01. 鶴が恩返ししないんだが
冬の冷たい風が、窓ガラスをガタガタとせわしなく揺らしている。そんな夜更けのことだった。
不意に鳴り響いた呼び鈴に、首を傾げながら玄関のドアを開けると、そこには、ぽつんと少女が佇んでいた。
息を呑む、とはまさにこのことだろう。
宅急便か何かだろうと適当に持ってきた印鑑が、手から滑り落ちて、カランと硬質な音を鳴らす。
「ご迷惑でしょうが、どうか私を一晩泊めていただけませんか?」
少女が深々と頭を下げる。
真っ白になった頭が再起動するまで、随分と時間がかかった気がする。
雪の散る黒髪が冬の寒さを思い起こさせ、強引に僕を現実へと引き戻した。
一晩と言わず、何晩でもどうぞ!!
なんて下心が喉元まで出かかったが、ギリギリのところで理性のブレーキを踏み込む。
危ない危ない。ここは慎重に言葉を選ぶべきだ。
残念ながら、僕は目先の欲望にあっさりと負けるほど安っぽい男ではない。
灰色の脳細胞をフル回転し、この超常的な美少女に対する最適解を導き出した。
「一晩と言わず、何晩でもどうぞどうぞっ!」
畜生っ! 決壊した下心が、そのまま音声となって漏れ出てしまった。
まったく、正直者は辛いな……。
「はいっ、どうもありがとうございます」
社会的な死を覚悟した僕に対し、しかし少女は花が咲くような微笑みを向けた。
どういうことだろう。通報されても文句は言えないセリフだったはずなのに、なぜか彼女は嬉しそうに目を細めている。
みんなごめん、どうやら時代が僕に追いついちまったらしい。
「とりあえず寒いので、中へどうぞ」
「あっ、はい。お邪魔いたしますっ!」
邪魔はしないでほしいな。
□
玄関にきれいに揃えられた草履。そして彼女が着ていた、雪模様のあしらわれた着物。
さっきまで顔面の強さに圧倒されて気にする余裕がなかったけど、どう考えても現代のファッションじゃない。いくら流行に疎い僕でも、この装備で原宿の竹下通りを歩けないことくらいは分かる。
そこまで考えを巡らせてから、淹れたてのコーヒーを口に運んだ。
「あちっ」
猫舌の僕には、少しばかり早かったようだ。
気を取り直して、喉の奥でクツクツと笑い声を漏らす。
ふふふ、察しのいい僕は大いなる真実に気づいてしまった。申し訳ないが、よくある「鈍感系主人公」にはなれそうもない。
鶴の恩返し、という昔話はあまりに有名だ。
恩返しに来た鶴が「見るなよ! 絶対見るなよ!」と言って部屋にこもるのだが、それをフリと勘違いしたお爺さんが部屋を覗いて、鶴を怒らせてしまうお話だ。
そして僕は今、その現代版にあっている。
待って、待ってくれ! そんな石とか投げないで。
じゃあお前アレか、鶴助けたんか? という疑問は最もだけど!
でも、その答えはYESだ。
今朝学校の行き道に倒れている灰色の鶴を見つけ、常に包帯と消毒液等を持ち歩いている女子力高い系男子の僕は、手当てを施したのだ。
つまり、彼女は今朝の鶴ではないか。
ラノベじゃないんだから、美少女が見知らぬ男の家に泊まりに来るなんて超展開は現実には起こらないわけで。
鶴の恩返しイベントが進行中と考えた方が、まだ自然だった。
となれば僕のやるべきことは一つ。
果報は寝て待て、である。
僕は爺さんみたいに絶対押すなよと言っている鶴を熱湯風呂に入れる気はない。そんな鬼畜じゃない。
というか昔話のお爺さんは反省した方がいい。見るなという指示すら守れないようじゃ、社会に出てから苦労するよ? 再就職も厳しいだろうに。
まあ、困ったら相談に乗るからさ、いつでも電話してきなよ。
ともかく、彼女の恩返しに期待を寄せつつ、僕は待つことに決めた。
□
翌朝。僕は凄まじい鳥のさえずりで目を覚ました。
いや、さえずりなんて可愛らしいものじゃない。
チュンチュンという爽やかな朝の訪れではなく、まるで映画ジュラシックパークに出てくるプテラノドンのような、思わず耳を塞ぎたくなる騒音が、グワァーグワァーと響き渡っていたのだ。
あれはいったい何という鳥だったのか。あのまま二度寝していたら確実に悪夢に魘されていたことだろう。
そんなモーニングロックフェスティバルの後、寝ぼけ眼を擦りながらリビングの扉を開けた。
すると、うちの台所に立ち、手際よく朝ごはんの準備をしている鶴さんの姿があった。
どうやら昨日の出来事は夢ではなかったらしい。
鶴の恩返しがノンフィクションだったなんて与太話、どこかで夢オチを疑っていたけれど、割烹着姿で味噌汁の味見をしている彼女を見てしまえば信じる他ない。
「あっ、おはようございます! お早いですね」
「おはようございます。今日は、ずいぶんとパンクな鳥の鳴き声に叩き起こされまして……」
まだ頭に響く余韻を散らすように頭を掻きながら言うと、なぜか鶴さんが、熱っぽい期待の眼差しでこちらを見つめていることに気づいた。
目と目が合う〜♪ なんて、ひと昔前のゲーム実況でよく聞いたBGMが流れかけたとき、もじもじと鶴さんが尋ねてきた。
「えっと、それは……どんな鳴き声でしたか?」
どんな鳴き声?
