沙綾回です。
山吹沙綾の朝は、休日でも早い。
一日の始まりは、パン生地をこねくり回すところから始まる。
台に打ち粉である強力粉を挽き、寝かせておいた生地を載せる。適度に形を整えて、バターを塗り、塩を乗せてオーブンへと入れる。(今日は塩パンだ)
そんな手間隙かけた沙綾のパンは、お店の中でかなり評判となっていた。
手間隙かけるとパンは美味しくなる。それが、パン作りの師匠でもある沙綾の父の定説であった。
だが、謎の定説もある。なんでも、音楽をかけながら生地をこねると美味しく育ってくれるという父の話だ。
そんなワケないじゃん……そう思いつつも、沙綾は父に合わせて音楽をかけていたのだった。
本日の音楽は、商店街での彼女達の歌。「Yes! BanG_Dream!」。さながらDJなったかのように、沙綾は音楽を再生する。
「…… In the name of BanG_Dream! Yes! BanG_Dream!」
……彼女達の歌が終わったタイミング。それと同時に、沙綾は妹達を起こしにとんとんと階段を登った。
部屋に入ると、ぐっすりと熟睡している二人が目に入る。時間だと言うのになかなか起きてこない純の布団を剥がそうと、沙綾は奮闘した。
布団争奪戦により起きてきた紗南に声をかけ、沙綾は一度二階に降りる。
台所で朝食を作る母に「おはよう、母さん」と声をかけ、手伝おうと横に立つ。すると、先程厨房でかけていた「イエバン」がこちらでも流れているの事に気がついた。
「母さん。この曲。商店街のライブのやつだよね?」
「ええ。沙綾のお友達が演奏してたのを、ライブ音響のお兄さんが持っていたの。懐かしくって、ついもらっちゃった」
「……懐かしい? この曲って、香澄達のオリジナルなんじゃないの?」
掌の上で豆腐を切り、味噌汁にポトポトと投入する。味噌と出汁の海に沈んでいく豆腐を眺めながら、沙綾は母親に聞いた。
「この曲ねぇ……お父さんとの馴れ初めの曲なのよ」
「えっ? どういうこと?」
「路上ライブをしていた人がいてね。……お父さんがその人のファンだったの」
懐かしむように見上げる。目を瞑り、当時の光景を思い出しているようだった。
「ある時、たまたま私がそこに居合わせてね。……いい曲だなぁって聞いていたら、「ファンですか!?」って興奮気味に話しかけられて。そこからお父さんさんと色々話始めたの」
少し恥ずかしそうに顔を朱に染める。すると、沙綾の後ろからゴホン、という咳払いが聞こえてきた。
「母さん、その話は恥ずかしいから辞めてくれ……」
厨房で別作業をしていた沙綾の父親が、後ろで眉間を抑えていた。なんでも、興奮気味に話し続けて数十分は母さんを拘束してしまったらしい。それで、「面白い人ですね」と言うので撃ち抜かれたとか。
……現役の高校生にする話なのだろうか。
「兎に角だな、その曲は俺がまだ小さいの頃に好きだったバンドの曲なんだ。メジャーデビュー直前に、ふと引退してしまったんだが……」
なんでかは分からない。いきなり辞めてしまったらしい。迷い込んだライブハウスでの演奏を聞いて以来、すっかり惚れ込んでしまったのだとか。
「ただ、所々歌詞が違うような気もするな。メロディは物凄く聞き覚えあるけど」
ふんふんと鼻歌を歌いながら、沙綾の父は一階へと降りていった。
「……ふふっ、そういうことなの。だから、私達にとっては懐かしの出会いの曲なの」
出際よく卵焼きをひっくり返す母親。四角いフライパンに鎮座する卵焼きがジューと音を立てた頃、紗南と純が「お腹すいたぁ」と食卓に入ってきた。
沙綾は二人を席に座らせ、お皿を並べる。追加の皿を取りに台所に行くと、沙綾は母親に肩を掴まれた。
「なぁに、母さん?」
「……沙綾。これからは、"自分の為"に時間を使って頂戴」
「え?」
キョトンとした表情をうかべる。母親は続けた。
「沙綾には、今までいっぱい迷惑をかけちゃったよね。私が1回倒れちゃったのもあるし、父さんも頑張りすぎてフラフラだった。……けど、これからは大丈夫」
にっこりと、太陽のような安心感ある笑みを浮かべて母親は告げる。
「だから沙綾は……。私達の知らない"沙綾"を大切にして。私達は、大丈夫だから」
あの子達の曲聴いてたら、元気出てきちゃった。
そう言い残して、沙綾の母は食卓へとついた。
沙綾の傍らで、「イエバン」はひたすらに遠い音を奏で続けていた。