・神樹館小学校勇者四名の記録書
・鷲尾須美
弓矢を主武装とし遠距離からの支援が主な役目。弓矢はリーチがある分ある程度の余裕を持って攻撃なおかつ危険を減らせるが威力不足は否めない。何本かの矢を同時に放つことによる牽制や梅雨払いをすることも可能。
個人としては真面目で責任感が強く四人の中で誰よりもお役目に対する意識が高い。しかし反面精神的に少々脆い疑いがある。
・乃木園子
槍を主武装とした中距離又は近距離での直接攻撃あるいは支援も行うことができるオールラウンダー的な役割を果たす。その槍は複数の矛先が浮いた状態にあり多方面にわたる使用が可能。盾としても使用することができ攻撃のペースも速く比較的扱いやすい武器である。
人物としては行動が予測できないマイペースなところがやや強い傾向にある。あの乃木家の一人娘ということもありお役目に対する理解は早いが意識の強さなどに関しては測りかねる。
・三ノ輪銀
双斧を主武装とする完全近距離戦闘スタイル。双斧は一撃の重みが大きくその分敵に与えるダメージも大きいがかなり接近しての攻撃をしなければならず敵の反撃を受けやすく攻撃の時に隙が生まれやすいため注意が必要。支援とうまく組み合わせていかなければ怪我も承知の力押しになってしまう恐れはある。
人間としては元気ハツラツで明快な性格をしておりコミュニケーション能力にもあの四人の中で最も、あるいは唯一長けている。お役目に対する意識などについてはまだ不明。
・上里樹
ワイヤーを主武装とするがはっきり言ってしまえば扱いが難しい武器である。しかしうまく使えば支援にも攻撃にも使うことができる可能性を秘めていると思われる。ワイヤーをばら撒くようにして鷲尾須美の弓矢のように使うこともできれば敵に巻きつけ行動を封じる制限すあるいは刺すなどして移動手段とすることも。しかも報告によるとワイヤーを束ねて即席の剣のようなものを創り出せることも確認。近距離でもあるいは戦えるであろう。
人となりはややナイーブで内向的。
・勇者四名による戦闘報告書
・初戦闘ならびに敵バーテックスは水瓶座、通称アクエリアス・バーテックス。
・動きは遅いが触覚のような部位から出される水球と左右に付属する青い球体からの水流攻撃の使い分けが厄介である。
・初戦闘ということもあってか苦戦を強いられたが乃木園子の作戦と指揮。鷲尾須美の支援。三ノ輪銀、上里樹らの奮戦によって撃退。
・負傷者–––––––鷲尾須美、乃木園子、三ノ輪銀、いずれも軽傷。
上里樹、無傷。
「………………」
一通り書き終えた記録書ならびに報告書が映し出されたディスプレイを見つめたままキーボードから手を離す。
しかしこれで仕事は終わりではない。鍛錬のことや計画されている合宿のこと、バーテックスの今後の襲来予定、勇者システムなどについ
の確認や相談のために諸々顔を出さねばならないし身を通しておくべき資料もある。
さらには大赦の人間とは別に神樹館小学校六年二組の担任教師としての業務も控えている。
文字通り仕事は山積みと言ったところだった。
「…疲れた」
そんな事実確認を頭の中でしつつも椅子にもたれかかりつつそう呟く。
こんな弱音など他の他人がいるようなところでは絶対に見せないが心配せずとも今はここにいるのは自分一人。
ともすればそんな弱音の一つや二つも出てくるもの。
「……お風呂入りたいわね」
そもそも今は何時何分何秒だったろうか。しばらく時間を確認していなかったので検討がつかない。もうとっくに日は暮れていると思うが。
ともかくとしてまず片付けなければならない仕事がある。お風呂にも入りたいし欲を言えばそのまま寝てしまいたいが……とりあえずコーヒーでも入れることにする、と決めた瞬間––––
「…!?」
突然何か冷たいものが頬に当てられとっさにそちらの方を振り向く。
そして一瞬で安心…したくなかったがとりあえず安心した。
「久しぶりですね、一年ぶりぐらいかな?」
そこにいたのは冷たい缶コーヒーを手に小さく笑みを浮かべる青年だった。それも見覚えのある、というかありすぎる人物。
「…そうね。もう、そんなになるわね」
「いやはや時が経つのは早いものです」
「何しに来たの、三好くん」
「もちろんあなたに会いに」
「なぜ」
「私が会いたいと思ったからです」
「そう、私は全く思っていないけど」
