コードギアス 血刃のエルフォード   作:STASIS

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序章
第一幕 Assassin Hunt


 神聖ブリタニア帝国。

 20世紀初頭、世界各地において大規模な領土拡張戦争を引き起こした統一国家であり、ロシアを含むヨーロッパ圏及びアフリカ圏を支配下とするEU、アジア圏を広く支配する中華連邦に並ぶ、現代の三大勢力の一つである。

 唯一皇帝を頂点とする君主制を布き、広大にして肥沃な国土が生み出した強大な軍事力を武器に列強を圧服。一時は世界地図の過半をその版図に収めた史上最大規模の帝国。

 

 一見して強固なる大樹にも見える帝国。しかし、それは決して一枚岩の勢力とは言えない。

 そもそもがユーロピアから逃れた人間達の寄せ集め、新大陸の一国家に過ぎなかったブリタニア。現代とは逆にEUや中華連邦等、他国からの侵略に怯える側であった筈のブリタニアが現在のような覇権国家となり得たのは、当代の皇帝……神聖ブリタニア帝国第98代皇帝 シャルル・ジ・ブリタニアが即位してからの事だった。彼は国内においては内政改革を断行し、閉塞気味の経済を好転、横行していた汚職や腐敗を一掃し、また国外に関しても相次ぐ戦争に勝利し続け、世界の三分の一を支配する大帝国へとブリタニアを育て上げたのだ。

 

 その皇帝シャルルだが、彼は基本的な思想として絶対的な実力主義、強烈なまでの能力主義を掲げている。

国家としてのブリタニアは本国出身者を優遇し、属領出身者や他国人を差別する、謂わば純血主義的なところがあるが、皇帝の思想とは若干のずれがある。例え同国人であろうと、大貴族であろうと、それどころか皇族であろうが、皇帝に無能と断じられれば、その時点でその一族の破滅は決定的となる。

 皇帝は力ある者を愛し、力無き者を侮蔑する、という言葉がある。実際その通りで、皇帝は血筋ではなく実力を重視する人間であり、それに取り入ろうと言うのであれば、まずは自身の力を示して見せねばならない。

 

 非凡なる才を持つのなら良い。そういう者を皇帝は躊躇いなく登用する。しかし、世界は決して天才のみで構成されている訳ではない。大多数の凡人にとって、現実的な出世の手段は才を磨く事では無く、敵を消す事なのだ。

 

 

 

 

 

皇暦2017年初頭

神聖ブリタニア帝国首都 ペンドラゴン

 

 日が沈む頃、首都ペンドラゴンの一角にあるノルト歌劇場には、今日もまた盛大な人集りが出来ていた。ここは昨年落成したばかりの劇場だが、既に複数の著名な劇団が何度か公演を行っており、早くもこのペンドラゴンに住まう文化人達にとって馴染みの場所となりつつある。ファサードには雪がうっすらと積もり、その古き良き景観にまたある種の趣を与えている。

 この日の夜の演目はモンテ・クリスト伯……所謂巌窟王。ユーロピア産の作品にして最も有名な復讐物語の一つであり、古今多くの人々から愛された傑作小説を原作とした作品である。

 時代がかった衣装で着飾って、チケットを手に列をなす客の中に、一人の若者が居た。マスクを着けていて、目元しか露出させていない。仕立ての良いコートの左肩にペリースのようにマントを羽織り、鳥の羽根をあしらった伝統的な三角帽子(トリコーン)を目深に被った若者。

 良く言えば古き良き時代の流れを汲んだ、悪く言えば少々年寄り臭い格好のその若者は、集団を作って談笑する他の客から離れて、ただ一人劇場の中へと足を踏み入れる。無言で招待券を差し出し、入り口でコートを預かるか、と聞かれても手で払って断る態度こそは生意気そのものに思えるだろうが、纏った雰囲気はとても若年の持つそれでは無かった。

 

 ホールの階段を登りながら三角帽子(トリコーン)を外して、彼はその青ざめた銀髪を露わにする。三角帽子(トリコーン)を脱いで内張を隠すようにして手に持つと、彼は他の客に紛れて最も大きな劇場へ入る。冷ややかなアイスブルーの眼で周囲を見渡し、目当ての席を探す。程無くして彼は客席脇の階段を登って、三階のバルコニーに設置されたボックス席の一つに辿り着いた。開演時間も近く、下では多くの席が埋まっていたが、四つの椅子が置かれたそのボックス席には、紫色の髪をハーフアップにした、学生と思しき年格好の少女一人しか座っていなかった。彼はその一人の横に座る。

