SLAYER'S CREED   作:EGO

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Memory15 継ぎ接ぎだらけの裏切り者(えいゆう)

「──彼を放して!」

 

 静寂に包まれていた遺跡の最奥部に、凛とした女性の声が響いた。

 無意味なうめき声をあげるローグハンターを、それこそ家畜の豚を見るような目で見下ろしていたかつて来たりし者は気だるそうに顔をあげ、乱入者を睨み付ける。

 そこにいたのは美しい銀色の髪を揺らす女性だった。肩にかからない程度の短い髪だが、艶は良いのか薄暗がりの中でも仄かに輝いているようにさえ見える。

 呼吸が乱れているからか豊満な胸が不規則に揺れ、額には汗が滲んだ為か髪が額に張り付いているが、そこには妙な色気があった。

 

 ──武骨な脚甲や鎧を纏っていなければの話だが。

 

 かつて来たりし者は彼女の登場に思慮するように顎に手をやるお、自らの美貌に嘲りの笑みを張り付けた。

 

『放してと言ったのかしら?別に私は触れてはいないわよ?』

 

 そう言いながら足元に転がるローグハンターを手で示し、『まあ、何もしていない訳でもないけれど!』と足の先で彼の脇腹を蹴りつける。

 彼の口から苦悶の声が漏れると、銀髪の女性──銀髪武闘家は憤怒の表情を浮かべ、拳を握りながら歯を食い縛る。

 今の彼の状態は、もはや知識不要でも重症だとわかる。そして彼をそうさせたのはあの女であろう事も。

 彼女は一度拳を開いて全身の力を抜くと、腰に下げた黒鷲の剣の柄に手を触れて思い切り深呼吸を一つ。

 上に落ちていた物を拾ってきたのだが、こうして触るだけでも気分が落ち着くのは何とも不思議だ。

 乱れた呼吸を落ち着かせ、改めてかつて来たりし者を睨み付けた。

 

「あなたは誰」

 

 視線のみで人を殺せるのなら、今の彼女なら二桁を余裕で殺せるだろう。

 それほどまでの殺意が込められた視線を向けられて尚、かつて来たりし者は余裕を崩さない。

 

『あなたが知った所でどうにもならないわ。強いて言えば、あなた達で言う無名神と大体同格かしら』

 

 上には上がいるのよ。彼女は忌々しそうに付け加えると、こちらの番と言わんばかりにゆっくりと彼女に手を向けた。

 

『そういうあなたは誰なのかしら?』

 

「彼の恋人よ」

 

 彼女の問いかけに銀髪武闘家は即答すると、答えられたかつて来たりし者は可笑しそうに笑みを浮かべた。

 下らない事を言われたように、相手を嘲り煽るような笑みだ。

 

『ふふふっ……!恋人?何を言っているのよ』

 

 漏れる笑みを噛み殺し、かつて来たりし者は彼を示しながら彼女に告げた。

 

『この子はあなたの事なんて欠片も覚えていないのよ?それなのに恋人だなんて、笑わせないでくれる?』

 

 声を振るわせ、心底可笑しい冗談を言われたかのように笑う彼女に、銀髪武闘家は言葉もなく睨み付けた。

 ふつふつと湧きあがるこの怒りは、果たしてどのタイミングでぶつけるべきか。

『まあ良いわ』とかつて来たりし者は笑みを止めると、目を細めて彼女を見つめた。

 同性であろうと魅力するその美貌を向けられてなお、銀髪武闘家は一切狼狽えた様子はない。

 彼女が愛情を向け、同じように向けてくれるのは彼だけだ。

 その彼は現在倒れているわけだが、どう助け出すべきか。

 じりじりと摺り足で間合いを確かめながら、相手の出方を窺う。

 あのローグハンターをあそこまで追い詰めたのだ。きっと何かしら隠し種があるに違いない。

 彼女が警戒している事を知りつつも、かつて来たりし者は彼女に告げた。

 

『あなたが彼を惑わせた。あなたが彼を変えてしまった。あなたが、彼を私の下から遠ざけた』

 

