「落ち着いたかしら?」
女魔術師は目の前で丸くなる少女にそう問いかけ、僅かに悲哀の色のこもった視線を向けた。
頭目によく似た黒い髪に、まだ幼さを残す顔立ち。普段なら希望に満ちた輝きを放つ瞳も、今日ばかりは陰って見える。
「……さっきに比べれば」
黒髪の少女──勇者はそう呟き、泣き腫らした目元をぐりぐりと拭う。
世界を救った勇者とて、彼女も人だ。兄に拒絶させれば、落ち込みもするし泣きもする。
それが、久しぶりに会った兄からの発言なら、尚更だろう。
女魔術師はどうしたものかと頬を掻き、今まで培ってきた知恵を絞って打開策を探る。
当の兄は仲間たちに連れられて、どこかに行ってしまった。
令嬢剣士の世話は良い。彼が気絶していたのは確かだ。
だが、目の前の少女に関して言えば、
──自分で何とかして欲しいのが本音だけどね……。
今日一日だけできりきりと痛むようになった胃を押さえ、疲れと共にため息を吐き出した。
朝一番にギルドを──正確にはローグハンターを狙ったと思われる襲撃。
自分は何が出来ただろうかと自問し、あの戦いを振り替える。
銀等級冒険者の攻撃をものともしなかった防御力。
彼らを蹴散らした謎の力。
頭目のものとよく似た剣。
お互いに面識があるかのような振る舞い。
そして、頭目ならば対抗出来るという可能性。
次に仕掛けてくるのならいつか。その時は撃退できるのか、何か有効な手はないかと、様々な事を考えていく。
「魔術師のお姉さんは、お兄ちゃんとどのくらい一緒にいるの?」
一人考え込んでいた女魔術師に、不意に勇者が問いかけた。
俯き加減だった顔を上げ、同じく顔を上げていた勇者に目線を向ける。
赤く腫れた目元と、今にも消えてしまいそうな儚げな表情。素人目から見ても、かなり無理をしているのは明らかだ。
女魔術師は無理やりにでも気を紛らわしてやろうと「そうね……」と考え、「もうすぐ二年かしら?」と首を傾げた。
ゴブリン退治へのアドバイスを貰い、一党に入れてくれるように相談し、思いの外あっさりと受け入れられて、もうすぐ二年。
駆け出しの証だった白磁の認識票も、既に駆け出し卒業手前の鋼鉄等級だ。
「二年と言っても、本当にあっという間ね」
僅かに驚くように、そして懐かしむように言うと、勇者も「あっという間だよね」と同意を示した。
「お兄ちゃんが村を出ていって五年経って、また会えるかもって冒険者になって、いつの間にか勇者になって」
体を丸めたまま左右に揺れ、壁に立て掛けた聖剣に目を向けた。
鞘に納められたそれは、本来の輝きを落ち着かせてはいるものの、握れば悪を祓う太陽の輝きを放ってくれる。
だが、今朝はそれだけではどうにもならなかった。
仲間たちがいて、偶然居合わせた冒険者たちがいて、それでも劣勢だ。
今までの敵とは段違いに強い。言い方が悪いが、彼と比べると、魔神王ですら子供のようだ。
「結局、昔と同じでお兄ちゃんに助けられちゃった」
相手と互角に張り合えたのは、ローグハンターただ一人。
その戦いも見ていた訳ではないが、兄はそこまで負傷した様子はなかったが、
──その分、ぼくやお姉ちゃんの事、忘れちゃったんだよね……。
きっと、かなりの無茶をしたのだろう。その結果が今の状態なら、それは自分の力不足によるものだろう。
勇者は大きくため息を吐くと、「駄目だな、ぼくは」と体をさらに丸くした。
独り言を漏らして勝手に落ち込んだ彼女の姿に、女魔術師は小さくため息を吐き、「失礼するわね」と隣に腰を降ろす。
丸くなる勇者の頭を撫でてやり、「あなたは駄目なんかじゃないわよ」と優しい声音で告げた。
