ーー本当に、そうかな?
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……目覚まし時計のアラームが、りんりんとけたましく鳴り響く。
心地いい世界から無理やり引きずり出されたことに不愉快な気分を感じつつ、香澄はベットから這い出した。
半開きのカーテンから、太陽の光が細く差し込こんできた。自らの目を覚ますべく、中途半端なそれを端に寄せ、紐で括って全開にする。
ーー光がまぶしい。太陽のまぶしさに目を細めつつ、香澄は外の景色を垣間見た。
爽やかな青空、穏やかな陽気。そよ風が香澄の髪を揺らす中、スズメの姉妹が、ぴょこぴょこと元気にとびまわっていた。
その光景はとても穏やかで。既に凪の時間かと錯覚してしまう程だった。
「……あったかい」
太陽の光が、温かな両手で包んでくれたかのように。香澄は温もりを感じぼんやりとした意識を覚醒していった。
ふと、壁際にかかるカレンダーが目に入る。昨晩、意気揚々と捲ったばかりのカレンダーには、4月1日の部分に赤いマジックでぐるぐると円が引かれていて、「入学式!」と大きく書き入れてある。
数ヶ月前に、香澄自身が記入していたものだった。
ーーそっか。今日から高校生だ!
香澄は、ようやく今日が入学式であることを思い出した。
忘れていた……わけじゃない。寧ろ、明日から始まる生活にドキドキして、寝れなかったくらいだ。そのせいで今朝はぼんやりとしてしまい、既に眠気を覚えている。香澄は一人、昨日の自分を恨んだ。
「……よし!」
顔を軽く叩き、気合を入れた。ベットから飛び降りて、パジャマを脱ぎ捨てて。洗面所で顔を洗い、制服に腕を通しボタンを留めた。
鏡の前で、髪を梳く。寝癖を取り、昨日ネットで見た星のような髪型にしてみる。
「……うん、悪くない」
自分で言うのも恥ずかしいものだが、なかなか似合っていると思った。若干、猫みたいになってしまったがまぁそれはそれ。誰がなんと言おうと、これは星なのだ。キラキラドキドキしたいという、香澄の決意の表れなのだった。
「完璧! ……あっちゃんおはよう!!」
妹を起こしに、香澄は部屋を飛び出して行った。
☆
路面電車に揺られること数十分。これから通う高校がぼんやりと見えてきた。
高校の名前は、花咲川女子学園。花が咲く川の高校だなんてなんてドキドキを感じさせる名前なんだと、香澄はワクワクしながら揺られたいた。
そんな花女は、香澄の乗っている路線の終点近くに最寄り駅が存在する。決して人通りが多いといえない地域の為、乗車している人はパラパラとしかいない。スーツ姿の大人達や、ランドセルを背負った小学生が数人いるばかりで、通学時間だというのに香澄は最初から席に座ることが出来ていた。
そこから更に数分後。乗客が下車して行く流れに身を乗せることなく、香澄は改札を抜けた。
抜けた先、簡易的な広場には、香澄と同じ制服を着た生徒が見えた。キリッとした碧髪の先輩や、ピンク色の髪の毛ふわふわとした先輩。そして、のんびりとベンチに座るおばあちゃん。長閑な空間が広場を包み込んでいた。
ーー風。香澄の髪を、柔らかな風がなびかせる。広場の縁をなぞるように植え込まれたソメイヨシノがカサカサと揺れ、無数の桜の花びらが、ひらひらりはらりとアスファルトの上に舞い落ちていった。新学期らしい、と言うのだろう。その光景は、良い高校生活を香澄に予感させた。
広場を抜け、緩い傾斜の坂道に出る。花女へと繋がる坂の目の前で、香澄は不意に立ち止まった。
ーー重い。
なんだか、なんとも言えないこの感情、感覚。若干重苦しく、周囲がひたすらに気になるこの不快感。嫌悪感を覚えた香澄は、ポケットから愛用の白いイヤホンを取り出した。
