コードギアス 血刃のエルフォード   作:STASIS

12 / 27
第十一幕 Bloodstained Lawrence

 暗い部屋で、私は意識を取り戻した。全身が苦痛を訴えているのがわかる。視界は真っ暗で、ただただ苦痛という感覚だけが認識出来る。

 そこへ、暴力の音がした。自分では無い、誰かを別の誰かが殴りつける音。骨が折れる音、人間を痛め付ける音。音が響くたびに、私の記憶が呼び覚まされる。

 

 何が起こったのか、最初は理解できなかった。ただ突然武装した兵士達に家まで踏み込まれ、頭に布を被せられて連行される事が“身に覚えのない理不尽”などでは無いことは分かっていた。

 私の表の顔は、ロンゴミニアド・ファクトリーに勤務する技術者。KMFグロースターの機能向上プランを考案した事でローガン・エルフォードの目に留まり、彼自身も参加する重役会議に常連のようにして参加する事も出来る立場にあった。

 裏の顔は、そのローガン・エルフォードを狙うスパイ、工作員だった。獅子身中の虫。しかし、あの男にとって暗殺の危険性などは日常となりつつあるのかもしれない。あの男は裏切り者として屋敷に連行されて来た私を見て、さもありなんとばかりに表情一つ変えなかったのだ。

 ……しかし、しかしだ。私はあの男の命を狙う有象無象の暗殺者とは違う。それだけは胸を張って言える。私は、これは正義の行使なのだ、と確信してあの男に剣を振り下ろす事が出来る。

 何故なら──

 

「言え!?」

 

 私の腹を強い衝撃が揺さぶった。脳が上手く働いていないおかげで、闇の中で暴力に晒される恐怖感はまだ実感していない。

 殴られる度に、私の心臓は不整脈を起こして激痛を走らせる。殴られただけのダメージなどでは無い。

 次の暴力は、殴打ではなかった。ただ拳を胸に押し付ける程度のこと。だがその瞬間、まるで脳が中心から発火するような激痛に襲われた。神経を切り裂かれ、身体が引きちぎられるような痛み。銃弾に撃たれるだとか、刃物で斬られるのとはものが違う。何処かが痛い、ではなく全身を一斉に攻め立てるような常軌を逸したような痛み。

 

「貴様の他に、何者が我が父を狙う!?」

 

 今度は、殴打とその激痛が同時に走った。息を吸おうとすると、ほんの僅かに空気を吸った所でそれ以上空気が入って来なくなる。パニックに陥りそうな脳をなんとか抑える。

 耐えねばならない。盟友の為に。私はその一心だけを念じた。強い使命感があるからこそ、私はどうにかそこにしがみ付いていられる。

 

「何故狙う!?」

 

 更に殴られる。二つの痛みの他に、酸欠で頭が痛む。

 

「何を狙う!?」

 

 殴られる。頭が働かない。意識が途切れそうになる。

 

「言わねば、終わらぬぞ!!」

 

 殴られる。私の身体が揺れる。次が来る、と思った瞬間、私の意識は途切れそうになる。だが間も無く、まるで見計らったかのように全身に全身にべっとりとした衝撃が走った。冷水を掛けられたのだ。麻痺していた皮膚細胞が息を吹き返し、一斉に苦痛を主張し始める。

 悪寒と痙攣。嘔吐しそうになるが、それを寸前で押しとどめる。呼吸が出来ない状態で嘔吐すれば、自分の吐瀉物で溺死しかねない。

 息をしようとしてまた途中で息苦しくなる。聞き覚えのある音が顔の皮膚に密着するのを認識して、頭にビニールを被せられているのだ、と理解した。呼吸する度にビニールが口に張り付いて息が出来なくなるのだ。

 更に殴られる。その度に喉の奥から声が勝手に漏れる。肺から空気を出し切っても、ビニールのせいで求めるだけ空気を吸えない。

 

「さあ吐け! 奴らは何処まで知っている!?」

 

 明らかに、この男はこの拷問を楽しんでいる。私の目的などとうに見当が付いていて、にも関わらず絶対に答えない、と分かっている質問をするか、核心に迫り辛い、答え辛い質問をして、私を甚振って愉しんでいる。

 だが、耐えてみせよう。既に我が盟友はこの事を知っている筈だ。助けが来る筈だ。

 

 何度目かの殴打に、とうとう脚が耐えられなくなる。が、崩れ落ちる事はない。この男がそういうダメージの与え方を熟知しているのもあるだろうが、それ以上に私は今、自分の脚力で立っている訳ではない様子だった。

