SLAYER'S CREED   作:EGO

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Memory07 それでも彼らは征く

 ローグハンターの一言は、ようやく落ち着きを取り戻した地母神の神殿に、再びの混乱を振り撒いた。

 数時間眠り続けた男が、いきなり妹や恋人に向けて「お前は誰だ」と、加えて「自分は誰だ」と告げてきたのだから、当然だろう。

 

「ら、らしくないよ……?いきなり、冗談言うなんて……」

 

 銀髪武闘家が気丈に笑みながら──それでも、涙は止まらなかった──呟くと、ローグハンターは目を伏した。

「すまない」と彼が呟いたのに、果たして何人が気付けただろうか。

 勇者は「嘘だよ……」と声を漏らし、兄の手を握った。

 時には木をよじ登り、時には壁を登る彼の手は、同年代の冒険者に比べても固く、無骨な印象を受けるだろう。

 だが、その手こそが、勇者たる少女が愛する兄の手なのだ。

 ぎゅっと兄の手を握り締め、その温かさを感じながら、勇者は上目遣いで兄の顔を見上げた。

 

「ぼくだよ?わかんないの……?」

 

 彼女の問いに、ローグハンターは首を重々しく左右に振る。

 問うた勇者だけでなく、彼自身の表情も悲痛なものとなり、見つめあう二人の間にはもはや悲しみしか存在しない。

 いつもなら、和気藹々と、心の底からくる笑みを浮かべて言葉を交わす事だろう。

 だが、今回はないもない。ただ悲痛に、目元に涙を浮かべ、お互いに答えが知れている質問をするのみだ。

 見ているだけの冒険者たちも、三人の間にただようただならぬ雰囲気に、どうするかと目を合わせた。

 そうして、全員の意識が三人から離れてしまった時だ。

 広間にダン!と低い衝突音が響き渡った。

 慌ててそちらに目を向ければ、銀髪武闘家に胸ぐらを掴まれ、柱に押さえつけられているローグハンターの姿があった。

 押さえている銀髪武闘家も、自分でもそんな事をすると思っていなかったのか、小さく目を見開いている。

 押さえられているローグハンターは、振り払う事も出来るだろうにそれをせず、涙に滲む彼女の瞳を弱々しく覗きこむ。

 ここまで弱った相手の目を見る日など、かなり久しい事だ。

 出来ることなら、二度とそんな顔はさせないと決めたのに、それを覚えているのは銀髪武闘家のみ。

 その事実と自らの行いに苦虫を噛んだような面持ちになりながら、彼女はこの状況になってしまったのだからと開き直り、彼の胸ぐらを掴む手に力を入れた。

 

「キミはいっつもそうだよ……っ!誰かを守るために命張って、何回も死にかけて!」

 

「それでも帰ってきてくれるから、目を開けてくれるから、何か言ってくれるから、私は我慢出来たし、頑張ってこられた!」

 

「今日だって、キミが帰ってくるって約束してくれたから、キミなら負けないって信じてたから、一人で行かせたのに……っ!」

 

 ふーっ!ふーっ!と息を荒げ、彼の胸板を殴りながら──もちろん、加減はしている──言葉を紡ぐと、頬を涙が伝った。

 彼女の涙には強い後悔の色が濃い。彼を一人にしてしまった、過去の己の判断の甘さを恨んでいるのだ。

 強烈なまでの罪悪感と自己嫌悪に吐き気を覚え、喉を鳴らしても言葉が音になってくれない。

 口だけが開閉を繰り返す中で、不意に彼女の後頭部に手が置かれ、ローグハンターの胸に押し付けられる。

 息が苦しくならない程度に、自分の熱が相手に伝わるように、力強く、そして優しく抱き寄せられたのだ。

 いつもの彼のように、まだ恋人でもなかった頃からもやってくれたように、彼が抱き寄せてくれたのだ。

 けれど、そこにあるのはきっと親愛ではなく、ただ心配しての事だろう。

 

「こんなの、こんなの……」

 

 ──あんまりだよ……っ。

 

