SLAYER'S CREED   作:EGO

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Memory07 新たな幸せが舞い込む日

 ──五年後、辺境の街、ジブリール宅、()()()

 

 とある理由で取り付けられたその部屋は、いざという時の避難所としての意味合いもあるが、それと同時に彼の仕事場所でもあった。

 家主たる彼の自室──正確には妻の部屋でもあるが──に隠された落とし戸から伸びる梯子を降りればすぐにたどり着けるその場所に、ジブリールはいた。

 地下ゆえに陽の光が一切入らない薄暗闇の中、部屋を照らすのは彼が使っている机の上に置かれた蝋燭の炎のみ。

 朧気で、今にも消えてしまいそうな灯火を頼りに、彼は黙々と二冊の本と対峙していた。

 一冊は古ぼけた見た目の割りには何も書かれてはおらず、一冊は新品なのか皺一つない。

 けれどジブリールは何も書かれていない本を数瞬眺めると、新品の本に何かを書き写していく。

 否、彼にしか読めない何かが書かれ、それを全員が読めるように書き写しているのだ。

 書き写された文字こそはこの世界──あるいはこの国で──使われているものではあるが、それはただの文字の羅列に過ぎない。

 子供が文字の練習に使った後のように文字の順番はめちゃくちゃで、何一つとして意味のある言葉はない。

 だが、この何も書かれていない本を読むためには、それが当たり前なのだ。

 この世界におけるアサシン教団が本格始動したのと時を同じくして始まった、アルタイルが遺していった書物の収集、および解析作業。

 息のかかった仕掛け人(ランナー)が集め、ジブリールが文字を写し、賢者の学院の校長をはじめとした知識人に後は任せる。

 仕掛け人たちは時には知識神の神殿にこもり、時には捨てられた書物庫を探索し、時にはどうにか知識を得ようとした輩から盗み出す。

 ジブリールは時には何日もかけて一冊を書き写し、それを仕掛け人に託し──時には何日自ら赴いて──学院へと送る。

 届けられた知識人たちが知恵を絞り、文字を解読する。

 それを何年も繰り返す内に、アサシンブレードの設計図を見つけ、技の指南書を見つめ、アルタイルの手記を見つけ、少しずつ彼の遺したものを活かせるようにとやってきてはいるが、如何せん謎が多い。

 どうやってこれを書いたのか、どうして情報を遺したのか。

 アルタイルの書物を読めるのは、タカの眼を扱える者に限られ、それが扱えるのは十中八九、自分のように外から転がり込んだ者だ。

 だが根本的な話として、この世界には消えるインクなるものはない。あれば裏業界には浸透している筈なのに、そんな話は何一つとして出てこないのだ。

 そんな謎の何かを使い、アサシンの心得を記したのは何故か。

 書かれているものはどれもジブリールがいた時代から見ても進んだ──文字通り未来の技術にしか思えないものも多く、解析出来たとしても実用には数年かかるものさえある。

 ジブリールの籠手(ガントレット)に付けられた短筒とて、貴重な素材で試行錯誤を繰り返した結果に出来たもので、同じものを再び用意できるかと問われれば首を傾げるような代物。

 確かに見られたら大事になる代物ばかりなのは確かだが、そもそも読めないし、何より読めても苦戦は免れない。

 そこまでして、彼は何を託そうとしたのか。

 かつて垣間見たアルタイルの記憶を呼び起こしても、何かがわかることはない。

 ジブリールは額に手をやってため息を吐くと、本の写しが終わった事を確認してタカの眼を解除した。

 地下室に広がる闇を眺め、僅かに停止。

 いつもなら一時間も籠れば「集中しすぎだよ」とシルヴィアからの苦言が飛んでくるのだが、今はいない。

 いつかは来ると思っていたが、やはりと言うべきか一人になるのは辛いものだ。

 

「だぁ……」

 