 呪詛のようにぼそぼそと呟きながら、じっと銀髪武闘家を見続ける。

 どう動こうと一挙動に注意を向け、視線を追い、足の向きを確かめ、僅かな指の動きさえにも気を配る。

 人間には必ず癖がある。本人に自覚がなくとも、動く前に何かしらの動きがあるのだ。

 人類を産み出したかつて来たりし者だからこそ、その癖を見つけるのは恐ろしい程に早く、加えて正確なものだ。

 見方によっては相手の性格から性的趣向まで、年齢などの肉体的なものだけでなく、その内側さえも見通すだろう。

 かつて来たりし者は『なるほどね』と口の端で三日月を描くと『だいたいわかったわ』と頷き一つ。

 ふふふと氷のように冷たい笑みを浮かべ、すっと右手を挙げた。

 

「ッ!」

 

 銀髪武闘家は何か来るとすぐに察知し、瞬時に身構える。

 髪と同様の銀色の瞳を忙しく動かしながら相手の動きを見極めんとするが、相手は今まで相手してきたどのならず者(ローグ)とは一線を画す──そもそも次元が違う──者だ。

 

『さあ、躍り狂いなさい』

 

 挙げられた右手が下ろされた瞬間、銀髪武闘家の足元に変化が起こる。

 何もなかった床に割れ目が入り、そこから光が溢れだしたのだ。

 

「ッ!」

 

 それに反応出来たのは、一重に彼女の直感が働いたからに他ならない。

 考える前に体を動かし、その場を飛び退く。

 溢れた光が天を貫く柱となるのはすぐの事。不運にも柱を掠めた脚甲の一部が綺麗さっぱり消え失せ、彼女の足にも僅かに届いたのか肉の焦げた臭いが鼻孔を刺激した。

 文字通り焼かれた痛みを歯を食い縛る事で踏みとどまり、踏ん張りを効かせて次の行動に備える。

 天井を貫いた柱は更に広がった床の割れ目にあわせて形を変え、数秒足らずで部屋を分断する壁となった。

 

 ──割れ目に合わせて光がくる。当たったら死ぬ!

 

 銀髪武闘家は鋭い視線を広間の各所に配り、現在の床の、ついでに柱の割れ目を頭に叩き込む。

 そこから攻撃が来るのだ。それさえわかっていればどうにかなる。

 

 ──いや、どうにかする!

 

 覚悟は決めた。やる気も十分。ちょっと疲れているけどやれる。

 軽業じみた動き(フリーラン)で次々と放たれる光の柱──あるいは壁を避け、食らっても掠める程度に抑え込む。

 

 ──『分解(ディスインテグレート)』か何か。でも当たらなければどうにかなる!

 

 呼吸を鋭く速く繰り返し、全身に酸素を行き渡らせる為か心臓の鼓動が普段よりも速い。

 その分体の動きも更に速いのだが、それでも光の壁の猛攻を掻い潜れているかは微妙な所。

 光が掠める度にそこから煙を噴き、時折視界を塞いでくるが、それでも彼女は足掻き続ける。

 諦めずに足掻き続けろと、最期の瞬間まで食らいつけと、それを教えてくれたのは彼だ。

 きっと彼も抗っている筈だ。諦めてはいない筈だと、自分に言い聞かせる。

 それが活力になる。それが希望になる。それがあればまだ戦える。

 

「──っんの!」

 

 迫り来る壁の隙間を抜け、時には飛び越え、時には飛び込み、直撃だけは免れるようにひた走る。

 乱れる呼吸を気合いで整え、光が掠める度に脱力する体に鞭を打ち、歯を食い縛って次の行動(アクション)へ。

 足掻いて足掻いて、足掻き続けろ。

 そうすれば、救える命があるかもしれない。

 そうすれば、届かない手が届くかもしれない。

 

「絶対に諦めないっ!」

 

 体のあちこちから血を流しながら、煙を噴きながら、それでも彼女の瞳から光は消えない。希望が潰える事はない。

 

『本当に愚かで面白いわ』

 

 目の前で行われる死の舞踏を、かつて来たりし者はその一言で切り捨てた。

 所詮は神の用意した駒。遊びの玩具でしかないというのに、それでも彼女は足掻く。神々の笑いの種となっているというのに、みっともなく抗い続ける。

 

『本当に下らない』

 

 抗わずに死を受け入れてしまえば、足掻かずに足を止めてしまえば何も感じずに楽だと言うのに。

 

『どうして人間は抗うのかしらね』

 

 かつて来たりし者は嘲笑う。

 さながらサーカスの猿回しを見るかのように、彼女はただただ楽しそうに嘲笑う。

 

