第一文明──かつて来たりし者。
彼の者たちが作り出した遺跡は、彼らでなければ創造も出来ないような構造となっている。
足場が動くのは当然として、壁が動いて押し潰そうとする、突然足場が抜ける、不可思議な文字の羅列が壁一面に浮かび上がっているなどなど。
知識がなくとも異質だとわかるそれは、見知ったローグハンターから見てもまだ慣れぬものだ。
「ねえねえ、あんた!あんたの故郷にはこんな遺跡があるの!?」
妖精弓手がひょいと左右に動く足場を飛び越えると、背中越しに問いかけてきた。
ローグハンターに出来るのは「まあ、探せばな」と曖昧な返事のみだが、それでも彼女には十分だったらしい。
「そうなんだ、そうなんだ!」と目を輝かせながら長耳を揺らし、視線をあちらこちらへと配っていた。
どういう原理かはわからないが、左右だけでなく上下に動く床や、どういう原理かはわからないが、何かを教えようとして浮かび上がる文字の羅列。
どこを見ても未知のものがそこにあり、それを愛する彼女にとってはここはまさに宝の島だろう。
「せ、先生の故郷って、一体どんな場所なのですか……?」
後方を歩く令嬢剣士の問いかけに、ローグハンターは顎に手をやって思慮した様子だ。
どんな場所かと問われても何の変鉄もない街だ。それこそ辺境の街と大差なく、もしかしたらこっちの方が治安は良い。
屋根の上や茂みの中にこちらの命を狙う刺客や、近づくだけで銃を向けてくる兵士がいないだけ、本当に辺境の街の方が良い。それは間違いない。
「──普通の街、だな」
結局そう言う他になく、「そうですの?」と令嬢剣士は首を傾げた。
彼が言うのならそうなのだろうと納得するが、彼はあまり過去を語りたがらない。
まあ、人の過去についてとやかく問いただすのは
「でも、調べてはいたんですよね?」
女魔術師も、妖精弓手程ではないが興味津々と言った様子で周囲を見渡しながら問うと、ローグハンターは声を詰まらせた。
それに関しては騎士団の活動だ。騎士となった時、それらを──騎士である事を含めて──一切口外しないことを誓っている。
僅かに思慮した様子を見せる彼に、女魔術師は「あの?」と遠慮がちに声をかけた。
「ああ、すまん」と誤魔化すように笑いながら「調べている人はいたな」と肩を竦めた。
「斥候殿の師にあたるお人が、そうだったのですかな?」
蜥蜴僧侶がぎょろりと絶え間なく目玉を回しながら──彼なりに周囲を見ているのだろう──巨体に見合わぬ跳躍力で足場に飛び乗り、タイミングを見て次の足場へと跳んだ。
着地と共に見た目同様な重い着地音が鳴るが、床が抜ける様子はないと一安心。
ローグハンターは「先生と言うよりは俺の父だな」と答え、延々と続く通路に嫌気が刺したようにため息一つ。
一本道なのか助かるが、どこが
彼は重々しくため息を吐き、フードの下で目を細めた。
「ま、進んでれば着くでしょ?」
彼の胸中を察してか、銀髪武闘家がその肩を叩いた。
「鉱人さん、神官ちゃん、大丈夫~?」とこの場にそぐわぬ気の抜けた声で後方に声をかけると、片や「大丈夫じゃわい」と余裕そうな、片や「な、なんとか!」と少々気の張った声で返される。
尤も鉱人道士はともかくとして、女神官にはゴブリンスレイヤーがついてくれている。万が一があっても、彼ならどうにかしてくれるだろう。
「ねえ、ちょっと!」
不意に、遥か前方を進んでいた妖精弓手が足を止め、振り返りながら大きく手を振った。
ローグハンターと銀髪武闘家は顔を見合せると頷きあい、ひょいひょいと軽い足取りで動く足場を越えていく。
彼女の下にたどり着くには大して時間はかからず、動かない足場──この場合は対岸というべきか──にたどり着くと同時に「どうした」と問うた。
