【完結】鶴が恩返ししないんだが   作:エタリオウ

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16. 喫茶つぐみは鳥カフェではない

 放課後の教室には、昼間の熱がまだ少し残っていた。

 

 廊下からは部活へ向かう生徒たちの声が流れてきて、教室の中では、机を引く音や、限界しりとりに興じる声があちこちから聞こえてくる。

 

 僕はスマホで求人サイトを眺めながら、ため息をついた。

 

 コンビニ。ファミレス。塾講師。引っ越し業者。

 

 最後のは絶対に無理だ。

 ボールペンをいともたやすく破壊できる凰佳ならともかく、僕の腕力では、段ボールを持ち上げる前に心が折れてしまう。

 

 僕が悩ましげに唸っていると、前の席から松井の声がした。

 

「バイト探してるのか」

「うん。生活費、そろそろちゃんと稼ぎたいと思って」

 

 親の遺産なら確かにある。

 けれど、あの金に手をつけるたび、どうしても心が痛む。

 両親が僕を使って集めた鳥たちがどこかで値札に変わって、そのまま通帳の数字になった。間違っても気軽に使っていい金ではない。

 

 だからせめて日々の生活費くらいは、自分でどうにかしたかった。

 

 そのため以前はコンビニでバイトをしていたが、急にクビを言い渡されてしまった。

 理由はしばらく分からなかったが、最近になって凰佳が、困ったような顔で白状してくれた。

 

『ほーすけとの時間が減るのが嫌で、店長さんに少しお願いしたの』

 

 お願い。便利な言葉だ。

 クビを言い渡された際の店長の様子に、ようやく合点がいった。

 僕としてはあれを、お願いではなく脅迫と呼びたいところだ。

 

「前もやってたよな」

「うん。まあ、いろいろあって辞めたけど」

「そうか」

「今回はちゃんと、続けたいんだよね」

「なら、続くといいな」

 

 松井に事情を聞かれなかったことにほっとする。

 僕はまだ、前のバイトを辞めた理由を友達との雑談にできるほど器用ではなかった。

 

 ただ、問題は凰佳だけではない。

 僕がバイト先に立つ以上、どうしても鳥寄せパンダの体質について考えずにはいられなかった。

 

 前のコンビニでも、やはり鳥は集まってきた。

 

 レジ横にやたら雀が止まったり、田舎のヤンキーみたいにカラスがたむろしていたり、鳩が列をなして入店待ちしていたり。

 

 そのたびに店長は微妙な顔をしていたが、まだ笑って済ませられる範囲だったと思う。

 

 けれど、今はたぶん違う。

 あの神社の一件から、僕は自分が何なのかを嫌でも自覚してしまった。

 

 鳥類の王。鳳凰の片割れ。

 こちらがそれを認めたせいなのか、向こうの態度も明らかに変わってきている。

 

 昔は「気になる人間を見に来た」くらいだった。

 今は「あ、王として対応していいんスね」みたいな距離感になってきた。

 やめてほしい。王としての実務経験はゼロだというのに。

 

 できれば、新しいバイト先では大人しくしていてほしい。

 僕は生活費を稼ぎたいのであって、鳥類向けファンミーティングを開催したいわけではないのだ。

 

「駅前の喫茶店、短期で募集してたぞ」

 

 松井が、鞄から小さな求人の切り抜きを出した。

 今どき紙の求人を持ってくるあたり、妙に松井らしいというか。

 

「喫茶店?」

「客は少なそうだった」

「そこ、店側の売り文句じゃないよね」

「静かではある」

 

 求人票には、駅前から少し外れた喫茶店の名前があった。

 

 平日の夕方から。短期可。高校生可。仕事内容はホールと片付け。

 条件だけ見れば悪くない。むしろ、かなり良い。

 

 それに、寂れた喫茶店という響き。どうにも男心をくすぐるものがある。

 

 古い木の扉。夕方の光が窓から斜めに差し込んで、店内にはコーヒーの香りだけが静かに満ちている。

 カウンターの奥では無口なマスターがカップを磨いていて、常連客が新聞を広げている。

 そこで黒いエプロンをつけた僕が、淡々と注文を取るのだ。

 

 ――お客さん。いつものでいいですか?

