電撃的な発表というものは、得てして周囲の者を混乱させるものである。特区日本の発表については、無論イレヴン達の間でも酷い混乱を齎したが、同時にブリタニア側においても無視出来ない混乱を生じさせていた。
「……」
エリナ親衛隊正装と呼ばれていた服装に身を包み、レオ・エルフォードは夜の帳が下りた後の、人気のない廊下に直立不動の姿勢で立っていた。
特区の発表に伴って、ユーフェミア親衛隊には少しばかり奇妙な命令が下っていた。突き詰めればそれは特区の設立の補佐をせよ、という至極当たり前な命令なのだが、その際に組織を妙な形で分割しているのだ。
即ち、スザクを筆頭とする僅かなチームだけがユーフェミア皇女の側に付き従い、レオやセイトらを始めとするチームには、他の組織……例えばセイトはコーネリア親衛隊、レオはエリナ親衛隊といった類似組織に合流、各部隊と共同で任務を遂行せよ、という命令だった。折角ユーフェミア親衛隊としての編成がひと段落付き、組織立った行動が可能となったというタイミングで、これはどうにも腑に落ちない。組織として見ても、同等の権限を持つ組織同士が同じ場に居る場合、指揮系統は明確化しておかなければ現場での混乱につながる。今回の命令にはこの点への配慮が欠けている節がある。
そして、セイトやユリシアらがコーネリア親衛隊の側に行ったのに対し、レオだけは今現在エリナの側に付いている。これでは二人の監視どころではない。
……最も、二人については結局の所何ら怪しい点は見受けられない、というのも事実なのだが。
何やかやと言っても、与えられた命令は命令だ。レオはエリナ親衛隊と合流するに当たって、現在の専任騎士であるリヒャルトから、彼女の護衛、側近の任を任されていた。それは本来彼の仕事の筈なのだが、リヒャルトはエリナ側もその方が落ち着くだろう、などと言って、エリナもそれを受け入れていた。何か妙な流れが生まれていることは確かだった。
目の前には固く閉ざされたコーネリア総督の執務室の扉に、その両脇で同じく直立不動の姿勢を取る近侍の姿。二人居る近侍の内片方はマリーカ・ソレイシィ候補生だった。どうやら、彼女はコーネリアの近侍に抜擢される程の逸材だったらしい。緊張が極限に達しているのかすっかりガチガチに身体を固めた彼女を見かけて、先程レオは「それでは近侍というより銅像だぞ」と声を掛けたのだが、結果、余計緊張させてしまった様子であった。
言葉選びを間違えたか、と考えていたところで、目の前の扉が開いた。出て来たのはエリナ・エス・ブリタニア。特区に関する調整の件で、ユーフェミアに代わりコーネリア総督と打ち合わせをしていたのだ。
「お待たせしました。さあ、参りましょうか」
彼女に付き従い、レオは執務室の前を辞す。二人きりで廊下を進む内に、エリナは酷く大きい溜息を漏らした。特区の発表からこちら、エリナがこうしてコーネリアとの打ち合わせを行うのは、これで十度目近かった。
何故、特区とはそれほど関係のない場所に居るはずの彼女が、本来それを行うはずのユーフェミアに代わりこんなことをしているのか。それは、コーネリア、ユーフェミア姉妹間に発生した不和が原因であった。
そもそも、近年両者の間には感情的な不一致があった。切っ掛けとして思い浮かぶのは、やはりユーフェミアが枢木スザクを騎士として迎えた件であろうか。コーネリア自身はイレヴンを差別し虐げる思想を持ち合わせている訳ではないのだが、ブリタニア人を上に、それ以外を下に見るブリタニアの国是が骨の髄まで染み込んでいる人物でもあり、その上で、高貴なるものが相応の責務を負って戦い、下々の者は守られる、という極端なノーブル・オブリゲーションの思想の持ち主でもある。それだけに、“下の者”にカテゴライズされる枢木スザクを認める事は出来なかった。その辺りから、双方の感情的な亀裂は広がっていたようだ。
それが、今回の特区の件で遂に無視出来ないレベルにまで発展してしまった。実のところユーフェミアによる特区の発表にはコーネリアは一切関与しておらず、完全にユーフェミア、シュナイゼル間でのみ完結した協議によって実行された計画だったのだ。だからこそ、ユーフェミアは皇帝直轄領であるフジ周辺に特区を設定したのだ。
ただ、ユーフェミア側としてはその話は当然コーネリア側にも届いている、思い込んでいたようで、彼女から殊更コーネリアへ話を持ち込む事は無かった。結果、コーネリアは突然自らの統治する属領に置かれる特殊な行政区について、寝耳に水の形で知らされる事となったのである。
