泣いたオーバーロード   作:cock-a-doodle-doo

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はじめてのてがみ

 たっぷりとあった二度寝の時間、それを全てを返信を考える時間に費やした悟はしかし、一文字も書けないまま仕事に向かった。

 

 それも当然と言えば当然で、昨日、悟は醜態を晒したのである。そのような、小中高大と登ってきたとしてもそうそうしないであろう高等な経験を、小卒社会人の悟が過去に持ち合わせているということは無論ない。

 その初体験の衝撃はあたりまえに大きく、知人ではなく、赤の他人に見られたとしても開き直るにも相応に気力を要するだろう。

 

 そんな羞恥に近い感情が心中で暴れまわる中、自分の醜態を目撃した過去の──悟にとっては今もなお──仲間だと認識している相手に返信できる勇気を、持ち合わせているはずもなかった。

 かといって、ゲームという唯一の接点が無くなったからといって返信も関係も放棄するような不義理を働けるほど軽い関係だとは思っていなかったし、思いたくもなかった。

 また、なにも言わず去って見なかったことにもできたのに、そうしなかったぶくぶく茶釜の心配を、なかったことにはできなかった。

 

 そんな状態で職場に居ても本来ならば邪魔で仕方ないだろう。

 事実、なんとか職場には辿り着いたものの、心ここにあらずといった風の悟だった。しかし、二十二世紀の卓越した労働配分AIによって、ギリギリこの程度ならこなせる仕事を割り当てられる内、少しずつ思考が仕事の方に傾かされていった。

 

 ところで、小卒の悟の立場は、実の所、良い方に入っている。

 小学校()()卒業していないと言えば聞こえは悪いが、そもこの御時世では履歴書の中に『学』が付く一行が挿入されていることが珍しいのである。

 だからこそ、ヘロヘロのように使い潰されるような会社には所属してない。ド平日にゲームがやりたいから、という理由で有給申請をしても通る、アーコロジー外で言えば相応に恵まれた会社に就職することが出来たからだ。

 

 だが、そんな環境にあっても、今日の悟のおかしな様子に気付くものはいない。気付かないのだから当然、邪魔に感じることもない。

 同僚はいつものように、椅子に座っては画面に釘付けで、人に呼ばれてはバタバタと走っていく。上司はいつものように、満足そうに椅子に腰かけては、時に書類を処理し、時に部下を怒鳴り付け、時に真面目腐って電話で話している。皆、自らの行いに夢中で、周りを気にかけているように見える人間でさえも、なにも見ていない。

 悟もそれを気に掛けることはないし、そも、おかしな様子に気付かれる可能性など毛程も感じていない、脳にチラとすら浮かばない。

 

 そんな無関心は、意識することも、されることもなく、泰然とこの世界に横たわっている。本質的に、ここの人間は一人で完結していた。

 

 

 悟は空を見たことがない。

 別にこれは悟だけが特別なのではなく、今生きている人類の過半は見たことがない。太陽を覆い隠すほどの煙が、常にこの地球に立ち込めているからだ。

 それでも人類が未だ生存できているのは、皮肉にも自然を屈伏させる程に科学技術が発達し、この惑星を温めるも冷やすも自在で、光さえも自らで賄えているからだ。

 

 故に悟は月も星も太陽も直接目にしたことはないが昼と夜は知っているし、仕事の時間もあって普段から意識をして生活をしている。

 の、ではあるが、今日の悟は昼に帰ったのか夜に帰ったのかすら記憶していない。寝不足の眠気を忘れるほどに脳内に据え置かれた問題を解決しようと奮闘しながらの帰宅だったからだ。

 

 部屋に帰ってからも問題は頭に残り続けた。解決するあてもないのに、返信しなくてはいけない焦燥感だけが悟に満ちていく。

 入力画面を開いて、消して、思い付いた事を書き出して、消して、電源を着けて、消して。もはや自分でもなにがしたいのかわからない反復行動を繰り返して死にたくなる。

 

「なんて、書けばいいんだ?」

 

 お久しぶりです? ──返信に? そもそも相手はこちらの誘いに応じてくれたからこそこのやり取りが成立しているのだから不適当じゃないか。

 ありがとうございます? ──むしろこれはこちらから距離をとろうとしている挨拶じゃないだろうか

 すみません? ──心配してくれた相手に送るには卑屈すぎて余計こちらの精神状態が疑われそうだ

 

 文章の書き出しすら満足にできないことに、なにより恐らく相手を、仲間を、ぶくぶく茶釜さんを待たせているのではないか、という事実が悟を押し潰さんばかりにのしかかる。

 それを解消できない自分に腹が立った。申し訳なかった。

 

 頭をかきむしり、しめられたようにしぼられた喉から微かに声をもらす。喉が渇いたわけでもないのに、口の中はカラカラだった。

 そこでふと、ぶくぶく茶釜さんからのメールの文面を細部まで覚えていない事に、思い至った。

 悟は少し冷静になって、椅子に腰掛け、おもむろにメールを開いて、目を通して、内容を頭に染み込ませていく。その内容を呑み込めば呑み込むほどに悟の頭は落ち着きを取り戻していく。

 

(ああ……そうだよな)

 

 悟には、この文面からは、純粋な心配しか読み取ることが出来なかった。

 きっと彼女は時間を割いて思い出を懐かしみに来たんだろうに、それに水を差されて。しかしそれを見て無視するでもなく文を考えて送ってきて。

 そしてその中からは心配しか汲み取れない。

 

 ならば、ならば、悟はきっと、なんと返してもいいのだ。

 悟はきっと、仲間を信頼していいのだ。

 仲間を気遣うのではなく気遣われる側に今、立っているのだ。

 

 そう思える文章だった。悟はそう思いたかった。

 

 真偽はわからない。もしかすると大きな勘違いで、多大な迷惑で、この気持ちを抱いているこの状況は、仲間を失う瀬戸際なのかもしれない。

 だが悟は、今は信じたかった、自分の都合の良い仲間の存在を、言葉を、状況を。

 

 でも悟は踏み出した経験がなくて、意気地無しで。

 だから少しだけ実を出した。腹を割って話せる度胸がなかったから少しだけ、腹の内を匂わせた。

 そんな文章を送ることを躊躇って、でも諦めきれなかった。文章が、ぶくぶく茶釜の元に向かっている。

 

 ──ぶくぶく茶釜さん、ちょっとだけ、甘えても良いんですよね?

 

 悟の心臓はいつもより速く動いていた。

 

 




久しぶりにハーメルンのページを開いて、感想を見て、小説を書きたくなった。
感想が励みになるって言ってる作者の気持ちが今ならわかる。
奮起するような激しい感情じゃないけど書こうかなって思えるのは心地がよかった。ありがとう。
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