「…………」
今日も学校へ行く。肌に合わないあのお嬢ちゃん、お坊ちゃん学校。
でも今日はそこまで憂鬱でもない–––筈だ。
「考え事中〜?」
すぐ隣から相変わらずほわほわで柔らかい声の少女がいる。
どうやら気づかぬうちにそんな顔になっていたようだ。
(園子ちゃんと一緒にいる時ぐらい忘れた方がいいよな。その方が楽だ)
同時に心のどこかでピキッと嫌な感じがする。
また、逃げてる。
(わかってるよ…そんなこと)
「イッつん?」
「…ごめん、ちょっとね」
ここで『平気』とか『大丈夫』とか言えないのは自分の心の弱さにしか今の樹には思えない。そんなことすらも自分の弱さに感じてしまう。
『そんなことない』そう言ってくれる人が身近にいてくれないのも問題ではある。でもそれ以上に––––
自分の弱音や弱気なところを隠そうとする、隠蔽しようとするのが何より樹の問題だった。
その気になれば園子なんかはいくらでも弱音を聞いてくれるだろうし、アドバイスもくれるだろうし、慰めてもくれるだろう。
–––それをしないのは
(怖い。俺は怖いんだよ…自分の心も他人の心も)
万が一、万が一園子が樹の弱音や弱気を聞いて自分を助けてくれなかったらどうしよう。慰めてくれなかったらどうしよう。何も言ってくれなかったらどうしよう。
悲しい顔をさせてしまったらどうすればいい。何も言えない微妙な顔をさせてしまったらどうすればいい。
もう話しかけてくれなくなったら嫌だ。遊んでくれなきゃ嫌だ。名前を呼んでくれなくなったら嫌だ。笑顔が見られなくなったら嫌だ。
そんなことになったら俺は、自分がどうなってしまうのかわからなくて怖い。
その時どんな気持ちになるのか、何を考えるのか、何をしてしまうのかが怖い。
(お姉ちゃん……)
昨夜、なかなか寝付けなくてふと手を伸ばした先にあった端末。
当然端末であるのだから電話をすることができる。
あくまで『お役目』のためにと渡されたま端末ではあるが電話で連絡を取ることがダメなわけもない。
その気になればもう一年あっていないことになるお姉ちゃん–––風に連絡を取ることができるかもしれない。
こちらから会いに行くことも、向こうからこちらに会いに行くことも『上里家』に禁じられ、勝手に家の敷地外に出ようとすれば止められる。
固定電話は自分が行動できる範囲に置かれておらず、執事やメイドの人にこっそり連絡を頼もうとしても拒否されてしまう。
そんな樹でも、これさえあれば風に–––お姉ちゃんに連絡が取れる。あの声で自分の名前をいつも明るく呼んでいたあの優しいお姉ちゃんに。
「お姉ちゃん…風お姉ちゃん…」
口に出して『お姉ちゃん』と言ったのは随分久しぶりかもしれなかった。
心の中で時折声や姿を想像して自分を慰めようとすることはあっても口に出してしまうと直に会って話したい、頭を撫でて欲しい、抱きしめて欲しい。そんな思いが溢れて出てきてしまう予感がしてる。
だったらせめて、電話口でもいいから声をかければ、一言でも何か嬉しくなるような言葉をもらえれば明日園子と話すときも少しは笑顔でいられる。いられる気がしている。
園子を風の代わりとして見なくて済むかもしれない。そう思ってしまっているダメな自分を止めることができるかもしれない。
「お姉ちゃん」
震える指で端末にあの家の電話番号を入力する。覚えていてくれてよかった。
真っ暗なこの部屋の中で端末だけが光を放ってその存在を主張する。
「お姉ちゃん––」
一つ一つ、ゆっくりとすべての番号を入れ終わった。
端末はそれに合わせてブルルッと音と振動を始める。
それを耳に当て、ジッと待つ。
「…………」
こんな嫌な待ち時間もそうない。手が震えて動悸が早くなる。冷たい汗が背筋を伝う。
あくまでかけているのは固定電話に対してだからお姉ちゃんがでる保証はない。実の父親や母親がでる可能性も十分にある。
こんな時間なんだからむしろその可能性の方が高い。
(そしたら––何を言えばいいのかな––––)
怒られるだろうな。
それだけはわかった。
『おかけになった電話番号は現在使われておりません』
『繰り返します。おかけになった電話番号は現在使われておりません』
「–––––––––」
端末を静かに耳から離した。まだ画面は明るいままだ。
