鶴が恩返ししないんだが   作:エタリオウ

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幼馴染が癒しすぎてだいぶ長くなってしまいました。


幼馴染は癒し、癒しなんだ……!

 放課後の到来を告げる無機質なチャイムの音が、セピア色に染まり始めた教室に響き渡った。

 

 今日一日、女子中学生に筆箱を強奪されたせいで、僕は松井からペンを借りようとしたものの、半ば強引に夜鳥さんからシャーペンを押し付けられてしまった。

 

 当然付属の消しゴムは使ってはならない。夜鳥さんから言われたわけではないが、それは漢として許されない行為だ。

 

 よって絶対に書き間違えてはいけない24時が強制的に始まり、おかげでヘトヘトになりながらも、僕はなんとか放課後まで耐えしのいだ。

 

 しかし、明日からの高校生活を考えると文房具一式の欠如はあまりに致命的。このまま夜鳥さんにペンを借り続けるのは、なんかこう、良くない負債が溜まっていく感じがする。

 

 これは早急に買い揃える必要がありそうだ。

 そこまで考えて僕は、放課後に書店へと向かう決意を固めた。

 

 だがそこには、突破しなければならない壁が立ちはだかっている。

 今この瞬間も帰り支度をしながら、粘着質な視線をこちらに這わせている夜鳥さんの存在だ。

 

 彼女は長年僕の周囲に潜み、僕の趣味嗜好を完璧に把握していると自負する、筋金入りのストーカー。

 普通に教室を出れば何食わぬ顔で尾行され、あたかも偶然会ったという体で買い物デートに持ち込まれることだろう。

 

 当然のようにプライバシーを侵害しまくる彼女を連れて行動すれば、精神的逃げ場が一切ないのは明白。

 特に今日は女子中学生からカツアゲされたので朝から疲弊している。買い物くらいは単独行動で済ませたい。

 

 どうすれば彼女の目を搔い潜れるだろうか?

 

 僕は思考の海に潜り、夜鳥さんの敷く監視体制からの脱出プランを構築する。

 名付けて、『肉の壁作戦』である。

 

「ふわぁ、なんだか今日、やけに疲れたなぁ。ちょっとだけ寝てから帰ろっと」

 

 僕はわざとらしく欠伸をすると、机の上にだらりと突っ伏してみせた。

 

「おやすみ、佐鳥くん。今日は朝から大変だったもんね。……寝顔、覗いちゃおっかな」

 

 そう言って嬉しそうに頬杖をつく夜鳥さんの姿が想像できる。

 大人しくうちに帰れやと思うが、その反応は予想通りである。

 さあ、ここからが正念場だ。

 

 僕は顔を両腕で隠しながら、前の席の松井が帰り支度を終えるのを、息を殺してじっと待った。

 

「……じゃあな」

 

 やがて松井がスクールバッグを肩に担ぎ、ギギギと椅子引く。おう、この瞬間を待っていたぜ。

 

 教室を出ようとすれば、必然的に松井は僕の横を通りすぎる。

 制服がはち切れんばかりの規格外の巨体が、夜鳥さんと僕を結ぶ直線上に重なるその一瞬、松井は全てを遮断する「肉の壁」と化す。

 

 夜鳥さんが「あ、ちょっと松井くん、邪魔なんだけど……」と不満げな声を漏らした、わずか数秒。僕にとっては、それが永遠にも似たスローモーションに感じられた。

 

 僕は素早くスクールバッグの底から財布だけを抜き取り、ズボンのポケットへねじ込む。

 スマートフォンは持っていけない。なぜなら以前、夜鳥さんの手によって位置情報共有アプリが仕込まれており、持ち歩けば現在地が筒抜けになってしまうからだ。

 

 中身を減らして嵩の低くなったスクールバックに学ランを被せ、まるで僕が眠り続けているかのようなダミーを錬成する。

 そして自らは床へ滑り込み、松井の巨大なシルエットと机の物陰に潜みながら、匍匐前進で教室の後方扉を目指した。

 

 気持ちはまるでスパイ映画のワンシーンのようだ。

 ドクン、ドクンと、警鐘のように心臓が肋骨を激しく叩く。

 

 もし今、夜鳥さんに見つかってしまえばどうなってしまうか?