加えて、ユーフェミアはゼロを──皇族殺しである男の罪を赦し、特区に迎えるとも言った。これは、前総督クロヴィスの仇としてゼロを憎むコーネリアにとって、何より受け入れ難い事実であった。決して認めようとしないコーネリアに対して、ユーフェミアは断固として譲らず、結果、エリナが両者の間に立って、どうにか取りなそうとしているのが現状であった。が、これは上手くいっているとは言い難い。
何故ユーフェミアがそれほどまでにゼロに拘るのかは分からないが、結局のところ、両者の断裂が急速に広がった原因はゼロだ。だが理由が分からない以上、エリナにも取りなしのしようが無い。
「ねえ、レオ。少し……少しだけ、お話しませんか?」
エリナはそう言って、レオと共に政庁屋上の庭園へと足を運んだ。屋上の敷地一杯を使用して整備された庭園は、本国の皇宮……今や閉鎖されたアリエスの離宮のそれを模して造られている。皇宮としては少々こじんまりとしていながら良き立地と景観に恵まれ、皇帝シャルルにも愛されたアリエスの離宮は、七年前の惨劇──何者かの放った暗殺者により、后妃マリアンヌが射殺され、皇女ナナリーもその心に深い傷を負った──以来誰も住まわず、まるで悲劇の現場を内へと封じ込めるかの如く閉ざされている。記録によると、アリエスの庭園の生写しと言えるこの庭園を造らせたのは、前エリア11総督クロヴィス皇子だと言う。
それは、かつてアリエスの離宮にて悲劇に見舞われた果てに、このエリア11にて生命を落とした異母兄妹、ルルーシュ皇子とナナリー皇女を悼んだ物だったのだろう。
「クロヴィス兄様は、こういうのが一番得意な方でしたね」
月夜の下に、身を晒す。最も目立つ位置に設けられた花壇の前で腰を下ろし、エリナはそこに植えられた薔薇の花に手を触れた。華美の極みと言える程豪勢に飾られて、しかし決して煩さを感じさせない、造り手の技量が良く分かるそれは、存命当時、クロヴィスが手ずから世話をしていた花だと言う。深紅と薄紅色の二色の薔薇に、彼は恐らく第11皇子ルルーシュと第12皇女ナナリーの姿を見ていたのだろう。
「見事なものですね」
「そうだな。流石はクロヴィス殿下だ。良き芸術家であらせられた」
エリナの言葉にレオはそう首肯した。二人だけの時は、他人行儀な真似はしないで欲しい、とのエリナの希望通り、妹達に語りかける時のように。
仲睦まじく花を咲かせる二種の薔薇。その色合いは現在この地を治める皇女姉妹のそれにも似て、自然とエリナは首を横に振った。
「コーネリア姉様やユフィも、本当はこのくらい仲が良い筈なのですが……」
「お二人とも、まだ?」
「ええ。特にコーネリア姉様はもう完全に意固地になっています」
コーネリア皇女とは、確かに気性が強く、並の男性騎士では比較にならぬ程に武人の気質をもつ人物だが、同時に明晰な頭脳を持ち、冷静沈着な一面も持ち合わせている優秀な人物だ。皇女でありながら最前線に立ち、更に度重なる戦果を挙げているのは伊達ではない。それだけに、この彼女のある種の固執ぶりは驚きを隠せない。
「総督らしからぬ……としか言えない。何があったのか」
「貴方だから伝えておきますが……ユフィはゼロの罪を赦す為に、皇女の地位を返上するそうです」
「何?」
レオは愕然として問い返した。
「皇籍奉還特権を使うようなのです」
皇籍奉還特権。その名の通り皇族としての身分を永久に放棄し、市井の人間として野に下る事を引き換えに、およそあらゆる罪状を打ち消すという、皇族にのみ与えられた特権だ。
いや、それは特権というよりは一種の刑罰に近いものだった。
元々ブリタニアには、皇位継承権を持つ人物へ重い処罰を下す法律は存在しない。これは、ブリタニアの歴史上永らく存在した神権政治の文化……皇室の権威は神の威光により保証されたものだとする概念の名残と言えるのだが、長いブリタニアの歴史の中で罪を犯し、法によって裁かれねばならない皇族というものも当然皆無ではない。近年の例で言えば、それこそエリナの親兄弟を暗殺しエリナの命すら狙った第9皇子アルベルトなどだ。そしてそうした時に用いられるのがこの特権だ。皇帝直々にこの特権の使用を命じられ、皇室の地位を失う。これによってその罪そのものは償われたとされるのだが、引き換えにそれまでの身分も、その生まれ故に手にした多くの特権も全て失い、身一つで宮殿を叩き出される訳である。