 

 

 

 

 

 ──夢を見た。

 

 否、これは夢ではない。これは誰かの記憶。その欠片。

 夢ならばきっと──。

 

『がっ!ああああああああああああっ!!!!』

 

 自分ではない誰かの声が、自分から発せられた。

 夢ならきっとそこで終わるのだろうが、きっとこれは夢ではない。

 体は動かず、目さえも動かせないが、それだけは確かに言えるのだ。

 

 ──夢ならきっと、痛い筈がないのだ。

 

 自分の体ではない。ない筈なのに、体を切り刻まれた痛みが、内臓を引きずり出された痛みが、苦しみが、恐怖が確かに刻まれる。

 それが終われば──死ねばと言うのが正確か──また次の記憶へと飛ぶ。

 そこでまた死ねば、また次の記憶へ。それが終わればまた次、また次へと。記憶の荒波に終わりは見えない。

 時には騎士だったのか耐え難い拷問の果てに、時には女性だったのかゴブリンによる凌辱の果てに、時にはドラゴンの吐息に焼かれ、時には形容しがたい魔物に食われ、時には見知らぬ誰かに刺され、時には言うことも憚れる死に方を──。

 死んでは死ぬを繰り返し、また死んでは死ぬを繰り返す。

 死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ──―………。

 死が訪れる度に何かが欠け、本来あるべき元の形を見失う。

 痛みが、苦しみが、恐怖が、憎悪が、憤怒が、殺意が、与えられる何もかもが自分を塗りつぶし、塗料をぐちゃぐちゃに塗りたくられた壁のように、元の色が消えていく。

 ゴブリンに殺された。野盗に殺された。ドラゴンに殺された。アサシンに殺された。恋人に殺された。恋人を殺した。家族を殺された。家族を殺した。友を殺した。友に殺された。

 瞬きする度に死が訪れて、自分が何かを曖昧にしていく。

 内臓をこねくり回される痛みと違和感にも慣れて、体を貫かれる痛みにも慣れて、体を食い千切られる恐怖にも慣れて、体を貫く熱にも慣れて、何もかもに慣れて。

 死が訪れるまでの過程(じんせい)でさえも飽きがきて、また訪れる死にも飽きがきて。

 

 ──自分がどの生き方をしたのかも、興味を失い始めて。

 

 

 

 

 

「はぁ……!はぁ……!はぁ……っ!」

 

 焼き爛れた左腕を押さえる銀髪武闘家は、痛みに目を剥きながら荒々しい呼吸を繰り返す。

 黒鷲の剣を杖代わりに──後で彼に謝らなければ──多大な疲労が蓄積した状態で、彼女が初見の罠を掻い潜り続けるのには限界がある。

 最初こそ避けられてはいたものの、いつしか掠める回数が増え、ついには直撃してしまった。

 それでも彼女が生きているのは、単純に優れた体力(タフネス)によるものだろう。そこは伊達に銀等級冒険者ではないという事だ。

 まともな人間なら当たった時点で即死は免れず、遺体すら残さずに灰となっていただろう。

 

『どうした、もう限界か?』

 

 片膝をつく彼女に向けて、飽きが来たように欠伸を噛み殺したかつて来たりし者が問いかけた。

 銀髪武闘家は「まだ……まだ……っ」と強がるが、言葉に反して体は動かない。動いてくれない。

 意志は折れていない。気力もまだある。だが、体が動かない。

 

「この……っ。この!」

 

 力が入らない自分の足を殴りつけ、無理矢理にでも喝を入れる。

 歯茎から血が滲むほど歯を食い縛り、理性の欠片もない唸り声を上げて立ち上がる。

 ほら立てたではないかと数秒前の自分を笑い、拳を握って構えを取った。

 左腕に力が入らない。だらりと下がったままだが、片膝と足が動くのならまだやりようはあるのだ。

 改めて深呼吸を一度。荒れていた呼吸を落ち着かせ、同時に荒れていた思考も落ち着かせる。

 光は床と壁、そして天井からも来る。その位置を全て把握し、どう来るのかを読み、体を動かす。

 言うだけなら簡単なのだ。そう、言うだけなら。

 一撃なら耐えられる事がわかった今、取るべき選択肢は増えた。

 避ける一択だったが、当たる覚悟で飛び込めば一撃を入れる程度ならどうにかなるだろうか。

 

