崩落が、始まった。
ユーフェミアという偽りの希望の光に惑わされたイレヴン達の怒りは一気に爆発した。
それは、単に特区の惨劇一つが原因では無い。長きに渡り、イレヴン達はブリタニアという巨大な力に押し潰され、虐げられて来た。自由、権利、名前を奪われた長年の苦痛、憎悪、怨念。その全てを混ぜ合わせた泥の如き激流が、エリア11全土を覆い尽くしていた。
今や、反ブリタニア勢力の規模は止めどなく拡大していた。これまで反ブリタニア活動を続けて来た、黒の騎士団を始めとするレジスタンスや、それらを支持する貧民層だけではない。現在のエリア11における最大層……これまでは武力行使に否定的だった中間市民層さえ、一転して過激化の路を駆け上った。それは、彼らがユーフェミアの思想を支持していたが故のことでもあった。裏切られた。その想いが、彼らから人間性を奪い、人を獣に変えたのだ。
「G1が合流していないだと!?」
悪いことは、重なるものである。
夕刻。式典から退却して来たブリタニア軍の合流地点にて。
アヴァロンを中心として集結したユーフェミア親衛隊、並びに駐留軍残党から受けた報告は、ただでさえ数十分前に黒の騎士団の演説内容を咀嚼して殺気立っていたレオの神経を大いに逆撫でした。
「はっ……」
「どういう事だ、あそこにはエリナも居た。セイトも居て、ユリシアらも近かった。あの場では恐らく最大戦力が揃って居たはずだ! しかも既にユーフェミア殿下の……
一息にぶちまけられたのは、傷口の処置をする余裕も無く、這々の態で合流地点に辿り着いた、と言った風情のブリタニア駐留軍少尉であった。合流出来た駐留軍の中では、彼の階級が最も高かった──ダールトン将軍でさえ、合流出来なかったのである。
エリナを始めとし、セイトもユリシアも、そしてユリシアと共にいたオリヴィエも、無事が確認出来ていない。
尚且つ、この状況下にあって消息が掴めていない、と言う事は、即ち敵の、イレヴン達の手に掛かったか、彼奴等の手に落ちた可能性が高い、という事でもある。
「はっ……それが、我々にも原因は……」
「分からない、だと? この現実の重ささえ分からない、などと言う訳ではあるまいな? 貴様もあの場には居たのだろう!? それで──」
語気を強めて食って掛かるレオの肩を、もうその位にしておけ、とばかりに何者かの手が掴んだ。リヒャルトだった。リヒャルトは一切の感情の読み取れぬ表情で、レオを視線で射抜いた。
「一応怪我人なんだから。医務班の所に行かせてあげれば?」
続けて現れたロイドの言葉を助け舟として、少尉はふらふらとへとその場を離れて行き、医療チームが構えている白いテントへと向かって行く。レオは「待て」と彼を追おうとしたが、行く手をロイドに遮られる。
「彼も会場の外の配置だったって言うし、彼に聞いても仕方ないんじゃない?」
「だが……!」
「彼を問い詰める事で、何か解決するとでも?」
リヒャルトが冷徹に問う。反論が見つからず、レオは言葉を途切れさせた。
リヒャルトの言う通りでもあった。ここで少尉を詰ったとしても情報は得られないし、ましてやエリナらの無事が確認出来る訳もない。
「……とにかく、この場所に留まるのは危険だと思うの」
気遣わしげな視線をレオに送りながら、セシルがレオの横に現れる。
「黒の騎士団は暴徒化した市民を吸収しつつ租界へ攻め込む素振りを見せているわ。その規模は進軍と共に膨れ上がっていて、既に数万人……今の私達がこれに接触すればひとたまりも無いわ。今すべきなのは、早急に部隊を纏めて租界へ撤退する事だと思うのだけれど……」
「撤退……? エリナを見捨てろと──ッ!?」
レオはセシルの肩を掴んで叫ぶ。