 

「見つけましたよ。エリナ様」

 

「ぁ……やっぱり、貴方には見抜かれてしまいましたか」

 

 彼が口元のマスクを下ろし、その端正な素顔を露わにすると、彼より少し歳下の、エリナと呼ばれた少女はまるで厳格な親に失態が露見した時の子供のような、どこか怯えたような表情を浮かべた。

 

 エリナ・エス・ブリタニア。神聖ブリタニア帝国第6皇女、第19位の皇位継承権の保持者である。

 弱冠16歳に過ぎない彼女は、今現在特に役職らしい役職に就いているわけでもなく、勉学中の学生でしかない。ただ、ブリタニア皇族というのは元々単なる象徴ではなく、軍事や政治の表舞台に立つような存在である。帝国宰相を務める第2皇子シュナイゼル・エル・ブリタニアや、ブリタニア軍主力人型機動兵器KMF(ナイトメアフレーム)を駆り前線に立つ第2皇女コーネリア・リ・ブリタニアなどが良い例だ。

 そう遠くない内に、彼女も他の皇子、皇女らに混じり、軍事、政治の世界に足を踏み入れることとなるだろう。

 

 しかし、そういう重要な立場にある人物にしては、彼女の周囲には護衛の一人も付いていない。変装したSPが控えているとか、建物内各所に守衛を置いているとかでもなく、本当に彼女一人だけ。精々このボックス席に繋がる通路に、私服姿の士官候補生二人を置いている程度だった。

 

 ブリタニアの皇族は馬鹿馬鹿しい程に数が多い。しかも皇位継承に関しては長子が絶対、というわけでも無いと来ている。となれば継承権争いは必然的に大規模で激しく、そして何処までも陰惨なものとなる。各皇子皇女には大規模な資産家が後ろ盾として付いていて、互いに相手を陥れようと虎視眈々の有様だ。

 絶対実力主義を掲げる皇帝シャルルがもう少しその辺りに関心を持ち、無能な者を積極的に排斥しに掛かっているのならまだ話は楽だった。が、皇帝は精々不手際を犯した者に罰を与える程度の関与しかしていない。

 

 ならば。

 

 例え父親が現代の巨人 シャルル・ジ・ブリタニアであろうが、子がその才を受け継ぐとも限らない。能力で相手を上回れないなら、その相手を貶めるしか自分がのし上がる手はない。かくして、ブリタニア皇族間においては今日も今日とて悪辣な陰謀劇が繰り広げられているのである。その現実を鑑みれば、彼女の警備状況は穴だらけも良いところ、はっきりと言えば自殺行為以外の何物でも無かった。

 

「あの、レオ、私は……」

 

 レオと呼ばれた青年が、厳しい表情で彼女に顔を向ける。彼女がそれ以上何も言えずにいると、レオは小さく溜息を吐く。

 

「……本日の観劇に関しましては、以前より予定されていた事です。公務としてではなく、私的に、あまり物々しくせずに、という殿下のご要望に従い、警護は最低限に留めておく、という事も警護隊は承知しておりました」

 

 静かに、レオは言った。絶えず聞こえていたはずの下の喧騒も、もうエリナの耳には届かない。この空間と周囲と明確に区切るような、まるで空間そのものが凍り付いたかのような雰囲気が二人を包む。

 

「ですが、予定されていた時間を外し、更には予定されていた護衛を外し、二名の士官候補生のみに護衛を任せる、とは、警護隊は仰せつかっておりません。率直に申し上げて、今回の殿下の行動は、警護隊に無用な混乱を招く行為であります」

 

「も……申し訳、ありません。わ、私……」

 

「更に申し上げれば、殿下の所在が判明するのがあと少し遅れていたならば、軍の皇室警護部隊が緊急出動。ペンドラゴン全域に厳戒態勢が敷かれるところでもありました」

 

 もはや蒼白を通り越したような表情を彼女が浮かべるのを見て、レオは言葉を止めた。席を立ち、彼女の前に動く。エリナは叱責を恐れる子供そのものの所作で、半ば反射的に顔を逸らした。

 

「あんな事があって、警護隊が信用出来ないのは分かります。しかし、この度の行為はあまりにも危険な行為です。組織の無用な混乱などこの際どうでも良い。それ以上に殿下のお命に関わります。今回は何事もありませんでしたが一歩間違えれば君……失礼。殿下が……」

 

