千回ほど読み直してから投稿しているのですが、まだまだ足りないようです……!
淹れたての緑茶は香りが一段と引き立っていて、とても落ち着く。喉に通せば、夕食の竜田揚げのあぶらみを洗い流してくれるようだった。
「あちっ」
猫舌の僕には、少しばかり早かったようだけど。
涙目で舌を冷ましながら、ことりと木目のテーブルに湯呑みを置く。
「さて、何処からお話しましょうか」
対面に座る鷺里さんが、雪模様の入った着物の袖を整えながら、静かに切り出した。
聞きたいことなら、それこそ富士山の標高並みに山積みだった。それほどまでに今日という日の密度は濃かった。
妖怪のこと、夜雀のこと、青鷺火のこと……そして昼食といい夕食といい、何故こんなに唐揚げを推してくるのかということ。
僕個人としては最後のが一番気になっている。
「佐鳥さん……貴方は生まれつき、鳥に好かれやすい体質ですね?」
「鳥に、好かれやすい……」
その言葉を反芻する。思い当たる節は幾つもあった。
いつも小鳥が肩に止まるものだから小学校での渾名はサトシだったし、遠足の時なんてトンビに群がられ過ぎて鳥葬されている気分だった。
そういう時は、大抵どこからともなく凰佳が木製バットを引っ提げて現れ、鬼神の如き執念で追い払ってくれたっけ。
懐かしいな、弁当は全部持っていかれたけど。美味しかったかい? 僕のお弁当は。
ノスタルジーに浸るのを一旦やめて、僕は鷺里さんにコクリと頷いてみせた。
「理由は私にも分かりかねますが、その体質が今の状況に起因していることは確かです」
そう言って、鷺里さんは語り始めた。僕の知らない、日常の裏側を。
「野生の鳥は、まだ可愛いものです。彼らは精々、大好きな佐鳥さんの気を引こうと周囲をパタパタと飛び回る程度ですから。実害はありません。問題なのは、貴方のその止まり木のような体質が、鳥の妖怪すら惹きつけてしまうという点にあります」
「妖怪、ですか」
夜鳥さんのことを脳裏に思い浮かべる。
身体は憶えていた。視界が闇に染まり、方向感覚を失っていくあの感覚を。まるで陸で溺れるかのような、底の知れない恐怖感を。そして、あの短いスカートを。
うん、アレは正しく人間ではない。妖怪という方がしっくりくる。
そして――僕はそっと、視線を対面の鷺里さんへとスライドさせた。
黒髪を揺らし、少しだけ不機嫌そうに端正な眉の根を寄せている彼女もまた、その系譜に属する存在なのだろう。
確か夜鳥さんは、彼女を煙たげに『青鷺火』と呼んでいたか。
「お察しの通り、私も人間ではありません。あっ、でも変な勘違いはしないでくださいね!? 妖怪といっても、私は別に数百年生きながらえているお婆ちゃんということではありませんから! 断じて!」
突如として、これ以上ないほど必死な形相で両手をブンブンと横に振る鷺里さん。そのあまりの焦りっぷりに、僕の口元からふっと緊張の緩んだ笑みがこぼれた。
胸の奥底で燻っていた小さな不安――鷺里さんもまた、夜鳥さんのように超常的な力を持っていて、僕を襲おうとしているのではないか。そんな疑念は今更年齢を気にしている彼女のコミカルな様子を見て、綺麗さっぱり霧散してしまった。
