ごんごん!と玄関のノッカーが叩かれ、その音が家中に響く。
それはまあ元気一杯で、家主が出てこないと見るや再びノック。
「……」
そこまでされてようやく目を開けたジブリールは、愛する家族三人の寝顔を眺めて苛立ちを沈め、小さくため息を吐いた。
窓から見える陽の位置からして、朝早くという訳ではない。むしろ眠りすぎたこちらに非があるだろう。
彼は再びため息を漏らし、自分を抱き枕にしている末娘の腕を解こうとするが、途端に「やー!」と愚図られて余計に密着された。
何とも可愛らしい娘の姿に「ん゛ぅ゛っ!」と思わず唸り声を漏らし、ならばと逆に抱っこの要領で持ち上げながら一緒にベッドを降りる。
それは良かったのか少女は楽しそうに笑いながら頬擦りし、寝ぼけ眼のまま父の顔を見上げた。
ジブリールもまた娘に父親としての慈愛に満ちた笑顔を返してやり、お互いの笑顔を交換。
だがそこで再びノックされれば、いい加減意識も切り替える。待たされている側も苛立ちを隠す気はないのか、先に比べて力が入っているからだ。
ジブリールは肩を竦め、末娘は「だれ!」とようやく意識がはっきりしたのか元気一杯の声を漏らす。
その声が訪問者にも届いたのか、『ぼくだよ!』とこれまた元気一杯な返事が帰って来た。ぼくという一人称ではあるが、声は女性のものだ。
その返答に父娘は顔を見合せ、父は苦笑、娘は満面の笑みを浮かべた。
うしろのベッドでも目を覚ましたシルヴィアが体を起こし、息子でありこの家の長子たる少年は欠伸を漏らしていた。
その頭を母の優しい手で撫でられれば、また眠そうに瞼が閉じていく。
「そっちは頼んだ」
「はい、任されました。ほら、起きて」
「ん……」
ジブリールは瞼を擦って母の言葉に頷く息子の姿を見つつ、「はやくはやく!」と体を揺らして急かしてくる娘に「了解」と返して歩き出そうとするが、
「ジル、忘れ物だよ」
愛する妻に呼び止められて、また彼女の方へと顔を向ける。
はて何か忘れているだろうかと、抱き抱えている娘と顔を見合せて首を傾げると、「もう」とシルヴィアは二人の行動を可笑しそうに笑い、ベッド脇の机に置かれた髪紐を手に取った。
「こっちおいで」とそれこそ子供に言うように手招きにされ、ジブリールは彼女の下へ。
ベッドに腰掛けて彼女に背中を晒して、膝の上に娘を乗せて、髪が結ばれるまで構ってやる。
ただ手を握って上下させてやるだけで「きゃっきゃっ」と楽しそうに笑うのは、やはり無邪気な子供だからだろう。
うなじの辺りで初雪のように白い髪を纏められ、手慣れた動作で髪紐で結ばれる。時間にしては数秒の、けれど彼にとっては大切な時間だ。
「はい、終わり」と肩を叩かれると、「ありがとうな」と背中越しに礼を言って立ち上がる。
余計に相手を待たせてしまった。急がねば鼻を曲げてしまう。
少々急ぎ足で部屋を出て廊下を進み、誰だかはわかっているがタカの眼で相手の敵意を確認し、青い影であれば玄関の鍵を開けてやる。
一応覗き穴はあるが、手で塞がれる場合もある。まあ塞がれたら絶対に開けてはやらないが、覗き穴と違ってタカの眼から逃れる事は出来ない。
玄関前でまだかまだかと右往左往する青い影を視線で追い、「とーしゃ!はやくはやく!」と娘の舌足らずな催促に負けて鍵を開け、勢いのままに玄関を開いた。
突然玄関が開いた事に訪問者は面を食らい、僅かな時間だが静止した。
同時にジブリールは目を細め、改めて女性の姿を確認した。
まず目立つのは纏う上等な外套だろう。何やら術的な紋様が刺繍されており、目の前にいるのに存在感がどうも希薄だ。
次に外套に隠されて見辛いものの、纏う鎧は外套以上に上等な目の前にもので、おそらかこの国どころか世界においても二つとない代物だろう。
タカの眼を通せば様々な術が施されているのがわかる。
最後に目立つというべきか、やはり気になるというべきか、彼女が腰に下げる一降りの剣だろう。
タカの眼を使わずとも相当な力がある事を肌で感じるし、何より使って見ても、さながら太陽を直視しているように光りすぎてよく見えない。