 大粒の涙を流しながら、銀髪武闘家は彼に抱き寄せられたままへたり込む。

 倒れる彼女に合わせ、ローグハンターも足を滑らせるように床に腰を降ろし、胸の中で嗚咽を漏らす彼女の髪を撫でてやった。

 彼女が何を求めているのかはわからない。かつての自分が何をしていたのかはわからない。

 だが、確実に言えることが一つ。

 

「……お前の涙は、見たくなかった」

 

 理由もない、無意識の内に放たれた言葉に、ローグハンターは驚きを露にした。

 言葉が溢れた理由を探そうにも、彼女の事を深くは知らず、何と声をかけたとしても、その全てが逆効果に終わるだろう。

 それがわかっているから何も言えず、何も言わないから銀髪武闘家の涙は止まらない。

 視線を流してどうにかしようと思慮するが、今の彼ではどうしようもない。せめて記憶があれば良いのだが……。

 

「どうすれば良い……?」

 

 誰に言うわけでもなく、どこか落胆したような面持ちでぼそりと呟いたと同時に、神殿の奥から二人の女性が現れた。

 窓から差し込む陽の光に照らされた金色の髪が鮮やかに輝き、肢体を包む薄布は、豊満なそれを隠すには少々役不足。

 女神の如き美貌だが、一つ不満をあげるなら、その目元が黒い布に覆われている事だ。

 だが、その布に隠されているからこそどこか神聖な雰囲気を漂わせ、その他の美しさを引き立てているのもまた事実。

 まこと、美とは難しいものである。

 その女性は見えざる瞳で広間を見回し、一対の蒼い炎(ローグハンターの瞳)を見つけて表情を明るくした。

 ──が、すぐに彼に何者かが抱きついていることに気付き、表情を曇らせる。

 彼にあそこまで親密にいられる人物は、彼女と妹をおいて他にはいないだろう。

 二三言葉を告げたい所ではあるが、今は仕事中だ。公私混同はしないと──本人は──思っている。

 彼女──剣の乙女の表情がころころと変わっている事に、侍女たる武僧は、やれやれと言わんばかりにため息を漏らした。

 剣の乙女の見えざる瞳に代わり、広間に集う冒険者たちの様子を観察し始める。

 ゴブリンスレイヤーをはじめとした銀等級冒険者たちは、治療も済ませた者は各々の姿勢で休んでいるようだが、その視線の先にはローグハンターがいる。

 折れた突剣を前に丸くなる──おそらく泣いているのだろう──令嬢剣士と、彼女を落ち着かせているのか、彼女の背中を撫でる女魔術師。

 ゴブリンスレイヤーの隣には牛飼娘がおり、彼女も銀髪武闘家を気にしつつも、あれこれと負傷した彼に世話を焼いていた。

 見る限り、負傷した冒険者やその関係者に問題ないように思える。

 だが、確実に問題が起こっているのも見ればわかるのだ。

 部屋の片隅にへたり込んでいる勇者と、彼女を介抱している剣聖と賢者。

 柱に身を預けているローグハンターと、彼の胸に顔を埋めて泣いていると思われる銀髪武闘家。

 勇者とローグハンター、銀髪武闘家の三人に何かがあったことは明白だ。

 目が見えぬ代わりに、ある程度その場の空気の変化に機敏な剣の乙女は、後ろ向き(ネガティブ)な雰囲気を察して「あら」と声を漏らした。

 彼女が現れた事に冒険者たちは気付いても──あるいは気付いていない──そちらに気を向ける事は出来ず、どうしたものかと顔を見合せるのみ。

 女神官は小さくため息を漏らすと、ぱたぱたと小走りに剣の乙女の下へと向かった。

 

「大司教様。お話は終わりましたか?」

 

「ええ。幸い、ギルド以外への被害は皆無でしたから、避難した皆様には、頃合い見て帰宅していただくか、希望者は幾日か神殿に滞在させてもらう事になりましたわ」

 

「念のため、水の街からも手伝いを寄越します。もう使いは出してありますので、ご安心ください」

 