彼女とて弟のいる姉なのだ。下に誰かいる人の気持ちはわかるし、下が落ち込んだ時の励まし方は何となくわかる。
まあ、いるのは弟なので、いざという時は心もとないかもしれないが。
「誰だって完璧に何でもこなせるわけじゃあないわよ。私だって失敗するし、あの人だって、時々死にそうになるわ」
「そうなの?」
女魔術師の言葉に、僅かにだか興味を示す勇者。
彼女はこれ幸いと笑みながら「そうよ」と一度頷いた。
出来の悪い弟に説教する時のように、多少手加減を加えつつも更に言葉を続ける。
「
「危ない場所によじ登ったり?」
「そうね」
自分の言葉に便乗してきた勇者の確認に肯定を示し、彼女は彼の一党に加わってからの事を思い出す。
彼と共にギルドの屋根の上から見た祭りの景色は、今でも鮮明に思い出せる。
──そのギルドも、今や瓦礫の山だけどね……。
その事を僅かに残念に思いつつも、壊れたものはまた直せば良いと開き直る。
街には建築ギルドなる団体もあるのだ。建物の一つや二つ、時間と金はかかれどどうにかなるだろう。
そこまで思慮して、女魔術師はハッとした。
「だいぶ話が逸れたわね……」
彼女が言うと、隣の勇者は「あはは」と彼女本来の太陽のような笑みを垣間見せた。
「私が言いたかったのは、あなたは十分に強いってこと。私なんかよりもずっとね」
「ぼくは強くなんかないよ。今日だって──」
「お前がいたから、これだけの被害で済んだと思うが」
二人が話していると、不意に第三者から声がかけられた。
二人は弾かれるように部屋の入り口へと目を向け、そこに佇む一人の男性──ローグハンターの存在にようやく気付く。
相変わらずの
女魔術師が僅かに批判するような眼差しを向けていると、ローグハンターは「驚かせたか?」と苦笑混じりに首を傾げた。
「大丈夫です」と不機嫌そうに女魔術師が言うと、「そうか」と頷いて足を進める。
そのまま勇者の隣に腰を降ろし、がしがしと乱暴に頭を撫でてやる。
勇者はくすぐったそうに目を細めるが、瞳には僅かに悲しげな色がこもっていた。
そんなものに構わず、ローグハンターは言う。
「今日は助かった」
「ッ!助かったって、無事じゃないじゃんか……」
「俺は無事じゃあないが、お前も、俺の友人たちも、回りの堅気の連中も、みんな無事だ」
彼は目に涙を浮かべる勇者にそう告げ、「だから、ありがとうな」と言葉を続けた。
「俺が気絶したばっかりに、お前に無理をさせた。もっと、俺が強ければな」
目を細めて強がるように笑みつつ、彼は勇者を撫でる手を止めることはない。
されるがままの勇者は俯いたまま首を左右に振り、「お兄ちゃんは弱くないよ」と励ますように呟く。
ローグハンターが「そうでもないだろう」と返せば、「強いよ」と勇者が言い返す。
「ぼくじゃ何にも出来なかった。皆は守れたけど、お兄ちゃんが──」
「俺は弱いとは思っているが、お前に守られるほど弱くはないぞ」
勇者の言葉を遮り、ローグハンターはそう告げた。
自分の右手を顔の前にやるとゆっくりと握り締め、口許に微笑を浮かべる。
「さっきからお兄ちゃんがお兄ちゃんがばかり言っているが、お前が守るべきは何も俺だけじゃあないだろう?」
「そうかもしれないけどさ。ぼくはお兄ちゃんも守りたかった」
勇者はそう言うと、じっとローグハンターの顔を見つけ始めた。
否、見ているのは彼の顔ではなく、彼の首に残された傷痕の方だろう。
彼女がやる気を出しすぎた結果に出来てしまった、本来なら致命傷間違いなしの傷痕。
彼女は無意識にそれを撫で、「ぼくは助けられてばっかりだからさ」と力なく呟いた。
何とも頑なな勇者の姿に、ローグハンターは「別に良いだろう」と肩を竦めた。