当たり前の話だが、この特権を使用した皇族はその後二度と皇族の立場を取り戻す事は無く、その後の人生において二度とかつての特権を行使する事はない。再び罪を犯せばその時は市井の人間として裁かれる形となる。いわば、皇籍奉還特権は皇族にとって、生涯ただ一度きりの切り札なのだ。
因みに先述のアルベルトも、つい二週間程前……エリナがエリア11に来る前後の時期に、この特権の使用を皇帝に命じられている。
「……本当に?」
ベンチに腰を下ろしたエリナの横に並んで、レオは恐る恐る問いかけた。一人の人物の為に、自分の特権を全て放棄する覚悟を示す。それも兄弟の仇である人物だ。にわかには信じがたい。
「本人の口から聞きました。特区の成立後、本国から発表があるでしょう。ユフィは気にしていないようでしたが、コーネリア姉様が……」
道理で、親衛隊の組織改編が起きる筈だ。ユーフェミアが皇族の地位を喪う事でその親衛隊も解散となるのは道理。故にユーフェミアは僅かな人数だけを側に残して、残る人員を他組織に吸収させるつもりなのだ。
当然、血を分けた姉妹がそのような手段に出るとあらば、姉としてコーネリアは断固認められない事だろう。コーネリアが意固地となったのはそのせいでもあるのだ。こうなると、尚更ユーフェミアとゼロの関係の謎が深まって来る。
「そのユーフェミア殿下は、ゼロと面識が?」
「カワグチ湖でのホテルジャック事件に巻き込まれた際に、一度だけ話したようです。でも、それ以上は……」
エリナは首を横に振った。
「なので、コーネリア姉様も必死でユフィを止めようとしているようです。本国の枢密院や宰相府に根回ししてみたり、お母君に掛け合ってみたり……私にも、ユフィを説得してくれ、と」
「それで、ユーフェミア殿下は何と?」
「まあ聞く訳ありませんね」
即答であった。それで、エリナも少し笑みを溢した。
「一応、試しに言ってはみたのですよ? でも、ものの見事にコーネリア姉様の差金でしょう、って見抜かれて。それを差し引いても、本人の意思も固いようでしたから、説得は無理に思えますね」
それに……とエリナはレオの方を向いた。レオは彼女の視線の高さに合わせるよう、彼女の隣に跪いた。
「私自身、ユフィには賛成しているんです」
「ほう?」
「特区に、というよりユフィ個人に、ですけどね?」
そう言ってエリナは苦笑した。不意に吹き込んだ風に靡く紫の髪を手で抑えながら、エリナは続けた。
「少し前までコーネリア姉様に頼りがちだった子が、今は自分の力だけで大きなことをしようとしている。あの子を見ていると、私も出来ることをしたいって、そう思えて来るんです」
かつてエリナ自身が言っていた。もう守ってばかりはいられない、自分の力で、自立して行かなければならない、と。今、ユーフェミアはそれをしようとしているのだ。
「……だから私、実は今、結構充実しているのです」
そう言って、エリナはレオの方を振り向いた。その表情は、かつてないほどに穏やかで、何より輝いて見えた。
「ただ、私はそれで良いのですが他の方……特にレオ、貴方はどうなのでしょう。それが聞きたくて。特区の発表以来、貴方には色んな事を手伝って貰っている事ですし」
正直な感想を述べれば、レオ自身は当初、特区の構想にはそれなりに冷ややかな感想を抱いていた。七年もの間堆積し続けた怨嗟の感情が、そう易々と解消されるものか。殊に、元より支配する側でしかないブリタニア側からイレヴンに手を差し伸べるなどただの上からの施し、傲慢さの現れとしか受け取られないだろう、と。
だが、現実にはユーフェミアの言葉に多くのイレヴンが賛同している。日に日に増える賛同者、群れ成して特区を目指すイレヴン達。それはまるでハーメルンの笛吹きに導かれた童にも見えて、何やらある種の人智を超えた力のような物を感じてしまう。
──人智を超えた力、ギアス。レオはその存在を知っている。故に一度はそれを疑った。だが、あの霊体の女に話を持ちかけた所、彼女はそれを鼻で笑った。あれはそのような姑息な物ではないでしょう、と。もっと長期的に効果の及ぶ、より強きものだ、と。
ギアス絡みの話を除いて、その辺りを正直に述べると、暫し考えてからエリナは言った。
「少し、違うと思うのです。ユーフェミアはただ、他人から受けた幸せという恩を返したいだけなんだと思います。自分が他人に幸せを与える事で。施すとか施されるとかではなくて、ただ、して貰った事を返したい。それだけの話なんです」
──一緒に来なさい! 私が、良い所に連れて行ってあげる!