 剣の乙女は女神官にそう伝え、伝えられた彼女も「そうですか」と頷いた。

 早朝に始まった冒険者と謎の人物の戦闘。

 本来戦いとは無縁の街中で行われたそれは、ひどく住民に不安を抱かせるには十分な出来事だった。

 その不安が拭うのに、手間を惜しんではいられない。

 傷ついた人々を救うことが、地母神の教えなら尚更に。

 彼女の返事を聞いた剣の乙女は、ローグハンターに目を向けながら問うた。

 

「あの、一体何があったのですか?」

 

 端的に告げられた問いに、女神官は僅かに思慮した。

 事の中心にいるのはローグハンターだ。彼の意見も聞かずに言っても良いものだろうか。

 彼女は僅かに彼の方へと目を向け、すすり泣く銀髪武闘家をどうにかあやそうと四苦八苦している様子を確認した。

 

 ──言ってしまっても、良いんですかね?

 

 目配せのみでゴブリンスレイヤーの一党へと確認を取るが、いつもと違い、皆からはどうすると首を捻ることで返された。

 頭目たるゴブリンスレイヤーのみが小さく──遠慮がちにとも言う──頷き、女神官はそれを了承と判断した。

 

「──実は」

 

 ならばと彼女は隠すことなく、現状をはっきりと告げた。

 下手に隠したとしても、どうせすぐにばれるのだ。ならば、いっそのこと言ってしまった方が良いだろう。

 変な所でも先達たち──この状況ではローグハンターだろうか──に影響され始めているのは、きっと彼女にも自覚はあるまい。

 そうして告げられた現状に、剣の乙女は黒布の下で目を見開いた。

 

「ローグハンター様が、記憶を失った!?」

 

「失ったというよりは、欠けたという表現の方が良いかと思います……」

 

 思わず弾けた剣の乙女の言葉に、女神官は努めて静かに返す。

 ただですら銀髪武闘家が錯乱しかけているのだから、下手に刺激をしたくはないのだ。

 彼女の意図を察した剣の乙女は「ごめんなさい」と呟いて、改めてローグハンターに見えざる瞳を向けた。

 嗚咽を漏らす銀髪武闘家を落ち着かせようとしているのか、あちらこちらに視線を投げては彼女に目を向けるを繰り返している。

 いつもの彼──彼女が恋する相手という意味だ──ならば、単刀直入に、多少気の利いた言葉を投げ掛ける筈だ。

 なのに、何も言わずに困惑しているだけとは、

 

「ただ事ではありませんね」

 

 剣の乙女は神妙な面持ちで告げると、侍女たる武僧に目を向けた。

 彼女との付き合いはかなりのものだ。多少の事なら、言葉を交わさずとも理解しあえるというもの。

 二人は頷きあうと、侍女は来た道を戻り廊下の奥へと消えていき、 一人残った剣の乙女が手を打った。

 パン!と乾いた音が木霊し、冒険者たちの視線が一斉に彼女へと向けられた。

 

「一度、状況を整理いたしましょう」

 

 

 

 

 

 

 神殿の一室に集められた冒険者たち。

 ゴブリンスレイヤー、女神官、妖精弓手、鉱人道士、蜥蜴僧侶、令嬢剣士、槍使い、魔女、重戦士、女騎士、剣聖、賢者、そしてローグハンター。

 銀髪武闘家と勇者の二人は、流石に堪えたのだろう。別室にて安静になっている。

 女魔術師と牛飼娘は二人の面倒を見ると申し出、別室に待機している。

 ただですら心折れかけた令嬢剣士の介抱に神経を使ったというのに、再びの介抱。

 頭目が記憶喪失。頼れる副頭目も今は頼れず、今は面倒を見なければならない。加えて頭目の妹の面倒。

 ……彼女の胃に穴が開く日も近いかもしれない。

 それはそれとしてと、ローグハンターは頭を抱えて長机に突っ伏した。

 対面する形で卓を囲む冒険者たちも、アサシンを迎撃した時の覇気を感じない彼の姿に、ほとほと困り果てたようにため息を吐いた。

 失敗したのなら励ましてやるだけだが、今回はそういう次元ではないのだ。

 