無論彼にも状況が分からない訳では無い。会場からの撤退に成功したブリタニア軍は、駐留軍と親衛隊を合わせても百人と少々。KMFに至っては稼働状態にあるものはサザーランドがたったの四騎しか残っていない。
「気持ちは分かるわ! けれど、今の私達ではどうしようも無い事は分かるでしょう!?」
「っ……!」
忸怩たる想いで、レオは西の空を見た。既に時刻は夕刻に迫り、黄昏色の太陽光が空を染めている。
茜色に染まったあの空の下に、恐らくはイレヴン達の勢力が居る。勝利に湧き、ブリタニアへの怒りを露わにし、凄まじい勢いでこの場所を踏み越え租界を目指している。
強き力で抑圧されていた民は、抑圧の力が強ければ強い程、その反動で大きく跳ね上がる。今の彼らは、例え同数の敵であろうと、敵より劣る兵器を使っていたとしても、劣勢を跳ね返して勝利をもぎ取れるだけの力があるだろう。
それは、燃え盛る炎にも、噴出するマグマにも似ている。
火山でもあるフジを起点とするこの暴動は、まさしく噴火と例えるべきだろう。
フジは日本の象徴でもあったと言う。彼らイレヴンはその場所をグラウンド・ゼロとして、噴火するマグマとなって租界を飲み込む。レオの脳裏に、そんなイメージが浮かんだ。
正義はイレヴンにある。そう認めざるを得なかった。
そして、自らが正義だと明瞭に定義した人間がどれ程強くなるかは、歴史が証明していた。
「……ロイド伯。ナハトは使えるか?」
レオは小さく、呟くように問い掛けた。だがロイドは即座に首を横に振る。
「多分、君の方が分かってると思うけど?」
ナハトは、ほぼ完全に破壊されていた。
ユーフェミアを“救出”したあの時。ランスロットの盾となったナハトの受けたダメージは極めて大きく、アヴァロンに収容された時点でナハトは四肢の左半分とフロート左翼、そして頭部の半分を喪失し、胸部ユグドラシルドライブ内のコアルミナスにも損傷を受けていた。無事なのはコックピットくらいであり、それも飽くまで「原型を保っている」と言う意味での“無事”である。
ナハトもブリタニア軍共通規格を採用している。最悪腕や脚ならばサザーランドのものを流用出来る。だが、主動力システムたるユグドラシルドライブはどうしようも無い。同等のドライブを採用しているのはランスロットのみで、そのランスロットも、乱暴なランディングの結果として両脚部関節が破損し中破状態にある。
ランスロットとナハト、二騎の無事な部品だけを組み合わせれば。レオは一瞬そう考え、口に出す寸前まで行っだが、寸前で思いとどまる。
「お一人で救出に向かう、と?」
「それは……」
「御父君から、貴殿の能力は聞き及んでおります。確かに貴方ならば、敵陣に潜り込む事も不可能ではないでしょう」
リヒャルトの言葉はレオの内心を正確に言い当てていた。
劇場での暗殺、ゲットーへの潜入。単独潜入が必要な任務ならば、レオに並ぶ人材はブリタニアには存在しないと言えた。良くも悪くも、イレヴンはブリタニア憎しで暴走状態にある。いわば完全に浮き足立った相手の中に潜入するのは容易い、とレオの中の
「ですが、バックアップも無しに無策で向かう事は許容出来ません。それに、貴方が動けば、今ここにいる部隊を指揮出来る人間は居なくなります。私だけでは……」
駐留軍残党や親衛隊残党がこれ以上合流出来ないのならば、現状この場に集まったブリタニア軍の中で最高の指揮権保有するのはスザクである。だが、今のスザクは部隊指揮が出来る状態では無い。で、あるならば、次点の指揮権を持つのは他ならぬレオだ。階級こそロイドの方が上ではあるが、それも式根島、フクオカ、特区日本と立て続けに情勢が動いた為に単に辞令が間に合っていなかっただけで、現在レオの実質的な立ち位置はスザクと同等の少佐扱いだ。
