SLAYER'S CREED   作:EGO

135 / 141
後書きにちょっとしたお知らせと、アンケートを載せました。
アンケートなかったんですけどって人は、一旦このページをリロードしてください。


Memory03 影を追え

「ローグハンターさんに頼まれ事なんて、不思議な感じです」

 

 冒険者ギルドから地母神の寺院へと続く道。

 不意に背後から投げかけられた言葉に、ローグハンターは歩みを止める事なく振り向いて「そうか?」と首を傾げた。

 同時に彼の視界に納まるのは、女魔術師、令嬢剣士に続いて弟子ともいえる面々だ。

 朝一番に突然の呼び出しに、何か大変なことに巻き込まれるのではと冷や汗混ざりに警戒する、頭に巻いた鉢巻きが特徴の青年剣士。

 街中だからと油断していたのか思わず漏れた欠伸を噛み殺す、腰に片手半剣(バスタードソード)と棍棒をぶら下げる青年戦士。

 至高神の信徒なのに地母神の神殿に行くことになったからか、嫌々ながらも青年戦士に手を引かれる形で無理やり歩かされている至高神の聖女。

 ぴこぴこと長い耳を揺らしながら、朝食代わりのサンドイッチを頬張る白兎猟兵。

「はい」と微笑み混じりに彼の問いかけに返事をしたのは、ローグハンターというよりかは銀髪武闘家の弟子といえる黒髪の女武闘家だ。

 彼女は「師匠に会うのも久しぶりな気がします!」と嬉しそうな様子だが、後ろを歩いている至高神の聖女は「なんで私まで……」と相変わらずの膨れっ面。

 彼女が信じる至高神と、今向かっている寺院が祀る地母神は、姉妹神のように仲がいいとはいうし、友人でもある女神官の頼みとなれば断る理由もないのだが。

 

「他所の寺院に行くのって、嫌に緊張するのよ」

 

 ふにふにと強張った頬を解しながら言う彼女に、幼馴染である青年戦士が「いいだろ、別に」と肩を竦めた。

 

「喧嘩売りに行くわけでも、押し込み強盗(ハック・アンド・スラッシュ)するわけでもないんだし」

 

「一応は警護の依頼だからな。それは忘れないでくれ」

 

 そしてちょっと買い物に行くだけだと言わんばかりの声音で告げた言葉に、ローグハンターは溜め息混じりに苦言に呈した。

 確かに街から程近く、地母神の威光が照らす寺院とはいえ、魔物が攻めてこないとも限らない。怪我をしてもすぐに治してくれそうなのは嬉しいが、死んでしまえば地母神の奇跡をもってしてもどうにもならない。

 まあ、未知の遺跡やゴブリンの巣穴に挑むよりかは気が楽であろうが。

 ローグハンターの苦言に「勿論です!」とようやく筋肉質になってきた胸を革鎧越しに叩きながら返事をすると、同意を求めるように仲間たちに目を向けた。

 

「俺たちもそれなりに依頼をこなしてきましたから、多少は役に立ってみせますよ!」

 

 そして自信に満ちた表情でそう言うと、彼の一党も一斉に頷いて応じて見せた。

 かつてゴブリンに全滅寸前まで追い詰められ、様々な失敗に心折れかけていた彼らの姿はとうになく、ここにいるのは未熟ながらも頼れる冒険者の一党だ。

 ローグハンターもようやくそれに気づいたのか、ほんの一瞬申し訳なそうに目を伏せると、すぐにどこか安堵の色を孕んだ微笑みを浮かべた。

 

「なら、いい。頼りにさせてもらうぞ」

 

 彼は表情の割にはいつも通りの淡々とした声音でそう言うと、不意に空を見上げて目を細めた。

 寺院を出た頃には雲一つなかったのだが、今は黒ずんだ厚い雲に覆われ始め、空気にも僅かに湿り気を感じる。

 山育ちの白兎猟兵もそれに気付いたのか、「雨、降りそうですね」と鼻をひくつかせながら呟き、サンドイッチの最後の一欠片を口に放り込んだ。

 げ、と露骨に嫌そうな声を漏らしたのは至高神の聖女だ。彼女は背嚢を前に持ってくると手を突っ込み、合羽が入っていることを確認した。

 血や泥に汚れるのが冒険者の常とはいえど、避けられるのなら避けるべきだ。泥が原因で装備が駄目にした、血脂がこびり着いて刃が鈍ったなど、そんな事をすればそれこそ嘲笑の標的にされてしまう。