確証なんてどこにもないけれど。この人はきっと、僕の味方だ。
「も、もうっ、笑い事ではありません! 本当ですよ? 昨今の妖怪は、突然変異的な遺伝で生まれてくる者も多いのですから、寿命だってありますし、風邪だって引くんです!」
「それは……ずいぶんと現代社会の波に揉まれているというか。病気も患いそうな妖怪ですね」
「はい、その通りです。でも聞いてください、私は今年の冬、珍しくインフルエンザの波を無傷で乗り切ったんですよ?」
ふふん、と誇らしげに胸を張ってみせる鷺里さん。その仕草がいちいち可愛らしい。
まさか妖怪が人間社会に溶け込んでいるとは思いもしなかった。それも、こんなに近くに。
まあ、寿命があり病に伏すような妖怪なら、ほんの少しだけ特殊な力を持った人間だと解釈した方が、僕としては感覚的に受け入れやすいかもしれない。
「おほんっ! ……少し脱線いたしましたね、話を戻します」
「どうぞどうぞ」
盛大に脱線事故を起こした話を、鷺里さんはあざとい咳払いでレールの上へと戻す。幸い怪我人はいない。
「……当然ですが、佐鳥さんを狙う妖怪は、あの夜雀一羽に留まりません。もっと多くの鳥妖怪が、佐鳥さんを虎視眈々と狙っていることでしょう」
ごくり、と喉の奥で乾いた音が響いた。
今まで空想上の存在と思っていたものが、急に現実味を帯びてきた。更にそれらの射るような視線が僕に注がれているのだという。
流石に能天気な僕でも、ちょっとやばいかなと思った。
「私は陰ながら佐鳥さんのことをお護りしていましたが、それも限界があります。なので、こうして居候として身を寄せることにした次第です。ええ、あくまで護衛の為です。他意はありませんとも」
後半、妙に早口で捲し立てる鷺里さん。目が泳ぎまくっている。そんなに否定されると逆に怪しいと感じるのは、決して僕の心が汚れているからだけではないと思いたい。
「なるほど、大体把握しました。……鷺里さんは僕のこと、ずっと護ってくれていたんですね。本当にありがとうございます」
実際のところ、この壮大な話を半分も咀嚼できているか怪しいものだったが、僕は居住まいを正し、鷺里さんへ深々と頭を下げた。彼女が僕のために払ってくれた対価と厚意には、感謝してもしきれない。
「そ、それは……私が好きで勝手にやっていることですし……」
急に正面から感謝をぶつけられたのが気恥ずかしかったのか、鷺里さんは残った緑茶をグイと煽り、湯呑みで顔を隠してしまった。
僕はその様子を微笑ましく見つめていたが、彼女の表情がどんどん曇っていくのに気が付いた。
どうしたのだろうと心配になったところで、鷺里さんはぽつりと、物憂いげに呟いた。
「……もう一つだけ、伝えておかねばならない事実があります」
その真摯な瞳の輝きに圧され、僕の背筋が自然と伸びる。彼女の唇から紡がれる、次の言葉を待った。
「この街のどこかに、明確な『別格の鳥』が潜んでいます。あの夜雀など塵芥に見えるほど、遥かに強大で、底の知れない執着を秘めた、本物の怪物が」
「あの夜雀の比じゃない……!?」
僕は戦慄する。底の見えない深淵を覗いた心地だった。夜雀にすら手も足も出なかったというのに、その遥か上が存在するだって?