 

 なんか、いいな。すごくいい。

 

「ありがとう松井。でも僕、接客向いてると思う?」

「いつも夜鳥や小鳥遊を上手く躱してるだろ」

「あんまり嬉しくないな」

 

 僕はもう一度求人票に目を落とした。

 

「まあ、面接だけでも受けてみようと思う」

「そうか」

 

 松井は短く頷いた。

 

 採用が決まったわけでもないのに、少しだけ気が楽になった。

 たぶん、喫茶店への憧れと、松井の無駄に安定感のある相槌のおかげだ。

 

 駅前の通りは、夕方になると少しだけ色が濃くなる。

 

 塾へ向かう中学生。買い物袋を下げた主婦。自転車を押して歩く老人。信号機の電子音と、遠くを走る電車の音が混ざって、街全体が一日の終わりに向かって動いていた。

 

 目的の喫茶店は、大通りから一本外れた場所にあった。

 

 古いビルの一階。木製の看板には、控えめな字体で『喫茶つぐみ』と書かれている。ガラス扉の向こうには、あたたかな灯りがにじんでいた。

 

 派手ではない。けれど、入口の鉢植えはきれいに手入れされていて、窓ガラスも曇り一つない。静かで、少し古くて、ちゃんと大事にされている店だった。

 

 カラン、と扉のベルが鳴る。

 

 中に入ると、コーヒーの香りがふわっと広がった。少し苦くて、少し甘い。木の床と古い椅子に染み込んだ匂いも混じっていて、落ち着く。

 

 カウンターの奥に、白髪混じりの男性が立っていた。

 年齢は五十代くらい。痩せ型で、背筋が伸びている。無口そうだが、怖い感じではない。

 

「いらっしゃい」

「あの、求人を見てきました。佐鳥鳳介です」

 

 僕が頭を下げると、男性――マスターは軽く頷いた。

 

「佐鳥くんね。座って」

「はい」

 

 カウンター席に座ると、マスターは履歴書に目を通した。

 

 視線の動きがゆっくりだった。急かさない。踏み込みすぎない。必要なところだけを読んでいる感じがした。

 

「前はコンビニ?」

「はい。しばらく働いてました」

「辞めた理由は?」

「……人間関係です」

「職場の?」

「職場外の」

 

 マスターは、それ以上聞かなかった。助かった。

 

「夕方から入れるんだね」

「はい。学校が終わってからなら」

「接客は?」

「レジ、品出し、掃除くらいなら」

「なるほど」

 

 マスターは短く頷き、もう一度履歴書へ視線を落とした。

 ひとまず、変な受け答えはしていない。

 

 このまま普通の面接として終わってくれれば――。

 

 そう思った矢先、視界の隅で小さな影が動いた。

 気づけば、店先に鳥が集まり始めていた。

 

 看板の上。鉢植えの縁。入口横の電線。

 さっきまで何もなかったはずの場所に、いつの間にか増えている。

 

 僕は見なかったことにしたかったが、向かいの建物の手すりにまで黒い影が増えたあたりで、さすがに無理があった。

 

 やめてほしい。今は大事な採用面接中なんだ。

 

「鳥が多いね」

 

 マスターが呟いた。

 

「そうですね」

「この辺り、こんなにいたかな」

「さ、さあ……鳥にもコーヒーを飲みたい日があるのかもしれません」

 

 窓の外に、青い影が走った。

 

 一瞬、夕方の光が揺れたのかと思った。

 けれど違う。看板の端に止まったのは、鮮やかな青と橙色の小さな鳥だった。

 

 カワセミだった。

 駅前の喫茶店の看板に、カワセミ。

 

 もうこの時点で、だいぶおかしい。

 

 続いて、青い鳥がもう一羽。オオルリ。たぶんオオルリ。

 さらに、長い尾をひらめかせる鳥が電線に止まった。サンコウチョウに見える。

 

 そして最後に、白っぽく丸い鳥が、歩道の端を堂々と歩いてきた。

 ライチョウだった。

 高山に生息する絶滅危惧種の鳥である。少なくとも、喫茶店の前を歩いていていい生き物ではない。

 

