ハイリア王国の近隣で暮らしている、四つの民族との関係修復。
その大きな目的を達成する合間に、私達は旅立ちの当初に定めた国内の問題解消にも取り組んでいた。
村や町を繋ぐ街道の、難所や要所に設けられている馬宿を、建物ではなく立派なテントと言った方が正しいようなそれを旅の拠点として重宝しながら、多くの旅人や商人の行き来を支える人々の困りごとや要望に出来る限り応えたりもした。
「聞いて聞いてゼルダちゃん、この間つい愚痴っちゃった件なんだけどね!
近くの橋に大穴が開いて、馬や荷馬車が遠回りしなきゃいけなくなって困ってるって話してたアレよ!
あの後すぐに王都から修理の人が来てくれたの、ゼルダちゃんの言う通りに諦めないで申請を続けて良かったわ!」
「それは何よりですね」
馬宿の憂いが取り除かれて心から喜ぶ私だったけれど、リンクはなぜか表情を引き攣らせていた。
まあ、確かに……彼女から愚痴という形で馬宿の窮状を聞きつけ、城に帰るなりそういった案件を担当している筈の部署に乗りこみ、対応どころか封すら開けていない申請書の山を見つけて、担当官の了見を笑顔で問い質した私の一連の行動は、少し強引なものだったかもしれないけれど。
彼女の喜びようを前にすれば、私の胸中に浮かぶのは、頑張って行動して良かったという満足感と達成感のみなのであった。
「……………………ああっ、逃げてしまいました」
「大丈夫、ちゃんと撮れてるから……ほら」
「うわあ、可愛い!
リンクは動物のウツシエを撮るのが本当に上手ですね、私がやると皆すぐに逃げてしまって……」
「ゼルダが出来なくても仕方ないよ、気配の消し方は戦闘時の応用だし」
「動物が下手でも植物は得意です!
次は私にウツシエを撮らせて下さい、あちらの方で珍しい花をたくさん見かけたのですよ!」
「はいはい、どうぞ。
……シーカーストーンの容量がそろそろ限界だな、一旦帰って中身を整理しよう」
旅から帰って、王城に一時滞在している時の私達は、図書室に詰めていることが多かった。
シーカーストーンの中に残しておけるウツシエの数は無限ではなく、折角の記録を消してしまう前にきちんと形にしておきたいという考えが、私とリンクの間で一致したからだ。
王城の専属絵師を驚かせるほどの絵心があったリンクが、ウツシエに記録された動物や植物達の姿を詳細に描き写して。
その隣で私は、あまり余裕が無いことも多い旅の中で懸命に走り書きした、旅先で見かけた動植物の生息地や特徴、性質や気付いたことといった解説文を、きちんとした紙へと清書していく。
お互いに指をインクで黒くしながら懸命に取り組んだ作業、形にした記録が人々の間で想像以上に評判となっていたのを私達が知るのは、もっとずっと後。
私達に内緒で皆が形にしてくれた、著者欄に私とリンクの名が記された最新のハイラル図鑑を、図書室を経て知り合った一同がリンクへの就任祝いとして贈ってくれた時のこととなる。
雷が、氷雪が、更には炎までもが天から降り注ぐという異常気象の正体。
リンクはその原因に心当たりがあったようだったけれど、下手に推測を口にするよりも実際に見て確認した方がいいとのことだったので、私達はそのまま現地へと向かった。
……そうして、実際に現象を前にした私の目に飛び込んできたのは。
雄大に、優雅に、そして美しく夜空を泳ぐ、立派な角と爪、そして蛇のように長い体を持った謎の巨大な生き物だった。
「……………リンク、あれは一体」
「あれ……何だ、ゼルダは見える人だったのか。
ごめん、だったら前もって教えておいても良かったかも」
そう言ったリンクが改めて話してくれたのは、『龍』という名の精霊についてだった。
雷のフロドラ、炎のオルドラ、そして氷のネルドラ。
女神の従属たる彼らは自然の力そのものと言っても過言ではない存在で、ただ普通に空を飛んでいるだけの体から迸る膨大な魔力が、悪気なく周囲に影響を与えてしまうのだという。