不意に、その言葉が脳裏を走る。それは過去の記憶。幼い日、レオの手を取ったモニカの言葉だ。
──お前は、そこに居るべきじゃない。
それはレオ自身の言葉。モニカの一言がきっかけで居場所のような場所を得て、今度はレオ自身が、一人の少女に言った言葉。
それだけの話なのだ。エリナの言葉が、過去の実体験を伴ってレオの心に納得を齎す。自分が受けた善意を、他者に共有したい。それはレオ自身にもあった感情だ。誰にでもある、当たり前の思いだ。ユーフェミアは、それを愚直なまでに真っ直ぐにやっているのだ。
だから、人はユーフェミアに共感する。思いを同じくする者として、その側に居たいと願う。そうエリナは言っているのだ。
「それだけの、話か……それだけ……の……?」
「ええ。それだけの、簡単な──どうしました?」
エリナは言葉を切り、レオの顔色を覗き込んだ。そのレオは、不意に甦った記憶の一ページに混乱していた。
モニカの言葉で友を得たレオは、やがて一人の少女に手を差し伸べた。彼女もやがてレオと同じように友となった。だがその中で、レオはユリシアについて深く知ることとなった。ユリシアの家の事情……陰謀によって歪んだ兄妹の姿を見た。そして、レオはある時、彼女の兄ウォルターの下から、彼女を──どうにかした。どうにかした、筈なのだ。
だが、抜けている。その先に何があったのか、その記憶が抜けている。気付けばユリシアは過去を感じさせぬ明るい性格の女として振る舞うようになり、ウォルターはその彼女に陰で何かと危害を加えようとして、都度レオに阻止されていた。だが、肝心の箇所──レオは彼女に何をしたのか、それが抜けている。助け出したのだろうとか、守ったのだろうとか、予想は色々付く。けれど、自分のやった事の筈なのに、肝心の自分の中に答えが無い。
記憶の矛盾。それは少し前にも、オリヴィエとの会話で露呈している。存在しない筈の弟エリアスの存在。そしてユリシアの件。何かがおかしい。自分は何かを忘れている──?
脳が混乱し、視界が揺れる錯覚に襲われる。レオは視界の震えを抑え込むように頭を抑え、ベンチに手をついた。
「レオ!?」
「いや、大丈夫だ……少し、な」
それでも、虚勢だけは張れた。
「あまりに簡単な話だったから、つい、な……さあ、もう戻ろう。風邪を引くぞ」
「え、ええ……そうですね」
半ば強引に、レオはエリナと共に政庁の中へと戻った。
だが、その日一日は、頭の震えは止まる事がなかった。
翌朝。特別派遣嚮導技術部基地内 ヘリポート。朝靄に包まれて白く濁ったその場所に、ぼんやりと閃く赤い閃光があった。
「──ふぅ。今朝はこんなもんで上がろうかしらね」
そう言って、レオの目の前の相手が刃を収めた。レオもそれに倣って、手元に握った赤い剣──フラムベルージの輝きを収めた。
「この剣を使い始めて、はや半月。こうしてみっちりトレーニングして来た訳だけど……どーよ? お前らとしては」
つい先ほどまで行われていたレオとユリシアの試合を眺めていたセイトが、ヘリポート上に登って来て言った。ほぼ使われる事が無い上、まるでささやかな闘技場のように円形の形をしていて丁度良くないか、とこの場所での練習試合をレオやユリシアに持ち掛けて来たのはセイトであった。この基地に落ち着いて以来毎朝のルーティンとなっているこの自主訓練のお陰で、レオもユリシアも、勿論セイトも新たに与えられた武器の扱いがだいぶ上達しつつあった。特区宣言により互いの忙しさが段違いに跳ね上がっても、このルーティンだけは続いていた。
「どう、とはこの場合性能評価をすれば良いのか、個人的な使い心地を言えば良いのか?」
「後者で。色々普通の剣と違うからな。前者はまあ三者で評価一致するだろうし」
「私はまあ……悪くない、って感じ? 元々私ブリタニア式の大剣は少し苦手だったけど、これだったら片手で楽に扱える位軽いし。レオも最近は軽い奴使ってたわよね?」
ユリシアがレオの方をチラリと見る。彼女の言う通りレオがこれまで使っていた刀剣は、ブリタニア式に比べ非常に軽い。サーベルの類よりも大剣に傾倒気味のブリタニア式剣術と相性が悪いのは、レオとて変わらなかった。
「ああ、感覚は分かる。基本的にブリタニア剣術は重量級の剣を腕力と重力で強引に叩き付ける傾向にあるのも合わせて、この手の片手剣はブリタニアでは少数派だ。その上でショートソードの類はどうしても打撃力不足になりがちだが、これなら高い切断力で補える。最も、僅かな時間だけだが」
「そこが不満点かしらね。実際今の仕様じゃ実用性に欠ける事は確かだし、ロンゴミニアドに改善要求送ろうかしら」