 椅子の背もたれに寄りかかり、意味もない声を漏らす。

 誰にも届かないその声は地下の闇へと消えていき、巡り巡ってジブリールの耳へと入り込む。

 昔に比べて渋くなったなと自嘲的な笑みを漏らしながら、首だけ左を向いた。

 そこには物々しい鉄格子があり、その先には闇に紛れるように何かが鎮座している。

 

「《インフラマラエ(点火)》……」

 

 ジブリールがぼそりと真に力ある言葉を呟くと、それを合図に鉄格子の内側にある蝋燭に一斉に火が灯る。

 壁に突き立てられた燭台に乗せられた蝋燭は、誰かが消すまで燃え続ける魔道具(マジックアイテム)だが、その炎は普通の蝋燭と大差はない。

 いくつもの蝋燭の炎に照らされてようやく顔を見せたのは、鉄格子の向こうに佇む漆黒の鎧と壁に立て掛けられた剣と弓だった。

 黒きまことの銀(ミスリル)により鍛えられたそれらは、かつてジブリールが纏い、そして神を討ち取るまでに至った装備一式。

 そして全てが漆黒の闇を纏っているにも関わらず、異様な金色の輝きを放つものが一つ。

 黒鷲の剣と共に壁に立て掛けられた剣に、闇のなかでも金色に輝く幾何学模様が浮かび上がっているのだ。

 ジブリールはいまだに輝きを放つエデンの剣を眺め、目を細めた。

 あの戦いからしばらく経った後に行われた再調査に同行し、どうにか回収したエデンの剣だが──。

 

 ──やはり手放すべきだったか……。

 

 時々思う。あの剣はあの島に置いておくべきだったのでないかと。

 だが、同時に思う。あれで本当に終わったのかと。

 

「──駄目だな」

 

 やはりシルヴィアがいないと思考が後ろを向いてしまう。自分はここまで駄目な男だったのかと更に自嘲。

 過去の名残を眺める事に飽きると指を鳴らし、それを合図にして蝋燭の火が消える。

 再び闇に消えた鎧を眺めながら再びため息を吐くと、かつかつと誰かが梯子を降りる音が鼓膜を揺らした。

 ジブリールはアルタイルの書物を棚に納めると書き写した本を抱え、それを乱暴に鞄へと放り込む。

 

「父さん、大丈夫?」

 

 それと同時に、梯子を降りた少年がジブリールへと問いかけた。

「ああ、大丈夫だ」と目を解しながら頷くと、九歳になったウイルクの方へと向き直った。

 ぐるりと回った視界に納まったのは、年齢ゆえかどこか中性的な印象を受ける銀髪の少年だ。

 自分譲りの蒼い瞳に、母親譲りの銀色の髪。顔立ちは自分に似たのだとは思うが、今は外行きの格好している為か、また違った印象がある。

 

「もうそんな時間か……」

 

 ジブリールは地下に籠っていた為、随分と曖昧になってしまった体内時計を修正する。

 籠る前に昼頃に出掛けるとは言っておいたし、ウイルクは時間に正確だが少し早めに動く傾向があるから、おそらく昼前。

 

「リースは?」

 

 椅子から立ち上がり、固まった体を伸ばしながら問うと、ウイルクは「上で待ってるよ」と間髪入れずに返答。

 こたえた彼はちらりと本棚へと目を向け、じっと目を細めた。

 そこに宿るは弱いながらも確かな蒼い輝き。

 

 ──血は争えない、か……。

 

 息子が初めて使ったのは、いつの頃だったか。少なくとも、急に変わった見え方に怯え、泣きつかれた事は覚えている。

 あの時はどうすれば良いかわからずに慌てるシルヴィアと、兄に釣られて意味もなく泣き始めたアイリス、そしてタカの眼を発動して泣きわめくウイルクと、騒がしい三人への対処は大変ではあったが、まあ無駄ではなかった。

