全身を赤く染めたその体に、我が身が汚れることも厭わずに縋るゼルダと、いつもならばすぐに手を伸ばして拭っていた筈の彼女の涙を前に、力なく目を瞑ったままのリンク。
その姿を目にした一同は、何の他意も無く、自然な流れで思った。
あの傷、あの出血では、どんな処置もその時を先延ばしすることにしかならないと、各々が持ち得ていた知識と経験の全てが告げている。
『彼はもう駄目だ』と、自分で自分の胸倉を掴み上げて、殴ってやりたくなるような冷静さで以って思ってしまった。
このまま目覚めないのではないかという不安と、もういっそのことこのまま楽にしてやりたいという願い。
一同が抱く、相反すると共に紛れもない本心であるその想いに半分応え、半分裏切り。
この頃は、退魔の剣をずっと握ったままだったように思えてしまうリンクの手、殆ど入らない力を懸命に込めて動かした指先が、自身の存在を必死に繋ぎ止めようとしているかのように力と想いを込めるゼルダの手をそっと握り返した。
「リンク…っ!」
「ゼルダ、ごめんな。
ずっと一緒にいるって約束……果たそうと、思ってたんだけど」
「果たさなくていい、もう二度と会えなくたっていい。
世界のどこかで、あなたが幸せに笑ってくれるのならば。
その為に私は、これから先の人生を、あなたが命を賭けて繋いでくれたもの全てを賭したって構わない。
だからお願い、死なないで……あなたの勇気が、功績が、報われないなんて間違っている」
リンクの顔をちゃんと見たいのに、意図に反して止まらない涙が世界を滲ませる。
いつかのように伸ばされた指がそんなゼルダの目元をそっと拭い、かすかな血の跡と引き換えに視界を開かせた。
そこに見えたのは、心から幸せそうな、それ故に哀しすぎる笑顔だった。
「ちゃんと報われてるよ、歴代の勇者達に申し訳ないくらいに。
ありがとう、ずっと一緒にいてくれて」
「そんなことで報われたなんて言わないで、あなたが私達を助けてくれたのに!!」
「………ごめん、もう時間が無いみたいだ。
俺が死んだら、トライフォースは次の保有者の……君の下へと渡ることになる。
最後の務めを、君が果たさなければならなくなる。
そんなことはさせられない。
絶対に、他の何に代えてでも」
覚悟と決意が込められた声と共に掲げた手の甲、そこに刻まれた紋章が放った光がゼルダを包み込む。
その光が、自身を縛り付けていた『何か』から、今の今まで当然のように在り続けていて気付けずにいたものから、この身と魂を解き放ってくれた不思議な感覚をゼルダは覚えた。
恐れるリンク一人に重責を負わせていることに気付いてしまった時のような、必死で掴んでいた彼の手がすり抜けてしまったかのような、心胆が凍えるような嫌な予感と共に。
「リンク、一体何を…っ!?」
思わず上げかけたその声は、自身を急に襲った謎の浮遊感と、覚悟も虚しくあっさりと離されてしまった手に、嫌な予感で済ませることが出来なかった目の前の現実によって遮られた。
その現象に、その感覚にゼルダは覚えがあった。
シーカーストーンの機能のひとつとして、よく使用していた遠方への転移。
それと同じような現象が、この場にいる全員の身に起こっている。
リンクを除いて。
「リンク……」
「トライフォースは俺が預かるよ、これは人の世に在っていいものじゃなかった。
たった一人の少年が、あんな辛く、恐い思いをしなければ救えない世界なんて、そんな運命なんて間違ってる。
………だから俺で最後にする、『伝説』はこれで閉幕だ」
「お願いリンク、手を伸ばして!!」
「ごめんなゼルダ、本当にごめん。
置いていかれる、一人にされる方の辛さは、よく分かってはいるんだけど。
それでも、俺は嫌なんだ……君に背負わせるくらいなら、全部抱えて持って行く。
どうか、俺に君を守らせて」
「リンクっ!!」
「さよなら、ゼルダ。
一人の女の子として、どうか、幸せに」
最後の瞬間まで、諦めずに伸ばされ続けた指先。
その全てが光の粒子と化して消え去るまでを見届けたリンクは、気を保たせていた最後の柱が消えたことで、今度こそ本当に力尽きた。
「さい、ご…………えがお、みたかっ、たな」
瞳に、意識に最後に焼き付いたのが彼女の泣き顔だったことが、純粋に残念でならない。
徐々に狭く、暗くなっていく視界の中に、二画の光を失ったトライフォースが印されている自身の手の甲と、その少し先で転がっているマスターソードが見えた。
最後の力を振り絞って手を伸ばし、激戦の中でボロボロになりながらも青く神秘的な輝きを保ち続けている刀身に、その指先を辛うじて届かせることが出来た。
「おまえも……ながいあいだ、おつかれさま。
いっしょに、ゆっくりやすもう。
……………おやすみ、ファイ」
その言葉を最後に目を閉じたリンクに続くように、マスターソードの輝きもゆっくりと消えていく。
それは正しく、魂を持つ剣が主の傍らで共に眠りについた、そんな光景だった。
三画全ての光を失い、動く者が誰もいなくなった静寂の神殿内でしばし沈黙したトライフォースが、これで最後と言わんばかりの輝きを放ち始める。
その光は、死の間際に瀕していたリンクの体を癒し、立派な神殿全体を、彼の眠りを守るための安息所として時の流れから切り離した。
勇者も魔王も去り、滅びの時を静かに待つのみとなったハイリアの地に、嘆きの声を上げる姫を一人取り残して。