 僕は思わず額を押さえた。

 

「駅前にライチョウが来る自然は、たぶん自然じゃないです……」

「鳥、好きなの?」

「好き嫌いとは別の関係性を迫られています」

 

 マスターは窓の外を見て、それから僕を見た。

 

 沈黙が落ちる。終わった、と思った。

 鳥を呼び寄せる高校生なんて、どう考えても面倒だ。

 

「鳥はともかく」

 

 マスターは、履歴書を指で軽く押さえた。

 

「君は、履歴書を折らずに持ってきた」

「そこですか?」

「大事なことだよ」

 

 小さく頷く。

 

「君は仕事ができそうだ」

「この状況を『ともかく』で流せる人、初めて見ました」

 

 こうして僕は、喫茶つぐみで働くことになった。

 普通のバイト生活は、どうやら初日を迎える前から少しだけ怪しかった。

 

 

 初シフトの日。

 僕は学校帰りにそのまま店へ向かった。

 

 制服の上から支給された黒いエプロンをつけると、鏡に映った自分が少しだけ別人に見えた。

 

 放課後の高校生ではなく、夕方の喫茶店員。

 そう思うと、胸が少し弾む。

 

 店内は相変わらず静かだった。

 

 カウンターの奥では、マスターが豆を挽いている。ミルの低い音が、木の床にやわらかく響いていた。

 窓の外には夕焼けがあり、ガラスには店内の明かりがぼんやり映っている。

 

 仕事内容は、特に難しくなかった。

 

 常連らしい老人に水を出し、空いたカップを下げる。

 会計の時に「ありがとう」と言われ、僕は少し遅れて頭を下げた。

 

 コンビニに比べれば、作業量は少ない。客も少ない。急かされることもない。

 

 ただし、鳥がいた。

 

 入口の外。看板の上。向かいのビル。鉢植えの陰。

 さっそく、あちこちに鳥の姿がある。雀に鳩、カラス、それからカワセミまで混ざっていた。

 

 ライチョウは、さすがに山に帰ったと思いたかったが、少し離れた植え込みのあたりに白い丸さが見えた気がした。

 気のせいであってほしい。

 

 マスターがカップを拭きながら言った。

 

「佐鳥くん、手慣れてるね」

「コンビニで鍛えられましたから」

「じゃあ、うちは楽な方かな」

「鳥の妨害がなければ、かなり楽です」

 

 その時、カラン、と扉のベルが鳴った。

 

 反射的に顔を上げる。

 そこにいたのは、幼馴染の小鳥遊凰佳だった。

 

 夕方の光を背に受けて、桜色の髪が柔らかく揺れている。制服姿のまま、完璧な笑顔を浮かべて、まるで最初からこの店の空気に馴染んでいたみたいに立っていた。

 

「いらっしゃいませ」

「ほーすけ、エプロン似合ってるね」

「ありがとう。でも勤務中だから、客として距離を保って」

 

 誰が見ても、感じのいい女子高生だろう。

 問題は、僕がその前科を知っていることだった。

 

「うん。今日はちゃんと客として来たよ」

「今日はって言葉に過去の罪状が詰まってるんだけど」

「もうマスターさんを困らせたりしないよ?」

「本人の前で不穏な更生宣言をしないで」

 

 カウンターの奥で、マスターがこちらを見た。

 

 僕は静かに首を横に振った。

 聞かなかったことにしてください、という意味だった。

 

 凰佳は窓際の席に座った。姿勢がきれいで、注文の声も柔らかい。

 外面だけなら、間違いなく人類で上位に入る。

 

「カフェオレをお願いします」

「かしこまりました」

 

 僕が水を置くと、凰佳は嬉しそうに目を細めた。

 

「バイト終わり、一緒に帰ってもいい?」

「まあ、友達としてなら……」

「うん。友達として、毎日迎えに来るね」

「毎日は友達じゃなくてストーカーっていうんだよ。夜鳥さんみたいなね」

 

 店の奥の二人掛け席から、ひらりと手が上がった。

 いた。夜鳥雀が、いつの間にかいた。

 