 現に、ウイルクはこうして自発的に使えるようになったのだ。

 ウイルクは本の表紙に刻まれた数字と、それをくわえるように刻まれたアサシンのシンボルを睨み付けた。

 

「お父さんには、ここの本が全部読めるんでしょ?」

 

「ああ」

 

 息子からの問いにジブリールは頷くと「読んでみるか?」と問うたが、ウイルクは「僕にはまだ出来ないや」とタカの眼を解除。

 目をぱちぱちと瞬きを繰り返し、ぐりぐりと擦った。

 子供の身では一度の使用に時間の制限がついてしまうのだろう。ジブリールの幼い頃も似たようなものだった。

 ウイルクは擦ってしまった為にぼやける視界を落ち着かせつつ、鉄格子の向こうへと目を向けた。

 黒く塗り潰された闇の中には、かつて父が使っていたという鎧などが納められているというし、何度か実物を見たこともある。

 着てみたいというのが本音ではあるが、あの父が使わないように封じているのだ、きっと録な物ではない。

 

『お父さーん?お兄ちゃーん?まだー?』

 

 じっと闇の中を眺めていたウイルクは、上から聞こえてきた声にハッとして意識を戻した。

 目の前にいる父も愛娘からの呼び掛けに苦笑を漏らすと、「待たせ過ぎたか」と肩を竦めた。

 

「それじゃあ、行くとするか」

 

「ん!」

 

 父の不敵な笑みと共に投げられた言葉に、ウイルクは同じように笑いながら頷いた。

 今日は家族にとって、とても大切な日なのだから。

 

 

 

 

 

 彼女は蒼い瞳で晴天の空を見上げ、感嘆にも似た息を吐いた。

 煌々と照りつける陽の光はさながら天からの恵みのようでいて、一身に浴びていると眠たくなるほどに心地よい。

 事実幼い頃は父と共にひなたぼっこしながら昼寝をした事だってある。

 言ってしまえば今でもしたい気持ちはあるし、むしろ今すぐにしたいのだが、今日だけは我慢と自分に言い聞かせる。

 

「すまない、待たせた」

 

 途端に兄を引き連れて現れた父の声に反応し、彼女は母に憧れて幼い頃から伸ばしている銀色の髪を揺らしながら立ち上がった。

 まだ母ほど長くはないし、手入れが行き届き、洗練された美しさはないとは思うけれど、幼い頃から女の子にとって髪は大切なのだと口酸っぱく言われた程だ。

 

「もう、おそいよ!」

 

 それはともかくとして、少女はいつまで経っても現れたなかった父と兄を指差して苦言を漏らしつつ、けれど嬉しそうに微笑んだ。

「ごめんな、アイリス~」と兄は何とも気の抜けた声を出しながら彼女の髪を優しく撫でてやると、撫でられた彼女の口からは嬉しさが声となって滲み出る。

 ジブリールは唐突に始まった兄妹のじゃれあいに頬を緩めつつ、アイリスに問うた。

 

「それで、準備は良いか」

 

「わたしが一番でした!」

 

 父の問いにアイリスは胸を逸らして得意気な顔を浮かべながら返すと、「でも念のため」と肩から下げる鞄の中を覗きこんだ。

 途中で諸々買うにしても、子供たちが持って行くようなものは別にないと思うが──。

 

「うん、大丈夫!」

 

 鞄に手を突っ込んで何かを確認したアイリスは満面の笑みと共にサムズアップし、ウイルクは聞いてもいないのに「僕も大丈夫!」とサムズアップ。

 それを確認したジブリールは二人に頷き返すと、玄関の鍵を締めて扉の開閉を確認。

 がたがたと扉が揺れる音のみが漏れ、鍵が確かにかかったことを教えてくれる。

 

「よし、行くか」

 

