てな訳で今回はあのみんな大好き(僕も大好き)なあの子が出てきます。
「上里樹です。…よろしくお願いします」
慣れなんて一ミリも感じていない新しい苗字を名乗る。下の名前までいじられることがなかったのが唯一の救い。
(いや、そもそももうそれもどうでもいいことなのかな)
そしてあたりを包む静寂。普通自己紹介というのはこの後続く何かがあるものだがそんなものを俺は用意していない。
「はい、皆さん拍手〜」
そんな静寂に耐えきれなくなったのか、担任の教師の先導で小刻みに小さな拍手が送られる。もっとも、送られる側はちっとも嬉しくないのだが。
「さ、上里さん席について」
「…」
会釈だけして新しく用意された自分の席に着く。一番後ろの窓際、それが俺に用意された席。黙っていても何もしなくても変に悪目立ちしない席。
「それじゃ朝のホームルーム始めますよ」
席についた途端担任の話し声がどこか遠くなる。
あんな何もしない春休みでも全てが全て無意味だったわけでもない。あの広すぎる家も自分が生活していく分には慣れてきたし、そもそも部屋から出ることがほとんどないから困ることもない。
あんな義父さんとも初日に会った時以外一度たりとも会っていない。
春休みを通して自分の殻にこもるのは得意になった、こうしてただ外の景色を眺めているだけでいい。
少なくとも目の前の現実には向き合わなくて済む。
『神樹館小学校』
この世界全て–––つまり四国を守る神樹を崇め奉っている組織『大赦』によって作られた歴史ある学校であり在校生は皆親がなんらかの大赦関係者であるのはもちろんのことやはり比率として皆名家と呼ばれるであろう家の子供たちである。
とどのつまりお坊ちゃん、お嬢ちゃん学校であり、皆礼儀正しく非行に走るような子供はいない。
樹が前に通っていた普通の市立小学校とは違い全児童統一の制服も着用が義務付けられていてお堅いイメージはどうしても拭えないのが世間のイメージであった。
見たこともない建物、見たこともない制服に鞄。見たこともない先生に児童たち。全部知らないもので埋め尽くされているこの空間ほど抜け出したいものはなかった。
ただ変わらないのは空の青さだけ。
(なんで空って青いんだろうな)
仕方ないのかな。誰かが言ったことだから、空は青いって。
(なんで俺学校なんて来てるんだ)
それは行けと言われたから、命令されたから。
誰に?
(
でも直接言われたわけでもない。ただそういう風に手配されてたからそうなっただけ。
今日はすでに神樹館小学校の始業式から数日経っている。だけど俺がこの学校に来たのは今日が初めて。
学校に行くのを放棄していたわけじゃない。学校に行くという考えがそもそもなかったんだ。
でもこうして何日か経った末に結局俺はここにいる。
じゃあ俺が学校に行くのが嫌だと言ったら行かなくても良かったのだろうか?
(でも俺は学校に今いる。転校生として小学四年生としてこの学校にいる。なんで来てるんだ)
行かなくていいんだったらそれでもいいじゃないか。悪いことなんてないじゃないか。
(逃げたっていいじゃないか)
学校に行けと無理にでも言われてたらどうしたんだろう。俺はどうしたんだろう。おそらく今みたいに来ているに違いない。
(だからなんで来てるんだよ)
無意味なのに?
(嫌だから)
何が?
(あの家にいるのが)
どうして?
(息苦しいから)
だったら学校は?
(そうだよ…!結局学校に来たって変わらないじゃないか…!)
だったら–––
(でもあの家にいると俺は息が詰まりそうで–––––!)
