数日後の水の街。
厚い雲に覆われ、双子の月の輪郭も見えない闇夜。
『さて、こちらの準備は万端。そっちはどうだ』
肩に乗せた小さな獣。その額の宝玉から漏れ出る声にローグハンター、もといアサシンは「いつでも」と手短に返す。
目深く被った頭巾の下、細められた蒼瞳に映るのはとある屋敷。懐にしまった
「折角ここまでお膳立てをしてもらったんだ。すぐに終わらせてやる」
辺境に居座っていた
更に言えば薄汚れた革鎧の冒険者──なぜか聞き覚えるのある特徴だ──からも同じ場所を探るような依頼が来ていた為、多少ながら報酬も貰える。一石二鳥だ。
逆に言えば、そんな紙切れ数枚の為に命を賭けてくれた誰かがいて、これを求める誰かがいたということ。
その誰かの懸命に報いるため、金を出してくれた誰かに恩を売るため、そしてあの尼僧を陥れた畜生をどん底まで叩き落とすため、ここが正念場だ。
アサシンは裏路地の影から顔を出し、足音一つなく通りを横断すると、そのまま屋敷の周囲を囲む石塀を乗り越え、あっさりと敷地に侵入。
大人二人分の身長を優に超えるそれも、アサシンを阻む障害にはなり得なかった。
屋敷の敷地内。塀の影で
無論、映る人影に敵影である赤の色はない。いるとしたら、衛士長の邸宅を警備する守衛か、屋敷の
何の罪のない人を、こちらの都合で殺すわけにはいかない。
『汝、己が刃を罪なき者に振るうことなかれ』、だ。
アサシンは頭巾の下で浅く息を吐き、影と一体となりながら屋敷に接近。
そのまま窓枠に足をかけ、蹴り上げるようにして跳躍して二階の窓枠にしがみつく。
そのまま腕力のみで鋼のように鍛え抜かれた身体を軽く引き上げ、足を引っ掛けて二階の窓に貼り付く。
タカの眼を副次効果である暗視能力で部屋を物色したアサシンは、ここじゃないと目的の部屋を探して隣の窓に飛び移る。
それを数度繰り返し、そもそも階が違うと気づくのに僅かに時間がかかった。
間抜けか俺は溜め息を吐いてから更に上の階によじ登れば、目的の部屋はやはりそこであった。
衛士長の書斎、あるいは執務室なのだろう。無人ではあるが、暗視してみれば何十刷と本が詰め込まれた書棚や上等な机。その上には飲みかけの酒瓶と、これまた高価そうな杯が放置されていた。
──早く済まさないと、下手をすれば戻ってくるな。
アサシンは室内の情報から衛士長は何か所用で出ているだけと推理し、右手のアサシンブレードを抜刀。
そっと窓枠の隙間に差し込み、刃を這わせる。黒き
守りの魔術も、護符も関係ない。古き
よしと頷いたアサシンはアサシンブレードを納刀すると、窓を開けて滑り込むように室内に侵入。
足が沈む程に毛足の長い絨毯の踏み心地に違和感を感じつつ、相変わらず音を立てずに室内を物色。
一応、強盗が物色したというていになるようにしなければならないのだが──。
「物盗りが入った部屋、か」
目を閉じ、瞼の裏で思い浮かべるのは今までで散々見てきた
ふむと小さく唸った彼は、とりあえず書棚の中身をひっくり返して部屋にぶち撒け、飲みかけの酒瓶をぶん投げて適当に放る。
タカの眼で机や書棚に紛れた隠し金庫を見つけ次第、アサシンブレードで強引にこじ開け、中身の宝石類を物色し、いくつかを懐に入れる。
本当の強盗なら袋が満杯になるまで奪っていくのだろうが、自分はアサシンであり、一応は辺境勇士たる
超えてはならない一線というものは、絶対に超えない。全てが終われば、盗んだ物も返しにくる。彼女に、愛する妻と胸を張って再会し、思い切り抱擁するためには、それだけは譲れない。
適当に部屋を汚したアサシンは懐からある書類を取り出し、それを目立ちそうな──けれど落ちていても違和感のない場所に置いた。
強盗に入られた後、気にするのは何を盗まれたかだ。その中に見覚えのない書類が紛れていれば、嫌でも目立つ。
この書類は、確実に見つけてもらわねば困るのだ。
「これで──」
後は逃げるだけだなと窓の方に踵を返そうとした瞬間、刺客の囁き声とも、ゴブリンの嗤い声とも違う、怪物や咆哮が頭の中に響き渡った。
瞬時にタカの眼を発動し、扉の奥に何かがいることにようやく気付く。
浮かび上がる赤い影は人間のそれではない。只人のそれを優に超える巨体を持ち主は、拳を振り上げて壁ごと執務室の扉を粉砕した。
扉と壁の破片が舞い散る中、アサシンは確かに強襲してきた怪物を認めていた。
「
トロル。言わずもがな、怪物である。
愚鈍。しかし怪力。鈍重。なれど強靭。
その肌は鱗や岩、鎧で覆われていない。しかしその身に負った傷は多少なら断ちどころに癒ていき、火や酸の類で炙らねば
──トロルが何でこんな場所にいる!?水の街の、衛士長の屋敷だぞ!?
