短編→連載
小説形式を変更致しました。日本昔話とはかけ離れてしまったので。
三年ぶりの更新なのに沢山のお気に入り登録と感想ありがとうございます! 誤字報告も大変助かりました!
壁に掛けられた古めかしい時計の針は、19時少し前を指し示している。
僕の脳内を絶え間なくぐるぐると巡るのは、先程見つけてしまったラブレターの一件。
四畳半の部屋の隅から隅を行ったり来たりしながら、僕はこれから取るべき行動について必死に脳細胞を回転させていた。
今から猛ダッシュで待ち合わせ場所に向かったとして、ギリギリセーフだろうか? いや、常識という名の物差しで測れば、どう考えても完全なアウトだ。
かと言って、この手紙を読んでおいて何も行動しないはない。
僕はこれまでの人生で異性に告白をした経験がないから、その心境を正確に推し量ることはできないけれど、差出人があの便箋を投函するまでにどれほどの勇気を振り絞ったかくらいは想像がつく。
その純粋な想いを踏みにじることだけは、人としてやってはならない行いだと心得ていた。
「よしっ、行くか!」
パン、と両手で自分の頬を叩いて気合を入れ、僕は立ち上がる。
財布もスマホも、今の僕には必要ないだろう。
学校から帰ってきて、まだハンガーに掛け直す前だったのが幸いした。僕は脱ぎかけの制服に慌てて袖を通し直し、そのまま滑り込むように部屋を飛び出す。
学校までの距離なら、全力を出せばおよそ十分でたどり着けるはずだ。差出人との会話が長引かなければ、ぎりちょんで夕飯には間に合うかもしれない。
「鷺さん、ちょっと散歩に行ってきますっ!」
リビングの扉に向けて声をかけると、トントンと小気味よい包丁の音を響かせていた台所から、「はい、いってらっしゃいませ、佐鳥さん」と、いつも通りの澄んだ声が返ってきた。
そのまま玄関の引き戸を開けて、夜の住宅街へと走り出す。
けれど曲がり角ではしっかり減速。赤信号では善良な市民としてきちんと足を止める。
横断歩道の手前で大きな買い物袋を抱えたおばあちゃんがいたので手伝い、道案内もしてあげた。
ふう、コンビニバイトで鍛え上げられた僕の基礎体力をなめるなよ!
走りながら、ふと冷静な思考が頭をもたげる。もしかしたら、差出人はもういないかもしれない。
放課後から待っているのだとしたら、もう四時間は経過しているわけだし、よく考えたらいるわけがなかった。
すっぽかされたと思って、帰ってしまうのが普通。
逆に寒空の下、日が暮れるまで待っていたのなら、どんだけ重たい女の子なんだって話で……。
――いた。まだ、そこに居てくれた。
裏門をすり抜け、薄暗い校舎裏にたどり着いた瞬間、冷たいコンクリートの壁に身をもたれかけさせている一人の女子生徒の姿が、僕の視界に映り込んだ。
遠目に見ても分かるくらいに小柄だった。
カラメルのかかったプリンのような、黒髪が複雑に混じり合った艶やかな茶髪。
ブレザーの裾からは、亜麻色のカーディガンが覗いている。少し弛ませたルーズソックスとローファーの組み合わせは抜群の相性を誇っていた。
そして、健康的な太ももが大胆に露出した短いスカート。これはもう校則違反なんて生温い。完全に何らかの法律を違反している。
「はぁ、はあ……っ」
僕は全力疾走で乱れきった呼吸をなんとか整えつつ、彼女との距離を縮めていく。
何だか前の描写的に丈の短いスカートに興奮しているようにも見えるが、違うから。
「あっ、やっと来た」
それまで手元で携帯をいじっていた彼女が、僕の足音に気づいて顔を上げた。
その瞳は大きく、人懐っこい雀のようにくりくりとしていて可愛らしい。あどけない幼さを色濃く残しながらも非の打ち所がない顔立ち。誰がどう見ても美少女と形容せざるを得ない容姿をしていた。
「もう、ずっと待ってたんだよ?」
「きみが、僕に、あの手紙を……?」
まだ肩で激しく息をする僕がそれ以上の言葉を紡ぐ前に、彼女はコクリとうなずいてみせた。
「そう。佐鳥くんは私のこと知ってるかな?」
「……
僕が迷うことなく名前を口にすると、夜鳥さんは満足そうに微笑んだ。
「知ってるも何も、隣の席じゃないか」
少し呆れたような笑みを交えて言った。
夜鳥さんとは同じクラスのクラスメイトだし、それどころか毎日のように机を並べている隣同士。
明るい性格と短いスカートを含めて男子生徒から絶大な人気を誇る彼女を、知らないはずもなかった。
「ふふっ、そうだけど、やっぱり名前を呼んでもらえると嬉しいの。ねえ、じゃあ佐鳥くんは、私のことどう思う?」
「どう、って……」
あまりに直球すぎる問いかけに、僕は言葉に詰まってしまう。
単純にクラスメイトとして好きか嫌いか、という次元の質問ではないことくらい、僕の鈍い恋愛センサーでも察知できたからだ。
僕がもごもごしていると、夜鳥さんが一歩距離を詰めて囁いた。
「好き? そうだよね。だってこの髪型も、服装も、全部佐鳥くんの好みだもんね?」
そう言って、くるりとその場で回る。
確かに、彼女の言う通りだった。僕の趣味嗜好を継ぎ接ぎにして生み出された、都合のよすぎるオーダーメイドの偶像がそこにはいた。
僕はそれに、どうしようもない気味の悪さを感じる。
だって、そうだろう?
