五作品掛け持ちは無理だろとわかっているのに、描きたい欲求ががが……っ!
コツコツと、卓を指先で叩く音が冒険者ギルドの喧騒に消えていく。
行儀悪く頬杖をつき、眉を寄せ、何かを言うわけでもなく時を刻むようにコツコツと、指で卓を叩く。
それをやっているのが退屈を持て余した中堅冒険者や、単に酒場を利用しにきた流れの冒険者であれば、誰も気にしないであろうが、それをしているのはかの辺境勇士、ローグハンターだ。
良くも悪くもその名を轟かせる彼が、夜空を閉じ込めた蒼い瞳に冷たい殺気さえも宿しながら、訳もなく卓を叩く。その様はさながら親の仇を前にしながらも、手を出すことができずに苛立つ剣客のよう。
顔馴染みの槍使いや重戦士の一党、彼の弟子や一党ですらも声をかけるのを躊躇う状況の中、はぁと溜め息を吐いた銀髪武闘家が籠手を外すと、彼の頭に拳骨を落とした。
ガン!と鈍い音を立てながら卓に叩きつけられたローグハンターは、殴られた脳天を押さえながら顔を上げ、銀髪武闘家を睨みつけた。
「いきなり、何をする……?」
「それはこっちの台詞。そんな怖い顔しないの」
不満げに睨んでくるローグハンターの頭を撫でてやりながら、銀髪武闘家は「理由はわかるけどさ」と更に溜め息を一度。
先日まで警備の依頼を受けていた地母神の神殿。そこで世話になった葡萄尼僧に関して、少々気になる噂が流れ始めているのだ。
どこの誰がそんな事を言い始めたのか、そもそも何を根拠にそんな眉唾物の噂が流れ始めたのか、それも定かではないが……。
「──あの人がゴブリンの娘なわけないのにね」
「当たり前だ。馬鹿どもが」
銀髪武闘家も声に憤りを滲ませ、目つきを鋭くしながら腕を組み、ローグハンターも身体を起こしながら頭を振った。
静かな辺境の街に流れる噂。
──葡萄尼僧は、ゴブリンの娘でははないか。
ローグハンターの耳にその噂が届いたのは、眠る狐亭で朝食を取っている時であった。
彼の一日は、その一杯から始まると言っても過言ではない。
眠る狐亭の酒場で提供される、その名を王都まで轟かせる銀等級冒険者が食べるにはあまりにも安値で、貧相なその一杯のスープを飲むことが、ローグハンターにとっては長く続く朝のルーティンなのだ。
本当にスープなのか怪しいほどに味は薄く、具も少なく、大きくもないが、身体の芯まで温まるそれが、ローグハンターが最も好む味であった。正確には一人で食べる分には、だが。
相変わらず寝ている銀髪武闘家と、諸々と準備をしているであろう一党の二人を待つ傍らに、黙々とそのスープを啜るローグハンターと、
話すべきことがあるのならどちらかが先に口を開くのだ。それがないということは、つまり特に話題らしいものがないという証拠。それはつまり、今のところ街は平和ということだ。
そして平和というのは、薄氷のように容易く砕けてしまうというのも相場が決まっている。
「うえ、マジかよ!!」
朝の喧騒に包まれる酒場に、杯がひっくり返る音と男の声が響いた。
その場に居合わせた客たちも、店主も、スープを飲み終えたローグハンターも一斉に彼に目を向け、彼の服が赤く汚れていること──倒れた杯からして、葡萄酒か何かを零したのだろう──が遠目からでもわかる。
そそそと足音一つなく近づいた給仕の女性が手拭い片手に声をかけると、その男は申し訳なさそうに頭を下げながらそれを受け取り、服を拭っていく。
「で、今の話本当かよ」
周りの客たちが単に酒を零しただけと意識を逸らす中、ローグハンターだけは耳を澄ませ、先程の男の言葉の続きを聞くことにした。
男の対面に座るのは、冒険者だろうか。雑多な鎧を着込み、卓に長剣を立て掛けている。
「ああ。まあ、こっちも又聞きしただけなんだが……」
二人の親しい様子からして、酒を零した男も冒険者なのだろう。
男は先ほど零した葡萄酒と手拭いや服の染みを見つめ、項垂れた。
「飲んだ挙句に被っちまったんだが……っ!?」