「わかって……い……います……」

 

 エリナの表情の変化を見て、流石にレオもそこで言葉を止めた。

 決して低くはない皇位継承権を持つ皇族が、自らの身を守る警護隊を自身から遠ざける。自殺志願的なこの行動を彼女が取るに至ったのは、数日前のとある、致命的な出来事が原因であった。

 

 その出来事を、レオは防ぐことが出来なかった。

 炎上する宮殿に辿り着いた時点で、既に守るべき者は炎に包まれていた。

 警護隊の一部の部隊による、皇族暗殺。恐らくは他の皇族の手の者であろう暗殺者達が警護隊に成り代わり、護衛をすり抜けてエメラルダ宮に火を放ち、エリナの母君にあたる皇妃 アンリエッタ・エス・ブリタニアを、そしてその長子にしてエリナの兄、第8皇子ガロア・エス・ブリタニアを暗殺したのである。

 生存者はエリナただ一人。それも、レオが到着直後燃え盛る宮殿にKMFで突入し、すんでのところで救い出した結果である。

 深夜に起こった火災。炎の中での暗殺は実に手際良く行われたようで、レオが突入した時には既に実行犯はエリナの目の前に立ち、彼女をも手にかけようとしていた。発見された遺体にも外傷の類は無く、救出されたエリナの目撃証言が無ければ事故として処理されていただろう。

 あえて言おう。これは警護隊の……いいや、レオを含め、彼女を護る立場にある人間全員の失態である。

 頼るべき家族を失い、自らを守ってくれるはずの者さえも信用出来ない。エリナを孤立無援に追い込んだ自分達の責は重い。

 

「……なあ、エリナ」

 

 レオにとって、彼女は絶対に失えない存在。例え自分の所属が警護隊ではなくシュナイゼル麾下であろうが。専任騎士に拝命される予定の一人の騎士に過ぎなかろうが。責務だとか任務だとかは関係ない、これは彼の信条だ。

 だから、レオはすっと立ち上がり、彼女の前に跪いた。目線を合わせ、あえて彼女の名を口にした。皇族に対する言葉遣いではない、妹でも諭すかのような優しい口調で。

 

「約束しただろう。俺は、俺だけは、絶対に君を裏切らない。何があっても、俺は君の味方だって」

 

 それは、ほんの数年前。エリナも、そしてレオもまだ学生だった頃。何とも些細な事で知り合った彼女に対して、レオが語った言葉。

 

「だからお願いだ。君にも、俺の事を信じて欲しい。この命ある限り、俺が君を護る。だから……」

 

 そっと彼女の肩に手を置き、レオは言葉を紡ぐ。静かに、しかし決して周囲の喧騒に紛れぬ力強さで。

 エリナが頷くと、レオはそっと彼女の頰に触れ、目尻の涙を払ってやる。

 

「だから、怖がらなくても良いんだ。エリナ。君は一人じゃない」

 

 それで、エリナは遂に泣き崩れた。レオの胸に顔を埋め、啜り哭く彼女の細い肩を、レオは優しくさする。気丈にも声を上げる事も無い彼女だが、それでも時折、抑えきれない感情が漏れ出ていた。それを敏感に感じ取ると、レオは顔を上げ、彼女の肩越しにボックス席の入り口を見遣る。何という手際の遅さだろうか。今頃になって、守衛が……士官候補生達が中の様子を覗き始めていた。

 

 ある程度彼女が落ち着くと、レオはそっと彼女を離した。下では既に公演が始まっている。レオは彼女の後ろへと回ると、入り口の士官候補生に鋭い視線を飛ばして、彼女の背後に控えた。

 既に警護隊が……“信用の置ける”警護隊が建物内で配置についている。そして今からは、レオ自身も彼女の傍に付いている。もう誰も、彼女の傍には近付かせない。確固たる意志とともに、レオは周囲をぎろり、と見回し、そしてある一点、彼の右手にあるボックス壁面の彫刻をずっと睨み続けた。

彫刻には、不自然に削れたような箇所があった。

 

 

 

 

 

 レオ・エルフォード。

 本名を正しく表記すると、レオハルト・フォン・エルフォード。

 ブリタニア帝国内最大規模を誇る軍事工廠 ロンゴミニアドファクトリーを擁するユーロ系(血筋的な区分。勢力的にはブリタニア本国に着く一族である)大貴族 エルフォード家の御曹司にして、神聖ブリタニア帝国立ウェストポイント士官学校首席卒業者。卒業後は第二皇子シュナイゼルに仕え、血筋もあるだろうが弱冠19歳にして中尉となり、最先端の技術を扱う嚮導技術部における新型KMFのテストパイロットを務める期待のエリート。

