「あなたには勇者のお役目を降りてもらいます」
病院のベッドで目覚めた樹に対して安芸先生はそう言った。
「わかりました」
「何も、言わないんですね」
「もういいんです」
「聞かないんですか?」
「……………」
「三ノ輪さんのこと、鷲尾さん乃木さんのことも」
「……………」
「–––あなたは勇者としてのお役目を成すために『上里』の家の人間になり神樹館小学校に通っていました。そのお役目を降りるということはもう、あなたはここにいることはできないのは理解していますね」
「はい」
「だからといって簡単に前の家に戻ることができないのも、わかりますか?」
「想像はできます」
「あなたにはこれからも大赦の監視が置かれ行動にも制限が付きます」
「当然ですよね、普通の人が知らないようなことまで知ってしまってるわけですから」
樹は安芸先生の顔を見ない。ずっと、見ないでいる。
「それから、これを」
それは樹の端末だった。
「…どうして渡すんですか。もう私には使えないものですよね」
「鷲尾さんと乃木さんから留守電が入ってるわ」
「…………………」
「友達なんでしょう」
「…………………」
「あなたがなぜ勇者の資格を取り消されてしまったのか正直大赦でもわかってはいないわ。しかし間違いないのは今のあなたは勇者になることができないということ。それはすなわち神樹様の意志がそうさせている」
「神樹様の意志である以上我々大赦はそれに従うまで。…許してとは言わないわ。でも……ごめんなさい。…さようなら」
その言葉を最後に安芸先生は病室を出て行った。
樹はベッドに再び倒れ、天井を見つめる。
少し視線をずらすとそこには安芸先生が置いてあった端末があった。
それを手に取ってみるが、やはり勇者に変身するアプリは消えて無くなっていた。
しかし、代わりにあることに気づいた。
「これって……」
いつのまにか自らの手首につけられていたのは赤いヘアゴム。–––忘れるわけもない。
だってそれは…
「ごめんね、銀ちゃん」
銀が死んでしまった。
樹ちゃんが勇者の資格を剥奪されてしまった。
私は何もできなかった。何もしてあげられなかった。
最後の銀との記憶は薄れゆく意識の中銀に担がれている記憶、そんなものしか残っていない。
あの場であれ以降何があったのか、私は何も知らない。
安芸先生も教えてはくれなかった。誰も何も教えてくれない。
ただわかるのは銀と樹ちゃんを失ったということだけ。
なのに––しかし、それでも戦いは続く。
次の敵は銀のお葬式の最中にやってきた。必死だった。なんとか撃退することができたけど––––私の気持ちは全く晴れなかった。…私たちと言った方がいいのかもしれない。
樹ちゃんに関しては安芸先生が多少話してくれた。あの戦いの最中に勇者としての資格を神樹様により剥奪されたこと、樹海にいることが出来ず現実世界に転送されたため命が助かったこと、外傷もなくすぐに退院したこと、既に神樹館小学校から転校する手続きがされていること、もう『上里家』の人間ではなくなったこと。それを教えてくれた。
けど肝心なことはやはり教えてはくれなかった。
今、どこにいるのか。どこに行けば会えるのか。今後どこに行くことになるのか。
私たちはそれが一番知りたかったのに、安芸先生は断固として教えてはくれなかった。……私はそのっちのあんなに怒った顔と声初めて見た。
私だって一言も二言も安芸先生に言いたいことはあったはずなのにあの時のそのっちを見てたら何も言えなくなってしまった。
…私は弱い。とっくにそれに気づいていたはずなのにそれでも––それ以上に痛感した。
そのっちと一緒に樹ちゃんの端末にいろんなメッセージを送った。留守電も入れた。なんでもいい一言声を聞いて…三人で会いたい………四人で会いたい。
私はそのっちと迎えの車の中で初めて声を上げて泣いた。お葬式もしていて銀の遺体もこの目で確認したのに……私にはそのっちの涙を見るまで何も実感が湧いてこなかったのだ。
イッつんに会いたい。
イッつんの頭を撫でてあげたい。
イッつんの声を聞きたい。
イッつんの笑った顔が見たい。
イッつんとご飯を食べたい。
イッつんとお風呂に入りたい。
イッつんと学校に行きたい。
イッつんとお昼寝をしたい。
イッつんとお出かけをしたい。
イッつんと…イッつんと…
