あ、ちなみに今回は始まらないです。次回ね、次回。
今回はまだそのっちのターン。
「やっぱり好きになれないや、この天井」
朝、自分でも思っていたより眠れていたようでホッとした。
でも
『義父さん………!』
『…………』
「っ……くそ…なんで起きて早々あんなもの思い出さなきゃ……」
昨夜の当主との出来事が頭をちらついて離れない。よく眠れたかもしれないが、気分は最悪の朝だった。
(義父さんのせいだ。義父さんのせいでこんな思いしなくちゃならないんだ)
わかってる。あんな人に何かを求めるなんて、自分との対話を求めるなんて意味がないってわかっとんだ。
昨日のことでよくわかった。
なのに––なのになのになのに俺は
「あの」
「なんでしょう?」
「義父さんって…」
「当主様なら早朝にお出かけになられました」
「…そうですか」
俺はあの人が今どこにいるのか、まだチャンスはあるかもしれないなんて思ってる。例えば朝食の時に、話せるかもしれないなんて思ってるんだ。
今日も変わらない。何にも変わっていない、一人だけの食事。食器の音だけがする食事。
(そのうちこれも当たり前になってくるのかな–––もう当たり前なのかな)
朝の支度も一人。服を制服に着替えて髪を適当に整えて歯を磨いてランドセルを背負って一人で玄関を出る
「行ってきます」
返事が返ってくることはない。
(いたとしても変わらないか)
これまでだってそうだったんだ。だから今日も変わらない。
自然と下がった視線に気づかぬままイヤホンを耳につけて曲を再生する。
あまり充電ができていないから学校に向かう途中で切れてしまうかもしれないのだけが懸念だ。
時間の潰し方がほかにないから。
心を塞ぐ手段を失ってしまうのは–––とても怖い。
「ヘイ!イッつん!!」
「……えっ…」
聞こえてくるはずのない声に瞬間反応が遅れる。でもそれは書きたいと密かに思っていたはずの声で。
(幻聴なんて、シャレにならないな)
だからって都合よくこんなところにいるはずないんだからこれはきっと俺の妄想、都合よく現実を見ようとしている俺の心なんだ。
(馬鹿馬鹿しい)
「へいへいカノジョ〜無視はないじゃないのか〜い?」
幻聴の声が今度はさっきよりも近いところで聞こえてきた。
(精神科でも受診すべきかな。でもやだな
(だからってほかに相談できる人なんていないけど)
「レッツエンジョイ!スクールライフ!!」
「……!?」
下げていた視線が無理やり持ち上げられた。
驚いたしビビった。でもそれよりもずっと
「昨日ぶりだね…園子ちゃん」
「にひひ〜嬉しい?」
樹の顔から手を離しつつしてやったらと言った笑顔で問う園子。当然ながら初めて見る神樹館小学校の制服だった。
「うん、嬉しい–––かな」
「んー?疑問形なの?」
「よくわかわないんだ」
「–––そっか〜」
…本当にダメだな、せっかく園子ちゃんが会いにきてくれたのにこんな風に気を遣わせるなんて。
(よくわからないんじゃないだろ。……もっと言うことがあるはずだろ)
「イッつん!」
「は、はいっ!?」
突然名前を叫ばれて思考が停止する。
「そんなに難しく考えなくていいんよ?ただ私がイッつんと一緒に学校に行きたくて迎えにきただけなんだからね?」
「……園子ちゃん」
「ほらほら、笑って笑って!無理にでも笑えば後から気持ちは付いてくるもんなんよ〜!」
「園子ちゃんは、…よく笑ってるよね」
「笑顔の方が相手も自分も楽しいんよ〜」
「ふふ、そうだね」
(ほんとに…その通りだよ。––––だから君は強いのかな)
「♪〜♪〜♪〜〜」
「登校してるだけなのに妙に楽しそうだね。園子ちゃんは」
リムジンの後部座席で流れている音楽に合わせて鼻歌を歌う園子。基本的に学生であれば行くのがめんどくさいと思うはずの学校に向かっている途中とはとても思えないほど上機嫌である。
「友達と登校するのって初めてなんよ〜!」
「それだったら……私もかな」
園子にしろ樹にしろそもそも友達が今まで一人としていなかったのだから当然のことではあるのだが。
「互いに初めてを捧げ合うなんてなんか嬉しいんよ〜ぐへへ〜」
「言い方がなんか語弊を生みそう…」
「まあまあそんなこと気にせず!イッつんも一緒に歌うんよ!」
「……えっ?」
「ほらほら!次のサビに一緒に合わせて、ささっ」
「う、うん。やってみる…?」
「いくんよ〜?せーの」
「「♪〜〜〜♪〜〜」」
意外と合うもんである。
「イッつん歌うまい〜」
そして樹の意外な特技が判明した瞬間であった。
(そりゃ乃木家のお嬢様と一緒に登校してたらそうなるよな…)
あの後車から降りてきた園子と樹の姿は同じく登校中の他の児童達をざわつかせた。
