A.Q.U.A.R.I.A   作:Ирвэс

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此処から話が重くなります。


第12話 悲嘆の底に沈む

 「お願いリラっち…パパを………パパを助けて!!」

 

 「えっ……?」

 

 突然深優の口から告げられたその言葉に、リラは更なる困惑を覚えるばかりでした。

 ですが無理も有りません。

 

 4日前の早退以来、仲の良い葵ともロクに絡まない―――――。

 授業中でも時々キョロキョロと自分の方を向いて視線を投げ掛ける挙動不審振り―――――。

 葵と更紗も見ている前で嘘を吐いて自分をこんな所に連れ込む始末―――――。

 

 そして此処へ来て最後のおまけに「父親を助けて欲しい」と懇願―――――。

 相手に関する情報が圧倒的に少ない状態でこんな不可解な言動を延々と取られたら、リラで無くても訳が分からず困惑します。

 ですが、取り敢えず深優の中の穢れの温床を何とかするのが先決。そう判断したリラは深優に対し、朝の登校時に葵にした様に優しく諭しかけます。

 

 「落ち着いて深優ちゃん。先ずはゆっくり深呼吸して、気持ちに整理が出来てから順番に話して頂戴。ね?」

 

 「う、うん…ごめんねリラっち………。」

 

 リラに促されて大きく深呼吸をすると、深優の表情は先程と比べて幾分落ち着きを取り戻しました。穢れの温床足る濁りも、少しは薄らいだ様です。

 

 「じゃあ深優ちゃん、改めて詳しく話してくれない?『パパを助けて欲しい』って言ってたけど、お父さんに何か有ったの?」

 

 改めて「父親の事を助けて欲しい」と言う懇願の中身を尋ねると、深優は目に涙を浮かべて再びリラの腕に縋り付いてこう言い放ちます。

 

 「そうなのリラっち……パパを助けて欲しいの。私のパパ、4日前にガンで倒れて入院したの!!」

 

 「深優ちゃんのお父さんが…ガンで………。」

 

 

 深優の口から飛び出した衝撃的な言葉に、リラは驚愕を禁じ得ません。まさか彼女のお父さんが昨日ガンで倒れていただなんて……。

 ですが自分の身内が命に関わる病に倒れたら、誰だってショックで取り乱すのは当たり前です。

 同時にリラもこれで得心が行きました。4日前の彼女の呼び出しが、深優にこの出来事を告げる為の物だったと言う事を……。

 

 「だから4日前のお昼…先生に呼び出された後、あのまま早退したの………?お父さんの運ばれた病院に行く為に………。」

 

 リラがそう指摘して尋ねると、深優は黙ってその154㎝の小さな体を震わせたまま、苦しそうにコクリと頷きました。

 

 「職員室でお婆ちゃんから電話が有って、それで倒れたって聞いてそのまま病院へ行ったの……。そしたらお医者さんが病気の検査の為に3日間入院する様にパパは言われてた。そして昨日の夜、『スキルス性の胃ガン』で……『もう余命1年しか無い』ってお医者さんからパパ宣告されて…………私……どうしたら良いか分かんなくて………。この前まで、あんなに元気だったのに……!!」

 

 

 スキルス性胃ガン―――――それは胃ガンの中でも最悪と言っても過言では無い疾患です。通常の胃ガンが粘膜から発生して隆起を繰り返しつつ粘膜下層、筋層、漿膜と浸潤して行くのに対し、此方は粘膜の下を這う様に広がって行くのが特徴。この為に早期発見が難しく、初期では無症状である場合も多い。その上進行が早くて転移し易いと言う極めて厄介な性質を三拍子で揃えています。世界的に見ても日本人が最も罹り易く、当然、治療成績も芳しくありません。

 「昨日まで元気だったのに」と深優はお父さんの事を語っていた所から、恐らく倒れるまで症状が出なかったのでしょう。

 

 「……そう……つまりこう言う事だったのね深優ちゃん。」

 

 深優の真実を知り、リラは漸く全てを理解しました。彼女がどうして葵や更紗を除いて、自分と2人だけでこんな話をしたのかを………。

 