「とにかく、あんたがどこまで忘れてるのかが問題よね」

 

 静寂に包まれた一室に一石を投じたのは、妖精弓手だった。

 元より騒ぐことが好きな彼女の事だ。黙ったまま全く話が進まなくなるのならと、口を開いたのだろう。

 その言葉を受けたローグハンターは顔を上げ、「そうだな……」と僅かに思慮した様子。

 

「言われてもしっくりこないのは、あの二人の事や、ローグハンターと呼ばれている事ぐらいだ」

 

 彼はそう告げると、目を細めて僅かに唸る。

 

「だが、忘れている事を忘れているからな。他にも何かあるかもしれん」

 

 どこか自嘲するように笑むと、「だが、やることは決まっている」と表情を引き締めた。

 

「奴らを殺す。そうすれば、記憶も戻る筈だ」

 

 一人覚悟を決めるローグハンターに、剣聖が軽く手を挙げて待ったをかけた。

 

「相手の居場所もわからないのに、どうやって追いかけるつもりですか?」

 

「居場所ならわかっている。行き方も、どうにかなるだろう」

 

 腕を組んでそう告げるローグハンターに、賢者はどこか冷たい眼差しを向けた。

 

「それはなぜ?相手の素性もわからないのに」

 

「なぜ、か……」

 

 彼女の問いに、ローグハンターは自分の頭を指で小突きながら言う。

 

なんとなく(クリティカル)か、託宣(ハンドアウト)だな」

 

 妹がよく言う言葉(セリフ)と、最近よく聞くようになった言葉を告げながら不敵な笑みを浮かべ、「世界地図はあるか」と女神官に問うた。

 

「せ、世界地図ですか!?」

 

 突然の頼みに、流石の女神官も驚きを露にした。

 簡単に世界地図と言っても、ここは辺境にある一神殿に過ぎない。周辺の地図はあるが、世界単位となると……。

 

「これで良い?」

 

 首をを捻って考え込む彼女を他所に、賢者は宙に開いた穴に手を突っ込み、そこからスクロールを取り出した。

 どんな理屈かはわからないが、古い魔術の類いだろうか。

 卓の端にいた魔女は興味深そうに宙の穴を眺め、煙管を吹かして紫煙を吐き出した。

 詳しく問い質したい所だが、今はローグハンターの用事が先だと自らに言い聞かせる。

 そうしている間に卓の上に世界地図が広げられ、冒険者たちの視線を集めた。

 彼らがいる国を賢者が示し、砂漠に包まれた隣国や、海を隔てた先にある大国など、大まかに場所を指差した。

 

「こうしてみると、ホントに世界って広いわね」

 

 身を乗り出した妖精弓手が上機嫌そうに長耳を揺らしながら言うと、ローグハンターは目を閉じると地図を指で撫で始めた。

 愛おしい我が子を撫でるように、慈悲に溢れたその手つきだが、そこには一握の迷いもない。

 

「先生?」

 

 普段見ることのない彼の顔に、令嬢剣士は僅かに困惑したように声をかけた。

 だが彼は答えることなく、とある一点で指を止め、眉を寄せた。

 

「この辺りだな」

 

「この辺りだなって、お前……」

 

 ローグハンター示した場所を睨み、重戦士がため息混じりに声を漏らした。

 彼が示したのは、この国から程近い──地図上の話だが──海上だった。

 近海に相手の拠点となりそうな島があれば、調査が行われ、開拓されるなり、魔物の巣窟だったなりと話題になる筈だ。

 同じ開拓地であるこの辺境なら、さらなる仕事を求めて情報にはすぐに飛び付いていく。

 なのに、ローグハンターが示した場所には島があるとも示されておらず、海を示す記号が振られているのみだ。

 

「そこに間違いないのか?」

 