二人に何かおかしな点があったとかそういうわけじゃない。この二人が揃って登校してくることが驚きというわけだ。
『大赦』のトップツーの乃木家と上里家、その一人娘が揃ってそれも仲が良さそうにしているのだから無理もない。
(なんかいきなり静かになったな)
樹と園子は学年がひとつ違う。すると当然のことながら教室どころか階も違う。
『イッつんバイバーイ〜』
そんなことを言いながら園子はスタスタと樹と別れていった。別れ際でさえもなんだか楽しそうなのはよくわからない。
(別れ際なんて本来寂しいはずなのに、なんであんまり寂しくなかったんだろう)
自分の席について相変わらずクラスメイトたちと会話をすることもなくぼーっと空を眺める。
車の中で使わなかった分、ウォークマンの充電がまだ多少あったのは良かった。
(俺はお姉ちゃんと別れた時寂しかったのかな。お姉ちゃんは…やっぱり寂しかったのかな)
思いだされるあの夜のお姉ちゃんの絶叫。耳と心を塞いで閉じ篭ったままここまで逃げてきた俺でもあの夜のお姉ちゃんの叫びはしっかりと覚えている。
(寂しいって思ってくれることって、いいことなんだろうか)
でも、あんな気持ちを味わうぐらいなら別れなんて無い方がいいに決まってる。
(別れは寂しいもの。でもさっき園子ちゃんと別れた時はそんなこと全然思わなかった)
(園子ちゃんとも––––いつかは別れるんだろうか)
あのお日様のような輝かしい笑顔のあの女の子とも–––俺はいつか別れる時が来るのだろうか。
それ自体別に珍しいものでもなんでもない。人と人との関わりというのは出会いと別れによって成り立っている。出会いがあればそれと等しく別れがある。
そして別れは、この世の中に溢れている別れは基本的に寂しいものだ。
だからいつかはそんな寂しい思いを––辛い思いをする日が訪れる。
(そんなの)
わかっている。血を分け合ったお姉ちゃんとすら突然別れる時が来たんだ。友達なんて、もっと別れが訪れやすい存在じゃないか。
(だったら–––出会わない方が良かったりもするのかな)
寂しい思いを、悲しい思いをすることを避けられないのなら、そもそも出会わなければいいのかもしれない。
そうすればそんな思いをしなくて済む。
(でも、それは–––)
それは生きる歓びを放棄することに他ならない。『生きる』ということは誰かと出会いそして関係を深めることだから。
そうして人は成長していく。大人になっていく。
『樹みたいな子でも役に立てることがあるのよ』
『弱いあの子でも役に立てることがあるんだ』
『然るべき時にそこにいるだけでいい。–––君にはほかに何も期待していない』
空を眺める自分の顔が歪んだのがわかった。園子ちゃんと一緒に登校してきた喜びがなんだか失われていくみたいだった。
(あんなのが大人なんなら––––俺は大人になんてなりたくない)
(大人にさえならなければ園子ちゃんと別れなきゃいけないこともないのかもしれない–––)
「いい眺めだね〜」
「そうかな?…あんまり意識したことなかったよ」
昼休み、つまり昼食の時間。
樹は今屋上に園子と二人で来ている。相変わらずここの屋上には人がいない。
(まさかお昼まで誘いにくるとはなあ…)
物珍しそうに辺りをキョロキョロと見渡してはしゃいでいる園子の少し後ろで苦笑いを浮かべる樹。
午前の授業を終えていつも通り一人で屋上に行こうとした時突として園子が教室のドアを開いて入ってきて開口一番
『イッつん、お昼ご飯一緒に食べよ〜』
と言ってきたのだ。
樹自身も当然驚いたがそれ以上に周りのクラスメイトたちが驚いていた。何しろあの乃木家の一人娘がいきなり自分たち下級生の教室を訪ねてきたのだから無理もない。
それもクラスの誰とも話そうとしないあの樹に対してなら尚更である。
(ほんとに読めないな園子ちゃんは)
「イッつんよくこんないいところ見つけたね〜」
「この学校に来てすぐの時になんとなく思いついたんだ。屋上使えるんじゃないかってね」
「おおーイッつん天才だあ〜」
「…そんなんじゃないよ」
「またまたご謙遜を〜」
「もう…」
(ただ一人になりたかっただけだと思うんだけどな。ここなら空もよく見れるし)
(好きじゃないはずなんだけどな、青空なんて)
だけどこうしてそれを求めてここに来ている。
(今は園子ちゃんも一緒だ。園子ちゃんは好きなのかな、青空って)
そんな自分でもよく意味がわからないようなことを考えながら園子とともに昼食の準備をしていくのだった。
「園子ちゃんのはやっぱり豪華だね。なんか大きな海老いるし」
これって伊勢海老ってやつか?でも伊勢ってもうないよな?