 「水霊士(アクアリスト)としての私の力――――アクアリウムでなら、お父さんのガンも治せるかも知れない。そしてそれは私にしか頼めない事だったから、葵ちゃんと更紗ちゃんより先に私だけ呼び出して伝えたのね?」

 

 再びリラが指摘すると、深優は目から涙を流しながら無言で大きく頷きました。

 

  「でも深優ちゃん、葵ちゃんや更紗ちゃんだってこの3日間ずっと貴方の事、心配してたんだよ?『余計な心配を掛けさせたくなかったから』じゃ、今更私だけに言って2人に伝えない言い訳にはならないと思う。それに前橋部長と日浦先輩だって深優ちゃんの事、ずっと気に掛けてたんだからね?」

 

 「分かってるよそんなの………。2人や先輩達にも、後でちゃんと話すから……」

 

 そう言うと再び深優はありったけの泣き顔を作ってリラに懇願します。

 

 「だからお願いリラっち……パパを死なせないで!!リラっちのアクアリウムならパパのガンだって治せるでしょ!?日浦先輩の肩を治して、あそこまで元気な身体に出来たんだもん!!リラっちなら絶対出来るって信じてるから!!だから……だから…………!!」

 

 一頻り強くそう言った後、深優はその場に崩れ落ち、顔を両手で覆って泣き出しました。

 

 (深優ちゃん、本当にお父さんの事が大好きなんだね……。)

 

 深優にとってお父さんが如何に大事な存在であるかを、先程の言動からリラは察しました。ですが彼女は只黙ったまま、泣き崩れる深優の様子を見つめる事しか出来ませんでした。

 

 

 やがてチャイムが鳴り響いたので、2人はそのまま教室へと戻りました。当然、後から葵に捕まって事情聴取されそうになりますが、更紗が咄嗟に宥めて事を収めるのでした。

 

 

 それから放課後、部活動の時間になり、深優は何時も通り水泳部に顔を出していました。然し―――――――。

 

 「吉池、今日も調子悪いわね?またタイム落ちてるけど………。」

 

 「あたしみたくどっか怪我で故障した訳でも無さそうだしな………。」

 

 やはり泳ぎに切れがまるで有りません。結果がまるで振るわないのもそうでしたが、あんなに元気そうで明るいムードメーカーな雰囲気なのがあんな暗い感じになれば、みちると忍が心配になるのも無理は有りません。

 

 「でも、全然胸を揉んで来ないのは良いんですけどね……。」

 

 「あー、それは確かに。」

 

 「平和なのは良いんだけど、元気の無いあの子を見てると何だか私達も張り合いが無いわね……。」

 

 毎回深優の被害に遭ってる潤の言葉を、2年の先輩の瑠々と水夏は納得と首肯する一方でやはりつまらなさそうです。入部して一緒に泳ぎ始めてから一週間経つか経たないかなのに、何時の間にか深優の存在は同じ1年で同じクラスのリラ程では無いにしても、2年と3年の中でも決して無視の出来ない存在になっていた様です。

 良くも悪くも水泳部に於いて、1年の中で最も頭角を現していたのは深優である事が分かります。

 

 「浮かない顔してるっつったら、吉池以外もう1人居るよな?」

 

 そう言って忍が目を向けた視線の先には、深優から事情を聞いてもそれを誰にも話さずに黙ったままのリラでした。

 

 (どうしよう……凄く気不味い……!!)

 

 (リラ……深優から何か聞かされてんでしょ?なのにどうして何も言ってくれないのよ!?)

 

 昼休みが終わって教室に戻ってから、葵はずっとリラと深優の2人だけの秘密について気になっていました。本来なら無理矢理にでも聞き出してやりたい所でしたが、『リラにしか言えない重要な話だった』として更紗が詮索を控える様に彼女を抑えていたからこそ、リラと深優は何とか秘密を守れている状態でした。

 とは言え、当たり前ですがそれも何時までも隠しておける物ではありません。何れは葵や更紗にも話さねばならない事なのですから……。

 

 然し、これから話すとしても、その前に何としてもリラは水霊士として癒さねばならないのです。深優のお父さんの死病を………。

 

 (深優ちゃんのお父さんの病気、何とかしてあげたいけど……でも………!!)