 女騎士が「信じられん」と漏らしながら腕を組み、ローグハンターに目を向けた。

 彼女の中での彼の評価は彼女しか知るよしもないが、低いということはないだろう。

 同じ銀等級冒険者にして、銀髪武闘家(親友)の恋人であり、罪なき者たちを守るならず者殺し(ローグハンター)だ。

 秩序にして善なる騎士を目指す身としては、時には彼のようにありたいと思うこともある。

 当の彼は記憶を失い、錯乱していたのだが……。

 

「信じるどうこう言うんなら、大司教様に『看破(センス・ライ)』でもして貰えばいいじゃあねぇか」

 

 どこか乱暴な口調で提案したのは、額に包帯を巻いた槍使いだ。

 アサシンとの戦いは、彼にかなりの影響を与えたのだろう。

 ローグハンターと並んで『辺境最強』と呼ばれているが、自分より上のものが多くいるのは理解している。

 どんな強者を相手にしても、最後に一矢報いてやるという心構えではあったが、

 

「……あいつはどうにかしなきゃならねぇだろ」

 

 アサシンに完膚なきまでに叩きのめされ、その心中は穏やかではなかった。

 それは彼にのみ言える事ではないが、アサシンに対抗できるのはローグハンター、次点で勇者だ。

 勇者でも対抗しきれないという次点で、かなり危機的な状況であるのだが、ローグハンターが相手を務められるのなら良い。

 

「──で、どうなんですか」

 

 乱暴になっていた口調を無理やり戻し、槍使いは剣の乙女に問うた。

 彼女は苦笑混じりに「もう使っておりますわ」と告げ、表情を引き締めた。

 

「はっきり申せば、彼は嘘を言ってはおりません。本当に、そこに何かあるのでしょう」

 

 剣の乙女がローグハンターの意見を後押しし、槍使いは「そうかぁ……」と困り果てたようにため息を漏らす。

 

 ──本格的にこいつが事の中心となってきやかったな。

 

 横目でローグハンターを見つめつつ、意識を切り替えるように「でだ」と人差し指を立てた。

 

「どうやって行くよ」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 槍使いの問いに、女神官が制止の声をあげた。

 室内の視線をその小さな体に集めつつも、彼女は凛として言葉を放つ。

 

「ローグハンターさんは病み上がりですし、何より記憶が──」

 

「欠けているが、問題ない」

 

 だが、彼女の言葉は問題であるローグハンターによって遮られた。

 彼は自らの拳を握りつつ、小さく笑みを浮かべた。

 

「技は体が覚えてる。十歳になる前から、仕込まれてきたからな」

 

 ローグハンターが静かに告げた言葉に、冒険者たちは僅かに唸る程度の反応しか示さない。

 この場にいる中で、彼の過去を全て知る人物はいない。弟子である令嬢剣士でさえ例外ではないのだ。

 そもそもをして、冒険者はその多くが一期一会。相手の過去を根掘り葉掘り聞くのは野暮というもの。

 それこそ、生涯添い遂げると誓いでもしない限り、過去を打ち明ける事もないだろう。

 記憶がなくともやる気のローグハンターに、流石の女神官もやれやれと首を左右に振ってため息を漏らした。

 蜥蜴僧侶は「然り然り」と頷き、ちろりと鼻先を舐めた。

 

「幼い頃より仕込まれた技は、もはや呼吸と同義ですからな。鈍らせたくとも鈍りませぬな」

 

「……ああ。鈍らせたくはない」

 

 光が消えた瞳を揺らしつつ、ローグハンターはその身から絶対零度の殺意を漏らす。

 決して殺意を漏らすなとは教えられたが、時と場合によるだろう。

 

 ──今は、どうにも抑えられる気がしない。

 

 自分が傷つけられただけならまだしも、友人たちさえも傷つけられ、付け加えるなら。

 

「奴を殺せば、記憶が戻るかもしれん」

 

 覚えてはいないが、奴との戦いで大切な何かが欠け落ちてしまった。

 それを拾うことが出来るのは、奴との決着をつけた時だろう。

 ローグハンターは不思議とそう信じて疑わず、故に決着を急いでいる。

 

「頭巾のが必死になるのもわかるけんど、もうちと回りを見た方が良いと思うがの」

 