「……私も感想程度とはいえ似たような事を送った。止めはしないが、まああまり強く言ってやらないでくれ。聞くところによれば連中も実用化には大変苦労したそうだ。開発主任は過労死寸前だった、などと聞いたぞ」
「可哀想に」
ユリシアが苦笑する。そんな事を話しているとセイトが妙にニヤニヤしながら割り込んで来て、二人の肩にぽん、と手を置いた。
「じゃあさ、これロイド伯爵にやらせようぜ? MVSの技術じゃ奴が本家本元だ。勝手に先越されたとか何とかボヤいてるようだったし、いい機会だろ? っつってさ」
「それもういじめじゃない……?」
「嫌がらせの極致だな」
苦言を呈する形ではあるが、笑みを抑えられていなかった。そしてその発言を契機に、各人の悪戯心に火がついて突拍子も無い、概ねロイドが被害を被る案が立て続けに飛び出し始める。(因みに、この理不尽極まるロイドへの負の影響の根底には、常日頃から思い付きで愛機に妙な試作品を取付けて、無茶苦茶な条件下でのテストを日に何度も要求するなどしてこちらを振り回して来る、ある種和やかな恨み辛みがある事を明記しておく)
やがて三人は一通りロイドを弄り終えると、馬鹿みたいに笑い声を上げながらヘリポートを後にした。
久しぶりに、友人らしい関係を満喫させて貰っている、とレオは感じていた。この所は特区の事以前にも、フクオカの件や一時帰国の件、ナリタの件と立て続けに色々あったせいで、こうして無駄話に花を咲かせる余裕も無かった。
……とは言え、だ。
“忙しさにかまけて忘れてはいませんか? この二人は、妹の仇に連なる人物である可能性が高い、と”
霊体の女に背中を突っつかれるまでもなく、アマネウスとフランシスという名の黒幕に、この二人は極めて近い場所に居る。どちらも珍しい類いの名だ。彼らそれぞれの家の当主
の名との一致は、偶然ではあるまい。レオ自身が常にこの女に言うようにフィオレの仇を取る為に何でもしてやろう、と思うのならば、まずこの二人に探りを入れるべきだ。実際、本国を出る時に義父にレオはそう宣言した。
(しかし、な)
“お友達は疑いたく無い、とでも?”
(いちいち嫌な所を突いて来るな……だがまあ、認めざるを得ないな。俺は二人を疑う事に抵抗を抱いている。それに──)
自己分析の結果としては、やはり自分が彼らとの友情に惑わされているだけだとしか言えない。少なくともセイトについてはそうだろう。
だがユリシアについてはもう一つ懸念事項がある。
(彼女については、俺の記憶の欠落に関係している可能性もある)
ズキリ、と頭の中に痛みを意味する信号が走る。そう、オリヴィエにエリアスの事を尋ねた時のように、記憶の欠落について触れようとすると、こうして頭痛に見舞われるなり本能的な忌避感を抱くなり、何かしらの不利益を被る事が多い。最近ユリシアについて探りを入れづらいのはこういう事情がある。流石にこの頭痛の中で、高度な情報収集は難しい。
「……どうかした?」
ふと気付くと、ユリシアが自分の顔を覗き込んでいた。セイトの姿は何処かへ消えていて、基地本棟内に繋がる渡り通路の上でレオは立ち尽くしている。
「いや……セイトは?」
「先に行ったわ。ダメ元でロイド伯爵に改修依頼叩き付けて来るって。貴方の目の前で言ってたわ」
「そうか」
中に入ろうとしたレオを、横から伸びて来た手が制した。ちょっと良い? と聞かれ、返答を待たずにユリシアはレオの手を引いて建物の影にレオを引き込んだ。
「ねえ、貴方最近どうかしたの?」
「……忙しさに押し潰されそうになっているのは確かだ」
「そうじゃなくて」
逃げ場を奪うように、ユリシアはレオをさり気なく壁に押しつけて来る。
「ここのところ雰囲気が変わったって言うか……」
「雰囲気が」
雰囲気が変わった、とは以前エミーリアにも言われた言葉だ。“ローレンスと同じ顔をしている”、と。彼女にそう言われた時は愕然ともしたし、その後エリア11に戻る直前にエリナと会った時でさえ、似たようなことを言われた。
「それは……何か。
「ん〜……ごめん、ちょっと否定できない」
ユリシアが笑みを溢す。それでレオも少し気が楽になった。少なくとも、彼女はその辺りを正直に言ってくれる。
──言われている内容としては笑ってもいられないのだが。
「厳密にいうと、ね。貴方、最近……この前の一時帰国以来かな」
そう言われて、レオの脳裏に過ぎるのは、本国で掛けられた言葉。