キーンコーンカーンコーン。
「では今日はここまでにしましょう。号令を」
ホームルームルーム後の一時間目の授業が終わりつぎの授業までの休み時間となる。
ほかのクラスメイトたちが思い思いに雑談や歓談を楽しむなかただ一人耳にイヤホンをつけたまま誰とも話そうとしない樹の姿がそこにはあった。
本来転校生というのはほかのクラスメイトたちからすれば注目の的であり大なり小なり質問やらが飛んでくるのが世の常のはずだがそれが樹に限って言えばなかった。
無論樹自身が何も行動しようとしない、自ら他人を寄せ付けようとしない態度だから、というのも大きいがそれ以上に『上里』の名前がクラスメイトたちを遠ざけていた。
神樹館小学校に通うもので上里家を知らない子供などいない。
自分たちの通う学校の名前に付けられている神樹を管理する、四国の絶対的組織である大赦において『乃木家』と並び立ち最高権力を持っている『上里家』の子であるために周囲から近づき難い存在として見られているというわけだ。
しかもほんとうの子じゃない、あくまで養子として上里家につい最近入ったという話は児童たちはもちろん教職員たちをも樹に接するのを躊躇させる。
しかも樹は本来神樹館小学校とは縁もないような一般家庭の子供、両親は大赦職員であるがどちらもあくまで一般の職員であり家柄にしたって長年大赦に使えてきた家ではあるがあくまで普通。
少なくとも上里家に関係があるような家では全くないため教職員からしたらそこも不審、又は怪しいところなのだろう。
(そりゃおかしいよな。俺は本来ここにいるべき人じゃないんだから)
音楽に耳を傾けつつ思う。周囲のクラスメイトは新年度が始まってから数日後にいきなり転校してきた樹に話しかけることこそしないがやはり気にはなるといった風な視線を皆向けている。
中にはヒソヒソ話を繰り広げるグループも。
(またそのうち陰口叩かれるようになるのかな。この学校でも言われるんならよっぽどだな)
俺は空を見ながら曲を切り替えた。
転校してから一週間も経つと否が応でも慣れというものはでてくる。
だがここでいう慣れとは樹のことではなく他のクラスメイトのことではあるが。
この一週間の間に何人かの勇気ある、又は積極性のある子は樹に接触を試みてあえなく散っていった。
誰に話しかけられようとも樹は取り合わなかった。
前の学校にいるときなら笑って軽く返すぐらいのことはしていたはずなのにそれすらも放棄していた。クラスの人間とコミュニティーを築くことを放棄しているかのようだった。
クラスメイトたちの間には一週間であの子には触れない方がいい、そっとしておこう、というような共通認識が出来上がっていた。
担任もそれを良しとして何か言うことはなかった。
複雑な家庭や本人の事情だろうから仕方ない、次第に良くなるだろうと。
(青い空って好きじゃないんだよな。嫌なこと思い出す方が多いから)
(–––じゃあなんでわざわざ空がよく見えるところに来てるんだろ)
(一人になりたいからかな)
午前中の授業を終え樹は昼食を取っている。児童のために開かれた屋上で。ただ、使う児童はほとんどいない。その証拠に樹はこの屋上に来始めてから自分以外の誰かを見たことがない。
今日もあの家の専属料理人が作ったであろう軽食を何も考えずに胃に詰め込んだ。食事を楽しみたい気分でもなんでもないけどそれでも人間は食べなければ生きてはいけない。
(こんな生活送ってちゃ生きてても仕方ないよな)
でも食事は欠かさず取っている、だったらまだ俺は死にたいとまでは思っていない。
(何考えてんだ。たかがこの程度で生きてても仕方ないって–––––バカみたいだ)
校内から予鈴が鳴る音がした。昼休みもそろそろ終わり、午後の授業のために戻らなければならない。
仰向けになっていた体を起こす。そして立ち上がる前にふと思った。
(お姉ちゃんも今、学校行ってるところなのかな)
週末、学校もないため部屋から出る理由もなければ出たいとも思わない。
でもこうして俺は車に揺られてる。春休みに入ったばかりの頃、俺が初めてあの家に行った時に乗っていたのと同じリムジンで。
同じ車に
「…………………」
「…………………」
二人の間に一切の会話はない。上里家当主は出掛けるに際しておめかしをした樹に対してもなんのコメントもなくただ一言『久し振りだな、学校は行っているのか』と言うだけだった。
『はい』とだけ樹は返してそれ以上話が広がることはなかった。でも話しかけられるとは思っていなかったのでなんだか変な気持ちがした。