……私ね–––––––––あなたのためなら世界だって捨てられるよ。
人間なんて……他の人なんてたぶんどうでもいいんだ。
だから…………ねえ………………私のところに帰ってきて。
お願い……イッくん。
愛しい私の–––––––男の子。
「やあ、こんにちは」
「…………」
退院して車に乗るなり開口一番運転手がそう声をかけてきた。俺はとても言葉を返す気にはならずただ黙ってしまった。
「少しだけ話さないかい?」
「…………」
「僕の名前は三好春信。仮面を被ってないから意外に思うかもしれないけどこれでも大赦の神官でね。というかあの仮面かぶってたら運転の邪魔だしね」
「…………」
「君には一度会ってみたいと思ってたんだ。安芸さんから話は聞いてたから」
「…………何を聞きたいんですか?」
「あ、誤解しないでくれよ。僕は君から何かを聞き出そうとかそういうことを考えてわけじゃない。まあ大赦の偉い人からそんなことを言い渡された記憶が無きにしも非ずではあるけどね」
「……大丈夫なんですか。そんなことして」
「適当に誤魔化しとくよ」
「…ずるいんですね」
「大人ってやつは、ずるいぐらいがちょうどいいのさ」
そう言って三好春信は小さく笑う。
「……私は、何が大人なのかわからないです」
「そうだろうね、僕だってわからない」
「大人はずるいぐらいがちょうどいいとか言ってたのに…」
「口から出まかせだよ。二十歳を超えてようが仕事をしていようが、この世の中には大人な人間なんて大した数いないさ」
「…三好さんはどうなんです?」
「僕かい?そうだね・・・・僕にはね妹がいるんだ。樹ちゃんにはいるかい。姉妹とか」
「……そういうの、知ってるんじゃないんですか?」
「ま、そりゃ知っちゃいるけどさ。僕は君の口から聞きたいんだよ」
「……姉が一人…います」
「そうかい。お姉さんのことは好き?」
「…好きでした。今でも、好き…なんだとは思います」
「じゃあお姉さんは君のことは好きかな?」
「…………たぶん」
お姉ちゃんはいつも俺に優しかった。ずっと、優しかった。
「そうか、僕も君のお姉さんと同じでね。妹のことが好きなんだ」
「…そうですか」
「好きで大事で守ってやりたいと思ってる。そのためには僕は大人であろうとしてる。大人であろうとするかどうかがその人間が大人であるのか子供であるのかの違いだと僕は思っているんだ。ようは意識の問題かな」
「…………」
「でも妹からすればそれは余計なお世話というやつなんだろうね。最近は随分と嫌われたもんでしばらく口も聞いてもらえなくてね」
なんでもないことを言うように三好さんは言う。その手に握られたハンドルがまるで条件反射かのようにスムーズに動いていく。
「…それでも好きなんですね」
「君だってお姉さんと口が聞けてなくても好きなんだろ?」
「…………」
「ふふごめんよ。意地悪だった。–––誰かを好きになるのはいいことだ。いろんなことが見えるし、わかってくる。楽しいこととかね」
「……辛いこともでしょ」
「辛いのは嫌いかい?」
「…好きじゃないです」
「なら、楽しいことは見つけたかい?」
「…………見つけましたよ。もう無くなっちゃったけど」
「そうだね。君にとって今回の件はどうしようもなく辛い出来事だったんだろう。だがね樹ちゃん、辛いことを知っている人間の方がそれだけ人に優しくできる。それは…弱さとは違うんだ」
「…………」
それから少し沈黙が続いた。三好さんは表情も変わらず運転を続けている。俺には沈黙を自分から破る勇気なんてなかった。
「安芸さんのことは嫌いかい?」
「……………嫌いじゃないです」
「彼女のことを、守ってやってくれないか?」
「………意味がわからないです」
「意味なんてわからなくていいさ。それでいい。ただ言うだけ言っておきたいんだ」
「…………」
「それは–––僕にできない、君にしかできない、君にならできることだ」
「…………」
「頼む」
「それじゃ今度また食事でも…と思ったけど女子小学生と僕みたいなのが二人でいたら職質されかねないから僕の妹も一緒で。あ、安心してくれ。奢るから」
その言葉を最後に『上里邸』まで樹を送り届けた三好春信は車を発進させていった。
樹は結局何も聞けず、聞かなかった。
「樹様、おかえりなさいませ。旦那様がお待ちになっております」
「………」