 両腕を頭上に拘束されて、吊るされている。足は地面に付かず離れずの位置にあって、殴られる度に私の身体はふらふらと揺れる。

 股間が生暖かい感触に包まれる。失禁したのだ、と理解しても、屈辱を感じる余裕すら無い。男の方はそれを理解すると、愉快そうに嘲笑った。

 

「……悪くない気分だろう? 正義に準じたつもりで痛みに耐える気分はどうだ?」

 

 そう言って、男の両手が私の身体に触れる。次の瞬間何が起こるのか、私は容易に想像出来た。

 背骨を貫くような衝撃。両脚が戦慄き、私は絶叫した。

 

 

 

 

 

 

 足下の闇の底から、この世の物とは思えぬ悲鳴が聞こえて来る。因縁のある場所に呼びつけられた事を呪いながら、レオは灯りすら無い廃屋の地下室の扉を開いた。

 断続的に光が走る。その度に布越しのようにくぐもった叫びが決して広くはない部屋の中に響く。

 部屋中に、肉の焦げるような匂いと血の匂いが入り混じって充満している。あの日を思い出して嫌悪に顔を歪めながら、レオは部屋に足を踏み入れて戸を閉じた。

 古びた部屋の壁という壁、床という床に血の染みがこびり付いていた。拷問用の部屋だ、とすぐに分かる。

 

「……良くもこんな場所に呼びつけてくれたな」

 

 そう、不機嫌さを隠そうともせずに部屋の先客へと言葉を掛ける。ブリタニア貴族らしい煌びやかな赤い衣装を着て、眼鏡を掛けた切れ眼の男だ。身に纏った豪奢な衣装が血飛沫で汚れるのも構わず拘束された男をひたすらに甚振っていた彼はそれを聞いて、なお愉しげに答えた。

 

「良い場所だと私は思ったのだがね。因縁の場所だ。復讐にはちょうど良かろう?」

 

 秀麗な顔に、隠し切れぬ歪みが浮かぶ。彼の名は、ローレンス・エルフォード。エルフォード家の長男。レオの義兄。

 闘いを好む生粋の戦士ではあるが、技量と技量のぶつかり合いを好むのではなく、確実に他者を叩き伏せ粉砕する事を好む男。

 ……レオにとって、どうしても好きになれぬ相手だ。

 

「フィオレが殺されたこの場所で、その仇を殺せるのだ。自由に。ここに法の手は届かない。復讐心の赴くまま、人の死に方さえ許さぬやり方でこの男を殺せるのだぞ?」

 

 ローレンスがレオに向き直った。がっちりとした長身を支える重いブーツが、床につく度に金属音を立てる。水で洗い流しやすいように床が金属板になっているのだ。部屋そのものの古めかしさに対して、その床だけが比較的新しい。

 この男の言う通り、この場所は因縁の場所だ。

 かつてフィオレを探して踏み込んだ場所。そして明らかに、フィオレが暴行された痕跡が残っていた場所。

 バラバラになった彼女を見つけた場所も、位置だけ見ればこのすぐ近くだ。あれから時を経て、この場所は法の目を掻い潜らねばならない時の為の秘密の部屋と化していた。

 

 レオはローレンスを大きく避けて、拘束されている男に近付く。殆ど裸に近い格好な上に頭にビニールを被せられているせいで、外から見て誰なのかは確認出来ない。レオはそのビニールを剥ぎ取った。ズタボロの状態になっては居たが、見覚えはあった。

 

「ジョナサン・A・ブラウン。我がロンゴミニアドファクトリー内にて長年重要なポジションに居た男だ」

 

 ローレンスが言った。勿論、レオとしてもそれは分かっている上に、重要なのはその情報ではない。

 

「そして三年前、我が……いや君の妹であるフィオレを攫い、ヴァルクグラムらと共にこの場所で──」

 

 レオの隣に立ったローレンスが言葉を連ねる。言いながらジョナサンの傷跡を何処からか取り出したナイフで抉り、彼の苦悶の声を嬉々として愉しむ。彼の言葉が終わらぬ内に、レオは最後の一言を引き継いだ。

 

「フィオレの全てを奪った」

 

 レオは仕込み短剣の刃を解き放った。ヴァルクグラムに続く仇敵の一人。幾人居るかも分からぬ大勢、或いは少数の仇の内の一人。この男を捕らえたと言う知らせを受けて、こうして本国に飛んで帰って来たのだ。義父の配慮に感謝しつつ、レオは刃をジョナサンの眼前に晒した。