アサシンは大きく目を見開き、柄にもなく舌を弾いた。
西方辺境の秩序の砦。あるいは開拓の最前線ともいえる至高神の膝下に、醜悪な怪物がいるなど笑えない。
それも、秩序を守る衛士長の屋敷に出たとなれば!
今の手持ちの武器でトロルに致命傷を与えられる武器はあるか。
なくはないが、ここで暴れれば書類が駄目になる可能性がある。いや、そろそろ誰か人が来ることだろう。
武装した守衛ならともかく、戦う力を持たない侍人が部屋を見にきた暁にはきっと血を見ることになる。
──なら、とるべき
アサシンはその身を踊らせて窓を突き破り、空中で身を翻す。
地上三階の高さからの垂直降下に、アサシンはほんの一瞬の浮遊感を堪能すると、
「ぅ゛……!」
限界まで噛み殺した汚い悲鳴を漏らしつつ、強靭な四肢で持って着地。
着地の衝撃で全身の骨が軋む痛みに耐えつつ、地面を蹴って走り出す。直後、彼のいた場所に巨体が落下した。
「OOOOOOLE!!!!」
文字通り、背中を向けて逃げた獲物を追撃せんと吠え猛った怪物の方向が鼓膜を揺らす。
それを背に屋敷の庭を疾走したアサシンは、その疾走を助走に塀を駆け上がるような勢いで一気に登り、敷地の外へ。
ふっと短く息を吐いた彼の後ろでは、追いかけてきたトロルがその巨体を生かした
「OOOL……?」
トロルの視界に映るのは無人の通り。人の姿はおろか、気配すらも感じない静寂に包まれた通りが、トロルを迎え入れていた。
どこに行ったと周囲を見渡し、トロルの巨体では通れない裏路地への入り口を入念に探る。
こういった状況に陥った只人は逃げる時、相手には通らない細道を使うと学習していたのだろう。そして、その判断は正しいものだ。
鼠が猫から逃れる為に巣穴に飛び込むように、旅人が
そうして路地への入り口を探し、視線を下げていたトロルは気付けない。
自らの身長よりも更に高い建物の屋根の上。雲の隙間から降り注ぐ月光を背に受けた黒の剣士が、既に抜刀している事に。
右手に
彼は屋根の上から身を投げ、そして告げた。
「──
一瞬の浮遊感。
地面に引っ張られる重力の強さ。
顔にかかる影でようやくこちらに気付いたトロルの、驚愕に染まった双眸。
それら全てを余す事なく感じながら、アサシンはトロルの肩に落着すると同時にニ振りの刃で怪物の喉を掻っ捌いた。
肉の繊維を断つ不快な手応えに眉を歪めつつ、噴水の如く噴き出す濁った血を浴びながら、駄目押しと言わんばかりにその眼球に血に濡れた刃を叩き込み、脳髄を貫くついでに脳味噌を掻き回す。
耳から、鼻から、大量の血を垂らしながら巨体はぐらりと揺れ、宙を掻きながら背後に倒れ、沈んだ。
途中で飛び降りたアサシンは何の感慨もなく斃れた巨体を見つめると、タカの眼を発動しつつぐるりと周囲を見回す。
敵影なし。目撃者もいま死んだ。ならばよし。
ああ、そうだ。ついでに濡れ衣を着せておこう。戻ってくる手間も省ける。
アサシンは盗み出した宝石類をトロルの腰巾着にいくつか入れ、残りを倒れた方向に合わせて周囲にぶちまける。
これで屋敷に盗みに入ったトロルの死体と、斃れた拍子にぶちまけられた宝石類という、殺害現場の完成だ。
「後は任せた。大司教」
仕込みは済んだ。後は秩序の光の中に生きる者たちが糸を手繰り、真相を究明し、然るべき裁きを与えるだけだ。
アサシンは頭巾の中で怯えていた獣の喉をそっと撫でてやる。
「それじゃ、俺は一旦離脱する。事が起こるとすれば、明日だ」
『だろうよ。見ていくのかい、旦那』
「ああ。万が一、想定していない事が起きた時に備えさせてもらう」