 ある程度だが彼の心情を察したのだろう鉱人道士が、自慢の長髭を擦りつつそう告げた。

 言われたローグハンターは小さく首を傾げ、「見ているつもりだが」とさも当然のように口にした。

「いや」と言葉を返したのは、驚く事にゴブリンスレイヤーだ。

 彼は赤い瞳をローグハンターへと向け、「忘れたのか」とどこか冷たい声音で告げた。

 

「女というのは、男に比べて繊細だと言ったのはお前だ」

 

「──―」

 

 友人からの突然の言葉に、ローグハンターは思わず間の抜けた表情となった。

 その言葉を言ったのは、果たして何年前だっただろうか。

 ゴブリンスレイヤーがそう呼ばれ始め、ローグハンターがただの斥候として活動していた頃なのは確かだ。

 理由はともかく、その言葉を言ったことは覚えていた。だが、なぜ今になってそれを──。

 

「………」

 

 そこまで思慮したローグハンターは、脳裏を過った銀髪武闘家と勇者の面影を掴み取った。

 瞬き一つの間もない刹那のタイミングだったが、それを逃がさないように鍛えられているし、鍛えてきたつもりだ。

 それがこうして結果を出したとなると、今までの苦労は無駄ではなかったのだろう。

 

「………」

 

 ローグハンターは目を閉じながら深呼吸をすると、「そうだな」とぼそりと呟いた。

 こちらが覚えていないにしろ、片や恋人、片や妹だ。彼女たちに何も言わずに出発では、後で何を言われるかわかったものではない。

 

()てるのなら準備ができ次第と思ったが、少し延ばすか」

 

「──すぐにでも行く気だったのですか?」

 

 ローグハンターの即決具合に、令嬢剣士は目を丸くした。

 彼が何か行動を起こす時は、確かにやると決めたら即行動開始だ。

 だが、ここまで無計画な場合はあまりない。いつもなら、即行動に移しても何かしらの手がある時だ。

 だが、今回は何もない。目的地がわかっていてもそこに行く為の足がなく、そもそも未知の場所に行くにも関わらず装備も揃っていない。

 

 ──よく行動に移そうと思いましたわね……。

 

 記憶が欠けてから、妙に危機感がない師匠の姿に困惑しつつ、令嬢剣士は笑みを浮かべた。

 

 ──記憶が欠けても、あのお二人の事は大切なのですね。

 

 何かを無くしても彼の根底にあるものは変わらず、ないなりにどうにかしようともがいている。

 それがわかれば、何となくだが親近感が湧くというもの。

 

「して斥候殿。奴の拠点にはどう攻め入るつもりですかな」

 

 苦汁を飲まされた相手への雪辱(リベンジ)に燃える蜥蜴僧侶が問うと、ローグハンターは「問題ない」と即答。

 

「船の宛はある。港に手紙を出さないとな」

 

「もしかして、あの船か?」

 

 ローグハンターの言葉に心当たりがあったのか、重戦士が確認を取る。

「ああ。それだ」「なるほど、あいつか」と二三やり取りを交わし、わからぬ者たちを放置したまま話を進める。

 

繋がり(コンタクト)は、よくわからん所で生かされるな」

 

「まあ、それが縁ってやつだろうよ」

 

「準備にどれほどかかるかが問題だが……」

 

「それはあいつらの腕にもよるんじゃねぇか」

 

 ローグハンターと重戦士。二人は交互に言葉を発し、勝手に話を進めていく。

「何の話よ!」と妖精弓手が横槍を入れると、令嬢剣士が「実はですね」と解説に入った。

 部屋を支配していた静寂はどこへ行ったのか、今ある喧騒は普段のギルドのままだ。

 冒険者たちはどこか居心地よさそうに表情を緩め、剣の乙女も懐かしむように笑みをこぼす。

 その雰囲気を楽しみつつ、不意にローグハンターが意見を呟いた。

 

「所で、お前らも来るつもりなのか?」

 