 ──痛いのは怖いし、嫌だけど。

 

 ちらりと、倒れるローグハンターに目を向ける。

 今まで散々無理をしてきた彼に、恩を返すのなら今しかない。

 そんな事を言えば彼は「何を言い出す」と驚くに決まっているけれど、彼には返しきれない恩があるのだ。

 初めての冒険の時に命を救われた。

 何も知らない自分に様々な事を教えてくれた。

 隣にいることを許してくれた。

 あげ始めればきりがないが、一番大きな恩は──、

 

 ──何もない自分の恋人になってくれた。

 

 はじめのうちは冒険者として彼の強さに憧れた。

 その内その想いが温かいものに変わって、いつしか抑えられなくなって。

 彼の見せてくれる笑顔が好きで、彼の見せてくれる寝顔が好きで、時々見せる不器用な所が好きで。

 そんな彼が自分を守る為に無茶をするように、たまには自分も無茶をしたい。

 だからこそ彼女は立つ。立ち続ける。

 

『──愚かね』

 

 そんな彼女に冷や水を浴びせるように、氷のような声音で言葉が投げられた。

 言葉を発したのはかつて来たりし者。彼女は片手に金色に輝く聖剣──エデンの剣を持ち、ゆらりと優雅に銀髪武闘家へと歩み寄る。

 肌に感じる剣の力を認め、銀髪武闘家は目を細めた。

 あの剣はローグハンターが振るっていたものなのだ。それを何故彼女が持っているのかは不明だが──。

 無意識の内に、彼女の足が半歩下がった。

 

「──!」

 

『ふふ。そうよ、怖いわよね』

 

 本来の持ち主たる彼女の手に収まったからか、エデンの剣から放たれる力はもはや別次元だ。

 漏れ出ている雷だけで床がひび割れ、まだ距離があるというのに足の震えが止まらない。

 本能が告げているのだ。勝てない、逃げろと。それを彼を助けなければという理性が止め、体がどちらに従うべきかを迷っているのだろう。

 心臓が警鐘代わりにばくばくと鳴り続け、かつて来たりし者が一歩近づく度にそれは更に速くなる。

 

『あなたの首を転がしておけば、彼の心も折れるわよね?いい加減にしてほしいのよ。愛に何の意味があるの?想いに何の意味があるの?所詮は獣同士の醜い情欲じゃない。彼女と一緒にいたい。彼と一緒にいたい。たかが数十年なのに添い遂げたい?ふざけないで』

 

 恐れる彼女を煽るように、かつて来たりし者は捲し立てる。

 無造作にエデンの剣を左右に振れば、その先にあった柱が無残に砕け、残骸だけを残すのみだ。

 当たれば死ぬ。避けようにも体が動かない。

 

『私は何万年とここにいた。居たくもない人間とたった二人でね。この世界を奪い、奴等の監視から逃れる避難所(ヘイブン)とする為に。その為だけに私はここにいて、彼もここに来た。あなたは邪魔でしかないのよ』

 

 怯える銀髪武闘家にそう告げると、かつて来たりし者は浮かべていた表情を消して彼女を睨む。

 無表情で睨まれるとはそれなりに堪えるものがあるのだが、銀髪武闘家は腰が引けながらも彼女を睨む。

 ここで逃げたらここまで何のために来たのかわからなくなる。仲間たちが命をかけた意味が失われてしまう。

 

『けど、我慢は今日まで。これで何もかもが上手くいくわ』

 

 いつの間にか目の前に仁王立っていたかつて来たりし者が、怯える彼女を見下ろしながら告げた。

 振り上げられたエデンの剣に力がみなぎり、刀身が半ば雷と成り果てる。

 

『おやすみなさい、邪魔者。私の夢のための礎となりなさい』

 

 かつて来たりし者は杭を打つように雷を振り下ろす。

 雷とは神鳴りだ。常人では決して抗えず、当たれば死以外の結果は訪れない。

 出される骰の目はいつも無慈悲で、無情で、残酷だ。

 

 

 

 

 

 ──夢を見て、夢を見て、夢を見た。

 

