短篇集   作:りーる

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五等分の花嫁
中野三玖は、はなさない。


「……んん」

 

人々が静まる夜。家々は深い闇に沈んでいる。

その中で明かりはといえば、ぽつぽつと灯っている街頭と大きな月がもたらす光。

そして夜空に瞬く小さな星屑達だけだった。

ブラインドの隙間から射す月光に、部屋の主は目を開く。

 

「ここは……?」

 

寝ぼけ眼をこすって辺りを見回す。

針が真夜中を示している時計。机。パソコン。お気に入りの雑貨とヘッドフォン。障子。

ああ、何てことはない。普段の自分の部屋だ、と三玖は思う。

さっきトイレに行った時かなぁ、と一欠伸をする。

寝ぼけていつも自分の部屋へと戻ってしまったのだろう。

ぼーっと寝起きの頭で考える。だが、次の瞬間彼女の頭から眠気が吹き飛ぶ事になる。

 

「…………え……フータロー?…………フータロー!!!???」

 

普段そこにいるはずのないものがいた。

彼女の左隣には、自分達五つ子の家庭教師を務める上杉風太郎が寝息を立てていた。

ありえない。なんでフータローがここに?

三玖の頭に疑問符が上がると同時に顔が朱に染まっていく。

ああそうだ。私が自分のベットで寝ていいと言ったんじゃないか。思い出してさらに耳までが赤くなるのを感じた。自分のせいだ。寝ぼけて部屋に戻り、フータローが寝ている事に気付かずにそのまま寝てしまった事になる。

 

「~~~~~~!!!!!」

 

知らぬ間に思い人と添い寝をしてしまったという事実。

三玖は声にならない声をあげた。火照った顔の赤みがさらに増していく。

恥ずかしさで胸が爆発しそうだ。このまま死んでしまうんじゃないか。

 

「……んんっ」

 

まずい。声で起こしてしまったか、と三玖は焦るが、ただ寝返りを打っただけのようだ。

起こさなくてよかった、と安堵の息が出る。

 

「…………綺麗な寝顔」

 

寝返りを打った為、フータローの顔は三玖の方に向いていた。

安らかな寝顔。それは赤ん坊のようにあどけなくて。普段の彼とは違う、優し気な表情。

何分くらい見ていたのか。その表情に、いつしか三玖は見惚れていた。

上気していた顔も今では冷めている。だが、それとは対照に胸の鼓動は止まらない。

激しさが増していく。今にも心臓が口から飛び出そうだ。

 

「…………いつからだっけ」

 

三玖は思う。いつから彼を好きになったのだろう。

いつから何気ない仕草に惹かれるようになったのだろう。

きっかけは、そう。戦国クイズと武将しりとりの時からだ。自分の問いに答える。

 

――――負けるのが怖いのか?

 

懲りない人だな、と思った。

 

――――この二日間で図書室にある戦国関連の本全部に目を通した!

 

嘘ばっかり、と思った。

 

――――今ならお前とも対等に会話できる自信がある!

 

それなら、と思った。

 

「武将しりとり」

「は?」

「竜造寺隆信」

「ぶ……ふでもあり……だよな。福島正則!」

 

その後は学校中を走り回った。走って。走って。走って。

普段使わない体力を使い切って倒れた時には日が暮れていた。

 

―――なんでそんな必死なの?

 

遠くで夕日が沈む中、私は彼に聞いた。

 

―――仕事だからだ。

 

―――俺は家庭教師だ、お前もあいつらも勉強させて

 

―――五人全員、笑顔で卒業してもらう。

 

さっきまで私と同じ体力切れで倒れていたのに、やけに彼の発言は自信満々だった。

その言葉に、無理だよと言ったのを覚えている。

俺も出来ないと思っていた、とフータローは言った。

 

「今日までは、な」

「え?」

 

「五つ子だから三玖に出来る事は他の四つ子にも出来る」

「だが、それは言い換えると他の四つ子が出来ることは三玖にも出来るって事だ」

 

 