恐ろしく、それ以上に美しい存在から目を離せずにいる私達へと、この場まで案内をしてくれた地元の兵士達が恐る恐る声をかけてきた。
「ひ、姫様……申し訳ありませんが、先程から何をご覧になられているのですか?」
「異常気象が近づいています、危険なので一刻も早く退避してください」
「……あなた達は、あれが見えないのですか?」
「何をおっしゃられているのですか、まるで例の少年のようなおかしなことを」
「龍は自然の精霊なんだ、皆が皆見られる訳じゃないんだよ。
それよりも俺は、『例の少年』とやらが気になるな」
リンクと私の問いかけを受けて彼らが教えてくれたのは、異常気象に悩まされている近隣の村にて、『大きくて長い生き物が空を飛んでいた』と叫んで回り、怒られても頑として主張を曲げなかったことで、『嘘つき』としてすっかり孤立してしまっている少年がいるとのことだった。
「龍が見える子だったんだ、嘘つきなんかじゃない」
「リンク、何とかしてその子の汚名を晴らしてあげて下さい。
異常気象の理由をはっきりさせれば、例え解消が出来なかったとしても、皆の不安を多少は拭える筈です」
私のその言葉に頷いたリンクは、とある方法で少年の言葉が真実であることを、龍の存在を証明してみせた。
集めた村人達の目の前で、何と彼は龍の体を弓で射ってみせたのだ。
私と、そして例の少年の目には、リンクの矢が当たった龍の体の一部が、眩く輝き始めた光景の全てが見えていたけれど。
他の村人や兵士達は、何も無い虚空へと向けて放った筈の矢が光を伴ないながら急に弾け、更にはその光が弧を描きながら降ってきた不思議な光景を目の当たりにしていたことだろう。
何事もなかったかのように去っていく龍の姿を見送ったリンクは、地へと落ちた光の下へと駆け寄り、確かな質量を持った『それ』を私達のところまで持って来てくれた。
それは少年の言葉の正しさを、たった今までそこに目に見えない巨大な生き物がいたのだという事実を証明するもの。
人の顔と同じくらい、下手をすればそれ以上はありそうな巨大なウロコが、私達の目の前に確かに存在していた。
その後、他の二か所の地方でも同じような対処をして、一方は角の欠片、もう一方は爪の欠片を龍の存在の証として近隣の村に残して、一旦城へと帰った私達は、最初の村で起こったその後の顛末についてを知ることとなった。
急な病が流行り、村人全員分の薬を用意できずに困り果てていたところに、去り際にリンクが口にしていた『龍の素材は薬になる』という発言を思い出した村長が、私達が残していったウロコを一部粉にして処方することを駄目元で試したみたところ。
病人達は瞬く間に快方へと向かい、村人達は龍を恐れるのではなく敬い感謝することを決めて、龍の動向を見守って村人達に伝える大切な役目を一躍して担うことになった例の少年は、リンクに憧れて弓の修行を始めたとのことだった。
「龍に少しでも親しんでくれれば……少しでも恐怖を和らげてもらえればと思って、本当に軽い気持ちだったんだけどなあ」
そう言って驚き、戸惑った様子で語尾を濁らせるリンクの表情は、凄く嬉しそうな笑顔だった
多くの人々と出会い、その悩み事や頼み事を解決し、旅にも慣れてきたことで自信を持った私達は、ハイラル王国一の魔境へと挑む決意を固めた。
不気味に立ち込めて、進む先どころか現在地すらも惑わせる霧。
巨大な木々の幹に開いた洞は、私が恐れているためか、化け物の目や口のように見えてしまい、只でさえ消耗していた精神を更にすり減らして来る。
時折響く獣や鳥の声、木の実が揺れているかのようなカラカラという謎の音。
あらゆる感覚が惑わされているかのような、訪れる者の全てを拒んでいるかのような得体の知れない場所。
それが『迷いの森』、誰一人として最奥にあるものを目にしたことは無いとされる場所だった。