ついでに宝石越しに聞いているだろう狐の部下にこのまま離脱するむねを伝え、この後の予定を簡単に確認した。
衛士長の屋敷に盗みが入り、挙句トロルが出没した。剣の乙女や至高神の神官らがどうにかするにしても、明日一日は混乱に陥るだろう。
その隙をついて暴れる輩がいないとも限らない。そちらの対処もアサシンの仕事だ。
「お前も帰って休め。いい物食わせてもらえよ」
アサシンは微笑み混ざりにそう言うと、獣は返事代わりに彼の頬を舐めると肩から飛び降り、裏路地の闇へと消えていった。
それを見送ったアサシンは建物の壁をよじ登り、雲の切れ目から見える双子の月を眺めながら、愛する妻の髪にも似た月光を浴びながら一度深呼吸。
「……もう五日も会ってないのか」
そうして気を抜いたからか、途端に思い出したのは妻と別れたあの夜のことだ。
あのやり取りから早五日。たったの五日であるが、彼女と出会ってからこんなに長い日数離れるなど、いつぶりだろうか。
頭巾を押さえて目深に被り、その表情を見せないようにしつつ小さく息を吐く。
「随分と寂しがり屋になったな、俺は……」
もうしばらく会えないというのに、アサシンは深々と息を吐いてその場にしゃがみ込み、更にもう一度溜め息を吐いた。
そして彼の予想の通り、翌日から水の街は衛士達は、屋敷を荒らされ怒りに震える衛士長の指揮の下、トロルによる屋敷襲撃を手引きした犯人と、その場に残されていた
「……」
そんなアサシンの暗躍から数日後の辺境の街。冒険者ギルド。
ギルドの待合所をかねた酒場の片隅。血気盛んな冒険者達の中でも人が寄りつかない円卓に、銀髪武闘家は突っ伏した。
いつもの溌剌さはどこに行ったのか、死んだ魚のように濁った目が騒がしいギルドを意味もなく見つめている。
水の街で勇者と話してからもう四日。彼と別れてから数えれば、もう十日になる。ローグハンターと別れて遠出までしたというのに、得られた情報はなし。一応、剣の乙女と勇者に辺境の街の異変を教えられただけでも成果といえば成果ではあるが。
「はぁ……」
銀髪武闘家は円卓に顔を埋めながら、溜め息を吐く。
いつもならどこかの誰かが背中を撫でてくれたり、声をかけてくれたりするのだが、生憎とその誰かがいないせいで余計に強烈な寂しさを感じてしまう。
酒場の端で暗い空気を醸し出す彼女に、おいそれと近づく愚か者はいない。むしろ、近づくだけで不運が移されそうと、験を担ぐ冒険者達からは距離を取られていた。
一応、訳を知る銀等級冒険者たちやローグハンター一党は苦笑するばかり。今の彼女を慰められるのは、慰める権利を持つのは、一人しかいないと理解しているからだ。
正確には、機嫌を治してやろうと声をかけても無視されるか気のない返事ばかりを返されたり、二言目には「寂しい」だの「会いたい」だのと言い始めるので、諦めたという方が確かなのだが。
「ど、どうしましょう?」
「ほっときましょ。あの人が帰ってきたら元気になるわよ」
銀髪武闘家が占領する隣の卓。心配する令嬢剣士と、どこか適当な女魔術師がそんなやり取りをしていると──……。
「はーいっ!今日のお仕事を貼り出しますよぉーっ!」
いつの間にやらそんな時間になっていたようだ。受付嬢が紙の束を抱えて出てくると、冒険者たちは待ってましたと言わんばかりに歓声をあげながら掲示板へと駆け出していく。
簡単な仕事。難しい仕事。近場の仕事。遠出をする仕事。種類は様々、早い者勝ち。金が欲しくば良い仕事を誰よりも早く見つけなければならない。
「ん?地母神の寺院の警護?これ、ローグハンターの奴が受けてなかったか?」