***

 

「………一人が出来る事は、全員出来る、か……」

 

きっかけは只のテスト。正解した問題が一つも被っていないだけなのに。

最初は屁理屈だと思った。五つ子の力を過信し過ぎだとも思った。

けれど、目の前の世界が変わった。

今まで真っ暗だった空に、大きな光が射したみたいに。

五つ子の落ちこぼれ。自分程度が出来る事なんて大した事はない。きっと他の四人にも出来る。

そんな悩みを、彼は易々と吹き飛ばした。だから。ちょっと。ほんのちょっとだけど。

私にも出来る事があるんじゃないかって。思ってしまった。

 

「んんっ……」

 

風太郎の声。

物思いに耽っていた三玖は現実に引き戻される。

今度こそ起こしてしまったか、と顔を覗くが、変わらず風太郎は寝息を立てている。

疲れてるんだ、と三玖は微笑む。

自分達五つ子の勉強に加えて、さらに自分の勉強もしているのだ。

疲労はとうにピークに達しているのもおかしくはない。

ならばせめて夢の世界くらいは彼の邪魔をしないようにすべきだ。

もう寝よう、とはだけた毛布を首の部分まで掛けた。

しかし。

 

「…………もうちょっとくらい、いいかな」

 

寝顔を再び覗き込む。

眠気よりも、風太郎の寝顔を見ていたいとの衝動が今は勝っていた。

すやすやと眠る彼の姿に本当に赤ん坊みたいだ、と三玖は思う。

ふと、以前風太郎の顔を冴えない顔だと二乃が言っていたのを思い出す。

だが、そんな意見は男性経験が全くと言っていい程無い三玖には関係なかった。

二乃が言っていた通りに冴えない顔なのかもしれない。

もしかしたら、イケメン俳優や読者モデルが好きだと言っていたクラスの同級生達も同じ事を

言うのかもしれない。

 

「変なのかな」

 

首をかしげる。

三玖は戦国武将好きだ。

男性の経験が少ないとは言え、髭のおじさんが好きなのは変だとは自負している。

だが、同級生で同い年の、冴えないと評される男子を好きになる事は変なのだろうか。

 

―――自分が好きになったものを信じろ!

 

自分が戦国武将好きだと告白した時の風太郎の言葉だ。そうだ。別に変じゃない。

 

「…………フータローのいい所は顔じゃないもんね」

 

一人呟く。高圧的で。厳しくて。デリカシーが無くて。言葉をオブラートに包む事を知らない人だけれど。それ以上に良い所は沢山ある。頭が良くて。背も高くて。頼もしい一面もある。表面上はそっけないし、ぶっきらぼうな物言いに腹を立てる事もある。それで他人を寄せ付けないけど、

きちんとその瞳は他人を見てて。誰かの為に寄り添える優しさがある。

これらを全部含めてかっこいいのだ。

 

「…………頼もしいと言えば」

 

立て続けに記憶が蘇る。花火大会の時だ。

自分達にとっては亡くなった母親との大切な思い出。けれどあの時は全員バラバラで。

結局皆で見る事は叶わなかったけれど。今思い返すと、それも大切な思い出だ。

 

―――ただの知り合いです。

 

街頭アンケートに彼はこう言った。

正直、少し傷ついた。ああ、私達は友達じゃないんだって。

知り合い。彼にとってそうなのだ。

家庭教師という繋がりがなければこうやって会話することもなかった。

でも。その後起きた出来事での言葉。

一花に間違われて、オーディションに連れていかれそうになった時。

彼はこう言った。

 

―――俺はこいつらの――――

 

***

 

「…………パートナーだもんね、私達」

 

パートナー。その言葉が何度も胸に響く。知り合いでもなければ、友達でもない。

利害関係が一致したパートナー。今はそれでもいい。

けれど、そうではなかったら?利害関係がない、普通の友達だったら?