 

 リラは苦悩していました。

 今まで水霊士(アクアリスト)として、癒して来たのは人間の荒んで鬱屈した心ばかりでしたし、身体にしたって癒して来たのは精々命に別状は無いレヴェルの怪我や病気程度……。

 そもそもアクアリウムは水の穢れを浄化して肉体を癒すだけの能力であり、其処から病気や怪我が治るかどうかはその相手の生命力の為せる業。

 命に関わる程に重篤な、例えばガンや心臓病等の死病や、意識不明で一命を取り留めても植物状態になる様な怪我を治す力などは本来有りません。それは癒しを施す相手の生命力、言い換えれば「生きたい」と言う想い次第なのであって、其処まではリラにはどうする事も出来ないのです。

 病気や怪我の治癒は、あくまで水の穢れを癒したおまけの副産物の様な物。

 それ自体を治す為の力では無いし、仮に治せるとしてもリラにそんな経験は1度も有りません。

 

 もし自分に出来るとしたら、テミスの様な上級水霊(アクア)や、未だ出会った事は有りませんがそれ以上の最上級水霊(アクア)の力を借りるしか無いのです。

 心と身体、命其の物を蝕む死の穢れを完全に浄化し、水で出来た遍く命達に癒しと活力、時に若さすら与えると言う、或る意味神に近い存在。それが上級及び最上級水霊(アクア)です。

 けれど、今のリラには上級水霊(アクア)でさえ満足に使いこなせる自信が無かったのでした。

 

 (無理だよそんなの……命に関わる様な重い怪我や病気なんて私、治した事無いし多分治せないよ………。ごめん深優ちゃん……悪いけど、お父さんは諦めて………。)

 

 早くも深優に対して「出来ません」と断る為の、体の良い言い訳の言葉を探すリラ。そんな彼女の様子を、テミスはプールの水から見守っていました。

 

 

 霧船に入って出会った、心から友と呼べる存在の葵に対して隠し事をする後ろめたさ―――――。

 水霊士(アクアリスト)としてぶつかった巨大な、それでいて深優の為にも何としても乗り越えなければ行けない限界の壁―――――。

 

 その2つの間での板挟みと言う、大きなジレンマの渦の中にリラは巻き込まれていたのでした。

 或る意味、深優以上に苦しい立場です。

 

 「――――月、おい汐月!」

 

 そんな彼女に話し掛けて来る声がします。

 

 「聞いてんのか汐月!」

 

 突然目の前に現れた忍に俯いた頭を起こされ、彼女の顔を直視せざるを得なくなったリラ。藍色の瞳に映し出された忍の眼差しは、最初に出会った時と違って真っ直ぐ澄んでいました。

 

 「さっきからずっと浮かない顔して変だぞ?お前も吉池も!」

 

 そう言われてリラはハッと我に返ります。忍はリラと深優の2人に交互に視線を向けながら言います。

 

 「何が有ったか知んねーけどな、今は練習に集中しろ!吉池、お前もだ。今までは我慢してたけど、仏の顔も三度までっつーだろ?やる気が無いなら辞めちまえ!」

 

 「ごめんなさい……。」

 

 「日浦先輩、ごめんなさい。」

 

 そうしおらしく謝罪すると、リラと深優は気を取り直して練習に励みました。尤も、2人のタイムの方は相変わらず芳しい物ではありませんでしたが……。

 

 

 「それじゃあ今日の練習は此処まで!解散!」

 

 「お疲れ様でした!」

 

 練習が終わり、みちるの号令に対して皆で挨拶をして解散する水泳部の面々。すると1人、真っ先に飛び出して行く女子が居ました。言うまでも無く深優です。

 

 「ちょっと、深優!待って!!」

 

 更衣室へと走って行く深優の背中を、葵は慌てて追います。

 

 「吉池……昨日から様子が可笑しかったけど、やっぱり………」

 

 「あぁ。そんでその鍵を握るのは恐らく………」

 

 同じく気になっていたみちると忍は、リラに目を向けます。

 

 「汐月!」

 

 2年生の子達が遅れて更衣室に向かうのを確認すると、忍はリラを呼び止めます。

 

 「また何時もの頼むわ。今日は飛ばし過ぎたから『入念』にな。」

 

 「えっ?あっ、はい!」

 