「どこにいるんだろ、お姉ちゃん––––」
「おはようございま〜す」
「…………」
園子が前、樹がその後ろに張り付くようにして教室に入る。
「あ、おはよう乃木さん」
「今日もポワポワしてるねーサンチョちゃんも元気?」
何人かの女子が園子と連れているサンチョに話しかける。無論サンチョに対しては可愛い冗談程度のものではあるのだろう。
だが
「スィ、ムーチョ」
園子がサンチョの尻尾を引っ張るのと同時にサンチョが喋ったのだ。
「えっ!?その子喋るんだ!?」
「しかもめっちゃダンディ!」
「なんか麻婆豆腐とか好きそうな声!」
衝撃の新事実にきゃっきゃと園子の周りで騒ぎ立てる女子たち。
「ねえねえ乃木さん、私も引っ張ってみていい?」
「あ、私も私も!」
「ずるーい!あたしも触ってみたい!」
可愛らしい見た目に反してダンディで渋い声を出すサンチョに群がる女子たち、その様子を園子はニコニコ顔で眺めながら
「いいよ〜はい、どうぞ〜」
と、快く女子たちのお願いを快諾するのだった。
「…………」
(教室の入り口でやることもないだろ…くそっ…)
苛立ちを隠すようにそそくさとその場を離れて自分の席に座りイヤホンをつけてホームルームが始まるまで時間を潰そうとする。
「おはようございます、上里さん」
…このクラスで樹に自分から話しかけてくるような人は園子以外には基本二人しかいない。
「はい––おはようございます。鷲尾さん」
樹、園子とともに神樹様の『お役目』に就くことなっているクラスの学級委員長である『鷲尾須美』
長い黒髪が綺麗で、なおかつ小学六年生にしては異例の発達を遂げている体を持っている女の子。性格はどちらかというと大人しめで落ち着いている。
といっても園子みたいにのほほんとマイペースなわけでもなく、シャキッとしてなにかと物事を考えながら生きているタイプ。そうでなければいけないと自らに課しているタイプとも言える。
「今日も音楽ですか?」
「はい、…ダメですか?」
「ダメではないですけど、飽きないんですか?」
「別に–––」
視線をそらす。まだ下を向いていないだけ妥協点だろうか。
(どちらにせよ、ダメか)
「そうですか。…今日も乃木さんと一緒に来たんですね」
「…まあ」
「仲がいいんですね」
「……」
「照れることないじゃないですか。いいことですよ」
「…どうも」
この人は、鷲尾さんはよく話しかけにこれるなと正直思う。『お役目』のことを考えてコミュニケーションを取るためにしているのは別にわかる。
でも、それにしたってよくもまあ飽きもせず毎日話しかけてくるなと思うのは別の話だ。
(嫌いとかじゃないけど)
キンコーンカーンコーン。
予鈴がなった。その音に合わせておもいおもいに交友を深めていたクラスメイトたちはいそいそと自分たちの席に座っていく。
「では、また」
須美が微笑を浮かべて自分の席に戻っていく。
「…………」
返事をする前に戻っていってしまった。
今度こそイヤホンを……付けたかったのだが予鈴がなったということはすぐに先生が来てホームルームが始まるということ。
(…園子ちゃん、また寝てる)
樹と須美が話をしている間に先ほどの女子たちとのやりとりを終えたらしい園子は自分の席に座って爆睡していた。
(相変わらず寝つき良いな、園子ちゃんは)
もっとも園子が暇さえあればよく寝ているのはこのクラスはもちろんおそらく神樹館小学校に所属している児童なら誰もが知っているようなことである。
それほど園子はよく寝てる。
「すぴー…すぴー……)
(あんな綺麗な鼻ちょうちんが出来ることなんてあるんだ…)
机に突っ伏して心地好さそうに眠る園子、その姿は悩みなど一つもなさそうなほど安らかで
(羨ましいな…)
そう思わざるを得なかった。
「すぴー……わあ!?」
(あ、弾けた)
鼻ちょうちんが勢いよく弾けその音にびっくりする園子。
「ごめんなさい〜お母さん〜!」
起きたのと同時に両手を合わせてなぜか謝罪。
(どんな夢見てたんだろ…)
「って…あれ?家じゃない?」
ようやく夢から現実に戻ってきた園子に対して隣の席の須美がやれやれといった様子だ。
「乃木さん、ここは教室で朝の学活前よ」
「てへへ〜鷲尾さんおはよう〜」
「おはようございます」
