その人影を見つけたのは全くの偶然だった。
狩りの途中、俺は目の前を過ぎった落ち葉に目を取られて山の奥へと視線を向けた。別に考えがあったわけでもない本能的な行為だ。すると、視線の先で青い茂みの間を何か白い物が降りていくのが見えたのだ。
それが何かから逃げている人影だというのはすぐに気が付いた。山を下るその動きが獣の物ではなかったからだ。多分あれは二足歩行の動物の動きだ。そして、そうと分かれば放っておくわけにはいかない。困っている人を助けるのは当然のことである。
青々とした植物が生い茂る山の中を駆け抜けて人影のもとへと向かう。追手の姿は森の木々に隠れて見えない。が、大体想像はつく。街道ならともかくこんな未開の山奥に匪賊は出ない。考えられるのは気が立った熊か猪の類か、あるいは…
「おい、こっちだ!」
比較的開けた山道に降り立った俺は、人影を呼び寄せるようにそう声をかけ、背後から取り出した弓に矢をつがえた。元々は狩りのために山に入ったにも関わらずさっぱり獲物が見つからなかったため、弓矢や山刀などの武装は未使用のまま揃っている。ここで何が出てきてもそうそう後れを取るつもりはない。
白い人影は俺がかけた声に気付いてこちらに近づいてきた。だが、未だにその人影を追う何かの姿は見えない。偶然ではない。最初からこちらの存在に気付いて姿を隠している。
――尤も、殺気までは隠せていないが…
相手が身を隠している以上正確な場所までは分からない。だが、こちらの様子を伺い襲い掛かるタイミングを計るその意識は伝わってきた。恐らくこちらの弓を警戒しているのだろう。弓を持つ手を中心に、ピリピリとした刺すような視線を感じる。そして、それは俺にとって好都合なことだった。
なにせ、衝動的な行動ほど始末に負えないものはない。相手の行動を見てからこちらの対処を考えなければならないからだ。自分の身を守るだけならともかく、他人を助けに来たその状況でそれは厳しい。
だが、互いの行動の読み合いであれば話は違ってくる。俺は相手の意図を読み違えることはないし、そうでなくても”この相手”との読み合いはそれなりの経験がある。重要なのは機を逃さないこと、その一点だけだ。
「――すみません、助けを…!」
顔の見える距離まで近づいてきた人影がそう助けを乞う。目深に被ったフードのせいで顔は見えないが、声は少女の物。少女が一人で山の中を来たことに少し疑問を覚えるが、今はその違和感を無視する。
まあ、もちろん俺は彼女を助けるためにここまで近づいたわけだ。それに、追手もこちらを警戒して潜んでいるため、まだ危険は少ない。俺はフッと表情を緩めて、這う這うの体でこちらに近づく彼女に声をかけようとした。
その瞬間。
「ふぎゃっ!」
転がっていた石か、あるいは大きめの木の枝か。とにかく、やっとのことで辿り着いた助けの手である俺に意識のすべてを向けていたその人影は、完全に無警戒だった足元の障害物に躓き地面に倒れ込んだ。べしゃりと。
「…はぁ?!」
いっそ芸術的なまでの転びっぷりに思わず視線が釘付けになる。それは、今までの緊迫した空気をぶち壊しにする出来事であった。
そして、その一瞬を追手は見逃さない。
ざん、という茂みが掻き分けられる音とともに身の丈を超える巨体が躍り出る。地面にうずくまった少女の後方に現れたその巨躯は、凄まじい速さで彼女のもとに迫りくる。
それは、鹿の体の側面から歪な三対の脚を生やした悍ましい怪物。生命のあり方を歪められた異形の魔獣であった。
――やはりか!