 とはいえ、現状くるのは雨ていど。流石に敏感すぎではと、ジト目で至高神の聖女を見やる青年戦士は雑嚢を探る素振りを見せないが、山の向こうからゴロゴロと雷電龍の唸り声が聞こえ始めたのを合図にそっと雑嚢を探り始めた。

 隣の青年剣士と女武闘家、白兎猟兵の三人もそれぞれ雨除け用の装備を取り出していく中で、ローグハンターはいつも通りに頭巾を目深く被るのみ。

 彼らがそれぞれの用意を終えたのとほぼ同時に、ローグハンターの頭巾に最初の雨粒が落ちた。

 それを合図に次々と雨粒が降り注ぎ始め、しまいには激しい音を立て始めた。

 街外れだからか満足に舗装されていない寺院への道はぬかるみ始め、雨粒に跳ね上がられた泥が冒険者たちの衣装を汚していく。

 

「早速降ってきたな。急ぐぞ」

 

 ローグハンターはそんな雨音に心地良さそうに目を細めると、それに負けないように声を張り上げて弟子たちに言うと、返事を待たずに走り出した。

 

「ああ、ちょっと……っ」

 

 そんな彼を慌てて女武闘家が追いかけ、彼女を追って青年剣士、青年戦士、白兎猟兵が続き、最後に遅れて至高神の聖女が走り出した。

 走る度に跳ね上がる泥を鬱陶しく思いつつ、泥濘(ぬかるみ)を走っているのに昔に比べて後ろに流れていく景色は速く、息も切れない。

 

 ──体力がついてきた証拠かしらね。

 

 最後尾を走りながら、至高神の聖女は誰にも見られない事をいいことに得意げな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 だがしかし、冒険者として別格のローグハンター。常に前衛として身体を動かし続ける青年剣士、青年戦士、女武闘家。山育ち故に、悪路を走り慣れている白兎猟兵が相手では、純粋な後衛職の彼女には荷が重い。

 地母神の寺院に到着した頃には息も絶え絶えになり、白い至高神の法衣にも合羽をすり抜けてきた泥の飛沫が跡を残している。

 僅かに息を乱している青年戦士、青年剣士がどっちが先についたかで言い合いをしているのを横目に、白兎猟兵と女武闘家が心配そうに至高神の聖女に声をかけた。

 

「えっと、大丈夫……?」

 

「何か飲みますか?」

 

「大、丈夫……っ!このくらい、なんて事ない!」

 

 心配する二人に対して気丈に返し、パンパンと頬を叩いて気合いを入れ直した彼女を他所に、ローグハンターは辺りを見渡して自分の一党の姿を探した。

 彼女らなら既に警備についていそうなものだが、誰かに伝言を頼むくらいはするだろう。一応の連絡役でもある葡萄尼僧になら尚更に。

 一党どころか彼女さえもいないとなると、他の場所で何かしているのだろうか。

 鷲と視界を共有しようにも、雨に濡れるのを嫌って寺院の屋根の影に入っているようで、定点の視点しか見ることが出来ず、地母神の神官たちが慌てて葡萄の収穫をしている姿しか見ることができない。

 これは困ったと小さく唸った直後だった。

 

「あ、やっと来た!」

 

 ローグハンターの耳に他の何よりも聞き馴染み、何よりも愛おしく思う声が届けられた。

 彼が頭巾の下で表情を緩め、声がした方向に目を向けた瞬間、視界に飛び込んでくるのは最愛の妻の姿──なのだが、次の瞬間には彼は驚きに目を見開いた。

 

「こっちは大変だよ!ほら、手伝って!」

 

 彼の表情の変化には気付いているだろうに、それを意図して無視した銀髪武闘家は両肩に担ぐ大きな籠の位置を直しながらそう告げた。

 

「……何を担いでいるんだ、お前は」

 

 その姿に流石のローグハンターとて困惑しているようで、絞り出すようにそう問いかけると、銀髪武闘家は小首を傾げながら「籠だけど」となんて事のないように言う。

 

