コードギアス 血刃のエルフォード   作:STASIS

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第二十四幕 Lady Rhapsody

 フジ山麓の空は、快晴である。

 来る特区日本開設を宣言する記念式典の場所として選ばれたのは、戦前からあった競技場であった。ユーフェミアの宣言に合わせて小規模の改装が行われたその場所にて、この日、歴史が動こうとしていた。

 会場外縁部には、詰めかけた日本人達が大規模な人集りを作っている。式典会場のキャパシティを超過し、会場の様子を映す巨大モニターを通して外部から特区の成立を見届けようとするイレヴン達だ。彼らの前には映像テスト中で少々乱れた画面を映しているモニターと、万が一に備えて配備されたブリタニア軍の姿があった。構成はユーフェミア親衛隊が半分と、エリア11駐留軍からの派遣が半分。KMFにしても正規戦力を回すのは過剰だろう、と後方任務用に配置転換されていたグラスゴーでサザーランドを節約している有様であった。集結したイレヴンの規模に対して、その戦力数は明らかに少ない。

 無論これは、日本人達を刺激しないように、というユーフェミアの意によるものである。

 

「──それは、良いのだが」

 

 その様を目前にして、式典会場東側、第一エントランス前に配置されたレオ・エルフォードは苛立たしげに呟いた。

 

「何故、私の配備場所が此処なのか、説明して貰おうか? リヒャルト・ティーフェンゼー?」

 

 視線だけを後方に向ける。そこに、癖の強い黒髪を後ろで束ねた騎士、リヒャルトの姿があった。

 本来、レオの立場はユーフェミア親衛隊に所属する第二指揮官である。コーネリアらの懸命な努力も虚しく、ユーフェミアの皇位継承権返上は既に確定している。故にこそユーフェミアは部隊の解体に備えた命令を発してはいたのだが、それでも、公式発表が為されるまではユーフェミア親衛隊としての任務が消える事はない。そして、ユーフェミア親衛隊の第二指揮官である彼が、式典のステージ上のユーフェミアから離れ、こんな式典会場外部に配置される理由は無い筈だった。

 

「アスミック卿の御意向です。戦力は一箇所に固めるよりも各地に効率よく配置すべきだ、との……」

 

「それは戦力数が充分揃っている場合の話だろう」

 

 レオはそう言って、この最近話す機会が増えた男の言葉を遮った。先に述べた通り、式典会場に配備されたブリタニア軍は余りに少ない。スザクやレオは会場に居ても、彼らの武器たるランスロットやナハトは、少し離れた場所に待機しているアヴァロンに置き去りになっている。イレヴンへの配慮と、何より今も特区参加を呼び掛けている黒の騎士団への配慮とは言え、いくらなんでもやり過ぎの気配を感じてならない。

 

「この数では、ただの兵力分散だよ」

 

「別に我々は、敵と対峙している訳ではございません。イレヴン達のユーフェミア殿下への信頼度は日増しに高まっており、現状、ユーフェミア殿下に害をなす行為は、彼らが許しますまい。ここで我らのやる事は、道端の警察官程度の事ですよ」

 

 リヒャルトはイレヴン達を示した。確かに、以前クロヴィスを暗殺したゼロのような存在を、今の彼らは受け入れない。ユーフェミアは、彼らにとって敵対者では無い。これまでブリタニア軍が敵視し警戒していた反政府勢力は、既に民衆の支持を受ける事が望めず、無力化されたに等しい。

 ……しかし。しかし、だ。皇族を狙う者は、何もイレヴン達や反政府組織だけとは限らない。

 

「敵は内にも居るんだぞ」

 

 エリナがそうであったように、そしてレオの着任早々にあったように、本国の皇族、大貴族同士の陰の闘争が、この辺境の地にまでその魔手を伸ばす事も絵空事では無いのだ。

 

「それに、何よりあそこには──」

 

「ええ、エリナ殿下もいらっしゃいますね。気になるのはそちらでしょう?」

 

 内心を見透かされる。ユーフェミアの居るステージには、エリナもまたブリタニア側の代表として参列しているのだ。

 

「そう、それだ。お前はエリナの専任騎士だろうに何故此処に居る? 彼女の側に居るのが専任騎士の仕事だろう」

 

「そのエリナ様からのご命令もあって、私は此処に居ります。でなければアスミック如きの言葉一つで動きはしません」

 

 “如き”に力を込めてリヒャルトは言った。彼のセイトに対する認識は、それではっきりと理解できる。

 

「おいさっきと言ってる事違うぞ」

 