「俺が言う
「今更だな!?」
男と冒険者はそんな軽い様子でやり取りすると、男が必死になって葡萄酒の染みを落とそうとしながら言う。
「地母神の神殿にゴブリンとの混血がいるって、流石にありえねぇだろ」
「俺だってそう思ってるさ。あそこには怪我の治療なりで世話になってるからな。だが……」
そうして周囲の目や耳を気にしてか、顔を寄せ合いながら交わされたやりとりに、ローグハンターは眉を寄せた。
ゴブリンとの混血?いや、ゴブリンの子供は母体がなんであれ純粋なゴブリンだろうが。
二人の会話は狐にも聞こえているのだろう。彼もまた黄色に頭巾の下で、紫色の瞳をすっと細めた。
問答無用で黙らせてもいいが、噂話で人を殴りつけるわけにはいかない。
「あの褐色肌の女がいるだろう。何でもあいつがゴブリンに孕まされた女から産まれたって」
「褐色肌って、あの葡萄酒作ってる人だろう?うへ〜、マジかよ」
冒険者にそう言われた男は服の染みを、それこそ汚物を見るように見ながら声を漏らす。
褐色肌で、地母神の神殿の関係者など、彼女しか──葡萄尼僧しかおるまい。
あの良くも悪くも神官らしくない彼女が、ゴブリンの娘だというのか。
ローグハンターはそっと狐に目をやると彼は小さく頷き返し、酒場の端で談笑している──素振りだけして、狐の指示を待っている
狐の合図に彼らは談笑したまま合言葉と思われる言葉を口にすると、冒険者がそうするようにそれぞれの装備を担いで酒場から出ていく。
とりあえずこれでいいかと肩を竦めた狐に対し、ローグハンターは相変わらず不満げだ。
先日まで警備していた場所で、それなりに世話になっていた人が、悪く言われている。それだけでも業腹だというのに、おそらく原因はあの日自殺した
狐──正確には灰被りの女王配下の
犯人が見つかるまでは、冒険者である自分には何もできない。
ローグハンターは思わず舌打ちを漏らすと、狐は小さく息を吐いて「落ち着けよ」と一言。
その言葉にローグハンターが冷たく彼を睨みつけると、ばたばたと騒がしい足音が階段の方から聞こえてくる。
「ほら、さっさと仕事いけ」
「ああ。言われなくても」
狐の一言にローグハンターがぎしりと椅子を軋ませながら立ち上がるのと、階段から彼の一党が姿を現したのはほぼ同時。
「おっはよ〜」
「「おはようございます」」
銀髪武闘家、女魔術師、令嬢剣士。それぞれの朝の挨拶に「おはよう」と手短に返すと、彼は足早に酒場を後にしてしまう。
「あ、ちょっと!?なんか機嫌悪くない!?私、何かしちゃった!?」
銀髪武闘家はいつもなら並んで出ていくのにと慌てて彼を追いかけ、女魔術師と令嬢剣士も顔を見合わせて驚きつつ、二人の後に続く。
そして冒険者ギルドに着いて早々、件の噂を耳にしてしまうのであった。
「問題は、それを聞いたあの
どうにか彼の機嫌をとろうとあれやこれやと話題を逸らしにかかる銀髪武闘家を横目に、女魔術師が嘆息混じりに言う。
それを聞いた令嬢剣士は乾いた笑みを浮かべ、反論のしようがないと隣の卓──ゴブリンスレイヤーの一党がよく集まる場所に目を向けた。
件の噂は女神官の耳にも届いていたようで、朝一に出会った彼女はまさに不機嫌そのもの。それなりに長い付き合いである令嬢剣士でも見たことがないほどに、女神官はやり場のない怒りに包まれていた。
そんなもの関係ないとばかりにゴブリン退治に連れ出されたのは、依頼の中で考える事を辞めさせる為か、単に気にしていないのか。
ゴブリンスレイヤーの──というよりかは、彼女の姉ぶる妖精弓手の策略かもしれないが。
「ですが、聞いていて気持ちのいいものではないことは確かですわ」
令嬢剣士は小さく息を吐き、どうにか友人の力になれないかと頭を捻る。
帰ってきたらとりあえず愚痴でも悪態でも聞いてやるとして、問題はその後だ。噂は数日もしない内に街に広まり、葡萄尼僧には好奇と軽蔑の視線が向けられるのは想像に難しくない。