 リラが足を止めてそう返すのを尻目に、2年の真理愛達は忍が練習後にリラに頼む“何時ものあれ”についてヒソヒソと道すがら話し合っていました。

 

 「“何時もの”って何かしら?私達2年が先に帰ってからだけど、もしかして運動の後のマッサージとか?」

 

 「だったら自分でやるか部長にお願いすれば良いのにわざわざ1年の子にやらせるなんて……。」

 

 「てか部長もそうだけど日浦先輩、今年入った1年の子達と妙に仲良いよね。何か有ったのかな?」

 

 (あれ?リラちゃんの周りにあの魚の幽霊、また見える――――――。)

 

 2年のリーダー格である真理愛と、瑠々と水夏が本人に聞こえない声でそう言葉を交わす横で、潤はリラの周りを回遊している魚の幽霊が見える事に困惑しているのでした。

 

 一方その頃、更衣室ではと言いますと―――――。

 

 「待ってよ深優!」

 

 既に制服に着替え終え、乱暴にドアを開けて足早に更衣室から飛び出す深優の背に向かって、未だ競泳水着の姿のままの葵が入り口から呼び止める姿が有りました。

 けれど、深優は頑なに口を閉ざして何も話さず、そのまま昇降口へと走り去って行くだけでした。

 

 「どうして何にも言ってくれないの!?何か悩んでるならお願いだから答えてよォォッ!!」

 

 この遣り取りを今日で3日連続で続ける事になるとは、葵も可哀想としか言い様が有りません。

 目に涙を浮かべた葵の悲しい叫び声だけが、今日も更衣室の廊下に響きました―――――。

 

 

 「それじゃあ部長、先輩、また明日――――。」

 

 それから少しして、全員が元の制服に着替え終えて2年生全員が帰宅の途に就くと、リラは早速忍にアクアリウムによる施術を施しました。

 忍から「入念に」と言う言葉通り、自身の内なる水霊(アクア)であるクラリアの他にも、中級水霊(アクア)としてドリスや緋色をしたピラルク型の『ユナーシャ』、甕覗(かめのぞき)色をしたアリゲーターガー型の『エフィア』と言う、蒼國に回遊して来た大型の水霊(アクア)達を2体召喚し、彼女達3体によるクラリファイイングスパイラルによって忍の肉体の負荷を、頭から足の爪先まで丁寧に取り払いました。

 

 「ハァ……ハァ……終わりましたけど疲れました。もうこれ以上は無理です……。」

 

 心を通わせた葵達の内なる水霊(アクア)や、地元の蒼國で仲良くなったドリスと違い、地球中を回遊して時折蒼國にやって来るユナーシャとエフィアは使い慣れないのか、10分間アクアリウムを行使しただけでヘトヘトになってしまいました。況してや今日、忍は深優とリラのネガティヴな空気に当てられたからか、胸のモヤモヤを取り去る為に普段より筋肉を酷使していた為に何時もより負荷が有りました。疲れるのは当たり前です。

 ユナーシャとエフィアは南半球を中心に回遊する中級水霊(アクア)ですが、時々北半球にもやって来て蒼國等の水の豊富な土地に滞在します。リラも3日前に出会ったばかりなのですが、彼女達は今の水霊(アクア)達の中では新たな上級水霊(アクア)に最も近い有力候補と目される存在。そんな彼女達をキチンと操れれば上級水霊(アクア)だって使役出来る。

 そう考えて今回この2体をドリスと一緒にチョイスしたのですが、たった10分しか操れない様ではとてもじゃないですけれど、上級水霊(アクア)なんて満足に扱える筈も有りません。そして上級水霊(アクア)が扱えない様では、深優のお父さんのガンを癒す事なんて出来ない………そう考えていたリラにとって、それは悔しい結果にしか映りませんでした。

 

 何処か悔しそうな顔をするリラを一瞥すると、ユナーシャとエフィアはそれぞれ緋色の飛沫と甕覗(かめのぞき)色の飛沫になってその場から消えました。

 疲れが相当溜まったのか、ブルーフィールド共々アクアフィールドも解除され、部室は電気の付いた黄昏の更衣室と言う装いを取り戻しました。

 

 「ふーっ、ありがとよ汐月。お陰で楽になったぜ。けど何か、体力と気力が余って仕方無ぇなぁ~。もう一泳ぎしてきたいぜ!」

 

