長い時間と労力を費やしながら各地を巡り、遥か太古に築かれたと思われる謎の遺跡や自然が作り出した迷宮を踏破し、その最奥で番人かのように立ち塞がった強大な魔物を倒しながらの旅路がついに終わり、厄災ガノン討伐の準備は万端に整えられた。
ゼルダを含めた七人の賢者達が一斉に封印を解き、代わりの結界で以ってガノンを閉じ込めた、最後の決戦の地と定められたのは、討伐の旅の始まりとなった時の神殿。
壮大かつ幽玄な大聖堂内を禍々しい気で満たすガノンは、正しく怨念の化身と称するに相応しい化け物だった。
ハイラル全土を一瞬で侵すことも可能なほどのそれを、神殿内に欠片も漏らすことなく押し止めるために、賢者達は結界の構成と維持に全力を注がなければならない。
結果的に彼らは、勇者と厄災の世界の命運を賭けた一騎打ちを、すぐ目の前で繰り広げられるそれを。
助けに入ることを許されない不甲斐なさを、結局は彼一人に全てを背負わせてしまった悔しさを噛み締めながら、信じて見守るしかない状況を強いられてしまっていた。
怨念の炎に焼かれ、光線に貫かれ、刃に裂かれた、火傷と血にまみれたボロボロの体で尚も退魔の剣を振るう勇者に、もういいと、もう逃げろと何度も叫びかけて、それを同じ数だけ毒を飲むような思いで噛み殺した。
自分が死ぬだけならば構わない。この場から逃げ去る彼の背を、命が尽きるその瞬間まで、心からの安堵を以って見送ってやれる自信がある。
彼に戦ってもらわなければ世界が滅ぶという現実が、守らなければならないものがあるという責任が。
たった一人で世界という重荷を負った彼を、既に十分頑張った大切な友人をもう解放してやりたいという、個としての願いを許してくれない。
姫として、女神の巫女として、出してはいけない発言を懸命に堪えながら……代わりに彼の名を、どんなに吐き出しても足りない謝罪の言葉を叫びながら、泣きじゃくるゼルダの痛ましい姿が、一同の心を切り裂き見えない血を流させた。
旅の途中で発現した女神の祝福を手の甲に輝かせ、崩れそうな体や遠のきそうな意識を懸命に繋ぎ止めながら、厄災ガノンの体を構成する怨念の塊を切り裂き続けたリンクの奮闘によって、禍々しい巨体は徐々に小さくなっていった。
戦いの轟音が神殿内を支配していた時間は、長かったのか、それとも短かったのか。
それすらもわからない激戦の末に、不意に訪れた静寂の中で、二人の人影が向き合っていた。
火傷と血にまみれた今にも崩れ落ちそうな体を、床石に立てたマスターソードに縋ることで辛うじて持たせているリンクと。
そんな彼を、怒りも憎しみも見出せない、不思議な静けさと力強さを湛えた瞳で見据える褐色の肌と赤毛の大男……長年の封印によって、溜まりに溜まってしまっていた怨念を全て削り取った先に現れた、太古の魔王。
もはや満身創痍で、鍛えられた剛腕をただ単に振るうだけで止めを刺してしまえそうな少年へと、憎しみの対象であった筈の勇者へと、魔王は静かに語り掛けた。
《『核』を残そうなどとしなければ、むしろ早々に破壊してさえいれば、そこまで苦戦することも無かったろうに。
何故あんな回りくどい真似をした、魔王を倒すのが勇者の宿命だったのではないのか?》
「…………それだよ、それが嫌だった。
押しつけられた理由で殺し合うのは、もう嫌だったんだ。
勇者と魔王だから、俺とお前だから……ずっと昔からそうだったから、運命だからだなんて。
そんな下らない因縁に、抗ってやったっていいじゃないかって思ったんだ。
何も知らずに……ただ示されるまま、流されるままに、碌でもない運命に翻弄されてしまった『俺達』の分も」
《小僧、貴様……覚えているのか》
「そんなことより、どうするガノン……いや、ガノンドロフ。
自分で言うのも何だけど今なら簡単だ、遥か古よりの宿命に倣って勇者を殺すか?」
《下らない因縁などに従う気は更々無いが。
口の利き方には気をつけろ、貴様個人に抱いた殺意を堪える気は無いぞ》
「おお怖い、流石は魔王ガノンドロフ。
止めを刺される前に、先手を打たせてもらおうか」
そう言って、掠れた声で笑いながら伸ばしてくる手を。
もはや剣を握ることは叶わなくとも、その甲に聖三角の紋章が輝いているだけで十分以上の脅威であることを、誰よりも身に染みて知っていた筈のそれを、ガノンドロフは黙って受け入れた。
達観を通り越して諦めていたようにすら思えるようなその態度が、自身に干渉し始めた力の質を察した辺りで一変する。
眼を見開き、驚愕を隠し切れない表情でこちらを見てくるガノンドロフに、リンクは力ないながらも満足げな笑みを零すことで応えた。
《何のつもりだ》
「お前を解放する、封印からも因縁からも」
《何のつもりでそこまですると聞いているのだ、勇者の情けか?
ふざけるな、哀れまれるくらいならば滓も残さず消滅してやるわ》
「……ああ、それでこそお前だ。
厄災ガノン……怨念の化身、世界を滅ぼす化け物なんかじゃない。
全てを圧倒する個の力で以って大国を統べてみせた、誰をも畏れさせた、偉大なる魔王ガノンドロフ」
《……………なんだと?》
「お前がしたこと、お前に奪われたものを忘れる気も許す気も無いし。
お前を倒したこと、お前を封じてきたことも後悔していない、これからだって絶対に。
だけどさ、ガノンドロフ……実を言うと。
『俺』という個人は、まだお前に何も奪われていない今の『俺』は、お前のことを結構好きなんだ」
そう言いながらリンクが浮かべた笑顔に、『怒り』や『憎しみ』が本当に無いことを察し。
むしろ、こうして相まみえることが出来たのを、純粋に嬉しく思っていることを感じ取ってしまって。
ガノンドロフの意地や気負いは、今度こそ完全に折れてしまった。
《……今代のお前が、とんだ変わり者なのかと思ったが。
今になって思い返してみれば……俺の前に現れたどの勇者も、俺を倒し、知恵の姫や世界を救うという使命こそ抱いてはいたものの、怒りや憎しみで曇らせた剣を振るってはいなかった。
お前は最初からそういう奴だったのだな、もっと早く気付いていれば他にやりようがあったのかもしれぬ》
「さよなら、ガノンドロフ。
次にどこかで、何も知らない、何にも縛られていない、新しいお前として生まれることがあったら。
今度こそ、誰もが認める立派な王になってくれよ。
お前の力と信念に憧れた多くの人が集まれば、その人達と正しい道を進めれば、不毛な砂漠にだって豊かな国を築くことは必ず出来るから」
誰も止められなかった、止めようという発想すら抱けないままにここまで来てしまった争いの因縁を、ようやく終わらせることが出来た勇者と魔王。
ようやく素直にお互いを認め合えた二人は、今度こそ本当に最後となる別れを交わした。
かつて厄災であり、魔王であった男の魂が消え去るまでを無事に見届けられたことで、ついに限界を迎えた勇者が自身の血だまりに倒れ伏す。
その左の手の甲に刻まれた聖三角の紋章の、『力』を示す上の部分がゆっくりと輝きを失ったことに、駆けつける者達が気付くことは無かった。