「貴方への命令権はユーフェミア様の下にございますが、あの方はエリナ様ほど貴方の()()っぷりをご存知ではありませんからね。命令を無視して会場に飛んで来るようなことがあっては、と、エリナ様は私を貴方のお目付役として」

 

「……信用されてないわけか」

 

「或いは、逆にとても信頼していらっしゃるか、ですな。何にせよ、貴方ならば、如何なる敵対者も見逃しはしないだろう、とのアスミック卿のお言葉もありました。事前の予想において、日本人達の多くがこの区画に集まる事が予測されておりますし」

 

 レオは否定はしなかった。レオには、敵対者とそうでない者とを見分ける絶対なる力、ギアスがある。実際、これがあったからこそ、多くの局面でレオだけが敵の正体を掴む事が出来たのだ。

 

「貴方が必要だと判断すれば、私の方からお願い致します。それまではこちらで、イレヴンの中にに不埒な輩が居ないか監視を願います」

 

レオはとりあえず頷くだけ頷いて、ギアスを用いて周囲を“視た”。今の所、赤い色は見受けられなかった。

 

(……念の為、お前も警戒はしておいてくれ)

 

“まあ、それはやりましょう”

 

 声を出さずに、レオは背後に控えている霊体の女に呼び掛けた。彼女はあまり興味なさげではあっても、レオから少し離れた場所に移動して、レオの死角をカバーする位置で警戒に当たってくれた。

 

 ──そうして、はや一時間が過ぎた。この間、レオは武器を隠し持っているイレヴン八名と、体調不良を起こしたイレヴン六名、口論の果てに隣のイレヴンと乱闘を始めたイレヴン四組を発見し、その都度兵士に対応させていた。そうした細かなトラブル以外、何事もなく時間は過ぎて行く。式典の開始まであと少し。開始時刻が迫る程、イレヴン達は落ち着きを無くして行く。

 

「そう言えば、ユリシアは何処に配置された?」

 

「彼女はオリヴィエ准尉と共に。我々の反対側、西側エントランスです」

 

「そう、か……」

 

 あれ以来、レオはユリシアと話す機会を逸し続けていた。何なら、姿を見る事も稀になって来た。悪いことをした、とも思うが、同時に彼女に対してどう接すれば良いのかも、最近になって良く分からなくなって来ている。

 

「喧嘩でもなさいましたか」

 

「お互い子供をやっている訳ではない。セイトは?」

 

「式典会場外、北側の指揮所です。一応申し上げますと、枢木少佐は会場内ステージの方に」

 

 先回りした回答が返って来る。レオは「それはどうも」とだけ返答して、眼前に広がるイレヴン達の海に視線を投げた。正直な所、集まったイレヴン達は極めて“扱い易かった”。怒号を上げる者も居なければ、警備隊と揉める、といった小さな争い一つ起こらない。寧ろスタッフ達の指示をよく聞き、警備部隊員に敵対的な視線を向ける事すらしない。

 これまででは考えられない事だった。それ程までに、イレヴン達はユーフェミアの特区日本に期待している。

 さてこうなると、警備部隊のする事といえば精々集まったイレヴン達が公道にまで溢れないよう誘導する位しか無く、それさえも終わってイレヴン達の動きがほぼ無くなった今、暇を持て余しつつあるレオの思考は勝手に独り歩きを始めようとしていた。

 

 基本的に、式典への参加を許されたイレヴン達の層というのはブリタニア側の区分で言うところの“穏健派”が多数を占める。即ち反政府勢力による暴力的反抗には賛同せず、さりとて完全服従には同意できず、結局は租界で働きゲットーで暮らす中間層の民衆達。だからこうしてレオの前に群れ成して現れたイレヴン達の格好は、一般のブリタニア人と実はそれほどの差は無い。しかし、現実には彼ら中間層よりも下、ゲットーで暮らす貧民達の多くがユーフェミアの言葉に希望を見出している。特区の経過次第では、そうした貧民達も特区にやって来る事になるだろう。

 

 さてそうなると、今度はイレヴン内部での貧富の差が露見することとなる。今この場に居るイレヴン達は、曲がりなりにも租界で仕事が出来、収入のある人々だ。ゲットーの住人達はそうはいかない。着ている服、住居、生活環境の一つに至るまで全てが異なる二種のイレヴンいや日本人が生まれ、今度はこの二つが特区の中で対立を見出す事になりかねない。勿論、ユーフェミアはこれを支援するだろうが、果たしてそれを全ての日本人に徹底できるのだろうか。支援の不徹底は不平等に繋がる。ブリタニア対イレヴンの構図を、そのまま特区の中で上級国民対貧民との構図として引き継ぐ結果だけは避けねばなるまい。