「いや、よく見ろよ。至高神の神殿からの依頼だ。……いや、これこそローグハンターの野郎が受けるだろ。あいつどこ行った?」
「いないなら、私たちで受けちゃいましょ!払いがいいわ!」
そんなやり取りが聞こえてきた途端、何人かの冒険者が相変わらず伸びている銀髪武闘家に探るような視線を向けるが、当の彼女からはお好きにどうぞと言わんばかりに胡乱な視線を向けられた。
無論、それは青年剣士の一党にも向けられており、彼らも任せて下さいと言わんばかりに頷き、複数ある『地母神の寺院の警護』の依頼の一枚を持っていった。
受付に向かうローグハンターの弟子たちを見送った銀髪武闘家は、今日は何するかな〜と気だるげに身を起こす。
この際、青年剣士らと合流してしまおうかとも思うが。
意見を求めようと隣の卓、令嬢剣士と女魔術師に目を向けた瞬間、不意に視界の端で見慣れない青年が席を立ったのが目についた。
冒険者たちの空白地帯を足早に踏破し、足を向ける先にいるのは自分。
いやいやまさかとすぐに視線を外した途端、件の青年は緊張した様子で声をかけた。
「突然すまない。僕の話を聞いてはくれないか」
ひどく掠れ、上擦ったそれは、主に肉体的な疲労と心労がたたった結果だろう。
青年はこれではいかんと咳払いをするが、同時にふと違和感を覚えた。
静かだ。そう、あまりにも静かすぎるのだ。先程まであんなにも騒いでいた冒険者たちが静まり返り、こちらに視線を向けている。
「あいつ、命知らずにも程があるだろ」
「うわ。よりにもよってあの人に声かけちゃうの?」
「あ〜、俺知らね。くわばらくわばら」
冒険者たちが哀れむような表情で次々視線を外す中、一人状況に取り残された青年は何事だと緊張するばかり。
なにか、まずい事をしただろうかと狼狽える彼は隣の円卓から、令嬢剣士と女魔術師の殺意まじりの視線に晒されながら、そっと銀髪武闘家の顔色を伺うと、
「何か用ですか。ないならさっさと退いて下さい」
すっと細まり、鋭い殺意が宿る冷たい銀色の瞳がこちらを睨みつけていた。声音も冷たく、こちらをただの障害物としか認識していない。
話は終わりだと言わんばかりに脅しをかけてくるその視線から逃れるようにギルドに視線を巡られた青年は、ギルドの端にいた薄汚れた革鎧を纏った冒険者と、その隣にちょこんと座る神官の姿を見つけた。
協力者曰く、銀髪の武闘家とその革鎧の冒険者に要件を話せたの事であったのだが。
「とにかく、どこか部屋を借りられないだろうか!あと、そこの冒険者とも話がしたい!」
目の前の女性の殺気が凄まじすぎて、一刻も早く二人きりという状況を抜け出したいという感情が上回った。
ギルドの隅で叫びながら、革鎧の冒険者──つまりはゴブリンスレイヤーを手で示せば、彼は鉄兜を揺らして顔を上げ、隣の女神官もこてんと首を傾げる。
流石に騒ぎすぎたのか、気をまわした監督官がどうぞどうぞと言わんばかりに上階を指差した。
「なら、行きましょうか。早く済ませましょう」
銀髪武闘家は面倒そうに息を吐きながら、卓に手をついて立ち上がるのだった。
階段を上って、廊下の奥へ。
ギルドの執務に関わる区画の片隅に、応接室はあった。
一度は壊され、ここに納められていた冒険者たちのトロフィーも失われてしまったが、長椅子や机、棚などの備品はようやく新品を用意できたとギルド職員も喜んでいた。
その内、モンスターの角だの名のある名工の武具だの、これから新しいトロフィーが集まっていくと思えば、寂しさを感じる壁もむしろ貴重な光景だ。
だが、室内でそんな事を思う余裕のある者はいない。
