「青春ブタ野郎」シリーズ短編集   作:牙無し

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生意気な態度。物怖じのない言動。垣間見える心の爪跡。




咲太がデートをする前に禊を済ませる話。
元天才子役女優“桜島麻衣”から見た梓川咲太


5880秒ぶんの価値

 異性の後輩を連れ立っての外出は誰かさんの遅刻から始まった。

 ロスは1時間と38分。予定した鎌倉観光は大幅な変更を余儀なくされ、麻衣と咲太は鎌倉高校前で下車をすることになった。

 今しがた自分たちの乗っていた江ノ電を右手に見送って踏切を渡ると、七里ヶ浜へと向かうための最後の足止めとなる国道134号線の信号を待つ。

 この信号がなかなか青にならないことは、この浜辺を頻繁に利用する者たちの間では有名なことだ。

 

 

 早歩きで先を行く麻衣を追いかける。

 浜風が運ぶ潮騒は、線路を滑る電車が駆け抜けていった後の静寂を際立だせる。

 麻衣は信号の前で、咲太へと向き直ると腕を組んで見せた。

 何かを待ち構えるような、何かを要求するような。

 どこか演技がかっていながら、不思議と堂に入っている。

 動作ひとつでこれだけ雄弁に表現ができるのだから、子役時代から活躍し続けている女優というのは伊達ではない。

 

 

「それで、何か言うべきことはある?」

 

 

 露骨に言葉を区切り強調するように、麻衣はハッキリと口を動かして咲太に問いかけた。

 唐突な問答は夜掛けの奇襲のようなものだ。追いついた途端投げつけられたその問いに、咲太は目を丸くする。

 なんだか女子特有の若干理不尽な脳内当てクイズみたいだなと思った。「私が何で怒ってるかわかる?」なんて、幻聴。

 お付き合いしているみたいでそれもいいな、と取りあえず前向きに解釈する。

 気持ちは前向きにしたが現実問題どうしたものか。

 お世辞にも良いとはいえない頭を絞る。そもそも前提として、眼前の先輩に限ってその手の“イマドキの女子高生らしい”ことをするような人かというのが疑問だった。

 理不尽な無茶も、手の込んだ意地悪な要求もするだろう。咲太を困らせて楽しみたがるところも短い付き合いのなかであったが、根本的には麻衣は筋が通らない言動が嫌いな気質だ。

 意図的に人を行き詰らせたり、正解にたどり着けない問題を出題することはしない気がする。

 むしろ相手に何とか解ける問題を出して、解けなければ「どうしてできないのか」と落胆するタイプだ。

 この問いかけも、今までの会話のどこかから繋がっていると考えるのがもっともらしい。

 

 一体、どれのことだろうか。

 情けない話、本日の咲太は失敗続きだ。

 待ち合わせには遅れるし、遅れた原因が女子であることもバレた。

 昔話の流れで初恋の女性についても話してしまった。

 これではお兄ちゃん大好きを自称する妹でもフォローできないレベルのダメダメっぷりだろう。

 ……いや、これぐらいなら何とかフォローしてくれるかもしれない。

 

 七里ヶ浜の海岸沿いをなぞるように、国道134号線を車が駆け抜けていく。

 足を止めて脇を抜ける軽乗用車の作った風が麻衣の黒髪を巻き上げる中、咲太はその一言を口にした。

 

「ごめんなさい」

「何について?」

 

 間髪もなければ、容赦もない追求だった。

 

「……鼻からポッキーを食べなかったこと?」

「さ く た?」

 

 確信して的に導き出した正解から最も離れた回答に、綺麗なタンキングで名前を呼ばれる。

 下手糞なはぐらかしへの警鐘。音に物理的な圧力を感じた。笑顔にすら圧迫感を感じる。

 怖い。けどやっぱりかわいい。

 

「駅で言ったでしょ? 『遅刻の言い訳をして、私に誠心誠意許しを請いなさい』って」

「……あぁ」

 

 理解に数秒、遅れて麻衣が言わんとしていることを理解する。

 確かにあのとき言い訳まではしたが、肝心の謝罪がなおざりになっていた。

 だとすれば、するべきことは明白だ。

 

 

「すみませんでした」

 

 

 キチンと直立から、45度を意識をしてお辞儀。改めて咲太は謝罪をした。

 麻衣の視線は電車を降りてから海岸に向いていた。

 信号を渡れば20段ほどの段差を降りて、七里ヶ浜の浜辺。

 おそらくちゃんとデートをする前に、このタイミングで今日の散々な体たらくの禊を済ませてしまえという、麻衣なりのサインだろう。

 ありがたい気づかい。この機会を逃すほど咲太はバカにはなれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄い茶色が揺れる頭頂部を見つめ、腕を組んだままの麻衣は思わず吐息をこぼした。