「はい……。私としたことが迂闊にも、その『別格の鳥』に背後から闇討ちをされ、手負いで逃げ延びたところを……佐鳥さんに手当ていただいたのです」
僕の脳裏に、道すがら行き倒れていた彼女の姿がよみがえる。雪のような肌に刻まれていた、あの痛々しくも悍ましい、激しい火傷の痕跡。
――あれは、その別格の鳥とやらに刻まれた傷だったのだ。
「もし万が一にでも、その別格と出会うことがあれば真っ先に逃げ出してください。佐鳥さんの身に何かあれば、私は……生きていけないでしょうから」
どこか冗談めかした風を装ってはいたけれど、彼女の双眸は切実だった。僕は無言でうなずく。
けれど、頭の片隅で冷静な自分が囁く。それでは根本的な解決にはならない。
僕の体質が鳥の妖怪も引き寄せる磁石のままである以上、僕が狙われているという前提は変わらない。
どこへ逃げようと、いずれは交わる運命なのだ。まさか一生、死ぬまで鬼ごっこを続けるわけにもいかないだろう。
それにしても……物語の序盤で早くもインフレに飲み込まれ、間もなく噛ませ犬みたいになっている夜雀が気の毒に思えた。強く生きてほしい。
「すみません……就寝前にこのような不吉なお話をしてしまって」
「いや、むしろ助かりましたよ。心の準備ができました」
申し訳なさそうに肩をすぼめる彼女に、僕は首を横に振ってみせる。
頭はまだ混乱しているが、それでもこの話を教えてもらえたことは幸運だった。何も知らないよりも、よっぽどマシだ。
「夜も更けてまいりましたし、そろそろ休むといたしましょう」
鷺里さんは空になった湯呑みを回収し、すっと流れるような動作で立ち上がった。
壁に掛けられた鳩時計に目をやると、短針はすでに23時を回ったところだった。普段の僕の生活からすれば早い就寝時間だが、今日一日で精神的カロリーを消費し尽くした身体は、睡眠を痛切に欲している。
僕もすっかりぬるくなったお茶の最後の一滴を飲み干すと、同じように湯呑を片付ける。
「あれ? 鷺里さん、こんな時間からどこかへ出かけるんですか?」
寝室に向かおうと廊下に出た瞬間、僕は足を止めた。
鷺里さんは自室に戻るどころか、玄関の三和土に佇んでいたのだ。
草履を履き、その手には――家の壁に立てかけられていたはずの、物騒極まりない日本刀が握られている。
「ええ。冷蔵庫のストックが心許ないようですので、明日の朝食を獲りに」
「ああ、なるほど。夜道、お気をつけて」
こんな時間に一体どこのスーパーが営業しているのだろうという純粋な疑問が浮かんだが、僕はそれ以上深く追及せず、ただひらひらと手を振って彼女を見送った。
鷺里さんも、どこか艶然とした笑みを残して、夜の闇へと消えていく。
……うん。よく考えなくても、ただの買い出しに刀はいらないかな。
僕は、我が家の食卓に並ぶ絶品唐揚げの原材料が、一体どこから、どのようなプロセスを経て供給されているのか察してしまい、それ以上思考するのをやめた。
だって、僕の恐ろしい想像の通りだとすれば、この物語は鶴の恩返しというよりも、かちかち山寄りになってしまうから。
「……ヨシ、寝よう。今日はもう寝よう」
現実から目を逸らすように独り言ちて、僕は日付を進めるのだった。
□
二月の最終日の土曜日。
死にかけの冬が最後の力を振り絞っているかのように、その日は朝から冷え込んでいた。
断末魔で最後の抵抗を見せる敵キャラはどちらかと言うと好きだけど、頼むから冬は早く春と世代交代してほしい。
「うぅ……寒っ……」
そんな布団ちゃんと結婚したくなる気温の中、寒さで携帯が震えた。
継続的に振動しているので、どうやら着信が来ているらしい。僕は布団から手だけ出して、芋虫のような動作で枕元の端末を引きずり込んだ。
「あー……お疲れ様ですぅ、佐鳥ですぅ……」
万が一、相手がバイト先の店長や身代金を要求しようとしている誘拐犯だった場合の防衛ラインとして、最低限の敬語を維持しつつも、死ぬほどやる気のない声で応答する。仕方ない、寝起きなのだから。
『あはは、バイト先からじゃないよ。凰佳だよ。ごめんね? もしかしてまだ寝てた?』
「あー、凰佳? いや大丈夫、今来たところだから」