 

 『あ、佐鳥くんみーっけ。床に這いつくばっちゃって、ワンちゃんみたいで可愛いね。じゃあ、首輪つけて私が飼ってあげるよ』と、笑顔で人権を剥奪される未来しか見えない。

 

 ちょっとそそられるものがあるが、それだけは絶対に回避しなければ!

 

 自らの尊厳を守るため、僕は奥歯を強く噛み締めてジャングルの泥濘を這う特殊部隊のごとき身のこなしで教室を後にした。

 

「よしっ……! 完璧だ」

 

 かくして脱出を果たした僕は、勝利のガッツポーズを決める。

 

 夜鳥さんの執拗な監視の目を見事に欺いてやったのだ。バッグとスマホは明日回収するとして、またしても何も知らない松井には心の中で深く感謝の念を送る。

 

 書店までの道中、尾行されていないかと何度も振り返って確認したが、意外なまでに何事もなく駅前までたどり着くことができた。

 

 なんだかんだ言って夜鳥さんはまだまだ僕への理解が足りてないみたいだね。

 なんで負けたか、明日までに考えといてください。ほな、いただきまーす。

 

 昔ながらの個人経営の文房具専門店などは、すっかり街で見かけなくなった昨今だ。

 僕は駅前の大型書店へと足を運んで、その一角に設けられている文具コーナーを目指す。

 

 真新しい紙とインクの匂いが漂う店内。

 青木まりこ現象で若干の便意を感じつつも、ペンの陳列棚の前に立ち、ようやく僕は強張っていた肩の力を抜いた。

 

「……さて、と」

 

 財布の中身を確認して、僕は小さくため息をつく。

 

 両親が遺した財産はある。だが、それはできれば使いたくなかった。

 なぜならその金は、鳥たちの犠牲の上に成り立った、汚れた負の遺産だからだ。

 

 どうしようもない時には手をつけることもあるが、鳥たちの血肉で築かれた呪われた金で平穏に生きるなど、道義的に許されるはずがない。

 

 だからこそ、罪滅ぼしのように生活費を稼ごうとコンビニバイトに励んでいたのだが――つい数日前、突然店長からクビを宣告されてしまったのだ。

 

『ご、ごめんね佐鳥くん! 君に辞めてもらわないと、うちの店が……いや、僕の人生が終わっちゃうんだよぉ!』

 

 土下座して、まるで別格の鳥に命を脅かされているかのように泣き崩れた店長の姿が脳裏をよぎる。

 

 なぜあんなにも怯えていたのかは謎だが、ともかく収入源を失った僕にこの出費はあまりに痛い。

 くそっ、恨むぞ黒羽美烏……!

 

 そんな限られた所持金で、可能な限り長く使えるものを選ぼうと手を伸ばした、その時だった。

 

「あれ? ほーすけ?」

 

 不意に陳列棚の向こう側から、甘く、鼓膜の奥に吸い込まれるような声がした。

 顔を上げると、陳列棚の隙間越しにひょっこりと顔を出したのは、幼馴染の小鳥遊凰佳だった。

 

 緩いウェーブのかかった桜色の髪に書店の淡い照明が反射し、さながら後光が差しているかのよう。

 すれ違う者十人中九人は歩みを止めるだろう、完璧で究極な学校のアイドルだ。

 

「凰佳? どうしてここに? 今日はクイ研ないの?」

「うん。この前大会があったばかりだから、今日は休み。参考書を探してたら、偶然ほーすけを見つけたんだ」

 

 凰佳は棚をぐるりと回り込み、僕の隣までやってきて、見るだけでリジェネが付与されそうな笑みを浮かべた。

 