そして人間というのは単純で、悪と決めつけたものを徹底的に痛めつけるきらいがあるのは、良くも悪くも彼女の師匠が体現していることでもあるし。
むむむと唸りながら意味もなくこめかみの辺りを揉み解す令嬢剣士と、どうするべきか悩む女魔術師。
普段、二人が悩んでいれば即刻相談する相手であるローグハンターは、銀髪武闘家のやり取りで僅かに機嫌を良くしたようで、朝食を食べる彼女に寄り掛かられている。
その手がそっと彼女の髪を撫で、寝癖を直している辺り、悩むことよりも目の前の妻の身嗜みを優先したとも言えるかもしれないが。
「──噂の消し方はいくつかあるが」
そうして女魔術師と令嬢剣士がそれぞれ悩む中、不意にローグハンターが口を開いた。
え、と声を漏らした二人が顔をあげると、ローグハンターはどこか懐かしむような──けれどそんな懐かしさを否定するような──声音で告げる。
「噂を書いたビラなり貼り紙なりを剥がして回るのが安全で、簡単でもあるが、今回の相手はそんな面倒なことはせんだろう。紙を用意する金もないだろうからな」
「探すべきはその噂を言い始めた大元だ。そいつを叩きのめして、どうしてそんな噂を流したか、あるいは誰に頼まれて流したのかを聞き出す」
「問題は、その大元が誰なのかが分からんことだが……」
彼はそこまで言うと顎に手をやり、僅かに思慮する様子を見せた。
その大元に関してはある程度の目星は付いているし、その裏取りは狐たち
狐たちが結果を出すまで、早くても数日はかかるだろう。こちらでも何かできることはないか。
「むぅ……」
あの時。王都で名前も冒険者としての身分も捨て、アサシンとして闇夜を駆けたあの日のようにやれれば、楽ではあるのだろうが。
ローグハンターは低く唸り、寄りかかってくる銀髪武闘家をそっと抱き寄せた。
「お?」と変な声を漏らしつつ、されるがまま身を寄せてくる彼女の温まりと息遣い、そして重さに、あの時とは違うと自分に言い聞かせた。
あの時と違いまだ直接手を出されたという話もなく、何より今の自分は彼女の夫なのだ。自分の一存でまたアサシンとして行動するなど、するわけにはいかない。
──だが、何か嫌な予感がする。
何かしら行動に移さねば、
今度こそ、家族を守る。その為ならば手段なぞ選んでいる余裕はない。
神妙な面持ちで唸るローグハンターに、銀髪武闘家は何か言わんと口を開きかけたが、
「おねげぇします!おねげぇします!!わしの村の近くに盗賊が──」
ギルドの受付から聞こえてきた言葉にローグハンターの一党は揃って顔を上げ、表情を引き締めた。
確かに地母神の神殿の問題があるが、それで助けを求める声を無視していては
ギルドに駆け込んだ村人の証言の下、受付嬢からの視線を感じつつ依頼書が書き上げられるのを待ちながら、ローグハンターは手首を回してアサシンブレードの具合を確かめた。
そして名もなき盗賊団に苦戦するほど、ローグハンター一党は弱くはない。
移動に一日。殲滅に五時間足らず。帰還に一日。二日と少しで街に戻ってきた四人は、報告を早々に済ませて眠る狐亭に帰還。
それぞれの部屋に戻り、寝る準備を進めるのだが、
「ねぇ」
寝巻きに着替えを終えると共に声をかけられたローグハンターは、振り向き様に声を失った。
そこにいるのは寝巻きに着替え、ベッドに腰掛ける銀髪武闘家だ。窓から差し込む月光を浴びて、銀色の髪が星のように輝き、白磁の肌が神秘的なまでの光を放つ。
最近暑くなってきたからか寝巻きも少し薄いものになっているのか、目を凝らせば僅かに肢体の輪郭や下着の色が透けて見える。
あまりの美しさに言葉を失い、ごくりと生唾を飲んだ彼に向け、銀髪武闘家は「ここ座って」と自分の隣を叩いた。
言われるがままそこに腰を下ろすと、銀髪武闘家は今度は自分の膝を叩き始めた。
流石に意図が読めず、ローグハンターは首を傾げるのだが、銀髪武闘家は「頭、ここ」と頰を羞恥で赤く染めながら告げた。