それを口にした瞬間に、彼女が何を見つけ、なぜ足を止めたのかを理解する。
闇だ。底が見えない闇が、彼らを呑み込まんと口を開けているのだ。
「足場がない……?」
銀髪武闘家が狼狽えて半歩後退りながら呟くと、ローグハンターは「そのようだな」と頷き、妖精弓手は「どうしましょ」と腰に手を当てて薄い胸を張りながら問いかけた。
三人して前のめりになって大口を開けて待ち受ける闇の底を見ようとするが、目を凝らした所で見えず、タカの眼を使った所でどうにもならない。
タカの眼の暗視能力でも見えないということは、かなりの深さである事は間違いない。
さて、どうしたものかと首を傾げると、後続の友人らが続々と合流。
三人に続いて闇の中を見下ろした令嬢剣士と女神官の口からは揃って小さな悲鳴が漏れた。
それでも限界まで押し殺し、僅かに漏れる程度に出来たのは、彼女たちも成長している証拠だろう。
だが、合流した所で目の前の穴がなくなることも、ましてや底が見えるようになることもない。
「他に道はあったか」とゴブリンスレイヤーが問えば、「いや、なかったな」とローグハンターが即答。
二人して首を捻り、ローグハンターが再び穴を覗きこむ。
下からの風はなく、水の音も聞こえない。底が抜けているという事はなさそうだ。
むしろそれは、落ちたら地面が待ち受けているという事なのだが、ローグハンターは不思議と恐怖はなかった。
今の彼には
だが、仲間たちはどうだ。彼らは落ちれば間違いなく死ぬし、何より孤立させたらどうなるかわかったものではない。
賢者──今回で言えばローグハンターだが──なしで観測所に入ったマスター・トーレスとその部下たちは、大半が仕掛けられた対侵入者用の装置にやられ、一部はアサシンの手にかけられた。
この世界にアサシンはいないから追撃の心配はしなくて良いが、もし離れた途端に防御機構が働いた場合、彼らがどうなるか……。
──良くて全滅、だな。
妖精弓手ならどうにか潜り抜ける事は出来るだろうが、それ以外の面子では間違いなく死ぬ。言ってしまえば妖精弓手も遅からず死ぬだろう。
ならばどうする。
引き返すか。だが一本道だったぞ。
飛び降りるか。仲間と離れれば元も子もないだろう。
何かヒントはないか。何のための眼だ。
「──そうだな」
ローグハンターは独り言を漏らすと、
脳に焼けるような痛みがゆっくりと蝕むように広がっていくが、それを無視する形で更に集中。
仲間たちの青い影をそのままに、視界から次々と色が消えていき、しまいには仲間たちの青い影──―さらに輪郭すらも失われ、あれやこれやと意見を出し合っていた彼らの声さえも消える。
途端に強烈な孤独感と不安を感じたが、それをすぐに振り払い、額に浮かび上がる脂汗をそのままに更なる集中。
色も消え、音も消え、たった一人──彼だけが見える世界において、ようやく
壁沿いを上下に動く足場。それを三つ越えた先にある足場に、何やら操作盤があるではないか。
ならばそこに行くまでだと、ローグハンターがそちらに足を向けた瞬間。
『──!ねぇってば!』
水の中で声をかけられたように聞き取りにくい、だが確かにこちらを呼んでいる声に気付く。
声の主に顔を向けようとすると、それよりも早く頬に手を添えられた。
頬に感じる柔らかさと、そこから伝わってくる温もりを合図にして、限界を越えていたタカの眼が解除される。
同時に色と音を取り戻した世界に映ったのは、短い銀髪の髪を揺らす女性。
彼女は「ねえ、大丈夫!?」と鬼気迫る表情で彼へと声をかけ、問われた彼は呑気に一度ゆっくりと瞬きをするが、
「──!っ……はぁ!」
次の瞬間には有らん限り目を見開き、異常なまでに熱の持った頭を押さえ、体に不足した酸素を巡らせようと荒れた呼吸を繰り返す。