 彼に関する情報をざっと搔き集めると、こうなる。別にこれら全てが誤りであるだとか、偽りである、というわけではないが、レオ・エルフォードという人物を以上の言葉だけで定義する事は不可能だ。

 

 最初に言ってしまえば、エルフォード家の御曹司、というところが怪しい。レオはエルフォード家当主ローガン・フォン・エルフォードの実子ではなく、他のエルフォード家の子供達同様、子供の出来なかったローガン夫妻が何処からか引き取って来た養子である。

 エルフォード家に引き取られるより以前の記憶は、だだ一人の妹フィオレを抱えて、大雨の街の中()()から逃げ惑う幼い自分の記憶だけだ。それ以外は大して覚えていない。ただ、妹を、フィオレを何があっても守り抜く、という強い意志で生きていたことだけは覚えている。思えば、エルフォード家に引き取られたのも、どちらかといえばフィオレを守るためにレオの方から取り入った、と言った方が正しいだろう。

 

 フィオレは、黄金色の髪が良く似合う少女だった。同年代に良く居る快活だとか、天真爛漫とか、そう言ったタイプの娘では無かった。寧ろどちらかといえば気弱……というかそもそもが病弱な、大人しめな娘だった。それでも歳不相応に聡明で、良く気の付く娘だった。

 光り輝いていた、レオにとっては、そう表現しても良い存在だった。

 

 大切な人、だった。

 

 彼女は、もう居ない。

 

 エルフォードの家に拾われてから、どれぐらい経った頃だっただろう。最後に見かけた彼女の姿は、もう、人の姿をしていなかった。

 エルフォード家の領地の外れも外れ、散々探し回った果て、泥だらけになった末に彼女はそこで見つかった。

 最初に見つかったのは、彼女の服だった。上着や靴等。領内に広がる森の奥深く、悠久の時を経て森に飲み込まれたのであろう集落の跡地。飲みかけの酒に、まだ暖かい暖炉。外観とは裏腹に、明らかに数時間前まで誰かがそこに居た証拠をありありと残す小屋の残骸の中。

 彼女の遺留品があったのは、その地下にある小部屋。

 ──汚物、としか表現できない臭いの漂う部屋だった。たまらず集落を飛び出して、無我夢中に森を駆け抜けた。

 そうしてやっとたどり着いた森の出口。季節外れの大雨に晒された、赤黒い土の露出した大地に、彼女の名残は転がっていた。

 初めに見つけたのは、腕。それが一番大きな名残だった。見覚えのある布切れ……おそらくは衣服の残骸を纏わりつかせたそれに、赤黒く汚れた銀の腕輪が……レオが贈った筈のアクセサリーの残骸がくっ付いていた。

 

 ……誰に殺されたのか、それは、今尚はっきりとはしていない。葬儀の場で、養父ローガンは申し訳無さそうに言ったものだった。

「我らを貶めようとする何者かによる犯行、としか言いようが無い」と。

 結局、自分は彼女を守る事が出来なかった。絶対に護ると誓ったのに。

 決して、喪ってはならない存在だったのに──。

 あの時の、何かが喉奥からこみ上げる感覚は、今でも忘れられない。

 悲しみ。恨み、憤り……言葉で言い尽くせぬ激情。ちっぽけな身体を突き破らんばかりの巨大な怒り。あの日、自分はそうして獣のように吠え、嘆き叫ぶ事しか出来ない子供だった。

 

 だが、今は違う。あれから三年。今の自分は、あの無力な子供ではない。

 今の彼には力がある。士官学校で並み居る名家の子息達を返り討ちにする力、ブリタニア帝国制式主力兵器にして現代戦最強の兵器 ナイトメアフレームを手足のように操る力。目の前に座す、妹のような少女を護り抜く力。

 そして、隠れ潜む敵を見つけ出す力。

 

 冷徹な表情の底に炎の如き黒の感情を抱き続ける男。

 今度こそ、大切な人を護り抜くと誓った男。

 

 レオ・エルフォードとは、そういう騎士だ。

 

 

 

 

 

 公演が終わると、エリナは警護隊と共に立ち去った。一人ボックス席に残ったレオは、眼下の客席から人の姿が消えるのを確かめると、公演中ずっと睨み続けていた壁に、そして彫刻に手を触れた。