そして現時点で、彼より下の階級の人間は指揮権、ないし部隊指揮が可能な力量を保有していない。指揮官クラスならリヒャルトが居るが、彼だけでは手が足りない。未だ合流を試みる味方部隊の誘導と、現在この場に集まっている部隊のアヴァロンへの収容。素早く部隊を撤収させる。無論一人でこなせない仕事ではない。だが、それを一人でやっている時間的余裕は無い。黒の騎士団はすぐにでもこの集結地点を攻撃するだろう。
無事に撤退を果たすには、指揮官クラスがどうしても二名は必要だった。
今、ここでレオがエリナ救出に動けば、逆に今この場に居るブリタニア軍を見捨てる事にもなる。選択の余地は無かった。レオは突き上げる怒りの勢いのままに腕を振るい、周囲の兵士に叫んだ。
「……租界へ撤退する! 各隊、それぞれの兵員装備を纏め、速やかにアヴァロンへ集合しろ!!」
そこは、報復の嵐が吹き荒れる場所であった。
式典会場を制圧した黒の騎士団は、生存した日本人達を会場内に集め、すぐさまゼロの演説を世界中へと発した。ユーフェミアが平和を願う筈だったその場所で、ゼロは戦いの開幕を宣言したのだ。
ブリタニアを日本から追い出せ。日本を解放せよ。
今こそ、立ち上がる時だ。
合衆国日本の名で発せられた檄文は内外に劇的な影響を齎す。今やエリア11の各地でレジスタンス勢力が立ち上がり始めており、会場の一角では、誰かが持ち込んだラジオがその様子を克明に語っていた。
≪ただいま入った情報によりますと、ホクリク地区の──≫
≪壊滅したはずのヒロシマのテロ勢力は租界への攻撃を強め──≫
一報が入る毎に、日本人達は咆哮を上げた。負けていられない、と彼らは湧き立ち、その様子を黒の騎士団は満足げに眺めている。
「や、やめてくれ! 捕虜への扱いは──!」
「ブリキの捕虜なんか要るかよ!!!」
「そうだ! 俺達にテメェらがやった事を思い出しやがれ!」
また別の一角では、集められたブリタニア軍捕虜への“私刑”が繰り広げられていた。両手を頭上に掲げさせられたブリタニア兵達に対し、その倍以上の数の日本人が罵声と石礫を浴びせかける。鉄パイプでその白い顔を殴り付け、奪った銃で殴り付け、崩れ落ちたその身体を踏み付ける。ただ殺すだけでは満足出来ない。
舌を引き抜け。目を抉れ。死を懇願させろ。磔にした身体に刃を突き立て、心臓を抉り握り潰せ。もっと凄惨に、もっと暴力的に。そうしなければ、彼らの怒りは収まらない。
「いや……嫌ァ! やめて、やめてぇ!!」
もっと。もっとだ。
尊厳を奪え。権利など認めるな。
こいつらは、自分達の親兄弟を殺した仇敵だ。自分達をゴミ屑のように扱った外道だ。
外道には外道の扱いが似合いなのだ。
「ひぃ……ぃっ!!」
かつてブリタニア軍兵士達の間では、日本人への弾圧を“狩り”と表現していた。ゲットーを逃げ回る日本人を、森を駆ける動物に例え、その獲物を仕留める。それが今、狩る者と狩られる者との立場が逆転している。最も、今のブリタニア兵は逃げる事さえ許されなかったのだが。
「ハハハ! もっとだ! もっとやっちまえ!!!」
「思い知らせてやれェ!!!」
そして、式典会場地下。
倉庫として使われるべく建てられたその場所に、黒の騎士団のほぼ全戦力が結集していた。壁面を埋め尽くす勢いで無頼及び無頼改の二個大隊が立ち並び、それを率いるようにして四聖剣の月下、更にそれを率いる藤堂の月下が硬い地面に座している。
そして、最も目立つ位置に紅蓮が二騎。カレンの愛機たる紅蓮弐式と、エリアスの白夜が搬入口のすぐ側にあった。
この二騎だけは、駐機されている訳ではない。メインカメラが消灯した他のKMFと違い、二騎は翡翠色の眼光を光らせ、手にした武器を一点に向けていた。
二騎だけではない。黒の騎士団以下、以前から日本解放を目指して戦い続け、今は黒の騎士団に吸収された多くのレジスタンス勢力の歩兵達もまた、銃を構えて一点を取り囲んでいた。