 愛する子供たちの方へと向き直り、肩に下げた鞄の位置を直しながら笑みをこぼしてた。

 家族三人で(・・・・・)出掛けるのにもようやく慣れたが、やはり隣に彼女がいないと締まりが悪い。

 その気持ち悪さを払うように彼は歩き出し、その両手を子供たちが占拠する。

 彼女がいないと確かに締まりが悪いが、けれど子供たちに挟まれることもまた至福の一時で、やはりと言うべきか頬が自然と緩んでしまう。

 目指す場所は一つだが、寄り道で寄るべき所が何ヵ所か。

 ともかく彼らは歩き出し、第一の目標たる眠る狐亭へと足を進めた。

 冒険者を半ば引退した身とはいえ、何も冒険者のみが仕事ではないのだ。

 

 

 

 

 

 

「これで軽くなったな」

 

 眠る狐亭で鞄に入れていたアルタイルの書の写しを狐直属の仕掛け人(ランナー)──子供たちには知り合いとしか説明していないが──に託したジブリールは、軽くなった鞄の位置を調整しながら、子供たち二人を引き連れて通りを進んでいた。

 昼前だからか人通りはかなり多く、少々歩き辛さを覚えるほどだ。

 

「二人とも、はぐれるなよ」

 

「「大丈夫!」」

 

 ジブリールがぎゅっと二人の手を握りながら言うと、二人は彼の手を握り返しながら笑い、頷く。

 はぐれた所で父と兄はタカの眼が使えるから何の問題もないのだが、次の予定がある分三人の歩調はそれなりに速い。

 時には人の流れに身を任せ、時には「すまない、通るぞ」と声をかけながら道を切り開く。

 すぐ近くからも「すみませーん、通りまーす」とか「すみません!すみませ──って、ごめんなさい!?」とか、何とも騒がしい子供たちの声が出ている。

 昔ならすぐに迷子になって泣いていた子供たちも、今でははぐれる事は滅多になくなり、はぐれてもタカの眼を使えるウイルクと分担すればすぐに見つけられる。

 時の流れとは、遅いようであっという間なのだ。

 そんな事を思っている内に人混みはだいぶ疎らとなり、開けた道の先には何やら建物の陰が見え始めた。

 それが見えた途端にアイリスが「見えた!」と嬉しそうに騒ぎ始め、ウイルクも「そうだね」と苦笑。

 釣られてジブリールも苦笑を漏らし、二人の手を握る手に力を入れた。

 別にあの場所が怖いわけでもなく、嫌っているわけでもないのだが、やはりと言うべきか不安はある。

 それを持ち前の根性で捩じ伏せ、子供たちの手を引いて歩き出す。

 一歩一歩を踏みしめて、次なる一歩をまた踏み出す。

 子供たちと喋り、時には笑みを浮かべながらそれを繰り返せば、件の場所にはすぐにたどり着く。

 そこは神殿──というよりは質素な寺院と呼べるもので、怪我人や見慣れた神官服を着た少年少女たちが出入りしている。

 ジブリールは子供たちに気付かれないように一度深呼吸をして、緊張からか高まった心臓の鼓動を落ち着かせる。

 

「ローグハンターさん?」

 

 そんな彼の背後から、聞き馴染んだ声が投げられた。

 彼は警戒が疎かになっているぞと自分に言い聞かせるながら振り向くのと、振り向いたアイリスが父の手をほどき「お姉ちゃん!」と笑って走り出したのはほぼ同時。

「はい、お姉ちゃんですよ」と声の主は聖母のような笑みを溢しながらそう言うと、アイリスに合わせて両膝をついて腕を開いた。

 アイリスは促されるがまま彼女の豊かな胸に飛び込み、嬉しそうな声を漏らして頬擦りを繰り返す。

 ジブリールは肩を竦めて息を漏らすと、「久しぶりだな」と右手を挙げた。

 アイリスを愛でながら「はい。お久しぶりです」と返したのは、地母神の神官の証したる白い衣装を纏い、かつてより変わらない金色の髪を風に揺らす女性──ジブリールの友人たる女神官その人だった。