 「……ごめんなさい。今の大きな2体……ユナーシャとエフィアはテミス達上級に近い中級なんです。だから効き過ぎる位効いちゃうんです。」

 

 身体を癒して貰ったのは良いですが、効き過ぎた所為で体力と気力を持て余したと言う忍に対し、リラは謝罪しました。

 

 「テミスって、汐月を水霊士(アクアリスト)にしたって言うあのコバルト色の――――。」

 

 「水霊(アクア)の事なんて一般人のあたし等にはサッパリだがよ、さっきのデカい2匹より凄ぇのかよあのテミスって奴は―――――。」

 

 みちると忍がそう言葉を交わす中、その場に立ち会っていた葵はずっと浮かない顔でリラから目を背け、そんな彼女の様子を更紗も同じく心配そうに見つめていました。

 

 (コラーッ!ウチかてそないに小さくあらへんやろがーッ!!)

 

 ドリスがそう声を大にしてノリ突っ込みを入れていますが、リラが能力を解除して誰も見えていない為にパーフェクトスルーです。

 

 「じゃあ前橋部長、日浦先輩、お疲れ様でした。私達はこれで―――――。」

 

 そう言って葵と更紗が入り口で待つ中、挨拶をして部室を出ようとしたその時でした。

 

 「待て、汐月。話は未だ残ってる。こっち来て座れよ。」

 

 「え?でも……。」

 

 「良いから座れっつってんだよ!先輩命令だ!!」

 

 突然忍に呼び止められてリラは戸惑いました。更に訳も分からぬまま先輩命令とまで言われた物ですから、元々気の弱く内向的な彼女はビクッと怯え、言われるままにみちるの用意した椅子に座りました。

 

 「先輩、リラ呼び止めて何の話するんだろう?」

 

 「さぁ……?」

 

 いきなりリラの事を呼び止めて何だろうと思い、葵と更紗が固唾を飲んで見守っていると、忍はこう言葉を投げ掛けました。

 

「今日の練習での泳ぎっ振り見てて思ったんだが、お前までどうしたんだ?吉池と良い勝負の酷ぇ泳ぎだったじゃねーか!あいつが可笑しくなったのは4日前に職員室呼び出されて、そのまま早退してからなのは分かるけどよ、お前はお前で何か有んのか?」

 

 忍からの思わぬ尋問に、リラは怯えて声もありません。まるでシャチの群れに包囲されたアザラシの様な気分です。

 

 「えっと……それは……その………」

 

 「言えよ!んな何か問題抱えられたまま一緒に練習されたってあたし等だって困るんだよ!」

 

 そうがなり立てて剣呑に迫る忍の勢いに、リラは完全に言葉を失い委縮してしまいました。こうなってしまってはさしものリラも元の内気で臆病な虐められっ子其の物。これでは百戦錬磨の水霊士(アクアリスト)も形無しです。

 無意識に上半身の肩に力を込め、手を握ってグーにして口元に手を当てる始末……。前者の2つは相手に対して警戒すると言う防衛本能から、後者は不安や緊張から為される仕草です。

 気付いたらおまけに心臓も早鐘を打ち始めていました。忍も手を後ろ手に組んで威圧的な空気を醸し出しています。

 

 「ちょっと忍、気持ちは分かるけどもう少し言い方考えなさいよ。汐月も怖がってるじゃない。」

 

 すると其処へ助け舟を出したのは部長のみちるでした。

 

 「なっ、みちる!?別にあたしはそんな心算じゃ……」

 

 「汐月、私達は知りたいの。吉池と貴女に一体何が有ったかをね。吉池が今日もあんな感じなのは、4日前に先生に呼び出された事を今でも引き摺ってるからなのは分かるわ。でも、だからって貴女まで一緒になって浮かない顔して調子が出ないなんて可笑しいと思うの。吉池の事はあの子が話してくれないから分からないけど、貴女も貴女で何か悩みでも有るの?」

 

 そう優しく話し掛けて来るみちるの雰囲気に、リラは安堵の表情を覚えました。リラの肩に手を乗せ、顔を真っ直ぐ見つめながらみちるは続けます。

 