 注意深く観察したとしてもデザインの一部に過ぎない、と見落としてしまいそうな僅かな隙間を指でなぞる。レリーフや絵画に巧妙に隠されてはいても、決して隠しきれない、床面から天井方向へと垂直に伸びる一本の線があった。件の彫刻を強く押すと、何か仕掛けが動く音の後、軋むような音を立てて壁が凹んだ。

 

「……ご苦労だ、エルフォード」

 

 背後から声を掛けられても、レオは大して反応を示さなかった。もうその声の主には見当が付いているし、その人物がボックス席に近付いていたことも、十数秒前から既に承知済みだ。

 入り口から顔を出したのは彼の予想した通り、警護部隊の隊長った。

 

「公演中、ずっとここに一人居たようだ。エリナが下がる頃には諦めて引っ込んだようだったが」

 

 壁の隠し扉を押し開けながらレオは言った。ボックス席に入って来た警護隊長はレオの肩越しに隠し扉の奥を覗き見る。

 扉の向こうに、足下へ向けて暗く伸びる通路があった。ここからでは、どこに繋がっているのかまでは確認出来ない。レオは懐から銀貨1枚を取り出して、穴の上で放した。数秒と立たぬうちに数回ほど甲高い金属音が響く。

 

「この大規模な仕掛け、そして劇場の持ち主……まあ、予想はつくがな」

 

 そう呟きながら、警護隊長はレオの背中越しに通路内を覗き込んだ。

 

「……視えるか?」

 

「ああ、勿論」

 

 再びマスクを着け、レオは注意深く隠し通路の中を覗き込んだ。足下にはぽっかりと穴が空いているが、梯子の類は見当たらない。両手で体を支えるか、或いは飛び降りるしかない。

 

「殿下は既に劇場を出られた。そちらの心配は要らないが、問題は此方だ。急がなければ……」

 

「分かっている。エリナの命を狙ったんだ。ならば容赦する必要も無い……それよりお前だ。お前には、ひとつだけ言わせて貰いたい」

 

「なんだ?」

 

 途端、レオは振り返って警護隊長の喉元に左手を押し付けた。警備隊長の表情が強張る。その手首からは、鋭い煌めきを放つ短剣が鋒をのぞかせていた。

 

「今度こそ、裏切り者は無しだぞ。仮にまたエリナに危害が及ぶような事態になってみろ。その時は私がこの手で刎ねてやるからな。その首を」

 

 味方に、というよりも敵を睨むかのような眼で、一オクターブほど低い声でレオはそう告げた。

 

「……分かったか?」

 

 警護隊長が頷くと、レオは短剣を戻して彼に背を向ける。彼がマントをふわり、とはためかせて穴の中へと消えるのを見送ると、警護隊長は短剣で付けられた微かな赤い筋に触れながら隠し扉を戻し、足早にボックス席から立ち去った。

 

 

 

 

 

 コインの立てた音からして、地下にまで伸びるほどの穴ではない、と判断した。そうして飛び降りた先は暗く狭い通路となっており、彼の前後方向へと伸びていた。位置関係から察するに、ホールを囲むように伸びているに違いない。床の所々に開けられた小さな穴から光が伸びている。試しにそのうち一つを覗き込んでみると、出口方面へと動く人の群れが見えた。恐らくこの通路は二階席の裏にあるのだ。

 ボックス席でエリナに危険性云々と説いたが、実際、レオが踏み込んだ段階でこの隠し通路に敵の暗殺者が一人潜んでいたのだ。レオの存在を見て行動を控えた辺り、割と弁えた部類の人間だと分かる。だとすれば、あまり時間は掛けられない。すぐにでも逃げの手を打って来るはずだ。

 だが、通路の中は暗い。微かに光が入って来てはいるものの、自分の足下すら満足に確認出来ない有様だ。おまけに前後に伸びる通路のどちらへ暗殺者が逃げたのかすら解らない。普通なら、かなり分の悪い追跡劇と言える。

 

 ──普通なら。

 

 レオは闇の中で両の眼を閉じる。精神を集中させて再び瞼が開かれた時、左の目だけが異変を起こしていた。彼のアイスブルーの瞳はそこに無く、代わりに深紅色に妖しく煌る眼と、そこに微かに浮かぶ奇妙な模様があった。

 澄み切った眼球を内から蝕む徴。灰から蘇った不死鳥が天へ舞い戻るようなその刻印が、羽ばたきと共に、眼前の闇の中へと飛び立つ。 彼の視界は灰色に染められ、凍て付いたような灰の世界に、常世に生きる全ての生命の姿が光として浮かび上がる。