「何が入っているんだ」

 

「んと。傘だね。葡萄用の」

 

「……?」

 

 いつもなら口に出さずとも互いの言いたいことは理解できるのに、今この瞬間に関しては何もわからない。

 頭の上に疑問符を浮かべるローグハンターを他所に、寺院の奥から駆けてきた雨に濡れた葡萄尼僧が「あ、遅いよ!さっさとそれ運んできて!」と銀髪武闘家に告げた。

 

「はいはい、すぐに運びますよっと。皆も手伝って!」

 

 こっちこっちと籠を担ぎながら寺院の奥を示した銀髪武闘家は、制止の声も待たずにそのまま走り出してしまう。

 取り残された冒険者たちが顔を見合わせていると、葡萄尼僧が太陽を思わせる笑顔を浮かべながら彼らに言う。

 

「ちょうど良かった、猫の手も借りたいって感じだったのよ」

 

 パンと手を叩きながら彼らを何かの頭数に入れた様子でそう言うと、「説明するからこっち来て」と銀髪武闘家が消えていった寺院の奥を示した。

 

「……まあ、警備ついでに手を貸してやるか」

 

 何をするのかも理解していないが、これも何かの経験かと自分に言い聞かせて葡萄尼僧を追うことに決めた。

 彼が行くならと弟子たちも後に続き、寺院の奥へと足を向ける。

 

「……なんか、朝から走り通しじゃない!?」

 

 雨音のみが響く寺院の中に、息も絶え絶えな至高神の聖女の悲痛な叫びが木霊するのだった。

 

 

 

 

 

 程なくして冒険者らは低木が立ち並ぶ区画──ローグハンターにとってここ数日で見慣れた場所となった葡萄園にたどり着いた。

 普段と違うこととなれば、バケツをひっくり返したような大粒の雨が降りしきっていることと、それを浴びながら、若い神官たちや、もっと幼い見習いの侍祭、ローグハンターの一党の三人が革製の傘を木に括っていることだろうか。

 

「ほら、突っ立ってないで手伝って!葡萄の傘を交換するだけだからさ!」

 

 葡萄園の入り口で突っ立っているローグハンターを始めとした冒険者たちに向け、葡萄尼僧が半ば怒鳴るような声音で告げた。

 彼女が勢いよく指差した先には、先ほど銀髪武闘家が運んでいて籠が並んでおり、神官たちはそこから傘を取り出し、葡萄を覆うように次々と枝に括り付けていっている。

 

「雨が(かび)を運んでくるし、収穫前に痛めつけられたら葡萄酒も作れないよ!」

 

 葡萄尼僧は手本を見せるように傘を取り付けた。葡萄の房が濡れないように、葡萄の実が重ならないようにするのが大事なようだ。

 それさえわかってしまえば冒険者たちの行動は早い。別に未知の遺跡に挑むわけでも、ゴブリンが住み着いた洞窟に挑むわけでもないのだ、普段の冒険に比べれば気楽でいい。

 冒険者たちは籠から傘を取り出すと、低木の間を駆けてそれぞれの作業に取り掛かった。

 果実に傘を被せると言っても、只人の胸程度の高さしかない。不慣れな作業に苦戦するものの、開拓村の出身がほとんどなのだ。農作業の手伝いに似ているそれも、数度こなせば慣れるというもの。

 

「それにしても、この時期にこんなに雨が降るなんて滅多にないのに」

 

 雨と汗に濡れた額を乱暴に拭いながら、葡萄尼僧が憎たらしそうに空を見上げた。

 確かに雨がよく降るのは夏の半ばだ。まだ春と夏の間ともいえるこの時期に、嵐と言っても過言ではない程に雨が降ろうとは。

 それでも泣き言は言っていられないと傘の取り付け、あるいは交換を進めるのだから、彼女としても雨自体には慣れているのだろう。

 そんな彼女の姿を視界の端に捉えながら、ローグハンターも黙々と作業を続けていた。

 頭巾に当たる雨音も、濡れた地面を踏み締める湿った音も、普段聞く人の断末魔や恨み節に比べれば心地が良い。

 急に呼んだ弟子たちもいきなりの事態に困惑はしていたものの、既にこの状況を楽しみ始めているようで、いつものように和気藹々と言葉を交わしながら作業を進めている。

 視界を巡らせれば、少々作業が粗い令嬢剣士を叱責する女魔術師と、そんな彼女たちを見て控えめに笑う神官たちの姿も見えて、何とも平和に時間が流れているのが伝わってくる。