ふらつく足元を気合いのみで支えようとするが安定せず、結局銀髪武闘家に支えられることになった。
ぜえぜえと喘ぐ彼を心配しつつ、銀髪武闘家は彼が見ていた方向に目を向けた。
「あそこに何かあるんだね!?」
上下に動く足場の先に、ちらりと見える何かがあるような気がする。
自分の目では見えないが、彼の眼だからこそ何か見えたのだろう事は察しがつく。
問われた彼は「ああ……」掠れた声で返し、「行かないと……」と言葉を続けた。
「無茶言わないの!」と怒鳴り返すが、この遺跡の鍵は彼──正確には彼の血だが──である事は入り口で示された事だ。
「私なら行けそうだけど」
妖精弓手がそう言うと、ローグハンターは「なら」と呟いて手に巻き付けた包帯を乱暴に剥がすと、いまだに乾かぬ傷口からは僅かに血が垂れていた。
「これを持っていけ」と手を差し出し、垂れた血が点々と床に跡を残す。
「……わかったわ」と妖精弓手は目を細めて遠慮がちに頷くと、背嚢から食事に使うつもりだったのだろう椀を取り出し、彼の血数滴を受け止める。
それをぼんやりと眺めていたローグハンターは「これくらいで良いだろう」と言うと手を引き、雑嚢から取り出した新しい包帯を手に巻き付けた。
いい加減
「それじゃあ、行ってくるわね!」
椀をひっくり返さないように大事に抱えながら、妖精弓手は軽業師さながらの動きで動く足場へと飛び乗った。
ひょいひょいと街道を進むように、不安定に動く足場を次から次へと越えていく。
「それにしても、いきなりどうしたんですか?」
妖精弓手の動きを眺めながら、女魔術師が問うた。
彼女の問いには二つの意味が込められているのだろう。
まず一つ目は、なぜいきなり黙りこんだのか。
二つ目は、なぜいきなりこんなにも消耗したのか。
この二つの問いに対して持ちうる答えは一つのみ。
「眼を使っただけだ」
自分の目を瞼越しに撫でながら、重苦しい息を吐いたローグハンターは端的に告げた。
呼吸も落ち着き、頭に残る熱もだいぶ落ち着いてきた。
少しばかり頭が痛むが、この程度なら想定内。戦闘には支障はないだろう。
「少し、加減を間違えた」
自分の体の調子を見ながらそう付け加え、「こんなものだな」と締め括った。
これで納得してくれたのかと様子を見ると、女魔術師は何とも言えない表情だ。
「……まだ何かあるのか?」
「いえ、無理はしないでください。本番はここからですから」
問われた女魔術師は三角帽子を被り直しながら言うと、「今回の切り札はあなたですから、自重してください」と苦言を呈するように言葉を続けた。
そう、切り札だ。この一党でアサシンと正面から打ち合えるのはローグハンターのみで、その彼が意図したかは別として消耗した。
この事実は重く受け止めるべきだし、彼にはその自覚を持って貰わねば困る。
故に少々苦言を呈する形となってしまったが、ローグハンターもその一言をしっかりと受け止めたのか、「そうだな」と呟いて銀髪武闘家に一言礼を言ってから体を離した。
「これでいいのかしら……」
それと時を同じくして件の操作盤にたどり着いた妖精弓手が、台座に置かれた血の小瓶にローグハンターの血を流し込み、少々不安そうに声を漏らした。
血の納められた小瓶は音もなく台座の中へと消えていき、台座の表面に金色の模様が浮かび上がる。
それは彼女のいる足場から壁を伝いローグハンターたちの下へといくと、口を開く闇の中へと潜り込んでいった。
起こったのはそれのみで、急に足場が現れる何てこともなく、隠された道が現れる何てこともない。
「……これで良かったのかしら」
高台からその全てを俯瞰していた妖精弓手は、何だかやらかした気がしてならなかった。
ここまで登るのに大して苦労はなかったが、かといって何も起こらないとなるとそれはそれで何だか嫌だ。