 

 仮に出来たとしても、不平等社会の否定は、ただでさえブリタニアらしくない政策だった所を本格的にブリタニアの国是と真っ向から対立する事にもなる。果たしてその時、ユーフェミアはどうするのだろうか。

 

「フォン・エルフォード」

 

 式典の開始時刻。不意にリヒャルトがレオに声を掛け、上空の一点を指差す。空を見上げたレオはそこに浮かぶ一点の黒い影を見た。いや、影はただ浮かんでいるのでは無い。会場へと徐々に近付きつつある。会場の内外にどよめきが広がって行く。

 

「……ガウェイン」

 

 かつての愛機の名を、そして今彼の視線の先で浮遊するKMFの名をレオは口にした。太陽光を吸い尽くし、青空にその存在を誇示するよう君臨する漆黒の巨影。その肩の上には、同じ色に染まった衣装に身を包み、マントを翼のようにはためかせ、闇の太陽を描いた仮面を被った男の姿がある。

 

≪来てくれたのですね、ゼロ!≫

 

 弾んだ声が、会場の中から響いた。ユーフェミアだ。彼女がゼロを特区日本へと招いたのだ。

 

「スザク、ゼロが見えた。狙撃班は待機しているな?」

 

 通信機越しに、レオは会場内に居るであろうスザクへ呼びかけた。

 

≪ああ。準備は万端だ。もし奴が不審な動きを見せたら──≫

 

『ユーフェミア副総督、折り入ってお話したい事がある』

 

 ゼロの音声が、二人の注意を同時に引いた。ガウェインの機上から、拡声器を使って会場のユーフェミアに直接呼び掛けている。

 

『二人っきりで』

 

「何……?」

 

 常識離れした展開が、レオの前で繰り広げられた。ゼロの提案を、ユーフェミアは即答で了承したのだ。あのテロリストの首魁と、である。空中に静止するガウェインを視界の端に捉えながら、レオは振り返ってリヒャルトに問うた。

 

「今のはどういう意味だ」

 

「聴いたままの意味かと」

 

 自分に聞くな、とばかりにリヒャルトはぴしゃりと言った。そう言い合う間にも、ガウェインは存在を誇示するようにフロートシステム特有の怪音を発しながらレオらの頭上を通過して、ゆっくりと下降、ステージの方へと降りて行く。集まったイレヴン達がざわつき始め、リヒャルトはいち早く無線を通じて部下に指示を飛ばす。彼らを刺激せぬように努めつつ統率を取り戻すのはなかなか至難の業だろう。リヒャルトは無線機を片手に持ったまま、レオに呼びかけた。

 

「ここはおまかせを。貴方はエリナの所へ!」

 

「専任騎士が本領を他人に任せるのか?」

 

 ゼロの様子を見せろ、と詰め寄るイレヴン達を抑えながら──どうせレオは日本語は話せないが──レオはリヒャルトに聞き返す。

 

「どうせ仕事にならないでしょう!? 色んな意味で! 良いからさっさと行って、エリナ様の安全確保を!」

 

 警備だけならともかく、日本語が分からないレオに、繊細な対応が求められるイレヴン達の相手は不可能だ。レオは「すまない」と言い残して、踵を返して会場の中へと駆け込んだ。霊体の女にはその場に残るように指示しておいた。

 

 彼が消えた後、リヒャルトは表情を歪に歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 関係者用の暗い通路を二本ほど抜けて、ステージ上までの最短距離を走力にモノを言わせて数分。警備の歩哨に目配せして扉を開けさせると、レオはステージ上へと踏み込んだ。まさにその瞬間、レオの眼前でガウェインがステージ裏に配置された陸上戦艦G1ベースの正面へと誘導され、その両脚を大地に着けている。

 

「──ゼロ」

 

 ゼロが、レオの視界に入って来る。ガウェインの肩口に載った状態から、マニピュレーターを介して地上に降りて来る。

 すらりとした長身。中に入っているのがイレヴンであれば、結構な高身長。細い身体をマントで包んだその姿は、チェスの駒を連想させる。

 キングが自ら敵陣に切り込んで来たというのか。それは、チェスというゲームの常識を大きく外したプレイだ。だが、元々ゼロは奇襲、奇策によってブリタニア軍と渡り合った人物。不利なゲームを押し付けられているのなら、ゲームのルール自体を変えてやる。ゼロはそれを迷い無く実行できる人物だ。

 

『……ほう、君は』

 