 「貴女達にそんな苦しそうな顔をされたら、一緒に練習してる私達まで嫌な気持ちになるの。それじゃあ折角の水泳だって楽しくなくなっちゃうわ。折角5人も新入部員が加わって、忍まで復帰して弾みが付いたのにそれが駄目になるなんて嫌よ。だから先輩として、私達が貴女の悩みを訊いてあげるの。部長なんだから、その権利位は有るでしょう?ホラ汐月、誰にも言わないから話してご覧なさい?何を貴女はそんなに悩んでいるの?」

 

 「前橋部長……。」

 

 こちらは未だ優しくて包容力が有る為、忍より話し易そうです。みちるの優しさにほだされたリラは一瞬葵の方を一瞥すると、覚悟を決めて言いました。

 

 

 「私……ずっと深優ちゃんの事で悩んでたんです。」

 

 

 その言葉を聞いて、葵と更紗は大きく目を見開きます。

 

 「吉池の事だと……。」

 

 そう忍が呟くや否や、咄嗟に葵が割って入ります。

 

 「やっぱりお昼に呼び出されて深優から何か大事な事聞かされたのね!!教えてリラ!!あの子、何て言ってたの!?水霊(アクア)の事って言ってたけど、あれは嘘で本当はこの前何で職員室に呼び出されて、それから何が有ったか話してたんでしょ!?お願い、答えてリラ……」

 

 「葵、落ち着いて!」

 

 「落ち着きなさい五十嵐。汐月だって困ってるじゃない。警察の取り調べじゃないんだから……。」

 

 激しく取り乱した調子でリラを問い質す葵ですが、直ぐに更紗とみちるに取り押さえられます。

 

 「……ごめんなさい。」

 

 「で、吉池の事で何悩んでたんだ?」

 

 さっきとは打って変わり、凪の海の如く努めて穏やかに忍が話し掛けると、リラは意を決して答えました。

 

 

 

 「深優ちゃんのお父さんがスキルス胃ガンで後1年しか生きられなくって……私のアクアリウムでお父さんの病気を治して欲しいって頼まれてたんです――――――。」

 

 

 (パパ……!!)

 

 一方その頃深優は逸早く帰宅すると、直ぐに海水浴場の有る地元の蒼國海岸に隣接した、海宝総合病院の病棟1階の病室に入院する父のお見舞いに向かっていました。

 

 

 「嘘………………。」

 

 更衣室に30秒近く流れた沈黙を破ったのは、他でも無い葵の言葉でした。

 

 「深優のお父さんが……余命1年だったなんて………。」

 

 明かされた事実に、流石の更紗も驚愕するばかりです。

 

 「4日前に職員室に呼び出された後に早退したのも、お婆さんから倒れたって聞かされて直ぐに病院に向かったからだったんです…。それから今日も含めて3日間、ずっと元気が無かったのだって、お父さんの病院での検査の結果が気になってて……余命1年って聞かされたのは今日の朝だって、深優ちゃんはそう言ってました…。」

 

 「~~~~~~ッ!!成る程、そう言う訳だったのかよ。道理で吉池の奴、此処何日も練習ン時あんな浮かない顔で辛気臭かった訳だぜ!親父の事で“心此処に在らず”状態だったから、あんな泳ぎしか出来なかったのか!」

 

 「でもお父さんが倒れて、然ももう直ぐ死ぬって聞かされた昨日の今日じゃ無理も無いわ。寧ろ良く来る気になったって思う。汐月、勿論貴女もね。」

 

 リラの説明に対し、遣る瀬無い気持ちになる忍と、苦しい気持ちの中でそれでも練習に来てくれた事を褒めるみちる。

 

 「水霊(アクア)の事で話が有るって言って深優がリラを呼び出したのも、あながち嘘じゃ無かったのね。驚いて心配するだけで何の力にもなれない私達より、アクアリウムって言う癒す力の有るリラに話す方が合理的だって、深優はそう考えたから真っ先にリラに打ち明けたんだ……。」

 

 「確かに、あんな穢れ水霊(アリトゥール)とか言う奴等の所為だったとは言え、1年半以上も治んなかったあたしの腕の故障をこないだたった1日で治して、また泳げる身体に戻したもんな汐月は…。」

 