僕は彼女のことを知っていたけれど、それはあくまで同じ教室の空気を吸うだけのクラスメイトとしてだ。内面については何一つ知らない。
だというのに、何故彼女は、僕自身すら明確に言語化できない『理想』を、爪の先から髪の揺れ方、笑う角度に至るまで、ここまで完璧になぞれるのだろう。
本能的な恐怖を覚えて、僕は思わず一歩後ずさる。
その怯えを敏感に察知して、夜鳥さんはくすくすと笑った。まるで、悪戯が成功した子供みたいに。
そして、ゆっくりと僕との距離を詰めてくる。
僕は動けない。世界から時間という概念が消失したかのように、身体が金縛りにあったように固まってしまっていた。気分はまるで承太郎に時を止められたDIOである。
「佐鳥くん、好きだよ」
そっと、僕の手が握られる。その細くて小さな指先は、痛みを伴うほどに冷たい。
本当に、彼女はずっと待っていたんだ。
今は二月の末。ぎりぎり凍死できるくらいの寒さの中、ただ僕が来ると信じて、四時間も立ちっぱなしで。
「ねえ、わたしたち付き合おっか」
「……っ!?」
耳元で甘ったるく囁かれ、ぞわぞわと背中で毛虫が暴れ回っているかのような感覚に陥る。全身の毛穴という毛穴から鳥肌が立ちまくる。
僕は防衛本能のままに、握られた手を思い切り振り払ってしまった。
「きゃっ!」
彼女は呆気なくバランスを崩し、地面に尻餅をつく。
やってしまった、女の子を突き飛ばしてしまうなんて。今頃天国と地獄の間でタップダンスしているだろう父さんにぶん殴られるぞ。
「ご、ごめん……っ!」
僕は慌てて謝罪の言葉を口にしながら、彼女に向けて手を差し伸べる。
「ううん、大丈夫だよ」
差し出された手に掴まり、彼女は軽やかに立ち上がった。それからスカートについた砂埃を無造作に払って、光のない瞳でこちらをじっと見上げてきた。
「でも、そうなんだ……。佐鳥くんは私以外の誰かを選ぶんだね?」
「えっ……」
声のトーンが低い。彼女のまとう異様な雰囲気が、それが致命的な決別であることを告げていた。
「うん、分かった。じゃあ、こうするしかないよね」
そう呟きながら、彼女の手がおもむろに僕の頬へと伸びる。冷たい指先が触れる感触に、びくりと体が震えた。
「これで二人きりだよ、〝夜の帳〟」
次の瞬間、世界の色彩が、音を立てて剥ぎ取られた。
まるでインクのボトルをぶちまけたかのように、目の前の景色が急速に深い闇へと塗り潰されていき、校舎も、地面も、すべてが消失して何一つ見えなくなった。
夜鳥雀――ただ一人を残して。
「薄々分かってると思うけど、私はただの女の子じゃないの」
底のない暗闇の中、僕の正面にまっすぐ立つ彼女は、静かに語りかけてくる。
僕は黙ってそれを聞いていた。というより、あまりに現実離れした光景に言葉を失っていた。
「私は夜雀。人に憑りつき、視界を闇に覆う怪。佐鳥くんの目に、私以外の存在が映らないようにしちゃった」
あどけない笑みを浮かべながら、とんでもないことを口にする。
確かに僕の目には今、彼女の姿しか見えない。校舎裏の風景はすべて闇に侵食され、真っ暗な世界の中心にぽつんと夜鳥さんが佇んでいる。それはまさに異様というほかない光景だった。
僕はごくりと唾を呑み込む。
夜雀だとか、怪だとか……頭の理解はまったく追いついていないけれど、この場から一刻も早く逃げ出さなければいけないことだけは確かだった。
風は、感じる。二月の凍てつく風が吹いている。微かに草の匂いも。
つまり、外の風景は見えなくなっただけで、消えてしまったわけではないらしい。
「……夜鳥さん、鬼ごっこをしよう」
僕は意を決して、突拍子もない提案を口にしてみた。こんなときに何を言い出すんだと思われるかもしれないが、今はそれしかなかった。