 

 「……ヴァルクグラムは既に殺した。次は貴様の番だ」

 

 

 

 

 

 眼前に迫る刃を……盟友ヴァルクグラムを殺した刃を目の当たりにして、私は今度こそ蒼白となった。

 ローレンスの拷問は、例え相当に趣味的なものが強かったとしても“拷問”であった。

 すなわち私から聞き出したい情報があったから、痛みをもってそれを聞き出そうとした。私が死んでしまえばその情報が奴らの手に入る事は無い。だからこの男はそう簡単に私を殺せない。

 それに、私は家に踏み込まれる直前、仲間に救援を求める暗号を発信していた。ローガンが思う以上に、我々の結束は固く力は強い。だから死なないギリギリのラインを攻められようとも、耐えてさえいれば必ず私は助かる。助かりさえすれば我々の目的は果たせる。そう思っていた。

 

 しかし、レオハルトがこの場に現れた事で事情は変わった。この若者はローレンスとは違う。実妹の復讐というただ一点だけを目的としている。だからこそ盟友ヴァルクグラムは囚われる事すらなく、声なき声で警告を発するかのようなやり方で殺されたのだ。

 情報を得るよりも、我々に対する宣戦を選んだ。打算など無い、それこそ獣のような直球の殺意。間違いない。この少年は情報よりも私を殺す事を選ぶ。そしてこの少年ならば、仲間が密かに送り込むであろう救援部隊を返り討ちにする事も容易い筈だ。隠れ潜む技術に関しては、明確にレオハルトの方が上だ。

 

 「…………」

 

 レオハルトが刃を私の首筋に強く当てた。そしてその向こうで、ローレンスが私に目配せを飛ばす。“今喋ればこの獣を止めてやるぞ?”とばかりに。勿論最終的には殺すつもりではあるのだろう。しかし、僅かばかりでも時間を稼げるのならば充分だ。

 

「ま……待て……わ、わかった……!」

 

 視界の隅に、床に転がった同志の遺体が入った。私と同じように拷問で破壊された服の残骸だけしか纏っていない、血塗れの遺体。彼の為にも、私はここで潰える訳にはいかない。

 

「ほう……?」

 

 レオハルトは刃を少し引いた。安堵して視線を上げた瞬間、ローレンスと目が合った。

 

 ──そして私は、自身の判断を後悔した。

 

「あ──あ、ああ……」

 

 私の様子がおかしい、と気付いて、レオハルトは眉を顰めてローレンスへ視線を向けた。彼はその視線に気付いてから気付かずか、ずい、と前に歩み出て私とレオハルトの間に割って入った。

 

「どうした? 仲間の名を言うのだろう? 早く言いたまえ」

 

 さぞ楽しそうにローレンスが言った。朦朧とする意識の中で、私はその整った、しかしあまりにも恐ろしい相貌を睨み付けながら口を開く。

 

「──仲間は、大勢居る。レベッカ、エラン、カロー兄弟……いずれもロンゴミニアドの重要ポストに浸透して居る……」

 

 上の空の私の口が、そう言葉を連ねる。

 

「ほう? 聞いたかレオ。我が家の誇る一大工廠は、案外暗殺者の巣窟だったらしいぞ?」

 

「だが……」

 

 そこまで言って、私は大きく首を振った。

 駄目だ。それ以上は駄目だ。そう強く念じ、ローレンスから視線を逸らす。それまで笑っていたローレンスが笑みを消し、私の首を掴んで無理矢理彼の方を向かせる。

 

「どうした、続きを言え。私に仲間の名を告げねばならんのだろう? 貴様は」

 

 ローレンスの言葉の一言、一言が脳に突き刺さる。抵抗すら許されず、私の口は言葉を吐き出し続ける。

 

「……だが、彼らは最初から同志だった訳ではない。既に地位を得ていた人間を買収し、暗殺者に仕立て上げただけだ。言わば手駒。私を含めた同志達をまとめている人物は別に居る。三年前の一件も、元は彼らの計画したものだ」

 

 レオハルトの注意が向けられる。殺意を隠そうともしない。

 

「ではそいつらは何者だ!?」

 

 身体ががたがたと震え出す。ローレンスの顔が──いや、その真紅色の双眸が目の前に迫り、その眼光が抗い難い力として私を襲う。そして──。

 