「……このような真似、赦されると思っているのか!?」
大量の銃口が向けられた先。そこに立つ複数人の一人が、そう叫んだ。青い和服を着た隻腕の老人……キョウトの重鎮、榊原大和。特区日本に賛同し、エリアスに黒の騎士団を売れ、と命じた張本人である。
「見苦しいぞ、榊原!」
その背後から、もう一人の老人が罵声を飛ばす。キョウト六家の一人、桐原泰三。その他キョウト六家の面々がその場に勢揃いしており、ただ一人榊原だけが、人間二人分程離れて立っていた。
「我らの日本をかの敵国に、虐殺皇女に売り渡しておきながら、よくもおめおめと我らと共に立てると思ったものよ! 恥を知れ!」
「何を言うかと思えば……! 桐原公! 貴様ら六家こそ、特区に賛同し桐原公に至っては式典に参列までして彼奴等に媚び諂っておったでは無いか!! サクラダイト発掘の利権を使って、自分だけ特区での地位を得てもいた!」
「何を申す! 我らは将来の日本と言う存在を確固たるものとする責務があるのだ! そのために──!」
「所詮自己の保身ではないか! 真に日本の事を考えていたのはどちらか、よく考えてみるが良い!」
その口論を、エリアスは白夜のコックピットから眺めていた。コックピットハッチを全開にしていたから、機外マイクを使用するまでもなかった。隣に立つ紅蓮も同様で、エリアスはカレンに視線を投げた。
かつて、カレン以下多くのレジスタンス構成員達は、支援者であるキョウトを深く尊崇していた。仮初の姿を使って確固たる地位を築き、自分達を援助してくれる神の如き存在にも思えていた。実際、彼らの支援がなければレジスタンスは立ち行かないのだからそうなるのも当然であった。
けれど。この特区日本の成立に際し、彼らキョウトは自分達を裏切った。レジスタンス達の支援からは一切の手を引き、特区日本に平伏したのだ。
そして、特区が瓦解した今、彼らは纏っていたベールを引き剥がされ、レジスタンス達の面前に引き出されていた。
富士の高みから地に引き下ろされ、出てきたものがこれだ。大量の銃口に囲まれていながらもそれを認識している様子も無く、口から吐く言葉は自己弁護と責任転嫁の化合物に過ぎない。罵り合う老人達の姿に、兵士達も若干の困惑と、大いなる失望を露わにしていた。
「……貴方達の言い分は、良く理解しました」
不意に、嗄れた声とは一線を画する透き通った声色が老人達の口論を遮った。歩み出たのは皇神楽耶……キョウト六家の盟主である。
「控えよ神楽耶! 家の格だけの女子が口を出すな!」
「私が家の格だけの女子ならば、貴方がたはどうなのですか? 今のご自分のお言葉をもって、ご自分を省みては如何ですか?」
気圧されている、と言うのは遠くで眺めているエリアスにも一目で分かった。
「ここまで、六家の動きを見ていて、ハッキリと分かりました。桐原公にせよ、榊原老師にせよキョウト六家には最早日本の将来を支える気概も、能力も既に無いと言う事を!」
「何を言う神楽耶! 我らは日本の為に!」
「特区での虐殺が起きた折に真っ先に逃げ出そうとしたのは誰でしたか? とどのつまりは我が身大事……ブリタニアに争う日本人達に支援だけして崇拝だけは受け取って、レジスタンスには出来ぬことをする、と嘯きながらもその実陰に篭り、何もしていなかったのは誰でしたか? いざ特区が発表されればそれまで口にしていた反ブリタニアをあっさり捨てて鞍替えし、黒の騎士団さえもブリタニアに売ろうとしたのは誰でしたか?」
「我らが残らねば、日本は残らぬのだぞ!」
「我らだけ残って何になりますか! 国とは為政者と民との両方が必要です。その民を簡単に見捨てた者が国を憂うなどと!」
