コードギアス 血刃のエルフォード   作:STASIS

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第二幕 Hidden Blade

 南北に別れた両ブリタニア大陸のほぼ全域。

 斯様に広大な領土を誇るブリタニア本国においては、空間の使い方というものが実に贅沢である。

 

 北ブリタニア大陸 カリフォルニア。広大な平野部に設立されたその演習基地などは良い例であろう。ロンゴミニアド・ファクトリーの軍需工場からそう遠くない場所にあるこの基地では、ただでさえ広い部類に入る基地施設の周りを囲むさらに広大な平原を丸ごと演習場として使用している。

 馬鹿馬鹿しい広さの土地をブロック分けした演習場は、地形的にもバリエーションに富んでいる。森林、荒野、渓谷、或いは市街地、基地を模した区画、といった具合だ。勿論そうなるように多少手を加えた区画も多いが、環境そのものを書き換えるが如き一大工事を行った訳でもない。

 基地施設に関しては殆どが演習支援施設、管制施設、演習を行う部隊及び機体を格納、万全の状態を保証する格納庫群が大半であり、それでいて対空設備や防御施設、駐留部隊といった普通の基地に必要なものも一揃い完備していた。

 位置関係を見ても一目瞭然なように、この基地と国内最大規模を誇るロンゴミニアド工廠とは非常に密接な関係にある。新兵訓練や機種転換訓練などを目的にこの基地を使用する部隊も多々あれど、“本業”はロンゴミニアド製の新兵器のテストサイトであった。

 

 

 

 

 

 観戦ブース、とでも表現するのが妥当だろうか。エリナ・エス・ブリタニアはその基地のブリーフィングルームを改装したと思しき部屋に居た。先日同様、レオは近くに控えて居ない。が、今日に関しては彼から小言を言われる心配は無かった。

 正面には大小のスクリーンが設置され、遥か遠くの演習場で行われている模擬戦闘の様子を映し出している。モニターに映るのは約五メートル大の巨人、人型自在戦闘装甲騎ナイトメアフレーム。得物を手に地を駆けるその姿は、さながら獲物を追い求める狩猟民族の戦士達のようだ。

 ただし手にしているのはトマホークではなく、ナイトメアサイズに拡大されたアサルトライフルだ。そのアサルトライフルが空中目掛け怒涛の勢いで弾丸を吐き出し、直後スラッシュハーケンと呼ばれるワイヤーアンカーが画面外から飛び出して来て、そのライフルを弾き飛ばす。

 エリナの手元にあるデータパッドには、演習場全域をマップ化したものが映し出されていた。ちょうど今ライフルを失った機体を示す赤い光点が後退し、他の同色の光点がそれをカバーする。

 幾つも群がって市街地を駆け巡る赤い光点達。使用機種はブリタニア軍制式主力機RPI-13 サザーランド。それに対して、対峙する勢力である青い光点はただ一つしかなかった。

 一見すれば、多勢に無勢の状況。しかし今現在、この模擬戦を支配しているのは──

 

「……失礼致します、殿下」

 

 不意に、部屋の入り口を叩く音がした。どうぞ、と一声かけると、呼応して部屋の扉が開かれる。振り返ると、そこにはエリナと同年代の女性騎士が居た。それも二人。エリナが思わず声を上げた。

 

「モニカ!? 嘘でしょう、ユリシアも? いつアフリカから?」

 

 まず先に入って来たのは、見事なブロンドのストレートヘアを腰のあたりまで伸ばした、軍人と言うより令嬢と言った方が似つかわしい清楚な印象の女騎士モニカ・クルシェフスキー。続けて赤いストレートヘアを肩まで下ろした、人懐っこそうな印象の女騎士ユリシア・リィンフォース。

 どちらもエリナの学友であり、一足先に才覚を見出されて実戦の世界に足を踏み入れた秀才である。

 

「つい先程ですよ。前にロイド伯爵がご執心だった“アレ”がひとまず仕上がったらしいから、私達も見ておくと良い、とシュナイゼル殿下が」

 

「……あと、殿下もそっちに居るから一緒に居てやってくれ、って」

 

「その……先日の件もあるから、と」

 

「気遣ってくれてありがとう。私はもう大丈夫だから、心配しないで」

 

 彼女達がエル・アラメイン戦線に赴いたのがひと月前。たった一ヶ月会わなかっただけの友人だが、今の彼女には何より有り難い存在だった。二人の、そして兄の気遣いに感謝しながら、エリナは二人に椅子を勧める。

 

「とりあえず、私達は……ユリシアはまた別の任務がありますが、私の方は暫く殿下のお傍に居ります。あのような事は二度と起こさせません」

 

「……ありがとう」

 

「だから何かあれば……レオに言い辛い事とかあれば私達に」

 

 そう言いつつ、ユリシアがエリナと同じデータパッドを起動する。スクリーンからの爆発音で、エリナも意識を切り替える。スクリーンの中では、サザーランドが続々と戦闘不能に陥っていた。それも、尋常で無い早さで。

 

「……って、あれ? なんか展開早くない?」

 

「ええ、始まって五分も経っていませんが、一個中隊規模居たサザーランドが……」

 

「早速四騎やられた訳ですか……あら五騎目」

 

 またしても画面の中でナイトメアがダウンする。モニカの言葉でデータパッドからスクリーンに視線を上げる。ダウンした機体はサザーランドでは無かった。

 RPI-203 グロースター。第2皇女コーネリアの部隊のような精鋭部隊、部隊長クラスへの優先配備が進みつつあるサザーランドの上位機種だ。

 操縦難度も機体性能もサザーランドを上回る筈のその機体が、今画面の中であっけなく無力化されている。

 