「……フランシス、そしてアマネウス。ファミリーネームは知らないが、それが本名だ」

 

「ではその二人は何を企んでいる? 貴様らは何故それに従う?」

 

「ロンゴミニアドファクトリーの乗っ取りに見せかけた……ローガン・エルフォードと、その一族全員の殺害だ。そうする理由は彼らだけが知っていて、我々は様々な……多大な報酬を目当てに協力している」

 

 最早私の口は私の意思に反して言葉を発する。それを止める気すら起こらない。

 

「では、彼らの詳細な計画の類はあるのか、分かるのならばここで全て話せ」

 

「…………」

 

「………………そうか」

 

 長い沈黙の後、ローレンスの顔がようやく離れた。全ての希望を失った私の視界にはローレンスがレオハルトと入れ替わり、そしてレオハルトが手首の短剣を私に向ける光景が見えたが、最早私にとっては意味の無い事であった。

 

「ご苦労だったな。では、これが最期の痛みだ」

 

 鋭い刃が首筋に当てられる。冷たい感触を感じた次の瞬間、レオハルトが刃を勢い良く引き、私の首筋から鮮血が迸った。

 最期に見たレオハルトの表情は、歓喜に歪んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ローレンスという男の全てを表現出来る逸話がある。フィオレが死んですぐの頃、当時既に一部隊を率いる立場にあったローレンスが、対EU戦の増援を率いてロシアに降り立った時のことだ。自らKMFを駆り先陣を切ったローレンスは、味方部隊の侵攻を二週間もの間巧みに阻んでいた精鋭部隊の篭る敵要塞陣地の突破に成功した。これだけならば単なる腕利きの騎士というだけなのだが、問題はここからである。

 

 要塞の陥落と共に、精鋭部隊の生き残りを含めた二千名程の捕虜が発生し、ブリタニアはこれをロシア戦線後方に設けられた臨時の捕虜収容所に収容した。昨年末の一時停戦条約締結に基づきこの捕虜達の釈放が公式に発表されたが、この中で実際にヨーロッパに帰還を果たしたのは百人足らず。残る捕虜達は現在も行方不明となっている。

 

 現実には、捕虜達は確かに釈放はされた。EUに生還した捕虜は、「諸君らの帰国が許された」と彼らに告げるブリタニア将校──つまりローレンス──に従い西進、しかしその途上でブリタニア軍秘密施設に入れられ、捕虜達はそのまま虐殺された、と主張している。生還者達は廃棄される死体に紛れて逃走した者、虐殺を拒否したブリタニア将校に逃がされた者など様々だが、現在もこの主張を続けている。勿論、ブリタニアはこれを認めていない上に、臣民の殆どは自国に向けられた疑惑など気にも留めていない。所詮敗者の遠吠えに過ぎず、強者たるブリタニアがそのような疑惑に足を止める事はない、と。

 

 いずれにせよ、真実は一つである。虐殺は、確かに行われていた。そしてローレンスは、この虐殺を率先し推し進めた人間の一人だったのだ。彼をそこまで駆り立てた動機は不明ながら、虐殺の実行が決まると彼は自ら虐殺の場に立ち、捕虜達一人一人、素手で殴り殺したと言う。やがて現場では凄惨な有様に彼を止めようとする者も現れたが、彼らもすぐに死体の仲間入りを果たすこととなった。ローレンスの虐殺は日を追うごとに凄惨さを増して行き、死体の損壊度も度を越して行った。最後の一人が命を落とした時、彼は人の形を留めぬまでに破壊された死体の山の中に座し、あろうことかその場で食事を取り始めた、という。

 ……何を食べていたのかは、誰も確かめたがらない。

 

 血塗れの騎士、人の皮を被った悪鬼。彼の悪名は方々に轟いている。そんな彼だが、レオから見れば、あの男を憎む理由がもう一つある。

 奴は、エミーリアにもその毒牙を向けた事がある。

 

 これもやはりフィオレが死んで間もない頃だ。狂乱と言った有様で騒ぎ立てるオリヴィエに連れられて向かったエミーリアの寝室に、ローレンスが押し入っていたのだ。

 まさかああ言う趣味の男に限って“そういう”目的で押し入ったとはあまり思えないが……いかな理由だろうと、妹に危害を加える男を、レオ・エルフォードが許す道理はない。

 自らの愉悦の牙を姉妹にすら平気で向ける男。義父ローガンはそんなローレンスを咎めはしたものの、結局彼が改心する事は無く、義母もそんなローレンスには何も言えずにいた。斯くしてローレンスへの敵意が解消される事は無く、今もあの男が憎い。

