「青春ブタ野郎」シリーズ短編集   作:牙無し

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適性距離は、席ひとつ分



空気を読むことに長けた朋絵は、
麻衣さんとは別の角度から咲太を深く理解してると思う


2巻「青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない」以降
私の先輩を紹介します


 

 

 

 

 あたしが「先輩」という形容だけで誰かを指し示すとき、それは梓川咲太先輩のことをいう。

 

 峰ヶ原高校2年1組、出席番号は1番。

 

 いつも半分くらいしか開いていない眠たげな瞳と、少し猫背で気だるげな歩き方が特徴。

 

 

 

 

 

 学校の先輩で、バイト先の先輩。

 

 今どきスマホも持っていない原始人みたいな人。

 

 尻を蹴り合った仲。

 

 繰り返す日々を、ともに過ごした人。

 

 かつての嘘の恋人。

 

 

 

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 

 

 

 先輩は学校で凄く浮いていた。

 中学時代に暴力事件を起こしたとかで、峰ヶ原には滑り込む様に二次募集で入学。

 それでも以前の噂は拭いきれなくて、孤立してしまったらしい。

 1年であるあたしからすると、そんな噂の又聞きの中の人だった。

 

 先輩の認識に大きな変化が起きたのは5月の中間試験。

 試験2時限目の最中に、学校のグラウンドのど真ん中で、先輩は声を高らかに告白した。お相手はあの元芸能人の桜島先輩。

 大胆、ありえない、常識外れ。

 いっそ何かの番組の企画だと言われた方が納得の、大告白劇だ。

 1年の間でも当人のいないところでは暫く話題になった。『イタい人』とかの嘲笑も多くあったけど、中には好意的な意見も少なくなかった。

 少なくとも、1学年の隔たり越しでは確証のない噂を上書きする程度の影響力があったと思う。

 それでも、今度はあの桜島先輩との関係もあって、やっぱり浮いてしまっていたが。

 ちなみに、このときあたしは先輩の名前もきちんと知らなかった。

 

 

 基本的に、廊下とかで見かける先輩はひとりで、5回に1回ぐらいの割合で国見先輩と一緒にいる感じ。

 正直あたしだったら肩をすぼめて消えてしまいたくなるような状況。なのに先輩はケロリとしていた。

 以前国見先輩にそのことについて話したら、「咲太は心臓が鉄できてるから」と笑っていた。

「じゃなきゃ、中間試験中にグラウンドで告白なんかしないだろ」なんて、納得。

 皮肉と信頼と愛好が混ざったような、口ぶりだった。国見先輩が先輩の話をするときは、なんだか少しいつもと違う。

 誰にでも優しくて、親しみやすい国見先輩が、このときばかりは少し無遠慮になる。

 決して悪しざまに人のことを言う人ではないから、国見先輩がこの手の冗談の的にする相手なんてあたしは先輩くらいしか知らない。

 男の子同士の気安い関係、っていうのだろう。女子のグループでは一手間違えると関係にヒビが入るかもしれないやり取りを、先輩と国見先輩は肩をぶつけ合い笑いながらしている。

 本音と冗談が、弁解の必要もなく通じ合っている。漫才じみたやり取りは阿吽の呼吸。そして結構な割合であたしは巻き込まれる。

 

 だいたいあたしが弄られるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 先輩は、あたしをよくからかう。

 あたしたちが初めて出会ったやり取りについて、「尻を蹴り合った仲」なんて懐かしむ。

 あたしの尻を『桃尻』なんてセクハラまがいのことを平気な顔で言う。

 胸のボリュームに関して言ってきたり、体重についてシレッと言及することもある。本当にデリカシーがない。

 先輩はあたしにいらないことを言って、あたしは反論する。言葉尻を捕えて上手に揚げ足を取る先輩に、さらにあたしはムキになる。

 

 

『相変わらずだね、梓川は』

 

 

 そう呆れていたのは、双葉先輩だ。

 先輩の数少ない友人。国見先輩とも仲がいいらしい。学校で白衣を常用しているとか。

 この人も、1年の間で変な噂が流れるぐらいには奇特な人だ。

 たびたびバイト先のファミレスにお客さんとして来てくれる。

 先輩も頼りにしてる人らしい。つまり、あたしと先輩の間でかつて起こったトラブルについて、知っている人だ。多分。

 そのせいか、オーダーを取るときに一言二言会話する程度の間柄になっていた。

 そうなると、共通の話題は先輩になるわけで。

 