僕はそっと目を閉じ、ほんの数分前に聞いた怪鳥の叫びを思い出す。
ケケケケックァ~~ギャギャギャックワァ~……。
うーん、控えめに言っておぞましい。
「なんというか、そう……すごくダイナミック、だったかな。力強い声だったと思います。僕は、ああいう野生味があるのも嫌いじゃないですね」
目を輝かせて待っている鶴さんに、怪獣かなんかと思いました、なんて本音をぶつける度胸はない。
なんとか褒め言葉に聞こえそうなワードを捻り出した。
「そう、ですか……ふふっ」
僕の苦しい回答に、鶴さんがパッと頬を赤くして嬉しそうにしたのを見て、心の底から言葉を選んで良かったと安堵する。
待てよ。
なんで鶴さんは、鳥の鳴き声を褒められてあんなに喜んだんだ?
はっ! なるほど、同じ『鳥類』という仲間を褒められたのが嬉しいのか。
聞くところによると、兄弟を他人から褒められるとちょっぴり嬉しいらしい。
僕には兄弟がいないからその気持ちは分からないけど、今の鶴さんの心境は、それと似ているのではないだろうか。
となれば、僕が取るべき行動は一つ。さらなる鳥類へのリスペクトだ。
「そういえば、雀ってちっちゃくて可愛いですよね」
「は?」
ズンっ、と空気が沈んだ。室温が下がったかのような錯覚を覚える。新手のスタンド使いか?
先程のふにゃふにゃだった表情は打って変わって、さながら能面のようだった。瞳から光の一切が失われている。
絶対零度の視線だった。命中したら即死するタイプのやつ。
良かれと思って雀を褒めたのに、どうしてこんな目に。
「私の方が、ちっちゃくて可愛いですよね?」
「はい……」
ふぇ〜、鶴と雀じゃサイズ感が全然違うよぉ〜。
□
怒り狂う鶴さんをあの手この手でやり過ごし、僕は教室の自席についていた。
周りの生徒たちが楽しそうに談笑したり、限界しりとりで盛り上がっている中、僕は一人、必死にカバンの中を漁っている。
すでに三回は探したというのに、諦めきれずにもう一度底をさらう。
やがて現実を受け入れた僕は、深いため息を吐き出した。
「どうしよ、教科書忘れちゃったな」
どうやってこの授業を乗り切るか。藁にもすがる思いで、隣の席を見る。
そこにはおかっぱの女生徒が、自分の腕を枕にして幸せそうに爆睡していた。
あっ、今ならあのセリフが言えるな。へへっ、お前の彼女? 今俺の隣で眠ってるぜ。
まあ彼氏がいるかどうかも知らんけど。
真顔でアホなことを考えつつ、再度ため息をつく。
ため息をつくと幸せが逃げるというが、そもそも逃げていくほどの幸せなんて僕にはない。
しかし、本当にどうしたものか。
僕の席は窓際の一番後ろだ。必然的に隣接する席が二つ少ない。
残るは「前の席」だけだが、その住人はというと――ヤクザ映画も顔負けのイカつい顔に、制服がはち切れそうなほどの筋肉モリモリボディ。身長も規格外に高い。
ただ、机の端に置かれた消しゴムだけは、妙に几帳面に角を揃えてあった。
怖い。几帳面な筋肉は、普通の筋肉より怖い。
三度目のため息をつこうとした、その時だった。
バササササササササッ!!!
けたたましい羽音と共に、何かがベランダの床に重々しく落ちる音が教室中に響き渡った。
これには隣の眠り姫もビクッと体を跳ねさせ、音の発生源に目を向けている。
僕が窓の外を見た頃には羽音の主はいなかったが、窓際というポジションを活かして身を乗り出し、ベランダに落ちたものを確認する。
「あ、あれ?」
まさかと思いつつ、急いで窓を開けてそれを拾い上げた。
落ちてきたのは、分厚い教科書だった。
ただの教科書じゃない。目次のページには、授業で配られたプリントが無理やり挟み込まれている。
この見覚えのある収納の雑さ。
裏表紙の名前欄を見ると、そこにはしっかり僕の名前が書かれていた。
「ナニコレ珍百景すぎるだろ」
なぜ、家に置いてきたはずの僕の教科書が空から降ってくるのか。
わざわざ他人の家から忘れ物を持ち出し、ベランダに投げ捨てるという新手のイジメだろうか?
