SLAYER'S CREED   作:EGO

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Memory06 欠けた記憶

「──っ!」

 

 目を覚ました彼は、弾かせるように体を起こす。

 いまだに痛みを引きずる頭を押さえ、重苦しいため息を吐く。

 思い出したくもない激痛に襲われ、気を失ってからの記憶がない。

 まあ、気を失っていたのだから、記憶がないのは当然の事だ。

 彼は再びため息を吐くと、改めて周囲を見渡した。

 あまり見覚えのない室内に、上半身裸で一人きり。加えるならベッドの上にいることを確認。

 棚には何も入っておらず、机の上には彼の物と思しき衣服と右手用のアサシンブレード。

 その隣に立つマネキンには黒いローブが羽織られており、血の染みも切られた跡もなく、新品同様だ。

 その足元にはブーツが置かれてはいるが、肝心の脚甲は見当たらない。

 彼は肩を竦めながらベッドから降りると衣服を纏い、ローブを羽織ると共に、窓から差し込む光から昼頃である事を理解する。

 あの戦いが朝一だったから、寝ていたとしても数時間程だろう。

 その数時間を無駄にしたと不服そうに小さく唸り、衣服とローブの着心地を確かめると共に、思考を切り替えるように固まった体を解すように伸びをひとつ。

 固まっていた筋肉が伸びる感覚は、いつになっても心地が良い。

 途中、ばきばきと愉快なまでに骨が鳴り、そこまで固まっていたのかと彼は目を細めた。

 本当に寝ていたのは数時間なのかと疑問を抱き、答えを知るために部屋を出ようと歩き出す。

 部屋の隅から扉にたどり着くまでにアサシンブレードを装着し、抜納刀に支障がないかを手早く確かめる。

 それが問題ないとわかるのと、扉の前にたどり着いたのはほぼ同時。

 いつものように扉の奥を見ようとタカの眼を発動するが──。

 

「う゛ぅ……っ!」

 

 突如として頭を駆け抜けた激痛に、低く唸りながら頭を押さえ、壁に手を付く。

 脳を火掻き棒でかき回されたような痛みと熱に嗚咽を漏らし、ぐるぐると回る視界に耐えきれず、勢いよく膝をつく。

 歯を食い縛って痛みと吐き気に耐えながら、無駄に行使され続けていたタカの眼を解除すると、ようやく痛みが治まっていく。

 荒れた息を整えながら体を起こし、天井を仰いで額に両手をやった。

 タカの眼が使えないという事実に驚きつつ、なぜそうなったのかを考える。

 小鬼暗殺者(ゴブリンアサシン)と戦う度に、正確には謎の欠片を手に入れる度に、タカの眼は力を増してきた。

 かつては敵意の感知だけだったものが、やがて痕跡を辿れるようになり、ついには壁を透視できるようになった。

 だが、先程の痛みにはどこか覚えがあるのも事実だ。

 あそこまで強烈なものではないが、似たような痛みをどこかで──。

 

「……あの時か」

 

 彼はぼそりと漏らすと、体を丸めながら眼を閉じる。

 ゴブリンスレイヤー以外と一党を組んでの冒険。仲間たちが誘拐され、それを追跡せんとタカの眼を使った時も、激しい頭痛に襲われた。

 ある種タカの眼が暴走し、脳への負荷が一定以上になると痛むのかと推理し、今後は使用を控える事を決める。

 頭の痛みが落ち着いた頃を見計らうと立ち上がり、息を殺して気配を消しながら、ドアノブに手をかけ、ゆっくりと回す。

 僅かに鳴ったノブの回転する音に僅かに眉を寄せるが、構わずに扉を優しく押して開く。

 扉の先にあったのは、左右に伸びる廊下だった。

 窓から差し込む陽の光に優しく照らされ、外からは何かはわからないが騒がしい声が聞こえる。

 喧嘩でもしているのか、半ば怒号のようにも聞こえるが、内容まではわからない。

 彼は鈍く痛む頭を押さえ、小さくため息を漏らすとその声を下を目指して歩き出した。

 いつもより一歩が重く、呼吸ですら僅かにしんどい。

 やはり部屋にいるべきだったかと自問するが、いた所で時間の無駄だと切り捨てる。

 今は時間が惜しい。一刻も早く奴を追いかけ、仕留めなければ──。

 

「──わ!わわ!」

 