 

『人一倍空気が読める癖に、敢えて読まないなんてことができるんだからほんとヤな奴だよ』

 

 

 下唇を突き出しながら、そんなことを言っていたのが印象に残ってる。

 そう。先輩はホントはその場の状況や、空気を読むことができる人だ。それもかなり正確にだ。

 それはたぶん、ある程度先輩を知っている人みんなの共通見解だろうと思う。

 

 あたしとのやり取りでも、あたしが本気で嫌がる一歩手前で、先輩はヒラリと身を引く。

 その距離感の取り方は、デリカシーが皆無な先輩らしくないほど丁寧だ。

 双葉先輩ともそんな調子らしく、きっと桜島先輩に対しても、先輩は変わらないのだろう。

 歯に衣を着せぬ物言いだから、みんな気づかない。そもそも先輩もその誤解を解く気もない。

 わかる人だけ、わかっていてくれればいいと思っているのだろうか。なんだか先輩らしい。

 

 

 からかったり、冗談言ったり、空っとぼけてみせたり、空気をぶち壊したり。

 何でもない顔で失礼なことをいう恐れ知らずな先輩は、その実、そんな対人関係について物凄く神経質なんじゃないかとあたしは思う。

 生まれつき人の表情を見るのが上手いとか、いわゆる「勘が良い」とかじゃないだろう。国見先輩のように、息をするように自然体で誰とでも調和を取れるような類とは少し違う。

 

 どこか確信的で、だけど先輩自身意識していないような。

 

 誰かに歩調を合わせるとか、その場のムードに乗じるという方向ではない。

 ただ目の前の人と自分。ふたりの間の間合いに対して慎重なところがある

 真剣なんだ。真面目に不真面目。何気なく放つ言葉で距離を測る。

 デリカシーのない物言いで、偽りない自分を相手がどう見るかを伺うような。

 一気に距離を詰めて、自分から身を引いたり、少し怒らせて相手から突き放させたり。

 そうやって、双方が無理のない関係を先輩はいつも作ろうとしている気がする。

 

 

 

 

 

 先輩は、周りの視線や空気を気にするあたしを度々馬鹿していた。

 誰にも嫌われることのないように、なんて無理な立ち回りをしているあたしを自分には理解できない考え方と言っていた。

 けれど、そうやって必死になって余裕のないあたし自身は、否定しなかった。

 否定しないことを、きちんと明言した。

 

 

『そのバカげたルールの中で、お前、必死に生きてるんだろ? ならバカにはしない』

 

 

 心底軽い調子でそんなことを言っていた。

 そのうえで「バカだとは思うけど」なんて台無しな自分の本音も付け加えるところが本当に先輩。

 

 けれど今になって思えば、先輩こそ大概面倒な立ち回りをしているのだ。

 一見大胆で、そのくせ物凄く繊細な人付き合いをしている。

 さらにそれは誰に褒められるやり方でもない。酷く手間ばかりかかる立ち回りだ。

 

 

 

 少し前まで「空気を読もうとする」ことを先輩は嫌っているように思っていた。

 けれどもしかしたら先輩は「みんなが空気を読むこと」より、それによって「誰もが同じ顔をしている」ことがたまらなく嫌なのかもしれない、と思うことがある。

 あたしたちは誰かが明言したわけでもない、暗黙のルールを誰もが逸脱しないように守り続けていることがある。

 法に触れるわけでも、倫理に悖る行為というわけでもないけれど、それを犯すと周囲から白い目でみられるような。

 誰もちゃんとした理由の説明できないルール。理由も、意義も見いだせないから、それを考えることすら避けるようになるようなルール。

 考えなければ、意識しなければ、タブーの対象そのものをないものと思えば、触れずに済むから。

 そうやって感覚を麻痺させて、みんなが似たような、賢しらで物わかりの良い素知らぬ顔をしてしまう。

 

 先輩が嫌なのは、そんな誰もが仮面じみた表情なのかもしれない。

 同じ顔、同じ表情、同じ空気。

 

 誰もが同じ面をかぶった教室を想像する。皆姿勢正しく座って、何も書かれていない黒板を注視している。

 端の席で先輩だけがつまらなそうに、窓の外の風景を見ていた。

 つまらない? ……いや、寂しい?