その言葉を最後に再度仕事に取り組もうとディスプレイに目をやる。
「相変わらず冷たいですね安芸さんは。––––まぁ僕はそんな安芸さんだから好きなんですけどね」
「……あなたも相変わらずね三好くん」
「ありがとうございます」
「褒めてないわ、これっぽっちも」
「でもですよ」
「あなたってそこまで変態だったかしら」
「安芸さんになら変態呼ばわりされてもいいかもですね」
「…そう」
これ以上やってられないとばかりにそっけない返事を取る。そんな彼女の視線に映し出されているのは先のアクエリアス・バーテックスとの初戦闘において勇者システムの戦闘記録機能によって記録されているデータである。
「これが三百年ぶりの敵と戦闘を繰り広げた勇者たちですか」
躊躇することもなく近づき興味深そうにディスプレイを除く。
「言っておくけどここ監視されてるわよ」
「ご心配なく。すでにダミーが走ってます」
「そんなところまで相変わらずなのね…」
「負け戦がしたくないだけですよ。–––なるほどね」
本当にわかっているのか、それともハッタリなのか。そんな区別もつかないような表情でディスプレイを見つめる三好。
「…………」
安芸はそんな三好の横顔をバレないように視線だけでそっと見ていた。
「それで、実際のところはどうなんですか。勇者四人の方は」
「そうね……言ってしまえばまだまだ問題は多いわ。彼女たちには何より連携が足りていない。メンタル面においても不安な者もいるし、この状態で戦いを続けていくのは難しいでしょうね」
「上里樹…ですか?」
「…彼女に関しては未知数なところが多いわ。この報告書では三ノ輪銀との奮戦によって撃破なんて書いてるけど、本来鎮花の儀によって撤退させることが精一杯なはずの敵を上里樹が一人で倒しきってしまった。……というのが真実よ」
「へえそんなことが」
「さらに不可解なのがバーテックスにとどめを刺した時の彼女の戦闘データが一切記録されていないのよ。他の三人の証言によるとその時のことを本人はよく覚えていないとのことだし…」
戦闘後程なくして意識を失ってしまった樹を除く三人に聴取を行い聞かされたその結末は安芸を非常に驚かせた。
初戦闘において予想以上の戦闘に対する拒否反応を見せながらも途中からはなんとか変身に成功し戦列に参加。ところどころでワイヤーによる支援も見せながらも積極的に行動、攻撃することはなし。
しかし三ノ輪銀の捨て身の猛攻も虚しく敵がまだ倒れないとなった途端に人が変わったかのようだったそうだ。
「ワイヤーを束ねて即席の剣にするなんて…馬鹿げてるわ」
「大赦の技術部もびっくりですねえ、本当に」
「随分と軽く言ってくれるじゃない」
「小言でも言われました?」
「それは今後言われる予定よ」
「それは難儀なことで………ちなみに上里樹が事前に何も知らされていなかったのはご存知で?」
「–––––ええ、つい先ほどね」
「上層部はなんと?あなたのことだがらもう問い合わせる、又は問い詰めたんでしょう?」
「なんの反応もなし。聞く耳なしだったわ」
「安芸さんがこの役目を引き継いだのは」
「一週間前よ」
「なるほどね。––ひどい話です」
「…そうね。––––大赦の中に彼女が『上里』の名を名乗り、あの家の一員であることを受け入れられない、阻止したい者が一定数いるようね」
「ただの平凡な家から突如として検出された勇者適正の高さだけで名家の中の名家である上里家の敷居をまたぐなぞ恐れ多くふさわしくない、といったところでしょうか」
「それにもう一つ…」
「そもそも上里家自体を、というわけですか」
「ええ、–––あの家を蹴落として自分の家を…というわけ」
「それにしたって、小学生に対する悪意としては度を越しすぎなんてものではありませんね」
「大人だってそうだわ。–––命が危なかったのだから」
「社会の汚い大人たちの都合や争いで子供に辛い思いをさせるのは気がひけるなあ」
「でもそれにすがることでしか私たちは生き残ることはできない」
「子供を犠牲にしてでも、ですか」
「……そうならないようにするのが私たちの仕事よ」
「…楽しかったよな」
天井がその問いに答えてくれることはない。誰も答えてくれることはない。ただの独り言、自己満足だ。
「楽しかったはずなんだよ」
思い出されるのは三人の同級生の少女たちの笑顔と笑い声。