 やっぱり凰佳には癒されるなあ。

 今日出会っただけで、なんだかんだ理由をつけて窃盗していった女子中学生、隣の席のスカートが短すぎるストーカー、筋肉ムキムキマッチョマンの変態。

 およそ常識の通用しないやつらばっかりだ。

 

 そんな異常事態の中に咲いた一輪の花。

 昔から変わらず甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる彼女は、間違いなく正常な人間の女の子であり、乾ききった心のオアシスに思えた。

 

 そうして僕が凰佳から放たれている癒し成分を吸収していると、凰佳の琥珀色の瞳は、スッと僕の空っぽの胸ポケットに向けられた。

 

「ねえ、ほーすけ。いつもお父さんの万年筆、大事そうに持ち歩いてたのにどうしたの? それに文房具もこだわってたのに、新しいの買おうとしてるなんて」

 

 流石は長年の付き合いがある幼馴染。僕の些細な変化も見逃さない。

 

「それが中学生にカツアゲされてさあ。筆箱を丸ごとパクられちゃったんだよね」

 

 いつものようにおどけた調子で喋ってから驚く。今語ったことに何一つ嘘がない。

 あれ、ひょっとして女子中学生に物をパクられる男子高校生って情けなさすぎるのでは……?

 

「……へえ。中学生に。ほーすけの、大事なものを」

 

 凰佳の言葉が、書店の静謐な空気にぽつりと落ちた。

 彼女の顔に浮かんでいたリジェネ効果のある笑みが、ぴたりと固定される。

 

「まあ中学生っていうか……春からうちの高校にくる後輩なんだけど。黒羽美烏って名前で、たぶん大物になるよ。クイ研に勧誘してみたら?」

 

 僕が補足すると、凰佳の瞳から一切のハイライトが消え失せた。周囲の温度が急激に数度下がったかのような錯覚を起こす。

 なんだ、急に書店の空調壊れたのかな?

 

 ミシッ、メキッ、メリメリ……と、静かな店内に不穏な硬質音が響く。

 それは凰佳の何気なく手に取っていた、試し書き用ボールペンの悲鳴だった。白く細い指先から、硬質なプラスチックにヒビが入るほどの圧がかけられている。

 

「……黒羽美烏ちゃん、ね。見つけ出して、両腕を折って、二度と物を盗めないように一本ずつ指をすり潰して、社会的に抹殺した上で、物理的にもお掃除してあげるね」

 

 とても凰佳の発言とは思えない物騒な発言に、僕は耳を疑った。

 

 いや待て。これは決して、巷で言うところのヤンデレとか、そういう物騒なアレじゃない。

 あの凰佳に限ってまさかそんな。おほほ、バカなことを言うんじゃありませんよ。

 

 凰佳は大切な幼馴染がカツアゲに遭ったと聞いて、自分のことのように怒っているんだ。

 そう、これは義憤という名の友情の証に違いない。

 

パァンッ!!

 

 しかし次の瞬間、凰佳が握りしめていた分厚いプラスチックのペンが、限界を迎えて粉々に砕け散った。

 破片がパラパラと、乾いた音を立ててリノリウムの床に降り注ぐ。

 

「あ、ごめんね。ちょっと手が滑っちゃった」

 

 てへっと長いまつ毛を揺らし、凰佳はいつもの聖母めいた笑顔へと戻った。

 

 そっかぁ、手が滑っちゃったならしょうがない。うんうん、それはボールペンが悪いわ。僕ならそんな思いさせないのに。じゃあ、挿れるね……。

 

 床に散乱したボールペンだったものを、凰佳は手品のような手際でハンカチに包んで消し去った。

 そして何事もなかったかのように、僕の腕にすり寄ってくる。

 

「筆箱のことは災難だったけど、気にしないで? 私が新しいの、一緒に選んであげるから。あ、そうだ! せっかくだから、ほーすけと私で、お揃いのペンにしようよ。これとかどう? ほーすけはどれが好き?」

「ええっ? お揃いはちょっと恥ずかしいというか……。あと話したけど、こないだコンビニバイトもクビになっちゃったから、あんまり高いのは買えないんだよね……」

 