 

 ──憎んでいる、筈である。

 

 

 

 

 

 義兄ローレンス・エルフォードの書斎は本館の一階にあり、広いバルコニーに続く二重窓から丁寧に手入れされた中庭が見える構造になっていた。二脚ある執務デスクの片方にはローレンスが、向かい合わせに置かれたもう一つの方にレオが居た。

 敷き詰められた絨毯を始め全体的に暗い赤系統で纏められたローレンスの書斎には、歴史的価値の高い調度がいくつも置かれている。例えばレオが今この瞬間使用しているしっかりとしたマホガニーの執務机ひとつ取っても、たかだか二十年程度も生きていないレオの三倍は歴史を持っている。が、部屋全体がそういう年代物の巣窟なのかと思えそうでもなく、その執務机には如何にも安物な金メッキ丸出しの、というかそのメッキが剥げつつあるミニトロフィーが鎮座していたりもする。趣味で集めている、とかつて言っていたそのトロフィーを手で弄びながら、部屋の主、ローレンスは黙々とレオの作業を見守っている。

 

「つくづく思うが、私の趣味に近い物だな、それは」

 

 デスクには、仕込み短剣が分解され洗浄された状態で置かれている。あの死して然るべき男の血は最早綺麗に洗い流されている。そしてあの時返り血で汚れたコートも、今は小綺麗になって壁際のハンガーに掛けられている。

 

「……私に言わせれば、義兄上の“それ”の方が余程面妖に見えますがね」

 

 短剣の組み立てを終えて元通り左腕に装着しながらレオはそう答えた。彼の視線は部屋の隅の大きな書棚へ……その奥に隠された小さな空間に向いている。

 雷光の(ブリッツ)ローレンス。義兄ローレンスの渾名だ。拷問部屋で見せたようにローレンスの殴打には電撃が伴う。本人曰く一千万ボルトで帯電する拳の秘密があの部屋に隠されている。

 ローレンスは戦う時……というより普段から、その赤い衣装の下に電磁戦闘スーツを着込む。実用性など無視した、ローレンスの趣味の産物だ。あの小部屋はそのスーツのメンテナンスルームなのだ。

 

「いや、趣は変わらんと思うぞ? 私はあれで獲物を人間の域を逸脱する程度に破壊する。お前はその決して長くはない刃を喉に突き刺し、じわじわと獲物を殺す。どちらも獲物の苦しむ様が良く見える代物だ」

 

 火薬式の旧い弾丸を手入れしながら、ローレンスの顔が歪んだ。レオは何も答える事が出来なかった。

 

 今朝になって、ようやく二人目の仇を取る事が出来た。今頃あの男は地獄に堕ちている。短剣に仕込んだ薬品により傷口から流れ出る血が止まる事も無く、ゆっくりと確実に歩み寄る死の影から逃げる事すら許されず、じわじわと失血して死んで行く。最期には人の姿でさえ無かったフィオレの事を思えば、人の形で死ねるだけ上等と思うべきだ。

 そしてあの時から、あの女が呼び掛けに答えない。存在すら感じないのだが、消えた訳ではない、というのは分かった。あの凄惨な暴力の現場を見て気でも滅入ったか、と勝手に解釈して、レオも特に触れていない。

 

 ……正直、レオも実際に目の前に立つまでは、ただ首に一刺ししてさっさと息の根を止めよう、と思っていた。エリア11での廃工場でも似たような事をして、そして同じような事を思ったが、余計な一手間を掛ける必要性はどこにも無かった。あの時はあの女も別段気にするような事柄ではない、と言ってはいたが、あれには明らかに咎め立てる意味合いが篭っていた。これではまるで、ローレンスのやる事だ。

 それを念頭に置いてなお、レオはああしてじわじわと死に導くやり方を選んだ。ローレンスの言うような苦痛の続くやり方を選んだ。あれから、レオは暫く相手の苦しむその様を見ていたが、やがて何かに急き立てられるような思いに囚われてさっさとあの廃墟を後にしたのだった。

 

「……っ」

 

 立ちくらみに似た感覚を覚えて、レオは額に指をやった。

 思い返せば思い返すほど、何故か思考が散逸し始める。あの男の死に様を思い出そうとすればするほど、思考にノイズが走る。それは殆ど本能的な反射の域で、忌避感に近い感覚すら覚える。