 

 そう。これこそ、レオの持つ力。彼だけに許された賜り物。

 常世総ての存在を手の内に感知し、仮面を剥いでその内面さえも暴き立てる。生きとし生けるもの総て、何人たりとも逃れられない審判の光。

 

 その名は、ギアス。

 

 ギアス発動下のレオに見通せぬ物など存在しない。闇など彼の視界の妨げにはならず、例え隠れ潜もうが、痕跡を残さず逃げ出そうが、彼の“眼”から逃れる事は出来ない。

 迷う事なく、レオは眼前に伸びる通路を足早に進んだ。彼の視界の中では、エリナの暗殺を諦め焦燥と共に通路を駆け抜ける暗殺者の姿が克明に映し出されていた。

 

 

 

 

 

 ヴァルクグラム伯爵は、かつてブリタニア第4皇子 ロウェナス・ラ・ブリタニアの後ろ盾となっていた貴族である。二、三の大企業を傘下に収める大貴族だった伯爵家だが、つい先年、ロウェナスの失脚に伴って伯爵もまたかつての勢いを失い、今は辛うじて生き残っているだけの没落貴族一歩手前の立ち位置にある。

 その伯爵家は、今は第9皇子アルベルトの元に仕えている。政治面での才覚を持っていたロウェナスと違い、アルベルトには他者を凌駕するほどの力は無い。ただそれなりの仕事をこなし、大した失態を犯していないというだけで皇族の地位に留まっているだけの凡庸な男だ。そんな男の元に仕える以上、この先伯爵家がかつての栄光を取り戻す方法は一つしかない。

 

 すなわち、他者を蹴落とす事だ。かつてロウェナスがされたように、謀略や暗殺によって。

 自身の代で家が没落するなどという不名誉を被る気は伯爵には無い。ならばこそ、伯爵は手段を選ばない。

 そしてつい先日、伯爵はアルベルトの障害の一つとなるアンリエッタ妃、及びガロア皇子の暗殺という手段にさえ踏み切ったのだ。

 そして今宵、その汚れ仕事に片がつく。その筈だった。

 

「馬鹿な、取り逃がしたと!?」

 

 舞台裏の倉庫で、手勢五名を前に伯爵は声を荒げた。

 

「相手は小娘だぞ!? それに、先の件で警護隊を自ら引き離す愚行を犯している。それ程の好条件を揃えてやったというのに、逃しただと!?」

 

「申し訳ありません。あと一歩のところで警護隊が……」

 

 信じ難い事態であった。これ程のリスクを冒し、今となっては少し躊躇するような額を出して暗殺者を雇ったというのに。

 ……しかし、ここで彼らを叱責している場合でも無いことは伯爵自身承知していた。

 警護隊が駆け付けて来たという事は、恐らくあの男も来ている筈だ。エリナ個人に付き従う騎士。奴の存在により、今回の仕事の危険度は跳ね上がっているのだ(それだけに報酬の額も跳ね上がっているのだが)。

 仕留め損なった上奴がこの場を嗅ぎつけたとなれば、それ以上出来ることはない。この場に留まっていては、奴からの報復もあり得る。

 

「……残念だが仕方ない。今宵はこれまでだ。始末に失敗したのは残念だが、奴が居たというのならこれ以上留まるのは危険過ぎる。貴様らの処罰は、屋敷に戻ってからだ」

 

 せめて威厳を保ちつつ伯爵は言った。だが、こうしている間にもあの男が報復にやって来る、と考えると声が震える。

 今まで数多くの刺客が、あの男によって返り討ちに遭っているのだ。そして刺客を放った者達の末路はただ一つしか無い。

 さらに言えば……

 

 最悪なことに、あの男には間違いなく、伯爵を怨む理由がある。

 

 伯爵は暗殺者達を護衛として引き連れ、足早に倉庫を出た。とにかく、一刻も早くこの場を離れねばならなかった。

 

 伯爵は人混みに紛れて歩き続けた。焦る気持ちを態度に出さぬように注意を払いながら。

 

 奴が来る。今にも人混みの中から姿を現して、私の喉を搔き切る。伯爵の両目が忙しなく右往左往し、他者の顔を確かめる。マナーなど知ったことか。

 

 曲がり角で危うく誰かとぶつかりそうになる。一瞬、相手の手元に刃物が見えた気がして、伯爵の心臓は一気に高鳴る。

 