 突然放たれた問いに、冒険者たちは面を食らうもほぼ同時に頷いた。

「やられっぱなしは嫌なんでな」と槍使いが言えば、「そうだそうだ」と女騎士が捲し立て、「そう、ね」と魔女が不敵に笑う。

「特別な徳が積めそうですからな」と蜥蜴僧侶がしゅっと鋭く息を吐けば、やれやれと困ったように首を振る重戦士、鉱人道士。

 妖精弓手は「冒険ね!」と目を輝かせ、令嬢剣士と女神官の肩を抱いた。

 剣聖は「乗り掛かった船ですし」と仕方がないと言うように肩を竦め、賢者は「駄目と言われても行く」と何故か強硬姿勢。

 剣の乙女は「どこから手をつけましょうか」と苦笑を漏らし、後ろの侍女も困ったように笑みを浮かべた。

 それぞれがやる気を見せる中で、唯一乗り気でないのはゴブリンスレイヤーだろうか。

 彼は迷うように顎に手をやると、誰にも聞こえぬように小さく唸った。

 今回の戦いでは、まず間違いなくゴブリンは出てはこないだろう。だが、友人の助けとなるなら行くべきだろうか。

 自らの役目(ロール)を逸脱した戦いに参加すべきかと悩む友人の姿を認めたローグハンターは、小さく肩を竦めて冒険者たちに一言告げる。

 

「お前らがやる気なのはありがたいが、出発はまだ先──むしろ未定だ。それ以前に、報酬の約束も出来ない。それでもないと言っても過言ではない。それでも来るなら、歓迎する」

 

 喧しい程に騒がしかった室内に、ローグハンターの声は凛として響いた。

 

「生きて帰れる保証もなければ、屍を拾ってやれる保証もない。報酬を払ってやれる保証もない。これを冒険と呼べるかすら、俺にはわからない」

 

「少なくとも、今までの冒険の比ではないことが起こるのは確実だ」

 

「それでも、来るか?」

 

 彼の口から淡々と告げられた言葉に、冒険者たちは一斉に頷く。

 

「ギルドぶっ壊した奴を倒せば、多少の謝礼は出るだろうよ」

 

「王に今回の件を説明すれば、多少なら報酬は出ると思いますが」

 

 槍使いの言葉に剣聖が遠慮がちに言葉を添えると、「お嬢さんの繋がり(コネ)はすげぇな」と感嘆の息を吐いた。

 

 ──やることは決まってきたな。

 

 彼らの会話を他所にローグハンターは目を閉じ、やるべき事を列挙していく。

 船の手配。装備の点検。食料の用意。報酬の交渉。

 そして──。

 

「それをする前に、やることを済ませないとな」

 

 ローグハンターは静かに、だが確かな意志をもって告げると、視界の端に映ったゴブリンスレイヤーに目を向けた。

 彼の視線に気付いてか、ゴブリンスレイヤーは顔を合わせた「どうした」と問いかける。

 ローグハンターは「いやな」と苦笑を漏らし、友に告げた。

 

「お前も後悔のないように選べ。やるかやらないかだ」

 

「──そうだな」

 

 ローグハンターの言葉に、ゴブリンスレイヤーは僅かに目を見開くと、珍しく口許に微笑を浮かべた。

 開き直ったような、それでもどこか冷静な、何とも特別な笑みだ。

 来るにしても来ないにしても、彼はゴブリンスレイヤーだ。生きて帰ってきても、やることは何一つとした変わりはしないだろう。

 

「それじゃあ、報酬の件はそちらに任せる。俺は、今やるべき事をやってくる」

 

 ローグハンターはそう告げると卓を離れ、誰に何か言われる前に部屋を後にした。

 冒険者たちは彼の背を見送るだけ見送ると、各々がやるべき事を検討していく。

 

「──ところで、工房は無事なの?」

 

 妖精弓手の一言で場の空気が凍り付くまでは、だが。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想、アンケートへのご協力など、よろしくお願いします。

期限は『Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ』が完結してから+1週間です。随分と今更な事を聞きますか、ダンまちとゴブリンスレイヤーコラボイベント『Dungeon&Goblins』にログハン一党をぶち込んだものをーー

  • 見たい!
  • 別にいいです……。

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