次の日の朝。香澄は、少しだけ寝坊をしてしまった。
本来余裕をもって乗る筈だった電車に急いで駆け込んだ香澄は、その車内でバックがいつもよりも軽いことに気がついた。
そう、お弁当を忘れていたのである。ちなみに飲み物も忘れた。結構食べる香澄にとっては、朝からショッキングな出来事である。
今頃、お母さんの朝ごはんになっているだろう自分のお弁当を思い出す。朝ごはんを食べる暇なく駆けてきたこともあり、香澄は空腹に襲われてしまった。
空腹に耐えながら、ただ電車に揺られる。ガタンゴトンと、テンポよく揺れる振動の中、香澄は昨日のことを思い出していた。
申し訳なさそうにするりみ。それに対する私の想い。独りよがりかもしれないその言葉は、りみに届いたのだろうか。私の気持ちは、歌に乗って届いたのだろうか。
考えれば考えるほど、香澄は不安になって行った。
電車が最寄り駅に着く。香澄はイヤホンをつけ、音をシャットダウンすることで、考えに没頭した。
ぐるぐると不安が過ってくる。収まることの無いその渦に飲み込まれていると、気づいたら校門の前にいた。随分と考え事をしていたらしい。香澄は、イヤホンを耳から外した。
校門を潜り、教室へ向かう。沙綾やたえに挨拶をしながら教室へ入ると、こちらをじっ……と見つめてくるりみの姿があった。
「おはようりみりん!」
明るく声を掛ける。りみは若干戸惑ったような様子を見せるものの、りみは「おはよう香澄ちゃん」としっかりとした言葉で返してくれた。
「 ……香澄ちゃん」
「ん?」
りみが急に真剣な顔付きになる。その赤色の瞳で見据えてきた事と、その真面目な口調に香澄も真剣な趣になる。
「あの、謝っといてあれなんだけど……バンドの話、少しだけ考えさせて欲しいの」
「えっ?」
それは予期せぬ言葉だった。てっきり、昨日の事で何か言われるのかと覚悟していた香澄だったが、見当違いのことが過ぎて変な声を上げてしまった。
りみなりに、考えた結果なんだろうか。兎も角、バンドのことを再検討したいというその申し入れは、香澄にとっては喜ばしいことであった。
「色々考えたんだけど、もうちょっとだけ時間が欲しくって。覚悟の、時間というか……」
昨日の外国人に話しかけられた時とは違い、目を泳がせずにしっかりと香澄見つめてくる。
しかも、今、覚悟の時間と言っていた。それは、本当に、前向きに、バンドについて考えてくれているという事で……。
香澄は思わず、りみに抱きついてしまった。
「勿論だよ、りみりん! いつまでも待ってるからね!」
香澄は、一瞬みえたりみの顔色がぱあっと一気に明るくなったように見えた。
目を細め、ニコッと笑いながら、りみは「ありがとう」と呟いた。
☆☆☆
「そう言えば、私だけ名前じゃない」
お昼休み。たえと、沙綾とお昼ご飯を中庭で囲んでいる中、花園さんが突然に言った。
ちなみに、りみも誘ってみたものの、流石にバツが悪そうにして断られた。いつか、一緒に食べれるといいなぁ……。
ではなくて、いまはたえの話である。いきなりどうしたんだろう。
「だって、沙綾もりみも有咲も全員名前呼びでしょ? 私たちだけだよ、苗字なの」
そういう事か。香澄自身苗字呼びはあまり気にしていなかったが、香澄含めたの周りが全員名前呼びなのに対し、交流があるのに苗字呼びな為たえ気にしていたようだ。
「うーん、なるほどねぇ……」
それもそうだ。そう思った香澄は、たえの新たな呼び名を思案してみる。……むむむ。どうせ呼ぶなら、ピピッと来るものがいいなぁ……花園、たえ。花園、花、園、花、お花、たえ……。
「……おたえ、は?」
ふっと、頭に降ってきたものを口に出してみる。おたえ、おたえ……うん。香澄的には、凄くピピッとくる名前だと思う。
「おたえ……!」
花園さん……じゃなくて、おたえが顔をキラキラと輝かせている。
反応を見る限り、どうやら気に入って頂けたようだった。
「おたえ、か。なんかしっくりくるね」
沙綾もウンウンと頷いていた。一方のおたえは、香澄の両手をとり、
「ありがとう、香澄。私、『たえ』って名前で生まれてきて良かった」
なんか物凄い感謝されてる!?
「おたえ……おたえ……いいね」
スナッパーを取り出し、「おたえ~おたえ~」と歌い出す。相変わらず突拍子のないおたえをスルーしつつ、香澄達はお弁当をつついた。