 仇をまた一人討ったのだ。そして真の仇の情報すら得られた。それだけ考えれば良いのだ。素直に喜んでいれば良いのだ。何故それだけのことが、この身に出来ないのだ。

 

 大丈夫か、と気遣ってみせる義兄の視線を振り払うように首を横に振る。今はこの思考に拘泥すべきではない。何故自分が、この好きになれない義兄の部屋までわざわざやって来たと思っているのだ。

 

「……手入れは終わりました。机はお返しします。それとコートも、感謝致します」

 

 そう言って立ち上がる。自室でも出来る作業をわざわざここで行なったのは、現在、自室のある東館にエミーリアとオリヴィエが居るからだ。

 レオが留守の間に、東館にエミーリアとオリヴィエが住まうようになっていた、と言うのをレオが知ったのは、まさにその東館に帰り着く前、帰還の挨拶にと本館に立ち寄った際、ローレンスから聞かされた時だった。流石にあの二人の目に付く可能性のある場所でこの血に塗れた武器を出すべきではない。

 

「ああ。お前の所の……誰だったか、あのメイド長。彼女には気付かれるなよ。私の所のメイドと仲は良くないらしいからな。洗剤の匂いがどうの、皺がどうのと小煩い、と愚痴られるのもいい加減うんざりしている」

 

 苦笑しながら、ローレンスも立ち上がった。

 

「さて、用も済んだところで行くとするか。そろそろ義父上も──」

 

 言い掛けたところで、書斎の戸が叩かれた。規則正しく四回。ローレンスはレオの来訪に合わせて執事を外しているから、これは彼のものではない。

 

「……行くまでもなかったようだな。どうぞ義父上、お待ちしておりました」

 

 部屋に入って来る人物の顔を見る事も無く、ローレンスもレオも軽く頭を下げた。義父ローガン・エルフォードは公務用の執務服姿のままで、たった今帰って来たのだ、と分かった。帰還の挨拶に行った時もそうだったが、いつも側に居る義姉ベルベットの姿は見えなかった。それを訪ねるよりも前に、ローガンが口を開く。

 

「報告を聞こうか」

 

 とだけ言った義父に、ローレンスは淡々と今朝の出来事……ジョナサン・ブラウンの死に際についてと彼の話した情報についてを伝える。義父が自分の書斎ではなく、ローレンスの書斎を選ぶ、というのは、余程他者に漏れてはならぬ事案という事を意味する。ローレンスの書斎というのはこういう話をする場所として何故か良く選ばれる。それは、部屋の主の趣味趣向と無関係ではないようにレオには思えた。

 

「……フランシスに、アマネウス。そう呼ばれているこの二名が首謀者と思われます」

 

「その二人が、我ら一族の命を狙っている……我が娘フィオレを惨たらしく殺した、と」

 

「フィオレの一件も、彼らの企てによるものです」

 

 報告を聞き終えると、ローガンは苦り切った顔をレオに向けた。そうなる理由は分かる。レオとて、自分が似たような表情を浮かべているのが分かった。

 

「厄介な名前が出て来たものだ。お前にとっては。三年も掛けてやっと辿り着いたというのに……」

 

「……好機と思っておきます。両者とも、ちょうど良い手掛かりが私の任地に居りますが故」

 

「友を疑う事になるぞ。出来るのか、お前に」

 

 ローガンが、そして殊勝にもローレンスが言った。その通り、フランシス、アマネウス。どちらの名前にもレオ達には心当たりがある。

 

 フランシス・リィンフォース。そしてアマネウス・アスミック。他ならぬレオの友の家の当主達の名前である。

 

「──問題ありません。それでフィオレの仇に近付けるのならば」

 

 それでも、と。確固たる意思を込めて、レオはそう二人に答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜もすっかり更けて東館に戻ったレオを待っていたのは、まるで飼い主の帰りを玄関前で今か今かと、ドアノブを一瞬の動きさえ見逃さぬとばかりに凝視し続ける忠犬のような有様のエミーリアであった。だがそんな彼女の表情は、車寄せに入って来た黒塗りのリムジンを──フロントグリルにローレンスのエンブレムである大鷲の紋章が施されたリムジンを見た途端に凍り付いたそれに変わり果てた。