 

「ちゃんと謝れるなら、駅の第一声でやりなさいよ」

 

 やればできる子どもを諭すような口調になったのもやむおえない。

 

「麻衣さんが1時間半も待っていたことが嬉しくて」

「嬉しくて偽物呼ばわり?」

「あまりの嬉しさに思わず思ってることしか口から出ませんでした」

「その後は生足要求だったし」

「そっちについては今でも残念に思ってます」

 

 頭を上げるや大真面目な顔で言ってのける咲太に、麻衣は睨みを利かせる。

 しまった、と若干わざとらしさすら垣間見える反省の表情に、いよいよ麻衣は閉口する。

 雄弁な沈黙を目一杯に作って、眼前の生意気な後輩を見据えた。

 

 

 一見図太く、軽佻浮薄。尊大とも思える無遠慮な言動。

 けれどもそんな軽口を叩く口元に反して、目は冷静だ。物事の流れを見ている。

 年不相応のアンバランスな温度差。

 芸能界でも、ときどき見かける。

 カメラの前では派手なことも、過激なこともを言うけれど、その実「言って許されること」と「言っていいタイミング」をかぎ分ける観察眼と嗅覚が優れている人。

 お笑い芸人さんに多い傾向がある。だいたいそういう人はテレビの業界でも永く起用されていることが多い。

 

 つまるところ、梓川咲太は“空気を読む”のが人並以上に上手いのだ。

 間違っても状況把握ができなくて、致命的な一言を言うような迂闊な人間ではない。

 壊滅的な崩壊は器用に避けながら相手を揺さぶり、相手から自分を突き放して貰ったりなんて芸当ができるタイプ。

 それが先天的にそうなのか、後天的に磨かれたものなのかどうかはわからないけれど。

 

 

 けれど――。

 

 

 けれどそうわかっているからだろうか。

 過剰なまでの道化めいた言動は、彼の軟らかな素顔を覆い隠す外殻のようにも感じる。

 危うい脆さを感じるのは、今さっき彼の難儀な生い立ちを聞いたせいだろうか。

 敢えて放たれる神経を逆撫でる言葉に、少し覗き込む破れかぶれな心のやわ。

 捨て身、いや捨て鉢。

 自分から他人が離れていくことを、どこかであらかじめ念頭に置いた割り切りの意識。

 それは本当に丁寧に覆い隠されていて、皮膚感覚でようやくわかるような僅かな違和感。

 傷つきすぎて、擦り切れた感情の欠片。

 

 慣れていても何かが磨り減るものだと、七里ヶ浜駅の咲太の言葉を思い出す。

 身を二つに引き裂いてしまうかのような、彼を胸の三本傷を思い出す。

 

 138号線を跨ぐ信号が青になった。

 一向にお叱りを貰えない咲太は、訝し気な顔で麻衣を覗き込む。

 幸いにして、2人の横断を待つ車はまだなかった。

 

「……麻衣、さん?」

 

 気に入らない。それが麻衣の今の素直な気持ちだった。

 試されているのだ。その他大勢と同じように、桜島麻衣が試されている。

 そこが一番癪に障る。

 それは女優のプライドか、先輩としてのプライドか。

 勝手にお節介焼いて、危ない橋を渡って、人を焚きつけて、前に進ませようとしているのに。

 

「咲太」

「はい」

 

 

 

「そういう振る舞いで、私が咲太への態度を変えると思わないで」

 

 

 

 芸能界は時間に厳しい。ひとりのルーズな振る舞いが、出演者・スタッフ何十人の進行の遅れに繋がる。

 子役時代からそんな世界に身を置いていた麻衣には、そういう価値観が染み付いている。

 それでも1時間と38分。他の誰でもない、桜島麻衣が待っていた意味を彼は少しは自覚してもいいのではないか。

 

 予想外の方角からの言葉だったのか、咲太は茫然と麻衣を見つめる。

 その間抜け面に、少しだけ麻衣の溜飲が下がった。

 意図を量ろうとする咲太に補足も何も付け足さず、麻衣は七里ヶ浜へ向かい横断歩道を歩きだす。

 後ろから自分を呼ぶ焦った声に、小さな悪戯が成功したときのような浮足立った気分になった。

 説明なんてこの生意気な後輩にはいらないだろう。あれだけ言えば、上手に汲み取って答えにたどり着くことぐらいわけないはずだ。

 

 そもそも今日本来の目的は別にある。

 あまり会いたくない人と会わなければならない。

 やりたくないことだけど、やっておかなければ前に進めない。

 やるべきことをさっさと済ませて、その後は。

 この捻くれた後輩と過ごすのもきっと悪くないはずだ。

 

 

 

 

 横断歩道を渡り切る。夏を迎える前の七里ヶ浜の蒼が、麻衣を迎えていた。

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