神楽耶の言葉に同調し、周囲の兵士たちがキョウトの老人達を睨み付ける。やがて、ふざけるな、と誰かが呟く声がした。かつてキョウトに支援されていたレジスタンスの兵士だ。自分達が尊崇していたキョウトの本質を目の当たりにして、特区の件以来燃え続けている憤怒の感情が漏れ出ていた。
『そうだ。既にキョウト六家の方々には、我らの上に立つ権利は無い!!』
そこへ、機械を通して良く響くあの声が降り注ぐ。声の主、ゼロは白夜の肩の上に立っていた。実の所この騒ぎが起こった時からずっとそこに居たゼロは、エリアスが白夜の腕を動かしてやると、そこを介して床面へと降り立った。
「ぜ、ゼロ……!」
「やっと、お会いできましたね」
『ええ、皇どの。貴女の事は聞き及んでおります。早くから私にご期待下さり、また先刻、逃げ出そうとしたキョウト六家を一喝し、ここへ馳せ参じて下さったとのこと。感謝致しております』
慇懃にそう告げた後、ゼロは更に一歩前に出た。神楽耶はゼロの側に歩み寄り、そして彼と共にキョウトの老人達に向き直る。そこに至って、キョウト六家は初めて周囲を見た。自らに向けられる銃口、銃口、銃口……。
最早自分達を守るものもなく、自分達を上位者たらしめた要素も今の彼らには無い。今更になってそこに思い至った老人達は震え上がった。
『こうなった以上、キョウト六家の方々には、私の指揮下に入っていただく。他にお前達が生き延びる道は、無くなった!!』
ゼロは冷淡に宣告した。言われた側の老人達に反論は許されない。束の間の沈黙の後、ただ一先ず命が助かった。その事実だけを受け入れて老人達は頭を垂れた。
ただ一人を除いて。
「ふざけるのも大概にしたまえよ、仮面の若造風情が、良くもこの私に向かって大それた口を……!」
榊原大和は、ずい、とゼロに詰め寄った。
『ほう。ご自分のお立場を理解した上で、そう仰っている、と?』
「分かっていないのは貴様の方だ若造! 成る程貴様の言う合衆国日本、良い思想ではあるのだろう。一国家であるブリタニアに対抗するには、我らも新たな国家として構えねば対等にはなれぬ……しかしな。国を作る、国を建てると言う意味を真に理解しておるのか? 何が必要であるのか心得ておるのか? 貴様ら如き学のない若造が集ったところで、国が維持できるものか!! 貴様らには導く者が必要なのだ! 我らのように思慮深く、経験豊かな導き手がな!」
彼の演説は、一片の真実が含まれていた。が、それさえも埋め尽くす傲慢と自己陶酔は、同じ側に立つキョウトの老人達さえも青ざめさせた。このような男に従っていたのだな、と再認識し、エリアスは操縦桿を握る手に怒りを込めた。
割とこの男について慣れているエリアスでさえそうなのだから、他の者達の衝撃と怒りは相当なものだった。
「私を従えるだと!? 愚か者めが! 従うのは貴様らの方だ! この無知蒙昧め!」
『……どうやら、貴殿自身が全てを物語ってくれたようだな』
老師は、自らの死刑執行書に舌でサインをしたのだ。エリアスはそう理解した。
『何にせよ、ご安心召されよ。貴殿を我が指揮下に加えるつもりは、私にも毛頭無い。貴殿は既に黒の騎士団を売ろうと策を講じ、手駒に命じていた事も既に承知している。そして私は、歴史の針を戻す愚を犯さない』
そう言って、ゼロはその手を高く掲げた。それを合図として、兵士達が一斉に銃を構え直す。だがその手は彼らの思いとは逆に、彼らを押し留める為のものだった。
『兵士諸君は手を出すな。この男の処遇については既に決定している……何年も前から、な。そうだろう、エリアス!!』
突然呼び掛けられて、エリアスはハッとなった。驚いてコックピット正面ウインドウ越しにゼロの姿を見遣り──数秒後、彼の意図を理解してエリアスはすっ、と立ち上がった。