再び言われるが身体を倒し、彼女の膝の上に頭を乗せると、銀髪武闘家はそっと彼の頭を撫で始めた。
ん……と声を漏らし、リラックスするように身体を弛緩させるローグハンターは、彼女の膝と柔らかさと温もりを少しでも強く感じようと目を閉じる。
彼女の呼吸の度に身体が揺すられる度、揺籠に揺られる赤子のような安堵が全身を包み込むが、不意に銀髪武闘家が自分の愛称を呼んだのを合図に目を開けた。
「どうかしたのか」
「ううん。どこか、痒いところ、ない?」
「ああ、大丈夫だ。お前こそ、どうかしたのか?」
慈愛に満ちた手で頭を撫でられながら、ローグハンターは彼女に問いを返した。
普段、こうした触れ合いをする時はお互いに抱きつくか、あるいは向かい合う形で寝転ぶのだが、今回はそのどちらでもない。彼女の行動に関して、少し疑問が湧いたのだろう。
彼の問いにほんの一瞬動きを止めた銀髪武闘家は、小さく溜め息を吐いた。
「あの噂話に関して、何かできることはないかなって」
そして観念したようにそう言うと彼の顔を覗こうとするが、顎を引いた途端に視界に飛び込んでくるのはたわわに実った二つの果実。
普段ならあまり気にせず、たまにローグハンター以外の男たちの視線を集めてしまう、豊満な乳房。それが、今ばかりは彼と自分を遮る壁となってしまっている。
「……」
「どうかしたのか?」
自分の胸に対して不満げな視線を向ける銀髪武闘家の様子にローグハンターが問いかけるが、彼女は咳払いと共に意識を切り替えた。大事な話があるのだ、今を逃すわけにはいかない。
「私たちじゃできることはないかもだけどさ、キミになら何かできるんじゃない?」
銀髪武闘家には、ある種の確信があった。
冒険者ギルドでの話し合いの時はまるで手段なし、お手上げだと言わんばかりの様子ではあったが、あの時の表情はどうするべきか考えているのではなく、手段はあるがやるか、やらないべきかで悩んでいる時のそれだったのだ。
彼は、自分たちには明かしていない、この状況に対する何かしらの対抗手段を持ち合わせているのではないか。
彼と長年連れ添ってきた銀髪武闘家だからこそ気づき、そして問いかけることができた言葉に、ローグハンターは僅かに目を見開くと、彼女に気づかれないように息を吐いた。
そして名残惜しく思いつつも身体を起こすと、こちらを真っ直ぐに見つめてくる銀色の瞳を見つめ、頭を掻いた。
ここで適当に誤魔化し、あるわけないだろうと返してしまうのが楽ではあるだろうが、それは彼女への──そして弱きを救うローグハンターへの裏切りだろう。
彼は深く息を吐くと、負けを認めるように両手を挙げながら頷いた。
「……手はある。だが、あまり褒められた手段じゃない」
「……やっぱりあるんだ。その、内容までは聞かない方がいい?」
「ああ、聞かないでくれ。それに関しては何も言えない」
「でも、やろうと思えばやれるんでしょ?」
「ああ」
ローグハンターは眉を寄せて心底嫌そうな表情で頷くと、銀髪武闘家は「やりたくは、なさそうだね」と苦笑した。
彼がここまで嫌悪感を示すその手段とは一体なんなのか、気になって仕方がないが、教えてくれないのなら仕方があるまい。
こくりと頷くローグハンターの様子に、銀髪武闘家は意を決して告げた。
「じゃあ、それやってくれない?」
「……本気か?」
「うん。キミは嫌だろうけど、手札があるのに切らないなんて、それこそ馬鹿みたいじゃん」
まるで子供にお遣いを頼むように軽い調子で頼まれたことにローグハンターは面を喰らうが、彼女は畳みかけるように言葉を重ねた。
彼女の言葉に鼻を鳴らしたローグハンターは「確かにそうだな」と数日前の自虐するように笑った。
そして自分と銀髪武闘家の覚悟を問うように、口を動かした。
「この手札を切ると、しばらく会えなくなるぞ」
「それは、我慢するしかないかな」
「何かあっても、助けには入れない」