 ぼんやりしながら考えて事をしていた彼の耳に、聞き馴染みのない声と、それに続いて何かが床に落ちる音が届く。

 ゆらりと首を揺らしてそちらに目を向けると、そこには一人の少女が倒れていた。

 おそらく成人すらしていないであろう、小柄な黒髪の少女だ。

 何かを運んでいたのか、彼女の近くには明らかに彼女が運ぶには大きすぎる木箱が転がっており、当の少女も倒れたまま目に涙を浮かべている。

 彼は苦笑を漏らし、少女の姿に幼き頃の妹を幻視した。

 ──が、すぐに首を傾げる。

 

「──妹とは、誰だ」

 

 誰に言うわけでもなく、彼の口から無意識の内に漏れた言葉。

 妹。確かに妹がいた記憶はある。だが、それがどんな妹であったのかがわからないのだ。

 貴族令嬢だったが、傭兵だったか、同業者だったか、あるいは世界を救った勇者だったか。

 名前はクラウディアだったか、カサンドラだったか、それとももっと違う名前だったか。

 

「……」

 

 彼は額に手をやって目を細めながら、そんな答えの見つからない問題に向き合い続けていた。

 女神官やゴブリンスレイヤー、それに弟子たちの事は明確に覚えているし、何より恋人たる彼女の事も──。

 彼はそこまで思い浮かべ、脳裏を駆け巡った驚愕のままに目を見開いた。

 そのまま力が抜けたように両膝をつき、頭を抱えて首を振る。

 恋人。そう、恋人がいる筈なのだ。決して忘れまいと、決して離すまいと決めた、心に決めた女性がいる筈なのだ。

 なのに、なのに──!

 アヤ、アミュネット、マリア、クリスティーナ、ソフィア、キャロライン。

 全く関係のない名前と顔が浮かんでは消え、探している彼女の名前を覆い隠す。

 誰かの、それこそ顔を知るのみの誰かの名前を忘れたのなら、それは仕方がないと割りきれる。

 だが、恋人である彼女の名前を、彼女との思い出を。いくら掘り返そうとしても見つからない。見つかったと想っても、それはまた別の女性との思い出だ。

 

「くそ!くそ!くそ……っ!」

 

 廊下の壁に頭を叩きつけ、記憶に埋もれた彼女の影を探す。

 彼女の温もりも、彼女の声も、彼女の笑顔も、何一つとして忘れてはならないものだ。

 

「どこだ、どこだ!どこにある……!?」

 

 額から血を流しながら、狂ったように頭を打ち付け続ける。

 重く、乾いた音から湿り気の多い音へ。

 がん!がん!と、廊下に響く程の勢いをつけて、何度も、何度も、何度も。

 なぜ友人たちの事を思い出せるのに、妹や恋人の事となると記憶が霞むのか。

 まるで、彼女たちの事を()()()()()()()()()()()()()()()、全く思い出せないのだ。

 

「なぜ、なぜだ!どうして……っ」

 

 声を上擦らせ、僅かに涙を溜めながら、壁に頭を打ち付けた姿勢のまま、彼はずるりとへたり込んだ。

 

「あ、あの……?」

 

 声にならない嗚咽を漏らす彼に、先程の少女が声をかけた。

 突然の奇行に走った男に話しかけるなど、かなりの勇気がいるのだろうに、放っておけずに声をかけたのだ。

 声をかけられた彼は額から流れる血をそのままに、少女に目を向けた。

 幽鬼さながらの姿に、少女は「ひっ!」と小さく悲鳴をあげて後悔したかのように目を泳がせるが、すぐに何かを決めると先程落とした木箱の方に駆けていき、中から何かを引っ張り出し、戻ってくる。

 

「す、少し痛いですよ……?」

 

 少女は恐る恐る布と包帯を差し出すと、一言告げてから彼の額に布を押し当てた。

 突然傷口に布を押し当てられた彼は、僅かに表情を強張らせるのみで、別段気にした様子はない。

 真っ白だった布は程なくして赤く染まり、滲み出た血が廊下の床を点々と汚す。

「人を呼んで来ますね」と一言告げると、少女は彼に自分で布を押さえてもらい、ぱたぱたと廊下の奥へと消えていく。

 彼女の小さな背中を見送った彼は、血に濡れた布を一旦離した。

 押さえられていた出血が再開され、再び多量の血が額から流れ出る。

 

 ──痛い。筈なんだがな……。

 

