遠い音楽   作:冴月

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「……いたっ!」

 

 放課後。気分を入れ替えて練習を再開していたPoppin’Partyだったが、香澄の悲鳴で全員が振り向く。

 

「……えへへ、指切っちゃった」

 

 指先から流れ出す赤い血液。痛々しくも、努力の結晶である指のタコから流れていた。

 

「まじか……。絆創膏絆創膏……ほら」

「ありがと、有咲」

 

 念の為ーーと用意していた救急箱から、絆創膏を取り出し渡す。香澄は、血を拭き取り、軽く消毒してから絆創膏を巻いた。

 

「……」

 

 何も言わず、ただ香澄を見つめている有咲。何か変なところでもあるのか、自分自身を見回した香澄だったが、特に違和感のある所はない。無いはずだ。

 

「あの、有咲?」

「ん……別に。それよりも、そろそろ時間だしSPACE向かうぞー」

 

 有咲が荷物を纏め始める。たえと、りみと沙綾も有咲にならって荷物を纏め始める中、香澄は見えない星に願った。

 

 ーー今日は、オーディション合格しますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……準備が出来たら初めな」

 

 相変わらず眉間に皺を寄せているオーナー。一人対五人という構図は変わらないものの、今日も並々ならぬ緊迫感を醸し出していた。

 

「……よし、いつでも行けるよ」

「こっちも大丈夫!」

「今日こそは絶対合格してやるからな……!」

「必ず合格しようね、香澄ちゃん」

「……う、うん」

 

 いつもの半分くらいしか、声が出ていない香澄。返事こそ真剣なものったが、額に落ちる一粒の汗となにかに焦ったような表情が垣間見えていた。

 

「……いくよ。ワン、ツー、スリー、フォー!」

 

 胸が高鳴る。いや、胸がやけに高鳴ってしまう。ふらつきそうなほど、心臓の音がうるさい。

 必死に抑えようとした香澄だったが、もうそんな時間はなかった。目の前まで来てるオーディションをクリアする為に、香澄は声を張り、出そうとする。

 

 ……だが。何回も失敗し、不合格と言われた事。うかうかしていると、オーディションが、SPACEが閉まってしまうこと。練習しても練習しても、満足いく演奏にならないこと。毎日、睡眠や休憩を削ってまで練習をしていたこと。ーー(香澄)が一番見えていないと言われてしまったこと。

 それらは全て。香澄の意識しないところで積み重なっていく。重く、固く。こびりついてしまったそれは、ついに香澄の表層にまで現れてしまった。

 

「た……と……え……っ!!」

 

 声が、出ない。いつもなら聞こえ出していたあの歌が、聴こえない。

 他のメンバーが、香澄の苦しそうにして声を出す様子に息を呑む。目を丸くし、香澄の元へと駆け寄ろうとする。

 

「……もう1回。もう1回お願いします!」

 

 必死に叫ぶ。持ってきていた水で喉を潤し、ギターを構える。

 

「……さーや!」

「う、うん。……ワン、ツー、スリー、フォー!」

 

 香澄のあまりの気迫に負けた沙綾がカウントする。ステック同士を叩き、乾いた音で数字を数える。

 だが、

 

 

「……た……と、え……

 

 声は出ない。

 喉の奥から、お腹の中から絞り出そうとしても、出てくるのは掠れた声だけだった。

 

「……っ」

 

 目眩がする。クラクラする。ぐるぐるぐるぐると、真っ暗な世界が回転していく気がする。

 誰かに支えられていたような気もするが、それでも渦に飲まれていく。

 追って催す吐き気と、頭痛。今まで私は何をしてきたんだろうと、香澄自信がやってきた軌跡にまで否定をして蓋をしそうになる。

 

「……あ。ーーーーごめんっ!」

 

 他の言葉は出てこない。掠め取られた歌声の代わりに出てきたのは、謝罪の言葉だけだった。

 香澄は、全てを置いてSPACEを逃げ出した。

 

「ーーおい、香澄っ!」

 

 有咲が呼んだような気もするが、香澄を止めるにはいたらなかった。

 躊躇いや不安。焦燥感が香澄を縛り付ける。弱い心が、香澄の足を早めてしまう。

 あの日感じたドキドキ、星の鼓動。その全てを置き去ってしまうかのように、捨て去ってしまうかのように。

 心の中に一つ、太く、固く、ドロドロとした線を引いて。香澄はSPACEから逃げる。


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