待ち望んでいた時が来た。エリアスは半分機械となった自身の身体に、歓喜の感情が走るのを感じた。母の刀を抜いて、エリアスは白夜のコックピットから跳躍する。空中で二度回転しながら、エリアスはゼロと榊原の間に降り立った。
「貴様……!」
「そうだとも、ゼロ。俺は、長いことずっと待ち望んでいた」
刀の切っ先を榊原に向ける。榊原はぴくりとも動じず、逆に腰に帯びた自らの刀の柄に手を添える。
「忘れたとは言わせないぞ、老師。貴様はブリタニアから逃れた俺の母さんを売女と罵り、母さんを見殺しにした!」
「馬鹿者めが。あの女を殺したのは私ではない。貴様の父だろうが」
「その母さんをお前達が見捨てさえしなければ、母さんはあんな男には負けなかった!!」
そう叫んで、エリアスは母の刀、月虹を振り上げた。瞬間、榊原も抜刀し、二振りの刀が甲高い音を立てて激突した。
「逆恨みも良いところだな、エリアスよ。そして……ッ!!」
一体どうして、隻腕の身でそんな事が出来るのだろうか。榊原は不意に刀に込めた力を緩めたかと思うと、生じた一瞬の隙を突いてエリアスの刀を弾いた。辛うじて刀を手放さなかったエリアスだったが、続けて放たれた連撃はエリアスを防戦一方へと追い込んだ。
「っ……!」
だが、エリアスには榊原には無いアドバンテージがある。彼の身体は機械化され、人間には出せないようなキネティック・パワーを発揮できる。エリアスはそこに物を言わせて、一度後ろに飛んで榊原の攻撃を回避しながら、再度袈裟斬りに刀を振り下ろした。
「この私に、刀の腕で競おうなど千年早いわっ!!」
その一撃を、榊原は簡単に弾いた。
僅かに出来た間合いを活用し、脚を軸として自らの身体を独楽のように回転させ、更に自らの腕を鞭のように叩き付ける事で、エリアスの一撃に匹敵するパワーを刀に乗せたのだ。そして榊原は、バランスを崩す事なく回転を止め、再度攻撃姿勢に入る。
押されている。その事実にエリアスも、彼らを取り囲む兵士たちも驚愕を隠せなかった。機械による強化を受けたエリアスが、パワーで負けている。
「旧日本軍総合剣術師範を務めた、この榊原大和だぞ!!」
エリアスの反撃の一撃をいとも簡単に押し返した直後、榊原は床を蹴って間合いを詰め、エリアスの左肩を突いた。義体の装甲板の隙間を狙った巧妙な一撃。貫通こそ免れたものの、完全にバランスを崩したエリアスは床に背中を打ち付ける羽目になった。
試合ならば、これで負けの判定の一つでも貰っていた所だろう。だが、榊原は容赦しない。倒れ込んだエリアスにとどめを刺すかのように、榊原は刀を振り下ろした。エリアスは床を蹴って跳ね起き、逆に自ら榊原の刃に向かって跳んだ。胴への傷は避け切れなかったが、榊原の側も想定したよりも高い打点での接触となる。思うように衝撃を吸収して姿勢を戻せずに、榊原は二歩程後ずさった。エリアスは一回転して再び姿勢を戻し、再度月虹を構え直す。
「機械の身体に助けられたな」
榊原は嘲る。肩への一撃、そして胴への一撃。どちらも生身の肉体ならば致命的なダメージとなっていた筈の攻撃だ。
「機械仕掛けの化け物め。貴様のような歪な者の刃など、我が刀には通じぬ」
「貴様……ッ!」
「穢れた血を受けた、我が一族の面汚し風情が私を殺す? 思い上がるな、この雑種が!!」
そう吐き捨てると、榊原はエリアスなど眼中に無いかの如く、ゼロに向かって言葉を投げた。
「どうだゼロよ、私の力を思い知ったか。兵に命じたらどうだ? 引き金を引け、とな。だが、私を排斥する事がこの日本にどれ程の不利益を齎すか、貴様でも分からない事はあるまい? ん? 古き良き日本を取り戻すのならば、我々──」
「──確かに、貴方の剣筋は相変わらずですな」
返答を返したのは、ゼロでは無かった。榊原の言葉を遮って、兵士達の海を割るように一人の偉丈夫が歩み出て来る。