……その事実を、共に調べ物をしたリンクは十分承知していた筈なのに。
霧の中を、目印とはならない木々の間を進むリンクの歩みには、何故か躊躇いや戸惑いという類のものが感じられなかった。
まるで、彼にとってはこの場所が、かつて何度も訪れた馴染みの場所であるかのような。
何処をどう通ったのか、何を進むための目印や根拠にしていたのか。
今までに森へと挑んで踏破が敵わなかった多くの人々と彼では、一体何が違ったのか。
その全てを、私は知る由も無い。
恐怖と不安に堅く目を瞑り、握った手を引いてくれるリンクの歩みにただ着いていくうちに、いつの間にか霧は晴れ、周囲は眩い光と鮮やかな植物達で彩られ、目の前には旅の中でも見た覚えのないような立派な大樹が堂々と聳えていたのだから。
「何て綺麗なところ……ここが、迷いの森の中心。
凄いです、滅多に見つけられない珍しい花があんなに咲いていますよ」
一輪見つけられれば十分話題になるような花が、『花畑』と言っても良さそうな数で咲いていることに感動して、思わず見入ってしまった私は、花弁と葉に紛れていた『何者か』の存在に気付いて息を呑んだ。
《ヒャアッ!》
「きゃあっ!?」
《勇者サマだ、勇者サマが迷いの森に帰ってきた!!》
《勇者サマ?》
《勇者サマだって!》
《お帰りなさい、勇者サマ!!》
花の中から飛び出してきて声を上げた、両腕で抱き上げられるくらいの小さな体に葉の仮面をつけた謎の生き物。
その最初の一匹の声に続く形で、あちこちの木々や草葉の影から、多種多様な葉の面をつけた謎の生き物達が次から次へと飛び出してきた
口々にリンクを『勇者』と呼び、彼の下へと駆け寄りながら、親愛と尊敬が感じ取れる素直な声で喜びと歓迎の言葉を口にする彼らが何者なのか、私には心当たりがあった。
偉大なる大樹の子供達と伝えられている、森の精霊『コログ族』。
悪戯好きではあるけれど、とても無邪気で素直な、幼い子供のような心を持った害の無い種族だと聞いていたのに。
それらに囲まれた中で、歓声を浴びながら立ち尽くし、顔から血の気を引かせて呼吸すら浅くなってしまっているように見えるリンクの様子は、楽観して見守っていられるようなものとはとても思えなかった。
「リンク!!」
慌てて駆け寄り、彼を輪の中から引っ張り出そうとした私だったけれど。
完全に興奮してしまっている様子のコログ族、それも大量に集まってしまっているものを掻き分けて進むのは、私の力では無理だった。
思わず絶望してしまった状況を打破してくれたのは、頭の上から突如降ってきた、年を経た賢者を思わせるような低く落ち着いた声だった。
《落ち着いて……下がっていなさい子供達、彼らとはわしが話をしよう》
口調こそ優しいものだったけれど、言うことを聞かない幼子を窘める親のような有無を言わさない迫力が込められていたその声に、コログ族達はピョンッと飛び上がってから大慌てで草葉の陰へと飛び込んでいった。
チラチラとこちらを窺う視線や動きは未だ見受けられるし、気になるけれど、今はそれに構っている場合ではない。
急いで駆け寄ったリンクは、普段の堂々とした頼もしさが見受けられない程に動揺し、焦点の合わない瞳を震えさせてしまっていた。
「リンク、大丈夫ですか!?」
「違う…違うんだ、俺は勇者じゃない。
俺なんかじゃ、勇者になんてなれない……違う、違う」
「リンク!!」
「……………違う、よな?」
「リンク、しっかりして!!」
必死の願いを込めた声は、何かに怯えていた、どこか遠くを見ていたかのようなリンクを、私のところへと連れ戻してくれた。
「………ゼルダ?」
「はい、ここにいます」
「……………俺はずっと、君の傍にいられる?」
「勿論です、ずっとずっと頼りにしていますよ」
