「この国には……私には、あなたが必要なのです」
村外れの高台の、周囲を一望できる大樹の下という絵になりすぎる状況で、姫自身の心からの言葉で請われた俺は、流れのままに頷いていた。
……と言うと、自分自身の本当の意思に沿わないことだったかのように思われそうだけど、そんなことは無い。
バドが例の本を王都に送る馬車に勝手に乗せて、それがなぜか王様のところまで届いて、偉い人達を含めた大勢に読まれたと聞いた時は、頭を抱えながら悶え転げたい衝動を堪えるのに必死だったけれど。
その内容が本当に役に立ったこと、前線で戦う兵士を含めた大勢の人を救う力を持っていること、俺を好待遇で召し抱えようという話が城では積極的に進められているということを、ゼルダは、自身が姫であることを明かした後に教えてくれた。
自分のことしか考えられずに、狭い世界に閉じこもって燻っていた思考を思いっきり殴りつけられたかのような、目の前が明るく晴れていくような感覚を覚えた。
自分の為でしかなかった筈の執筆が、物語をきちんと書くための資料集のつもりでまとめた魔物の本が。
俺の行いが誰かを助けることが、この世界に貢献することが出来たなんて。
俺はもう、立派にこの世界の一員だったと言ってもらえたように、認めてもらえたように思えて、涙が溢れるくらいに嬉しかった。
そんな時に、手を取られながら真剣な眼差しで『力を貸してください』と頼まれれば、それはもう引き受けるしか無いだろう。
『勇者らしく』とか、『リンクならば』とか、そんなことを考えなかった訳ではないけれど。
最終的に後押ししたのは、目の前の彼女の力になりたいという、俺自身の想いだった。
手を繋ぎながら村の、インパのところまで戻り、姫の説得を受けて仕官を了承したことを伝えたら、思わず引くような勢いで喜ばれた。
何でもゼルダは、責任感の強さと真面目さが高じたあまりに一生懸命になりすぎて、空回りを続けたあげくに、城ですっかり孤立してしまっていたらしい。
本人は何やら吹っ切って、心機一転して頑張るつもりでいるらしいけれど、頼れる味方が少ないという現状は変わらなかった。
そんな時に、俺というゼルダの味方になってくれる人材を得られたことは、ゼルダを案ずるインパにとっては正しく渡りに船の思いだったそうだ。
何があってもゼルダの味方でいると、きちんと言葉にして誓った俺に、インパは心から感謝してくれた。
ばあちゃんを説得するのが一番の難関だと思っていたけれど、意外にもばあちゃんは冷静で、俺が王都へと行くことを二つ返事で認めてくれた。
確かに寂しいし、心配だけれど……人と共に生きていくことを諦めていたようにも見えていた俺が、進みたいと思える道を見つけて踏み出してくれたことが嬉しいと。
涙ながらに言われてしまっては、長年に渡り心配をかけ続けてしまったことを謝り、何も言わずに送り出してくれることへの感謝を述べることしか出来なかった。
行商の馬車の出発に合わせて村を出ようとした俺達を、バドが見送りに来てくれた。
たまに腹が立つくらいに強引だった彼が、こんなギリギリになるまで顔を見せなかったことについて問い質してみれば、彼らしくなさすぎて気持ちが悪くなりそうな煮え切らなさで口を開いた。
何でも、例の本を勝手に王都へと送った件で、俺が怒っているんじゃないかと思っていたらしい。
…………分かってるじゃないか。
ならば遠慮はいらないなと、若干俯いた脳天に拳を落とした。
個人的にもとんでもなく恥ずかしかったし、一歩間違えればカカリコ村全体の信用に関わる事態にだってなりかねなかったのだ。
結果的にいい方向に動いたからって、そこを大目に見てはいけない。
突然の暴挙に驚いたゼルダとインパが、取り成そうと割って入る前に、俺は最後の言葉を伝えるために口を開いた。
今までありがとう、と。
一緒に過ごしてくれて、俺のために色々なことをしてくれて、本当に嬉しかった、と。
ばあちゃんと、そしてお前がいてくれたから、俺はこの世界で今まで頑張れたんだ、と。
ずっと思っていた、言う機会が無かった本心を俯くバドの特徴的な髪型に向けて一方的に吐き出した俺は、バドの答えを待つことなくそのまま村を飛び出した。
慌てて追いかけてきたゼルダ達が、あんな別れ方で良かったのかと聞いてきたけれど。
これでいいんだ。
俯いて見えずにいた彼の目元から零れて、地面に滴っていたものが何なのかなんて、男友達の仲においては野暮な追及でしかないのだから。
これが俺の、『リンク』の、今生における旅立ちである。
………例の緑の服を着たままだったということに、城に着くどころか王様に会うまで気付かず。
この格好が俺の故郷において由緒あるものだということを、気を使ったインパが説明してくれたおかげで、この服が俺にとっての正装として城内で定着してしまうという謎の展開が待ち構えていることを、この時の俺は知る由も無かった。