 何度も死んではまた死んで、気がつけばまた死んで。

 死ぬのにも慣れて、痛みが消えて、恐怖も消えて、憎悪さえ消えて。どこか諦めにも似た思いが脳裏を過ってまた死んで。

 溢れた臓物の温かさに優しさを覚えたり、溢れた涙に温もりを求めたり、消えゆく体温に何も感じなくなったり。

 致命的な何かが欠けて、それでも死に続けて。

 その内死ぬことを受け入れて、死に何も感じなくなって、終いにはどうやって死ぬのかと興味が湧いて、またすぐに飽きて。

 死んで、死んで、また死んで。

 死に続けた先にあるのは何もなく、また別の死があるだけで。

 

『──あなたのお仕事は何ですか?』

 

 不意に、どこか懐かしい女性の声が鼓膜に届いた。

 もちろん声の主は目の前の女性だろう。金色の長い髪をうなじの当たりで一纏めにし、その整った顔は仄かに日に焼けている。

 着ている服は何か店の制服のように思えるし、外の仕事が多いのだろうか。

 ニコニコと楽しそうに笑う女性に、自分は少々困ったように笑うと頬を掻き、『学者、と言えば良いのか……』と曖昧な返事。

 女性は『それじゃあ先生ですね』とぽんと手を叩くと、また楽しそうに笑った。

 その笑顔には見覚えがあって、どこか懐かしくて切なくて。

 勇気を振り絞って笑う女性に『あの』と声をかけ、『今度……一緒にお茶でも、いかがですか?』と恐る恐ると声を発した。

 女性は一瞬驚いた顔をすると、またすぐに笑顔を浮かべた。

 

『その前に、お花を買って行きません?』

 

 差し出されたのは百合の花。花言葉は「純粋」とか「無垢」だとかだが、なぜ百合なのか。

 あるいは今の自分に向けたある種の皮肉か。

『え、あぁ……』と困り顔でそれを受け取りながら、『えと』と言葉を詰まらせる。

 

『買い……ます……』

 

 照れ臭そうに笑いながらそれを受け取り、目を泳がせる。相手の目を見れない。相手の顔が見れない。

 それでもちらちらと見える相手の顔にはただただ楽しそうに笑顔が浮かんでいて、『ありがとうございます』と丁寧に頭を下げた。

 何てことのない、男が遠回しに告白紛いの事をしただけの事。

 それを女性が知ってか知らずか、受けたのかあるいははぐらかそうとしたのか。

 何度も見てきた自分にとっては見飽きたと言っても過言ではない、まだ恋人未満の関係の男女といった所か。

 なのに、どうして。

 

 ──こんなに胸が温かいのか。

 

 場面が切り替わる。どこかの室内、上体を起こしてベッドに寝転がる女性が、またニコニコと笑いながらこちらに目を向けている。

『名前どうしよっか』と問われると、自分が腕に抱いている赤子に目を向けた。

 まだ目も開かず、言葉も発する事も出来ず、歩くことも出来ない赤ん坊。

 割れ物を扱うように丁寧にその頬に触れながら、ぷにぷにとその感覚を楽しむ。

『名前……』と女性の言葉をおうむ返しすると、『一つ思い付いたものがある』と少々遠慮気味に言葉を続けた。

 

『そうなの?参考程度にお願いします』

 

『──ジブニールはどうだろうか』

 

 その名前には聞き覚えがあった。まあ他の人生でも何人かいた程度だが、その声でその名を呼ばれると不思議と落ち着くのだ。

『その心は』と女性が問うと、彼は花瓶に刺された百合の花に目を向けた。

 

『私たちを繋いでくれた百合を象徴する者。加えて私の尊敬する人の──祖父の名前から』

 

『ふーん。ジブニールかぁ』

 

 言われた女性は顎に手をやって僅かに考えると、『良いかもね』と頷いた。

 

『その子の──私たちの子供の名前はジブニールにしましょう!』

 

 女性は楽しそうに笑うとそう告げて、手を伸ばして赤ん坊の頬をつついた。

 赤ん坊は擽ったそうにうーうーと声を漏らすと、僅かに笑みを浮かべたように見えた。

 その手の温もりは、とても優しく温かいものだった。

 場面が切り替わる。薄暗闇に包まれた室内、転がる死体と血の海は、地獄さながらの様相だ。

 血の海の中央に倒れる女性を抱き起こし、『逝くな、逝かないでくれ!』と叫ぶ。

 失われていく体温と弱い呼吸。彼女の命は短いだろう。

 