酷く子供っぽい事を思いつつ眺めていると、おっかなびっくり闇の中を覗いていた女神官が何かに気付く。
「あ、あの!見てください!」
「どうした」
彼女の言葉に真っ先に反応したのはゴブリンスレイヤーだ。
彼は彼女の隣につくと同じように下を覗き、「むぅ」と小さく唸った。
先ほど闇の中に消えていった金色の紋様は、どうやら闇に紛れた足場を示してくれたようだ。
壁から反対の壁へと伸びる紋様が途中でぷつりと途切れているあたり、おそらく足場も途中で切れている。
そんなものが、見える限りで五本。
否、それが本当に一本なのかという確証もない。それよりも多いかもしれないし、少ないかもしれない。
だがここで何もせずに考えた所で、ここで尻込みしていた所でどうにもならない。ここは飛ぶしかないのだ。
ゴブリンスレイヤーは兜を巡らせ、スリット越しに仲間たちに目を向けた。
少々不安そうな女神官を、どう降りるかを話し合う鉱人道士と蜥蜴僧侶を、どうにか高さを計ろうとしている女魔術師を、深呼吸をして覚悟を決める令嬢剣士を、「大丈夫?」とローグハンターを心配する銀髪武闘家と、彼女の言葉に気丈に笑って見せるローグハンターを。
「さてと、準備は良いかしら?」
下を覗きながら、満面の笑みを浮かべてこちらを見返してくる妖精弓手を見て、彼女の問いかけに頷き返す。
降りる覚悟を決まれば後はその手筈だが──。
「高所から飛び降りるのは、これが初めてではあるまい」
彼はそう言って、雑嚢から
下でローグハンターらが足止めをくらっているのと同時刻。
「おりゃーっ!」
何とも可愛らしい掛け声と共に、太陽の輝きが大地に叩きつけられた。
叩きつけられた陽光の一閃は容易く大地を砕き、周囲の地面にひびを入れる。
並の魔物なら、その一撃で終わりなのは明白。伝説に名を残す魔物でさえ、ただでは済まない。
──それも、当たればという話だが。
『『『GRAッ!!!』』』
三つ頭の番犬──ケルベロスは吼えながらその巨体を翻し、勇者の放った陽光の一撃を余裕で回避。
地に四肢を打ち込むようにして姿勢を整え、三つの口に炎を溜める。
「火炎がくるぞっ!」
盾を構えた女騎士の警告に冒険者たちは一斉に散る。
瞬間吐き出された『
一度でも触れたものを死ぬまで──否、灰となるまで焼き尽くす地獄の焔に違いないのだ。
故に盾による防御は意味がなく、奇跡による防御は有効だろうが、相手が何度炎を撃てるのかすらわからない。
その状況で手札を切ってしまうのは、いざという時に泣きを見ることになるだろう。
ならばこその回避。当たれば死は免れぬ炎から、全力をもって逃げるのだ。
狙うべき対象を逃した地獄の焔は地面に当たり、盛大に爆ぜた。
平原を駆け抜ける衝撃波に全身を殴られつつ、爆煙に紛れた槍使いが再び疾走。
地面に打ち込んだ足を引き抜こうとしている地獄の番犬とすれ違い間際に、前足の足首に
異常なまでに固く、筋ばったものを切る感覚は、こちらが
だが振っているのは事実自身が愛用する槍であり、確かに相手の足には傷がついている。
『GRRR!!!』
そんなものお構いなしに地面から引き抜いた前足を振り上げ、槍使いに向けて振り下ろす。
一撃で地面を砕く膂力もそうだが、最大の脅威はその手足に生えた強靭な爪だ。
現在纏っている鎧は普段から愛用し、常に万全の状態となるように心掛け、事実万全の状態の鎧だ。
だが、あれは駄目だと、食らえば死ぬと本能が告げている。
「
思わず毒を吐きながら槍使いはその場を離れ、振り下ろされた前足と爪を紙一重で避ける。
着地と共にもう一度足を踏ん張り、さらに後方に跳躍。
直後に彼がいた場所に三つの内の右の頭がかじりつく。
──爪、爪、牙、尾。なら、まだ何とかなるけどよ!