 ずい、とゼロが前に出た。レオはじっと、目の前の仮面を睨んだ。まるで、真正面の黒の太陽の奥に潜む、もう一つの顔を見抜かんとするように。紫色の日本国旗を描いたような仮面の奥底で、ゼロは笑みを浮かべた──ようにレオは感じた。

 暫しの睨み合いの後、金属探知機を持って親衛隊の面々が駆け寄って来る。レオは彼らに場所を譲るように後ろへと下がるが、その時、ゼロが小さく呟く声が聞こえた。

 

『成る程、こいつがエルフォードの……』

 

「…………?」

 

 日本語だった。故にその意味は分からなかった。

 身体検査の結果として、ゼロは問題無しと判断された。ユーフェミアと共にG1ベースへと消えて行く後ろ姿を見送りながら、レオはスザクを見つけて彼に駆け寄った。

 

「本当に良いのか。あれと二人きりにして」

 

「良くは無いよ。でも、ユーフェミア様がどうしても、って……緊急用のコールスイッチはユーフェミア様も持っているから、何かあれば僕らが突入……ンン?」

 

 と、考え込んでいたスザクはそこで顔をレオに向けた。

 

「あれ、君外の担当じゃなかったっけ?」

 

「そうだが。流石にこんな場所にまでゼロが乗り込むとあっては、な。何かあるようなら……」

 

 レオは舞台上の貴賓席の方に視線を投げた。壁の向こうで座っているであろう、エリナの方へ。

 

「ああ……でもエリナ様にはもう専任騎士が居るんだろう? それは彼の仕事じゃないのかな」

 

「なんだが……私にイレ、もとい日本人の相手は無理だ。何せ言葉が通じない。彼奴が気を利かせて、向こうを代わってくれた」

 

「それは……まあ、うん……そうだね。とにかく、それだったら早くエリナ様の方に行った方が良いよ。場所は──」

 

「貴賓席後列の左から四番目、だろう? 知ってる」

 

「いや、さっきゼロの着陸の時、警戒の為に場所を変えて頂いたんだ。ここの列だよ」

 

 スザクはベルトに吊るした端末を手に取って、画面に表示したマップの一点を見せて来る。レオも自らの端末を出して同じ画面を出して、スザクの指し示すポイントをマーク。そのままエリナの元へと歩を進めた。

 途中、駐機したガウェインの横を通り抜ける。今のガウェインは、かつてレオが使用していた頃とは似ても似つかない、真逆に等しいカラーリングに彩られていた。ゼロのイメージカラーと思しき黒、そしてブリタニア機で良く用いられる金のサブカラー。フクオカで一度見た通り、背部のフロートユニットは四枚羽から六枚羽に換装されている。高潔な騎士の如き姿形は、闇に堕ちたかのような転身を果たしている。

 

「……」

 

 思う所が無いでもない。思わずレオは足を止め、跪くガウェインの真正面に立ち、その顔を見上げる。

 KMF乗りにとって、愛機とは即ち自分自身の写身。それが人型兵器であるだけに、その機体の“顔”が人間的であればある程、自らのパーソナリティと同一化して考えがちだ。色が変われども形状は変化していないそのフェイスは、確かにかつて、自分の顔であったのだ。今や他人の顔となったそれを、レオは暫く見つめていた。

 

「お前が、エルフォードか」

 

 そんな彼は、ガウェインの背後から現れた人影に気付かなかった。その人影が声を発し、初めてレオは人影に気付いて腰のフラムベルージに手を伸ばした。

 そこに居たのは、一人の女であった。白を基調としたパイロットスーツを着込んだ女。薄緑色の長髪に、琥珀色の瞳。鋭く整った顔立ちは魅力的を通り越して氷像のような冷淡さを思わせ、非人間的な印象を彼女に与えている。彼女は頭上から垂らされたワイヤーロープを左手に掴んでいた。そのワイヤーはガウェインのコックピットから伸びている。複座のガウェインを操縦していた者の片割れだ、とレオは理解した。

 

「私は、そんなに有名だったのか」

 

 ブリタニア語に、ブリタニア語で返答する。さすがの黒の騎士団にもブリタニア語に精通する者は居るのだ、とレオは先の日本人集団を想起し、安堵に似た感情を抱く。

 

「有名なのはお前の父親だろう? それより、お前は──」

 

「──貴様が、ガウェインを?」

 

 彼女の言葉を意識的に遮って、レオの方から質問を投げ掛ける。理由は不明ながら、レオはこの女を強く“警戒”していた。敵機のパイロットである、とか黒の騎士団員である、という部分を抜きにして。

 