「藤堂、か」
「ですが、その心は腐り果てたのだ、と理解しました」
藤堂鏡士郎と、彼の背後には四聖剣が居た。次の相手は貴様らか、とばかりに榊原は刀を向けたが、藤堂は動じず、刀を抜く気配すら見せなかった。
「ゼロは言いました。我らが新しく作る日本は、あらゆる人種、主義を受け入れる広さを持つ国家であると。だが、貴方でさえも受け入れるような甘い国家ではない!」
「何……!?」
『そうだ老人! 既に貴様は自らの口で、自らの存在価値を証明した。何ら価値が無い、とな!』
更にゼロが言葉を重ねる。
『力に溺れ、腐り果てた年寄り風情が! よくも臆面も無く我が友を侮辱してくれる!!』
それは、ゼロにしては珍しい怒声であった。演技ないし演出なのか、或いは本気で怒っているのか、彼の素顔を垣間見たエリアスでさえ、判断は出来なかった。
『貴様の如き旧時代の膿を、我ら合衆国日本は決して認めない。エリアス、やるのだ! 本懐を果たせ!!』
「言われるまでも!!」
演出に使われている、と言う自覚はあった。
榊原の本性が思いの外分かりやすく外道であったのもあったし、それを織り込んだシチュエーションである事は最初からエリアスも承知している。
だが、敢えて乗ろう。奴の即興劇に協力してやろう。
元よりこの即興劇は、エリアスに復讐を遂げさせる為に仕組まれたものでもあるのだ。少なくともゼロ……ルルーシュはそう言った。
エリアスは床を蹴り、再び榊原との距離を詰めた。振り上げざまの一撃は身体を逸す形で避けられ、そこから振り下ろした斬撃と返す刃での薙ぎ払いは的確に刀でガードされる。が、その三手を放ちながらエリアスは榊原の左側面へと回り込む。榊原の弱点は、彼が隻腕である事だ。右の腕一本だけで刀を振るっているだけに、左側へのリーチは薄い筈だ。そう目論んで、エリアスは攻め立てながら榊原の死角を突こうとする。
迫り来るエリアスの乱撃に、しかし榊原は動じない。隻腕のハンデを身に染みて理解している彼にとって、当然ながら左側面からの攻撃は予測の範囲内、むしろ最初に考えるべきポイントだった。榊原は大きく身体を巡らせるでもなく、右手の中で刀を反転させた逆手の刀で全て応じた。
「甘いわ、小童!!」
一体、いつの間に仕込まれたのかエリアスには分からなかった。不意にエリアスの前足が横に払われ、エリアスはまんまと体制を崩した。エリアスが榊原の側面に回り込むことを意識している間に、榊原の脚がエリアスの下に潜り込んでいたのだ。崩れるバランス、倒れる身体。次の瞬間、榊原はエリアスの生命を容易く断つだろう。機械の身体でなら脚部モーターに物を言わせて踏みとどまる事もできる。しかしそうなれば、榊原の逆手の刀がエリアスの喉を貫く。
エリアスはどちらの未来も拒否した。最大パワーで床を蹴って、斜め後ろに大きく跳躍する。スクリューを思わせる勢いで三回転。着地すると同時に、エリアスは再び地を馳せた。殆ど身を投げ出す勢いで榊原に迫る。恐るべき勢いの、しかしあまりに単調な一撃。これを返すのは、榊原には容易だった。
榊原が刀を振り上げ、甲高い音と共にエリアスの手から遂に刀がもぎ取られた。銀の刃が照明に反射して、天井近くへと舞い上がる。
だが、それこそがエリアスの狙いであった。振り上げたままのエリアスの右手首から、不意に細い刃が飛び出し伸びる。仕込み短剣。瞬時にエリアスは機械の左腕で榊原の肩を捕まえると、右手の仕込み短剣を榊原の喉に深く突き刺した。
「──ッ!!!」
鮮血が迸る。噴き出した赤い飛沫は瞬時にエリアスの眼帯型人工複眼デバイスを血の色に染め、エリアスの視界にも赤色が混じる。
「ぬ……ぬ、ぐ……ぅっ!!」
憎悪に歪んだ目で、榊原はエリアスを睨む。だがその眼差しは段々と愉悦に歪んだ。同時に、ゆっくりと榊原の右手が持ち上がる。