──私はあれで獲物を人間の域を逸脱する程度に破壊する。お前はその決して長くはない刃を喉に突き刺し、じわじわと獲物を殺す。どちらも獲物の苦しむ様が良く見える代物だ──
あのローレンスに言われたように、自分とローレンスは同類に堕ちたというのか。
認めたくは無い。しかし、思い返せばエリア11に来てすぐの頃や、一時帰国の時にも思い当たる節はある。近接戦で
「殺しを愉しみ、殺戮と破壊を愉悦とする、か……」
呟いて、レオは目を伏せた。ここの所レオを悩ませる、自己という存在への不信感。それが今の彼を不安定にさせていた。人間の精神が寄って立つ軸、そこに不安があるのでは、出来るものも出来なくなる。
「何か言った?」
ユリシアの細い手が、レオの頬に伸びる。彼を気遣う手、それを……
「何でもない。いいから、構うな!」
遂にレオは振り払った。伸ばされたユリシアの手を振り払い、直後、驚きとショックの入り乱れたユリシアの表情を目の当たりにして、自分のした事を自覚する。
小声で自らの声を呼ぶユリシア。それを押し退けて、レオは足早にその場を離れた。
……いや、それは逃げた、と表現した方が正しかった。そそくさと建物の中に入り、下りのリフトを求めてリフトホールへと足を向ける。
──何をしているんだ、俺は。
声に出さない叱責を、自らへ向けて飛ばす。彼女はただ、いつもと違う自分を気遣ってくれた、それだけの話だ。
──だが、彼女に気を許してはならない。
別の叱責が、同じ声で響く。セイトもユリシアも、フィオレを殺した黒幕に近い場所に居る。或いは、二人が敵である可能性も否定できまい。
──しかし、二人は親友だ。
また同じ声が反論する。そもそも、レオにはギアスがある。遍く人を敵味方に識別する絶対の力。これがある限り、何人たりとも自分を欺く事はできない。そしてそのギアスが、二人は敵ではないと示しているのだ。何を不安がる。
同じ声が、他ならぬ自分の声が脳裏を飛び交う。数多の可能性を示唆しながら、自分同士で殴り合う。そして、延々と結論の出ない混沌をレオに押し付けてくる。
「あぁ……クソッ!!!!!」
溢れんばかりの感情の行き場を見失って、レオはホールの壁を勢い良く叩いた。全く同じタイミングで、リフトの到着を意味する甲高い音がホールに響き、真正面の扉が音もなく開く。
「おやおや、随分荒れてるようですね、フォン・エルフォード」
「!?」
思わぬタイミングで声を掛けられて、レオは思わず顔を上げた。
リフトから降りてきた人物──現エリナの専任騎士、リヒャルト・ティーフェンゼーが、レオの視線の先で不適な笑みを浮かべていた。
「丁度良い所に。少しお話がございます……式典でのことについて、なのですが」
深夜。
特区日本開設式典会場予定地より数キロ地点。
濃く樹々の繁った山中に、音も無く入り込む巨大な影があった。それは、闇よりも深い黒に塗装された複数のKMF
……黒の騎士団の無頼、無頼改の部隊であった。
時刻は深夜零時過ぎ。カレンダーは既に式典の行われる日付けを指し示し、十二時間後にはユーフェミアの手によって特区日本の施行開始が高らかに宣言されるであろうこのタイミングで、黒の騎士団は主力部隊をこの場所……式典会場を囲む森の中へと密かに配置していた。
「った〜くよ……こっから昼まで寝ずの番かよ」
「ローテ組んでるから、寝てて良いよ。時間になったら起こすから、そしたら今度は私が寝る」
「寝るったって、このクソ狭い無頼の中とかトレーラーの荷台でか? 休まる気がしねぇ……」
愛機白夜の足下を、井上と杉山が話しながら通り過ぎて行く。全開にした白夜のコックピットに腰を下ろし、エリアスはバイザーを下ろしたまま、周囲の警戒を続けていた。
白夜のセンサーで電子的索敵を続けながら、エリアスは自身のバイザーに備えられた赤外線センサーで各方位を見張る。こういう時、機械化された身体は使い易い。
「おーいエリアス、そろそろ交代の時間だけど?」
そのエリアスに、地上から声を掛ける少女が一人。紅月カレンだった。カレンとは別ルートで合流予定の紅蓮がまだ到着していないが故に、彼女は零番隊隊長という立場でありながら、他のメンバーに混じって展開の準備を手伝っていた。
「了解……紅蓮、着いたのか?」
「まだだって。紅蓮のセンサーで警戒しろって話だったんだけど……しょうがないから、悪いんだけど白夜、借りて良い?」
カレンが両手を合わせてこちらを見る。
無頼や無頼改に比べ、紅蓮系統機のセンサー有効半径は桁違いに広い。故に、部隊展開作業中は白夜と紅蓮、そして月下のセンサーでもって周辺警戒を行う、というのがゼロの通達した指令であった。