この教室では定期的に見られる出来事。これを見ていると今日も1日が始まったんだなと思ったりもする。
(あの二人は、どれぐらい仲良いんだろ…)
キーンコーンカーンコーン
始業を伝える鐘がなる。それとほぼ同時に一人の若い女性教師が教室に入る。
「皆さん、おはようございます」
安芸先生。前に樹たち四人に『お役目』の説明をし、四人がそれに選ばれたことを伝えた大赦の神官。
そして神樹館小学校六年二組の担任教師。
「はあ…はあ…」
教室の外から息を切らして走ってくる少女が一人。樹に話しかけてくるもう一人の少女、三ノ輪銀。
「はざーす。は〜間に合った〜〜んがっ!?」
「三ノ輪銀さん、間に合ってません」
安芸先生は生徒名簿でちょこんと軽く銀の頭を叩く。
「いったー!先生いったー!」
手をブンブン振って抗議する銀。そしてまたいたものだ、とばかりにクラス中に穏やかな笑いが生まれる。
(三ノ輪さんは相変わらず元気だな…というかまた何かトラブルにあったのか)
銀が遅刻してくるのはそう珍しくない。前に本人が話していた。自分はどうにもトラブル体質で登校中とかに色々と足止めを食らってしまう、と。
「早く席に着きなさい」
「ミノさんは相変わらずだな〜」
クラスメイトたちの笑い声の中で園子の声は妙にはっきりと耳に入る。自分でも思うけど厄介な仕様だ。
「ねえ銀ちゃん、今日はなんで遅れたの?」
「六年生になると色々もあるんさ」
「ええ?」
(色々…ね)
視線を銀に向けつつ内心思う。
(また何か人助けだろうな)
「のわっ……教科書、忘れた……」
樹の席からチラッと見える銀の席に置かれたランドセルには見事に何も入っていなかった。
(重さで気づけよ)
「それでは今日日直の人」
「はい」
安芸先生の応答に元気よく答える須美。一方銀は無い物ねだりでもするかのようにランドセルを揺すったり、口の部分を下に向けたりしている。
「起立」
須美の号令に合わせてクラス全員が立ち上がる。
「礼」
今度は安芸先生の方に向かって頭を下げる。
普通ならこれで終わりでそのまま座るのが当たり前。でもこの世界では違う。
もっとも流石にもう慣れたが。
クラス全員が礼をした頭をあげて体の向きを変える。
そして両手を合わせて目を瞑る。
『神樹様のお陰で今日も私たちがあります』
「神棚に礼」
これで毎日の『神樹様に拝』も終わり。
今度こそこのまま席に座る–––––––はずだった。
「あっ…」
「んっ…?」
「んあ…?」
須美、銀、園子が異変に即座に気づく。
そして樹もまた、異変に気付いた。
「えっ……な、なんで……」
時が止まっていた。
意味がわからないと思う。それはそうだろう。樹自身だってわかっていないのだから。
「みんな…なんで……どういう…」
何をすればいいのか、どうすればいいのか分からず辺りをキョロキョロするしかできない。
「これって…」
銀が振り返しつつ須美に問う。
神妙な顔つきをみせる須美、そして突如流れ始める多数の風鈴の音。まるで細かに直接響かせているような、嫌な音だ。
そして須美は園子の方を向きつつ頷き、真剣な表情でこう言った。
「きたんだ」
「私たちがお役目をする時が」
まるで須美のその言葉を待っていたかのように、世界は変化を遂げ始める。
大橋から四国–––すなわち全世界が光に包まれ始めた。
「うぉきたきた!」
「眩しい〜!」
「っく…!」
それは樹たちの教室も例外ではなく、全てがその光に包まれる。
眩しさに思わず閉じた目を開くと、––––そこには見たこともない景色が広がっていた。
「うわあー!すげー!」
「初めて見た〜これが」
「神樹様の結界」
感心するように言う三人。しかし樹は一人困惑と混乱を極めていた。
「これが…お役目……?」
震える唇から言葉が漏れる。
「そうよ、これが私たちが神樹様から仰せつかった大切なお役目よ」
自信満々、そんな言葉が似合う雰囲気を今の須美は醸し出していた。
「ん、どうした、上里さん」
銀が様子がおかしい樹に気づく。
「…イッつん」
園子はなんとも言えない複雑な表情。それは樹の性格を、立場を、これまでの人生をある程度知っているだからこその反応。
「…………」
樹は沈黙したままだ。それでも体が震え、手が震え、唇が震えていれば誰だってそれが異変だと気づく。