放課後どこか遊びに行ったり、他愛ないやりとりをしたり。些細な事で喧嘩したり。

他の姉妹に言えない相談事もしたりなんかして。

 

―――そして、恋仲とかにもなったり。

 

頭の中を過った考えをないないと三玖は首を振って否定した。

フータローは自分達を女の子として認識していない。

それは家庭教師という役割がなくても同じだろう。

周りの人間関係を断ち切って勉強に打ち込んでいる彼。

家庭教師でなければ、彼にとっては自分達も彼の視界の中で只のヒトになっていただろうから。

 

「ふー…………」

 

けれど想像してしまう。もしこの思いが伝わってもし付き合う事になったら。

未来の彼との生活。想像するだけで、笑顔が広がっていくのを感じた。

デートはどこに行こうか?ショッピングなんてどうだろう。

それとも映画?水族館?遊園地?フータローはどこに行ったら喜ぶのかな。

結婚はいつにしよう。ハネムーンはどこに行こう。子供は何人欲しいのかな。

全部淡い夢物語だ。いつまでもずっとこの関係が続かない。何時の日か終わってしまう。

こうやって一緒に居る事は出来ない。始まりがあるなら終わりもあるのだ。

 

―――なら今思いを伝えるべき?

 

ダメだ、と目を閉じた。私には無理だ。度胸がない。そんな事言えない。

さっきまで幸せだった頭の中が黒く染まっていく。

断られたらどうしよう。そんな風に見られないって言われたらどうしよう。

寧ろ嫌いなんて言われるかもしれない。

考えれば考える程に、不安の流れは止まらない。

 

―――こんな時、他の姉妹ならどう伝える?

 

一花なら大人っぽくスムーズに。

二乃なら相手の事なんかお構いなしに押して。

四葉なら元気に。

五月ならキッパリきちんと。

いずれにしても、思いは伝えるだろう。そんな姉妹達と比べて、なんて自分は臆病なんだろうか。自分で自分が嫌いになる。

でも。

 

「――――ヤダな」

 

無意識に左手が風太郎の右手を取っていた。

指を絡ませると、所々固い部分がある事が分かる。

自分の柔らかい手とは全然違う。ゴツゴツとして骨ばった男らしい手。

普段体力がなくて、四葉よりも力がないのに、こういう所が彼を男性なんだと意識させる。

―――他の人には取られたくない。ずっとそばにいたい。

この手を握りしめて、彼の横を歩いていたい。

 

「……んっ」

 

胸が痛い。フータローと誰か他の女の子が歩いているのを想像するだけで。

―――もっと知りたい。勉強だけじゃなくて、フータローの事を。

知らない。彼が何が好きで何が嫌いなのか。趣味は?やっぱり勉強なのかな。

休みの日は?勉強以外で何をしているんだろう?

家庭教師の一面でしか、彼を知らない。普段の彼をもっと知りたい。

 

「私、頑張るからね。フータロー」

 

か細い声はすぐに消えた。だが、その思いは消えない。

宣言する。勉強も。恋も。全部頑張る。彼の事をもっと知る為。

家庭教師と一生徒の関係ではなくて、一人の女の子として見てもらう為。

今は無理だけれど、いつかこの思いを伝えよう。

伝える機会は……そうだ。テストの点数が良かった時なんてどうだろう。

毛布を首まで上げる。けれど、風太郎の手を握っている左手はそのまま。

今、この瞬間ぐらいはいいだろう。日々の勉強を頑張った自分にご褒美だ。

大きくて温かい手。その手を優しく握る。

起きたらありえない状況に風太郎は絶対目を丸くするに違いない。

慌てふためく彼が目に浮かぶ。想像しただけで吹き出しそうだ。

 

「……おやすみ、フータロー」

 

静かな声が暗闇に溶けていく。

明日からはまた勉強漬けの日々。目指すは中間試験赤点突破。

きっと彼からは厳しい声が飛ぶのだろう。

それでも嬉しい。その分、彼が本気で自分達と向きあってくれているのが分かるから。

 

夜は深く深く過ぎていく。

月と星々だけが彼女の宣言を聞いていた。




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