追手が魔獣であることは予想していた。こちらの出方を伺って身を潜めるというのは興奮した熊や猪にしては理性的すぎる。それに、連日村の総力を挙げて狩りをしているにも関わらず獲物が見つからない現状、まともな動物がそう簡単に出てくるとは思えなかった。
だが、相手の正体を予想で来ていたとしても虚を突かれたこの状況では何の意味もない。迫りくる巨体に慌てて鏃の先を向けるがもう遅い。その背から伸ばされた無数の触腕が彼女を捕らえるべく押し迫り…
それが、俺の仕向けた誘いだった。
確かに俺は倒れ込んだ少女に視線を向けたが、意識は魔獣から反らしていなかった。そして、音、匂い、そして少女を狙う意識の流れを掴めば、相手を捕捉するのに視認など必要ない。魔獣が迫りくる数舜の間にその胴体へと狙いを定めた俺は、過たずその胴の中心にある大きな瞳を撃ち抜いた。
『ぎぃぃぃぃぃぃ、ぎゅえぇぇえぇぇぇ……!』
耳障りな悲鳴を上げて魔獣がのたうち回る。視覚器官は非常に感覚に優れる組織であり、傷ついた際の痛みも激しい。生物として異質な形に変貌した魔獣でもそれは同じようで、瞳を撃ち抜けば動くことすらままならない。
俺はこれを好機と地を蹴り、触腕を振り乱して暴れ狂う魔獣に跳びかかった。
魔獣は肉体が頑強で回復能力も高いため、いくら矢を撃ち込んでもなかなか致命傷にはならない。だから、魔獣と戦う際の鉄則は魔獣でも回復不能な器官、脳を速やかに破壊することだ。そして、魔獣であっても脳は目の近くに配置されることが多い。この魔獣の場合、頭部ではなく胴体の中心部だ。
激痛に混乱した魔獣の意識は上手く読み取れないが、意図もなく荒れ狂うだけの触腕を掻い潜るのに意識の読み取りは必要ない。難なく本体に近づいた俺は、その胴体の真ん中に抜き払った山刀を突き立てた。
『ぎゅぃっ…ぎ、ぎ、ぎ、ぎぃいぃぃぃぃいいい!』
魔獣は慌てて俺を振り払おうとするがもう遅い。魔獣の反応からやはり脳が胴体の中心にあることを確信した俺は触腕の一つを掴んで魔獣を引き寄せ、さらに何度も山刀を突き立てる。魔獣はなおも暴れるが、その抵抗も徐々に緩やかになっていく。やがて、脳に致命的な傷を負った魔獣はぐらりと傾いて地面に倒れ伏した。
ビク、ビク、と数回痙攣したのち、魔獣の体から命の気配が抜け去る。暴れ狂っていた触腕も力なく地面に落ち、主が力尽きたことを示していた。
ふう、と息を吐いて心を落ち着ける。戦いの興奮が収まっていくと今度は魔獣から流れ出した血の匂いが鼻を突き、思わず顔をしかめてしまう。
「――お怪我はありませんか?」
その時、妙に涼やかな声が耳に届いた。そう言えば、と声の元に目を向けると魔獣に追われていた少女が少し心配そうにこちらを見ていた。
「…いやあの、それはこちらが言いたいことなんですけど」
思わず苦笑してそう返してしまう。その台詞はどう考えても助けに来たこっちのものだ。
「おや、そうですか?」
「そりゃあ、まあ。魔獣にも追われていましたし、あんなに盛大に転んでいましたし。お怪我はありませんか?」
「ええ、体だけは丈夫なので」
いや、何だろう、その返しは違う気がする。しかもなんかちょっと自慢げな感情が伝わってくるし。いや良いんだけど。
「…えっと、はい。それなら良かったです。助けに来た甲斐がありました」
「ああ、そう言えばお礼がまだでしたね。助けていただいてありがとうございます」
「いやまあ、大したことはしていないので良いんですが」
「大したことはしていない…」
そう繰り返して、少女は魔獣の死体に目を向けた。そして、じっと見つめる。羨望のような苛立ちのような感情は少し感じるが、いまいち何を考えているのか分からない。何か気に障ることでもあったのだろうか?