「ど、どうかしたの上里さん?もしかして体調が悪いとか…」
「うおまじか。タイミング悪いなあ。あ、別に上里さんを責めてるわけじゃないからな」
巨大な樹木に埋め尽くされた世界。これこそが樹海化。神樹様を狙う敵を迎え撃ついわばバトルフィールドのようなもの。
それはまるで樹木の海のようにどこまでも広がっており、遠くに見えるのは唯一他の建物のように樹木になっていない瀬戸大橋。
そして–––うっすらと影だけ見える巨大な樹。
それこそが『神樹様』
四国、すなわちこの世界を、人が住む世界を守る地の神様の集合体。
さらには
「あれが……」
「私たち、人類の敵……」
結界の外側と四国をつなぐ大橋、その上を悠々と進む存在。
大きな青色のゼリーのようなものを体の中心として左右に水色のこれまた大きなボール状のものが二つ。青色のゼリーのようなものの下と上にはそのままゼリーの中に繋がっている白い触覚のようなものがある。見たことも聞いたこともないようなシルエット。
『バーテックス』頂点という意味を持つ人類の敵。
バーテックスがこの大橋を渡りきり神樹様の元に達したとき、神樹様は滅び、結界を失った人類はそのまま滅びの時を迎える。
そして敵がこうして現れた以上、これ以上無駄話に華を添えている時間はない。
須美、銀、園子の三人は互いに顔を見合わせ端末を取り出す。その画面の中心には花のマークが描かれたアイコンが表示されており、事前に説明されていたであろう三人は迷いなくそれを押した。
その瞬間、スマホから花弁が溢れ出始め、光とともに三人の体を煽っていく。
須美は菊、銀は牡丹、園子は青薔薇
それぞれモチーフの花の色合いを持った服装へと変化する。
これこそが勇者として戦装束であり、三人が勇者である証明である。
「おーカッコいいな!」
「ミノさんに会ってるんよ〜」
はじめての勇者への変身ということもあり、銀と園子は興奮を隠しきれていない。
「もう二人とも、これは遊びじゃないのよ?」
そう言いながら須美も自らの勇者服をキョロキョロと眺めている。
皆、今まで味わったことのない非日常に小学生らしく胸を躍らせていた。
ただ一人、樹を除いて。
なんで––––なんで–––
「なんでみんなそんなに平気そうなんだよ……」
震える声で樹が呟く。しかしあまりにも小さいその呟きは三人には届かない。
楽しそうにしていた三人の視線が即座に集まる。樹は未だに神樹館小学校の制服のまま佇んでいた。
「上里さん、体の調子が悪いのなら無理にとは言わないわ。でも変身はしておかないとここじゃ危ないわよ」
「そうそう。敵ならこの銀様がバシッと倒してきてやるからさ!」
「もう!いい加減なこと言わないの三ノ輪さん!」
「ええー!?真剣なのに!」
先程から樹の様子がおかしいのは体調が悪いからと疑ってやまない須美と銀。無理もないことだ。二人は樹の人となりを知らないし、その境遇など知るよしもない。
それに樹以外の三人はあらかじめ大赦から神樹様のことやバーテックスのこと、樹海や大橋のこと。さらには勇者へと変身方法から各々の武器の扱い方を知らされており個々にではあるが訓練も施されていた。
樹だけは、樹だけは一番最初に四人で安芸先生から説明された時以外何も知らされず、なんの訓練も受けていないのだ。
さらに樹を除く三人は樹が何も知らされず、何も訓練を受けていないという事実を知らない。
樹は自分以外の三人がきちんと情報を与えられ、訓練を施されていたという事実を知らない。
三人と一人の間に理解と現状把握の誤差が大きすぎるのだ。
「イッつん……大丈夫…?」
言い合いを繰り広げる須美と銀を尻目に園子は樹のそばによる。
樹の視線は下を向いており近くに寄ってもその表情はうかがえない。
樹は視線を落としたままポツリと口を開く。
「ねえ園子ちゃん……私にみんなと同じように変身してあれと戦えっていうの…?」
この言葉は今あくまで園子に向けられているが、本当はきっと違う。
(俺にあんなバケモノと戦えってのかよ……義父さん………)
自分の言いたいことだけ言って、あとは何もしない。こっちが何か言っても何も返してはくれない。感謝を伝えても見向きさえしてくれない。
俺をお姉ちゃんの元から無理やり引き剥がしたくせにその責任も取らない。