あんなのいつぶりだったろうか。園子ちゃんと二人で食事をしたりおしゃべりをしたりすることはこの一年ほどでそれなりに回数を重ねてきた。
決してその時が楽しくなかったとかそういうんじゃない。園子ちゃんも笑顔だったし俺も……俺もそうだったはずなんだ。
でもあれは何か違う–––なんだかもっとずっと、少なくとも決して悪い者じゃなくきっと良いものなんだ。
複数の人と何かをしたりすることが楽しいなんて初めて知ったし、今もまだその余韻は残ってる。
いくつもの嫌な、悪い記憶の中に光を与えてくれてるかのように残ってる。
「だったらそれでいいじゃないか…」
でも同時に思うのだ。理由もなくそれでいてどうしようもなく
『自分は本来そこにいる人間じゃない』
楽しいし、嬉しい、なのにどうしようもない疎外感を感じてしまう。
『もうあの空間に入る余地はない』
自分の性格とかこれまでの経験でそう感じる、最初は自分もそうだと思った。
『もうあの空間は––––完成されたものだから』
でもそうじゃない。言ってしまえばそれは頭に直接とか本能に訴えてくるとかそんなレベルの話。三人で出来ている、出来上がっていたところに俺が半ば無理やり入っているような状態。
「違う…違う違う違う……」
三人の輪に一人付属品かのように付いている状態。異物で別に必要ないもの。なくなっても困ることはないしむしろそれで本来あったはずの当たり前だったはずの空間になる。
「みんな言ってくれたんだ」
『イッツンがいてくれて助かったんよ〜』
『そうそう。心強かったぜ、樹』
『ええ一緒に援護してくれたでしょ、上里さん』
「みんなああやって言ってたんだ。楽しかったんだよ」
『そうやって考えたくないことから–––嫌なことから逃げ出すんですね』
「いいじゃないか…考えたくないことから…嫌なことから逃げ出したって……」
『そうやってまた自分のことばかり考えてる。自分と他人の間に勝手に距離を作って』
「自分のことばかり考えたっていいじゃないか……他人の気持ちなんて簡単にわかるわけないんだから…」
『それも逃げてる証拠。あなたはわかろうとしてないだけ。楽しいことにすがり付いていたいだけでしょう?』
「…嫌なんだよ。苦しいのも辛いのも悲しいのも…楽しいことをやってたいよ……」
『楽しいこと––––楽しいことだけをやっていられる。そんな都合のいいことあると思いますか?』
「知らないよ!そんなの!!」
『………………』
「考えたくないことから、嫌なことから逃げ出して……楽しいことだけやってて…何が悪いんだよ!!」
「…っ!?」
知ってる天井だ。知ってるけど…嫌いな天井。
悪夢を見た、そういうことなんだろうか。
内容も何も覚えていないけど––––
嫌なことものだったことはなんとなくわかった。
「…またか」
ここ最近時折見てしまう。内容も覚えていないのにそれが悪夢だったとわかる夢を。
どんな夢だったか何もわからない分余計にタチが悪い。
そこにはただ嫌だったことしか残らないから。
「……サンチョ」
サンチョをこうして抱きしめていると気が少し紛れる、そんな気がしている。
園子ちゃんの匂いも、須美ちゃんの匂いも感じることができるから。
全てを知っていても、全てを理解していないこの部屋の中でサンチョだけは自分が見て感じてきたことが残ってる。
「銀ちゃんの匂いは…きっと優しくて強いんだろうな…」
周りに人がいたらさぞキモチ悪がられるような発言だとしても樹の精神を安定させるためにこんなことすら大事なのだ。
こんなことでしか自分を慰めることができない。
他人が怖くて自分の殻にこもっていても
寂しさを感じると他人を求めてしまう。
「……逃げちゃダメだ」
「おっす!おはよう樹!」
教室に入って開口一番、聞いていて安心できる数少ない声が樹の耳に届く。
「おはよう銀ちゃん。––今日も元気だね」
「なはは〜まあな」
今日も昨日と変わらない眩しいほどの笑顔。これを毎日見るために俺は学校に来ているんじゃないかと錯覚しそうになる。
「それに今日は遅刻してないし」
「うぐっ…それを言われてしまうと痛い…」
お腹を抑えて苦しそうにする銀。樹からしてみたら苦しそうな銀など見たいはずもない。
「ご、ごめん」
「あ、冗談だから気にしなくてもいいぞ?それに遅刻するのはあたしが悪いんだしな」
「そっか……ごめん」