 額からでなくとも、体に傷が出来れば痛いし、血が出ればもっと焦るものだろう。

 だが、彼にはその二つがなかった。額に痛みはないし、血が出ているのもどこか他人事のように思える。

 頭を打ち過ぎて可笑しくなったかと自嘲的な笑みを浮かべ、戻ってきた時に心配させないようにと布を額にやった。

 壁に背を預けたまま足を投げ出し、何かするわけでもなく天井を見上げる。

 見覚えのない天井。見覚えのない少女。傷だらけの──尤も、今回は自傷した──自分。

 何から何まで、初めての村での事を思い出す。

 そこで妹と呼べる少女と出会った訳なのだが──。

 

「……思い出せん」

 

 妹がいたことは間違いない。だが、その顔立ちや声音、性格がまったく思い出せないのだ。

 村でゴブリンスレイヤーと呼ばれる事となる友人に出会った事は覚えているし、そこで初めてゴブリン狩りをしたことも覚えている。

 なのに、どうして──。

 

「……思い出せない」

 

 顔を俯かせ、彼は力なく息を吐き出した。

 忘れるなら、何もかもを忘れていた方がずっと楽だろうに、何故か友人たちの事だけは鮮明に覚えており、逆に恋人や妹などの、ある程度の一線を越えた者の事は思い出せない。

 ある種の呪いかとも思うが、ここまでひねくれた呪いがあるだろうか。

 

「──グハンターさん?ローグハンターさん!?」

 

 頭を抱えて──尤も、止血しているのだが──いる彼の耳き、不意に聞こえた誰かを(・・・)呼ぶ声に気付き、顔を上げた。

 

「大丈夫ですか!?血まみれですよ!?」

 

 そんな声をあげたのは金髪の少女だ。地母神の僧衣で小さな体を包み込んだ、神官の少女だ。

 ローグハンターは僅かに記憶を探り、外見的特徴が該当する少女の事を引っ張り出す。

 そしていつもと変わらぬ様子で、彼女に対する態度のまま言葉を返した。

 

「神官。何か用か?」

 

「『何か用か?』じゃあないですよ、まったく!」

 

 ぷんすかと怒っている様子だが、彼から見れば可愛いもの。大人ぶろうとしているのは言動の節々から感じるが、年齢は妹と大差ないのだ。

 まあ、その妹がどんな人物なのか全くわからないのだから、そこは適当だ。

 彼は肩を竦め「それはそれとして、だ」と顔を血塗れにしたまま、女神官に問いかける。

 

「──さっきは、誰を呼んでいたんだ?」

 

「……え?」

 

「ローグハンター……だったか。ここには俺しかいないが」

 

「──」

 

 女神官が放たれた言葉の意味を理解するのには、僅かばかり時間を要した。

 そして彼の言葉を噛み締めるように脳内で反芻し、「何を言ってるんですか?」と固い笑みを浮かべる。

 

ならず者殺し(ローグハンター)は、あなたの事じゃあないですか」

 

「──?」

 

 女神官が困ったように言うと、ローグハンターと呼ばれた彼は、間の抜けた表情を浮かべ、小首を傾げる。

 

「そう、なのか?」

 

「──」

 

 切り返された言葉に、女神官は今度こそ沈黙した。

 彼が運び込まれた時の事は、今でも鮮明に覚えている。

 他の銀等級冒険者に比べれば、大きな負傷はなかったが、何やら訳のわからぬ言葉を吐きながら、頭を押さえてのたうち回っていたのだ。

 剣の乙女や治療を済ませた銀髪武闘家、勇者たち、手の空いた神官らでどうにか落ち着かせた──突然気絶したとのいう──のだが……。

 

「あの……?」

 

「ん?」

 

 女神官は恐る恐るローグハンターに声をかけると、当の彼は気にした様子もなく額を押さえていた。

 真っ赤に染まった布からは、血が水滴となって漏れ出ている。

 とにかく血を止めるべきかと思慮すると錫杖を片手で握り、空いている手で布を退かし、血に濡れる事も厭わずに彼の額に添える。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください》」

 