「…………そうだが?」

 

「そうか。ガウェインは私がテストした機体なのでな。良い機体に仕上げたつもりなのだが……」

 

 その理由は、目元に掛かった前髪を払うふりをして、密かにギアスを起動した際に理解できた。

 

 彼女には、色が“無い”。

 

「成る程? やはり、お前もギアスを持つ者か」

 

 一瞬だけの起動であった。左手で前髪に触れ、左眼が隠れた一瞬だけ。それでも、彼女には見抜かれた。彼女は無表情そのものだった白い顔を警戒色に歪めながら、レオに問い掛けた。

 

「一つ聞きたい。お前のその力、誰から手に入れた?」

 

「何のことかな」

 

「回りくどい話は必要無い。時間も無いしな。言え」

 

 女の強い口調に、誤魔化しは効かない、とレオは悟った。

 この女は、ギアスを知っている。

 

(まずい事になった。おい、聞こえるか)

 

 レオは脳内で、先の持ち場に残っている筈の霊体の女に呼び掛けた。

 

(……おい、どうした? 聞こえないのか?)

 

 応答は無かった。いよいよ不審がる目の前の女の圧に半分屈する形で、レオは口を開いた。

 

「訳の分からない女から、訳の分からない状況と共に」

 

 最大限にぼやかしながら、レオは答えた。

 ギアスについて知っている相手との相対は、本国に続いて二度目だ。前回はそもそも相手がギアス使いだったが、今回もそうなのか。或いはあの女のように“コード”を持ち、ギアスを与える側の人間か。相手の情報がほぼ得られない以上、こちらから下手に情報を開示はしたくない。

 

「女、か? 子供ではなく?」

 

「何、子供?」

 

「いや、違うなら良いが……ではその女とは? もしやその女、いせ──ッ!?」

 

 不意に女は言葉を切ると、額を抑えて呻き始めた。

 

「お、おい!? どうした!?」

 

「まさか、こんなに早く……ッ!?」

 

 女は膝から崩れ落ち、必死に額を抑え付けていた。まるで、自分の中から何かが溢れ出て来るのを押し留めるかのように。レオは彼女に近付き、更にレオの背後から、異常を見て取ったスザクが駆け寄って来る。

 

「レオ! 何があった!?」

 

「い、いや解らん! この女が、急に苦しみ出して……」

 

 困惑するレオの横を通り抜けて、スザクが女を介抱しようと手を伸ばした。女は今にもステージに倒れそうであり、寸前でスザクの両手が彼女を支えた。

 

「急病!? ど、どうした、しっかり──」

 

 途端、スザクはびくん、と痙攣して動きを止めた。

 

「あ……う、あ……っ……」

 

「な……スザク!?」

 

 意味不明の呟きと共に、女を抱き抱えようとしたスザクの方がその場で力無く倒れてしまう。

 

「何だ、何をした、女!」

 

 レオは手首の仕込み短剣を起動して、女に掴みかかろうとする。が、その手が女の身体に触れる直前、脳裏にぴり、と電流が流れたような感覚が走り、レオの動きの一切を封じた。

 

“──待ちなさい!!”

 

 同時に、あの霊体の女の声が響く。姿は見えないが……いや、あの女は元々姿形を肉眼で確認できないが……恐らくは先の場所から言葉を飛ばしているのだろう。或いは、急いでこちらに向かって来ているか。

 

「なんだ、どうしたと言うんだ!」

 

“妙な感覚が走ったと思えばやはり……! 主よ、貴方の近くに誰か居ますか!?”

 

「あ、ああ……何やらよく分からない女が……」

 

“女? まさか……兎に角、その女に触れぬように! 私も今からそちらへ参ります!”

 

 了解の意を伝え、レオは彼に続いて駆け寄って来るであろうスザクや親衛隊員へ指示を飛ばそうと振り返った。「触るな、この女は危険だ」……そう口を開くより先に、レオの視界を予想外の人物の姿が横切った。

 

 ──それは、ゼロと会談中である筈のユーフェミアであった。ユーフェミアは倒れている女やスザクを完全に無視して、ステージの方へと駆けて行く。

 

「ゆ、ユーフェミア様?」

 

 レオは訝しげに眉を顰めた。様子がおかしかった。ゼロとの会談に区切りが付けば、ダールトン将軍やスザク達親衛隊の元へ連絡が入る筈であったし、倒れているスザクを完全に無視するなど、彼女らしく無い。