番犬の頭は三つ。尻尾は一つだが火を吐く。
詰まる所──。
「爪、爪、牙、牙、牙、尾、火ってか!?これじゃあドラゴンと大差ねぇな!」
槍使いは顔についた土埃をそのままに、言葉とは裏腹に好戦的な笑みを浮かべた。
空を飛ぶドラゴンを狩るのは一苦労──どころか極力手を出したくはないが、相手は地に足をつけた犬畜生だ。
頭が三つあるが、それは逆に
「《
彼の考えを察してか、魔女の放った『
一度の詠唱で十数と放てるのは、一重に彼女の
雨の如く降り注ぐ『力矢』に次々と貫かれながらも目立った
魔女渾身の『力矢』でも多少皮膚が焼ける程度で、致命傷にはほど遠いのが現状であり、逃がれようのない現実だ。
魔女が表情を険しくさせる中、彼女に向けられた
黒い髪を
「フンッ!」
先ほど槍使いがつけた傷を抉るように、愛剣の刃を滑り込ませた。
閉じかけていた傷口を強引に切り開かれた番犬は三つの頭で悲鳴をあげるが、すぐさま自分を律して剣聖を睨む。
『GOOA!!!』
同時に彼女の体を潰さんと前足を薙ぐが、
「させん!」
それを好機と見てすかさず割り込んだ女騎士が、大盾を斜めに構えて受け流す。
盾を挟んで目と鼻の先を通り抜けていく剛腕──あるいは剛脚──に冷や汗を流しつつ、完璧に受け流して見せた。
捉えるべきものを捉えられず、加えて止まるべき止まれなかった前足は大きく空を切り、番犬の姿勢を大きく崩す。
「オゥラッ!!!」
その瞬間に踏み込んだのは重戦士だ。
だんびらを大上段に構え、踏み込んだ勢いのままに叩きつける。
相手の頭の一つを潰さんと振るわれた渾身の一撃だが、その手に感じたのは何やら固い感触と、響いたのは甲高い金属音。
「──マジかよっ!?」
重戦士が状況を把握するのに、刹那ではあるが時間を要した。
彼自慢のだんびらが、番犬の
ぎりぎりと歯軋りをさせながら刃を受け止めた番犬は、ぎろりと重戦士を睨み付ける。
血走った番犬の視線と、驚愕に見開かれた重戦士の視線が交錯した瞬間、彼の背筋に冷たいものが駆け抜けた。
──やべぇ……!
それは冒険者にとっては切っても切り離せない死の気配。冒険する度にどこかに潜んでいる、避けようのない死の直感だ。
体勢を整えた番犬は三足で地面を踏みつけ、残った前足を重戦士の脇腹に叩きつけた。
凄まじい衝撃音と共に彼の体は宙を舞い、地面を数度跳ね、さらに地面に擦れる事でようやく止まる。
「おい、無事か!?」
盾を構えて警戒を緩めない女騎士だが、その声には少なからず動揺の色がある。
憎からず思っている男が目の前で吹き飛ばされたのだ、心配するなという方が無理というもの。
番犬はくわえただんびらを吐き捨て、勝ち誇るように遠吠え一つ。
聞く者に
それを聞いた動物たちは慌てて巣穴へと逃げ帰り、あるいなそれのみで命を落とす。
それほどまでに、彼の者の存在は絶対的だった。
だが、どんなに相手が強大であろうとも、どんなに相手が恐ろしくとも、決して引いてはならぬ時は必ずある。
少なくとも、この場にいる冒険者たちは今こそがそれであると理解していた。
故に彼は立つ。鍛え抜かれた脚でもって大地を踏みしめ、鍛えぬかれた手に予備の片手剣──もちろん魔剣の部類だ──を握りながら、彼──重戦士は立ち上がった。
その表情に鮫のような笑みを張り付け、額から流れた血をぺろりと舐めとる。
だが幸いにも喉は潰れていないし、言葉を発する余裕はあった。
「大司教様、感謝する」
「いいえ、すんでのところになってしまいました」
彼が礼を言ったのは、後方で天秤剣を掲げる剣の乙女だ。