『あの、子は……?』

 

 最後の力を振り絞った声は、子供を心配する親のそれだ。

『大丈夫、無事だ』と教えれば、彼女は『良かった』と息を吐く。

 

『お願い……ね』

 

 彼女は何をと問い返す前に事切れたのか、ぐったりと体を弛緩させる。

『ああ。ああ……!』と遅すぎる返事を返し、部屋の片隅へと目を向け、そちらに歩み寄る。

 そこには返り血か自分の血かで体を真っ赤にさせた男の子が頭を抱えて座り込んでいた。その目には恐怖のみが浮かび、その対象には自分さえも含まれているのだろう。

 目から涙を溢れさせながら震える小さな体を抱き寄せて、『ごめんな、ごめんな』と謝り続ける。

 この時の父の温もりと鉄臭い血の臭いは、今もなお残り続けている。

 場面が切り替わる。どこかの病室だろう。ベッドに寝転びながら目の前の少年の頭を撫でる。

 

『結局私は、あいつの願いを叶えてやれなかった……っ!』

 

 強い後悔がある。強い無念がある。強い罪悪感がある。

 

『お前は私みたいになるな。お前は生きたいように生きろ』

 

 だからこそ、最期までどこか説教口調になってしまった。

 

 ──いいや、この後に言われる言葉を知っている。自分が言うのではなく、言われた側なのだから当然だ。

 

『もし愛する人が見つかったのなら、お前は命を懸けて守れ。私は出来なかったが、必ずだ』

 

 父親からの最後の教えに、少年はこくりと頷いた。

 その為の技を教えてくれた。その為の覚悟を教えてくれた。その為の信条(クリード)を教えてくれた。

 少年の答えに満足そうに頷いて、途端に襲いくる眠気に任せてベッドの上で息を吐いた。

 それが最期だ。ぎゅっと握った父の最期の温もりと、途端に感じるようになった冷たさは、今でも覚えている。

 場面が切り替わる。いいや、もはやこれは語るまでもない。

 先生との出会い。アサシンとの戦い。恩人の死。仇敵の死。

 その全ては十年近く前に経験し、全てが頭に刻まれている。

 

『ここがゴブリンの出る村か』

 

 今では友人と呼べる男とは、なかなかに珍妙な出会いをしたように思う。

 

『不躾ながら、私を一党に加えて欲しいのです』

 

『━━あなたの「弟子」にして欲しいのですわ!』

 

 弟子と呼べる二人には、むしろ自分が育てられたような印象さえある。

 

『いつか必ず、あんたらを「冒険」に連れ出してやるわ』

 

『頭巾のの弱点は銀髪のか!これは良いことを知ったわい!』

 

『承知!ちょうど我慢出来なくなった所ですぞ!!!』

 

『皆さん、いつでもどうぞ!』

 

 妖精弓手、鉱人道士、蜥蜴僧侶、女神官。彼らだけでなく、冒険者になってから多くの友に出会う事が出来た。

 

『毎晩毎晩、怖くて、恐ろしくて、たまらないのですよ』

 

『━━愛しております』

 

 軽はずみで受けた依頼が、まさか依頼人たる剣の乙女を変えて──あるいはあれが素なのか──しまった。

 結局彼女の想いには応えてやれそうにないが、それでも彼女は自分を慕い続けるのだろうか。

 

『おにーちゃーん!!!』

 

『ボクのお兄ちゃんが、まさか噂の人だったなんてね。妹のボクも鼻が高いよ!』

 

 自分の事をお兄ちゃんだお兄ちゃんだと追いかけ回し、挙げ句に勇者になっていた妹もいる。

 かつての世界なら、故郷にいたままなら出会うこともなかった筈の妹だ。

 

『その、実は、私たち、これから「洞窟探検」に行くんです』

 

『キミはさ。死なないよね……?』

 

『こんな所で終わりなんてやだよ!まだ一緒にやりたいことだって、行きたい場所だってあるんだから!』

 

『……私は大丈夫だよ』

 