「うわぁ……あれグロースターよね?」

 

 ユリシアも、モニカもその様に一瞬言葉を失う。彼女達にとっては、自身の愛機でもあるグロースターの性能を身体で知っているだけになかなか衝撃的な光景だろう。

 

「グロースターにはどなたが?」

 

「セイト・アスミック卿だそうです」

 

「……彼の腕とグロースターの性能で、これですか……?」

 

 フラッグ機であるグロースターの沈黙で、模擬戦闘は終了となる。スクリーンの中でサザーランド部隊が緩やかに戦闘開始位置まで後退し始める。

 彼らの視線の先には、突き抜けるような青空を背にし、逆光でその身を黒に染めた巨影。

 

「ロイド伯爵、とんでもない物を」

 

「使ってる本人としては、性能の代わりに操縦が忙しくて敵わない、などと愚痴を言っていましたけどね」

 

 そう言葉を漏らす二人の前で、スクリーンの画面が一瞬黒に染まった。再び映ったスクリーンからは戦域マップと部隊情報が消えて、定点カメラから送られて来る映像の全画面表示に切り替わっていた。

映し出されているのは、グロースターもサザーランドも等しく蹴散らしていたあの白く、そして異質なナイトメア。

 全高からしてサザーランドの倍はある。しなやかさと力強さを両立するシルエット。艶のある純白の装甲に散りばめられたメタリックブルーのアクセント。尖った形のカバーに覆われた両肩の砲門。センサーそのままなサザーランドや鉄仮面のようなグロースターのそれとは違う、何処か擬人化したような印象を与える頭部デザイン。派手な本体装備に少々埋もれている印象はあれど良く良く考えれば一番おかしい、背中からX字状に伸びる四枚の翼。どれを取っても、これまでのナイトメアとは明らかに異なる雰囲気を持っている。

 

「……あんなもの、良くもああして使い熟せるわね、レオも」

 

 呆れたような声で、しかし微かに笑みを浮かべながら、ユリシアが呟いた。

 

 

 

 

 

 IFX-V301 ガウェイン。

 この一週間前にロールアウトし、第2皇子シュナイゼル直々の指名によりレオハルト・フォン・エルフォードに与えられた最新鋭実験機。

 ナイトメア開発史におけるガウェインの功績は多岐に渡り、中でも特筆すべき点は、それまで飽くまでも陸戦兵器、それも特定状況下に特化した兵器であったナイトメアの定義を、最終的に陸空両用の汎用戦術兵器へと昇華させるまでに至った機構……浮遊航空装備(フロートシステム)を実用化した点にあった。

 斯様に極めて重要な立ち位置にありながら、歴史的観点においてガウェインはどちらかといえば日陰の存在である。

 この後ガウェインが辿る数奇な運命を知れば、誰もが納得出来るであろうが──。

 

 

 

 

 

 都合五試合でこの日の試験は終了となる。

 総計三度ほど吹っ飛ばされるなり蹴飛ばされるなり消し飛ばされるなりで酷使されたグロースターから、セイト・アスミックはよろよろと顔を出した。

 

「おぉぉぉぉ……やっと終わったずぅぇぇぇ……」

 

 金髪碧眼の美男子が、名門貴族の子息にあるまじき声を出しつつコックピットブロック外殻部にもたれかかる。自分でもオーバーリアクションであると自覚してはいる。しかし、こうして目上の人間である自分が先に本音を吐いてやれば、他のパイロット達も無理する必要は無くなる。少なくとも自分はそう信じる。

 迫り出したコックピットシートに合わせられたキャットウォークに降り立つと、セイトは同じように各々の機体から降りて続々と集まって来る他のパイロットに手を挙げてみせた。

 

「……はい。皆の衆お疲れさん。機体はこの後整備クルーに任せて、俺達はデブリーフィングなんだが……肝心の俺がリアルにグロースターぶっ壊した件で軽く三十分くらい手が離せない。つーわけで各自、機付長に機体を引き渡したら暫く休憩な。ただしブリーフィングルームには居ること。OK?」

 

「イエス、マイロード」

 

 青紫色のパイロットスーツに身を包んだ部下達が一斉に各々の機体の側に戻る。彼らと同じようにセイトがグロースターの足下に居た髭面の親父と二言、三言、言葉を交わしていると、アラート音と共に格納庫の正面ゲートが音を立ててゆっくりと開かれた。

 

台車に載せて格納庫内に運び込まれて来たのは、模擬戦中彼らを思う存分蹴散らした白い巨人だった。

 名前は確か、ガウェインだったかな。 その名の通り、午前中は散々な目に遭わされた。

 

 ガウェインは他の機体から少し離れた区画でオーバーホール中のサザーランドの横に、膝をついた姿勢で格納された。背面のコックピットハッチが開き、青ざめた銀髪の男が姿を現わす。

同僚である彼、レオ・エルフォードとセイトとはだいぶ長い付き合いになる。モニカやユリシアと同じく、幼馴染と呼んで差し支えないだろう。

 養子だと言う話だが、そんなもの大した問題じゃない。出会ってすぐの頃、それを理由にして他人を遠ざけようとしていた彼をモニカが強引に仲間に引き摺り込んだのも、そしてその彼がユリシアを……それまで内気でどこか壁を作りがちだった彼女を仲間に(いざな)った事も、今となっては良い思い出だ。

 それでも本人としては自分の出自が気になってしまうのか、彼はまるでそれを振り払うかのように、のめり込むようにしてKMF操縦技術や剣術の腕を含めた勉学に励んでいた。存外不真面目な自分を尻目に、彼はどんどん才能を発揮していた。一応英才教育を受けていた筈の自分は、気が付けば彼に追い越されていた。