天秤剣が何やら神々しい光を纏い、それが重戦士にも纏っている所を見るに、『
彼女はすんでのところと言ったが、それがなければ彼は即死だっただろうし、彼が死んでいれば女騎士が僅かでも隙を晒すことになっていたであろう。
金等級冒険者。かつて世界を救った六人の英雄の一人だからこそ、目が見えないからこそ、彼女は人一倍死の気配には敏感だ。
ともかく彼の無事を確認した女騎士は胸を撫で下ろし、その美貌で番犬を睨み付けた。
「さあ、我々はまだやれるぞ!」
宣言と共に盾を打ち鳴らし、番犬の
『『『GOOORRRR!!!』』』
所詮は犬だからか、そんな安い挑発にも番犬は乗ってしまった。
その刹那に、杖を掲げて力を溜めていた賢者が真に力ある言葉を紡ぐ。
「《
彼女が紡ぐ詠唱を受けた冒険者たちは一斉に散開。番犬から距離を取る。
全員が安全圏へと抜けた瞬間、賢者は杖を掲げた。
彼女を中心にして暴風が吹き荒れ、散りばめられた宝玉一つ一つに超常の力が集約され、杖全体から神々しいまでの輝きが放たれる。
「──《
同時に口から溢れた最後の一節をもって、彼女の
瞬間解き放たれたのは、猛風、白光、轟音、そして熱。
もはや異次元の力が、番犬の巨体に襲いかかったのだ。
彼の者の巨体が白い光に包まれ、平原と冒険者たちの視界を白一色に染め上げる。
おそらく、この四方世界において最大の威力を持つ魔術──『
この世に生きる万象を砕き、破壊する。文字通り絶滅的な一撃だ。
──相手が、この世界の物差しで計れるものであればの話だが。
『GOOOOOOOOOOOOOOッ!!!!!!』
『核撃』の爆発音より尚も大きく、島どころか近隣の海にさえ響く大咆哮が、
「まじかよ……」と思わず槍使いが苦笑を漏らし、目を凝らして
それは、四本の足で大地を踏みしめる異形であった。
それは、三つの頭で全てを喰らわんとする異形であった。
それは、まさに。
──この世界に居てはいけない、化け物であった。
『GRROAAAAAAッ!!!!』
地獄の番犬──ケルベロス。
三つ頭の内、右側の額からは黒い血を流し、左側の頭は半分が失われてなお瞳から光は消えず、中央の頭は僅かに焦げている程度。
抉り取られた胴体から臓腑が溢れ、少なくない出血をしながらも、四肢の一本が本来曲がってはいけない方向に曲がっているけれど。
──彼の者は尚も健在だった。
地獄の番犬が守る場所ならば、そここそが
「こんのっ!」
気合い一閃と共に令嬢剣士が軽銀の短刀を振るい、飛びかかってきた異形の喉を裂く。
「そこねっ!」
妖精弓手の放った矢が、遺跡の天井に張り付く異形の眼窩を撃ち抜く。
「大いなる我が父祖よ!我が戦働をご照覧あれ!!!」
勇ましく祝詞をあげた蜥蜴僧侶が『
「おおっ!」
ゴブリンスレイヤーが中途半端な剣を差し出し、渾身の力でもって異形の喉笛を貫き、蹴り倒す。
「やっ!このっ!」
左手首のリストブレードを振るい、異形を牽制する女魔術師は、僅かな疲労と共にため息を吐き、投石紐を振り回す鉱人道士が「大丈夫かいの!?」と切羽詰まったように声をかけた。
問われた彼女は「大丈夫です!」と気丈に振る舞い、隣の女神官に「貴方は!」と無意識に語気を強くしながら問うた。
「大、丈夫です……っ!」
目を閉じ、両手で握った錫杖を掲げる女神官は、額に脂汗を滲ませながら頷いた。
彼女は絶えず『
冒険者たちの背後にあるのは、またも底が見えない大きな穴。
だが、今回彼らは飛ぶつもりは毛頭ない。既にローグハンターが飛び、この奥へと進んでいるからだ。
「イイイィヤッ!」