そして、それらを持っている人物は、世界広しと言えど但し一人。
一秒にも満たない時間でジブリールが観察を終えるのと、女性が復活したのはほぼ同時。
女性は口許から優しげな笑みを漏らしつつ、外套のフードを取り払った。
封じられた気配と共に解き放たれた美しい濡れ羽色の長髪を風に揺らし、五年前から変わらない──けれどどこか大人びた笑みを浮かべ、「ただいま!」と家主に挨拶一つ。
彼女の笑顔に娘は太陽のような笑顔で応じつつ、小さな両手を彼女に伸ばす。
「ねーちゃ!おかえり!」
「うん!久しぶり、アイリス!」
父親から半ばぶんどるように少女──アイリスを確保した「ねーちゃ」と呼ばれた女性は、彼女を抱き上げて「おっきくなったね!」と笑いながらくるくる回る。
「ぴゃー!」と楽しそうに笑う娘と、彼女を笑わせる女性の姿にジブリールは開いた玄関に寄りかかりながら微笑を浮かべた。
「それで勇者様。うちの娘はどうでしょうか?」
どこかふざけたような言葉に、黒髪の女性──彼の妹たる勇者は「もう可愛すぎるよ!」と笑いながら、兄の娘、つまり姪っ子をぎゅっと抱き締めた。
お姉ちゃん呼びを頼んだのは彼女なのだが、それを深くは語るまい。
かつては小柄だった体も五年も経てば成熟し、より女性的な体つきとなった。
薄かった胸には確かな膨らみが、そこからすらりと伸びる腰はコルセットいらずに引き締まり、細い脚は脚甲に包まれてはいるものの、きっと彫刻さながらに無駄がないのだろう。
ジブリールは陽を一身に浴びながら戯れる二人の姿を、父親として、同時に兄として優しく微笑みながら眺め、「いい加減入るか?」と問うた。
「それじゃあ、お邪魔しまーす」
一瞬の迷いもなく頭を下げた勇者の姿に苦笑しつつ道を開け、アイリスを取り戻さんと腕を伸ばしたが、
「ねーちゃ、ねーちゃ♪」
「アイリスは元気だねぇ」
うきうきと勇者に抱きついたまま体を跳ねさせるアイリスと、勇者は彼女の様子に嬉しそうに目を細めて銀色の髪を撫でてやる。
これは無理だなと判断を下し、伸ばした手を引っ込めようとしたが、その手を勇者に取られた。
「ん?」
妹の思わぬ行動に首を傾げると、当の彼女は照れたように笑っていた。
「お兄ちゃんも、久しぶり……」
アイリスに向けるものとは別の、はにかんだような笑み。
ジブリールはようやく女性的な言動の増えてきた──尤も彼の前ではいつも通りな──妹の姿にどこか安堵しつつ、「ああ、久しぶりだな」と笑みを返してやる。
「ジルー?リースー?どうかしたー?」
そうして玄関前でもたもたしていた為か、家の中からシルヴィアの声が届く。
「はーい!」と元気よく返事をするアイリスの姿に兄妹は思わず噴き出すと、「それじゃあ、どうぞ」とジブリールは勇者の手を引いて家に入り、「お邪魔しまーす」と勇者の声が続く。
彼女は玄関を潜ると共に後ろ手で扉を締め、兄の確認の下で鍵を締めた。
ジブリールの家族は三人だろうと多くの者は思っているのだろうが、それを問えば違うと彼は言うだろう。
彼の家族は愛する妻と愛する子供たち、そして愛する妹を加えた四人。
彼女らこそが彼の家族。家族こそが、彼の護るべき人たちなのだ。
「お姉ちゃん、久しぶり!」
タイミングよく来たと勇者は笑い、シルヴィアは作る朝食の量が増えたとひきつった笑顔、ジブリールはやれやれと困り顔で首を横に振り、アイリスはわくわくしながら朝食を待ち、長男たる少年──ウイルクは妹が椅子から転げ落ちないかを気にしてそわそわと、それなりに広い家の居間で、誰一人として同じ表情をせずに顔を合わせていた。
シルヴィアは手製のエプロンをかけながら、伸びた銀髪を夫のようにうなじの辺りで一つに纏め、「では、始めます!」と何故か気合い十分な様子で鍋の蓋とお玉をさながら盾と剣のように構えた。
「……大丈夫かな?」
「大丈夫だ」
言い様のない不安を抱えて兄の顔を覗きこむが、当の彼は一切の間を開けずに頷く。