 彼女はアイリスの髪を手で梳きながら、照れ臭そうにジブリールの影に隠れたウイルクにも「お久しぶりです」とにこりと微笑んだ。

 

「お、お久しぶり……です……」

 

 がちがちに緊張しながら、彼はぎゅっとジブリールのズボンを掴みながら声を絞り出した。

 彼のこの反応はいつも通りで、別に苦手意識があるわけでなく単に照れているだけだ。

 十年程前──つまりジブリールの出会った頃の彼女になら照れはしないだろう。だが彼女はこの十年で随分と大人になった。

 それは外見的な意味でもあるし、精神的な意味でもある。

 慎ましかった胸は神官服を押し上げる確かな膨らみへと変わり、細かった手足には筋肉と共に柔らかな肉がつき、けれど太っている訳ではなく、足はすらりとしている。

 友人としての贔屓目から見ても美人であることは間違いなく、そんな美女を前に照れないのは女性に興味がない人間か、あるいは自分のような妻帯持ちぐらいなもの。

 そこで、ふと気付く。

 

 ──ウイルクの知り合いには美人が多くないか?

 

 ジブリールはちらりとウイルクへと目を向け、小さく唸った。

 母親に始まり女魔術師、令嬢剣士、妖精弓手、女神官、魔女、女騎士、剣の乙女、エトセトラエトセトラ──。

 こうして考えてみると疑問は確信へと変わり、ジブリールはため息を吐いた。

 このままでは、ウイルクの他人に対する美の基準が跳ね上がる可能性があるからだ。

 

 ──まあ、どうでもいいか。

 

 ウイルクが何を見て何を思おうと、それは彼の人生を彩る一ページかあるいは一節で、年を経るごとに同じものを見ても感想は変わるものだろう。

 幼い頃の基準など、大人になれば全く異なるものになるのは当然の事だ。

 ジブリールはウイルクから視線を外し、アイリスの手を繋いでこちらへと向かってくる女神官へと問いかけた。

 

「それで入れるか?」

 

「はい、大丈夫ですよ。今日も大きな戦いはありませんでしたから」

 

 彼の問いに女神官は嬉しそうに言うと、「ご用件は、聞かなくてもわかります」苦笑混じりに付け加えた。

 ジブリールは頬を掻きながら目を泳がせると、女神官のから離れたアイリスがジブリールへと飛び付く。

 

「お父さん、早く行こ!」

 

「ああ、そうだな」

 

 膝の辺りに抱きつきながら顔を上げたアイリスの言葉に、ジブリールは間髪入れずに頷くと、次いでウイルクに「大丈夫か?」と問いかけた。

「ん」といつも通りに頷いて貰えば、決議は終了だ。

 

「それじゃあ、神官。また会おう」

 

「はい。二人とも、怪我をしないでくださいね」

 

 女神官はジブリールの言葉に頷くと、しゃがんで子供たちと視線を合わせながら告げた。

 それはさながら弟妹を気遣う姉のようでいて、ジブリールの頬が無意識に緩む。

 言われた二人が元気に返事を返すと、今度こそ彼女と分かれて寺院へと足を踏み入れる。

 彼らの背を見送った女神官の胸元では、丁寧に磨かれた銀色の認識票が、陽の光に照らされて鋭く輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 丁寧に磨かれた石畳の敷き詰められた廊下は、方角の都合か、時間の都合か、廊下は影に覆われて薄暗いが歩く分に問題はない。