 

 ライバル視した事もあった。と、言うか今もそうだ。

 

 彼がエリナ皇女殿下の専任騎士に内定したと聞いた時には、流石に嫉妬したものだ。

 ……だが、正直言って勝てる気もしない。セイトは彼の元へ歩を進めながら、ガウェインの隣で整備作業中のサザーランドへ視線を向けた。あれは、レオが前に使っていた改修型のサザーランドだ。

 焼け焦げた白灰色の装甲板が取り外されて、同色の新しいものに次々と交換されている。エメラルダ宮に突っ込んだ時に焦がしたそうだ。後で聞いたところによると、あの時はサザーランドの試験中だったのが幸いとばかりに出撃許可も進入許可も何もかも吹っ飛ばし、更には公道を爆走して宮殿に誰よりも早く駆け付けたらしい。勿論結構な問題になりかけたそうだが、そうしなければエリナ殿下は今頃この世には居なかった。正規のスクランブル手順を経て出撃した他の部隊が駆けつけたのは、軽く五分は経った後だったらしい。充分早いが、たった五分、されど五分。レオの報告では、到着した時点で既にエリナ殿下の目の前に暗殺者が立っていた、とある。そこを鑑みれば、完全に出遅れている。

 

 そういう奴だ。彼は。彼はエリナ殿下を護る為になら何だってする。例えルールを捻じ曲げる事になろうとも、だ。そんな話を聞かされては、こちらとしては白旗を上げるしかない。

 

「……やはり、全体的に要調整だな。このままでは収束率が話にならない上安定性も悪い、そして、フロートがどうにも上手く動いていない、と言った具合で褒める点より目につく点の方が多い」

 

「と、言われても。ロイドさんが留守な以上、これ以上はどうしようもないかと。やはり本人に弄って貰わないと」

 

「そもそもが詰め込み過ぎなんだ。私に言わせれば、少し無茶だったとしか思えないがな」

 

 乗機二騎とは真逆の黒いパイロットスーツを着込んだレオが、同じガウェインから出てきた若者と話し込んでいる。セイトが話しかけると、話し相手の若者の方はさっさと退散してガウェインの足下へと降りていった。

 

「……もしかして俺嫌われてる?」

 

「お前はもう少し、自分の立場を弁えるべきだな。逆の意味で。自分で気にしようがしまいが、お前は貴族だ」

 

 少々棘のある声でレオが嗜める。おいおい、俺の反応も見越してやがるなこんちくしょう。

 

「……エリナ様、来週には正式に当主の座を継がれると決意されたそうだな」

 

 手近な手摺に両腕を載せて切り出す。レオは口元にまで持って来ていたドリンクの手を止め、表情を少し沈ませた。

 

「そうするしかないからな。他の手も無い。状況が他を許さなかっただけの事を、彼女が決めたと表現するのは何とも気持ちが悪いがな」

 

「いやに不機嫌だな、なんかあった?」

 

「……お前が聞くのか、それを」

 

 ドリンクが彼の手元から漏れる。ボトルを持つ手が強く握られて、ボトルが殆ど潰れている。

 

「悪かった。でも、仕方ないだろ? 前々から決まってたんだから。それにモニカもユリシアも戻って来てる。警護隊も再編された上で親衛隊が正式に編成される。オデュッセウス殿下もシュナイゼル殿下も、配下を割いてエリナ様の補佐役を送られると仰った。彼女の護衛だけなら、お前でなくても良い。だが──」

 

「ガウェインの世話は、私にしか出来ない。お前もそういう台詞を吐いて私を納得させると?」

 

「俺の言葉に関わらず、お前は納得せざるを得ないだろ? それともお前の我儘でシュナイゼル殿下も振り回す気か」

 

 舌打ちと共に、レオはボトルを完全に握り潰す。

 

正直、無理もないとは思う。一週間前の劇場の件と言い、心情的にはまだまだエリナ様の傍を離れる訳にはいかないはずだ。

 だが、残念なことに状況がそれを許さない。

 レオには三日後、ブリタニア属領の一つ エリア11への派遣が予定されているのだから。

 

 

 

 

 

 この当時、古代の遺跡というものが皇族、貴族の間において流行の兆しを見せていた。

 人類のルーツだ、古の文明だ、滅びた王朝の名残だ、遺跡というのはそういう類の情報を齎すものだ。が、今回の流行で調査に関わり始めたほとんどの人間はそんなものに対して興味を抱かない。得られた情報を研究するのはその手の研究者に任せれば良い。彼らが必要としているのは手柄、実績だ。故に現在の、遺跡調査の流行ぶりは考古学界にとって甚だ迷惑な事態でもある。ライバルに出し抜かれたくないから、などと焦って杜撰な土掘りなどをされてはたまったものではない。

 自身の栄達に生涯を懸ける皇族、貴族達が太古の浪漫に目覚めたそもそもの発端は、一つの噂であった。

 

「ブリタニア皇帝シャルルの起こした征服戦争は、世界各地に点在する、ある一連の遺跡群を目的としたものであったのだ」

 

 皇族にとっては、自身が次期皇帝の座に就くか、とにかく権力の座を手に入れる事こそが至上命題。その後ろ盾の貴族達にとっても、そうして貰わねば一族の将来が危うい。そんな彼らの行く末を左右する権限を唯一持っているのが皇帝シャルル。斯くして皇帝へと取り入るべく、皇族達は挙って遺跡調査に乗り出したのである。

 