「夜鳥さんが僕を捕まえられたら、煮るなり焼くなり好きにしてもらって構わない。ただ……もし僕が自宅まで逃げきれたら、この世界から出してほしい」
夜鳥さんは一瞬、きょとんとした顔をした。
僕の言っている意味が理解できないという様子だった。しかし、数秒の静寂の後、彼女の唇が楽しげに歪み、クスリと笑いを漏らした。
「……あはは! やっぱり佐鳥くんは面白いねぇ。いいよ、やったげる。何秒待てばいいのかな? 一分? 別に十分だっていいよ? 目の見えない佐鳥くんが家までたどり着けるわけないんだからさぁ!」
愉快で仕方がないといった風に、夜鳥さんはけたけたと笑う。
それもそうだ。この勝負、視界のすべてを闇に覆われた僕が圧倒的に不利。夜鳥さんが負ける要素など、どこを探して見つからない。
だが――彼女は知らないのだろう。
「いいや、十秒だッ!」
僕が暇すぎて、目を瞑りながら下校したことがあることを!
目蓋を閉じれば、手に取るように周囲の景色が脳裏に浮かんでくる。
少なくとも、僕の脳内ではそういう設定になっている。
道のわずかな凹凸、ガードレールの錆具合、電柱の位置、車や歩行者の回避ルート……。
――On your marks
クラウチングスタートの姿勢を取る。頭の中でスターターピストルが鳴り響くと同時に、足の裏が爆発した。
一気に加速する。地面を抉り、風を切って、闇の向こうにある我が家の温かい夕飯を目指して直進する。
夜鳥との距離をぐんぐん引き離し、完全なる勝利を確信した次の瞬間――。
ズガァァァンッ!!
「痛ッたあああッッ!!!?!? ぬおああああ~~~ッ!!」
脳震盪を起こしそうなほどの衝撃と共に、僕は地面へのたうち回っていた。顔面を襲った凄まじい鈍痛に、呼吸の仕方を忘れて悶絶する。
あっ、これやばい。マジで鼻折れたかも。
理由は明白。校舎にぶつかりました。周囲の景色なんて全然把握できてませんでした。
それにしても痛い。痛すぎる。軽く涙が出てくるレベルだ。鼻血が止まらないんだけど、どうしよう。
「あはははっ! もう、面白すぎるよ佐鳥くん!」
暗闇の向こうから、夜鳥が腹を抱えて涙目を浮かべながら大爆笑しているのが見える。
くそっ、こっちは鼻骨骨折の危機で笑い事じゃないっていうのに。
壁に手を突いて何とか立ち上がり、再び走り出そうとするが、三半規管をやられたのかすぐにバランスを崩してしまう。
駄目だ、これ以上まともに走れそうにない。僕は諦めて、その場に力なく座り込んでしまった。
結局、僕は彼女から逃げきることができなかった。ゲームオーバー、という非情な文字が脳裏に浮かぶ。
そんな絶望の中、まだ夕飯を食べていなかった事を思い出す。
こんなときでも腹は空くらしい。ぐうと情けなく鳴いた僕のおなかの音は、彼女にも聞こえてしまったか。ニヤニヤと意地の悪い顔を見るに、そうなのだろう。恥ずかしい。
鷺さんは、もう夕飯を作り終えただろうか? 申し訳ない、今頃帰りの遅い僕を心配させてしまっているだろうな。
「あっ……」
その時だった。
底のない真っ暗闇の視界に、一本の、鮮烈な青い炎が走る。
冷たい炎。音もなく空間を焼き切るように現れた青い燐光が、夜鳥の張った闇の結界を文字通り縦一文字に引き裂き、世界に光が蘇った。
「……お怪我ないですか、佐鳥さん」
引き裂かれた闇の裂け目から月明かりを浴びて、鷺さんが静かに佇んでいた。
漆を流し込んだような艶やかな黒髪が、冬の夜風に揺れている。
雪の結晶が細やかに織り込まれた着物の裾がひらりと舞い、その抜き身の白刃が、光を反射して怪しく、そして神聖に煌めいていた。
あまりの美しさと圧倒的な立ち姿に、僕は鼻の痛みも忘れて魅入ってしまう。