 踏み出したはずの足が後ろに退き、見てはならぬ物を見てしまったかのように硬直した彼女の肩を、横に立った少女が抱き止める。大丈夫、と視線で告げる彼女──オリヴィエは、鋭い目で車内のレオを睨みつける。迎えに出た執事に「久しぶりだな」と返したレオは、まずはそのオリヴィエの鋭い視線に向き直った。

 

「こちらに来ているとは、知らなかったよ」

 

「私も、お兄様がローレンス兄様の同類に堕ちたとは思いませんでしたとも」

 

 走り去るリムジンをちらと見てオリヴィエが嫌悪も露わに言った。無理もない。あのリムジンは、本来ローレンスの専用車なのだ。

 東館に二人の義妹がすっかり居着いている、と教えて来たのもローレンスならば、夜も遅く、今更馬達を叩き起こすこともあるまい、と言ってあれを貸して寄越したのもローレンス。エミーリアならレオの帰りとなればまず迎えに出て来るだろう、とエルフォード家の全員が承知している以上、どう考えても二人のこの反応を見越した仕掛けにしか思えない。

 

「借りただけだ。誰の車を使おうと、私は私に過ぎない」

 

 彼女としても少し突いた程度なのだろう。もう少しエミーリアへの配慮は出来なかったのか、と。オリヴィエもそれでその話は止めにして、レオに付き従って屋敷の中へと入る。だが、エミーリアだけは尚もその場から動かず、顔を上げぬままか細い声で、

 

「……でしたら、何故今のお兄様はローレンス兄様と同じ顔をなさっているのですか……?」

 

 とだけ呟いた。呼び方を訂正させる余裕すら奪われ、背後から掛けられたその言葉は、思いの外深く心に突き刺さった。

 遠回しにローレンスと同類に過ぎない、と言い当てられた形となり、義妹二人との会話はそれ以上続かなかった。自室に戻ったレオは、そこでこの丸一日ほど御無沙汰となっていた感覚を覚えた。

 

「……ここに居たのか」

 

“ええ。あの場には居られませんでしたので”

 

 再び、背後にあの幽霊女の感覚が戻る。正直背後霊か何かのようにずっと離れず付き従っているのかと思っていたのだが、案外融通の利くものである。

 

“それで、どうですか? 二人目を討ったご感想は”

 

(どうせ分かっているんだろう? だからお前は止めなかった)

 

 悪態とともに、レオはベッドに背中から身を投げた。

 

(認めたくはないが、エミーリアは慧眼だよ。やっている事はローレンスと全くの同類だ)

 

“……あの男は、自らの快楽の為に命を弄ぶ存在です。貴方もそうなのですか?”

 

「そんな訳が──!!」

 

 否定しようとした。だが、言葉がそこで止まった。頭の回転すらそこで停止する。勢いのまま起き上がったものの、そのまま力なく再び倒れる。

 

「……無いだろう」

 

 強烈な否定になるはずの言葉は、搔き消えそうな小声にしかならなかった。女の視線を感じ、レオは寝返りを打つ要領で背を向ける。

 

“であれば、貴方はローレンスとは違います。その一点が、彼と貴方を分かつ明瞭な一点なのですから”

 

 だが返ってきた言葉は優しげでもあった。肩に手が置かれるような感覚。

 

“……復讐とは本来、優しい心が無ければ思い付かぬものだ。貴方はフィオレを奪われた、という怒りではなく、フィオレをあの様な目に遭わせた人間が許せない、という思いで陰の戦いに身を投じた。それが転じて、今居る大切な人達を護りたいという願いにもなった”

 

 少し口調が変わった、と気付き振り返った時、一瞬そこに女の姿を見た。沈んだ緑色の髪、黄昏色の瞳。最初に遺跡で出会った時の、実体があった時の彼女。それは目の錯覚かと思わせるほどの早さで消えてしまった。

 

“ナリタでも、お前は護りたいという一心で動いた。その心がある限り、お前は下劣な殺戮者に堕ちる事は無いよ”

 

「……つくづく、お前は何なんだ。猫被り声で揶揄うなり口を挟むなりしておきながら、今度は慰めの言葉が飛び出て来た。いい加減聞かせて貰おうか。お前が何故俺と契約したのか。何が目的で動いているのか」

 

 気配だけを感じて、そこに目を向けた。目が合っている、と感じたのも刹那、女の方が視線を背けた。

 

“……申し訳ありませんが、今の貴方には、お答え出来ません”

 

「ああ、そうか。だったら、せめて口調はどちらかに統一しろ。ややこしくなる」

 

“では、そうさせていただきます”

 

 そちらに統一したか、と喉まで言葉が出掛かって、思い止まった。と同時に、これまでの会話が全部言葉に出ていた事に気づく。何やら馬鹿馬鹿しさを覚えて、レオは起き上がって棚に常備されたチョコ菓子の詰め合わせから適当に一つ見繕って口に放り込んだ。そういえば、エリア11に赴任してからは久しく口にしていなかった。

 

“貴方もそれを好むのですね”

 

(我ながら子供っぽいが、何故か手離せなくて……何だと?)

