り戻した奴は悔しげに顔を歪める。
「何故だ」
ポツリと溢れる音。
「何故、お前は尚も人間であり続ける、特異点」
「俺が……そう、決めたからだ。」
人を辞める気など毛頭無い。そのような事があったら、そこにいるそれはもう、自分では無く自分から派生した別の存在だ。
そう告げた己に、誰かを貶めるしか役割を果たせない者、ニャルラトホテプは威嚇するように歯を見せつけるような嗤いを返す。
「そのような形でか?わかって居るだろう特異点。お前のその肉体、有りよう、もう既にその身に降ろしているものは人間のものではない、という事……その右手が証明して居るだろう!」
ああ。
その通りだ。
今の自分の右手にはかつての無貌の神の執着の証などは無くなっていた。だが、今。自分のぽっかりと何からの呪いも無いはずの右腕は黒く染まっていた。
最初は手のひらの内側から広がるように。次第に右腕を侵食していったその暗闇の海は指先から、肩までに到達していた。手の甲から広がる、赤いラインが浮き出たその手でニャルラトホテプの胸倉を掴んだ。
「人が人で居ることを、お前が望んだんじゃないのか」
「———は?」
ずっと、名前を聞きそびれた彼と、彼らの遺した贈り物を漁って読み続ける度にその疑問は強くなっていた。
可笑しいと思ったのだ。意識を持った、人間の無意識集合体という存在そのものが。原則、ペルソナは1人の人間に降ろされるもの。だからこそ、意識を持ちその場に独立した存在というのは己のシャドウ、心の影であった存在などならばまだ納得は行くが、不特定多数の人間から生まれて、しかも自意識を持っているというのが大きな違和感を感じさせた。
不特定多数の人間から生まれたのなら…少なくとも、対面する人のあり方によってその行動は大きく異なるのではないだろうか。
人の悪の側面たるニャルラトホテプ。人によってその悪の在り方とは様々であり、その貌は、何者でないからこそ何者でもないのだ。誰かの貌にあった貌に変質するのが通り。その筈が、常に奴は其々の悪意に合わせた姿に変質していた。欲望に合わせた型に自らを流し込むように、役割を果たすように。役割を演じる役者として振舞う様がおかしいのだ。
そも、人の無意識から生まれたネガティブそのものの具現である奴が求めるものは本来ならば人類の進化などとは全くの別物、刻限が前提とした命故の、死滅願望による無への回帰が道理である。
だが、もし————もしも。異なる何かが奥底にあったのだとすれば。
ニャルラトホテプ、及びそれに連なる存在であるフィレモン。
奴らが生まれたきっかけは、それは——
「お前は、」
始まりは一人の人間という箱であった、という事なのではないだろうか。
「お前は誰だ」
顔の無い王は此方を覗く。色の無い目は焦点が合ってない。
常に深淵を、人を覗き続けた悪魔に1人の人間は覗き返す。深淵を覗き込めば、深淵に覗き返される。それは、逆を言うならば、深淵が覗き込んだら、人が覗き返しているという事なのだ。
もし。こいつが、こいつらが顔が無いというのなら。誰かという存在であり、もうとある人という個人ではないというのならば。きっと、元となった誰かはもう既にいなくなっているのだろう。
何時頃からいたのかわからない何者か。元となった誰かの名前は……それはきっと、自分も知る、顔すら知らない誰かの名前だ。
でも、その名前はきっともう、無くなっている。
其処で_______奴はようやく笑う。
誰かを嘲る為ではなく。
誰かを指差すものではなく。
その笑いは悲嘆に満ちたものだった。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!」
もう、遅い。未だ人に縋り付いていた、別の己に気がついた誰かの顔はもう見知らぬものとなって。
刀を自分から奪い取り、そのままそれで首を切り裂いた。