 くちばしを尖らせた横顔に、不意に思い起こしたのはそんな感情。

 

 

 そっか。“だからなのかもしれない”。

 だから身近な人を少し怒らせたり、ときに呆れさせたり。

 そうやって自分の大事な人たちの表情を引き出そうとしているのかもしれない。

 

 楽しくないから。寂しいから。

 確証はないけど、そんな気がしてきた。

 そんな気がしてくると、だんだんそうとしか思えなくなってくる。

 

 

 

 

 

「――が」

 

 

 

 

 だけどどうして、そんな風になったんだろう。

 何でもない顔をしている先輩を取り巻く環境は、傍目から見るだけで実は結構複雑だ。

 過去のいじめが原因でお家から出られないという、妹さん。

 先輩の告白の直後に、2年間の活動休止から芸能界復帰した桜島先輩。

 スマホを持たない先輩。

 お母さんが妹さんの件で参ってしまって、親元を離れ未成年2人で暮らしている。

 

 6月のあたしたちの間の出来事を、先輩は“思春期症候群”だと断言していた。

 あたしたちの年代特有の科学的説明が難しい不思議な出来事を、そんな風に呼ぶ都市伝説がある。

 先輩はまるで以前、体験したことがあるかのような口ぶりだった。

 

 

 たぶん先輩は思春期症候群に以前も何らかの形でかかわったことがあるのだろう。

 あの時の先輩の確信めいた口調の力強さは、今になればそうとしか思えない。

 思えばあの中間試験の告白劇。知れば知るほど普段の先輩らしくない行動だと思う。

 けれど同時に、凄く先輩らしい行動だとも思う。“ある7月7日”に七里ヶ浜駅で「僕は童貞だ」と叫んだ先輩を思い出す。

 先輩は大それたことをいつでも考えて実行する人じゃない。

 それでも先輩は必要だと思ったら、やれてしまう行動力のある人だ。

 

 

 

 もしかしたら過去の“思春期症候群”の何かが、先輩を今の「梓川咲太」先輩たらしめている重要な出来事だったのかもしれない。

 

 

 

 

「……い、こが」

 

 

 

 

 たぶんあたしが訊けば、先輩はもう少し踏み込んだ事情を教えてくれるだろう。

 先輩が凄く嫌な気持ちを押し殺すときにする無表情な顔を一瞬見せて、少し悩んで、それでもきっと教えてくれると思う。

 

 先輩は、自分が必要ない人と思った人とは本当に関わろうとしない。

 学校で大多数の人から腫物みたいに扱われても苦にせず、自分にとって大事な人とだけの付き合いを大事にしようとする。

 そうすることが先輩にとって自然体なのだ。

 冷たいとかではなく本当に、ただ無関心なだけなのだ。そこに好悪の感情もない。

 別に自分に無関係なその大多数が理不尽に不幸を願ったりはしない。

 本人に聞けば「なんでそんな面倒くさいことを?」と聞き返されるだろう。

 まぁ敵対する相手に容赦もなさそうだけど。

 

 そういう先輩の中で、あたしは少なくともそういうの立ち位置じゃないと、自惚れでもなく確信している。

 その程度にあたしたちが繰り返した6月は、乗り越えた7月18日は軽いものじゃなかったから。

 だからこそ、あたしは先輩のそういったことについては知ろうと思えなかった。

 

 

 だってそれはきっと、“あたし”の距離から少し逸脱した領域なのだ。

 

 

 あたしは先輩の後輩で遠慮のいらない友達だから、先輩が抱えているそういうモノを担う役割とは違うのだ。

 こんなことを考えていれば、先輩は「また面倒なことを考えてる」と笑うだろう。

 けれどそんな先輩にとってのあたしが、桜島先輩や双葉先輩とは違った形で先輩の中で唯一無二の存在になれると思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――だって先輩はあたしを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「古賀、呼ばれたら返事しろって」

「おぉういぃ! せんぱい!?」

 