得体の知れない不安に襲われながらも、授業の予鈴が鳴ってしまったので、僕は大人しく席に戻った。
窓の外を見ていた生徒が「なんか、でけー鳥が飛んでったぞ!」とか騒いでいたけど……果たしてあの羽音の正体はなんだったのだろう。
□
奇妙な教科書お届け事件はあったものの、それ以降は何事もなく時間が過ぎた。
お昼休み。教室は一気に騒がしくなり、お弁当を広げる者、学食へダッシュする者、限界しりとりをする者と忙しない。
僕も自分の机にお弁当箱を置き、蓋に手をかけた。もちろん一人でだ。
友達はいなくとも、今日の僕はこの時間を心待ちにしていた。
なんといっても、鶴さんのお手製弁当である。
美少女の手料理という事実だけで、すでにお腹いっぱいになりそうだ。
ワクワクしながら蓋を開けると、そこには芸術品が鎮座していた。
きれいな黄金色の玉子焼き、真っ赤なプチトマト、完璧なタコさんウインナー。小さな俵おにぎりの横には、デザートのリンゴまで添えられている。
なにこれすげーな。それこそ美術館に置いてあっても、まあ、流石に違和感あるな。
「いただきます!」
どれも美味しそうだが、まずは玉子焼きに箸を伸ばす。
少し焦げ目のついた、ふわふわの玉子焼き。まあ、玉子焼きなんて誰が作っても劇的に味が変わるものでもないだろう。
そんな失礼極まりないことを考えながら、パクリと一口。
「……っ!?」
瞬間、体に電流が走った。
それは、僕がこれまで食べてきた『玉子焼き』という概念をひっくり返すほどの衝撃だった。
絶妙な甘さと、雲のようにふわっと溶ける優しい舌触り。
気がつけば、僕は一筋の涙を流していた。
全国の料理人たちよ、本当にごめんなさい。
玉子焼きなんて味が変わらないだろうとか、調子に乗っていた僕を許してほしい。
切腹して詫びたい気分だ。
こぼれ落ちた涙は弁当の具に染み込み、やがて大地を潤し、新たな命を育んでいくことだろう。めでたしめでたし。
「なんだこれ、美味すぎるだろ……」
なんだか心が浄化された気分になりながら食べ進めていると、ふと妙なものに気がついた。
俵おにぎりの下に隠れていたけれど、お弁当箱の底に何かが敷かれている。
それは羽だった。灰色の、綺麗な鳥の羽。たぶん鶴の羽だろう。
あれかな? 人間で言うところのちょっと髪の毛が入っちゃったって感じかな?
鶴さんもお茶目なとこあるんだな〜。
なんて、微笑ましいエピソードに変換しようとしたけれど。
今朝のハイライトのない真っ黒な瞳を思い出すと、なんだか背筋がスーッと冷たくなった。
□
そんなこんなで学校が終わり、無事に帰宅した。
すっかりうちの台所の主になっている鶴さんにただいまの挨拶をして、手を洗おうとした時。
ふと気になっていたことを思い出し、足を止めた。
「そういえば、鶴さんっていつまで家にいるんです?」
昨夜はひどい雪だったが、今日は見事な快晴で、雪もすっかり溶けている。
だというのに、鶴さんは未だに旅立つ気配がないので、純粋な疑問として聞いてみたのだ。
何晩でもとは言ったけど、本当にずっといるつもりもないだろうし。
「えっ、昨日は何晩でもって……」
と思っていた時期が私にもありました。悲しげな鶴さんに、僕は慌てて弁明する。
「いや違うんです! てっきり、恩返しが終わったらすぐ帰るものかと……」
「えっ、恩返し?」
鶴さんは心底不思議そうに首を傾げ、僕の言葉を繰り返した。
咄嗟に恩返しなんて言ってしまったが、この際だ、素直に話してしまおう。
「ほら、鶴の恩返しみたいに」
僕がそう言うと、鶴さんはまたしても怪訝そうに顔をしかめた。
ここでようやく、僕の脳内で何かがおかしいとアラートが鳴り始めた。
衝撃の告白がやってくるのは次の瞬間で、身構えるには遅すぎたのだけれど。
「あの……鶴、とは? 私は
「なん…だと…?」
タイトルからして、もう間違っていた。
鶴は恩返ししませんよ。鷺はしますが。そんなのタイトル詐欺やん!(サギだけに)
もし人気が出たらバトルものに強引に舵切って続き書きます。
一番好きなヒロインは?
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大鳥鷺里
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