幼馴染は癒しです。
今後の鳥妖怪との付き合い方について、僕は考えていた。
逃げ回るだけじゃいけない。それは疲れるし、煉獄さんの勝ちだ! とか言われるかもしれない。
かといって、一人一人と向き合っていれば近いうちに襲われる。夜雀の偏愛を目にした僕にはその確信があった。
やはり、適切な距離感を保っていくしかないのだろう。近すぎず、遠すぎず。ぎりぎり暴走しないでいられる、理想的な距離感を。
女性との交際経験がない僕にとって、かなりハードルが高く感じるけど……。
まあ、そんな僕の独白は割とどうでもよくって。
差し当たり問題なのは――。
「佐鳥さん? 何方ですか、その女の方は」
「どうして、まだ生きてるのかなぁ……」
我が家のリビングで剣呑な雰囲気で睨み合う、この二人のことだろう。
というか凰佳。どうして生きてるのかって、君たち生き別れの姉妹か何かなの?
結局、僕は何の対策も練れないまま今日という日を迎えた。
凰佳が来ることは分かっていた。
分かっていたからこそ、何度も説明の仕方を考えようとはした。
けれど、考えれば考えるほど言い訳の難易度が上がっていき、最終的に僕の脳は布団の中へと逃亡した。
人間、本当にまずい問題でも、直前までは見ないふりができてしまうらしい。
そして予定通りに凰佳は朝食を作りに来てくれたのだが、そこでばったり鷺里さんと会う。
つまり、全部僕が悪いってことだ。
「驚かせてすみません、鷺里さん。こちらは小鳥遊凰佳。昨日のクイズ大会の優勝者です」
「紙抜け余裕でした」
「どうでもいいですよ、そんなことは」
鷺里さんの鋭いツッコミが走る。確かに彼女にとって心底どうでもいい情報だったことだろう。
ちなみに凰佳の言った紙抜けとは、ペーパーテストで次のラウンドに進むことである。シードみたいなものだと聞いたことがある。
「彼女は僕の幼馴染です」
「その彼女は代名詞ですか、それともガールフレンドを意味するものですか?」
「サー! 前者であります、サーッ!」
まるでペンをカチカチ鳴らす上司のように、鷺里さんは刀の鯉口を切ったり収めたりしていた。
僕は思わず軍隊風な返事をしてしまう。
怖すぎるよ、なんだよその奇抜な威嚇の仕方。
「えっと、ご紹介に与りました、将来を誓い合った仲の小鳥遊凰佳です。どうぞ宜しく」
「おかしいな、ちゃんと幼馴染って紹介しなかったっけ。いつの間にか将来誓いあっちゃったよ」
僕は額に手を当てて、頭痛が痛いという感じのジェスチャーをする。頭が痛いのがさらに痛いのだから、もう割れてしまいそうだった。
「あー、とりあえず紹介するね。こちらが大鳥鷺里さん。なんと言うか……居候かな」
「初めまして、佐鳥さんの同棲している恋人です」
「攻撃力たっかいなぁ……こっちも」
知らぬ間に許嫁と恋人が出来ていた。なんてことがあってたまるか。
凰佳は笑っていた。昔から何度も見てきた、綺麗な笑顔。
けれどその指先だけが、制服の袖口をきゅっと握りつぶしていた。
「ほーすけ? 居候ってどういうこと?」
問いかける凰佳の目は笑っていない。あとナチュラルに同棲している恋人を無視した。
僕は凰佳の視線から逃れるように目を逸らす。
さて、どう言い訳したものか。
凰佳は善良な一般人なので、妖怪がどうこうを明け透けに話せない。こんな危険な世界に凰佳を巻き込むわけにはいかないからだ。
そうなると、やはり嘘をつかざるを得ないか。
やけに勘が鋭い凰佳を相手にどこまで誤魔化せるかは分からないが、やるしかないだろう。
コンビニバイトで培った親戚捏造スキルの見せ所だ!
僕の脳内に、存在しない親戚たちが次々と生成されていく。
叔父。叔母。遠縁の知人。大学。下宿。
いや待て。
叔父の知り合いの娘さんって、ほぼ赤の他人じゃないか?
だが、嘘は自転車と同じ。漕ぐのをやめたら即転倒である。ならば進むしかない。
叔父よ、どうか我をお護りください。
僕は存在しない叔父に祈りを捧げながら、震える口を開いた。
「鷺里さんは――叔父の知り合いの娘さんなんだよ。四月からこっちの大学に通うから、下宿先を探していて」
僅か五秒で考えたにしては、なかなか上出来ではなかろうか?
僕の両親はどちらも一人っ子であり、勿論この話は真っ赤な嘘である。
ただ、そこまで細かい親戚事情までは、さすがの凰佳も知らない……と思いたい。
「ふぅーん……ほーすけに叔父さんがいるなんて話、今まで聞いたことないけど。それに一人暮らしの男子高校生の家に、知り合いの娘さんを預けるのかな」
「それは、僕なら問題ないだろうってさ」
誰が意気地なしだとコラァ!?