 困惑するレオの前で、ユーフェミアの後ろ姿はステージ中央の演台にまで辿り着いた。特区日本開設の演説が行われる演台。そこに現れたユーフェミアの姿を見て、参加するイレヴン達は俄に色めき始めた。ついに始まる。特区日本。日本人達の新天地の幕開けに期待の眼差しを送る。

 マイクを手にしたユーフェミアの姿を見て、レオはぎょっとして我が目を疑った。左手でマイクを握っている、それは良い。だがその反対側、だらん、と垂れ下がったままの右手には、鈍い鋼色を放つ拳銃が握られていたのだ。

 

「日本人を名乗る皆さん!」

 

 ユーフェミアが口を開く。不吉にすら思える程の明るい声が、会場に設置された機器を通して朗々と響き渡る。騒ついていたイレヴン達は一斉に口を閉じ、次の言葉を待つ。

 

「お願いがあります! 死んでいただけないでしょうか!」

 

 世界が、凍り付いた。

 一度は静まり返り、ユーフェミアの一言一句を聞き逃すまいとしていたイレヴン達が、一転してざわつきを取り戻し始める。彼らは残らずユーフェミアの言葉をはっきりと聞き取りはしたが、その内容を脳がなかなか認識出来ず、混乱していた。

 

「ええっと……自殺して欲しかったのですが、駄目ですか……?」

 

 小首を傾げる。その仕草自体は愛らしく、ユーフェミアの純真さを感じさせる、のだが。自らの言葉が通じていないな、と悟ったユーフェミアは、今度は満面の笑みを浮かべて周囲の兵士達に目を向けた。

 

「では、兵士の方々、皆殺しにして下さい!」

 

 狂気的なまでに明るい声が、絶望的な言葉を紡いだ。今度こそ、会場全体が我に帰る。

 

「マイクとカメラを切れ!」

 

 電流に打たれたかのように貴賓席のダールトンが立ち上がり、蒼白な顔面から指示を飛ばす。その横をエリナが擦り抜け、今まさに銃を手にしたユーフェミアの下へ駆けた。

 

「ユフィ! 止めなさい!!」

 

「待つんだエリナ! 危険だ!」

 

 反射的にレオも跳ねるように駆け出す。ダールトンが、レオが、エリナが手を伸ばす前で、ユーフェミアは参列者達の先頭列、一人の壮年男性へと銃口を向ける。

 次の瞬間、ユーフェミアは最後の一線を容易く踏み越えた。

 響き渡る乾いた音。レオはそれを聞き違える筈は無い。柔かな笑みを浮かべるユーフェミアの視線の先で、鮮血を噴き出しながら崩れ落ちる壮年男性。

 

「きゃぁぁぁぁっ!?」

 

 隣に座っていた女性が悲鳴をあげる。それが着火剤となり、一気に怒号と絶叫が会場へと広がって行く。慌てて散ろうと席を立つイレヴン達を前に、ユーフェミアは諸手を挙げて呼び掛ける。

 

「さあ、兵士の皆さんも。早く!」

 

「ユーフェミア様!!」

 

 ダールトンがユーフェミアの前に立ち塞がった。鋭く、威厳のある声でユーフェミアを制し、ユーフェミアは奇妙な落ち着きでそれを受ける。

 

「一体どうなさったのです! お止め下さい、このような事は──ッ!?」

 

 しかし、その言葉は通らない。ユーフェミアは迷いない所作でダールトンに詰め寄ると、何ら逡巡する事なくダールトンへの二発目の銃弾を撃ち込んだ。

 

「ユフィ!?」

 

「エリナ! 駄目だ近付くな!!」

 

 続いて現れるエリナを、レオがその身を以て阻んだ。今のユーフェミアは危険だ。そう彼の本能が告げて、レオはユーフェミアを止めるよりもエリナを守る事を選んだ。

 

「……ごめんなさい。でも日本人は皆殺しにしないといけないの」

 

 膝をつき、苦悶の呻き声を漏らすダールトンへ、ユーフェミアはそう告げた。そしてそのまま、逃げ惑うイレヴン達の方へと顔を戻す。

 

「さあ、ブリタニア兵士の皆さん! 命令ですよ、殺して下さい!!」

 

 当初、ブリタニア兵士達の動きは緩慢であった。

 目前で目の当たりにしたユーフェミアの豹変ぶりは、彼女を知っていればいる程に異常にしか思えなかったし、ユーフェミアはダールトンを撃った。特区の事はともかくとして、本来彼らにとって上官とはダールトンの方であり、ユーフェミアでは無い。仮にダールトンが虐殺命令を下したのなら素直に従うとしても、姉のように軍に名を連ねている訳でもないユーフェミアの命令に、それ程の強制力は存在しないからだ。