「昔、俺が小さかった頃に父に言われた事がある」
首に触れていた勇者の手を取り、優しく握ってやりながらローグハンターは言う。
「『下の子を守ってやれ』。結局、その妹か弟だがわからない家族に会うことは出来なかったが……」
僅かに目を伏せ、悲哀の色を込めながら言うと、改めて勇者と──愛する妹と目を合わせた。
「だから
そう言って彼は、いつも妹に見せる柔らかな笑みを浮かべ、彼女の頬を撫でた。
「お兄ちゃん……」
「妹を忘れる、不甲斐ない兄でごめんな」
僅かに目に涙を浮かべつつ、ローグハンターは謝罪の言葉を口にした。
勇者は首を横に振り、「お兄ちゃんはお兄ちゃんだよっ……」と上擦った声を絞り出す。
そして彼の胸に飛び込み、ぎゅっと力一杯に抱き締める。
ローグハンターは嗚咽を漏らす勇者の背を撫でてやり、偶然目があった女魔術師に「ありがとうな」と小声で礼を言う。
対する彼女は「全くです」と不機嫌そうに言うものの、その表情はどこか晴れやかなもの。
彼はフッと小さく笑みを浮かべ、同時に覚悟を決める。
──妹のことを思い出す為にも、必ず勝つ……っ!
いまだに彼女の事は思い出せないが、それで彼女を突き放すかと問われれば答えは否。
彼はローグハンター。同時に、勇者の兄なのだから。
「大丈夫?」
「……」
牛飼娘の問いかけに、部屋の片隅で丸くなる銀髪武闘家は、無言でもって返した。
いつもなら強がりでも何かしら言ってくれるのだが、今回ばかりはそんな余裕もない様子。
見たこともない友人の姿を見ていられずに世話を申し出たのだが、自分にしてやれる事が全く思い浮かばない。
窓の外を見れば、高かった陽も、もうすぐ山に沈もうとしており、空は橙色を過ぎて紫に染まり始めていた。
この数時間、彼女は何も言葉を発してくれないし、何も口にしていない。
健啖家である彼女が何も食べないなど、滅多にある事ではない。だが、その原因は体調不良などではなく、心からくるものだろう。
怪我や病気の看病ならまだしも、心折れかけた人を支えるなぞ、それこそ幼なじみ相手でもなければ無理だ。
だが、自分から世話を申し出てしまった以上、逃げる事は出来ない。何より、友人を見捨てて逃げるなぞ出来るものか。
牛飼娘はそう決めて「よし!」と気合いを入れるが、さて何をしてやるべきか。
「武闘家さん?」
「……」
試しに呼んでみても、反応を示してくれない。
「お腹空いてない?」
「……」
神官から貰ってきた食事を差し出してみても、反応なし。
「……大丈夫?」
俯いていた銀髪武闘家の頭を掴み、ぐいと持ち上げて顔を上げさせた。
泣き腫らした顔はいまだに赤く、目からは輝きが消え、致命的なまでに覇気に欠けている。
ここまで弱った彼女の姿は、ここ数年は見たことがない。
牛飼娘は瞳に僅かな悲哀の色を乗せたが、すぐにそれを捨てて笑みを浮かべた。
「食欲ないかもしれないけど、何か食べよ?」
彼女の優しさを向けられて尚、銀髪武闘家は目を逸らし、「ほっといて……」と彼女の手を払った。
それでも一般人である牛飼娘に怪我をさせないよう、加減をして払うあたり、彼女なりの気遣いが表れていた。
だが、それがわかった牛飼娘の表情が更に暗くなる。
他人の心配をする余裕もないだろうに、それでも彼女は友人の事を気遣っているのだ。
力任せに振り払われて、ハッとした顔で『ごめんなさい』と言われた方が、やられた側としても話を次に進めやすいというのに。
ローグハンターと共にいた結果なのか、あるいは素の彼女の性格なのか、彼女もまた、自分の事をどこか軽視している節がある。
──今ぐらい、感情的になっても良いのに……。