女中に促されるなか、樹は屋敷を見上げる。長くもあったような短くもあったような、そんな気がする我が家。
(結局最後まで慣れなかったな)
「きたか、樹」
屋敷の食堂のいつも座っている席にその人はいた。机には義父さんと俺の分の食事が用意されている。
「……………」
「何も食べていないだろう。食べろ」
「私はもう、この家の人間じゃなくなるから…食べれません。どうせすぐに引っ越さなきゃいけないんですよね」
「お前の部屋の荷物に関してなら既に片付けは済んでいる。お前がやることはない。だから心配はいらない」
「……別に心配なんてしてないよ。…そんなこと」
「そうか」
「……………」
そうして義父さんは何事もなかったかのように食事を取り始めた。
「樹様、どうぞおかけください。食事が冷めてしまいますよ?」
「……でも…」
この女中さんは俺がこの家に来た時から色々と世話を焼いてくれていた人。そんなに沢山話をしたわけじゃないけど…いい人なんだと思う。
「いいんですよ。人間食べなければやっていけません。さあどうぞ」
そう言って女中さんは椅子をひく。いつもこうして柔らかい笑顔で椅子をひいてくれた。
「…………すいません」
俺はその椅子に座る。
そして女中さんはスッと身を引いて部屋の隅の方へと移動していった。
「……いただきます」
小さくそう呟いて料理を口に運ぶ。美味しい。…美味しいんだと思う。なんだがよくわからない。
そこからはしばらくカチャカチャと食器の音だけがそこにはあった。
「樹」
食べ始めてどれだけ経ったろうか。突然名を呼ばれた。
「…なんですか?」
「お前にとって食事は楽しいものか?」
「………うん」
「誰かと一緒に食べるのは嬉しいか?」
「………うん」
「––––そうか。ならいい」
「……………」
(なんだよそれ、何が言いたいの…?)
「今は無理でも、遠くないうちにお前はかつての家に戻ることになる可能性が高い」
「……………え…………?」
「お前の本当の親にも話はいくはずだ」
「……そう…なんだ」
「ああ」
「……………戻れないと思ってた」
「確定したわけではない」
「……義父さんが何か言ったの…?」
「私は何も言ってなどいない。全てはなるようにしかならずただそれだけに過ぎない」
「…そっか」
それからまた会話はなくなった。もうすぐ料理も食べ終わる。
「………あのさ」
「なんだ?」
「いつかさ…えっと……その…み、みんな…で………ご飯とか…どう…?」
……いやいや、俺急に何言い出してるんだ。
「–––みんなとはなんだ」
「それは…私の『犬吠埼』の家のお父さんとお母さん……それから私お姉ちゃんがいて…それで…」
今日で家を出るってのにそれにこの人のことは好きでもなんでもなかったはずなのに……なんで俺こんなこと言ってんだろ。
「四人でということか?」
「…………うん」
頭でそう考えているにも関わらず口から出てくる言葉は結局出るところまで出てしまった。
「––––––わかった」
「え………い…いいの…?」
俺は思わず義父さんのことをまじまじと見てしまう。まさか承諾してもらえるなんて……
「ああ」
「そ、そっか」
俺は残り少ない料理を口に運ぼうとした。
「––––樹」
「な、なに…?」
義父さんは–––その眼鏡の奥で、感情の読み取れない瞳で俺のことを見つめていた。
「––––––お前の姉『犬吠埼風』は近い将来勇者に選ばれる」
非日常が終われば、日常が帰ってくる。
すぐには無理でも、時間はかかってでも前の家に–––––お姉ちゃんとまた暮らせるって。義父さんの言葉を聞いてそう考えた。
そしたら、俺はまだ生きていけるかもしれない。
だって、お姉ちゃんは無条件で俺のことを愛してくれてたんだ。『好きだって』言ってくれた。抱きしめてくれた。
でも俺は何もわかっていなかった。考え違いもいいところだったんだ。
誰かが役を降りればそこには代わりの役が必要になる。
ただそれだけのこと。
俺がいた役に今度はお姉ちゃんが入る–––––––
それが、この御伽話の続き。
この章における樹の物語は後2話ぐらいで終わる予定です。もちろんその後の物語もあります。
あ、それからゆゆゆい5周年誠におめでとうございます㊗️
ゆゆゆいは本当にたくさんの需要と供給を生み出してきましたが、運営さん、何卒まだまだお願いします。…アプリのオリキャラの掘り下げもどうか…