銀髪武闘家は怪鳥音を響かせながら上段回し蹴りを放ち、『聖壁』に激突した異形の首を落とす。
その表情は銀等級としての凛としたもので、彼女が本気になっていることは明白。
戦闘を始めて、どのくらいの時間が経っただろうか。
一分か二分か。一時間ということはあるまい。
時間の感覚がおかしくなっては来ているが、目の前の敵も際限がない。十や二十ではなく、百かそれを優に越えている。
「強くはありませんが、この数はやはり厳しいですな!」
『
一世の雄たらんとする彼からすれば、魔の軍勢との戦いこそ血がたぎるというものなのだ。
この状況になったのは、たったの三分程前。
第一の障害であった大穴を、ローグハンターとゴブリンスレイヤー手製のパラシュートで無事に降下し、下に待ち構えていた次なる廊下にたどり着いた瞬間、彼らに異形が殺到してきたのだ。
姿形は人間に限りなく近いが、赤黒い肌に、背中から生えた一対の翼が、彼らが人間でない事を教えてくれた。
何より、ローグハンターや女神官を筆頭とした
地獄の番犬が守る場所が地獄なら、そこに住まうのは
そう、彼らは
ここにローグハンターがいれば、もう少し戦況を有利に運ぶことが出来ただろう。だが、彼はここにはいない。何故か。
「頭巾のは上手くやっとるかんの!?」
「そこは信じるしかないでしょ!」
鉱人道士が鞄から触媒を引っ張り出しながら言うと、妖精弓手がまだ余裕そうな表情で一矢を放つ。
不可思議な軌道を見せるそれは空中で弧を描き、悪魔の耳を貫いて脳髄を傷つけそのまま貫通。同じようにさらに三体の悪魔の脳髄を削り取った。
「『ここは任せて先に行け!』これ一回言ってみたかったのよ!」
「あほ抜かしとる場合か!?」
妖精弓手が場違いに愉快そうに笑みながら言うと、鉱人道士からの怒号がとんだ。
ローグハンターがここにいない理由。それは彼らが送り出したからに他ならない。
勿論彼とて無言で了承するわけもなくだいぶ渋ったのだが、仲間たち全員から言われてしまえば折れるしかないというもの。
この場を彼らに任せ、華麗な
「デリャッ!」
最小限の予備動作から放つ正拳突きが悪魔の胴に風穴を開き、右手を彼らの血で真っ赤に染めた銀髪武闘家は『聖壁』の向こうにいる後衛の二人に向けて「働いて!」と手短に檄を飛ばした。
二人は慌てる様子なく返事を返し、それぞれの
「十五っ……!」
悪魔から奪った冒涜的な槍を振り回したゴブリンスレイヤーが、目の前に倒れる悪魔にとどめを刺しながらそう宣言。
「これで二十っ!」と競うように発せられた妖精弓手の声に苦笑を漏らし、「十六!」と更に数を重ねる。
「そろそろ、限界です!」
絶好調の冒険者たちに向け、女神官からの切実なる声が飛ぶ。
それを受けた彼らは一斉に頷き、彼女の下へと集う。
『聖壁』が解けたのはその直後で、彼女が再び奇跡を使えるまでに数呼吸。
それまでは、無防備な彼女を守らねばならぬ。
「負けて、たまるか……っ!」
銀髪武闘家は自身の拳同士を打ち付けながら言うと、襲い来る悪魔たちに向けて挑む。
その言葉は迫り来る悪魔たちに向けられたものか、妖精弓手やゴブリンスレイヤーに便乗したものかは、彼女のみが知る事だ。
「シッ!」
鋭く吐かれた吐息。肉が裂け、焼ける音。響く断末魔。
薄暗い遺跡の通路を走るローグハンターは、すれ違い様に悪魔の胴を斬り、首を跳ねながら駆けていた。
返り血で漆黒の鎧とローブに不気味な斑模様をつけながら、彼は足を止めることはない。
上の仲間たちが頑張ってくれているから、こうしてこちらには余裕があるのだ。一刻も早く上に戻らねば、彼らの命に関わる。
「──そこを、退け……っ!」