 ふっと頭巾の下で微笑をこぼしたローグハンターは次の葡萄に傘を取り付けようとするが、先程取り付けたものが最後の傘だったようで、伸ばした手が空を切った。

 む、と小さく唸った彼の姿を見て、くすくすと鈴を転がしたように笑うのが一人。

 

「何してるのさ。はい、忘れ物」

 

 雨と汗で自慢の銀色の髪を頬に貼り付けた銀髪武闘家が、傘が満杯に入った小さな籠を差し出した。

 遠目から見てローグハンターの傘が減っていることに気づいていたのだろうか。傘の集められた大きな籠から、彼と自分の分を取り分けて持ってきたようだ。籠からローグハンターの元まで真新しい彼女の足跡が続いている。

 

「ああ。助かる」

 

 ローグハンターは彼女に礼を言いながらそれを受け取ると、ほんの数十秒の遅れを取り戻すべく、より効率的に傘を取り付けていく。

 その隣では銀髪武闘家も傘の取り付けに取り掛かり、二人は並んだまま無言で作業に没頭する。

 それでもお互いが何をしているのかは把握しているようで、傘を取ろうと伸ばした手に相手が傘を差し出したり、相手の不手際を見つけたらそれとなく修正するなど、言葉はなくともその連携に澱みはない。

 遠くであれやこれやと言い合いつつ作業を進める他の冒険者たちとは、やはりと言うべきか格が違うということか。

 途中、作業する相手の横顔に魅入るように見つめることはあれど、手が止まっていないのだからとやかく言うものでもあるまい。

 ローグハンターは雨に濡れながらも楽しそうに笑いながら葡萄に傘を被せる彼女の横顔を堪能すると、不意に目を細めて視線をあげた。

 雨の中、木立の向こうから、こちらをじっと睨む何かの気配を感じ取ったのだ。

 彼はその何か──水煙に隠れて見えにくいが、おそらく人影だ──を睨んだ彼は、瞬きと共にタカの眼を発動。

 葡萄尼僧が危惧していた悪戯小僧というには背が高く、雨除けの外套を羽織っているようだがそれを加味しても線が細い。

 この状況を見ても手伝おうとしないということは、おそらく神殿の者ではない。

 そして何よりも、その人影の色は──。

 

「いいよ、行ってきて」

 

 鋭い視線に僅かな殺気を滲ませ、腰に帯びた片手半剣(バスタードソード)の柄を握った彼に、銀髪武闘家は一言告げた。

 ちらりと彼女に目を向ければ、彼女も作業を進めながら件の人影を睨みつけている。

 ローグハンターはタカの眼をもって、銀髪武闘家は長年の勘と経験──ローグハンターの動作と気配の変化──によって、あの人影が友好的ではないことを理解したのだ。

 ローグハンターは葡萄園全体の様子を探るように視線を巡らせ、忙しそうではあるが人手は足りていることを確認。

 

「こっちは任せる」

 

「うん。いってらっしゃい」

 

 彼は銀髪武闘家に指示を出すと彼女はすぐにそれに応じると不意に顔を近づけ、軽く触れ合う程度の口付けを交わした。

 唇に柔らかな感触と、普段よりも高い彼女の体温を感じたローグハンターが僅かに目を見開いていると、彼女は照れたように笑いながら告げた。

 

「気を付けてね」

 

「ああ。それじゃ、いってくる」

 

 彼女の言葉にローグハンターは不敵な笑みで返すと、その場を離れて例の人影を──赤く強調表示される敵影を睨み、ばしゃりと音を立てて地面とを蹴ると共に走り出した。

 泥濘んだ地面を滑らないように普段以上に踏み締め、跳ね上がる泥も気にすることもなく疾走。

 頭目の突然の行動に女魔術師、令嬢剣士が驚きの声をあげるが、そんな二人を銀髪武闘家が諌めて作業に集中させる。

 そのちょっとした騒ぎに気づいてか、あるいは葡萄園から離れて水煙の向こうから迫るローグハンターの姿を認めてか、その誰かは慌てて水煙の向こうに消えていき、その背を冒険者たちも認めるが、銀髪武闘家の指示で追跡することはない。