 静かに紡がれた『小癒(ヒール)』の懇願は、確かに地母神の耳へと届く。

 優しき母に撫でられた時のように、心を安らかにさせる暖かさを額に感じ、ローグハンターはくすぐったそうに目を細めた。

 いつもの彼なら、休憩がてらに目を閉じて集中するか、あるいは周囲を警戒する状況だろう。

 なのに、安心しきった子供のような面持ちを浮かべているのだ。

 何とも珍しい彼の反応に首を傾げ、頃あいを見た女神官は手を離す。

 ローグハンターは様子を探るように、改めて額に触れた。

 乾いた血でぱりぱりと固くなってはいるが、出血自体は止まったのだろう。手が濡れる感覚はない。

 彼は「良し」と小さく声を漏らし、女神官に小さく一礼した。

 

「助かった。迷惑をかけたな」

 

「次からは自分で──」

 

「壁に頭を叩きつけないさ」

 

 釘を刺そうと口を動かした女神官より早く、ローグハンターは自分の額を小突いて苦笑を漏らした。

 理不尽に頭を叩きつけられた壁には、大量の血がこびりついている訳だが、彼はそれを気にする様子はない。

 その事にも一言言ってやろうかと、女神官が僅かに息を吸い込んだ瞬間だ。

 

「それで、あいつらは無事か」

 

「──はい。皆さん、大事にはなりませんでした」

 

 突拍子もなく放たれた問いに、女神官は僅かに狼狽えながらも確かに頷く。

 いつもの彼なら、『あいつら』ではなく『彼女は』と真っ先に聞く筈なのだ。

 彼女の疑問を知るよしもないローグハンターは「そうか」と頷き返し、目を細めて顎に手をやった。

 

「なら、準備をしなければ」

 

「準備、ですか?」

 

「ああ」

 

 女神官の問いにローグハンターは短く答えると拳を握り絞め、得物を狙う鷹さながらの眼光を放ちながら告げる。

 

「──これから、奴を追う」

 

 

 

 

 

 

 辺境の街の一角に座する、地母神の神殿。

 祭りの季節ならその手伝いや、その後に行われる祈祷の舞いの準備などで忙しいのだろうが、冬場は基本的には静かなものだ。

 祈り、癒し、救う。この三つを聖句とする地母神の神殿には、日々多くの怪我人や病人が担ぎ込まれてくる。

 しかし、冬の時期は怪我人筆頭である冒険者たちが外に出ることを嫌うことや、今年は流行り病が少ないなどの幸運が重なり、質素ながらに神を奉る場所としての──神官たちの祈りを邪魔する者がいないという意味もある──静謐さに満ちていた。

 だがしかし、静謐とは小さな物音ひとつで終わるもの。更に言うなれば、その物音が大砲もかくやという轟音なら、むしろ騒がしいというもの。

 

「他に怪我をした人はいませんか!?」

 

「食事の用意が出来ましたっ!」

 

「毛布あっち!もっと持って来て!」

 

 朝一番に冒険者ギルドで巻き起こったという、謎の人物と銀等級冒険者らとの戦闘。

 危険を察知して一目散に逃げてきた者や、巻き込まれるのを嫌って逃げてきた者、一部冒険者たちの指示により逃げてきた者など、小さな神殿に多くの人が雪崩れこんできた。

 神官たちは朝の祈祷もせぬ内に駆り出され、休む暇もなく駆け回る。

 それでも彼女らが人々を御しきれたのは、ひとえにかの金等級冒険者──剣の乙女がいたからに他ならない。

 信ずる神は違えど、彼女らが人を救わんとする気持ちに変わりはない。

 それが世を救った英雄と言うのなら、尚更に信じられるというもの。

 幾人かの冒険者らは、彼女を前にして格好をつけたかったのか、あるいはただの親切心からか、手伝いを申し出る程だ。

 そうしてその場に集った──寄せ集めとも言う──者たちにより、どうにか避難してきた市民に食事だなんだを用意し終え、負傷した銀等級──常連とも言うべき──冒険者らと、見慣れぬ冒険者三人の治療を終え、ようやく一息つこうと思った矢先の事だ。

 

「──まだ駄目ですよ!?待ってください!」

 