 

“いえ、別に。それより、どうやらお客様がお見えになるようですよ?”

 

 女がそう言うとほぼ同時に、部屋の戸が規則正しく叩かれた。何か、と問うと、扉の向こうから執事の声が聞こえた。

 

「お休み中のところ申し訳ございません。ベルベットお嬢様がお見えです」

 

「……ベルベットが?」

 

 意外過ぎる来訪者に、レオは取り急ぎ衣服を整えて、足早にエントランスへと足を運んだ。常に義父ローガンの側に居る割に、今回の帰還に際し未だ顔を見せていなかった彼女が、正面玄関で待ち構えて居た。

 その背後には、彼女を運んで来たであろう馬車も御付きの者の姿も見えなかった。

 

「あら、お帰りなさいレオ。今回はごめんなさいね、

挨拶も出来なくて。元気だったかしら?」

 

「こんな夜更けに、お供も無しに一人歩きとは感心しませんね。何か御用かな?」

 

 単刀直入に問う。ベルベットがレオの背後に居る執事に視線を飛ばし、執事が音もなく屋敷の奥へ消えるのを見届けてから、ベルベットは口を開く。

 

「……ちょっとしたお仕事をお父様から頼まれて、ね。ただそれが少し手間取ってしまっていて、悪いとは思うのだけれど、貴方に手伝って貰いたいの」

 

 そう言って、ベルベットは袖を捲ってみせた。そこにはレオのそれを参考にしたのであろう仕込み短剣が装備されている。

 ……仕込み短剣そのものは、レオがエルフォード家の書庫にあった古い手記を参考として自作たものだ。その手記によれば、これはブリタニアの黎明期においてエルフォード一族が使っていたという暗殺剣であるという。つまり図らずもレオは、エルフォード家のルーツとも言える武器を現代に復活させた事になる。これを使い始めてしばらく経つが、ローガンはこの短剣を随分と気に入っているようで、最近では護衛達にも持たせているとか居ないとか。ベルベットのこれも、恐らくその一環だろう。

 

「生憎、エリナが絡むか、そうでなければ余程のことが無ければ私はそういう仕事はしない事にしているのだが」

 

「あら、お姉様のお願いは聞けないかしら? やってくれたらお礼は弾んであげるけど?」

 

 しなを作って見せてベルベットは言った。緩やかに着た……というよりはあえて緩めた服の胸元から思わせぶりに谷間が覗く。

 これだ。この人はそういう人だ。血の繋がりが無いとは言えそういう真似を自然としてみせる彼女に薄気味の悪ささえ感じ、レオはわざとらしく後ずさった。

 

「申し訳ないが、貴女がそれをやると正直気色悪く感じてならないので即刻お止め頂きたい。どうかご自分を大切に。お望み通り手伝いますから」

 

「あら失礼ね。でもありがとう。じゃあそういう訳だから……エミーリアもオリヴィエも、御用は後にしてあげて」

 

 ベルベットはレオに、ではなく最後はその背後に向けて言った。振り返って見上げると、吹き抜け構造のエントランス二階の手すり越しに、エミーリアが、そしてオリヴィエがこちらを見下ろしていた。視線が合ったと目敏く感づいて、エミーリアは視線をそらした。

 

「エミーリア……?」

 

「さっきから居たわよ、彼女。貴方は貴方で、大事な義妹を大切になさいな」

 

 だが、エミーリアはレオが声を掛ける間も無く奥へと駆けて行ってしまった。先程までの疑問……自分はローレンスと同類にまで堕ちたのか、という疑問が再び頭をもたげる。だが、今は何も出来ない。

 

「……じゃあ、すぐ行くわよ。支度をお願い」

 

 ベルベットが踵を返した。レオもまた階段を駆け上がり、尚も二階に居たオリヴィエの前を横切って部屋へと駆けた。

 去り際に向けられたオリヴィエの鋭い視線を、ただ背中に受けながら。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。