牛飼娘は武闘家に振り払われたにも関わらず、一切痛みのない手を胸に抱き、悲痛な表情を浮かべた。
何かしてあげたい。でも、何をしてあげれば良いのかがわからない。
何せ、今の彼女が求めているのは自分ではなく、彼なのだから。
それを理解している牛飼娘は小さくため息を漏らし、僅かに顔を動かして部屋の扉へと目を向ける。
彼女が待っている人物はまだ来てはくれないが、きっと何かあったのだろう。
記憶がないにしろ、彼が彼女を放っておく事はあり得ないのだ。
彼女の思うが伝わったのか、あるいはただの偶然か、不意に扉がノックされた。
入室許可を求めるように続けて三度。
「っ!」
牛飼娘はハッとして、急かすように再び三度ノックされた扉へと小走りで駆け寄る。
途中で背中越しに銀髪武闘家に目を向けるが、彼女は自ら動くこともせず、かと言って止めもせず、ただ俯いているのみ。
変わらぬ彼女の様子に牛飼娘は少々躊躇しつつも、そっと扉を開く。
「すまん、待たせた」
扉を開いた先にいた男性──ローグハンターは、彼女と中にいる銀髪武闘家を気遣ってか、僅かに頭を下げながら小声でそう漏らした。
牛飼娘は「待たせすぎだよ」と言葉に僅かな非難の色と怒気を込め、再び銀髪武闘家の方へと目を向けた。
彼の事を待っていたのだろうに、当の彼が来ても反応を示さない。
ローグハンターも待っていられずに室内を覗きこみ、彼女の姿を認めて目を細める。
「二人にして貰っても良いか」
そして、彼女に目を向けたままそう告げた。
牛飼娘が首を傾げて「大丈夫なの?」と問うと、彼の口からは「わからん」と短く答え、腕を組んだ。
「だが、やるしかない」
冒険に出ている時と同様かそれ以上に真剣な面持ちで言うと、「良いか」と最終確認。
牛飼娘は「……わかった」と躊躇いがちに頷くと、彼と入れ替わりで部屋を出る。
交代で部屋に入ったローグハンターは後ろ手で扉を閉めると、ずかずかと無造作な足取りで銀髪武闘家の下へと足を向けた。
そこまで大きくない部屋だからか、数歩で彼女の目の前へとたどり着くと、彼は音もなくその場に腰を降ろした。
銀髪武闘家は俯いていた顔を僅かに上げ、彼の顔を覗きこんだ。
何か用があって来たのだから、勝手に話し始めると思っての事だろう。
だが、一分経っても、二分経っても、全く話し始める雰囲気がない。
彼はただまっすぐに、彼女の顔を見つめてきているのだ。
「──何か用?」
結局、この我慢比べに負けたのは銀髪武闘家の方だった。
気怠そうに言葉を発した彼女に向け、ローグハンターは僅かに悩んだ様子を見せ、頭を掻いてため息を吐いた。
「この部屋に来るまで、お前に何を言えば良いのかを考えていた」
「別に私は──」
銀髪武闘家が言い返そうとした瞬間だ。彼は優しく笑みながら、彼女の頭に手を置いた。
突然の行動に彼女が言葉を詰まらせると、これ幸いとローグハンターは彼女の髪を撫でながら一度深呼吸して、彼女の目を見つめて告げる。
「俺はお前が好きなようだ」
「──―ッ!」
「お前の泣いた顔を見たくはないし、悲しんでいる顔も、苦しんでいる顔も、見たくはないし、何より怪我をさせたくもない。もっと言えば、鎧を着込んだお前の姿も、出来れば見たくはない」
「……?」
突然早口で告げられた言葉に、銀髪武闘家は疑問符を浮かべながら顔を上げた。
それを隙と判断したのか、彼女の頭に置いていた手を、一切無駄のない動作で涙の痕が残された頬にやった。
柔らかな頬に手を当て、親指で涙の痕を拭ってやりつつ、彼は言葉を続ける。
「まだお前の事は思い出せないが、少なくともこれだけは言える」