既に他の地点では四聖剣の月下が起動して、警戒配備に当たっている筈である。そして、最も会場から近く、また配置する部隊規模も大きいこの地点では、白夜と紅蓮の二騎を同時に使用して警戒を行う手筈だ。しかし紅蓮の到着の遅れによって、本来は同行している拠点トレーラーの護衛であった藤堂の月下を白夜と共に警戒任務に用いている。故に現状、例えパイロットのエリアスが休んでいようとも、白夜は休ませる訳にはいかないのだ。
「まあ、機体は立ってるだけだからな。分かったよ」
エリアスは白夜を屈ませて、右の腕をカレンに差し伸べた。カレンはその上を器用に登って、あっという間にエリアスの座すコックピットにまで辿り着く。
「ありがと」
狭いコックピットブロックの上で、エリアスはカレンに席を譲る。かなり端の方に動く羽目になったが、機械の腕で開かれたコックピットハッチを、脚部のクローでブロック外縁をガッチリと掴む事で、不安定な姿勢ながら落下の可能性は無くなる。繰り返しになるが、こういう時に機械化した身体は便利に使える。
「……ところで、さ。聞いて良いかな」
カレンの着座を確認し、カレンの来た道を逆に辿るようにして白夜から降りようとしたところで、カレンがエリアスを呼び止めた。動きを止めるだけ止めて、次の言葉を待つ。その沈黙を肯定と正確に認識して、カレンがゆっくりと、遠回りな言葉を紡ぐ。
「私達が一緒に戦うようになって、もう、結構経つじゃない?」
「ン、だな」
「それで……多分前にも聞かれたと思うけど、言ってたらしいじゃない? 日本人を味方に思う事は無い、って。アレ、今もそうなの?」
エリアスは思わず振り返った。何を聞くかと思えばそんな話か。
元々、同じ日本人の血とブリタニアの血とを併せ持つ立場の人間でありながら、カレンと自分の自己認識は決定的に異なっていた。カレンは自らを日本人だと規定し、エリアスはそうではない。母を見捨てた日本人を味方に思える日は、未来永劫来ることは無い。
「その……ごめん。ラクシャータさんから聞いちゃったんだ。貴方の、その、昔の事」
そうだ、と答えようとした矢先、カレンが先手を打ってそう言った。
「……何処までだ」
ずい、っとエリアスはカレンに詰め寄った。反射的な行動だった。
「何処まで聞かされた!? 答えろ!」
義体化されたと言っても、顔や表情を司る筋肉は生身そのままだ。不躾に過去を掘り起こされて、彼の数少ない生身の部分が怒りの表情を作り出していることを見て取ったカレンは、怯みながらも答えた。
「ご、ごめんって! そういうつもりじゃなかったんだけど……その、ほんの触り部分、くらい? お母さんが……その……日本人に捨てられた、って」
そう聞いて、エリアスは盛大に溜息を吐いた。
「それじゃあ、全部話したってのと変わりないじゃないか」
「じゃあ……本当に?」
「ああ、そうだよ。この際そこまで知ってるんなら隠す意味もない」
身を翻してコックピットの前面スクリーンを乗り越え、エリアスは白夜の頭部に背中を預けた。顔を上げて、頭上に浮かぶ白い月を見つめながら、エリアスは自らの過去を語り始めた。
「俺の母親、榊原美咲って名前だったんだが……経緯は知らねえけど、ブリタニアのエルフォードって家に嫁いだのさ。それで生まれたのが俺だったんだが、日本とブリタニアとで戦争が始まって、俺は屋敷から追い出された。ガキの俺に何が出来るでも無く、気付けば母さんとも離れ離れでどっかの施設に入れられて……この身体は、その時にこうされたんだ」
機械の腕を持ち上げて、カレンに指し示す。カレンは黙ってエリアスの話を聞いていた。エリアスの表情をじっと見つめながら。
「……藤堂中佐辺りは知ってたらしいんだが、母さんは当時の日本でも有数の刀の使い手だった。軍に居たらしいんだが、その頃に“月虹”って銘の刀を名のある職人に打って貰った。母さんはその刀を振るって、施設から俺を助け出してくれた」
「それが、神根島で手に入れたっていうあの刀?」
「今腰に帯びてる奴、そうだよ」
カレンの前で、月虹と名付けられた刀を抜いて見せる。
帰還してから刀剣に詳しい藤堂や仙波に尋ねてみたのだが、二名からは現代には珍しい程に純粋な、日本古来の技法によって丁寧に拵えられた、それでいて現代戦にも通ずるよう様々な工夫を凝らした至高の一振りである、とのコメントを貰っていた。朝比奈などは冗談で「エリアスはフォルケイドがあるのだから、藤堂中佐が振るえば良い」などと言っていたが、藤堂は「これはエリアスが振るってこその物だ」と断っていた。