 今まで見た夢が自分の体に刻まれたものならば、遠い先祖だけでなく父の記憶を見たことも納得出来る。

 そしてその終着点は、変えようもない自分の記憶だ。

 今までの夢で欠け落ちたものを拾い集め、継ぎ接いで、継ぎ接いで、継ぎ接いで──。

 大切な戦友たちとの記憶を継ぎ接ぎし、大切な妹の記憶を継ぎ接ぎし、愛する彼女との思い出を継ぎ接ぎし。

 元の形がわからなくなっても、彼女がそれを教えてくれる。

 

『まあ、何と言われようと追いかけるよ。キミがいるならどこまでもってね』

 

『絶対、戻ってきてね』

 

 彼女が示してくれたように継ぎ接いで、時には間違ったものを繋いでも繋ぎ直して、元の形に近づけて。

 彼女の言葉だけではない。彼女がくれた温もりが、彼女がくれた愛情が、彼女がくれた思い出が、元の形を教えてくれる。

 完璧には程遠く、まだ他の記憶(異物)がだいぶ混ざってはいるけれど。

 

 ──俺は俺だと、誇れるように。

 

 継ぎ接いだからこそ見つけたものがあって、継ぎ接いだからこそ無駄だと気付けたものがあって。

 それでも自分を創る大切なものだと継ぎ接いで。

 あっているのかは不安でしかないけれど、まあ良いものなら貰ってしまっても構わないだろう。 

 どんなに不利な状況だとて、どんなに理不尽な状況だとて、必ず勝ちの目はある。運命を覆すような目(六ゾロ)が出る可能性が残されているのだ。

 ならば、それを掴むためにはまず立ち上がる事。

 立ち上がって踏ん張って、目一杯手を伸ばせばきっと。

 

 ──運は掴み取れる筈だ。

 

 

 

 

 

 

『残念な事だけど、あなたの冒険はここで終わりね』

 

 かつて来たりし者は、足元で頭を垂れる銀髪武闘家を見下ろしながら言った。

 一撃で殺せるだろうに不必要に痛め付けられた彼女は全身を切り刻まれ、体のあちこちから鮮血が溢れていた。

 もはや使い物にならない左腕は感覚すら失せて、足にも力が入らない。

 目は辛うじて無事だが、見えた所でどうなるのだ。体が動かなければどうにもならず、一思いに見えない方が楽かもしれない。

 かつて来たりし者は玩具で遊ぶ子供のように笑いながら、俯く彼女の顎に手を置いて、無理矢理に顔をあげさせる。

 華麗だった銀髪の髪は既に見る影もなく、ぼさぼさに乱れて赤く染まっている。

 顔にはあまり傷をつけてはいないが、それは心が折れた顔を見たいが為だ。断じて加減をしたわけではない。

 現に見ろ。抗う気力さえも失い、瞳から輝きが失せた彼女の顔を。

 ふふと肩を揺らして小さく笑ったかつて来たりし者は、一つ煽ってやろうかと口を動かそうとした瞬間。

 ぴくりと銀髪武闘家の体が揺れ、彼女の右腕がぶれた。

 それを視界の端で認めてから動くのではあまりにも遅い。

 それは彼女が見せた最後の意地。渾身の正拳突きだった。

 出た杭を打つ金鎚が如く、放たれた矢の如く、その拳はまっすぐで迷いがなく、故にかつて来たりし者の顔面を打ち据えた。

 

『──ッ!』

 

 無抵抗かと思われた相手が放った不意の一撃を受け、かつて来たりし者は吹き飛ばされるようにその場を離れてたたらを踏んだ。

 吹き出す鼻血を指で拭い、べっとりとついた血を睨んで目を細める。

 

「へへ。どんな、もんよ……」

 

 強がる彼女に殺意を込めて睨みながら、かつて来たりし者はエデンの剣を振り上げた。

 そこに込められた力はまさに雷電竜。決して捕まえる事の叶わぬ、天高く飛ぶ竜の力だ。

 

『これだから人間は嫌いなのよ』

 

 かつて来たりし者は冷たく彼女を見下しながら、言葉を続けた。

 

『諦めれば楽なのに。諦めれば終われるのに。どうして諦めないのかしらね』

 

「諦めれば楽……?そんなわけない……っ」

 

 ぜぇぜぇと喘ぎながら、銀髪武闘家は折れた心を無理矢理直して立ち上がる。

 

「諦めたら、そこで終わっちゃう。諦めたら、何もかもが無駄になっちゃう。だから、私たちは諦めないし、立ち上がろうとするの……!」

 