「ふ、は、は……見事だな、エリアス……私の、負けだ」
「武人を気取るな。貴様に潔さは似合わない」
そして、榊原の最期の一撃が振るわれる。榊原の腕が緩やかに持ち上がり、重力に任せてエリアスに迫る。だがその時既に、エリアスは榊原の身体を放していた。その胸板を軽く蹴り飛ばされ、榊原は呪詛の呻きを上げて大きく仰反り、その上をエリアスは駆け上る。
瞬間、跳躍。空中に躍り出た彼の手に、母の刀がひとりでに収まる。胡蝶の舞うが如く空中で身体を回したエリアスと、眼下の榊原と目が合った。エリアスは咆哮と共に、母の刀を榊原めがけて投げた。
榊原の顔が、遂に恐怖の色に染まった。彼の眼前には、彼が自ら弾き飛ばしたエリアスの……榊原美咲の刀の切っ先。
着地し、背を向けたエリアスの背後で、榊原にとどめが刺された。
舞い降りた刀が、榊原の額を正確に貫いたのだ。
かつて、榊原は助けを求めて来た母を追い返した。
その母の報復の一撃は、遂に榊原大和を捉えたのだ。
ばたん、と大きな音を立てて、榊原だったものが床に倒れた。
それからの事は、エリアスには記憶が曖昧だった。覚えているのは、榊原の骸を前にしてゼロがまたひと演説ぶちまけた事……旧い日本がどうの、新時代がどうのと言っていた……彼の目の前で榊原の遺骸が片付けられ、残るキョウト六家の面々がすごすごと引き下がって行った事。そして今、彼を倉庫の中にはほぼ誰も残っていない事。
……“ほぼ”、である。
「エリアス」
そんなエリアスに声を掛けたのは、カレンだった。振り返ってみれば、居たのはカレンだけでは無い。扇に井上、杉山、藤堂や四聖剣……黒の騎士団内で浮きがちな彼にあって、それでも比較的近しい位置に居る面々である。エリアスの預かり知らぬ話ではあるが、一つの復讐を遂げたエリアスを気遣って、ゼロが遠回しに「側に居てやれ」とフォローを入れ、この面々もそれに同意した結果でもあった。
「ゼロには感謝するしかない、な。こうして一つ……俺は……俺、は……」
口を開いた時、エリアスは自分の声に違和感を覚えた。
震えている。続いて、目元に違和感を覚える。
熱い。熱を帯びたものが、その目に溜まっていた。恐らく尋常の人間ならばここで視界にも違和感を覚えただろうが、エリアスの人工複眼ユニットはその視界を自動的に補正していた。
「……エリアス」
背後から、誰かの腕が回される。人工複眼ユニットはその気になれば後背の情報をある程度収集可能だから、エリアスには自身を抱き止めているのが誰なのかはわかった。
そして、振り返る事はしなかった。そうする余裕も無かった。機械の身体であるのに、彼の身体は確かに温もりを感じていた。遠い昔、母に抱かれた時のような。
だが、母はもう居ない。復讐は果たされたが、それを褒めてくれる母は居ない。いや、そもそも復讐は母の望みだったのか。復讐の熱が霧散するにつれて、エリアスの心に冷たい後悔が迫り来る。
復讐の後には虚しさだけが残る。それはエリアスにも分かっている。けれど、頭で理解するのと実際に味わうのには雲泥の差がある。
ただ一つだけ、確かな事がある。
これまで自分は、母の復讐のために生きて来た。それが、今は亡き母と自分とを繋ぐ唯一のものだった。そうして今、エリアスは復讐からも、母との唯一の繋がりからも解放されてしまったのだ。
『────ッ!!』
嗚咽は出なかった。彼にそんな機能は無かった。ただ流れ出る涙があるだけだった。口を開けば何かが溢れそうで、エリアスは上を向いたまま口を強く閉じていた。そうしたら、本来口腔が使用不能な時に使用される人工発声器がノイズを発した。
「お疲れ様」
そんな言葉が、最後の引き金だった。格納庫に、声にならない叫びが響き渡った。