──俺はお前が好きだ。
彼は再びそう言うと、不意に彼女の唇に口付けを一度。
触れ合う程度の軽いものだが、それでも確かに口付けをしたのだ。
ゆっくりと離れていく彼の顔を呆然と見つめつつ、銀髪武闘家の目から再び涙が流れた。
一筋、二筋と続けて流れれば、それは止まる気配もなく出続ける。
ローグハンターはその涙も指で拭ってやりながら、銀髪武闘家に向けて更に言う。
「お前を見ていると、何だか安心する。お前の顔を見ているだけで、胸が温かくなる。お前の涙を見てると、それを止めてやりたくなる……」
「俺の頭は覚えていないが、そこじゃあない別の部分が、お前を大切な人だと覚えてる」
自分の胸に手を当てながら柔らかな笑みを浮かべ、ローグハンターははっきりとそう告げた。
「きっとこれが、この想いが、お前を好きになったという事だと、俺は思う」
「──―」
言葉を挟む間もなく告げられた言葉に、銀髪武闘家は言葉を失った。
『──これが、お前を好きになったという事なんだな』
思い出されるのは、もうすぐ四年前になる彼の言葉と、その時浮かべた彼の表情。
とても柔らかな、安心しきったようなこの笑みは、やはり彼でなければ出来ない表情だろう。
──ああ、やっぱり……。
銀髪武闘家は涙を拭うこともせず、固まった表情筋に鞭を打って無理やり笑みを浮かべた。
頬は引きつり、涙で顔もぐしゃぐしゃになってはいるけれど──。
──キミはキミのままなんだよね。
胸の内を支配した安堵の気持ちをそのままに、彼女は無理やり作った笑顔のまま彼に言う。
「昔のキミに比べればましだよ……っ」
出会ったばかりの彼が見せてくれた、あの無理やり笑った──壊れかけた笑顔に比べれば、きっとましな方だ。
「何にも言ってないだろう」とローグハンターは言うが、その表情には相変わらずの笑みが浮かんでいる。
そんな笑みが出来るようになったのは嬉しいし、それを自分に見せてくれるのも嬉しいし。
でも、自分の事は忘れているのは悲しくて。切なくて。
だからだろう。笑っているのに涙が止まらない。
ぐりぐりと自分の目元を拭い、止まらない涙をどうにかしようとするが、結局どうにもならなくて。
「えへへ」と笑ってみるけれど、彼はむしろ不安そうな表情を浮かべた。
いつも心配かけるのはあちらなのに、こういう時に限ってこちらが心配をかけてしまう。
情けないような、頼れるような、何とも言えない感情が脳裏を過るが、いつも通りな気もするので心地よくて。
ローグハンターは困ったように頬を掻くと、ゆっくりと彼女を抱き寄せた。
胸の中で困惑する彼女を他所に、彼は銀色の髪を撫でながら「俺はここにいるぞ」と告げる。
銀髪武闘家は彼の胸に顔を埋めながら頷いて、彼の背に腕を回した。
「ねぇ?」
「ん──?」
彼女に突然声をかけられ、下を向いた瞬間、彼の唇が塞がれた。
目の前にあるのは、彼女の顔。
「──―」
すぐに離れていいったけれど、触れあったのは確かな事実。
数度瞬きを繰り返し、「どうした」と問えば、彼女は彼の言葉を無視してもう一度口付けを一つ。
今度は互いの舌を絡め、少々艶っぽい息を漏らしながら、互いの体温と唾液が行き来する。
数十秒ほどの接吻を終え、二人は頬を赤く染めながら見つめあう。
涙とは別の理由で潤んだ瞳には自分の姿が映り、相手が何を求めているのもわかる。
記憶がなくとも、体が、魂が、心が、遺伝子が、本能が、彼女を事を覚え、求めているのだ。
それは彼女とて同じ事。今回の戦い、互いに限界まで死に近づいたのだ。
時間は既に夜。呑兵衛どもも寝静まる時間──とは言えないが、気の早い連中は既に寝ている時間帯だ。