「いつも以上に注意して、警戒して、頑張らないとね」
「……俺は、寂しくて死ぬかもな」
「なら、会えない分まで抱きしめてあげる。キミが寝るまで、話してあげる」
不意に漏らした彼の弱音に、銀髪武闘家は彼を抱きしめながら笑った。
そのまま彼ごと身体を倒し、ベッドに横になる。
目の前にある蒼い瞳は迷子の子供のように弱々しく揺れ、不安と迷いに満ちている。
彼の過去に何があったのか、銀髪武闘家は深くは知らない。それでも、彼は愛する人を──家族を失う事を過剰に思えるほど極端に恐れていることはわかる。
そんな彼に、間違いなく深い傷として心に刻まれ続けている王都の一件のように、危険を承知で別行動しようと提案するなど、彼からすれば死んでもごめんな提案だろう。
だが、時にはその手札を──文字通りの半身と別行動をとるという最悪の札を切らねばならないのだ。
銀髪武闘家は彼を抱き寄せ、彼の頭を豊満な胸に包み込みながら、孤独に泣く子供をあやすように、悪夢に怯える子供を励ますように、彼の背を撫でてやった。
「大丈夫、私は死なないから。だから、キミも死なないでね」
彼女が囁くように告げた言葉に、ローグハンターは答えなかった。
代わりに彼女の背に回した腕に力を込め、力強く、けれど優しく彼女を抱きしめながら、胸の中で小さく一度頷いた。
翌朝。窓から差し込む朝日を顔に浴びた銀髪武闘家は、気怠げに身を起こした。
いつも起きる時間よりも、幾分か早い。朝早くの街は静けさと朝露に包まれ、僅かな肌寒さを感じた。
普段なら毛布に包まり直すか、彼を抱き枕にして二度寝をするところではあるが、部屋には彼の姿も、装備もない。もう出て行ってしまったようだ。
自分の胸に手を当て深く息を吐いた彼女はベッドから降りると、装備を閉まっている長持ちに足を向け、
「あれ」
その蓋の上に置かれた小さな羊皮紙に気付き、声を漏らした。
蓋を開ける前にそれを手に取り、彼の文字で書かれた一文に目を走らせる。
『──愛する妻へ。安全と平和を』
書かれているのはたったそれだけ。だがそこに込められた万感の想いは僅かに震えている筆跡に込められている。
「そこは『運は自分で掴むもの』じゃないんだ」
銀髪武闘家は彼の口癖の言葉が書いてあると思っていたのか、苦笑混じりにそう告げてその羊皮紙を机の上に。
手慣れた動作で装具を纏い、外套を羽織る。籠手の具合を確かめ、脚絆の留め具を締め直し、雑嚢を腰帯に取り付けていざ出陣。
時間が時間だからと足音を殺してゆっくりと階段を降りていき、一階の酒場にたどり着くと同時に
代わりに店主が朝の挨拶をしてくれるが、その表情はどこか固いように思えた。
「おはようございます」と笑みと共に挨拶を返した銀髪武闘家は、そのまま酒場を抜け、街に繰り出す。
疎な人混みを半身になりながらすり抜けていき、もはや目を閉じてでもたどり着けるだろう冒険者ギルドを目指す。
彼は今ごろどうしているだろうと思い不意に空を見上げても、そこには普段なら目にできる鷲の姿すらなく、あるのは雲一つない快晴の空のみだ。
自分から別行動すると言い出しておいて、孤独を感じている矛盾に笑いたくなるが、今はその感情は押し殺さねばならない。
フッと短く息を吐き、意識を切り替える。頭の中で、カチリと何かが嵌まる音がした。
途端に意識が研ぎ澄まされ、人懐こい瞳には冷たさが宿る。
そうして研ぎ澄まされた意識の中、不意に冒険者ギルドの方に目を向けると、入り口の前で立ち尽くす人物を発見した。
薄汚れた革鎧に、両脇の飾り角が折れた兜。左腕には円盾を括り付け、腰に帯びるは中途半端な長さの剣。
ローグハンター、槍使い、重戦士に並ぶ、辺境勇士──ゴブリンスレイヤーその人が、何故かギルドを見上げて立ち尽くしていたのだ。
疑問符を浮かべた銀髪武闘家は駆け足気味に彼に近づくと、彼女を追い抜く形でゴブリンスレイヤーに駆け寄る人影があった。