通路に立ち塞がる悪魔たちの肉壁に向け、ローグハンターは金色の剣を突きだした。
解き放たれた雷電龍が咆哮をあげ、すれ違い様に醜い悪魔たちの体を焼き、その命を終わらせる。
鼻につく硫黄にも似た臭いに眉を寄せつつ、ローグハンターは再び走り出す。
剣に纏う雷をそのままに、放たれる光を尾のように引きながら、薄暗い通路を一人走る。
隣にも後ろにも前にも誰もおらず、軽口を叩きあう者もいないが、それでも彼は立ち止まることを許されない。
また彼らと肩を並べるため、共に言葉を交わすために、立ち止まる訳には行かないのだ。
二分か、五分か、決して長くはない時間だろう。分け目も振らずに駆けていたローグハンターは、急に視界が開けた事を合図にして足を止めた。
彼がたどり着いたのは、遺跡最奥部と思われる広間だった。
等間隔に並んだ柱には金色に輝く紋様が浮かび上がり、それは床や天井へと広がり、お陰で広間は無駄に明るい。
彼は荒れた息をすぐに整え、周囲を警戒しながら歩き出した。足音を一切出さないのは、もはや彼の癖だろう。
一歩を踏み出し、更に一歩。もう一歩と繰り返し、広間の中央にたどり着くと同時に足を止めた。
目を細めて尋常ならざる敵意を剥き出しに、正面の岩の玉座に腰掛ける男を睨み付けたのだ。
睨まれた彼は座ったまま肩を竦め、「遅かったな」と苦笑混じりに漏らした。
「約束通り来たぞ」
「ああ。約束通り待っていたぞ」
玉座に座していた男──アサシンはそう告げると立ち上がり、純白のローブを翻す。
彼が纏っているのはローブだけではない。
左肩には
その全てが独特な金色の光沢を持ち、タカの眼なしでも
一目でわかる完全武装。様子見なしの殺しあいをする準備は整っているようだ。
ローグハンターは深く息を吐きながら、金色の剣と黒鷲の剣を擦り合わせる。
二振りの剣に超自然の炎を
左手の黒鷲の剣をパリングダガーに見立てるように構えると、アサシンもまた構えを取った。
どしりと重心を落とし、金色の剣を体の正面に構えながら、左手首は遊ばせる。
一見ふざけているようで、彼らなりの全力をぶつける意思表示。
「こちらに
「ない」
アサシンからの問いかけに、ローグハンターは被せるように即答した。
「そうか」とアサシンはどこか安堵したように息を吐くと、その表情を殺した。
戦いに無駄な感情を排し、ローグハンターに向けて告げる。
「──では、始めようか!」
彼の一言を合図にして、二人は雷となった。
音を置き去りにした一撃が重なりあい、遅れて響いた雷鳴と、二人の叫びが交錯する。
互いが信じる神々の代行として、互いの存在を滅ぼさんと両雄は激突したのだ。
戦いの結果を知るのは、天上で振るわれる『偶然』と『宿命』の
二人の剣撃音に混じり、からころと骰子が転がる乾いた音が、誰にも聞かれることなく寂しく響いたのであった。
誤字脱字、アドバイス、感想、アンケートへのご協力など、よろしくお願いします。
期限は『Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ』が完結してから+1週間です。随分と今更な事を聞きますか、ダンまちとゴブリンスレイヤーコラボイベント『Dungeon&Goblins』にログハン一党をぶち込んだものをーー
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見たい!
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別にいいです……。