俺をお姉ちゃんの元に返してもくれない、あの義父さんのために戦わなくちゃいけない。
そんなのって––––
震えていた手に力がこもり始める。困惑や混乱に怒りが混じり始めた証拠だ。
「イッつんの考えてる通りだよ」
そして園子は質問に答えた。躊躇もせずいたって冷静に。まるで先程まで樹を心配そうに見ていたことが嘘だったかのように冷酷告げた。
「イヤだよそんなのっ!!!なんなんだよいきなり!!義父さんは俺に何もしてくれないくせにっ!!」
樹はそう叫ぶとともに顔を上げる。その目には涙が浮かんでいた。
「……イッつん。イッつんはね、必要だからここにいるんだよ」
今自分が義父さんに言ってるのか、園子に言っているのかわからない。でも園子の返答が自分が求めるものじゃないのだけはわかる。
–––何を求めているかもわからないくせに。
自分でも知らない心のどこかで誰かがそう呟いた。
「なぜ……俺なの………」
涙とともにあげていた視線を再び下げる。何粒かの雫が樹海に滴り落ちる。
自然と一人称が『私』から『俺』になってしまっていることを気にするものは今ここにはいない。
須美も銀も何がなんなのかわからない、そんな表情を浮かべている。
「他の人には無理なんだよ、イッつんと私たちにしかできないことなの」
園子は変わらず告げる。自分が今樹に伝えられることを。事実だけを。
「無理だよそんなの…!見たことも聞いたこともないのにできるわけないよ…!!」
この樹海も迫ってくるバーテックスも、隣で変身する三人も、全てが樹にはわからない。
「大丈夫、私たちがちゃんと説明するから」
園子はなおも諭す。そこには樹に対する優しさを感じることはできない。
「そんな……できっこないよ…!あんなのと戦えるはずがないよっ!!」
樹の叫びが涙とともにこだまする。
しびれを切らして銀が口を開いた。
「…なあ、とにかく早くあいつを倒しに行かないやばいんじゃないの…!」
しかしその口調はいつもの元気少女のものではない。同じクラスのクラスメイトになってから多少なりとも話したことがある間柄ではあったが聞いたことも想像したこともなかった樹の叫びと涙。
それが今目の前で見せつけられている。
「…そうね。三ノ輪さんの言う通りだわ。もう行かないと…!」
須美も時間と余裕がないことを伝えるがその口調にも覇気はない。やはり樹を気にしている。
「イヤだよ…こんなの…こんなのないよっ!!」
樹は否定する。今自分ができることを。今自分がしなければいけないことを。
それを肯定する役目を持つものは、今ここにはいない。
園子にできるのは自分の気持ちを伝えることだけ。
「イッつん…何のためにイッつんはここにきたの…?」
園子は自分がずるいことを、酷いことを言っていると自覚した上で言葉を紡いでいる。樹には他人に対する、特に自分を無理やり引き取ったはずのお義父さんに対する承認欲求があることをわかっていてだ。
「……っ!」
樹は思わず視線をそらす。ずっと見ていても飽きないと思っているはずの見ていて落ち着くはずの園子の顔から視線を逸らしてしまう。
「ダメだよ逃げちゃ。お義父さんから、何より自分から」
園子は間違ったことを何一つ言っていないし、今彼女ができる最大限のことをした。それができるのが乃木園子という少女なのだ。自分で自分を作り上げることができる心の強い人間だ。
(ごめんね、イッつん…本当にごめんね…)
でも園子は優しい子なのだ。強い人間にもかかわらず–––いや、強い人間だからこそ人は優しくなれるのかもしれない。
だからこそ良心を傷つけながら、自らも苦しみながらそれでも樹を思って言葉を発し続けた。
勝手なこと、樹が辛い思いをするとわかっていて。
それでも–––今の日常の中で見る樹の表情よりはきっといい顔が、笑顔が増えてくれると信じて。
時折とても悲しそうだったり、泣きそうだったりするあの樹の表情がなくなってくれると信じて。
樹には園子が言っていることが正しいことぐらいわかっている。
でもわかっているからといってそれができるなんてわけもない。
「わかってるよ!でも…でもっ……できるわけないよっ!!」
今回で初戦闘が終わると思ってたら全然そんなことなかったよ。
これ以上な長くしすぎちゃうのもなんなので、肝心の初戦闘は次回からということで、すんません…