 皇帝の求める遺跡というのは、考古学的にも興味深い点のある遺跡群ではあった。

 地理的、歴史的、文化的に全く接点のない一連の遺跡群。しかしそれらには、明白にして明瞭な共通点があったのだ。

建築様式、描かれた紋様。こうもバラバラな地で、こうも似通った遺跡が現れた事実は、古今例がない。

 

 アンリエッタ妃を始めとしたエス・ブリタニア氏族は、そうした時流の中で幸運に恵まれた。領地内で遺跡が、それも件の皇帝が求める一連の遺跡の一つと思しきものが発見されたのだ。報告を聞くや否や、エス・ブリタニア氏族はガロア皇子を筆頭に遺跡調査にのめり込んでいった。

 何年かの調査の末、彼らは漸くその成果を得た。そしてその一週間後、アンリエッタ妃はその成果を横取りせんとする何者かの手で暗殺されたのだ。

 

 

 

 

 

「……素晴らしい」

 

 所謂エルフォード邸として知られる屋敷は、巨大軍事工廠のトップというイメージに反して割と田舎の地域に構えている。小高い丘の一等地にある瀟洒なヴィラの一室で、現エルフォード家当主ローガン・フォン・エルフォードは満足げに呟く。レオはそのだだっ広い書斎の中央で跪き、劇場で奪還したペンダントを手にする養父ローガンの表情を黙って窺っていた。

 

「これが、遺跡の鍵か。分かたれた三つが合わさる事で一つの鍵となる。アスミック卿の見立ては正しかったな……」

 

 今、書斎にはデスクに座った養父と跪く自分の他にもう一人居る。ローガンの横、窓際で秘書の如く控えて居る女。抜群と言う言葉では足りぬ程のスタイルの良い肢体に闇色のドレスを纏い、長過ぎるきらいすらある漆黒の長髪を無造作に下ろして、誰の趣味なのか首輪にしか見えないアクセサリーを首に巻いている。彼女の何の感情も読み取れぬ沈んだ赤の瞳は、明らかにレオだけを見つめていた。

 ベルベット・フォン・エルフォード。レオにとって義理の姉に当たる女であり、“影の役割”に徹する時のレオの補佐を務める女。あの劇場の時に、迎えのバイクを運転していたのは彼女だ。

 

「我が息子レオハルトよ。此度のエリナ殿下救出、及びヴァルクグラムの始末、ご苦労であった。お前にしか出来ぬ、最良の成果である」

 

 一呼吸置いて、ローガンは続ける。

 

「……この場合、祝えば良いのだろうか。レオ、遂に仇を一人討ったな。良くやった。本当に、本当に良くやってくれた」

 

 レオは一言だけで応えた。

 

「ヴァルクグラムは、あくまで手先の一人に過ぎん。奴を辿れば、間違いなく手掛かりは得られよう。それはこちらでもやっておく。と、そういう時にとても申し訳ないのだが。レオ、エリア11への派遣の件だが……」

 

 少々言い辛そうにローガンが切り出す。一応、派遣の件は取り止めにならないのか、と進言してはいた。最もレオ自身、シュナイゼル直々の指名とあっては断れるとも思っていなかったが。

 

「やはり、予定通り行うそうだ。リィンフォース卿が護衛に付く。アスミック卿が原隊に合流するそうだから、三人で彼の地へと赴いて欲しい」

 

「……イエス、マイロード」

 

「済まない。お前が戻るまでには、必ず真の仇を探り当てて見せる」

 

 今回の派遣の要は以下の二点にある。

 まず、レオがテストパイロットを務める試作嚮導兵器ガウェインの調整及び実戦試験。

 ガウェインの開発者たるロイド・アスプルンド伯爵は現在、エリア11において試作嚮導兵器 ランスロットの実戦試験の為エリア11に滞在しており、レオもガウェインと共に現地に向かって、ロイド伯の元で試験を行う事になる。

 

 もう一点は、この嚮導兵器ランスロットを擁するロイド伯以下、特別派遣嚮導技術部の待遇改善だ。

 ランスロットそのものは既に幾度か実戦試験を遂行しており、難航していたテストパイロットの選定も完了、投入された全ての戦場でその性能を遺憾無く発揮している。が、その華々しい成果に反して、エリア11内での特別派遣嚮導技術部への風当たりは非常に強い。

 

 原因は、そのランスロットのテストパイロットにある。

テストパイロット……ロイドの意向により“デヴァイサー”と呼称される、多くのブリタニア騎士の手に余る異常な高さの操縦難度を誇るランスロットを手足の如く操るその人物の名は、枢木スザク。

 エリア11に住む異民族、イレヴンの出身であり、正式な手続きにより名誉ブリタニア人……即ちブリタニア人と同等の扱いを受けられる、として認可されている人物であるが、たとえ役所で書類を提出しようが、多くのブリタニア人にとって異民族は異民族、イレヴンはイレヴンである。

 

 名誉ブリタニア人制度をあざ笑うがごとく、ブリタニア人は自国民と異国民を明確に差別する。加えて枢木スザクは、占領前のエリア11……日本国最後の国家首相 枢木ゲンブの息子であり、更に言えば彼の地で発生した、前総督にしてブリタニア第3皇子 クロヴィス・ラ・ブリタニア皇子暗殺の主犯と目された事もある。はっきりと言って、彼の存在はエリア11統治軍内部において相当に“浮いて”いる。

 そんな人間を擁する部隊という事もあって、特別派遣嚮導技術部は今相当の冷遇を受けている。

 現総督である第2皇女コーネリアとは指揮系統が異なり、しかも責任者であるロイド自身が割と変わり者、放蕩貴族という評価を受けているとあって、元々ある程度煙たがられるのはシュナイゼルとしても想定内だった。だが、第2皇子肝いりの部隊とは言え受け入れられないものがある、などと言いながら軍基地を追い出されるだの戦闘への参加を断固拒否されるだのとあっては流石に看過できない。個人個人の感覚レベルの話であるだけに上から命令しても効果は薄いとして、シュナイゼルはそういう手を打ったのである。