 その上、相手は特に暴動を起こしている訳でも無い。デモ行進でもなんでも無い。内心はどうあれ、つい先刻まで融和の対象であった民衆なのだから。

 

「何故、殺さないのです?」

 

 だが、そのユーフェミアが指揮官らを見据えてこう問いかけてしまえばそれまでである。再び銃を向けられ、先のダールトンの例が繰り返される、と悟ったブリタニア軍指揮官の動きは素早かった。

 

≪ぜ、全隊、発砲を許可する! イレヴンを殺せ!!≫

 

≪こ、これこそが計画だったのだ! 我らブリタニアと同列だと思い込む不埒な下等民族どもに、正義の鉄槌を下してやれ!!≫

 

「待て、早まるな! 撃つな、撃ってしまえば──!!」

 

 インカムを通して聞こえた指令に即座にレオは反駁する。だが、最早レオの言葉では彼らは止められなかった。ユーフェミア親衛隊の動きを止めた所で、残るエリア11駐留軍への命令権はレオには無い。レオの目の前で、誰も望んでいなかった悪夢が幕を開けて行く。

 

≪撃て!!≫

 

≪撃てぇ!≫

 

 配備されていたサザーランドが、グロースターが、グラスゴーが一斉に胸部対人機関砲を掃射する。砲弾を浴びてイレヴン達は消炭と成り果て、蜂の巣にされ、脳漿を撒き散らして死んで行く。

 

「そんな……っ!?」

 

 目前で始まった惨劇を、エリナは愕然として見るしか無かった。ブリタニア軍による砲撃で破壊された施設の破片がエリナの足元に突き刺さり、更に砲火を逃れ逃げ惑うイレヴン達はステージの方にまで迫って来た。

 

「っ……エリナ!!」

 

 エリナを抱き抱えて、レオはステージの外へと跳んだ。一瞬後、二人の居た場所はイレヴン達の波に飲み込まれた後、血と肉片の海へと姿を変えた。ユーフェミアの姿は最早何処にも見えず、戸惑っている間に状況が素早く推移して行く。最早レオ達にこの状況を止める事は出来ない。

 

「待って下さいレオ! ユフィを、ユフィを止めないと!」

 

「今は近付けない! とにかく、まずは安全な所へ!」

 

 ストレートにG1ベースへと接近する道は断たれた。ならば、とレオは脳裏に緊急時の為にと予め決められていたルートを思い浮かべ、スタンドを通って外部へ繋がる通路に飛び込んだ。閉ざされた扉の向こうで、くぐもった悲鳴と砲撃の轟音が尚も続いていた。

 

「ユフィ……なんで、こんな……!?」

 

 エリナの顔面は蒼白だった。無理もない。あのような惨劇を目の当たりしたのだ。加えて、少し前には彼女は宮殿へと乗り込んで来た暗殺者の凶行によって、母アンリエッタ妃と兄ガロア皇子を喪っている。その光景がフラッシュバックしているのだ。そして、この地獄を作り出したのは他ならぬユーフェミアだ。レオはエリナが少し落ち着くまで、その両肩をしっかりと抱き、「大丈夫だ」と言い聞かせた。

 

 ややあってエリナも少し落ち着きを取り戻した頃、レオの視界の端に黒い影が過ぎった。すぐさまギアスを起動。赤の色を確認して、レオはエリナに気付かれぬよう、フラムベルージの柄に手を掛けた。

 視線の先に、ゼロが居た。マントの端を血に染めたゼロは、先刻顔を合わせた時とは打って変わり、打ちひしがれたような姿で通路をよろよろと歩いていた。

 本来、レオはゼロに食って掛かるべきだったのだろう。この惨劇の直前、ユーフェミアはゼロと二人きりでの会談に臨んでいた。

 それまでのユーフェミアの様子に変化は無かった。そしてその後のユーフェミアの豹変ぶり、原因を求めるのならば、会談のタイミング以外に存在しない。

 

 だが、レオはゼロを見逃した。

 何故だったのかは、この時のレオには分からなかった。ただギアスを通じて赤の色を確認した時点で、レオはゼロに対してそれほど積極的な敵対行為に及ぶ必要性を感じていなかった。

 

 ゼロが外部へと消えた後、レオとエリナは避難ルートを逆走する形で進んだ。外部はイレヴンで埋め尽くされており、外に逃れるよりはG1ベースを目指した方が安全だと判断出来た。程なくして二人はG1ベースの下へと辿り着いた。