彼は知っているのだ。確かに結婚したばかりの頃の料理は、まあ酷かったというか、流石の彼とて食えなかったというか、味を評するには少々難しかったが……。
「今は大丈夫だ、信じろ」
同時に彼は知っている。試行錯誤を繰り返す中で、壁にぶつかった時にはギルドの料理長や眠る狐亭の料理長に師事し、壁を越えんとしてきたのだ。
今の彼女の料理は店に出せる。──かはわからないが、ジブリールら家族の舌に合う味は、きっと彼女にしか出せないものだ。
兄の謎の熱意に当てられた勇者は固唾を飲み、ちらりと台所に向かうシルヴィアの背中に目を向けた。
忙しくなく動き回り、その度に髪が尾のように揺れ、鍋をかき混ぜる音や煮える音、野菜を刻む音が流れるように続く。
思わず感嘆の息を漏らす勇者を他所に、何かに気付いたシルヴィアは妹を構っていたウイルクに指示を出す。
「ウィル!お姉ちゃんの分の卵取ってきて!」
「うぇ!?う、うん!」
「リースもー」
普段の抜けた様子ではなく、鋭く凛とした母親の声に驚きつつ、ウイルクはアイリスを引き連れて裏口から家の裏へと回り込む。
家の庭に設置された鶏小屋、その隣には小さな畑。最低限の自給自足と、子供たちに仕事を与えるという意味合いで設置されたそれは、割りと子供たち二人には好評だった。
毎朝餌をやり、水をやり、時には雑草を抜くなど、やることや考えるべきこと、覚えるべきことは多い。
考えながら仕事をこなすという習慣をつけると共に、他の子供よりも更に余りある二人の体力を使わせるという意味でも、それはよい結果を残していた。
「まてまてー」と楽しげなアイリスの声と「ごめん!ごめんって、いたっ!いたたっ!」と荒ぶる鶏の鳴き声と共に響くウイルクの悲鳴を他所に、ジブリールは勇者に問いかけた。
「それで、また何かあったのか?」
「そうなんだよ。聞いてよ、前の冒険なんてさ」
彼の問いを皮切りに、勇者の愚痴が始まった。
やれあの魔物は強かっただの、やれ会議はやっぱり苦手だだの、やれ報告は剣聖と賢者に任せてこっちに来ちゃっただの、時には他愛のない、時には重要そうな話題が昇っては消えるを繰り返す。
その一つ一つに真摯に耳を傾けつつ、ジブリールは楽しそうに微笑んだ。
妹が語ってくれる冒険譚は時には世界の命運を、時には街の命運を、その重さは違えど語る彼女の口調はどれも変わらない。
どこか楽しそうで、同時に達成感に溢れていて、聞いているこちらまで笑顔になれる。
「おかーしゃー、とってきたっ!」
「た、ただいま~……」
にこにこと笑いながら卵を持ってきたアイリスと、母親譲りの銀髪に鶏の羽が突き刺さったウイルクが戻ってくる。
どうしてかアイリスは動物に好かれ、ウイルクは攻撃される傾向にある。理由は不明だ。
「えっと、にわとりさんと、わしさんにね、あさごはんたべさせてきました!」
「あいつにもか?それは助かった」
母親に卵を渡したアイリスは薄い胸を張って報告すると、ジブリールは相変わらず空を飛んでいる、そろそろ高齢となってきた相棒と、楽しく戯れる娘の姿を想像して頬を緩めた。
ウイルクなら、また追いかけ回されて泣くのがおちだ。
「二人ともありがとうね」
アイリスから卵を受け取ったシルヴィアはそれをフライパンの端にぶつけてひびを入れ、そのまま器用に片手で割るを人数分繰り返し、手早く焼き始めた。
白身が空なら黄身は太陽だねなんて、小さい頃から思ってはいたけれど、大人になってからこうしてみると、確かにその通りだなと思う。
まあすぐにその太陽も腹に納まってしまうのだが、それまでの間なら夢を見たって良いだろう。
「さて、後は……」
程よく焼けた頃を見計らい、棚から黒パンを取りだすとそれぞれに合わせた大きさに千切り、焼き終えた目玉焼きを上に乗せていく。
昨晩の残りのシチューも温まったし、食事は温かいうちに食べるのが最善だ。
「よし、おまたせ」
目玉焼きを乗せた黒パンとシチューを持ちながら振り返り、愛する家族たちの法へと目を向けた。