「出たわね、青鷺火……!」
青鷺火。
聞き慣れない言葉だった。けれど夜鳥さんの声に混じった警戒だけは、僕にも分かった。
「誰かと思えば今朝の雀ですか。貴方とは歌声で決着をつけたはずですが」
「ふんっ、アレは私の勝ちでしょーが」
一体何処で出会ったのか見当もつかないが、どうやら二人の間には面識があるらしい。
というか、歌声勝負ってお前ら仲良しかよ。カラオケにでも行ってきたのかな?
「それより、まだ続けるつもりですか?」
鷺さんの問い掛けに、夜鳥は不満げに爪を噛むような仕草をしてから、やがて諦めたようにゆっくりと首を横に振った。
「やめとく。アンタが相手じゃ分が悪いし」
そう言いながらも、夜鳥さんは最後まで僕を見ていた。
今日のところは諦めるだけだと言いたげに。
やがて彼女はくるりと背を向ける。
少し離れた場所には、彼女が乗ってきたであろう年季の入ったママチャリが置かれていた。
あっ、夜雀なのに飛んできたわけじゃないんだ。
「それじゃあ佐鳥くん、また学校で」
「うん、また来週」
ひらひらと手を振って、彼女は慣れた動作で自転車に跨った。そのまま夜の闇の中へとペダルを漕いで走り去っていく。
その姿が完全に見えなくなると、周囲は再び静寂に包まれた。
緊張の糸が切れた途端、怒涛のような疲労感が押し寄せてきて、僕は制服が汚れるのも気にせず地面にごろんと寝転んだ。
ようやく身体の強張りがほどけていく。
危なかった、本当に。
鷺さんが助けに来てくれるのがあと一歩遅かったら、僕はどうなっていたことやら。
そんな安堵に浸っていると、ふと、後頭部に言葉にできないほど柔らかい感触が伝わってきた。
「へっ? 鷺さんっ!?」
いつの間にそんな至近距離まで近づいていたのだろうか。
仰向けのままの僕は、彼女の膝の上に頭を預ける形で、膝枕の体勢になっていたのだ。
慌てて起き上がろうとするが、彼女の手によって優しく頭を制される。見上げると、慈愛に満ちた穏やかな表情の鷺さんと目が合った。
「あの、鷺さん。聞きたいことが山ほどあるのですが……」
「鷺里とお呼びください。
僕の言葉にかぶせるように、彼女は言った。
鷺里……。水の呼吸を習得できそうな良い名前だと思った。もちろん、命が惜しいので口には出さないけど。
「鷺里、さん」
「はい……ですが、すみません。もう少しだけ、このままでいさせてください……」
鷺里さんは僕の髪にそっと手を置いたまま、ぽつりと呟いた。僕はそれ以上何も言わなかった。
静かな、心地よい時間が流れていく。
耳に届くのは、鷺里さんの僅かな吐息と、きゅうきゅうと空気を読まずに鳴り響く情けない腹の音だけ。
本当にごめんなさい、食欲は抑えられないんです。
「ふふっ……遅くなりましたが、我が家へ戻って夕餉にいたしましょうか」
「……はい」
居た堪れなくなって、僕は蚊の鳴くような小声で返事をした。
こうして、僕の波乱に満ちた長い一日は、ようやく終わりを迎えようとしていた。
ラブレターって怖いんだなぁ……。
一番好きなヒロインは?
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大鳥鷺里
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夜鳥雀
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小鳥遊凰佳
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黒羽美烏
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松井ぽっぽ