「うんうん…っておい、またごめんって言ってるぞ」
「あ・・・・ごめん」
そしてこりもせずまた謝ってる。こんなことで銀ちゃんを呆れさせてしまったらどうすればいい。弁明のしようもない…
「樹は優しいんだな。自分が悪くもないのに謝るなんてさ」
「……銀ちゃん」
銀は優しくて正しい人間だから。だからこんな風に言ってくれてる。
でも
「そうそう〜イッツンはとっても優しい子なんよ〜ね、わっしー」
「そうね、上里さんの優しさは国防を担うものとしてとても大切なものよ。もっと自分に自信を持っていいわ」
どこからともなくひょっこり現れた園子と須美。二人とも銀と同じく
見ていて飽きずそして時に辛くなるほどの優しい瞳だ。
「な?あたしの言った通りだろ?」
「というか三ノ輪さん、あなた上里さんに何を言ったのよ」
「ええ!?別にそんな変なこと言ってないって!」
「嘘おっしゃい!可愛い後輩に悲しそうな顔させておいて!」
「そうだよミノさん〜こんな可愛いイッツンを悲しませたらダメなんよ〜?」
「ひえ〜園子までそっちに付くのかよー!可愛い樹ー!助けてくれ〜!」
「はっ恥ずかしいからやめてよ…!」
三人して樹に対して可愛い攻撃を加えつつ樹の顔が羞恥に染まったその時
時間が止まった。
いち早く気がついたのは園子だ。
「時間、止まってるよ」
先の時と同じく四人の他にも大勢いたクラスメイトたちは表情一つ動かすことはなく固まっている。黒板の上にかけてある時計は時を刻むのを忘れたかのように沈黙し、四人以外の全てが停止した。
「…来たのね二体目の敵が」
須美は園子のボソッとこぼした言葉を聞き逃さなかった。意識を切り替えるかのように目を細める。
「よっし!じゃあ行くか!」
銀もやる気満々だ 。これから世界の命運をかけた恐ろしい敵との戦いが始まるにもかかわらず。
「出撃、いいわね上里さん」
須美は先の戦闘のこともあってか心配するかのように樹に声をかける。
「–––––––––うん」
2回目の戦闘が始まった。
「南無八幡……大菩薩…!!」
須美が必殺技でも出すかのようにしながら吹き乱れる空中で矢を放つ。
しかし回転によって生まれる強烈な竜巻によってその勢いを失い矢は力無く地に落ちる。
「そんな…っきぁ…!!」
須美は何も支えがない空中を吹き飛ばされる。いくら勇者といえど空を飛ぶことは叶わない。
戦況はまたも危うかった–––––
二体目の敵バーテックスは天秤座の名を冠するリブラ・バーテックスであった。
リブラは左に巨大な分銅、右に三つの小型の分銅をぶら下げ、その名の通り天秤のようである。
奴はその分銅を体を軸に回転して強烈な突風を吹き起こしながら振り回す。
アクエリアスの時のように自ら神樹様に向かった行く様子は今のところ見受けられないがそれでも回転による竜巻は四人の勇者たちを自らに近づけさせないことには効果抜群だった。
園子の槍を支えにして園子の背に銀、銀の背に樹、さらに樹の背に須美がしがみつくようにして風をなんとかしないでいたが徐々に侵食されていく樹海を見てしびれを切らした須美は樹の背から手を離し竜巻によって巻き上げられた状態のまま先ほどのように矢を放ったのだった。
しかし結果は効果なし。
リブラは吹き飛ばされていった須美には目をくれず次なる狙いに目をつけた。
「っ危ない!!」
園子はとっさに危険を察知し支えにしていた槍を盾状に展開する。
リブラは園子めがけてその分銅を力任せにぶつけ始めた。
「っうぅ……!」
風に乗った分銅の重みに園子の顔が歪む。一回二回と分銅をぶつけられ必死に槍を持っているその手からは血が滲み出した。
「っく…!」
銀は園子の背からも伝わってくる衝撃に奥歯を噛み締めながらもどうするべきか考えていた。
風と分銅によって全く近づくことが叶わないように一見すると見えるが、まだ可能性はある。
台風の目だ。台風はその中心部分においては風が吹かないのと同じようにリブラに関しても中心部分においてなら十分に攻撃をすることが可能かもしれない。
銀はそのタイミングを見計らっていた。
下手に飛び出せば竜巻に吹き飛ばされるか、分銅をじかに受けて叩きつけられる羽目になってしまう。
ここぞという時に一気に飛び出さなければならない。その時は自分の後ろにいる樹にも協力してもらって一気に叩く。
(悪い園子…!もう少し耐えてくれ!)