 全ての点が繋がって1本の線になり、漸く皆は納得しました。たった1人を除いて―――――。

 

 「………何で?」

 

 「えっ?」

 

 「おい、五十嵐?」

 

 真実を聞いて、先程からずっと凍結していた葵は、先程の言葉を皮切りに一気にリラの肩を揺らして食って掛かります。

 

 「何でそんな話を私じゃなくてリラにするの!!?私達幼馴染みじゃなかったの!!?小学3年生の頃から6年間ずっと一緒だったのに、何でそんな大事な事私に言ってくれないのよ!!?」

 

 「ああああああああ葵ちゃん、止めてッ…!!」

 

 さながら南極の棚氷が大崩壊するが如く、凍り付いたままだった葵は物凄い勢いでそう言葉をまくし立てます。その姿に、リラは再び困惑の渦へと引きずり込まれました。

 けれど、リラは直ぐに気付きました。自分に掴み掛る葵の目に、大粒の涙が浮かんでいた事を……。

 

 「葵!気持ちは分かるけど落ち着いて!」

 

 普段は寡黙でクールな印象の更紗が、珍しく声を上げて葵をリラから引き離します。同じ1年のクラスメイトで友人と言う事だけあって、四六時中それなりに長く彼女の事を見ている葵とリラは呆気に取られました。

 同時に忍が葵を一喝します。

 

 「馬鹿野郎!そう言う事は汐月じゃなくて吉池本人に言いやがれ!!それに幼馴染みだからって、何でもかんでもてめぇに打ち明けなきゃ行けねぇ決まりなんざ無ぇだろうが!!」

 

 「分かってます……分かってますそんな事………。でも……でもおぉッ………!!」

 

 そう言いいながら葵はその場に膝を付くと、俯いたまま尚も続けます。

 

 「リラ、深優はね……小学2年の時にお母さんが死んじゃってたんだよ………?」

 

 再び明かされる深優の真実に、リラは目を大きく見開きます。良く見ると、俯く葵の顔から涙の雫が止め処無く溢れ出ているのが分かりました。

 

 「お父さんとお婆ちゃんと3人暮らしで………お父さん……お婆ちゃんと一緒に死んだお母さんの分まで一生懸命頑張って育ててくれて、深優はそんなお父さんが大好きだったの……。漁師として海で朝から晩まで魚を獲って、漁協の組合員までやってるお父さんの姿を尊敬してたの……。私も会った事有るから分かるの……。あんなに優しくて強い人がお父さんで羨ましいって思った……。あの大きな手で頭を撫でられてる深優の顔、とっても嬉しそうだった……。そんなお父さんが死んじゃうなんて………お母さんが居なくなった次に居なくなるなんて、それじゃあ…………深優が……深優がああっ…………」

 

 そして息を大きく吸い込むと、一際大きな声でこう叫びます!

 

 

 「それじゃあ深優が可哀想だよオォォォ――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!」

 

 夕闇が空を覆い、街が深い闇の底に沈む頃、霧船の更衣室に葵の慟哭が響き渡りました。そして葵は両手でその顔を覆うと、昼間の深優の様に咽び泣くのでした。

 そんな更衣室での様子を、窓から2体の大きな魚の影が覗いていたかと思うと、直ぐに2体は何処かへ泳ぎ去って行きました―――――。




次回のカタルシスに向けてとは言え、書いてて自分も何か悪しき物に蝕まれる感じがしますね…。

キャラクターファイル13

ヴァルナ

年齢   無し(強いて挙げれば忍と同じ)
誕生日  無し(同上)
血液型  無し(同上)
種族   水霊(アクア)
趣味   みちる日記
好きな物 忍と泳ぐ事


忍の中の内なる水霊(アクア)。ダークブルーの身体に白いスポット、そして金色の目をしたエイの様な姿をしている。
宿主である忍同様、強そうに見えて本当は臆病で繊細な性質をしているが彼女の事を生まれた時から知っている為、リラのミラーリングアクアリウムで忍本人と向き合った時には彼女の本当の気持ちを打ち明けて叱咤激励し、忍の水泳部復帰への最後の一押しと言う重要な役目を担った。
他の能力としては、口から浄化の高圧水流を噴射したり、周囲を旋回する事によって浄化の螺旋を形成出来る。
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