 親の遺産にはどうしても手をつけたくない以上、僕の手元にある資金は極めて心許ない。

 

 僕がもごもごしていると、凰佳はさらにきつく僕の腕を抱きしめた。

 柔らかな胸の感触とは裏腹に、そのホールドは万力のように強固で、僕の自由を奪っていく。さすが、ボールペンを砕いただけはある。

 

「お金のことなら気にしないでよ。私がお揃いがいいなって言ってるんだから、私が買ったげる。……バイト、急にクビになっちゃって悲しかったね? でもね、これでほーすけと過ごせる時間が増えたから、私としてはすごく嬉しいな」

 

 その純粋無垢な、けれどどこか歪んだ言葉を聞いて、僕のお腹は痛みを訴え始めた。いや、違う。これは青木まりこ現象による猛烈な便意のはずだ。

 

 幼馴染は癒し、幼馴染は癒しなんだ。そうであってくれ……!

 

 僕は現実逃避の防壁を展開し、目の前で可愛らしく首を傾げる幼馴染にすがりつくことにした。

 

「……じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな。ありがとね、凰佳」

「うん、任せて!」

 

 先ほどまでの殺気はどこへやら、凰佳は花が綻ぶような満面の笑みを浮かべた。

 

 その笑顔を見ていると、さっきの物騒な発言や、硬質プラスチックを粉砕したゴリラ顔負けの握力も、すべて幻覚だったような気がしてくる。

 

 そうだ、そうに違いない。僕はお腹が痛すぎて錯乱状態にあったのだ。おのれ、青木まりこめ。

 

 僕たちは文具コーナーを回り、少し奮発したデザインのお揃いのシャーペンとボールペン、それに真新しいペンケースを選んだ。

 

「ふふっ、ほーすけとお揃い、嬉しいな。これを使ってる間は、私のことを考えてくれるよね?」

「あ、あはは……そうだね」

「よかった。もし他の子のことなんて考えたら、このペンでその子の目を突いちゃうかも……なーんて、冗談。大事に使ってね?」

「もちろん、一生大切にするよ。凰佳も他の男のこと考えたら三段突きかますから、気を付けて」

 

 凰佳も面白い冗談を言うなあ。

 引きつりそうになる頬の筋肉を総動員して、僕も適当な軽口をたたいて笑い合った。

 

 その後お会計してくるねと凰佳は言って、レジに向かっていった。

 後ろ姿を見送っていると、ふと、彼女の肩が小刻みに震えていることに気がついた。

 

「嫉妬……。ふふっ、ふふふふっ……ほーすけが、私に……あはっ」

 

 ブツブツと何か呪文めいたものを呟いている。

 なんだろう、さっきの発言がキモいとか悪口じゃないといいけど……。

 

 ほどなくして、会計を済ませた凰佳が、軽やかな足取りで紙袋を提げて戻ってきた。

 

「お待たせ! はい、これ、ほーすけの分ね」

「ありがとう。お金、新しいバイト見つけたら返すから」

「もう、水臭いなぁ。私からのプレゼントだって。その代わり、毎日ちゃーんと使うこと」

 

 約束、だからね? そう言って凰佳は可愛らしい上目遣いで覗き込んでくる。

 

 間違いなく学校の男子が漏れなく羨ましがるようなシチュエーション。しかし僕には、絶対に破ってはいけない悪魔の契約書を突きつけられているかのように見えた。

 

 もしこのペンを無くしたり、別のものを使っているところを見られたりしたら……僕の眼球はいったいどうなってしまうのか?

 

 いやいや、だから違うって。

 凰佳は昔から僕を気にかけてくれる、心優しい普通の女の子だ。

 

「……うん、約束するよ」

「ふふっ、よかった!」

 

 受け取った小さな紙袋をしっかりと握る。

 何故だかずっしりと感じるそれを揺らしながら、僕らは帰路につくのだった。




だいぶ苦しくなってきたね。
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