イヤホンは、耳につけるとブブッという音と共にノイズキャンセルが起動する。
──瞬間。全ての音が小さくなった。そよ風で揺れる草木の音、談笑する女子生徒の声……。それらの音が、細く、小さくかすれる。まるで、世界に薄い膜がかかったようだった。
朝からテンションの上がるポップをかける訳でもなく、静かめの歌で朝の気分に同調させる訳でもない。ただただ、音を薄くする為だけのものだったが、薄膜のかかった世界は、香澄にとって少しだけ心地よかった。
ーーあれだけ楽しみだった新生活に、実は不安でも覚えていたのだろうか。存外、私も明るいだけではないらしい。
香澄は、新しい自分の一面を発見することとなった。
そんな状態のまま歩いて数分後。花女の校舎の、てっぺんがぼんやりと見えてくる時。ーー香澄はイヤホンを外した。
せっかくの初登校なのになんてもったいない。空は快晴で、桜も咲いて靡いている。学生の楽しそうな声も聞こえてくる。ふんわりと花の甘い香りも漂ってきていて、みんなキラキラしている。これを感じないなんて、本当にもったいない。
香澄は、イヤホンを新品のカバンにしまい込み、再び歩き出した。
そんな立ち止まる香澄を、後ろから先輩らしき3人組が、仲良さそうに追い抜いていく。
「ねー、放課後どっか寄ってかない?」
「どっかってどこ?」
「んー……カラオケ?」
「いいけどさ。あんた、マイク握りっぱなしは勘弁してよね」
「なんで! 寿司とマイクは握るもんでしょ!」
あははー、と笑い声が通り抜ける。そんな会話に、ビクリと反応してしまった。まるで自分が笑われているような……そんな不安を、香澄は覚えた。
次第に、負の思考のループが始まる。ぐるぐると、マイナスな考えが頭の中を旋回してゆく。
友達が出来なかったらどうしよう。教室で転んでしまい笑われたらどうしよう。自己紹介とかでとちったらどうしよう……とか。
ーーそんな不安を、香澄は頬を叩いて払いのけた。
パァンと鳴る頬。ヒリヒリする頬。強く叩きすぎたせいで、じんわりと痛みが残っているが、それはしょうがない。
せっかくの新生活なのだ、しょうもないことばかり考えてはいられない。新しい学校! 新しい制服! 新しい友達! キラキラドキドキすることばかりだ!
弾けんばかりのプラス思考を発揮する。キラキラだとか、夢だとか。希望だとか、ドキドキを感じられるようなことをひたすら考えた。
ポジティブシンキングというのだろう。歩きながら考えていると、香澄の頭のモヤはすっと、晴れていった。
まだ頬は痛いものの、足取りは次第に軽くなっていった。ゆっくりと、1歩1歩、歩を進めていたものが、段々周りの景色を置いていくかのように駆けていた。
グングンと、他の生徒を追い抜くつれて、先程までのネガティブな思考は、香澄の中からキレイさっぱり無くなっていた。
ハァ、ハァと、息が上がってくる。が、全然不快感はなかった。気がついたら、香澄は、数百メートルある坂を一息つかずに駆け抜けた。
無事に花女の校門に着いた。ゆっくり深呼吸をしながら、香澄は辺りを見回す。
学校名の看板の所で写真を撮っている人や、部活の勧誘を受けている人。初めてなのか、あたりをキョロキョロと見渡して不安そうな人。沢山いた。
皆、今日から高校生という実感と、キラキラとドキドキを感じているのだろう。
そんなことを思っている、香澄もそのうちの一人なわけで。
「今日からお世話になります!!」
新しい生活、なにかキラキラすることが。ときめく経験が始まるような気がして、つい言ってしまった。
何人かの生徒が、びっくりしたように振り向く。香澄は少し恥ずかしくなり、笑ってその場を立ち去った