 寺院の静謐さに当てられてか、一切口を開かない子供たちの手を引きながら歩くこと数分、とある扉の前にたどり着く。

 木製のそれは手入れはされているものの年季はあるのか、少々襤褸のような印象もある。

 他の寺院に比べ、地母神の寺院は言い方は悪いが地味な印象が強く、それは慈悲深き神の倹約するべしという教えからに他ならない。

 故に扉はそのままで、この寺院にいる人たちの信仰心の高さを伺う材料にはちょうど良い。

 ジブリールは一度深呼吸をすると、子供たちも真似するように深呼吸。

 三人は顔を見合わせて頷きあうと、ジブリールがのぶに手をかけた。

 ここで躊躇う訳にはいかないとのぶを捻り、一思いに扉を開ける。

 瞬間部屋の窓から差し込む陽の光で視界が遮られ、三人は思わず手で目を庇った。

 

「何してるの……?」

 

 そんな彼らの耳に届いたのは、笑いを堪えている為か僅かに震える愛する人の声。

 視界が回復したと同時にジブリールの視界に入り込んだのは、女神も顔負けの女性だった。

 ベッドの上で上体を起こし、僅かに開いた窓から流れ込む風に揺れる銀色の髪は、陽の光に照らされてきらきらと輝いている。

 

「──」

 

 絵画もさながらの光景にジブリールは思わず固まり、彼女は余計に可笑しそうに笑った。

 その笑顔は昔から変わらず、大人びた顔からいきなり無邪気な笑いをこぼすのだから、こちらは準備をする暇もない。

 

「もう、どうしちゃったの?」

 

 銀髪の女性──シルヴィアはいつまでも動かない夫が流石に心配になったのか、首を傾げながら声をかけると、

「ああ、大丈夫だ」と気の抜けた声で返される。

 シルヴィアがまた「?」と疑問符を浮かべて余計に首を傾げると、ついに我慢出来なくなったのかアイリスが走り出した。

 走り出した助走の勢いのまま、母が使っているベッドの上に飛び乗った。

 

「お母さーん!!」

 

「リース、久しぶり──でもないけどぎゅー!」

 

 ボフッ!と音をたてて着地したアイリスを愛おしそうに抱き寄せ、ぐしゃぐしゃと頭を撫でる。

「にゃー!」と嬉しそうに笑うアイリスに遅れを取る形で、ジブリールとウイルクの二人も入室。後ろ手に扉を閉めた。

 

「お父さんは、お母さんがいないと寂しそうなんだよ?」

 

「えー、そうなの?けど、嬉しいなぁ」

 

「嬉しいの?」

 

「嬉しいよ。だって、私がいないと寂しいって事は、一緒にいたいってことでしょ?」

 

「そっか!」

 

 その間にも女性陣の会話は続き、にこにこと上機嫌そうに笑いあっていた。

 話の肴はジブリールなのだが、自分を餌に二人が笑ってくれるのならと羞恥心を捩じ伏せる。

 ぴょんと一跳びでベッドに飛び乗ったウイルクは、母の手を握りながら問うた。

 

「お母さん、大丈夫だった?」

 

「うん、大丈夫だよ。ちょっと大変だったけどね」

 

 愛息子の小さな手を握り返しつつ、シルヴィアは少々困ったように笑いながら返した。

 言葉と態度とな裏腹に、表情にはやりきったと言わんばかりの達成感が満ち満ちているのは、彼女の隣に置かれた小さなベッドを見れば明らかだ。

 いきなり騒がしくなった為か、言葉もなく不満そうにうーうーと唸る、アイリスと比較しても小さな膨らみが()()

 片や父親譲りの黒い髪、片や母親譲りの銀色の髪を生やした、産まれて一ヶ月足らずの幼子が、小さなベッドで寄り添うようにして眠っているのだ。

 ジブリールは二人の寝顔を眺めながら「双子とはな」と呟き、隠しきれない喜びから口角が緩む。

 

「どっちがどっち!?」

 