ならば──おそらくそうでなくとも──二人が止まる理由はない。
三度目の口付けは二度目以上に熱く、激しく、けれど優しく。
恋人と過ごせる静かな夜は今宵まで。次の夜はきっと──―。
『さて、出揃ったわね』
四方世界を見下ろす盤の上。
金色の髪を優雅に
『美』の女神と呼んでも差し支えないその美貌ですが、彼女に魅入る男神は誰もいません。
彼女はそれさえも愉快そうに笑い、白いローブの裾から飛び出す足を組み直します。
対する『幻想』と『真実』をはじめとしたこの世界の神々は、眉を寄せて表情を強張らせました。
『出揃った』確かにそれぞれの駒は出揃ったでしょう。
こちらが出すのはもちろん勇者です。
いいえ、彼女だけではありません。
剣聖、賢者にはじまり、剣の乙女、槍使い、魔女、重戦士、女騎士、妖精弓手、鉱人道士、蜥蜴僧侶、女神官、女魔術師、令嬢剣士、ゴブリンスレイヤー、銀髪武闘家。
『幻想』の神様は彼らを示す駒を並べ、目の前にいる『かつて来たりし者』を睨み付けます。
急こしらえとはいえ、それなりの戦力です。下手な
それでも『かつて来たりし者』は余裕の笑みを浮かべ、ローグハンターの駒をつまみ上げました。
『今回だけは貸して上げるわ』
彼女はそう言うと彼の駒を乱暴に放り、『幻想』が揃えた駒の列に加えます。
『フェアじゃないものね』と彼女は言って、自分の用意した駒を並べます。
そして最後に、愛おしい我が子にするようにアサシンの駒を撫で、『この子が最後よ』と笑います。
主力キャラの数で言えば、『幻想』の神様が有利ですが、質で言ってしまえば、かつて来たりし者が有利でしょうか。
だからでしょう。『かつて来たりし者』は余裕の笑みを浮かべ、『幻想』の神様は表情を強張らせました。
後ろでは地母神が『こ、この状況でもですか!?』と一人なにやら騒いでいますが、今はそれどころではありません。
他の神様に手伝ってもらって、どうにか世界を回してはいますが、長続きすればどうなるかもわからないのです。
だからこそ、『幻想』の神様は『勝負です……っ!』と強がるように声を振るわせました。
『かつて来たりし者』は満足そうに笑みを深め、『そうね』と一度頷きます。
ここから始まるのは新たな英雄が生まれる
神々の都合で始まる、命懸けの
楽しそうに笑う『かつて来たりし者』とは対象的に、『幻想』の神様の表情は悲しげです。
愛する子供たちに、愛する世界を賭けて、勝率が壊滅的なまでに低い戦いに挑んで貰うのです。
けれど、勝敗を決めるのは『幻想』と『かつて来たりし者』が握る
『じゃあ、準備は良いわね?』
『かつて来たりし者』が言うと、『幻想』の神様は勇ましく頷きます。
それと同時に、二人は一斉に骰子を転がしました。
からからころころ音を立てて、出た目の数だけ勝負は進みます。
ある者から見れば記念すべき、ある神様から見れば投げたくなかった、大一投が示した答えは──―。
誤字脱字、アドバイス、感想、アンケートへのご協力など、よろしくお願いします。
期限は『Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ』が完結してから+1週間です。随分と今更な事を聞きますか、ダンまちとゴブリンスレイヤーコラボイベント『Dungeon&Goblins』にログハン一党をぶち込んだものをーー
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見たい!
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別にいいです……。