 夜鳥さんはメニュー表を片手に、面白がるようにこちらを見ていた。

 

 完全に客の顔をしている。いや、客なのは間違いない。

 問題は、入店した記憶がないことだ。

 

 テーブルにはいつの間にかお冷が置かれているが、僕が出した覚えはない。

 

「佐鳥くん、初シフトお疲れ」

「ありがと。やっぱり来たんだね」

 

 驚きはほとんどなかったあたり、だいぶ毒されている。

 夜鳥さんに関しては、来るかどうかではなく、どうやって入ったのかの方が謎だ。

 

「あれ、驚かないんだ」

「夜鳥さんが来ない可能性より、店の前にライチョウが来る可能性の方がまだ低いと思ってた」

「でも、来たよね。ライチョウ」

「来たね。僕の人生、常識の方が勝率低いんだ」

 

 夜鳥さんは楽しそうに笑った。

 

「前のコンビニより、今回は長続きするといいね」

「足元に爆弾を置いてから世間話を始めないで」

「今回は店長さん、脅されないといいね」

「夜鳥さん?」

 

 凰佳の声が響く。

 甘いのに、温度が下がる声だった。

 

 夜鳥さんは肩をすくめる。

 

「何もしてないよ。見てるだけ」

「今のは完全にしかけた側だよ」

 

 僕は水差しを持ち直しながら、深く息を吸った。

 

 大丈夫。

 まだ店は燃えていない。まだ誰も神話級の力を使っていない。まだ喫茶店として成立している。

 

 そう思った直後、扉のベルが鳴った。

 

「いらっしゃいま……黒羽さんまで来たの?」

「佐鳥先輩。労働環境の確認に来ました」

 

 美烏だった。

 

 一切の隙がない所作で店内に入り、客というより、外部監査に来た職員みたいな顔つきで立っている。

 

「また小鳥遊先輩による干渉があった場合、私に報告ください」

「頼もしいんだけど、喫茶店で出していい圧じゃないね?」

「必要な対応を取りますので」

「その『必要な対応』の中身がだいぶ不穏なんだけど」

 

 頼むから、神話級鳥類大戦第二幕とかやめてほしい。

 

 前回だって神社が焼失しかけたのに、今度の舞台が駅前の喫茶店だったら、マスターに何と謝ればいいのか分からない。

 

 美烏は静かに凰佳を見た。凰佳は笑顔のまま視線を返す。

 

「美烏ちゃん、心配しすぎだよ。私はもう、ほーすけの邪魔はしないよ?」

「前例がありますから」

「うん。だから、今はしないの」

「継続確認が必要です」

「頼むから、僕のバイト先を監査会場にしないで」

 

 マスターはカウンターの奥で、何も言わずにコーヒーを淹れていた。

 

 強い。この状況で淡々とドリップを続けられる大人は、かなり強い。

 

 美烏はカウンター席に座り、ブレンドを注文した。

 彼女がコーヒーを飲むのかは知らない。たぶん飲めるのだろう。八咫烏が苦味に強いかどうか、日本神話には載っていない。

 

 店内には、妙な均衡が生まれていた。

 

 窓際に凰佳。

 奥の席に夜鳥さん。

 カウンターに美烏。

 カウンターの中にマスター。

 そして、僕。

 

 一見すると、少し客の増えた喫茶店だ。

 

 ただし実際には、鳳と凰と八咫烏と夜雀、それに巻き込まれたマスターが、駅前の小さな店に集まっている。

 

「佐鳥くん」

 

 マスターが、窓の外を見ながら言った。

 

「はい」

「うちは鳥カフェじゃないよ」

「僕もそう思います」

 

 店の外が、鳥で埋まりかけていた。

 

 最初は歩道の端だった。それが看板の上、電線、向かいのビル、入口横の鉢植え、窓枠へと広がっていく。

 雀や鳩、カラスに混じって、明らかにこの街にいるべきではない鳥まで見え始めた。

 

 そしてライチョウが、いつの間にか入口の前にいた。

 帰ってなかった。むしろ近づいていた。

 