 

 使っている人間の()が悪いから差別対象となる。ならば、その()を上げてやればどうか。

 

 エルフォード一族の御曹司とされるレオの派遣はこうして決まった。絶大な影響力を持つエルフォード一族の御曹司に下手な対応を打ってエルフォード家の機嫌を損ねればどうなるかが分からないブリタニア軍人など居ないし、レオ自身、属領の現実をその目で見る事は良い経験となるだろう。ガウェインの試験も円滑に進む。良い事づくめではないか、と。

 

 レオ自身がこの任務を嫌がる理由は、単純に今の状態でエリナを一人置き去りにするような真似をしたくない、という点にあった。加えて、エリナ自身の当主就任によって本来はレオも専任騎士に正式に就任、親衛隊を指揮しなければならない筈である。ある意味最も大変な時期に主君の元を離れる専任騎士などあり得たものか。

 とはいえ、ガウェインの操縦が可能な人材がブリタニアでは彼くらいしか居ない、というのも事実だ。彼よりも技量の高い騎士そのものは居ても、ガウェインの特異性を受け入れた上でその性能を発揮できる人材、となると相当に限られる。

 更にその中で、例えば皇族であるとか、その他重要な地位に立っているだとかで試作機に乗せるわけにはいかない人間を弾いてしまえば、これはもう、限られる、という次元の話ではなくなってしまう。

 

 最大限の譲歩と、貪欲なまでの追求。両者を掛け合わせた時、出て来る答えはレオただ一人だけだった。対して、エリナの護衛と言うだけならば他にも候補者は居る。

 換えそのものは効くポジションと、換えの効かないポジション。選択の余地はなかった。

 

 

 

 

 

 任務を任務として受け入れたとはいえ、心情的に残るものはある。ローガンの書斎を辞したレオは、彼から一歩下がって廊下を歩くベルベット相手にぶつぶつと内心をぶつけていた。

 

「勿論、命令には従うつもりではあるが……それでも、な。彼女としては今が一番、補佐が必要な状況だというのに」

 

 フィオレの事は、あまり前面には出さない。死んだフィオレより生きているエリナ、などと言う気は毛頭無いが……。

 

「だからこそ、シュナイゼル殿下はクルシェフスキーを前線から呼び戻し、ローレンスを彼女の側に置いたのでしょう? 彼女の能力は、他ならぬ貴方が保証していた筈よ?」

 

「ローレンスはどうでも良い。といって、モニカを無能と貶す訳では無い。ただ……」

 

「“私がやらねばならない”、自分が彼女を助けなければならない、なんて宣うつもり?」

 

 露骨にレオのそれを真似た口調で図星を突かれ、レオはそれ以上何も言わなかった。

 

「何より、エリナ殿下自身が仰ったのでしょう? 貴方に、シュナイゼル殿下の任務を優先してくれ、って」

 

 ……そう、ベルベットに言われるまでもなく、レオには分かっていた。

 分かっているからこそ、その事実が変にレオを苛立たせる。

 

 

 

 

 

 巨大軍需工場を持ち、押しも押されもせぬ地位を手にし、一見全てが万事満たされているように思えるローガン・フォン・エルフォードだが、彼にも手に入らないものはある。

 

 ローガンは、実は子供に恵まれていない。

 

 巨大勢力である事もあって、跡取りは直系が望ましい。だが正妻アレサ、側室フェリシア等々との間に子供は出来ず、何としても跡取りが必要であったエルフォード家は、秘密裏に、様々な形で孤児を引き取っていた。

 

 基本的には貴族の家の出で、親を権力闘争で失った、と言う子供を秘密裏に引き取るケースが殆どで、レオやフィオレのようにストリートで暮らしていたような者は、他に誰も居ない。最も二人の義母として定められた人物であるアレサ曰く、レオら二人についてもストリートに住むより以前に貴族の家で教育を受けていたに違いない、との事だが。

 ……しかし、勢力の巨大さと引き換えに敵も多いエルフォード家である。養子達は対外的には直系の子供だとされているが故に狙われ易く、新しい兄弟が一週間後には死んで居た、などと言うこともあった。レオが知っている限りで現在もこの世にいる者は、まずすぐ後ろに居る義姉ベルベット、シュナイゼルの親衛隊を務める義兄ローレンス(彼については兄弟とは思いたくない)、あとはレオの後を追うようにして軍学校に在籍中の義妹オリヴィエ、逆に軍の道を嫌がって家に残っている義妹エミーリアくらいなもので、自分を含めても五人しか居ない。残りは全員、死んだか行方不明。数が少ない上、見事にバラバラな場所に居る。そもそも正妻の子供扱いの人間と側室の子供扱いの人間に別れてもいる。だからこそ、レオはその少女達とこんな場所で出会うとは思わなかった。

 

 彼らの進む少し先の廊下の角から顔を出した少女は、義妹エミーリアであった。レオのそれにも似た銀髪の儚げな少女。そのアメジスト色の瞳にレオを捉えると、エミーリアはぱっと表情を輝かせて駆け寄って来た。その喜びようと来たら、仮に尻尾でも生えてればそれこそ全力で振り回して床を掃き散らかしていた事だろう。

 直接会うのは、彼女の誕生日の祝賀会以来である。レオがこの家に寄り付かないせいであり、実に四ヶ月ぶりの事である。

 そのせいだろう。彼女はうっかり、開口一番でレオの機嫌を氷点下にまで叩き落とした。

 