『……寝起きっぽいね』
電話の向こうから聞こえてきたのは、聞き馴染んだ幼馴染の弾むような声だった。
よくよく記憶を手繰り寄せてみれば、僕の貴重な収入源だったコンビニバイトは、一週間前に盛大にクビになったばかりだった。悲しい。
「まあね。それよりどうしたの?」
電話口で盛大な欠伸を噛み殺しながら問いかける。
昨日の疲れが取れていないのかまだ眠いし、瞼が重たい。気を抜けば凰佳の心地よいソプラノボイスを子守唄にして、極上の二度寝をしてしまいそうだ。
『ん、特にこれといった用事があるわけじゃないんだけどね? ……ただ、大会の前に、ほーすけの声が聴きたくなっちゃって』
何だそのめっちゃ乙女チックな理由。
思わずツッコミかけたけど、何とか堪える。圧倒的実力者である凰佳も、大きな大会の前で心細くなっているのかもしれない。
「そっか。ってことは、もう会場にいるの?」
『ううん、今はまだ学校だよ。ロッカーに問題集置きっぱなしだったから』
なるほど、忘れ物を取りに来たついでに連絡してきたらしい。
「へえ。結構おっちょこちょいだね、凰佳も」
『むっ、失礼な。でも、人のことをおっちょこちょいって笑えないと思うなー? ほーすけだって、学校に体操着、丸ごと忘れていったでしょ?』
「……あ」
言われてみれば、完全に記憶の彼方へ消し去っていた。
最悪だ。僕は来週の月曜日、ロッカーの中でじっくりと熟成され、すっかり発酵しきった体操着を身に纏って体育の授業に臨まねばならないのか。
絶望に打ちひしがれる僕の無言の空気を察したのか、受話器の向こうから、くすすと楽しげに喉を鳴らす彼女の笑い声が届いた。
『ふふ、大丈夫だよ。私がついでに回収して、持って帰っておいてあげるから』
「おお、神よ……」
神様って、本当にいるんだなと思いました。僕は布団の温もりを全身で貪りながら、幼馴染という名の尊き存在への感謝を噛み締めるように呟いた。
しかし。安堵の波が引いた直後、僕の脳細胞の片隅に奇妙な違和感がポツリと生じた。
待て。何故、僕が体操着を忘れたという事実を凰佳が知っているんだ?
凰佳とは別のクラスだからうちの教室に用はないはずだし、百歩譲って教室に入ったとしても、僕の個人用ロッカーの、さらにその扉を開けて隅々まで検分しなければ、体操着の有無なんて視認できるはずがない。
いやいや、流石に考えすぎだ。
昨日の一件以来、僕の脳内センサーが過敏になりすぎて、身近な人間の親切心すら歪んだフィルターを通して見てしまっている。もっと素直に、健全に世界を信用しなければ。
きっと、普段からおっちょこちょいな僕の身を案じた彼女が、そっと我がロッカーをチェックしてくれたのだろう。うん、ただの過保護な幼馴染の、よくある日常のワンシーンだ。そうに決まっている。
そう思った方が、たぶん楽だった。
「それで、緊張は和らいだ?」
不吉な思考を振り払うように、大会のことに話題を戻す。すると、少しだけ間を置いてから答えが返ってきた。
『…………うん、ばっちり。ほーすけの体操着も回収できたし、元気出た』
「なら、良かったよ」
なんで僕が体操着を忘れると元気が出るのか全く理解できなかったが、大会前の凰佳の機嫌が取れたなら何でもいいや。
「それじゃあ、大会のネット配信、部屋のパソコンからちゃんとチェックしとくから。応援してるよ」
『うん、ありがと! 明日からはまたご飯作りに行くからね!』
愛らしい弾んだ声を最後に、通話はブツリと切断された。
僕は画面の暗転した携帯電話をそっと充電ケーブルに繋ぎ、そのままぼふっと音を立ててマットレスへと沈み込んだ。それから深いため息を天井に向けて吐き出す。
ずっと見ないフリを決め込んでいた最大級の爆弾が、いよいよ無視できないサイズになって鎌首をもたげてきたのだ。
明日、当たり前のように我が家にやってくるであろう凰佳に、現在進行形で恩返し中の鷺里さんの存在を、一体全体どうやって説明すればいいのだろう……。
しばらく悩んだのち、僕は布団を頭まですっぽりと被って、見て見ぬフリをすることにした。
一番好きなヒロインは?
-
大鳥鷺里
-
夜鳥雀
-
小鳥遊凰佳
-
黒羽美烏
-
松井ぽっぽ