銀は心の中で園子に済まなく思いつつ巨大な敵を見上げた。
(中心部分…中心部分…中心部分……中心部分……)
『また逃げるんですか?』
(……逃げちゃダメだ)
「!?っ樹!」
銀の驚きを隠せない声がこの竜巻の中でも園子に聞こえてきた。
「イッツン!」
「くっ…!」
樹は銀の背から手を離し先ほどの須美のように竜巻によって空中に巻き上がる。
須美は空中で自らの動きをコントロールすることはできないが、樹は違った。
腕を突き出してワイヤーを放ち、リブラの胴体に絡ませた。
「っぐぅ–––––」
身体中に竜巻を受けながらも上昇して風が吹いていないと思われる頭上を目指す。
しかしリブラの動きが樹よりも早かった。
「避けろ樹––––!!」
どこからか銀の叫び声が耳に入ってきて–––受けたこともないような衝撃を感じたのはほとんど同時だった。
(…………逃げちゃダメだ…逃げちゃダメなんだ…)
樹は強く叩きつけられた体を無理やり起こして胸の中で唱え続ける。
全身に受けた衝撃のせいでふらつく視線をリブラだけに向け何度も何度も。
「上里さん!大丈夫!?怪我は!?」
心配して駆け寄ってきた須美の言葉にも今の樹の耳には届くことはない。
今樹を支配しているのはただ一つ
「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…」
「上里さん!一度後退して体勢を立て直しましょう。二人とも合流しないと危ないわ」
須美の言うことは正しい。ここで一人突撃していってもどうにかなることなんてないだろう。
「逃げちゃダメだ–––逃げちゃダメだ–––」
「上里さん?聞いてるの上里さん!」
「–––––––––!!」
「…!?待って上里さん!ダメ!」
須美の制止の声––––そして
「うわああああああっ!!!!」
樹の叫び声が虚しく樹海にこだまする。
リブラだけを目に据えて樹は駆け出し跳躍していく。
再びワイヤーを放ちリブラの胴体に絡ませそれを巻き取ることで一気に接近。
リブラはもう一度樹をたたきつけようと分銅を振り回す。
しかしもう樹が分銅に叩きつけられることはなかった。
ワイヤーの巻き取りを調節して風の吹き荒れる中分銅をかわしリブラに迫る。
そして狙うべきは先と同じく竜巻の影響を受けない頭上。その中心部分。
しかしここに来て分銅を振り回すスピードが増しその全てが樹に向けて振るわれ、–––––––ワイヤーで繋がったままの樹に直撃する。
「うっ…!?」
再度直撃をくらい激痛が全身を襲う。しかし今の樹はワイヤーでリブラと繋がったまま。
分銅が直撃した衝撃を利用し今度こそ頭上に到達した。
「がああああっっーーー!!」
樹はワイヤーを即座に変形させとっさに大型のナイフのようなものを創り出しリブラの頭上からしがみつくようにして思い切り突き刺した。
「あああああああぁーーーーーーー!!!」
突き刺した部分から閃光がほとばしり金属を切るときのような不快な音が鳴り響く。
リブラは頭上でしがみつくようにしてナイフを突き刺す樹を振りほどこうと竜巻を起こしていた回転をさらに早める。
樹に回転によって生じる猛烈な吐き気が襲いかかる。
(気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い–––––痛い苦しい気持ち悪い––––)
三半規管に感じたこともない嫌悪感が生まれ胃の中のものを全て吐き出しそうになる。
「あああああああああぁぁぁーーーーーーーーーー!!!!」
その気持ち悪さ、嫌悪感、苦しさを紛らわすかのようにさらに激しい絶叫をあげる。