足を踏み出す度に三つ編みに纏められた髪が揺れ、何か備品が詰め込まれた袋を落とさないように四苦八苦しながらも、彼に声をかけたのは受付嬢だ。
彼女は笑みを浮かべているが、ゴブリンスレイヤーは相変わらずの兜で表情を窺えない。
だが、何か大切な事を話しているのだろう。二人は二、三やり取りすると、受付嬢は笑顔を浮かべたままギルドに入っていき、ゴブリンスレイヤーは大きく息を吐いたのか、鎧が揺れる。
その姿はまるで、未知の遺跡に挑まんとする冒険者がら改めて覚悟を決めているようにも見える。
そのまま彼はずかずかと無造作な足取りでギルドの中へと消えていく。
銀髪武闘家はそんな二人に続く形でギルドの自在扉を潜ると、
「おう、待ってたぜ!」
「っ!?」
待ってましたと言わんばかりに飛び込んできた声に、思わず足を止めた。
何事と声がした方向に目を向けると、槍使いがこっち来いと言わんばかりに大手を振り、そこには魔女、重戦士、女騎士とこの街が誇る銀等級冒険者たちが集い、彼らに囲まれる形で重戦士の一党の少年斥候と少女──正確には圃人らしい──巫術師。そして青年剣士をはじめとしたローグハンターの弟子たちが集められていた。
ゴブリンスレイヤーの方は、女神官らと合流して何やら話し込み始めている。
彼らなりに動き出そうとしているのだろう。昨日の内に彼の背を押しておいてよかったと僅かに安心。かのローグハンターが出遅れるなど、それこそ笑い物にされてしまう。
「それで、どうかしたの?」
ひょいひょいと人で溢れるギルドと酒場の人混みを避けながら槍使いらの元にたどり着いた銀髪武闘家が開口一番に問うと、槍使いは周囲を見渡し、「あいつは?」とローグハンターの所在を問うてきた。
やはり目的は彼かと苦笑した銀髪武闘家は、「朝からいないんだよね」と頰を掻いた。
マジかと狼狽える槍使いを他所に、重戦士は腕を組む。
「あいつの事だ。どうせ何か手を打ってんだろ?」
かつての激闘でも辛うじて無事だった右眼を細め、さも当然のことのように問うてくる。
勿論!と間髪いれずに答えてやれば、彼をよく知る友人たちはだよなと一様に反応を示した。
「待て、あいつ一人でか?」
「うん。何をするかも、どこに行くかも言わないでいなくなっちゃった」
だが不意に女騎士が投げた問いかけに、銀髪武闘家は困り顔で返す。実際今彼がどこで、何をしていふるのか全くわからないのだ。
むぅと唸った女騎士を横目に、魔女が「それで、どこに……行く……?」と肉感的な肢体を揺らしながら銀等級冒険者らに問う。
彼らがここに集うた理由はただ一つ。かの悪意に満ちた噂の出所を探り、噂を流した何者かの意図を探り、混沌の手勢であれば叩き潰すためだ。
銀髪武闘家は顎に手をやり、思慮する様子を見せた。
情報を得ると、言えば簡単だが実際にやるのは難しい。必要な情報を得るために、回り道と遠回りを繰り返すのはいつの時代も変わらない。
「とりあえず、水の街だな。地母神の神殿と至高神の神殿は横の繋がりがある。あの大司教様にも、俺たちなら会おうと思えば会えるだろ」
そして重戦士はぶっきらぼうにそう告げると、女騎士の頭に手を置いた。
そのまま乱暴に彼女の頭を撫で始めると、女騎士はやめろ、離せと口では嫌がるが手を払うことはない。
「俺はどうすっかね。
槍使いは乱暴に自分の頭を掻きながらそう言うと、ふと何かを思い出したかのように顔をあげた。
「そういや、水の街に知り合いの冒険者いるな。とりあえず、そこまでは一緒かね」
「そ、ね」
彼の言葉に魔女が煙管を吹かし、紫煙を吐きながら美しい動作で首肯すると、不意に二人は銀髪武闘家に目を向けた。
「で、おまえがいりゃ話が
「……?私の知り合いなの?」
槍使いの言葉に銀髪武闘家は首を傾げた。
水の街を拠点にしていて、ついでに自分達の知り合いの冒険者など、果たしていただろうか。
誰だ、あの人かと頭を捻る銀髪武闘家の姿に魔女が可笑そうに笑うと、「会えば、わかる、わ……よ」と言いながら紫煙を吐き出した。