 地母神の神殿にいる者なら、誰しもが聞き覚えのある声が、廊下の奥から響いたのだ。

 一年ほど前に冒険者となり、同期とは比にもならない日数で鋼鉄等級になった、出世頭とも言うべき少女。

 彼女の声は切羽詰まったもので、誰かを止めんと必死になっていることがすぐにわかる。

 廊下の先に視線を向けた神官らに続し、その場にいた冒険者たちも、なんだなんだと廊下の方へと目線をやった。

 そこから現れたのは、一人の男だ。

 漆黒のローブを纏い、何故か額から顔にかけてを真っ赤に染めた一人の男だ。

 彼のローブの裾を引き、どうにか止めんとしているのは女神官と黒髪の少女神官だ。

 二人してかなりの力を入れているのだろうか、顔を真っ赤にして両の腕が伸びきっている。

 それでも男は止まる気配を見せず、ずかずかと無造作な足取りで二人を引き刷りながら歩き続けていた。

 彼の登場に仲間の女性の心配していた黒髪の少女がぱっと表情を明るくし、仲間に一言告げてから駆け出した。

 

「お兄ちゃんっ!」

 

 走り出した勢いのまま、黒髪の少女──勇者は男に向けて飛びかかる。

 着地のことなど一切考慮していないその跳び方には、兄なら止めてくれるだろうという全幅の信頼が滲んでいる。

 だが、悲しきかな。勇者が飛びかかった男はひらりと身を躱したのだ。

 

「「「え……?」」」

 

 まさかの結果に、勇者、女神官、少女神官の三人から、ほぼ同時に声が漏れる。

 当たり前だ。三人とも、まさか目の前の男が避けるとは、露とも思っていなかったのだから。

 着地の事を考えていなかった勇者は、そのまま体勢を整える間もなく──。

 

「「「──―!!??!」」」

 

 二人の少女に向けて、頭から突っ込む事となった。

 勇者に兄と呼ばれた男──ローグハンターは、後ろで聞こえる三人の断末魔を気にする素振りも見せず、視界の端に映った友人たち──ゴブリンスレイヤーらに足を向ける。

 ゴブリンスレイヤーは普段と違い兜を被っていないが、幸い素顔を見たことはある。間違う事はない。

 だが、ゴブリンスレイヤーと彼の隣にいた牛飼娘をはじめとした友人たちは、怪しむように眉を寄せた。

 いつもの彼と違う事を察せぬ程、付き合いが短い訳ではない。むしろ、最低限気付ける程度には付き合いがあると自負している。

 だからこそ、彼は本当にローグハンターなのか、疑問に思ってしまったのだ。

 当の彼は顔に笑みを貼り付け、ゴブリンスレイヤーと牛飼娘に向けて軽く右手を挙げた。

 

「お前らは無事そうだな。何よりだ」

 

「……ああ」

 

「うん、私たちは平気」

 

 二人は顔を見合せ、何とも気持ちの悪い違和感を感じながら頷いた。

 ローグハンターが友人の心配をすることはよくあることだし、そうでなければ彼とは言えないだろう。

 だがそれをするのは、甘えてきた妹を無視したあとでも、家宝の突剣を折られ、広間の端で項垂れている愛弟子──令嬢剣士を無視したあとでもない。

 彼ならまずその二人に気付き、そちらから声をかけるなりする筈だ。

 なによりも、この場に彼の恋人がいない事を聞いてこないことがおかしいのだ。

 ゴブリンスレイヤーは赤い瞳で彼の姿を捉えつつ、鉛のように重い体を持ち上げた。

 隣の牛飼娘がふらつく彼の体をすかさず支えてやり、ほっと息を吐く。

 

「無理に立ち上がらなくても良かったんだが……」

 

 ローグハンターは頬を掻きながら苦笑を漏らすと、彼や友人たちからの視線に気付いて金色の双眸を細めた。

 

「……俺の顔に何か着いているか?」

 

「乾いた血が、べったりとね」

 

 妖精弓手が警戒するように長耳をぴんと伸ばしながら言うと、「気にしないでくれ」と切り捨てられる。

 

「んがーっ!無視することないじゃんか!」

 

 ふと、背後からの怒鳴り声に意識を傾け、肩越しにそちらに目を向けた。

 女神官と少女神官の二人は目を回しているが、勇者だけは痛痒(ダメージ)がないかのように振る舞っている。

 染みひとつない頬を不服そうに膨らませ、薄い胸を張って腕を組んでいた。

 ローグハンターは彼女を見つめながら数度瞬きすると、自分は関係ないと言わんばかりに視線を外した。

 兄のまさかの行動に勇者は目を向き、自棄になったのか、目に涙を浮かべながらローグハンターに飛びかかった。

 芸術的な軌跡を描きながら最愛の兄の背中に向けて、今度こそ抱きつかんとしたのだ。

 そして、今度は上手くいった。

 彼女から意識外していたローグハンターの背中に、見事に彼女の小柄な体躯が直撃したのだ。

 