「お兄様!」

 

 すぐさま、彼女は自身の失言に気付く。生えていない尻尾が一気に垂れ下がって引っ込む。

 自分の妹はフィオレだけだ。昔彼女にそう言い放った事を彼女は良く覚えている。今でもレオはそう呼ばれれば不機嫌になる。特にエミーリアについては、彼女が下手にフィオレに似て来ただけあって余計に苛立ってしまう。

 

「ぁ……あの……私、ごめんなさい、わ、私、そんなつもりじゃ……」

 

 それでも、彼女にとってレオは兄なのだ。元々人見知りするというか、人を怖がるきらいがあるエミーリアは、レオには割と懐いていた。恐らくフィオレと仲が良かったからその繋がりなのだろう。そして今では、レオはほぼ唯一安心して会話できる兄妹である。そんなレオを名前で呼ぶのは、他人過ぎて怖い。でも兄の機嫌を損ねたくない。そういう葛藤から、彼女もまたレオを避けようとしている。

 しかし、現に今避けるどころか自分から話しかけている。こうもあからさまに自分に依存した様子を見せられては、レオとしても冷淡に切り捨てる事は出来ない。繰り返しになるが、彼女の雰囲気というか、あり様がどこかフィオレに似て来たのが悪いように作用している。

 更に言えば、彼女がこうして人を怖がるようになったのには明確な理由がある。それを知っているレオだから、やはりどうあっても彼女を切り捨てる気にはなれない。

 ……兎に角、その彼女に涙目になって見つめられるというのは存外に厳しいものがある。斯くして、諦観とともにレオは彼女を“妹”として認める事にした。しようとしている。出来る限り。

 

「……ああ、エミーリア。久しぶりだな、元気にしてたか?」

 

 笑みとともに、歳の割に低いところにあるエミーリアの頭に手を乗せてやる。エミーリアの見えない尻尾がまた勢い良く振られる。

 

「はい! とっても! この前演奏会があって、舞台に立って演奏して来たんです! すっごく上手く行って、私……!」

 

「それはそれは。私も是非聞きたかったな」

 

 そうやってとりあえず会話していたレオの視界に、同じ角からもう一人出て来たのが目に入る。エミーリアとは真逆の、煌めくような金髪の少女。金髪、という事でフィオレを想起させる……かと思いきや性格が違い過ぎてそんな事の無いもう一人の義妹、オリヴィエ。軍学校に居るはずの彼女の存在には、流石にレオも驚く。

 

「……オリヴィエ? 居たのか」

 

「あらお兄様、珍しいですね、こちらにいらっしゃるなんて。普段滅多に寄り付かないのに」

 

 琥珀色の瞳がレオに向けられる。昔から、彼女も自分を兄呼ばわりして来る。

 元よりレオに対して態と挑発的な態度を取りがちな彼女である。別に露骨に嫌われている訳でも無いようだが、エミーリア程懐いてくれるとも思わない。或いは、フィオレやエミーリアが例外なだけで、兄と妹という関係とは本来こういうものなのかもしれない。

 彼女にしても、昔はもう少し素直な性格だった。エミーリアの件と同じく、彼女についても、レオは気になって仕方がない。

 

「仕事の都合で、父に直に会う必要があった。まあ、またすぐに発つ事になるがな」

 

 そう言うと、エミーリアの表情が一気に曇る。

 前々から思っていたのだが、エミーリアはレオ以外話し相手の類は居るのだろうか。家に籠もりがちな彼女ではあるが、学友の一人や二人くらい居ても良さそうなものだが。

 

「エリア11に、発つ事になった」

 

「エリア11に……?」

 

 今度はオリヴィエが食いつく。何が彼女の琴線に触れたのか。

 

「エリナ様の親衛隊はどうなさるのです? 確かお兄……レオ様が騎士になると……」

 

 エミーリアが同じくらい食いついてくる。何とも、答え辛い部分ばかり突いて来る娘である。

 

「モニカが暫定的に務めてくれるそうだ。エリナの方は彼女らでも出来るが、エリア11でガウェインを乗り回すのは私にしか出来ない、だそうだ」

 

「だいぶ不服な様子のようだけど」

 

 ベルベットが余計な一言を付け加える。

 

「余計なお世話だ……とにかくそういう訳で、準備もある。この場は失礼するよ」

 

 そう言い捨ててレオは姉妹達の輪から抜け出した。足早に廊下を歩くレオに、背後からエミーリアが声をかけた。

 

「えっと……今夜はこちらに?」

 

「そのつもりだ。夕食の時にまた会おう」

 

「は、はい!」

 

 弾んだ声で返事が飛んで来る。

 本当のところを言えば、彼女の事も心配ではある。今のところその様子はないが、彼女がもしこの家で孤立しているのだとすれば、レオとしてもあまり放っておけないことだ。何度も言うようにフィオレに似てきただけあって、どうしても気にしてしまう。

 

 先日の祝賀会でもそうだったが、この十数年間兄妹として過ごして来て、彼女がレオやオリヴィエ、ベルベット以外の人間と話をしているところを、レオは一度たりとも見た事が無い。

 そして困った事に、原因にも心当たりがある以上対策を講じるのは自分の役目な気がしてならない。

 

 

 

 

 

 エルフォード邸は、大きく分けてエルフォード夫妻の住む本館と、養子達の住む南館、今は殆ど使われていない東館に分かれている。今宵の会食は本館で行う、との知らせを受けると、レオはエルフォード家保有の馬車で東館へと向かった。