 奴が来る。今にも天井から飛び出して来て、私の脳天を破壊する。歩みを早めようとしても、目の前には夫婦連れの老人が居て彼の道を阻む。流石にこれを押し退けて行く程取り乱したつもりはない。

 

 奴が来る。あるいは既に背後に立っていて、私の心臓を背中から貫く。堪らず振り返り、そしてバランスを崩して隣の淑女にぶつかる。謝罪する余裕すらなく、もつれたままの足は出口を目指す。

 

 奴が来る。奴が来る。奴が来る。奴が奴が奴が奴が奴が──。

 

 永遠に思える程長い三分。伯爵らは正面のエントランスホールに辿り着いた。公演の合間だけあって、劇場に到着した者、劇場を後にする者が入り混じっている。

 

「迎えの車を見て参ります。伯爵、こちらで……」

 

 護衛の一人が、彼にロビーに並ぶ待合席の一つを勧める。伯爵が震える身体を椅子に落ち着かせると、護衛は混み合う出入り口へと消えた。

 

 ……あるいは、一安心なのではないか。そんな考えが過ぎった。よくよく考えれば、仮に自身への報復の手が迫っていたとしても、少なくともこの群衆の中で堂々と殺しに来る事はない。いかにあの男と言えどそんな事をすればすぐさま見つかってしまうし、そうすればあの小娘の立場は無い。そして、あの小娘さえも失えば、完全に主を失った彼奴等は瓦解し、アルベルトの最大の障壁が消える。

 

 不可能だ。そんなことは。

 

 自分の周囲を護衛が固めている事を確かめ、彼は大きく、微かに息を吐いた。吐息が震える。心臓が早鐘を打っているのがわかる。大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせる。

 ここを乗り越えれば、自身は安全だ。私とて伯爵家の当主、危機を脱したことなど幾度あったことか。今度もそうだ。何度確かめても、私の安全は保障されているではないか。

 ここを出て、車に乗る。それで私は勝利する。あとは、所詮小娘一人。どうとでも料理出来よう。

 

「……貴様が、ここを生き延びられるのならばな」

 

 背後から小さく聴こえた声。安心を得たはずの伯爵の背筋が一気に凍り付いた。声を上げる間も無く、首元に鋭い痛みが走る。

 短剣の切っ先が、ごく浅く刺し込まれていた。思わず伯爵は悲鳴を上げて振り返ろうとする。

 だが、できない。振り返るどころか声さえ出ない。短剣に仕込まれた毒が、伯爵の身体の自由を奪う。

 

「三年前の夏。雨の日のことだ。貴様は覚えているか?」

 

 背後の男が、血の通っていないような冷たい声で小さく問い掛ける。勿論伯爵には答えられない。()()()()()()()

 

「忘れるはずは無いだろう。貴様にとっては大手柄だ。大貴族の子を捕らえたんだからな。良い気持ちだっただろう? 逃げられさえしなければ、かの工廠は貴様のものだったかもな」

 

 血の気が引いて行く感覚、というのはまさに今この時の事を言うのだろう。彼の言うことには覚えがある。覚えがあるからこそ、伯爵の恐怖は最高潮に達する。伯爵は頭の中で絶叫する。

 

「……ようやく捉えたぞ、ヴァルクグラム。あの日貴様らに尊厳を奪われ、人の姿さえも奪われた妹の仇、まずここで、討たせて貰う」

 

 もう一度、背中に鋭い痛みが走る。それも今度は、激痛という言葉では表現できぬ程の痛みだった。中心は氷のように冷たいくせに、そこから神経という神経を破壊し尽くして回る灼熱の衝撃。

 彼の背凭れ越しに、短剣が刺し込まれていた。肋骨の隙間をすり抜けて、心臓の真ん中への無慈悲な刺突。溢れ出る血が伯爵の背中と椅子を朱に染める。

 修練を積んだ暗殺者による、正確無比な一撃。それが、伯爵の全てを奪った。

 背後の男が笑みを浮かべたのを、伯爵は何故か正確に知覚した。声の主はすっ、と背凭れ越しに手を出し、伯爵の首元に伸ばす。

 

「私欲に駆られたな、老人。それが貴様の命取りだ」

 

 首に下げた二つのペンダントが強引に引き千切られる。それを見ていることしか出来ぬ伯爵に、背後の男は……レオ・エルフォードは冷たく宣告した。

 

「貴様の命、貰い受けた。苦痛の中で、誰にも知られず死ぬがいい」

 