「…それは、『このくらい大したことないぜ!』という自慢という事でしょうか?」
「いえ普通に謙遜です。実はけっこう頑張りました」
「なるほど。それはありがとうございます」
いやに淡々とした口調でそう言って少女は頭を下げる。一応感謝の念は伝わってくるのでバカにしているわけではないはずである。そも、ここで感謝というのも変な話だが。
何となく分かった。多分、この人はちょっと変だ。
いや、それを言ったらそもそもこんな山中に少女一人でいること自体がおかしいわけだが。行商の人であれば街道側から来るはずだし、仮に山を抜けたとしても護衛がいないのはおかしい。
「…あなたはどちらの方でしょうか?ここへは何をしに?」
「何をしに……そうだ、お聞きしたいことがあるのでした」
そう言って彼女は徐にフードを外した。
そのとき、フードの下から現れた彼女の姿に、俺は思わず息をのんだ。
「はじめまして。私はp-HMI Flowers-350シリーズの0001番機、個体名『アセビ』と申します」
彼女の奇妙な自己紹介も上手く耳に入らない。
木漏れ日にキラキラと光る白銀の髪に、白磁のようなつるりとした肌。いつの間にかフードを外していた彼女――アセビの容貌は、今までに一度として見たことのないものだった。特に、いっそ感情が感じられないかのように感じる虹色の瞳なんかは。
見たことはない。だが、こういう容貌の存在を聞いた覚えはある。その姿はまるで――
「お聞きします。あなたは、ヒトですか?」
彼女の口から出た言葉は俺が想像だにしていないものだった。予想外の言葉に固まる俺を見つめ、しかし彼女は何のアクションも起こさない。やがて、僅かな間をおいて少し冷静になった俺は、彼女の視線に促されるようにゆっくりと口を開いた。
「…ヒトって、あの『ヒト』ですか?」
「あの、が何を指すのかは存じませんが、ヒトです。それとも、今風に旧人類と言えばいいでしょうか」
「いえ、分かりました。想像通りです」
ふう、とため息をつく。正直なところ、最初は冗談の類かとも思った。ただ、彼女から伝わってくる気持ちは、彼女が真剣そのものであることを物語っていた。そして、冗談であった方がまだマシだったかもしれない。
「…違いますよ。見ての通り、生粋の『獣人類』です」
僅かな逡巡の後、彼女の問いに否定の言葉を返す。
ヒト。旧人類。
俺たち獣人類の生みの親であり、既にそのことごとくが現世から去ってしまった古の種族。神話の言い伝えでは世界中に広がった疫病によって絶えてしまったのだとか。
そんな神話の存在がその辺にいるわけがないことは子供だって知っている。だけど、この少女は真剣に『ヒト』を探している。そして、その容貌は言い伝えられている『ヒト』に近いように思えた。俺たち獣人類と違って体毛が薄く、尾や翼と言った各種族特有の器官が生えていない。
――まさか彼女がヒト?いや、でもそれは…
一番素直に考えればそうであるが、神話の存在が今になって急にヒトが現れるというのも考えづらい。何か別の存在が擬態なり変装なりしているというほうがまだ真実味がある。でもだとして、一体何のためにそんなことをするのだろうか。
俺のそんな内心の葛藤をよそに、彼女はあっさりとした口調で俺の疑問に言葉を返した。
「…そうですか。もしかしたら擬態か変装でもしていたりしないかと思ったのですが」
「あり得ない。こんなところにヒトなんているわけないでしょう」
「……そうですか、そうですよね」
俺の言葉を聞いてもアセビさんの表情は変わらなかった。だが、その内心は落胆の気持ちがあることが分かった。彼女は、本気でヒトを探している。もういないはずのヒトを。
脳裏に浮かぶのは、いないはずの親を探して泣き叫ぶ幼い日の自分の姿。
俺には彼女のことが、どうしても他人のように思えなかった。
「…どうして、ヒトを探しているんですか?」
だからつい、そんなことを彼女に問うた。聞いてもどうしようもないことだ。ヒトの居場所なんて知らないし、一緒に探しに行くわけにもいかない。だけど、なんで彼女がそんなに真剣にヒトを探しているのか、せめてそれだけは知りたいと思ってしまったのだ。
「私の役目なんです」
「役目?」