 不意に後頭部に軽い衝撃が降って来て振り返ると、今まで思考の中を独占していた梓川先輩本人が立っていた。

 右手は五本指が骨からピシリと伸びきっていて、あたしを襲ったのはその手刀なのだとわかる。

 

「バイト中ボーっとしてるなって。あと30分もしたら波来るぞ」

 

 レジ横の掛け時計を目にすると、確かにもう少ししたらピークタイムに差し掛かるところだった。

 月末でもない平日とはいえ、夕食時になればそれなりにお客さんで賑わう。

 持て余していた時間を潰すように、必要以上に磨いていた銀食器を仕舞い、先を行く先輩を追いかける。

 

 バイト中の先輩は、実は結構優秀だ。

 国見先輩みたいに、誰とでも積極的にコミュニケーションと取って仕事を円滑にするタイプじゃないけど。

 実は目に見えないところで、先輩が気の利いた仕事をしていたということが少なくない。

 溜まった使用済みデザート食器や調理器具の洗浄・片付けとか、いつの間にか終わらせていたり。

 先輩がシフトに入っている日といない日で、ホールの裏方の仕事の負担量が目に見えて違ったりする。

 水場仕事に慣れてるらしい。本当に妹さんと二人暮らしなのだと思い知らされる瞬間。

 ときどきあたしや国見先輩に任せてひとりで楽してるようなときもあるけど。

 曲がりなりにも接客業なせいか、先輩自身もきちんと伸びた背筋でお仕事をしている。

 いつもこの調子なら、もっと周りの目も違うと思うんだけど。

 

「なんだよ。いつも以上にボサッとしてたけど、考えてるのは今日のまかないか?」

「先輩、いつもあたしが食べ物のことばっか考えてるとか思ってない?」

「また変に周りに気を遣って悶々としてるよりかは、そっちの方が健康的とは思ってる」

「なにそれ? なーんか回りくどい言い方っ」

「どーせまたクラスの別の女子グループと微妙な関係になりそうで気ぃ揉んでるだろ」

「……先輩、どこから聞いたの」

「お前国見にボロっと漏らしたろ。アイツなんであんな気廻るんだ?」

「その気廻しを、先輩は本人に向かって聞いて台無しにするんだ」

「国見もその辺は諦めてるって」

「先輩はもっと気遣いとかの努力しなって」

 

 

 具体的には“わかりやすい”気遣いの努力だ。

 先輩本当に面倒くさい。

 

 

 

「それに、もうそんな前みたいなことにはなってないよ」

 

 

 

 そんな自分の言葉が、不思議なぐらいハッキリと自分の中を通りぬけた。

 以前のあたしなら、決して言えなかったであろう言葉を。

 顎を引き上げて、きちんと先輩の顔を見て、あたしは言った。

 

 

 それは6月の日々に先輩があたしにくれたモノ。

 目には見えない、勇気とか覚悟とか自信とか、優しさとか、愛情とか。

 多分どれも声に出せば恥ずかしい色々なもの。

 先輩はそんな大事なものを、まるで当たり前のようにあたしに渡してきた。

 ぶっきらぼうに、無作法に、不躾に、それでいてあたたかいいくつものモノ。

 それがいまのあたしをきちんと二本の足で立たせている。顔を上げさせている。

 

 

「……古賀も大人になったなぁ」

「なにそれ。ばりむかー」

 

 

 明らかに小ばかにしたような言い方で歩調を早める。

 それは先輩なりの照れ隠しなのだと、今のあたしならわかった。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 

 

 

 あたしが「先輩」という形容だけで誰かを指し示すとき、それは梓川咲太先輩のことをいう。

 

 

 

 

 学校の先輩で、バイト先の先輩。

 

 今どきスマホも持っていない原始人みたいな人。

 

 尻を蹴り合った仲。

 

 繰り返す日々を、ともに過ごした人。

 

 かつての嘘の恋人。

 

 初恋の人。

 

 初失恋の人。

 

 あたしすら見捨てようとしたあたしの想いをきちんと受け止めてくれた人。

 

 仲良くなんでも話せる友達。

 

 ちょっと甘えられる年上の友達。

 

 あたしの歳の違う親友。

 

 

 

 

 

 

 あたしを、以前より少しだけ大人にしてくれた人。

 

 

 


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