 

「──彼から逃げ切れる人なんて、誰もいないよ」

 

 銀髪武闘家はただ一言、勝ち誇るように微笑みながらそう告げた。

 この中で誰よりも強く、速く、何より相手を逃がさない執念を持ち合わせた男が、追いかけているのだから。

 

 

 

 

 

 頬を殴る雨の冷たさも、踏み締める泥濘も感触も、今になっては煩わしい。

 葡萄園を離れて二分足らず。謎の下手人を追いかけ、寺院近くの森に突入したローグハンターは、走りながら小さく溜め息を漏らし、相手にも聞こえるように声を張り上げた。

 

「話をしたいだけだ!お互い面倒は嫌だろう!?」

 

 叫びながら一切の減速なしに倒木を飛び越え、相手の背を睨む。

 だが、止まらない。その気配さえもない。相手は少しずつ距離が詰まっていることに気付いたようで、泥濘の中だというのに足を滑らせる様子も、転ぶ様子も見せない。

 

 ──堅気の動きじゃない。何より素人の動きじゃないな。何者だ……?

 

 堅気の人間なら、完全武装の相手が追いかけてきているとわかればすぐに止まるだろう。

 素人なら、この泥濘に足を取られて転び、すぐにでも追いつけただろう。

 だが、今そのどちらでもないとなれば、相手は手練れでこういった状況にも慣れているということだ。

 そっと視線を細めたローグハンターは、途中で木に引っかかった倒木を利用して樹上に乗ると、枝から枝に飛び移る追跡(ツリーラン)に変更。

 泥がこびりつき、滑りがよくなっている筈の黒曜石の鉄靴も、森人の呪いのおかげかしっかりと枝を捉えて離さず、落ちるという最悪の事態が頭に過ることさえも許さない。

 いい贈り物だと、これを作ったであろう上森人の老人に感謝しつつ、すぐに意識を切り替えて追跡に集中。

 逃げる下手人も彼が背後から消えたことには気づいたようだが、すぐに微かとはいえ枝を揺らしながら追いかける彼に気付き、雨除けの頭巾の下でぎょっと目を見開いた。

 そして意識が上に向いたことが災いしたのだろう。この豪雨で洗い出され、張り出していた木の根の存在に気付くのに致命的なまでに遅れてしまった。

 

「っ!?」

 

 泥濘を蹴った足の爪先がその根に引っかかり、体勢を崩した瞬間に踏み止まろうと出た足は泥濘に滑ってしまう。

 べしゃりと滑稽な音を立てながら水溜まりに倒れた下手人は、慌てて立ちあがろうとするが、ローグハンターがそれを阻止する形でその背に飛びかかった。

 ばしゃりと泥の混ざった水飛沫をあげながら、成人男性に加えて剣を始めとした装備類の重さの乗ったのしかかりに下手人は悲鳴をあげ、ジタバタと手足を振り回す。

 跳ね上がった泥が顔や衣装に張り付くのも気にせず、ローグハンターは右手首の僅かに動かし、アサシンブレードを抜刀。飛び出した短剣を相手の頸に押し当てた。

 ひんやりと冷たく、命を絶つにたる金属が触れた途端に下手人は大人しくなり、ローグハンターは溜め息を吐いた。

 

「話を聞くだけだ。なぜ逃げた」

 

 彼は言い聞かせるようにゆっくりとそう告げると相手の上から退き、

 

「──っ」

 

 直後、逃げようとした相手の胸倉を掴み、手頃な木に叩きつけた。

 叩きつけられた衝撃で木が揺れ、葉についた雨粒が降り注ぐ中、ローグハンターはようやく見えた相手の顔を睨んだ。

 雨避けの頭巾の下に隠されていたのは、黒に近い褐色の肌と白銀の髪、尖った耳。相手は只人ではなく、男の闇人(ダークエルフ)だったようだ。

 彼は鋭く睨むローグハンターを殺意まじりに睨み返すが、泥に汚れた顔では迫力が足りず、肝心のローグハンターも小さく鼻を鳴らして嘲る始末。

 