エプロンを羽織った平服姿の彼女を見て、元冒険者と思う者などいはしないだろう。
けれど彼女こそ、かつてローグハンターの相棒として隣に立ち続け、彼の壊れた心に寄り添い続けた優しき乙女。
銀色の髪を揺らして
シルヴィアは家族皆を照らす太陽の笑みを浮かべ、「さあ、食べよう!」と料理を卓に並べる。
いつもの朝と変わらぬ日常。そして五年前よりも増えた笑顔の数。
それこそがローグハンターが偽りの神を殺して勝ち取った、天上の神々からの報酬なのだろう。
「さて、そろそろ行かないと」
遅めの朝食──ほぼ昼食だが──を終えて二時間程一家団欒を楽しんでいたジブリールたちに、少々遠慮がちに勇者が告げた。
「えー」とアイリスは不満の声をあげて「いっちゃ、やっ!」と彼女に抱き着くが、「また遊びに来るから」と笑って頭を撫でられる。
「おねーちゃんをこまらせちゃだめだろ?」
それでも離さないアイリスをウイルクが掴まえ、悪いとは思いつつ引き剥がす。
それがいけなかった。まだまだ甘えたがりの二歳児を、無理やり相手から引き剥がせばどうなるか。
それをよく知るジブリール、シルヴィア、勇者の三人は顔色を青ざめ、ハッとしたウイルクも遅れて顔を真っ青にした。
「ふぇ……」
勇者に向かって短い腕をピンと伸ばしたまま、アイリスの目元に涙が溜まり、嗚咽を漏らし始める。
ウイルクが手を離して勇者に返そうとした時にはもう遅い。彼女は肺一杯に空気を吸い込み、
「やぁぁぁあああああああああああっ!!!!!」
感情に身を任せた咆哮が、家中を駆け抜けた。
至近距離で彼女の泣き声をもろに受けたウイルクはたまらず耳を塞ぎ、ジブリールとシルヴィアは顔を見合せて苦笑。
「ねーちゃああああっ!!」と泣き叫びながら勇者の胸に飛び込み、それを抱き止めた彼女もまた困り顔。
「よしよし、お姉ちゃんはここだよ~。まだ一緒にいるからね~」
アイリスの背を擦りながら優しく告げて、「大丈夫だよ~」とあやすように体を揺らす。
それが正解なのかは彼女とて知らないが、咄嗟に出来たのはそれなのだ。孤児院で年下の子達が泣いた時は、こうしてあやしてきたに過ぎない。
「よ~しよし」と勇者がアイリスをあやしている横で、ウイルクがどうしたものかと手をさ迷わせ、ついでに目も泳がせる。
ジブリールは妹につられる形で泣きそうになっている彼を抱き上げ、「お前まで泣くなよ……」と困り顔。
「ないてない!」と唇を尖らしてそっぽを向くが、その先にいたシルヴィアに「ホントかな~?」といたずらっぽく笑われながら柔らかい頬をつつかれる。
母から逃げようと顔を背けても、器用に片腕で彼を抱き上げている父の空いている腕が動き、頬をつつかれる。
また逃げては母が、逃げては父はと繰り返し、痺れを切らしたウイルクは「んー!!」と拗ねたように父の胸に顔を埋めた。
まあ、そうしたところで両親からの攻撃は止まることなく、こんどは耳だの脇だのが矛先になるのだが、今のウイルクにはそこまで考える余裕はない。
左右からちくちくとつつかれ、その度に体をぴくぴくと反応させるが、反撃したり逃げたりはしない。
父親に捕まっているというのも理由が大きいが、もう一つの理由としては、
「……」
先程まで泣いていたアイリスが静かになり、ぱちぱちと瞬きを繰り返しているからだ。
子供特有の直感か、あるいは視線を感じたのか、ともかくウイルクは「両親に構ってもらっている兄」であり続ける。
幼いながらに彼は知っているのだ。もう少し粘れば──、
「にーちゃばっかりずるい!リースもぉ!!」
妹が泣き止んで突っ込んで来ることを知っているからだ。
アイリスは今まで抱き抱えていた勇者を足蹴に跳躍、両親に構われている兄に向けての突撃を敢行した。
同年代の子供のそれとは比べるまでもなく、その動きは機敏で鋭い。
だがあくまでも彼女は二歳程の子供だ。その動きは直線的で、何より彼女の癖の全てを把握している両親に対しては、どんなに速くとも遅いと言うもの。