ゴブリンスレイヤーは何も言わず、銀髪武闘家は殺気立ち、そんな二人に挟まれる女神官は困り顔で笑うばかり。
そして、三人の対面に座る青年──水の街の酒商の息子らしい──が、担当直入に告げた。
「急ぎの依頼だ。──どうか、僕らを助けてはくれないか」
「ゴブリンか?」
「……ああ、そうだ」
それに対するゴブリンスレイヤーの問いに、酒商の息子は恥を呑みつつ頷いた。
酒商の息子。しかも話を聞いた限りでは、件の噂が流れた直後に売り込みに来た酒商の息子であるらしい。
女神官が複雑な表情を浮かべる中、ゴブリンスレイヤーと銀髪武闘家が顔を見合わせる。
嫌な沈黙が応接室に満ちる中、酒商の息子が喉の奥から絞り出すように告げた。
「……父が、混沌の眷属と契約を交わしていたことが明らかになったのだ」
その言葉を皮切りに、酒商の息子は事情を説明し始める。
最近、父の様子がおかしくなり始めた。
商売が行き詰まっているわけでもなく何かに焦り、必死だった。
そんな中、件の葡萄尼僧に関する噂が流れ、その機に乗じて意気揚々と動いていた。
商人としての矜持もなく、まるで悪魔のように嗤い、その手を辺境まで伸ばそうとしていたのだ。
──もっと金を。もっと富を。もっと、もっと。
いつかはわからない。だが、いつからか胸に宿ったそんな薄暗い欲望が、混沌の勢力を引き寄せてしまったのだろう。
だが結果的に父は混沌の勢力と手を組み、彼らの企てに乗っかり、その見返りとして計画の狭間で生まれる利益を得る。そんな馬鹿げた協力態勢を整えてしまったのだ。
本当に何とも馬鹿馬鹿しい、利用されるだけ利用され、捨てられるのも目に見えているだろうに。
だが商売人として、正義とか人情より、相互利益の方が確かな事も多いのだ。
そして混沌の勢力と手を組む間際、父は商人として契約を持ちかけた。正確には、契約の書類を手元に残す事にしたのだ。
つまり自分が害されたり、捕まったりすれば、契約は公になり、貴様らの計画は頓挫する。逆にこちらが裏切れば、そちらも好きにしろ。
つまりは自分の破滅はそちらの破滅。そちらの破滅はこちらの破滅。文字通りの一蓮托生の関係になるように画策したのだ。
だが、結局それは失敗だった。
何でも街の衛士長の邸宅に盗人が入ったそうだ。しかもその盗人は
衛士長の自室を荒らし周り、隠し金庫さえもこじ開けて部屋中をひっくり返したそうだ。
その後逃げ出したトロルは行き合いの冒険者だか、騒ぎを聞きつけた守衛だかに討ち取られたそうだが、その、本当になぜかはわからないのだが。
……どういうわけか、衛士長の部屋に、
それで終いだ。面子を潰された衛士隊は総力をあげて追求を開始し、全てを明るみにした。
父は捕縛され、破滅は免れまい。私は幸運にも事態を知らなかった。《看破》の証も立てられた。
このまま家を継ぎ、円満解決。──なら良かったのだが、どうやら混沌の勢力も父の失態に気づいたようでな。最近、屋敷の周囲に妙な人影が見えるようになった。
かつて戦を経験した使用人は言うのだ。
──あれはゴブリンに間違いない、と。
話が終わり、先程とは違う静かさに包まれた応接室。
ゴブリンスレイヤーは「そう動いたか」と淡々とした声音でそう告げた。
え?と困惑気味に声を漏らした女神官を他所に、彼の言葉は続く。
「ギルドには?」
「通してある」
酒商の息子はそう言うと、懐から手紙を取り出した。
「水の街の冒険者は誰も受けてくれなかったが、通りすがりの冒険者が受けてくれた。そして、辺境の街にいる銀髪の武闘家にこれを渡せと使いに出された」