「それで、なぜあそこにいた。観光客じゃないな」

 

「別にいいだろう。女子供が仕事している姿を見て、何が悪い」

 

 ローグハンターの問いに闇人はある意味で御用になりかねない事を宣うと、ローグハンターは小さく息を吐き、「わかった、質問を変える」と言いながらアサシンブレードを抜刀。

 

「誰に頼まれた。素直に言え」

 

「せ、折角の休日だからと寺院に足を伸ばしただけだ!ほら、これを見ろ!」

 

 少しずつではあるが、ローグハンターの言動から脅しが脅しでなくなる可能性を理解し始めたのか、闇人は僅かに怯えながら胸元から白磁の認識票を取り出した。

 まさかの同業者──しかも駆け出しだ──ということがわかったローグハンターは、む、と小さく声を漏らし、その認識票に目を向けた。

 そこに刻まれた文字の羅列を一瞥し、ふっと相手を嘲るように鼻を鳴らした。

 

「お前のどこが只人(ヒューム)だ。偽装するにしても精度(レーティング)が低すぎるぞ」

 

 そこに刻まれていたのは出身地を始めとした諸々の情報と、己の種族が只人であること。

 褐色肌の只人はいる。葡萄尼僧や女戦士(アマゾネス)の肌も褐色だ。

 だが白銀の髪に耳が尖った純粋な只人は、世界広しといえどいるわけがあるまい。

 闇人が目を見開いたのとほぼ同時、ローグハンターの拳が彼の顔面に打ち据えられ、整った形をしている鼻をひしゃげさせた。

 

「がっ……!」

 

 鼻から溢れ出した血の塊が闇人の美貌を赤く汚すが、ローグハンターは構うことなくその頭を掴み、引き寄せると共に顔面に膝蹴りを叩き込む。

 蹴り飛ばされた勢いで背中から倒れた闇人の腹に乗り、泥に汚れた首にアサシンブレードを当てながら、ローグハンターは機械的なまでに冷たい声音で問いかける。

 

「雇い主は誰だ、仕掛け人(ランナー)。俺が──ローグハンターがいる街で仕事(ラン)をするとは、蛮勇極めた阿呆か、ただの愚者だ。お前はどっちだ」

 

「……っ!」

 

 彼の言葉に闇人はぎょっと目を見開くと、信じられないものを見るようにローグハンターを見上げた。

 

「まさか、貴様が……っ」

 

「ようやく気付いたか、阿呆が。それで、誰に、どんな内容で、雇われた」

 

 闇人はようやく相手がローグハンターであることを理解し、乾いた笑みをこぼしたが、そんな事はどうでもいい。

 仕掛け人(ランナー)がいるということは、誰かがあの寺院を狙っているということだ。あの寺院を守ることが依頼であるのなら、今後起こりえることに備えなければならない。

 そして、備えるためには情報が何よりも必要なのだ。

 

「さっさと言え」

 

「言ったら、消される……ッ!」

 

「言わねば、消す」

 

 その情報を聞き出す為ならば、少々後ろ暗い手を使うことを躊躇うつもりはない。とりあえず、道を違えたとはいえ今でも尊敬している師匠の一人(ヘイザム)の真似をしつつ、アサシンブレードを首の肉に食い込ませた。

 褐色の肌が僅かに裂け、そこからかは鮮血が滲んで垂れ始める。

 そのじんわりと広がる痛みに闇人は呻くと、がちりと何かを噛み砕く音が口から漏れ出た。

 む、とローグハンターが声を漏らすと、闇人の身体ががくがくと痙攣を始め、口からは言葉ではなく血の混ざった泡を吐き始める。

 見開かれた瞳がぐるりと回って白眼を剥いたかと思えば、痙攣していた身体が途端に弛緩し、動かなくなる。

 奥歯かどこかに、自決用の毒物を仕込んでいたのだろう。情報を命諸共に天上に持っていくとは、仕掛け人(ランナー)として相応の覚悟を決めていたようだ。

 

「……まあ、いいか」

 

 その覚悟には敬意を払うが、生憎とこの街のならず者の集まり(ローグ・ギルド)──というよりかは、この国で暗躍する彼らを総括する人たちと知り合い──正確には、ローグハンターもその一員──なのだ、情報を聞こうと思えばどうにでもなろう。