さらに樹のその絶叫に呼応するようにしてワイヤーで創り出したナイフがその緑の輝きを放ちつつ徐々に巨大化していく。
「るあああぁっーー!!!っああああぁ!!!」
ワイヤーのナイフを握る両手にさらに力を込めて深く––––深く突き刺す。
ナイフはリブラの胴体を着々と抉っていくが樹を苦しめるその回転は止むことを知らず竜巻が唸り上がっていく。
「うっ…!!うううぅっ……!ああぁぁぁぁ…!!」
リブラと樹の我慢比べのようなこの状況––––先に根をあげそうになったのは樹。
「あぁ…っ!…ああぁ……!」
ナイフに込める力が弱まり始め視界が薄く狭くなってきた。
リブラがまだ倒れる様子はない。
「あぁ…ぁ…ぁぁ…!……!」
樹の絶叫はか細い悲鳴へと変わっていき活動限界を表していく。
銀の双斧によるトドメの一撃が加えられたのは樹の変身が解ける寸前であった。
斜めに敵を切り裂くその一撃で二体目の敵リブラ・バーテックスは戦闘不能に陥り、鎮花の儀によって壁の外へと撤退させることに成功。
勇者たちの勝利となった。
「う…っううう……うぷっ…おえぇえ……!」
神樹館小学校の制服に戻っている樹の口からビシャビャシャと吐瀉物が吐き出される。
あの回転を受け続けたことで三半規管はすでにボロボロになっていたのだろう。
分銅をくらった痛みや、今でも残っている恐怖、苦しみ、気持ち悪さが諸々ストレスとなっていたのもあるかもしれない。
「はぁ…っはぁ……はぁはぁ…っうううぅ………」
荒い呼吸と嗚咽を繰り返しながら震えている自らの体を抱く。
園子との出会いに救われて、銀の言葉に救われて、須美の献身に救われて。
三人といるのはなんだか楽しくて嬉しくて。
三人と居たいから勇者になった。
戦った。
そして逃げないで頑張った結果、またこんな思いをしている。
吐いて嗚咽して震えて、自分の体を必死に抱いて––––銀に頭を撫でてもらった時の『嬉しい涙』じゃない––––『苦しい涙』が出てくる。
三人と居たいと思うからお役目をする、でもお役目をすると嫌な思いをしてしまう。
(逃げちゃダメなんじゃない。そもそも逃げれるところなんてどこにもないんだ)
「嫌なんだよ、勇者になるのが」
「神樹様に選ばれた大切なお役目だから、名誉なことだから、世界を守るためだからうまくいくのは当たり前。だからだれも褒めてくれない」
「失敗したらみんなに嫌われる。ひどけりゃ死ぬだけ」
「なんで俺はここにいるんだ?」
「わかってる。三人と居たいから俺はここにいる。それでも思っちゃうんだ。どうしようもなく、なんでここにいるんだろうって」
「変わったこともあったんだ。いいこともあった。でもやっぱりこんな思いをすることは避けられない」
『でもあなたは生きたいと思ってる。違いますか?』
「生きる?」
「なんで生きてるんだ俺は」
「生きていてもしょうがないと思ってたじゃないか」
「お父さんもお母さんも、義父さんも安芸先生だって–––––だれも俺がいらないんだ」
「勇者にならない俺は必要ないんだ」
「だから俺は勇者になるしかないんだ」
「だから俺はここにいられるんだ。あの三人とも居られるんだ」
「だけどっ…!勇者になると俺は……………」
四人の勇者たちの勝利を迎えたのは満点の青空ではなく
体も心も–––––どこまでも冷たくするような大粒の雨たちであった。
そして、鳴子百合の勇者は逃げ出す。
アニメでは冒頭だけでさらっと終わった戦闘がかなり長くなってしまいました。
そしてほのぼのとかキャッキャウフフも早く書きたい。…でもほのぼの書いてたらシリアス書きたくなるんだろうなって。