 レオの生活スペースは、この東館にあった。他の兄弟姉妹が新しく建った南館に移ってからも、レオだけはかつてフィオレと共に過ごした空間に固執している。

 週に一度の清掃の時以外は使用人さえ遠ざけて、誰も居ない屋敷の中で一人過ごす。そして最近は、この東館にさえ殆ど寄り付かなくなっている。

 

 自室の戸を閉め、鍵をかける。四ヶ月ぶりの書斎はよく手入れされていたが、帰ってきた、という感慨はもう感じられ無い。満ち足りた日々は記憶に成り果てて、現実のこの部屋はとても寒々しい。羽織ったマントをソファの背もたれに放り投げると、レオはローテーブルに置かれた黒い革張りのトランクを開き、中から黒檀の細長い箱を取り出して、トランクの上へ置く。

 箱には錠前が付いていた。ただし、下辺に開けられた鍵穴の形状は一般的なそれとは大きく異なる。レオはその穴に対となる鍵……劇場での暗殺で使った左手首の仕込み短剣を展開し、その専用設計の鍵穴に差し込む。

 かちり、と音がして、錠前が外れる。箱を開くと、そこには赤い天鵞絨の内張りの中に、一振りの瀟洒な短剣が収められていた。

 鞘も無く、布で巻くでもなく、抜き身のままの諸刃の短剣。青く彩られたガード部分は閉じられた翼を象っており、また中央には微かに透き通った黒の珠が埋め込んであった。

 

 ブリタニアでは刀剣類は珍しくもない。民間人の銃器保有が厳しめに制限されているブリタニアだが、護身用としてこの手の刀剣類を持つ人間は民間人、軍人問わず多い。

 これは、やはり欧州にその源流を持ち、そして海を隔てた辺境社会という環境故に純化し、深く根付いた騎士文明の現れと言えるだろう。

 二度、三度その短剣を振るう。手首のスナップを効かせて∞の字を空に描く。

 

「……さて、ようやく一人だ。待ったか」

 

 誰もいない部屋に向けてレオは呟いた。部屋には彼しかいない。それでも、彼だけに聞こえる声が返って来る。

 

“おめでとうございます、丸二年かけるほどの相手とは、お相手はさぞ強敵だったのでしょうね”

 

「殴るぞ」

 

“やれるものなら”

 

 姿は見えない。だが、確かに背後に存在感を感じる。

姿の見えない女。それなりに長い付き合いだが、正確なところはレオには分からない。いくらなんでも、姿なき幽霊などお伽話も甚だしい。だが、自身の頭が狂ったのでなければ、確かにこれは女の声で語りかけてくる。他の誰にも聞こえない、自分だけに聞こえる声で。

 

 初めて、この声が聞こえた日の事は忘れようもない。

フィオレが死んだ日……いや、フィオレの()()を見つけた時。

 全ての音が掻き消されるような豪雨の中、不自然にはっきりと声が聞こえた。それこそ、自分の心が壊れたのかとも疑った。別にそれで構わなかった。自分の生きる目的がこの世から喪われた今、自分だけまともに生きている理由などないだろう。そう思ったものだ。

 何処をどう通ったのやら、声に導かれてふらふらと彷徨った果てに、レオは地下深くへ伸びる石の階段を下っていた。それが後々エルフォード家が躍起になって掘り起こしにかかる、例の遺跡であったと知ったのは、随分後になってからの事だった。

 あったのは、人一人分程度の大きさの、大変に古い代物の割にあからさまに異質な棺。そしてそこに無数のコードで繋がれている、歴史ある遺跡には甚だ似つかわしくない、最新ではないにせよ明らかに近代のものである機械類。

 

 声に従って棺を開いた時、レオは“彼女”に出会った。

 

 鬱蒼とした森の木々を思わせる暗い色の髪、透き通るような白い肌。一糸纏わぬ姿の女。周囲の機械がとてつもなくよろしくない音を喚き立てる中、その女はまるで生まれたての子鹿のようにぷるぷると震えながら棺桶から出て来たのだ。

 女は、棺から出て来たかと思えばそのまま地面に倒れ伏した。目の前の現実が今ひとつ飲み込めず立ち竦む自分に、その女は何やら呟いた後、その白い手を差し出した。

 

 今でも、よく覚えている。例えどれだけ歳月が過ぎようと、レオはあの時の言葉だけは、あの時の衝撃だけは忘れない。

 

 ──これは、契約。

 

 単に鼓膜を震わせるのではない。全身に響き渡る声。仮にそういうものがあるのだとすれば、魂に伝わる声。

 

 ──貴方の望みの成就の為に、私は貴方に力を与える。

 ──力を得るのと引き換えに、私の望みを貴方は叶える。

 ──契約を結んだその時から、現世の理は貴方を見失う。

 

 ──王の力は貴方を孤独にする。

 ──その覚悟が、あるのなら。

 

 ──いま一度問う。貴方は私の契約者となるか。

 

 触れたが最後、あっけなく崩れ落ちそうな儚い存在ながら、彼女はレオを圧倒していた。

 畏怖と言えば、相応しいだろうか。確かに自分は、その声に畏れを抱いた。

 神を見ていた。

 

 故に、彼女の手を取ったのだ。

 選定の剣を抜き、王の力を手にすると決めた。契約を結んだのだ。

 

 (ギアス)を得たのだ。

 

 だというのに。

 ああ、だというのに──!!