そしてやはり樹の手にはウォークマンが握られ耳には樹の瞳の色と同じ色をしたイヤホンがつけられていた。
乃木家本邸は上里家本邸と同じぐらいに豪華であった。基本的なつくりは上里家本邸と同じように和風建築であり門をくぐると広大な広場または庭園があり、少し違うところがあるとすれば貴族屋敷というよりは武家屋敷と呼称するのが正しいであろうということぐらい。
西暦の時代京都府と呼ばれていたかつての都の観光名所であった『二条城』を感じさせるつくりであったがこの時代にそれを感じれるような人間は一人たりとていない。
何人もの執事の人に案内されながら客間に移動する。樹はずっと上里家当主の少し後ろを歩いていた。
そこでは三人の人物が上里家当主と樹を待ち構えていた。
乃木家当主とその奥方、そして一人娘。
その一人娘は父親の隣で優しい笑みを浮かべており上里家当主の少し後ろをとぼとぼと歩いてくる樹に気づくと小さく手を振ってきた。
(なんだ…この子)
そんなことを思いながらもとっさに手を振り返していた。
するとその一人娘はすごく嬉しそうにするのだった。
(変な子…)
「久し振りですね、どれぐらいだったかな」
「ええおよそ二ヶ月弱ぶりです」
「もうそんなにか。いやはや時が過ぎるのは早いもんだ、特に歳をとるとね」
「本当に」
当主同士障りのない会話からスタートする。一人娘はまだニコニコしてる。なんなんだこの子…
「園子挨拶なさい」
すると乃木家当主は一人娘に対して自己紹介をするように言うのだった。
園子、そう呼ばれた一人娘は少し前に出て手を前に合わせてゆっくりと丁寧にお辞儀をし
「お久しぶりです上里様。お元気でしたでしょうか」
それはそれはお淑やかになおかつ上品に言うのだった。
「はい、園子お嬢さまの方もお元気そうで何よりです–––––––––樹。挨拶しなさい」
「えっ……?」
思わずあの人–––義父さんの顔を見る。視線が合った。心がビクンッと震えたのがわかった。
(目があったの…初めてだな)
「樹」
(俺の名前覚えてたんだな、
「樹、どうした」
上里家当主のかける言葉が頭の中に入ってこない。それは自分の名前を覚えていて呼ばれるなんて思っていなかったから。
「どうしたの?」
「……!」
乃木家の一人娘––––乃木園子の一言で目が覚めた。
現実に戻ってくる感覚、焦ってどうすればいいかわからなくなる感覚が身体中を支配していく。
「あ…えっと……」
自分の名前とよろしくお願いします、ただそれだけ言えばそれでいいのにそんな言葉すらも突っかかって喉から出てこない。
「その…俺…ち…違う、あの……私…」
一つの焦りはもう一つの焦りを生み悪循環を起こす。
すると嫌なことばかりを考え始める。
今
「大丈夫」
いつのまにか下に向けられていた視線、そこにはだらしなく力なく震えている俺の両手をそっと合わせて優しく握る乃木園子の姿。
「ね、何も怖くないんだよ。大丈夫だから」
(あったかい……お姉ちゃんみたいだ…)
逃げ出したい気持ちとお姉ちゃんの手のように暖かい乃木園子の手。
俺はこの一瞬逃げ出したい気持ちよりもそんな暖かい手をくれる彼女の顔が見たくて、少しだけ視線を上げる。
「初めましてだね。お名前教えてくれる?」
背が彼女に比べて小さい俺に視線を合わせるためにしゃがんで先程俺が手を振り返した時と同じような微笑みでそう聞いてくる。
(これもだ。お姉ちゃん……みたい…)
こうして同い年の子と比べても背が小さい樹のために風は度々しゃがんで視線を合わせて話をしていた。
これはそれとまるっきり同じで、同じ視線で同じ暖かさで同じ微笑みで、同じ嬉しさだった。
「……上里樹…です…」
自信なんてこれっぽっちもない、怖くて怖くて–––それでも樹は自分の名前を名乗った。
「樹・・・樹ちゃんかぁ〜」
園子は噛みしめるように樹の名前を反復する。まるで名前を呼ぶのを嬉しがるかのように。
そしてすぐに何かを考えるように首を傾げて
「そうだね〜じゃあ、イッつんだね!」
(イ……イッつん…?)
この人のこのはまだ何も知らないが、なかなか面白いセンスの持ち主であることはよくわかった。
そして嬉しかった。こうやって自分のことを笑顔で呼んでくれる人がお姉ちゃん意外にもこの世にいたんだって、そう思えたから。
そう思えさせてくれた少女に、乃木園子に––––
大切な友達となるこの少女に始めて名前を呼んでもらったこの日を樹は忘れることはないだろう。
それはこの暖かさが保証してくれる、そんな気がした。
次は交友回になるのかな?
ほかの主要キャラたちの登場も近いと思うのでそれもお楽しみに。