「はい。私は、私たちはヒトを探すために生み出されました」
生み出された、その言葉がちょっと引っかかった。
「生み出されたというと、普通に生まれたのではないんですか?」
「…ああ、そういえば言っていませんでいたね。私はアンドロイドなんです」
アンドロイド。聞いたことのない言葉だ。首をひねる俺の様子をみてアセビさんは追加の説明が必要であることに気付いたらしい。少し考え込むように固まった後、こう捕捉した。
「アンドロイドというのは……言ってしまえば、人のように動く人形みたいなものでしょうか」
「え?」
動く人形という言葉に驚き、彼女の顔をまじまじと見つめる。彼女が人形であるなんてにわかには信じられなかった。だが、そう言われてみれば彼女の容貌は人間離れしている。体毛の一切ない肌に、硬質な瞳。それに、よく見ると彼女は呼吸すらしていなかった。
信じがたいが、彼女が作りものであることは確からしい。
「…という事は、人形のように誰かに作られたという事ですか?」
「ええ。私たちはヒトによって作られました。正確にはヒトが大昔に作った機械によって、ですけど」
矢継ぎ早に繰り出される情報に混乱しつつも、取り敢えず俺は魔獣の死体を処理することにした。魔獣の死体は放置すると他の動物が魔獣に変貌する呪いを放つ。俺たち獣人類は平気だが、ただでさえ少なくなっている獲物を食べることのできない魔獣にされたらたまらない。
そんなわけで、深めの穴を掘ってそこに死体を埋めることにした。経験上これで呪いはきっちり防ぐことができる。いつもの通りの死体の処理方法だ。
「あの、私も何か手伝いを…」
とアセビさんが申し出てくれたが、謹んでお断りした。彼女の手は土を掘るのにあまり役立ちそうにない形である上に、あまり腕の力が強くなかったからだ。この山は土が固いので彼女の手では掘るのは難しいだろう。
「――やっぱり、私は役立たずですね…」
アセビさんは小さくそんなことを言っていた。たかが穴掘りくらいで大げさだと思う。とはいえ、落ち込んでいるらしい彼女を放置するのも忍びないので掘った穴に死体を埋める作業は手伝ってもらうことにした。「分かりました」と反応自体は素っ気なかったが、内心は少し喜んでいたようなのでそれで良かったんだと思う。
さて、死体の処理が終わった後、俺とアセビさんは近くの岩に腰かけて先ほどの話の続きをすることにした。たぶん込み入った話になるだろうし、本当は村に戻ってから腰を据えて聞くのが良いのかもしれない。ただ、いないはずのヒトを探していること、自身がヒトによって作られた人形であることを自称するアセビさんは相当に胡散臭い。ここにいない誰かを追い求めることには共感しないこともないが、流石にほいほいと村に入れるわけにはいかなかった。
そんなわけで、まずはもう少し彼女についての情報を聞き出してみることにしたのだ。
「そもそも、ここに来たのはどうしてなんですか?」
「え?はい、ヒトを探すためです」
うん言ってたね。
そうじゃないけど。
「……すみません、聞き方が悪かったですね。どうしてヒト探しの旅の目的地としてここに来ようと思ったんですか?」
「ああ、なるほど」
そう言ってアセビさんは暫くの間考え込む。というか、考え込むようなものなのだろうか。具体的な目的地に向かう理由なんてそうそう複雑なものにはならないと思うのだが。それとも、もしかして「ヒトを探す」という理由には他人には言えないものが含まれていたりするのだろうか。
そんな風に思考を巡らせていると、アセビさんの考えがまとまったらしい。うんうんと頷いた彼女は、「実はですね」と前置きしてゆっくりと語り始めた。
「道に迷ったからです」
そして一言で終わった。
何だそれ。
「…あの、道に迷ったというのは、目指すべき目的を見失ったとか、そういう比喩ですか?」
「比喩?…いえ、言葉通りです。道が分からなくなって、がむしゃらに歩いていたらここに着きました」
…何だそれ。
詳しく聞くと、アセビさんはもともとどこかの山にあるの古い『工場』で作られたらしい。工場というのは、なんでも色々なものを作るための道具――機械が置いてある場所だそうだ。そう言えば、村に来た行商の人が大きい街にはひとりでに色々なものを作る昔の道具が残っているとか言ってた気がする。それが工場なのだろう。