刀には割と小さくだが、漢字で“月虹”と銘が彫られている。この銘を、果たしてあの男は……何も知らずにこの剣を使っていた義兄レオハルトは知っていたのだろうか。
「けれど、さ。這々の体で日本に帰り着いた母さんを……あいつらは……母さんの家の連中も、母さんを取り巻く全ての日本人が、どいつもこいつも、母さんを見捨てた。その癖母さんが死んでからいけしゃあしゃあと、さも申し訳なさそうに出てきたのが老師、榊原大和って爺いだ。俺はそいつの私兵として、生かされた」
話し終えてから、カレンは暫く黙ってエリアスを見つめていた。やや沈黙が続いた後、遠くからトレーラーの走行音が近付いて来るのを、エリアスの耳と、増設された聴覚センサーが捉えた。エリアスは立ち上がると、跪いたままの白夜の胸部から地表を見下ろした。この義体ならば、直接飛び降りても何ら問題無い距離だ。
「紅蓮、来たみたいだな。警戒はやってろ。紅蓮の積み下ろしまでは手伝って来るから、そしたら──」
「──お母さんの事、大好きだったのね」
エリアスは中途半端に身体を起こした姿勢で止まった。それは、槍か何かに心臓を突然貫かれたような格好でもあった。
「な……に……?」
「だって、貴方の表情。お母さんの話をする時は、すっごく穏やかだったもの。その眼帯や機械に隠れてても分かるよ。見た事無いくらい優しい顔だった」
それから、表情がどんどん憎悪に歪んでいった。カレンはそう言ってエリアスを見つめていた。視線でその場に縫い止められたかのように、エリアスは動けなかった。
「……そう、だよ。認めるさ。母さんはさ。とっても強いんだ。強くて、優しくて……俺の、一人だけの、味方だったんだ」
顔を背ける。それだけはエリアスにも出来た。斬られた左眼とそれを覆う眼帯だけがカレンに見えるように。彼女に見えない側で、エリアスの視界が少しずつ歪み始めていた。
「っ……!! だから、改めて答える! 俺は母さんを見捨てた日本人なんか、仲間だと思えないんだよ!! 絶対にな!!!」
「そう、なんだ」
「ああ……そうだよ!!」
言い捨てて、エリアスは白夜から降りた。微かに湿気た緑の地面に、脚から真っ直ぐに着地する。膝を曲げて衝撃を受け止めて、エリアス逃げるように白夜から離れた。
ああ、全く。
久しぶりに感情を激しく揺さぶられて、エリアスは生身の手で乱雑に顔を拭った。涙など流していない。そう思い込む事にした。
「母さんの話なんかしたせいかな……嫌な事も一緒に思い出しちまったよ、ったく……」
──もう一度、申し付けておくぞ、エリアスよ
脳裏に、憎むべき男の声が響く。
──我らは、特区日本へ参加する。これはキョウトの決定事項だ。
それは、この移動の直前に、態々人払いをした榊原大和に呼び出された上で、直接下された指令。
──お前は頃合いを見計らって……
これまで、黒の騎士団は曲がりなりにもキョウトの支援があってこそ、軍隊として纏まった活動が行えた。KMF、潜水母艦、拠点、人員。どれを取っても、キョウト無しでは手に入らなかったし、キョウト無しでは今後も動かすことは出来ない。故に、エリアスは榊原大和を完全に切り捨てる訳にはいかない。この指令は、そうしたエリアスの態度を知ってか知らずか下されたもの。
──黒の騎士団を見限り、特区の敵となるならば、彼奴等を内より撹乱せよ。
……キョウトも榊原大和も、特区に入る事を決めた。それは、奴らの側から黒の騎士団を切り捨て、ブリタニアに恭順する事を意味する。
しかし。ブリタニアとて母の仇だ。母さんは態々日本にやって来たエルフォードによって殺された。少なくとも奴らが生きている限り、ブリタニアもまたエリアスの敵だ。
もはや、キョウトはエリアスにとって完全な敵となった。榊原大和に繋がれた手綱を、今こそ喰い千切る時が来たようだ。
では、ゼロは?
既にゼロに……ルルーシュに告げたように、仮に黒の騎士団が特区を認めてブリタニアに恭順するのなら、その時はルルーシュもまたエリアスの敵となる。これまでに得た黒の騎士団としての軍勢も敵となって、状況としては甚だ不利な戦いになるだろう。それでも、エリアスは歩みを止めるつもりは無い。
「さて……ゼロがどう出るか。まずはそれだけ見定めさせて貰おうか」
呟いて、エリアスは紅蓮を運んで来たトレーラーへと駆けた。
こうして、様々な思惑が絡み合い、それぞれが苦悩を抱える中で、式典は幕を開ける。
歴史的にも、そしてレオ、エリアス両名にとっても決定的なターニングポイントとなる事件の開幕が、目の前に迫りつつあった──。