「──ッ!」

 

 喉から声にならない悲鳴をあげながら、ローグハンターは前に突っ伏すように体勢を崩す。

 だが、体に刻まれた本能からか、反射的に足が前に飛び出し、彼自身の体と勇者の体を支えた。

 突然の事態にローグハンターは驚いているのか、目を見開きながら肩越しに振り向く。

 ちょうど目があった勇者は年相応の少女のように頬を膨らませ、兄の腰に巻き付けた腕に力を入れる。

 

「もう、無視するなんて酷いよ!お兄ちゃんの意地悪っ!」

 

「……」

 

「避けるのは良いよ?まだどっか怪我してるのかもしれないし。でも、その後何も言わないのはどうかと思うな!」

 

「……」

 

「……お兄ちゃん、聞いてる?」

 

 一向に言葉を返さない兄の姿に、勇者は首を傾げた。

 本当にどこか怪我をしているのかと、ローグ越しに体に触れてみるが、固い筋肉質な体には、怪我をしたらしい感触や、出血による湿りっ気はない。

 

「むむむ、前に抱きついた頃よりも固くなってる。固すぎも良くないと思うな」

 

 勇者が岩のように固い兄の体に触れながら言うと、彼は腰に巻かれた彼女の腕に手を添えた。

 そのまま怪我をさせないように気遣ってか、ゆっくり丁寧に手を解きながら、問いかけた。

 

「……ひとつ良いか」

 

「どうかした?」

 

 勇者の腕を解き、彼女と正面から向き合いながらローグハンターは自分を落ち着かせるように深呼吸をひとつ。

 

「お前は──」

 

「あ、良かった!」

 

 彼が何かを言おうとした矢先に、彼の鼓膜を誰かの声が殴り付けた。

 勇者が「お?」と声を漏らしながら声の主に目を向け、「お姉ちゃん!」と嬉しそうに太陽の如き笑みを浮かべた。

 ローグハンターもつられるようにそちらに目を向け、そして目を見開いた。

 そこにいたのは、一人の女性だ。

 何かを手伝っていたのか額には僅かに汗を滲ませ、透き通るほどに美しい銀色の髪は肩の辺りで切り揃えられている。

 豊かな双丘は呼吸の度に小さく上下を繰り返し、銀色の瞳には夜空の星の如き輝きが宿っていた。

 ローグハンターは、まさに目を奪われていた。相手が敵だとか味方だとか、そんなものは関係なく。

 

 ──心の底から、綺麗だと思った。

 

 銀髪の女性は小走りで放心しているローグハンターに駆け寄り、「良かったぁ……」と安堵の息を吐きながら彼の腕に抱きついた。

 二の腕を包み込む極上の柔らかさに僅かに赤面しつつ、ローグハンターは自制するように咳払いをひとつ。

 

「ひとつ、聞いても良いか」

 

「「なに?」」

 

 彼の問いかけに勇者と銀髪の女性は同時に返すと、彼はそっと二人の体を押し返した。

 名残惜しそうにする二人の顔を見つめ、猛烈なまでの罪悪感を感じながら、絞り出すように声を出す。

 

「──お前らは一体、誰なんだ」

 

 朝までの喧騒が嘘かのように、地母神の神殿に静寂が駆け抜けた。

 彼の言葉を理解するのに時間を要し、病魔のように脳を侵していく。

 ようやく言葉を理解した銀髪の女性──銀髪武闘家は、彼の肩を掴んで「なに言ってるの……?」と目に涙を浮かべながら問いかけた。

 冗談であってくれ。嘘だと言ってくれ。からかっただけだと笑ってくれ。

 彼女の真摯なる祈りは、無情にも神々には届かない。届いた所で、骰子(サイコロ)を振りようがないのだからどうしようもない。

 ローグハンターは彼女の涙につられたのか、無意識の内に目に涙が溜まっていく。

 

「お前らは、誰なんだ。俺は、ローグハンターは」

 

 ──一体、誰の事なんだ……。

 

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想、アンケートへのご協力など、よろしくお願いします。

期限は『Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ』が完結してから+1週間です。随分と今更な事を聞きますか、ダンまちとゴブリンスレイヤーコラボイベント『Dungeon&Goblins』にログハン一党をぶち込んだものをーー

  • 見たい!
  • 別にいいです……。
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