「あなたにはわからないでしょ!足掻いて足掻いて、足掻き続ける私たちの思いなんて……!」

 

『ええ、わからないわ。足掻いた所で結果は変わらない。時間の無駄、無意味な行いだもの』

 

「無意味なんかじゃない……っ!」

 

 震える足に喝を入れて、言葉と共に少量の血を吐きながら、それでも彼女は立ち続ける。

 感覚のない左腕を庇うように右手で押さえ、自分の血で出来た血溜まりに足を取られないように必死になって。

 そうやって彼女は立ち続けるのだ。

 

「私は、精一杯に足掻いたよ……?だから、今度はそっちの番……」

 

 全身を支配する痛みを堪え、励ますような笑顔を漏らす。

 その笑顔の先にいるのはかつて来たりし者──否、その先で立ち上がった彼だ。

 薄暗がりのせいでよくは見えないが、宝石のように輝く双眸は彼以外にいる筈がない。

 

「──後は……任せたよ……」

 

 最後にそう呟くと、それだけを言いたかったのだと言わんばかりに体が揺れ、抗うことなく床に倒れる。

 かつて来たりし者はそれに合わせて雷電竜を解き放たんとしたが、

 

 ──その脇を、雷が駆け抜けていった。

 

『ッ!』

 

 突然の事態に攻撃を止めた彼女はその場を離れ、そして確かに見た。

 様々な記憶を覗いた弊害か、黒かった髪が雪のように白く染まり、それでも尚纏う鎧は闇よりも暗い男。

 彼は倒れる銀髪武闘家の体を優しく抱き止めると、優しげな笑みを浮かべて彼女の頬を撫でた。

 

「──」

 

 かつて来たりし者には聞こえない、虫の羽音のような声が漏れる。

 それでも彼が伝えんとした相手には伝わったらしく、銀髪武闘家は嬉しそうに笑いながら「遅いよ」と愚痴を漏らす。

 それはこの状況になるまで寝ていた彼への愚痴か、あるいは記憶を取り戻した彼への愚痴か、あるいはその両方か。

 それでも彼はまた何言か呟くと、彼女は安心したように目を閉じた。

 腕の中で気を失った彼女をそっと床に寝かせ、祈りを捧げるように跪いて天井を──さらにその上にある空を見上げて口を動かす。

 

「我、仮初めの信徒なれど──」

 

 継ぎ接いだ欠片の中にある、名も知らぬ神官の清き信仰と魂を借り受けて、

 

「《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください》」

 

 神々に直接繋がり、優しき大地の母に祈りを捧ぐ。

 あまり馴染みのない者の祈りとて、傷ついた者を癒すのを是とする神ならば、その祈りに応えるのは当然のこと。

 どこからか漏れた光が銀髪武闘家の体を包み込み、体中の傷という傷を癒していく。

 荒れていた呼吸も落ち着いて、不規則に上下していた胸の動きも落ち着きを取り戻す。

 その結果に「感謝する。慈悲深き地母神よ」と更なる祈りを捧げると、

 

 ──今回だけですよ?

 

 どこからか聞いたこともない声が返された。

 ある種の託宣(ハンドアウト)、あるいは単純な警告。

 それでも一度だけとはいえ力を貸してくれたのだ、それで良いではないか。

 

「すぐに終わらせる」

 

 彼──ローグハンターはそう告げると眠る彼女の額に口付けを落とし、彼女の腰帯に下がっていた黒鷲の剣を回収しながら立ち上がった。

 度重なる死の影響か白く染まった──あるいは色が落ちた──髪を揺らし、かつて来たりし者へと向き直る。

 

『終わらせる?まだ何も始まっていないわ』

 

「だから、始まる前に終わらせる」

 

 ──覚悟は良いか、ろくでなし(ローグ)

 

 彼は鷹を思わせる眼光を放ちながら、かつて来たりし者を、愛する人を傷つけた者を睨み付ける。

 彼はローグハンター。相手が神だとしても、それが悪党(ローグ)であるのなら殺す(スレイ)

 それが彼の役目(ロール)。それが彼の信条(クリード)だ。

 

 

 

 

 

 




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期限は『Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ』が完結してから+1週間です。随分と今更な事を聞きますか、ダンまちとゴブリンスレイヤーコラボイベント『Dungeon&Goblins』にログハン一党をぶち込んだものをーー

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