その手紙を銀髪武闘家に差し出し、差し出された彼女も怪しみつつもそれを受け取る。
彼女は苛立ちをぶつけるように乱暴な手つきで封を解き、中の手紙に目を通す。
『──拝啓、愛する妻へ』
貴族でもこう上手くは書かないだろうという上品で達筆な文字で書かれたそれは、間違いなくローグハンターのもの。
そして手紙の内容をかい摘んで言えば、自分と酒商の息子が出会った経緯や依頼を受けた理由、そしてできる事ならこっちに来て欲しいという合流の指示が手短に纏められていた。
最後の最後、僅かに力が入った文字でこう締め括られる。
『お前に会えない日々がこうも辛いとは思わなかった。すぐに帰る思っていたが、そちらから迎えに来てもらう形になって不甲斐ない。お前の温もりが恋しい。お前の声が、お前の香りが、お前の全てが恋しくてたまらない。またお前を抱き締められる日を、心待ちにしている』
その言葉に銀髪武闘家は強張っていた表情から力が抜けて、
「ふへ。ふへへ。えへ」
気の抜けた、力も抜けた、だらしのない、けれど幸せに満ちた笑みを浮かべていた。
文字の一つ一つを見るだけで彼が何を思って筆を走らせたのかがわかるし、どんな顔で書いていたのかもわかる。彼はきっと笑っていた。無邪気な子供のように笑いながら、これを書いたに違いない。
そんな笑顔を見てはいけない気がして視線を外した酒商の息子は、何の助けも得られず途方に暮れていた自分を捕まえ、事の経緯を聞いた彼の言葉を思い出す。
「『自業自得。ざまあみろ。悔い改めて、一生かけて反省しろ』」
「『そう父親に伝えろ。父親に罪があっても、お前や使用人まで罪を犯したわけじゃない』」
『「
「え……」
そんな思慮の途中。彼の言葉をそっくりそのまま口にしたのは銀髪武闘家だ。似ていない声真似までして、格好つけたように胸を張りながら、彼と同じ慈悲と怒りに震える瞳でこちらを見つめてくる。
彼女は浮かべた笑みをそのままに、ゴブリンスレイヤーと女神官に目を向けた。
「で、どうするの?私たちは行くけど」
「断る理由もない」
「私も行きます!言いたいことはローグハンターさんが言って下さいましたし!」
彼女の問いにゴブリンスレイヤーは即決し、女神官も何やら怪しい事を宣いながら同意を示す。
なら、決まり。後は行動に移すのみだ。
「すまない、ありがとう……!何でも言ってくれ、可能な限り、全て準備して──協力する!」
酒商の息子が机に額を着けながら頭を下げる中、銀髪武闘家は笑った。
「やっと話が簡単になったね。後はゴブリンを殺すだけだよ!ね?」
「ああ。ようやく単純な話になった」
彼女の言葉にゴブリンスレイヤーが同意を示し、そして何かを察した様子で小さく唸った。
「やはり
そんな呟くとほぼ同時刻。水の街の片隅で、この事態の収集に奔走し、その尻拭いも自分でやろうとしている冒険者であり仕掛け人であるアサシンが、盛大なくしゃみをするのだった。
感想等ありましたら、よろしくお願いします。
期限は『Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ』が完結してから+1週間です。随分と今更な事を聞きますか、ダンまちとゴブリンスレイヤーコラボイベント『Dungeon&Goblins』にログハン一党をぶち込んだものをーー
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見たい!
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別にいいです……。