「ほいっと」と気の抜けた声と共に進路に割り込んだシルヴィアの豊満な胸に飛び込む結果となり、けっきょくはそれで良いのか「ん~♪」と上機嫌そうに声を漏らす。
問答無用に足蹴された自身の胸に手を当てつつ、両親という越えられない壁に直面していた。
あそこで『リースはおねーちゃんとあそぶもん!』と言ってくれれば、それはそれで良かったのに。
「むむむ~」
今度は勇者が不満げな表情となり、大人げなく頬を膨らませた。
けれどすぐに息を吐いて、さながら花のように綻んだ笑顔を浮かべた。
彼女の視線を支配するのは、わいわいと騒ぎながら笑顔を振り撒く兄の家族だ。
父の腕の中で息子が笑い、母の胸の中で娘が笑い、愛する我が子の笑顔で両親が笑う。
嬉しいとは思えど、胸にあるのは僅かな孤独。
兄に言ったら笑われるのだろうが、やはり兄と二人きりになりたいというのはなかなかに難しく、そもそも二人きりにはなれないだろう。
勇者がどこか敗北感に似たものを覚えて儚く笑うと、「ねーちゃ?」と鼓膜を揺らしたのは姪っ子の幼い声。
ハッとして顔をあげると、母の首に腕を回して抱きついていたアイリスが、いつの間にかこちらに目を向けていた。
「どうかした?」
笑顔を崩さないように努めて意識していると、アイリスは不貞腐れたように唇を尖らせて、ぴょんと母の胸から飛び降りた。
そしてとたとたと勇者の足元まで駆けてくると、彼女の手を引いてまた家族の下へ。
「ねーちゃも一緒にぎゅってして!」
そして母親の顔を見上げながらそう言って笑い、言われたシルヴィアは「仕方ないなぁ」と豊満な胸を張りながら頷いた。
一緒にだからとアイリスを抱き上げて、「いくよ?」と声をかけて勇者を抱擁。
アイリスも「ぎゅー!」と声を出しながら勇者の首に腕を回し、耳元ではけたけたと楽しそうな笑い声。
アイリスの笑い声に勇者もまた笑みを浮かべていると、今度は背後からも抱き締められた。
「どうかしたのか、元気ないぞ」
振り返ってみれば、そこには心配そうにこちらを見つめる兄の姿。兄の腕に抱かれていたウイルクも、「おねーちゃん?」と兄と似た表情。
「大丈夫だよ」と笑ってみたら、「なら良いんだが」と返されたかと思えば、兄の腕が動いて家族もろともに抱き寄せられた。
「わわ!」と驚くシルヴィアを他所に、アイリスは耳元で「あったかい!」とテンション高めの声を漏らす。
照れるように顔を赤くする兄の顔に「へんなのー」と笑いながら、彼女は勇者に問いかけた。
「ねーちゃはあったかい?」
ぎゅっと先程よりも密着させてきたアイリスの体温を感じながら、「温かい……」とぼそりと漏らす。
胸にあった暗い感情は消えて、そこにあるのは陽だまりのような温もりだ。
ここには愛する兄がいて、尊敬する姉がいて、生真面目な甥がいて、可愛らしい姪がいて……。
──やっぱりここがいいな……。
様々な戦いに赴いて、時にはたくさん痛い思いをして、それでも踏ん張って頑張って。
仲間たちや王様に迎えられるのも悪くはない。凱旋みたいで好きだし、皆が笑ってくれるから。
──けど、やっぱりここなんだ。
ここも笑顔で迎えてくれるのは変わりはないけれど、勇者とかそんなの関係なしに笑わせてくれるのはあまりない。
ローグハンターがそうであったように、勇者もまた帰る場所は必要だ。
絶大な力を持ち、世界の命運を握る者とて、彼女もまた人なのだから。
「温かいね……」
ほんのちょっぴり目元を熱くしながら、勇者はぎゅっと愛する家族を抱き締めた。
「ホント、温かい……」
兄がよく家族と触れあっているのは知っていたけれど、人の体温というのは心まで温めてくれる。
たまには勇者としてではなく一人の女性として、家族に甘えたって良いではないか。
──彼女とて、ちょっと特別なだけの
辺境の街を囲む外壁の一角。
人が行き交う大門に、彼らは集っていた。
「ねーちゃ、いっちゃうの?」
シルヴィアと手を繋いだアイリスが問うと、「ごめんね~」といつも通りの笑顔を浮かべた勇者が答えた。
家に来た時と同じ、おそらく気配遮断の加護でもある外套を纏っており、目の前にいるのに気配は希薄だ。