 アイリスが産まれたばかりの弟妹を指差しながら問うと、「黒い髪の子が男の子、銀色の髪の子が女の子」とシルヴィアがそれぞれの頭を撫でながら教えてやる。

 予想に反して四児の長男となったウイルクは、アイリスと同じように弟妹たちを見下ろしながら、その頬を指でつついた。

 ぷにぷにと柔らかい頬は、いつまでも触っていたくなってしまう。

 そんな事をしている内に、ウイルクの表情がみるみる内にだらしないものへと変わっていき、瞳にはタカの眼のそれとは違う光が宿り始めていた。

 そんな時だ。頬をつついていたウイルクの指に、黒髪の男児が噛みついたのは。

「ひっ!」と思わず悲鳴を漏らしはしたものの、歯もなく顎の力もない赤子のそれに痛みはなく、むしろ必死になって吸い付いて、何かを吸い上げようとする感覚はくすぐったさもあるが不思議と心地よい。

 

「あー、お兄ちゃんずるい!」

 

 シルヴィアに愛でられていたアイリスが非難の声をあげるが、ウイルクはどこ吹く風と気にした様子はない。

「む~っ!」と唸ったアイリスはシルヴィアから離れ、銀髪の女児の方へと構い始めた。

 兄と同じように柔らかな頬をつつき、あわよくば甘噛みしてもらおうという魂胆なのだが──。

 

「ふぇ……」

 

 銀髪の女児の口から、僅かに音が漏れた。

 すやすやと心地よかった眠りを妨げられた乳児が、不満の意を示す方法はただ一つ。

 アイリスがしまったと表情を青ざめた頃には手遅れで、ウイルクは目を見開き、両親は顔を見合わせて苦笑。

 その瞬間、銀髪の女児小さな肺に一杯の空気を取り込み、

 

「──ふぇぇええええええええええっ!!!!」

 

 自らの全力をもって放出した。

 言葉も話せず、まだ身ぶりも出来ない乳児が、助けを求める為か、あるいは不満の解消の為か、全力をもって泣き始めたのだ。

 

「にぁ!?えと、ごめんね!えと、うんと──」

 

 思わぬ結果に慌てるアイリスだが、そこに助けの手が伸ばされた。

 シルヴィアが文字通り手を伸ばし、泣きわめく我が子を抱き上げたのだ。

 まだ首も据わっていないため、しっかりと腕で支えてやりながら「お母さんですよ~、大丈夫だからね~」と体を揺らしてあやし始めた。

 するとどうだろう。母の胸に抱かれたというだけでも彼女の泣き声は小さくなり、ついには愚図るように口をもどもどと動かし始めたではないか。

 ホッと息を吐くアイリスだが、すぐに妹の顔を覗きこんで「ごめんね……」と謝った。

 横ではいまだにウイルクが指を噛ませているのだが、それのお陰か弟が泣き出す様子はない。

 ジブリールはある程度落ち着いた頃を見計らい、シルヴィアへと問いかけた。

 

「それで、今日にでも帰れると聞いたんだが」

 

「うん。片付けをしたかったんだけど、この子達から目を離せなくて」

 

 シルヴィアは腕に抱いた娘と、隣で眠る息子に目をやりながら言うと、ジブリールは「任せろ」と自分の胸を叩いた。

「リースも手伝う!」と挙手したアイリスにも手伝ってもらい、部屋に置かれたシルヴィアの荷物──基本的には着替えだが──を部屋に用意されていた袋に詰めていく。

 これが済めば、また無事にあの家に──二人も増えた家族を連れて帰ることが出来る。

 そう思うだけでも彼は機嫌が良く、その手際も良くなるというもの。

 アイリスも手伝ってくれるのだから、片付けはすぐに終わるのだ。

 終わったら帰ろう。帰って、また始めよう。

 

 ──新たな幸せが舞い込んだ、幸せな日々を。

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想、アンケートへのご協力など、よろしくお願いします。

次回、完結!――の予定。

期限は『Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ』が完結してから+1週間です。随分と今更な事を聞きますか、ダンまちとゴブリンスレイヤーコラボイベント『Dungeon&Goblins』にログハン一党をぶち込んだものをーー

  • 見たい!
  • 別にいいです……。
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