自分で作った存在の叔父に腹が立ってきた。今度会ったらぶん殴ってやろう。
「まあ、そういうことにしといてあげる。じゃあ私がいない間の家事はその人にやってもらってたんだ?」
「うぐっ……」
そういうことにしといてくれた凰佳は、しかし痛いところを抉ってくる。
別に恩返し中の鷺里さんに家事を手伝ってもらうのは悪くないと思うのだが、凰佳の棘のある言い方に申し訳なさマシマシの罪悪感トッピングだ。
苦々しい表情の僕を見かねてか、鷺里さんが口を開く。
「それに何か問題が?」
「問題はないですけど。というか、鷺里さんでしたっけ? 普通に銃刀法違反じゃないですか?」
「確かに」
二人の視線が火花を散らし、空気がピリつく。
何だこの緊張感は……。雰囲気はさながら米ソ冷戦、世界が核の炎に包まれる一歩手前といった感じだ。
しかし、それも束の間。
凰佳が矛を収めたことで、張り詰めた空気が弛緩していく。
「ごめん、ほーすけ。今日のところはもう帰るね?」
「えっ、うん。こっちこそ、ごめん……」
意外だった。もっと食い下がると思っていたのに、あっさりと凰佳は引き下がった。
去り際に見せた笑顔は、どこか薄かった。
怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えなかった。
それら全部を、綺麗に畳んで胸の奥へしまい込んだような顔だった。
いつもの凰佳らしくない。
手伝おうかと声をかけても絶対に家事を僕に譲らず、可愛い顔して意外と頑固なのが彼女だ。
そんな凰佳がこんなにも簡単に身を引くなんて、少しだけ違和感を覚える。
その違和感に気づいていながら、僕は凰佳を引き留めることができなかった。
もし呼び止めたら、彼女が胸の奥にしまい込んだものを、もう一度こちらに向けてしまう気がした。
ごめんなさい。僕はやっぱりチキンだったよ、叔父さん。
□
机の上には、明日から一週間分の献立表が置かれていた。
月曜日は鶏そぼろ丼。火曜日は鮭の西京焼き。水曜日は肉じゃが。
木曜日は、ほーすけが昔「凰佳の卵焼き、甘くて好き」と言ってくれたから、少しだけ砂糖を多めにする。
冷蔵庫の中身も、調味料の残量も、彼の家のキッチンの使い勝手も、私はすべて把握している。
だって幼馴染だから。
だってずっと隣にいたから。
ほーすけの生活を一番近くで支えてきたのは、私なのだから。
それなのに。
私の知らない女が、彼の家の台所に立っていた。
書き殴る。ノートに、その忌々しい名前を書き殴る。
ピンク色のファンシーなノートの上を、似つかわしくないドス黒いインクが走っていく。
私はペン先で紙を抉るように、忌々しい名前を刻みつけていた。
表紙には、丸っこい字体で『たいせつなものリスト』と書かれている。
中身を知らない人が見れば、好きなものや欲しいものを書き留めた、普通の女子高生のノートに見えるだろう。
でも、違う。
見開きの一ページにはびっしりと名前が連なっており、そのほとんどに無慈悲な二重線が引かれている。
さらにその最下部に『大鳥鷺里』と新しい名前が刻まれた。
それにしても鷺って漢字、画数が多くて本当に書きにくい。
「ほんと、どうしてまだ生きてるのかなぁ……」
ぽつりと呟いた声が、部屋の隅に溶けていく。
あの雪模様が施された着物を、私は覚えていた。
わずか五日前、私が背後から一切の慈悲なく消し去ったはずの存在だ。
それが何故――今、彼の隣で平然と息をしているのか。
灰になったか確認したわけではない。けれど手加減もしていない。
一介の鳥妖怪ごときが私の炎に耐え抜いたことなど、これまで一度たりともなかったというのに。
「もう一度。今度は灰も残らないくらいに消そっか。うん、そうしよ」
そう、方針を固めた。あの女は生かしておけない。
短い会話の中で、何度焼き鳥にしてやろうかと思ったことか。
神経を逆撫でする言動の数々。
むしろ、ほーすけの前で手が出なかったことを褒めてほしいくらい。
「……っ、あ、待って」
決行を考えた三秒前――私の脳裏に、天啓のような閃きが舞い降りた。
今すぐ殺しても、きっと足りない。
ほーすけは優しいから、あの女が突然いなくなれば心を痛めるだろう。
心配して、探して、どうしていなくなったのかを考えて。
しばらくは、あの女のことを気にするかもしれない。
でも、それだけだ。
今の大鳥鷺里は、まだほーすけが失って壊れるほど大切な存在じゃない。
ただ家に転がり込んできた、少し綺麗で、少し危なっかしくて、少しだけ役に立つ鳥公。
その程度の相手が消えたところで、ほーすけの心は根元から折れてくれない。
私は知っている。
これまで何度も、彼の周りから余計なものを取り除いてきたから。
悲しませることはできた。
困らせることも、寂しがらせることも、孤独にすることもできた。
けれど、壊すことだけはできなかった。
きっと、足りなかったのだ。
私が取り除いてきたものは、ほーすけにとって、失えば世界の形が変わってしまうほどの存在ではなかった。