彼女の言葉に余計に困惑する銀髪武闘家だが、とにかくやることは決まったと自分の頰を叩いた。
「それじゃ、依頼はないけどやれる事をやりますか!いざ、水の街へ!!」
「え、水の街に行きますの?」
「そうみたいね」
そうして意気揚々と告げた瞬間、背後から令嬢剣士と女魔術師の困惑と呆れの声が投げかけられた。
「うぇい!?」と驚きの声と共に振り向き、仕方ないと言わんばかりに肩を竦める二人に笑顔を向けた。
「彼はいないけど、私たちでもやれる事をしよう。たまにはこういうのもいいでしょ?」
そして可憐に
「今度こそ、先生抜きでもやれるって事を証明してみせますわ!」
「そうね。今度こそ、みんな無事にあの人におかえりなさいって言いましょう」
二人の口から漏れたのは、いつかの王都──ローグハンターが離脱した直後に銀髪武闘家が刺されるという、最悪の事態を繰り返してたまるものかという覚悟の言葉。
あの時と違い、戦力も整い、街の治安もいい場所でもあるが、何があるかはわからない。冒険者たるもの、いついかなる時でも万全を期さねばならないのだ。
「というわけで、こっちは任せた!」
二人の覚悟に微笑みを浮かべた銀髪武闘家は、話についていけずに困惑していた青年剣士の肩を叩いた。
「お、俺ですか!?」と驚愕の声をあげる彼と、同じく困惑する彼ら一党に向け、頷いた。
「今、あの寺院には碌な目が向けられてない。この期に乗じてこの前まで大人しかった人たちが、騒ぎ出すかもしれない。だから、私たちがいない間、警備の依頼を引き継いで欲しいの」
「わ、私たちでいいんですか?」
銀髪武闘家の言葉に女武闘家が問うと、彼女は「勿論!」と返して太陽を思わせる笑顔を浮かべた。
「──だって、私たちの弟子だもん。信頼してるし、信用もしてる」
そして告げられた真摯な言葉にいまだ若き冒険者たちは面を喰らい、そして顔を見合わせた。
確かに彼女からの信頼と信用に応じなければ、冒険者の名が廃る。
あの暗い噂がある尼僧のいる寺院を守るなど、げんを担ぐ冒険者からは忌諱されること間違いない。だが、誰かがやらねばならない。
「や、やりますっ!やってみせますよ!!」
声を張り上げたのは青年剣士だ。彼は一党を見渡し、そして酒場の端でゴブリンスレイヤーと話す女神官に目を向け、強がるような、けれど得意げな笑みを浮かべた。
「初めての一党の、仲間の家の危機だ!やってやろうぜ!」
彼の宣言に一党たちが応じ、よしやろう!頑張ろう!と意気込む彼らの声が耳に届く。
その様子に銀髪武闘家は師匠として、冒険者の先達として誇りに思いつつ、同時に姉や、母のように慈愛に満ちた表情で見つめた。
ここに彼がいないのは酷く残念だけれど、それでも彼もどこかで同じように頑張っているのだ。なら、自分もやれることをありったけだ。
「──私も頑張るから、キミも頑張ってね」
「──ああ、任せろ」
ギルドの外、冒険者たちが話し合う酒場の壁に寄りかかりながら、黒檀と黒曜石の鎧に身を包んだ蒼い瞳のアサシンは不敵に笑んだ。
冒険者たちが表立って動いてくれるのなら、彼らが見つけられるようにヒントにさらにわかりやすく目印を付けよう。あるいは彼らでは対処できない問題が出たのなら、気づかれないように対処しよう。
──闇に生き、光に奉仕する。そは我らなり……か。
アサシンは酒場の喧騒を名残惜しそうに背を向けると音もなく歩き出し、影の中に消えていく。
ただ一人、長耳を揺らす
感想等ありましたら、よろしくお願いします。
期限は『Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ』が完結してから+1週間です。随分と今更な事を聞きますか、ダンまちとゴブリンスレイヤーコラボイベント『Dungeon&Goblins』にログハン一党をぶち込んだものをーー
-
見たい!
-
別にいいです……。