 

「で、そろそろ聞いても良いか。お前は契約を結ぶ時、自分の目的を叶えろと言った。何が狙いなんだ、お前の目的が達成されれば教えてやると宣った事、俺はしっかり覚えているぞ」

 

“お言葉ですが我が主よ、貴方が討ったのはあくまで仇の一人。それも下っ端も良いところ。それでは私の真意を話すに足る対価たり得ません”

 

「別にお前の目的を聞くために殺してる訳でも無い。しかしまあ、あれを下っ端呼ばわりとは余程理想値が高いのか、それともお前はお前で、俺の目的について何か知っているとでも?」

 

“さあ、それはどうでしょう。秘密を持つ女は魅力的だと申しますから”

 

 この調子である。

 形こそ臣下の礼を取りつつも、話している内容からしてレオを敬う気など毛頭無い。その点は兎も角として、致命的なまでに話が噛み合わない。というより、意図的に、徹底的に神経を逆撫でして来る。

 

「契約といいつつ、そう聞くと殆どお前に利用されてるような気分にしかなれないな。ついでに、俺以外に認識されない身で魅力もなにもあったものか」

 

 棚の上に置かれたチョコレート詰め合わせの瓶に手を突っ込み、適当にひっ掴んだチョコ菓子を口の中に放り込んでから、レオは苛立たしげに結論を吐いた。

 

“……別に。私とて好き好んで幽霊であるわけでもありません”

 

「ああ、訳ありなのは何度も聞いたさ。詳しい話は一度たりとも聞いた事が無いがな」

 

 あの時言葉を交わし、答えを出した途端その女は消えてしまった。

 

 ……いや、正しく言おう。その女の身体は消えてしまった。しかし、その女の存在は確かにここにある。

 

 この珍妙極まりない女については、当初こそ戸惑ったものの今ではだいぶ判って来た部分もある。

 まず、些かファンタスティックな言い回しではあるが、この女の存在はひどく不安定だ。あの遺跡の機械のせいなのか、それとも“眠りから覚めた”時に何が問題が起きたか、そもそもそれ自体がよろしくなかったか。

 

 とにかく、契約直後に身体が消えてしまったこの女は、以来霊魂だけで存在している、とでも表現出来る状態らしい。そして恐らくはギアスによる契約を結んだ結果であろう。レオにだけはその存在を知覚出来る。

 ……で、分かることは以上だ。過去レオが投げかけた質問を、この女は全て無視した。時期が来れば教える、とか何とか宣って。

 名前? 知らん。本人がラウムだかラム酒だったか名乗っていたが知った事か。

 苛立ちを発散する当てもなく、レオは手にした短剣のヒルトを指でなぞる。

 これについては遺跡に同じく保管されていたもので、どうも彼女の所有物であったらしい。一緒に持って行くと言って聞かなかった覚えがある。

 まあ……今現在、その割にあまり頓着しているように見えないのだが。

 ベッドの上に短剣を放り捨てる。もう少し大事に扱えだの何だの抗議する声を無視して二、三歩よろめいて、レオは背後のソファに倒れこむようにして座った。

 ずるずると倒れこむのに任せつつ、背もたれに引っ掛けていたマントを顔に被せる。腰の辺りで切り詰められたそれが、良い塩梅で顔を覆う。

 

「夕方になったら起こせ」

 

“何を仰るかと思えば。私を目覚まし時計か何かと勘違いしていらっしゃいますね?”

 

「現状お前への認識はその目覚まし時計以下だ。改善して欲しければそのくらい役に立て」

 

 何かブツブツと言い返そうとしている女を無視して、レオは構わず目を閉じた。

 

 ……今更言っても仕方はないが、この女と契約を結んだのは吉だったのか、凶だったのか。

 

 有益なことは確かにある。

レオには目的がある。その目的の為に、この女から授かったギアスの力は何かと都合が良い。

 勿論、無いなら無いで別の手を講じる事だって出来る。レオのギアスは極めて利便性の高い道具であって、現状をひっくり返す超常の切り札というわけでも無い。

 だが、例えば折角目の前に便利なナイフやフォークがあるのに、それを使わないで食事するのも愚かな話だ。利用し、利用される。結構、それで構わない。

 ……それと引き換えにこの女との付き合いを延々と続ける。ギアスの利用価値とこれと、果たして本当に釣り合っていると言えるのか。

 疲れた頭には、とうとうそんな事さえも浮かんで来ていた。

 

 今、レオの目の前に積み重なった様々な問題……エリナの件、エリア11の件、エミーリアの件がある。この上この女の事まで気に掛けて、更に果たさねばならないのはフィオレの復讐。

 

 日々費やされる精神力が、忌々しいあの女のせいでごっそりと削られる。結局レオはそれで一気に疲れ果て、さっさと安眠の中に逃避を始めていた。

 

 ……いいや。逃避、というのは認めたくない。俺は逃げない。前に進まねばならない。契約は結ばれた。着々と力を得て、いつの日か俺は仇に辿り着く。

 だがその仇は未だ見えない。手掛かりさえ掴めないまま、俺はブリタニアを離れようとしている。

 これで良いのか。それさえも分からない。必然的に、焦燥が募る。まるで灯りのない洞窟の中を彷徨うような感覚。言うなれば今は、不意に足元に現れた河に落ちて、激流に流されているとでも表現出来るだろうか。

 ……だったら、流れに身を任せるのも良いだろうか。目指す当てが無いのなら、何かに一度身を任せるのも良い。河が勢い良く流れるのなら、その先には必ず何かがあるはずだ。或いはそれが、洞窟の出口足り得るかもしれないではないか……。

 

 訳の分からぬ思案の果てに、レオは静かに寝息を立て始めた。

眠りに落ちる直前、頭の上に誰かが手を置いた。そんな感覚を覚えた。

 

“おやすみ。レオ”

 

 そんな声もしただろうか。それを確かめるどころか、確実にそれを認識しているかも怪しいまま、レオの意識は切れた。

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