一ヶ月……ううん、二ヶ月だけ泳がせてあげよう。
それだけあれば優しいほーすけのことだから、あんな女にも情が湧いてきてしまうだろう。
朝ご飯を作ってもらって、くだらない話をして、何度か助けられて。
そうして少しずつ、あの女のいる日常に慣れてしまう。
彼の精神構造については、この世の誰よりも私が一番よく理解しているのだから間違いない。
「くふっ、ふふふっ……」
抑えきれない愉悦が喉を震わせ、自然と口角が吊り上がる。
だって、ほーすけの『最高の顔』が、また見られるかもしれないのだ。
想像するだけで、背筋の奥がゾクゾクと甘く痺れてしまう。
三年前――ほーすけの両親が交通事故で亡くなった。
それは全く突然のことで、もしかしたら他の鳥が関わっていたのかも知れないが、とにかく私にとって突然の出来事だった。
あの日からしばらく、ほーすけはほとんど喋らなくなった。
私が作ったお粥を前にして、スプーンを握ったまま、いつまでも湯気だけを見つめていることもあった。
声をかけるとようやく一口だけ食べて、それから小さく「ごめん」と呟く。
謝らなくていいよ、と私は笑った。
むしろ、嬉しかった。
最低だと分かっていても、嬉しかった。
だって、あの時のほーすけは、私がいなければ食事もまともにできなかった。
私が手を握っていなければ眠れなかった。
私が声をかけなければ、自分がまだ生きていることさえ忘れてしまいそうだった。
世界で一番可哀想な彼を、世界で一番優しく支えてあげられるのは、私だけだった。
あの頃のほーすけは、私の言葉ひとつでご飯を食べて、私の手の温度ひとつで眠って、私が隣にいることでようやく朝を迎えられた。
まるで、私がいなければ形を保てない硝子細工みたいだった。
可哀想で、脆くて、危うくて。
だから、どうしようもなく愛おしかった。
絶望に満ちた彼の表情は今でも忘れられない。
だってあの顔は、どんな素敵な音楽よりも、どんな有名な絵画よりも、私の心をずっと強く揺り動かしたのだから。
だからこそ、ほーすけが悲しみを乗り越えてしまったとき、私は残念で、惜しくて仕方がなかった。
ずっと私だけを頼ってくれていた、あの幸せな日々が続けばいいのにと願わずにはいられなかった。
ならば、どうすればいいか?
最初から決まっていたかのように、答えはごく自然に導き出された。
そっか。ほーすけをまた『あの顔』にしてあげればいいんだ。
私が支えてあげなきゃ簡単に崩れてしまいそうな、儚くて、危うくて、愛おしい、あの絶望に満ちた顔に。
それからの私は、少しだけ忙しくなった。
ほーすけに向けられる視線を濁らせて、声を遠ざけて、彼の周りに余計な誰かが残らないようにした。
彼に近づこうとする小鳥たちは、一羽ずつ、丁寧に焼いた。
興味の持てない部活動に入ったのもそのためだ。
本当はほーすけと片時も離れたくなかったけど、彼に内緒で暗躍できる時間が欲しかったから。
でも、結果は芳しくなかった。
ほーすけを壊すには、ただ孤独にするだけでは足りない。
一度、誰かを彼の日常に入り込ませて、安心させて、必要だと思わせて。
その上で奪わなければ、あの絶望には届かない。
だからこそ、あの女は最高の素材として使える。
大鳥鷺里が、ほーすけの中で『失いたくない大切な存在』へと育ちきったその瞬間――感謝を込めて、この世から綺麗に消し去ってあげよう。
大丈夫だよ、ほーすけ。私がまた優しく、慰めてあげるから。
今度こそ私なしじゃ呼吸すらできなくなるくらい、ドロドロに私へ依存させてあげるからね。
「ああ、本当に楽しみだなぁ……」
今からその瞬間を想像するだけで、胸の高鳴りが止まらない。
一歩間違えれば、ほーすけの心を奪われてしまうかもしれない危険な賭け?
いいえ、それはあり得ない。
「ねえ、
鳳介と凰佳。鳳と凰。
二人は最初から結ばれているのだから、この物語は、私たちが幸せなキスをして終了なのだ。
それが運命よりも変えられない世界の理。
古事記にもそう書いてある。
大鳥鷺里、せいぜい今のうちに、泡沫の幸せを噛み締めていればいいよ。
どうせ最後に彼の隣に立っているのは、私だけなのだから。
ああ、でも。
せめて週に四回は私がご飯を作れるように、シフト交渉をしなくちゃね。
幼馴染の敗因は慢心か……。
ネタバレすると、別格の鳥はまだ出ます。
一番好きなヒロインは?
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大鳥鷺里
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夜鳥雀
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小鳥遊凰佳
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黒羽美烏
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松井ぽっぽ