 外を通る人たちが足を止め始める。スマホを向ける人もいる。

 店に入ろうとした客が、入口前でライチョウの通せんぼをくらって、そのまま引き返していった。完全に営業妨害である。

 

 胸の奥が、少し軋んだ。僕のせいだ。

 

 この店は静かで、客は少ないけれど、ちゃんとそこにある場所だった。マスターが豆を挽き、カップを磨き、お客さんが一息つくための場所。

 

 そこに、僕が余計なものを持ち込んでいる。

 

「……すみません。僕がいると、迷惑ですよね」

 

 声は、思ったより小さく出た。みんなの視線を感じる。

 

 採用初日に、辞めるべきかもしれない。

 そんな考えが頭をよぎった。

 

 マスターは窓の外を見たまま、短く言った。

 

「鳥は迷惑だね」

「あの、今否定してほしかったところです」

「でも、佐鳥くんには助かってる」

 

 ただ事実を確認するみたいな口調だった。

 

 僕が厄介なんじゃない。厄介なのは、店先に群がっている鳥の方だと、そう線を引いてくれた気がした。

 

「鳥の方は、どうにかできる?」

「おそらく。あまり、やりたくはないですが……」

「じゃあ、やめる理由はないね」

 

 その言い方は、あまりにも普通だった。

 

 迷惑だから辞めろ、ではない。

 鳥をどうにかできるなら、続ければいい。

 

 マスターにとって問題は、僕という存在ではなく、店先に集まった鳥たちだった。

 

 それが、少しだけありがたかった。

 

 美烏が静かに立ち上がる。

 

「必要であれば、散るように伝えますが」

「鳥に?」

「はい」

「……黒羽さんが言うと、本当に散りそうだな」

 

 八咫烏が、喫茶店の前に集まった鳥たちへ「散れ」と告げる。

 なんだか神話の一場面みたいで格好いい。

 

「ありがとう、黒羽さん。でも大丈夫」

 

 僕はエプロンの紐を軽く結び直して、店の扉へ向かった。

 

 カラン、とベルが鳴る。

 

 外に出ると、夕方の空気が頬に触れた。少し冷えた風の中に、羽毛の匂いと、街路樹の青い匂いが混じっている。

 

 鳥たちの視線が、一斉に僕に注がれる。

 さえずり一つない。

 普段なら鳴いているはずの雀も、鳩も、カラスでさえ音を立てなかった。

 

 待っている。命令を。王の言葉を。

 

 腐っても僕は鳳凰の片割れだ。

 たぶん、命じればこの場の鳥たちは従うだろう。

 

 散れと言えば散るし、飛べと言えば飛ぶ。店の前に来るなと叱れば、二度と近づかないかもしれない。

 

 でも、やっぱり。

 誰かを従わせる力なんて、僕には似合わない。

 

「ここはお店だからさ」

 

 声は大きくなかった。けれど、鳥たちは聞いていた。

 

「マスターにも、お客さんにも。迷惑をかけないでほしいんだ」

 

 命令というより、お願いに近い。

 それでも、お願いにしては強く響いた。

 

 鳥たちが一斉に飛び立った。

 看板の上から、電線から、向かいの建物から。さっきまで店先を埋めていた影が、夕暮れの中へほどけるように散っていく。

 

 ライチョウは少しだけ僕を見上げたあと、のそのそと植え込みの方へ戻っていった。

 

 飛ばないんだ。

 いや、ライチョウだからそうかもしれないけど。

 

 僕は小さく息を吐いて、店内へ戻った。

 マスターがカウンターの中からこちらを見た。

 

「助かったよ」

「いえ。原因、僕なので」

「原因でも、対応できるなら戦力だ」

 

 そう言うと、マスターはもう次のカップに手を伸ばしていた。

 

 凰佳は、少し複雑そうな顔をしていた。

 美烏は無表情のまま、わずかに目を伏せた。

 夜鳥さんは、いつも通り楽しそうだった。

 

「佐鳥くん、前より命令するの上手くなったんじゃない?」

「今のは命令じゃなくてお願いだよ」

「鳥たちはそう思ってないかもよ?」

「余計な不安をあおらないで」

 

 それからしばらく、店は普通の喫茶店に戻った。

 