勇者はフードの下で笑顔を崩すと、今度は不満そうな表情となる。
「ぼくだって一緒にいたいし、一緒に寝たいんだよ?」
「え?!」
「ホントーに~?」
勇者の突然の告白にウイルクは赤面して狼狽え、アイリスは疑うように──けれど嬉しそうに──彼女の顔を覗きこむ。
勇者はまた笑顔を浮かべ、膝をついてウイルクとアイリスと視線の高さを合わせ、二人の頭を撫で回しながら告げる。
「ホントホント。今度来たときは一緒に寝ようね」
「はーい!」
「……うぇ?!」
再び放たれた爆弾発言にアイリスは今度こそ嬉しそうに、ウイルクは一瞬の時間を要してから反応を示した。
四歳とはいえ、同年代に比べて大人びている彼だ。憧れのお姉さんたる勇者と同じ部屋で眠るというのは、少々ハードルが高いのだろう。
……母親とは普通に寝れるというのに、その差は何なのだろうか。
反応の違いはあれど楽しそうな子供たちの姿に笑みをこぼして、シルヴィアはフードの中に手を突っ込んで勇者の頭を撫で始めた。
「いつでも
「うん!」
母親のものとは違う、まさに姉としての笑みでそう言うと、勇者は太陽を思わせる満面の笑みを浮かべて頷いた。
名残惜しそうに家族から離れた勇者に、ジブリールは「またな」と右手をあげながら短く言うのみだ。
「うん。またね、お兄ちゃん!」と彼女は笑い、二人のやり取りはそれだけだ。
血の繋がりはなくとも、二人は誰しもが認める兄妹だ。
言葉にせずとも相手の考えている事はわかる。
前線を退いた兄はともかく、世界を救う妹は明日をも知れぬ身だ。
なら、お互いが思っている事は一つ。
──必ず帰ってこい。
──絶対に帰ってくる。
二人の視線が一瞬交錯して、またすぐに別れた。勇者が背を向けた為だ。
「それじゃあ、いってきます!」
彼女の言葉に続くのは、それぞれの言葉による「いってらっしゃい」の連呼だった。
兄は真面目に、姉はちょっと心配そうに、姪っ子は再会するが当然のように、甥っ子はちょっと照れ臭そうに。
同じ言葉だというのにそれぞれの個性があって、何回聞いても飽きることはない。
だから彼女は行く。仲間と一緒に世界を救って、誰かを救って、また「ただいま」を言うために。
アイリスが「きをつけてね!」と意味もわかっていないかもしれないのに言うと、勇者は笑顔を浮かべて頷いた。
──瞬間、何の前触れもない突風が吹き抜けた。
備えのないジブリールたちは堪らず目を庇い、頬を撫でる優しい風に頬を緩める。
そして風が止み、目を開けてみれば、そこに勇者の姿はなく、彼女がいたという僅かな痕跡を残すのみ。
「いっちゃったぁ……」と不満げに言うアイリスの頭を撫でてやりつつ、「またすぐに帰って来るさ」と微笑む。
何の確証もない、娘への気遣いの言葉とも取れるそれだが、けれど彼は断言した。
帰ってくると信じてやらないで何が家族か。
「さ、私たちも帰ろ」
シルヴィアが手を叩いて言うと、ウイルクは「うん」と頷いてアイリスの手をとった。
シルヴィアとウイルクに手を繋がれ、アイリスはきゃっきゃっと楽しそうに笑い、ジブリールは空いているウイルクの手を取った。
父、息子、娘、母と横に並び、はしゃぐ愛娘に引かれる形で歩き出す。
目指す場所はただ一つ。彼らが住む場所、愛する我が家だ。
誤字脱字、アドバイス、感想、アンケートへのご協力など、よろしくお願いします。
期限は『Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ』が完結してから+1週間です。随分と今更な事を聞きますか、ダンまちとゴブリンスレイヤーコラボイベント『Dungeon&Goblins』にログハン一党をぶち込んだものをーー
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見たい!
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別にいいです……。