 とりあえず隙を見て狐に会いに行こうと決めながら、ローグハンターはそっと闇人の瞼を下ろしてやった。

 

「──安らかに眠れ。その誇りが、汝の魂に安らぎを与えんことを」

 

 

 

 

 

 森から寺院に戻る頃にはあれだけ降っていた雨も止み、雲の隙間から溢れる陽の光が神々しく、それに照らされた寺院は、雨粒による反射も相まってまさに神を奉る聖地という雰囲気を放っている。

 遠目でそれを見つめ、しばらくその場で動かずにその光景を目に焼き付けていたローグハンターは、不意に寺院と葡萄園を繋ぐ扉に寄りかかる人影を認め、強張っていた表情から力が抜けた。

 その人物も彼の帰還に気付いたのだろう。満面の笑みを浮かべながら大手を振り、泥濘を中を駆け寄ってくる。

 

「おっかえり〜!」

 

「……ああ、ただいま」

 

 泥を跳ね上が、銀色の髪を汚しながら胸に飛び込んできた銀髪武闘家を抱き込めながら、ローグハンターは微笑み混じりに帰還を報告。

 二人は鼻先が触れ合うほどの距離で見つめ合い、お互いの無事を喜び、綻ぶように浮かべた笑顔を交換する。

 そんな二人を照らすように雲の切れ間から陽の光が差し込み、雨が止んだのを喜ぶように鷲が二人の上を旋回していた。

 それを物陰から見ていた女魔術師はあの二人はまた堂々とと溜め息を漏らし、令嬢剣士はただただ嬉しそうにそんな二人を見つめ、

 

「……いいなぁ」

 

「さ、流石にあんなのは無理でしょ!?恥ずかしい!」

 

「「……?」」

 

「いや〜。動いたらお腹すきましたね〜」

 

 女武闘家は青年剣士に目をやりながら二人を羨ましそうに見つめ、至高神の聖女は青年戦士を視界の端に映しながら赤面し、女武闘家の脇をつく。

 隣の青年剣士、青年戦士は揃って首を傾げる中、白兎猟兵だけが腹を摩った。

 そんなそれぞれが好き勝手にし、緩み始めた空気を諌めるように、甲高い鷲の鳴き声が辺りに響く。

 それを合図にローグハンターと銀髪武闘家が離れれば、弟子たちも口も閉じて二人に合流。

 依頼人不明の仕掛け人(ランナー)。そこからわかるのは、少なくとも誰かがこの寺院を狙っていることだ。それがわかっているのなら、守りようはある。

 冒険者が一同に会す中、ローグハンターが言う。

 

「それじゃ、警備の仕事を始めるか」

 

 

 

 

 

 

 確かに、ローグハンターの読みは当たっていた。

 何者かが寺院を狙い、虎視眈々と刃を研いでいた事実は間違いない。

 しかし、その刃が振るわれたのはあまりにも突然で、ローグハンターからしても予想に反した方向からだ。

 

 

 ──葡萄尼僧はゴブリンの娘である。

 

 

 辺境の街にそんな噂が流れ始めたのは、この翌日のことだった。

 

 

 

 




はい、というわけでお知らせです。

なんと、今作主人公のローグハンターと、ヒロインの銀髪武闘家が「狂胡椒」様作の『自分を大蛇丸と信じて止まない一般男性がゴブリンスレイヤーtrpgのRTA「疾風剣客チャート」で優勝します』にゲスト出演することになりました。1/15現在では、名前だけチラッと登場しています。
タイトル通り所謂RTA系の作品ではありますが、ゴブスレTRPGのリプレイのような側面もあるので、気になる人はぜひ読んでみてください。

作者様の許可が貰えたので、一応リンクを貼っておきます。
https://syosetu.org/novel/284531/

他にもログハン貸してくれって方がいましたら、メッセージを送ってください。ログハン貸与に関して、最低限の決まり事があるのでその擦り合わせを行うので。

ついでにアンケートもあるので、ご協力お願いします!

期限は『Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ』が完結してから+1週間です。随分と今更な事を聞きますか、ダンまちとゴブリンスレイヤーコラボイベント『Dungeon&Goblins』にログハン一党をぶち込んだものをーー

  • 見たい!
  • 別にいいです……。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。