彼をこの場に留められるように、どこにも行かさないようにと想いを込めながら抱きしめているうちに、早く荒くなってしまっていたリンクの呼吸は、徐々に落ち着きを取り戻していった。
先程の声が再び聞こえてきたのは、そんな時の事だった。
《驚かせてしまってすまなかった……しかしどうか、誤解だけはしないでおくれ。
あの子達に、ぬしを責めたり追い詰めたりするようなつもりは欠片も無かったのだ。
ぬしがまた訪れてくれる時を、ぬしの帰りを、ずっとずっと待っていたのだよ。
……そしてそれは、このわし自身も同じこと》
「………デクの樹サマ」
《お帰り、リンク。
ぬしとまた会える時を、わしらは本当に楽しみにしていた》
老人の皺のような凹凸が刻まれた大樹の幹、それが顔のように動いて私達へと優しく語りかけてくる。
今はまだその時では無いと…『剣』が必要となった暁には、改めてこの地を訪れなさいと。
リンクとの間に交わされたやり取りの意味を私は知らない、聞けば教えてくれたのかもしれないけれど聞けなかった。
大樹(コログ達の親でデクの樹サマというらしい)がお土産として持たせてくれた、水に活けなくても瑞々しい花を咲かせ続ける一枝は、十分に迷いの森を踏破した証となってくれたけど。
お父様はそれを王家の新たな宝として謁見の間に飾ってくれて、私とリンクはまたしてもひとつ、功績を重ねることが出来たけど。
言葉も少なく、見るからに憔悴してしまっているリンクの姿を前に、私は、こんなことになるならあの森に挑むのではなかったと後悔を募らせるばかりだった。
……とは言っても、それはほんの数日の間だけだったけれど。
気分転換にと思って、それまで訪れたことのないところへと足を運んだ私達は、目の前に広がる凄まじい光景に、今の今まで気が沈んでいたことも忘れて呆気に取られてしまっていた。
その光景を一言で説明すると……とにかく『派手』だった。
キラキラを通りすぎて、もうとんでもなくギラギラしていた。
家一軒分ほどの大きさはありそうな巨大な花、その極彩色の花弁には黄金の装飾が凄まじい自己主張で以ってこれでもかと施されている。
花びらの中央には美しく澄んだ水が湛えられていて……これはもしかして、『花』ではなく『泉』なのではとふと思った、その時だった。
ほっそりとした指先の、長く伸びた爪には丁寧に紅が塗られ、それらを一層映えさせる装飾で手首を彩った、美しい女性の手。
……私達など軽くひと掴みに出来そうなそれが突如泉の中から現れ、一瞬の遅れで、その本体と思われる巨大な女性の上半身が水面を突き破るかのような勢いで飛び出してきたのは。
魔物に襲われた時でさえ上げなかったような悲鳴を迸らせてしまったのは、申し訳なかったし、失礼だったと思うけれど、それと同じくらい仕方がなかったとも思っている。
巨人の女性……幻の泉に住まわれるという大妖精様は、見た目や振る舞いこそ色々と衝撃的ではあったけれど、初対面であまりにも失礼だった私の態度を、朗らかに笑って許して下さるような優しい方だった。
私の中に眠っていたという魔法の素質に気付いて目覚めさせてくれたり、姉妹の存在を教えてくれたり、対価さえ貰えるならば泉を訪れた者に祝福を与えてもいいと約束してくれたり。
それだけでも十分過ぎるほどにありがたかったけれど、私が何よりも大妖精様に感謝したのは、かの人の色々な意味での凄まじさが、リンクを悩ませて落ち込ませていた『何か』を吹き飛ばしてくれたらしいことだった。
いつもの調子を取り戻してくれたリンクと共に、それまでと同じように各地を巡りながら、気になったものを記録して、出会った人と交流して、悩み事や困り事があるのならばそれを聞いて、それが私達でどうにか出来ることなら精一杯に応えて。
そんな大変ながらも楽しい日々はあっという間に過ぎて、気付いた時には。
最初の頃に定めた目標達成の期限、リンクの13歳の誕生日まで、残る時間はあと僅かとなっていた。