アセビさんがいた工場にヒトはいないが、ヒトが作った機械はまだ残っている。そして、彼女はいなくなったと言われているヒトを探すためにそこの機械によって作られたアンドロイドだという事だった。
「元々はヒトの役に立つ、お世話をするというのが私たち姉妹の存在意義なんです。尤も、生み出されてからこの方まだヒトに会ったことはないのですが」
「あ、ご姉妹がいるんですか?」
「ええ。厳密には姉妹といっていいのか分からないですが。私だけ型も違う出来損ないですし。でも、お姉様たちは凄いんですよ?掃除も料理も何だって出来るし、壊れた物を直すことだって出来るんです」
そう言って、彼女は初めて笑った。それはごく小さな笑みだったけど、確かに。
「なるほど、素敵なお姉さんたちなんですね」
「はい……でも、それに比べて、私は出来損ないです。掃除も料理も全然うまくできないし、色々なものを壊してばかり。私たちの役目はヒトの役に立つことなのに」
「えっと、何か特技とかは無いんですか?ヒトの役に立つように作られたなら、得意なことの一つくらいははありそうですが…」
「無いですよ、私は何もできません。だから、私は出来損ないなんです」
ざわり、と冷たい風が俺たちの間に吹く。アセビさんの口調は淡々としていて、出来損ないという自分の言葉を受け入れているようだった。だけど、それゆえにいっそう自分を貶す彼女のことが悲しく思えた。
「本当は、ヒトを探そうとしたのはお姉様たちの役に立てないかと思ったからなんです。私たちはヒトのお世話をするのが役目なのに、工場にヒトはいない。だったら、ヒトを探し出すことができればお姉様たちも自分の役目を全うできるのかなと思ったんです」
しかし、そんな俺の内心をよそに、彼女は淡々と説明を続ける。
「そうして一人で工場を出たのですが、それが失敗でした。お姉様たちと違って基幹ネットワークにつながっていない私は自分の現在位置を知ることができない。それに気付いたのは既に工場からだいぶ離れた後でした」
「…えっと、良く分からないですけど、地図とかは持っていないんですか?」
「いえ、地図は記録してあります。ただ、地図のどこが自分のいる位置なのかが分からないんです」
「ああ、そういう」
彼女の言葉はところどころ分からない部分もあったが、つまりは夢中で歩いているうちに道が分からなくなったという事だろう。確かに彼女が言っていた通り、典型的な迷子だ。
「…本当に、何をやってもダメなんです。私は」
アセビさんは自嘲というよりは事実確認のようにそんなことを言った。
ただ、彼女の言葉は俺にとっては当たり前ではなかったけど。
「何をやってもって、それは大げさじゃないですか?」
「…だって、本当に私は何もできないんです」
「でも、さっきは魔獣に死体を埋めるのを手伝ってくれたじゃないですか」
「それは…」
そこで、アセビさんの表情が驚いたようなものに変わる。というか、気付いていなかったのか。まあもしかしたら、自分が『出来損ないである』という気持ちに囚われて見落としていたのかもしれない。そも、人を助けるなんてそんな大げさな話ではないのだが。
「…私でも、誰かのお役に立てるんでしょうか?」
「立ってます。さっきは助かりました」
「私が、役に立った…」
まるで夢を見ているかのように呆然とするアセビさんの様子を見て、俺は決心した。元々は村に入れても問題ないかを確かめるために彼女のことを聞いた。でも、彼女は一度として嘘をつかなかったし、聞いた内容も村に害をなすようなものではなかった。それに、ここまで聞いたらそもそも放っておけない。
「…一緒に、村に来ませんか?色々やることもあって、いつも手が足りてませんから」
「村……そこに行けば、私はもっとお役に立てますか?」
「ええ、きっと」
そう言って、俺は彼女に手を差し伸べる。そう言えば、自己紹介もまだだったなと思い至って、俺は彼女に自らの名を名乗った。
「俺は、ミネヅキ村の猫人族、キヅタ。これからよろしく」
「…私はアセビです。よしなに」
そう言って、彼女は俺の手を取った。