アマゾンランドからの帰り道、"条件"の通り、二人は古書店に寄った。少女行きつけであるこの店はこじんまりとしているが、品揃えがとても良かった。文学から図鑑、料理本に絶版になった漫画など見ていて飽きない程度にはあった。そんな古書達にいつもは永遠のように魅入っている少女だったが、今日は違う。なんと、少女が店主に一年前から頼んでいた古本がついに入荷されたらしいのだ。ルンルン気分で少女は店主に話しかける。
「こんにちは、ミツおじさん」
「おやおやアイちゃん、こんにちはぁ。今日は……なんだったかなぁ」
「芥川龍之介の全集ですよ、ミツおじさん」
「あっ……そうだぁ、そうだぁ。少し奥に取ってくるから待ってねぇ」
「は、はい!分かりました」
のっそり立ち上がると、店主はサンダルの音を立てながら奥の闇へと消えていった。ただ店には静寂と古書店特有の匂いだけが残る。隣にいたはずの本条は、いつの間にか料理本コーナーを読む訳でもなしに、じぃーと見つめていた。ぼんやりその姿を眺めていると少女の視線に気付いたらしく、フンフンと手を振ってきた。もちろん、少女は何も言わずに無視をした。そんな事をしている内に店主が帰ってきた。
「はい、これぇ」
両手には表紙の大部分が禿げてはいるが、保存状態が良いらしい古本が握られていた。
「ありがとうございます!」
「それじゃあ、五百円ねぇ」
鞄から財布を取り出して、用意していた五百円を取り出そうとする。そこで異変に気付いた。お金が一円も入っていなかったのだ。額から汗が零れる。朝、確かにお金は入っていた。前野から念の為にと貰った一万円も。
思わず本条の姿を探す。相変わらず料理本と睨み合っていたが、少女の視線を感じると、またフンフンと手を振って返してくれた。違う、そうじゃない。なんだが、お金を借りる気がなくなってしまった。
「……あの、ミツおじさん。お金忘れちゃったので、今度でいいですか?」
「おやぁ、うんぅ。分かったよぉ」
誠意を込めて頭を下げると、人間は忘れちゃう生き物だからねぇと微笑みながら、本をまた奥の方へと仕舞いに行った。その内に、そろそろ帰ろうかという旨を伝えようと本条のいた方を見たが、なぜか姿が見えない。少しの間、レジから離れて店内にその姿がないかと捜索していると、店に設置されているトイレから本条の声が聞こえてきた。何か、小声で話しているようだ。好奇心で、ドアに耳を当てて聞き耳をしてみる。
「……だからね、私はアイアイを殺す……」
殺すという言葉に咄嗟に耳を離して、尻餅をついてしまう。
「あっ、すいません。誰か待っていますか?今開けますー」
大急ぎでトイレからレジに向かって走る。既に店主が戻ってきており、走ってきた少女の姿に小首をかしげた。
「なんだか顔が蒼いけど大丈夫かぃ、藍ちゃん」
「はい。ちょっと体調が優れなくて……」
「そうかぁ。今日は早く帰るんだよぉ?」
「分かりました……」
なんだか本当に調子がおかしい。殺すという単語が頭の中をふわふわと浮遊して、また記憶の本条の姿と結合して、それが血管に詰まってしまっているような。つい少女はその場に倒れ込んでしまう。
「アイアイ!」
店主と共に少女の元にトイレから出てきた本条がやってくる。だが、少女はフラフラになりながらも、壁を使って立ち上がろうとしていた。
「ちょっとフラついただけだから、大丈夫……よ」
「……いやいや、大丈夫じゃないでしょ!すぐに救急車を」
「駄目っ!それは駄目っ!」
少女が本条の手を強く掴んだ。思わず本条も床に尻餅をつく。
「……前野さんに、迷惑をかけたくないの」
少女の目にはいつものキツイ三白眼に加えて、より確かな強い拒絶がヒシヒシとオーラを放っていた。本条は少し戸惑う姿を見せたが、その目に一つため息をついた。本条は立ち上がると、少女に腰を向けた。
「……私の家、すぐそこだから。ほら、乗って」
「……いいの?」
「もちろん!」
少し戸惑いながらも、もたれかかるように本条の腰に全体重をかけた。本条は一瞬ウッと声を漏らしたが、店主に一瞥して、重い足を前へ前へと進めていった。
推しの話していいですか?駄目ですか、そうですか。