 

 

 

 

 皇歴2017年 1月26日 午後9時48分。

 オボミナス・ヴァルクグラム伯爵はこの年初となる劇団スワン・ド・ブリタニアの公演を鑑賞し、そこで死亡した。劇場は騒然となり、混乱のさなか犯人と誤認され拘束された者が続出したという。

 死因は、心臓部への刺し傷。加えて何らかの毒が用いられた可能性も浮上。護衛に完全に取り囲まれていたにも関わらず、ヴァルクグラム伯爵の遺体には明らかな外傷が見受けられた。

 伯爵家はこの事件を護衛に成りすました何者かによる暗殺と判断し、当時護衛に当たっていた人物を徹底して調べ上げた。

 一見すれば妥当な、しかしその実見当違いの方向へと捜査の手が迷走していた一方、報せを受けた第9皇子アルベルトだけは、その一報だけで事実を正確に認識していた。

 誰にも気取られない、現実離れした暗殺。そういう殺し方が出来る人間は、一人しか居ない。真実を知る者だけが受け取った明確な警告に、アルベルトは声もなく、手にしたワイングラスを落としたという。

 

 

 

 

 

 ヴァルクグラム伯の失敗は、暗殺現場に自ら足を運んだ事に尽きる。暗殺者に任せておけば良かったものを、彼は自ら危険を冒して、劇場に足を運んでいた。

 それは何故か。彼にはそこで為さねばならない事があったのだ。では、それは何か。

 彼は、“盗らねばならなかった”のだ。エリナの持つ、ある物を。誰にも知られる事なく。

 レオは三角帽子(トリコーン)を目深に、ホール正面から悠々と劇場を後にした。背後ではヴァルクグラム伯の名残が、その死を誰にも気付かれぬまま惨めに残されている。外に出たレオは広場を横切りながら、伯爵から奪い取った二つのペンダントを見た。

 少し焦げたこれは、アンリエッタ皇妃らエリナの一族が襲われたあの夜に、エメラルダ宮から奪われたものだ。嵌め込まれた緑の宝石はどちらも欠損し、歪な形になっている。同じものをエリナもまた保有しており、これら三つを合わせることで、とある重要な物品となる……と、レオは聞いている。

 燃え盛る屋敷で奪われた二つがこうしてエリナの手元に戻った。少なくともこれがあれば、エリナの権益は守られるという話ではある。 些か眉唾ではあるが、それで彼女を護れると言うのなら問題は無いだろう。

 彼が迎えに現れたバイクの側車に乗り込んだ頃になって、劇場が俄かに騒がしくなり始めた。伯爵の死は漸く気付いて貰えたようだ。

 

「……オペラはどうだった?」

 

 本車に跨る黒髪の女が彼に問う。レオは三角帽子(トリコーン)を脱ぎ、気怠げに答えた。

 

「正直、退屈だった」

 

 女懐からチョコレートの包みを取り出して、一つまみ分をレオに渡した。受け取って、レオはそれを口の中に放り込む。

 

「……そう。じゃ、帰りましょうか。今日はお疲れ様」

 

 発進したサイドカー付二輪は市街へと消えて行く。何の会話もなく、音も掻き消された空間の中で、レオは自身の左手首を持ち上げた。

 手首に巻いた、ガントレットのような意匠を組み込んだリストバンドには、仕掛けで伸縮する短剣を隠してある。手を反らして起動すると、伯爵の血を吸って赤に染まった刃が音もなく飛び出る。

 あの匂い……あの汚物の臭いがする。

 鞘の根元には、武骨な短剣には似合わない青色のアクセサリーが組み込まれていた。

 ……かつてフィオレに贈り、そしてあの日、唯一残った彼女の遺品。彼女がこの世に居た証。

 

 やっと……一人。

 レオは刃の背に額を当てて、まるで祈るように身体を丸めた。

 見ていたか? フィオレ……?

 三年も経ってから、ようやくだ。ようやく一人、仇を討ったぞ……!!

 

 

 

 これが、レオ・エルフォードだ。

 フィオレを失って、そして得た力──ギアス。

 自分はこの力で、今度こそ大事な人を護り抜く。

 

 そして、あの日フィオレをあんな風にした何者かを全員見つけ出す。

 許し難き畜生ども。人と似た面をした、得体の知れぬ化け物ども。

 

 全員見つけ出して──

 

 ああ、ひとり残らず見つけ出して──

 

 

 

 絶対に殺してやる。

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