 G1ベースの周囲は無人となっていた。先のユーフェミアとゼロとの会談の為に人払いをしてそのままになっているのだ。しかし、G1の中に居る限りは流れ弾や逃げ惑うイレヴン達に巻き込まれるような事は無いようにも思えた。

 

「セイト、ユリシア、オリヴィエ、リヒャルト、聞こえるか!?」

 

 エリナをG1の中へ入らせてから、レオはインカムで親衛隊の面々を呼び出す。オリヴィエが即応したが、セイトとリヒャルト、ユリシアの応答が無い。オリヴィエ曰く、自分の持ち場に居る駐留軍やイレヴン達を抑えるので手一杯らしい。

 

≪お兄様!? 駐留軍がイレヴンを攻撃し始めています! 会場内で何が!?≫

 

 未だ続く砲音の嵐に負けぬよう、レオは大声でインカムに叫んだ。

 

「細かくは話せんが駐留軍が暴走したようだ! とにかく可能な範囲で構わん、駐留軍を抑えろ! どんな出任せを言っても構わん!私が責任を取る!」

 

 その時、すぐ近くで機関砲弾の発射音が響き始めた。会場入り口近くで、一騎のグロースターがステージ入口の壁面に向けて弾幕を展開している。そしてその向こうで砲弾を避けて走る、白い服の騎士の姿。

 

「スザク!?」

 

 それは、ユーフェミア親衛隊隊長枢木スザクであった。

 

≪自分はブリタニア軍名誉騎士候、枢木スザクだ! 今すぐ戦闘をやめろ!≫

 

≪イレヴンは全て抹殺しろとの命令だ。ユーフェミア様直々のな≫

 

 スザクとグロースターの騎士との会話が、インカムを通して聞こえて来る。直後に起こり得るであろう展開に思い至り、レオはスザクの元へと走った。

 

「ユーフェミア様が!? 馬鹿を言うな!」

 

≪お前もイレヴンだったな≫

 

 そう言って、グロースターの砲口がスザクに向けられる。ほぼ同時に、レオはグロースターとスザクとの通信に割って入り、グロースターの前に立ち塞がる。

 

「待て! 私はブリタニア軍騎士、レオハルト・エルフォードだ! すぐに攻撃を中止しろ!」

 

≪フォン・エルフォード、そこをお退き下さい。ユーフェミア様直々の御命令なのです。これこそがユーフェミア様の計画!≫

 

「ならば、(わたくし)が命じます! 直ちに攻撃を中止なさい!」

 

≪え、エリナ殿下!?≫

 

 レオに続いて、G1に入ったはずのエリナが駆け寄って来る。流石に一般のブリタニア騎士にブリタニア皇族による直接の命令を拒絶する度胸は無く、グロースターは狼狽えて攻撃の手を止めた。

 

「これ以上の攻撃は私が認めません! ユーフェミアは何処へ行ったか、卿はご存知ですか!?」

 

≪はっ、それが、虐殺命令を下された直後、親衛隊のグロースターにお乗りになって……≫

 

「では卿に改めて命じます! 直ちに皇女ユーフェミアを捜索、これを私の下へと連れて来なさい!」

 

≪い、イエス・ユア・ハイネス!≫

 

 エリナの勢いに押し負けるような形ではあったが、グロースターはランドスピナーを高速回転させて会場外へと去って行った。

 

「レオ、インカム貸して下さい」

 

「あ、ああ」

 

 その勢いのまま、エリナがレオのインカムを半ば奪うようにしてレオの耳元から外し、そのまま自分の耳元に装着する。

 

「ええ、とチャンネルをオープンにして……と。こほん。会場内の全ブリタニア軍将兵へ告げます! 私はブリタニア第6皇女、エリナ・エス・ブリタニアです! 直ちに攻撃を中止なさい!」

 

 彼女がそう叫んだ途端、会場内のKMFは一斉に動きを止めた。先刻までの怯えた様子を思わせない毅然とした態度だった。キュウシュウでもそうだったが、レオの知らぬ内に、エリナも本格的に皇女としての風格を持ち始めていたようだ。

 エリナの攻撃中止命令により、ブリタニア軍はその動きを沈静化させ始めていた。最も、その時点で会場内に生きているイレヴンは既に存在しなかったが。

 少なくともエリナの携帯インカムの電波範囲である会場内のKMFは全機武器を下ろし、この命令を下したユーフェミアの捜索と外部の部隊の制止、というエリナの指示を受けて規律を取り戻し始めていた。

 だが、このまま事態が収まるかと思われた矢先、再び状況は悪い方へと転がり始めた。

 

 黒の騎士団が、会場へと迫って来たのだ。


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