 凰佳はカフェオレをゆっくり飲んだ。

 夜鳥さんはケーキセットを注文して、ご機嫌そうだった。

 美烏はコーヒーに口をつけて、少しだけ眉を動かした。どうやら苦かったらしい。

 

 マスターは何も言わず、カップを磨いていた。

 

 閉店後。外はすっかり夜に沈んでいた。

 

 看板の灯りだけが、路地に小さな輪を作っている。昼間より人通りは減り、大通りから薄く車の音が届く。

 

 僕は店の外で、畳んだエプロンの入った紙袋を抱えていた。

 

 喫茶店の初シフトは終わった。

 

 肩が少し重い。足もだるい。

 接客、鳥の集合、知り合いの来店、たぶん全部ひっくるめて疲れていた。

 

 それでも、働いたあとの手応えみたいなものが手の中に残っている。

 今日の僕は、ちゃんと店員をしていた。

 

「続きそうか?」

 

 ふいに街灯の影から、野太い声が落ちてきた。

 

 見ると、松井が立っていた。

 制服姿のまま、鞄を肩にかけている。灯りに照らされて、ただでさえ大きい体が余計にでかく見えた。

 

「まあ、鳥の妨害がなければね」

「また来たのか」

「なんと店先にライチョウが来たよ」

「そうか」

「驚かないんだ」

「お前だからな」

「信頼が変な方向に育ってる……」

 

 松井はそれだけ言って、店の看板を見上げた。

 

 いつも通りの顔だった。

 ライチョウが駅前に来た話をしているのに、いつも通りなのはどうかと思う。でも、その変わらなさが松井らしい。

 

「辞めるか?」

「……少し思ったよ」

「でも、まだエプロンを持ってるな」

 

 視線が、僕の抱えた紙袋に落ちる。

 

「返すタイミングを逃しただけかもしれない」

「明日も入るのか」

「シフト表には名前がある」

「なら、行くだろ?」

 

 松井は、当たり前みたいに言った。

 その当たり前が、胸の奥にすとんと落ちた。

 

「……うん。行くよ」

 

 松井は少しだけ頷いた。

 

 そのとき、街灯の光が薄く届く路地の奥から、ふわりと甘い声がした。

 

 目を向けると、凰佳が笑顔で立っていた。

 その背後には夜鳥さんがいて、さらに少し離れた電柱の影に美烏の姿も見えた。

 

 どうやら本当に閉店まで待っていたらしい。

 

 本当に毎日やるつもりなのだろうか。

 いくらなんでもお店の売上に貢献しすぎである。

 

「ほーすけ、明日も迎えに来るからね」

「毎日はストーカーだって言ったよね」

「友達としてだよ?」

「友達の解釈を拡大しすぎないで」

 

 美烏が静かに口を開く。

 

「小鳥遊先輩が迷惑をかけていないか、明日も確認します」

「すごい。確認対象が一人限定だ」

「私、信用されてないね」

「これまでの実績って大事だよね」

「夜鳥さんは火に油を注がないで」

 

 松井が僕の横で、ぽつりと言った。

 

「繁盛してるな」

「客っていうより、出待ちだけどね」

 

 ちょうどその時、店の中からマスターが顔を出した。

 

「佐鳥くん」

「はい」

「明日も頼むよ」

 

 一瞬だけ、返事が遅れた。

 

「……はい。よろしくお願いします」

 

 マスターはそれだけ言って、店の奥へ引っ込んでいく。

 

 看板の灯りが、路地に小さな輪を落としていた。

 コーヒーの香りが、まだ少し漂っている。

 

 明日も鳥が来るかもしれない。

 凰佳も、夜鳥さんも、美烏も、たぶんまた来る。

 

 それでも、明日も頼むよと言われた。

 

 僕は紙袋を抱え直して、店の明かりをもう一度見た。

 

 明日もシフトが入っている。

 そんな普通の予定が、今は少しだけ嬉しかった。

一番好きなヒロインは?

  • 大鳥鷺里
  • 夜鳥雀
  • 小鳥遊凰佳
  • 黒羽美烏
  • 松井ぽっぽ
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