「んーなんだろうね、この海老さん。美味しいけど名前わかんないや。もぐもぐ」
「あはは、そっか」
美味しそうに頬張る園子。お嬢様として育てられてきたからか決して下品でも汚くもないのにしっかり食べてる印象が得られるのはすごいと思う。
「イッつんはそんだけで平気なの?もぐもぐ」
園子が樹が持っているサンドウィッチを見ながら言う。
「私はそんなに食べられる方じゃないから、こんぐらいで別にいいかなって」
サンドウィッチが嫌いなわけでもないし量も満足してる。ただ食に対するこだわりが薄いだけ。
(こういうのの方が楽だし)
「もぐもぐ。ねえねえイッつん、分け合いっこしようよ〜」
「分け合いっこ?園子ちゃんのはお弁当とこれを?」
「正解〜」
園子の昼食と自分の昼食を目で見て比べる。…比べるまでもなかった。
「でも…これとそのお弁当のおかずじゃ釣り合わないよ?」
「むーそういうことじゃないんよーイッつん。こういうのはそれ自体に意味があるんだから〜」
「そういうもんなの?」
「そんなもんなんよ♪」
(そんなもんなのか…)
「えーっと…じゃあ……これ…どうぞ……」
食べかけのサンドウィッチを園子に向けて差し出す。そして気づいた。
(いや、なんで食べかけ渡したんだ!)
食べかけなんて汚いっ!イヤッ!ってなる未来しか見えてこないじゃないか……こんなことで園子ちゃんに嫌われることになるとは思わなかった…
「はむ」
「ふえっ?」
目の前にはパクリと食べかけのサンドウィッチにかぶりつく園子の姿が。
「美味しい〜♪〜」
「……どうも」
「じゃあ今度はイッつんの番だねー何食べたい?」
豪華はお弁当箱を指しつつほれほれと急かしてくる園子。
(何が何だかわかんない…料理名知らない…)
「な、なんでもいいよ」
「んーじゃあ私の好きなこの海老さんあげるよ〜はいあ〜ん」
「…しなきゃダメかな…?」
箸で海老をつまみつつなぜか自分も口を開けて樹に差し出そうとする園子。
「だ〜め♪」
「…はい」
この笑顔の圧力はさすが乃木家の一人娘といったところ。
「じゃあもう一回ね〜はいあ〜ん」
「あ、あーん…」
戸惑いを隠せないままなんとか物をキャッチする。海老の旨味が途端に溢れ出てきた。
「どうどう?お味の方は?」
「お、美味しいよ。とっても」
とてもお弁当の海老とは思えない旨さ。園子はこれを毎日食べているのか…
「へへへ〜そっかあ〜よかったよかった」
「…園子ちゃんはご飯食べるのも楽しそうだね」
自分が上里の家に引き取られてから家だろうと学校だろうとどこだって食事は楽しいものじゃなかった。ただ生きるための栄養補給だった。
そしてなんでじゃあ生きてるんだろってなって馬鹿馬鹿しくなるまでがワンセット。
それも含めて決して楽しいものでも心安らぐものでもなかった。
(でも今は、安らいでるのかな)
(笑えてるのかな)
「誰かとこうやって食事するのって園子ちゃんは好き?」
ちょっと怖かった。こうやって誰かに何か聞くなんて生きてきてほとんどなかったから。
それがましてや友達になんて経験がない。
反応を見るのが、返答を聞くのが怖い。
人と話すのは怖いことなんだ。
「どうだろうな〜あんまり考えたことなかったかもね〜」
「––そうだよね、ごめんね。変なこと聞いて」
「でもイッつんとこうやってご飯食べるのは楽しいよ?」
「…………」
「あれーイッつん?どうしたの〜?」
(昨日感じた劣等感みたいなの、やっぱ本物だ)
(俺はそんな風にすぐ考えれなかったよ、園子ちゃん)
「ううん、––––また一緒に食べようね、園子ちゃん」
「もちろんなんよ〜♪あ、あと学校一緒に帰ろー」
「わかった、––待ってるね」
この日以降樹は登下校、そして昼食を毎日共にすることとなった。
夜眠る時、朝起きる時どっちも嫌いだし嫌なことを考えてしまう。
あの家は好きじゃないし、あの部屋も好きじゃない。
学校に相変わらず居場所はないし、クラスはとてもつまらない。
相変わらず幸福とは言えない嫌な生活だ。
けど、けど君がいることはとても嬉しいことだと思うから。
「おーはよイッつん♪」
だからまた明日も会えるといいな。
「おはよう、園子ちゃん」
大赦本部から園子と樹が呼び出されたのは、そんな変わらない日常だったはずのある日のことだった。
それは新たな出会いと新たな日常の始まり、その序章であることを
それが過酷な運命であることも–––––
・イッつん
相変わらず自分という存在がコンプレックスな
・園子ちゃん
行動が読めない系女子。基本的に活発だし明るい子。でも意外と他人の心を読んだりできちゃう子でもあったり。初めて出来た友達は生きるのが不器用そうでなにかと心配。